『お嬢様学校』
その言葉から気品と優雅さが溢れ出るような印象を受ける。
しかし、実際にその言葉を目にすると、どこか気恥ずかしさを感じてしまう。
僕は郵便屋のお二人の手伝いという名目で荷物を玄関先まで運び出すのだが、当然の如く、事務員の方に止められてしまう。
「あ、コイツ。アタシらと同じ郵便屋で、ここに入学した特待生のエンマの弟なんで、大丈夫すよ」
「あら、そうなのですね。失礼致しました」
「男子禁制ですもんね。よければ確認がてらエンマを呼んでもらえます? 弟が頑張って仕事をしている姿を見たいでしょうし」
「そうですね。今すぐ呼んで参りますわ」
事務員の方は駆け足で奥へと引っ込むと、しばらくすると息を切らせた制服姿のエンマが姿を現した。
「リエト! それにお二方まで! どうしてここに!?」
「どうしても何も郵便屋だしな。ほれ、仕事はこっちでやっとくから、『姉貴』と積もる話をしてこい」
「そうですよ~荷物運びしてくれてありがとね~リエト君~」
そういうと、僕とエンマさんは二人から背中を押される形で事務所の外に押し出した。
僕とエンマさんはお互いの顔を見ると、溜息を一つ吐きながらそのまま歩き始める。
「まさか、こんな形で来ることになるとは思いませんでしたよ。エンマさん」
「わたくしの事は姉上とお呼びなさい。そうでなくては怪しまれてしまいますわよ?」
「……やっぱり無理がありません? エンマさんの弟役を演じるだなんて」
「リエト?」
「はい、すみません」
僕が謝りを入れると、エンマさんは小さく息を吐いて呆れたような表情を見せる。
「仕方ないでしょう。学校にわたくしとあなたの関係を素直に説明したならば、即追い出されるのがオチですわ」
「だからといって姉弟というのは……他になかったんですかね?」
「あら、わたくしとリエトが姉弟という設定に不満でもありますの?」
「いえ、不満とかではなく、ただ単に髪色からしてエンマさんとは違うのに、まかり通ってしまった事に疑問を抱いただけでして」
「事務員の方はわたくしとリエトを並べて見て、納得した様子を見せたので問題はないと判断しましたわ」
「そんな適当な感じで決めて、ここの警備に不安を感じてしまうのですが」
「細かいことを気にしてはいけませんわ。それとも……」
エンマさんは僕の腕に抱きつくと、上目遣いで見つめてくる。
「婚約者同士の方が良かったかしら?」
「……エンマさんって、時々心臓が止まりそうな事を平然と言い放ちますよね」
「そう感じて下さるということは、わたくしを意識なさっている証拠ですわね。嬉しい限りですわ」
「エンマさん特有の言い回しをされると、余計に反応に困ってしまうんですよ」
「そうやって困惑するリエトの姿が可愛らしいので、つい意地悪をしたくなってしまいますの」
「僕をからかって楽しいですか?」
「もちろん、とても楽しいですわ。それに……」
「それに?」
「わたくしがこの様なことをする殿方は、あなただけですもの」
「……っ!?」
エンマさんの一言に僕は思わず言葉を失ってしまう。
さらりと口にしてしまう彼女の大胆さに、僕は胸を高鳴らせてしまった。
そして、その気持ちはきっと彼女にも伝わってしまっているだろう。
「ふふっ、その顔を見られるのであれば、わたくしにもまだ機会がありそうで頑張れますわ」
「……僕としては、もうちょっと控えてほしいところですが」
「それは無理なお願いというものですわ。数少ない逢瀬の時間、大切にしたいではありませんか?」
「……降参です。姉弟設定でお願いします」
僕は観念したように両手を上げると、エンマさんは満足げに微笑んで見せた。
本当に、敵わない人だと僕は思う。
「それでは参りましょう。時間があまりないのでしょう? 急がないと」
「そうですね。それじゃあ、よろしくお願いします。エンマさん」
「えぇ、こちらこそ。それと、今一度、忠告をしておきます」
「何でしょうか?」
「学校の敷地内では『姉上』と呼びなさい。いいですわね?」
「……善処いたします」
レオナお姉ちゃんが聞いていたらどんな反応をするのだろうか。
そういえば、キリエとエンマさんはまだお姉ちゃんと面識がなかったっけ。
あれだけ同じ町に居たのに、紹介する機会もなかったんだなぁ。
今度、キリエとエンマさんをレオナお姉ちゃんに紹介する機会があれば、その時に改めて二人を紹介しようかな。
そんなことを考えながら、僕は彼女と一緒に学校のテラスへとやってきた。
エンマさんは椅子に腰掛けると、手招きをしながら僕を呼ぶ。
「さぁ、お座りになってくださいまし。少しばかりですがお話を致しましょう」
「ありがとうございます。それじゃあ失礼して」
僕が席に着くと、エンマさんは早速とばかりに話しかけてきた。
「それで、郵便屋のお二人に協力して貰うほどの急ぎでわたくしに会いにいらしたのは、どのようなご用件だったのかしら?」
「あーいや……はい、急ぎでツタエタイコトガ」
「…………」
カタコトの僕に対し、エンマさんからジト目を向けられてしまっている。
残念ながら僕には演技の才能はないようだ。
素直にエンマさんに事情を話すことにした。
「前日まで『アレシマ』に用事があって居たのですが……僕の夢、叶えそうです」
「…………」
「……あの、エンマさ……姉上?」
エンマさんは無言のまま立ち上がり、僕の元へと歩み寄ってくる。
何事かと身構えていると、彼女は僕を抱き締めるように優しく包み込んできた。
「……リエト、わたくしは心から祝福させていただきますわ。あなたが長年の夢を叶えさせようとしている姿を、こうして側で見ることが出来るなんて……わたくしは幸せ者ですわ」
「そ、そこまで大袈裟に喜ばれると、逆に恥ずかしいといいますか……」
そこで僕の言葉が途切れる。
理由は簡単だ。
彼女を伝って温かな雫が頬に落ちてきて、僕に伝わったからだ。
エンマさんは泣いているのだ。
僕の為に。
「エンマさ……姉上……」
「本当に、本当におめでとう。リエト」
「……はい、ありがとうございます」
僕がお礼を言うと、エンマさんは泣き顔を見せないように俯き加減で身体を離していく。
それでも涙は止まらず、彼女の瞳からは止めどなく溢れ続けていた。
「ごめんなさい。わたくしったら、みっともないところを見せてしましましたわね」
「いえ、そんなことはありませんよ。むしろ、僕のために涙を流してくれてすごく嬉しいんです」
これは本音だ。
誰かが自分のために泣いてくれるというのは、それだけ自分のことを想ってくれているということなのだ。
それを理解できないほど、僕は子供ではないつもりである。
「ふぅ、落ち着きましたわ。お見苦しい姿を見せてしまい申し訳ありませんでした」
「僕も泣かせてしまってすみません。でも、どうしてもエンマさんに伝えたかったので」
「えぇ、わかっておりますわ。わたくしだって同じ立場なら同じようにしていたと思いますもの」
そう言って微笑むエンマさんの表情はとても穏やかであった。
僕は思わず視線を外すと、テラスの外に広がる空を見上げるのだった。
「それにしても、あなたの口からそのような言葉を聞く日が来るとは思いもしませんでしたわ」
「いや、まぁ……僕もちょっとだけ成長したということですかね」
「ふふ、そういうことにしておきましょうか。でも、わたくしはあなたの成長を間近で見ることができたことを嬉しく思っているのですよ」
「……ありがとうございます」
僕は照れ臭くなり、頭を掻きながら感謝の言葉を返す。
「わたくしの方こそお礼を申し上げたいくらいですわ。リエトやキリエのおかげで、わたくしは待つだけの自分から変わることが出来たのですから」
「僕たちは何もしてないと思うけど? むしろ出会った原因を考えると謝る一方だと思うんだけどなぁ」
「それに関しては無断侵入をし、桜の枝を折ったキリエが悪いのです。いづれはきちんと借りを返し……」
突然、エンマさんはキリッとした表情を浮かべると、何かを思い出したかのように口元に手を当てて黙り込んでしまった。
気になった僕は尋ねようとしたのだが、それよりも先に彼女が口を開いた。
「……リエト。貴方は、『アレシマ』から直接ここへいらしたのよね?」
「え? はい、そうですが?」
「夢が叶うという報告、わたくしが誰よりも真っ先に聞かせて貰ったことになるのですわね?」
「そうですね。レオナお姉ちゃんとも出会っていないし、キリエにはこれからラハマに戻って結果を伝えるつもりでしたから」
僕がそう答えると、エンマさんは得も言えぬ笑みを浮かべていた。
……あ、なんか嫌な予感がする。
「そうですか。自身のお姉様やキリエよりも『先に』わたくしへ報告に来てくださったというわけですわね?」
「あー、はい。そうなりますねぇ……」
「ふふっ、そうですか。そうですか」
エンマさんは満面の笑顔を僕に向けてくる。
というか、なんだろうこの雰囲気は……。
普段の彼女とはどこか違うような気がする。
まるで、獲物を狙う肉食獣のような鋭い眼光を感じる。
あれ、これってもしかしなくてもヤバいんじゃなかろうか。
「あ、あの、姉上?」
「わたくしの事を『エンマ』と名前だけでお呼びなさい。いいわね?」
「学校内では姉上と……」
「そんな昔の話はさっさと消去してしまいなさい。ほら、早く」
エンマさんは僕の言葉を遮るように語気を強めてくる。
その勢いに気圧された僕は、大人しく彼女に従うことにした。
「わ、わかりました。エンマ」
「よろしい。今後『エンマ』ではなく『エンマさん』と呼んだ場合は……わかっておりますわよね?」
「……はい、エンマ」
僕の返事にエンマは満足したのか、先程までの威圧感が嘘のように消え失せていた。
草食生物が肉食生物に捕食される寸前、もしくは餌にされようとしている瞬間を垣間見てしまった気分である。
「ところで、リエトから頂いた手紙。毎回楽しく読ませて頂いてますが、今回もなかなか面白い内容でしたわ」
「面白い部分なんてありましたっけ?」
「両親を騙そうとした悪党に頭の上からタライを落とした部分とか、とても痛快でしたもの」
「あ、はい。それはどうも……」
「それと、最後の部分も良い味を出していましたわ。まさか、あのような結末になるとは思っていませんでしたわ」
「そ、それはよかった」
「貴方に任せてわたくしは大満足でしたが……リエトの夢が叶うとなれば、両親の件について無理はさせられませんわね」
「そのことなんですけど、僕の身辺整理と準備期間を合わせると約一年と半分までは、ある程度なら監視を続けられそうなんですが」
「……無理はさせておりません? わたくしとしては嬉しい限りなのですが」
エンマは心配そうにこちらを覗き込んできた。
だが、僕は首を横に振ると彼女の不安を取り除くように笑って見せた。
「大丈夫ですよ。打ち合わせやらでラハマを一時的に離れる場面は出てくるでしょうけど、それ以外は今まで通りの生活を続けていく予定ですから」
「本当に?」
エンマの瞳にはまだ疑いの色が残っているようだったが、それでも僕は問題ないと何度も繰り返し告げた。
「貴方がそこまで言うのであれば信じます。ですが、何かあればすぐに相談してくださいまし。わたくしごとでリエトの足は引っ張りたくありませんもの」
「わかってます。何かあった時はエンマを頼りに連絡を入れますから安心してください」
「本当かしら。貴方は昔から無理しがちなところがあるから、つい心配になってしまうのだけれど……」
エンマは困ったように笑うと、僕の鼻先を指先で突いてきた。
少しくすぐったい。
「……それでは。両親のこと、リエトの夢が叶うことから、わたくしから再びご褒美を差し上げなければなりませんわね」
「イエ! 十分頂イテ、オリマスノデ!!」
「遠慮なさらずとも良いのですよ? わたくしがしたいと思っていることなのですから」
エンマは何かを考える素振りを見せると、ゆっくりと目を閉じた。
そして、数秒後に目を開くと僕を真っ直ぐに見つめてきた。
「リエト。わたくし、そろそろ貴方に対して遠回しな表現だけでは物足りなくなってきてしまいましたわ」
「ご褒美をする側なのに、物足りなくなることなんてあるんでしょうか?」
「貴方とて察してはいるのでしょう? わたくしが何を求めているかぐらいは」
「……何となくですが気づいています。その気持ちに名前を付けられるほど、まだ大人ではないですけど」
「ふふっ、それで良いのですわ。きっと、わたくし以外からも貴方を想う女性はいることでしょう。ですが、今だけはわたくしの事だけを考えていて欲しいのですわ」
「エンマは欲張りですね。でも、そういうところも……好き……ですよ」
「……不意打ちは卑怯ですわよ?」
エンマは顔を赤らめながら僕を軽く睨んでくる。
だが、それも一瞬のことで、彼女はいつもの表情に戻ると僕に近づき耳元に顔を寄せてきた。
「わたくしも、リエトのことが大好きですわ」
僕にしか聞こえない声で囁かれた言葉は、とても心地の良いものだった。
普段の以上に優しい声色だ。
僕の心臓は大きく跳ね上がり、エンマにも聞こえているんじゃないかと思うぐらいに。
彼女は僕から離れると、悪戯っぽく微笑んだ。
「……今回は、おあいこということでよろしくて?」
「はい。これでお相子ということにしておきましょう」
「ふふっ、ありがとうございます。わたくしは幸せ者ですわね」
僕達はお互いに笑い合うと、どちらからともなく手を伸ばして握手を交わした。
これは、お互いの気持ちを確かめ合った証として、しっかりと記憶に刻み込む。
「……あら、もうこんな時間になってしまいましたわね。ごめんなさい、わたくし予定があるのでここで失礼させていただきますわね」
「いえ、こちらこそ長居をしてしまってすみません」
「気にしないでくださいまし。わたくしがそうしたかっただけですもの。来て頂いてとても嬉しくなりましたわ。それでは、またお会いできる日を楽しみにしておりますわね」
「えぇ、こちらこそ。エンマ、今日は楽しかったです。ありがとうございました」
エンマは小さく頭を下げると、踵を返して歩き始めたが、途中で立ち止まると振り返ってきた。
「一つ言い忘れてましたわ。リエト、これから先、どんな事があっても挫けてはいけません。諦めずに立ち向かうことを決して忘れないように」
「分かりました。僕からも一つよろしいですか?」
「なんでしょう?」
「エンマの制服姿、とても似合っていて可愛いですよ」
その言葉に、エンマは目を見開き頬を赤く染めると、恥ずかしさを誤魔化そうと早足で去って行った。
◇◇◇◇
一人残されたテラスで、僕は空を眺めていた。
模擬訓練でもしているのだろうか、複数の飛行機が飛び交っている。
地上に目を向ければ、一人の女性を中心に多くの人が集まっていた。
中心にいる長身で桃色の髪を一つに束ねた女性が、困り顔で対応しているのだ。
その光景を、僕はただぼんやりと眺めていたら、不意に後ろから声をかけられた。
「あら、お客様でしょうか? お連れの方はいらっしゃいますか?」
振り向くと、そこには長い黒髪に髪飾りを付けた女性がいた。
「すみません、今しがた別れを告げて僕も帰ろうとしていたのですが……」
僕の視線の先に彼女も視線を向けると、表情に変化が現れた。
それを言葉にすれば、儚い笑みを浮かべているといったところか。
「……相変わらず、彼女は人気者ね」
「お知り合いなんですか?」
「そうね……。知り合いといえば知り合いなのかしら?」
「……どういう意味でしょうか?」
「私と彼女の関係は一言で表すのは難しいわ。あえて言えば、憧れに近いのかしら」
「憧れ、ですか?」
「えぇ、私には真似できない方法で、皆を纏め上げる力を持っているから。私にないものを沢山持っているから、だから私にとっても彼女は特別なのよ」
「……それは、妬みの感情も含まれているのでしょうか?」
「もちろん、妬むこともあるわ。でも、それ以上に尊敬しているの。私にできないことをやってのける彼女を」
「そうなんですね……」
女性は懐かしい思い出を噛み締めるように語るが、その姿は何処か寂しげだった。
「……ごめんなさい。初対面の方に変なことを聞かせてしまったわね。忘れて下さると嬉しいわ」
「いえ、そんなことはありません。大切な人との繋がりがあるのはとても素敵なことだと思います」
「……貴方も随分と変わり者なのね。普通なら気味悪がったりするものなのだけれど」
「そうかもしれません。ですが、僕は不思議と貴女の言葉を信じることができました。それだけです」
「……本当に不思議な人。名前も知らない相手にそこまで言えるなんて」
「名前なら伝えれば良い話ですから。僕はリエトと申します」
手を差し出しながら自己紹介をする僕を見て、彼女は少し躊躇いの仕草をみせたが、ゆっくりと僕の手を握り返してくれた。
「私の名は──」
彼女が名乗ろうとした瞬間、学校の鐘が鳴り響いた。
「残念ですがここまでのようね。リエト、またどこかで会えるといいわね」
「はい、僕も同じことを考えていました。それでは、またいつか会いましょう。『──』」
僕が手を振ると、彼女も同じように返してくれた。
この時はまだ知る由もなかった。
彼女と再会を果たすには、幾つにも絡められた糸を解く必要があるということを。
この未来については……まだ誰も知る由は無い。
週末が。