夢の先には、いつも彼女が寄り添ってくれていた。
僕よりも小さな体で懸命に駆け回り、時に転んで怪我をすることもあったけれど、その度に僕は手を差し伸べていた。
そんな彼女の手を優しく握り返し、微笑みあう時間が好きだ。
「リエトってば、甘えん坊さんだねぇ」
「僕を甘やかせるのがとても上手になった人が言うと説得力がないなぁ」
「そうかなぁ? そうかなあ~? そうかも!」
満面の笑みと共に向けられたキリエの表情は本当に幸せそうで、見ているこちらまで幸せな気分になれる程だ。
「きっと誰かさんが私を受け入れて愛してくれたおかげだよ~」
そう言いながら僕の肩に頭を乗せてすりすりしてくる姿は、出会った頃のような刺々しそうな表情や態度からは想像できない程に柔らかくなっている。
それが良いことなのか悪いことなのか分からないが、恐らく今の状態の方が彼女にとって良いのだろうと思っておこう。
「なら、お互い様だね」
笑いながらそう答えれば、嬉しそうに笑顔を浮かべる彼女と目が合う。
そのまま自然と顔を近づけると、どちらからでもなく唇を重ね合わせた。
お互いの唇が離れると再び視線が重なる。
そして数秒後、もう一度口づけをするのだ。
何度も、何度も。飽きることなく繰り返すうちにいつの間にか押し倒されていて、気が付けば彼女の腕の中に閉じ込められていた。
「もう少しだけこのままが良いなぁ……」
「そうもいかないよ。早く起き上がらないと仕事に行けなくなっちゃう」
やんわりと抵抗してみせるのだが、何故か上手くいかない。
いや、理由は分かっているのだけれども、それを認めたくはないので口には出さないようにしておくとしよう。
「えぇー……たまにはお休みしてもいいんじゃない?」
「僕がサボりをするたびに、『コトブキ』のお仕事再開が遅くなってしまうんだけどなぁ」
「うっ……それはレオナに怒られそうで嫌だ……」
「だったら、一緒に頑張ろうね」
「うえーい! 今日も元気に頑張るぞー!」
「(何だかんだ言いながら、やる時はしっかりやってくれるから助かるんだよなぁ)」
「そいじゃ! 起こして! はい!」
両手を広げて催促するキリエの素直さには頭が下がるばかりだ。
「はいはい、分かりましたよーっと。よいしょっと」
「むう、掛け声が必要なほど私は重くないし! むしろ軽い方だし!」
「知ってるよ。キリエは美人で可愛くて華奢な女の子だもんね」
「それな! 私に対してイモっぽいだとか! 太ったとか! 言った奴らは全員許さん!」
「絶妙なラインを攻めてくるから否定もしにくいけど、僕はどんな君でも好きになる自信があるから安心していいよ」
「えへ、えへへぇ……って早々毎回騙されるかい! そんなキザなことを言っても誤魔化されんぞぉ!」
「そう言われましても」
「イモっぽいってところをフォローしてみろよぉ!」
「純粋さと素朴さが垣間見えるところが大変良い」
「褒められてる気がしないっ! 褒めて伸ばして! もっと煽てて! 恋人同士なんだから遠慮はいらないぞ!」
「……本当に良いの? じゃあ遠慮なくいくからね?」
「おう! どんと……こい!」
緊張している様子なので軽く咳払いをして呼吸を整えてから口を開いた。
「じゃあ、遠慮なく。キリエは可愛い、綺麗、素敵、大好き、愛してる、ずっと傍にいて、幸せにする、一生大切に……」
「ちょ、ちょっ、ストップ、待って、照れる、死んじゃう、嬉しすぎて死ぬ、息の根が止まる、心臓止まりそう、ドキドキバクバクしてる、やばい、爆発する、顔あっつい、めっちゃ熱い」
起こしたばかりだというのに、両手で顔を覆ったまま再びベッドの上で身悶えしながら転げ回るキリエの姿を見ていると思わず笑みがこぼれてしまう。
ああやって全身を使って感情表現してくれることは、僕にとってはとても嬉しいことだ。
だから僕も言葉だけでは足りない部分は、行動に表すことで応えることにしたのだ。
再びベッドに倒れ込み、彼女を背後から抱きしめつつ耳元でそっと囁くようにして伝えるのである。
「いつもありがとう、キリエ」
「ふぁあ……!? 耳元は反則でしょぉ……!」
「ごめん、嫌だったかな……?」
「……嫌じゃない、全然平気だけど、駄目かもしんない。だってリエトの声が好きなんだもん」
「そっかぁ、ならもっと囁こうか? 例えばこんな風に──」
「あー! あー! キコエマセン! 聞こえないでありますよー!」
「あはは、ごめんごめん。意地悪しすぎちゃったみたいだね」
「うぅ……ひどいよぉ……」
涙目になりながら抗議の視線を向けられるが、正直あまり怖くはない。
寧ろ可愛らしいと感じるくらいだ。
まあ、そんなことを言えば火に油を注ぐようなものなので言葉にはしないけれども。
代わりに別の話題を振ってみることにする。
「さて、そろそろ出掛ける準備をしないと」
「あっ、私も手伝うよ! ほらほら早く着替えて着替えて~!」
急かすように着替えの準備を促すキリエはどこか楽しそうである。
◇◇◇◇
話の流れからご察しのとおり、僕とキリエは恋人同士であり、一緒に暮らしている。
きっかけは『イケスカ動乱』と呼ばれる戦いが終わったあと、『羽衣丸』を失った『オウニ商会』と機体の損傷が激しかった『コトブキ飛行隊』は、飛行船の新造と修復に時間がかかるため、しばらくの間、仕事が出来ない状態である。
従業員の住む場所の確保やら問題が山積みではあったのだが、そこは割合させてもらうとして、僕は、以前借りていた部屋に空きが出来たということでそこに入居することにしたのだ。
そして……鍵を受け取って玄関の扉を開けてみれば、笑顔で仁王立ちをしている女性が立っていたというわけだ。
そんな彼女は、開口一番こういった。
「おかえりぃ!!」
「ただいまー……じゃないよ! 何やってるの!?」
「何って、私もここで暮らすことにしました!」
「……うん?」
「いやぁ~、本当はテキトーに部屋を借りようと思っていたんだけどね。考えてみたら私たちって恋人同士じゃん? 離れて暮らす方がおかしいじゃん? っていう結論に至ったわけですよ」
「それは嬉しい提案だけど、同じ屋根の下で住んでいたキリエも知ってのとおりここは狭い部屋だよ? それなら今からでも広い部屋を探しをした方が良いんじゃないかな?」
「ヤダ! ここがいい! リエトと過ごした思い出のあるこの部屋で同棲したい!」
「あの頃だってほとんど僕の部屋に居ついていた気もするけどね」
「うっ……ま、まぁいいじゃんか! 細かいことは気にしない気にしない! それよりどうすんの!? 一緒に住んでくれるの!? くれないの!?」
「もちろん、一緒に住みたいな。僕としてもキリエと一緒に過ごせる時間が増えるのは嬉しいことだからさ」
「やったぜ! んじゃ、今日からまたよろしくね!」
満面の笑みとともに差し出された右手を優しく握りしめながら、僕らは晴れて同棲することになったわけなのだが、一つ問題があった。
この部屋には最低限の家具しか置かれておらず、ベッドも一つしかないのである。
当然寝る場所は一緒ということになるわけだが……。
「にへへ~、今夜から毎日リエトと添い寝できるなんて夢みたい!」
「僕が床で寝るというのは駄目なんだろうか?」
「ダメ、却下、絶対に認めない。断固拒否する。私と一緒に寝るのがそんなに嫌なのか!」
「いやね、むしろ逆でとても嬉しいのだけど、どうしても理性というものが邪魔してくるというか」
「私は別に構わないんだけど? リエトに予約済みどころか既に経験があるわけだし」
そういって自身の下腹部をそっと撫でる彼女の表情は、どこか蠱惑的で、艶やかさすら感じられる。
「あの……その仕草やめてくれません?」
「なに? 私が魅力過ぎて襲いたい衝動に駆られてるのかなー?」
「そのとおりでございます」
「かぁー! 私がイイ女すぎて辛いわー! 参ったなー! 困っちゃうなー!」
わざとらしく棒読みの台詞を吐くキリエを見て、自然と頬が緩んでしまう。
出会った頃はガン切れの命令口調ばかりだったというのに、今では恋人関係となりこうして軽口を叩き合える仲にまでなっているのだから不思議なものだなと思う。
「あ、真面目な話しなんだけどさ」
突然キリエの声のトーンが変わるので少しだけ驚いてしまった。
だが表情に出すことなく彼女の目を見つめる。
そこには先程までのふざけた雰囲気など微塵も感じさせない真剣な眼差しがあった。
これは冗談ではなく本気で話す時だと判断した僕は、佇まいを正して話を聞く姿勢を取ることにした。
「私はリエトが好き。愛してる。リエトも私が好きだし愛してくれてるのは知ってる」
「間違っていないよ。僕はキリエを愛している。ずっと一緒にいたいとも思っている」
「……ふふっ、ありがとう。そんな風に言ってもらえると幸せ者だなって思うよ。でも、だからこそ、お願いがあるの」
一呼吸置いた後、キリエは告げた。
「一緒に眠れる時は絶対に傍にいて欲しいの。離れて眠るのはイヤ。リエトが同じ部屋にいるのに同じベッドで眠れなかったら、きっと泣き出しちゃうと思うから。私の我儘だってわかってるけど、どうかお願いします」
そう言って深く頭を下げるキリエの姿に、胸の奥底がきゅっと締め付けられるような感じがした。
本当に愛しい人だ。
心の底からそう思う。この想いはこれからも変わらないだろう。そんな確信がある。
幼い頃から一緒だったなのかもしれないけど、僕の中でキリエの存在が完全に根付いてしまっているのかもしれない。
こんなにも愛おしくて仕方ないと思える人は初めてなのだから。
「大丈夫だよ、心配しないで」
「本当……? 無理してない?」
「してないよ。元々離れて寝ようとした理由が……その……」
「え? ……あっ! そっかぁ~! そうかぁ~! 私の身体をいたわってのことだったんだねぇ~! へぇ~!」
にやにやと笑みを浮かべるキリエの表情を見て、一気に顔が紅潮していくのがわかる。
こういうところですぐに顔に出てしまうところが自分の弱点だと自覚しているだけに、悔しい気持ちになる。
とはいえ、今は恥ずかしさよりも嬉しさの方が勝っているわけで、素直に喜ぶことにしよう。
「そういうことです、はい」
「うむ、よろしい! ますます惚れ直したぞ! よーしよしよしよし!」
満足気に頷くキリエは僕の頭を撫でまわしてくる。
正直、ちょっと痛いのだが不思議と心地良くもある。
されるがままになっていると、彼女は満足したのか手を離した後にベッドに腰掛けるのだ。
「必要なものを揃えないとね~。お揃いのカップとか食器が欲しいなぁ~」
「あと、歯ブラシやタオルも必要かな」
「それもそうだけどさ、その前にすることがあるんじゃない?」
含みを持たせた言葉と共に悪戯っぽい笑みを向けてくる彼女に首を傾げつつ、思い当たる節を探ってみるものの、特にこれといったものは思いつかない。
そんなこちらの様子に気付いたのか、彼女は溜息を一つ吐いた後で口を開いた。
「まだお互いに正式に挨拶していないでしょ? ちゃんとしないと失礼だよ」
「確かにそうだね」
彼女の言葉に同意を示すように頷いてみせると、キリエは嬉しそうに笑みを深めてからベッドから立ち上がり、僕の正面に立つ。
『今日からよろしくお願いします!』
そして同時に深々とお辞儀をするのだった。
◇◇◇◇
再び話しの最初に戻るが、そんな出来事があってから一月が経過する頃には、狭い部屋にもそれなりに物が増え始めており生活感が増していたりする。
以前のような必要最低限のものしか揃っていない、殺風景とも呼べる部屋は、すっかり二人暮らしの部屋に変貌したのである。
僕が職場に向かうための着替えるのを手伝ってくれたキリエは、エプロンを身につけ台所に立っていた。
いまではすっかりと慣れた手付きで朝食を作ってくれているようだ。
そんな彼女の背中を見つめながらぼんやりと考える。
最初はどうなることかと思っていた同棲生活だったが、予想以上に上手くいっているのではないだろうか。
「リエトー! そろそろ出来るよー!」
「テーブルまで運ぶの手伝うよ」
キリエの言葉に反応して、慌てて支度を整える。
お互いの役割を分担しながらテキパキと朝の準備を進めていく瞬間に感じる幸福感が、なんとも心地よいものであったりするのだ。
「ほい! パンケーキ出来上がりー!」
テーブルに並べられたのは、綺麗な焼き色がついた厚めの生地にバターがたっぷりと乗せられた出来立ての二枚重ねのパンケーキ。
隣に添えられているベーコンと目玉焼きからは食欲をそそられる香ばしい匂いが漂ってくる。
更にサラダボウルには色とりどりの野菜が綺麗に盛り付けられて彩りを与えてくれるのだ。
……最初の頃はパンケーキだけだったのに、食事のレパートリーが増えていくにつれて、今では料理上手に成長しているのを見ると感慨深いものがある。
昔は野菜なんて知らん! って感じだったのにね。
そんなことを考えながらじっと彼女を見つめていたせいか、不思議そうな表情で首を傾げてくるのだ。
その仕草に愛おしさを覚えながら、僕は口を開く。
「美味しそうだね、毎朝とても楽しみで仕方がないよ」
「んふふー! そんなに褒めても何も出ないよー。ほら、冷めないうちに食べちゃおう!」
嬉しそうな表情を浮かべたキリエの言葉に従って、手を合わせていただきます。
僕らは早速フォークを手にすると、目の前のごちそうを口に運び始める。
「幸せの味ってこういうことを言うんだろうね」
「大袈裟だなぁ。でも気持ちはわかるかも。好きな人に作ってもらったご飯は美味しいもんね!」
「僕もキリエに負けないくらい作れるよう頑張らないと」
「えー!? 私より上手いくせに何言ってんの!?」
「いやいや、そんなことないよ」
お互い褒め合いながらも箸は止まらず、あっという間に平らげてしまった。
お腹いっぱいになって幸せな気分になった僕らは、互いに顔を見合わせて微笑み合う。
「さて、僕はそろそろ出勤するけど、何か必要な物はある?」
「ない! いや、ある!」
「いつも通りだね。行ってきますの儀式はどうする?」
「する! するに決まってんじゃん! 早くこっち来てぎゅーってしてよ!」
甘えん坊な彼女の誘いに応えて両手を広げると、キリエは僕の腕の中に飛び込んできて思い切り抱きしめてくる。
それに応えるようにこちらもぎゅっと抱きしめ返すと、満足げに頬ずりをしてくるのだ。
こうして互いの存在を確かめ合ってからゆっくりと離れると、今度は唇に柔らかな感触が訪れる。
口づけを交わしてからもう一度抱き合い、暫くしてからようやく身体を離した僕たちは見つめ合ったまま笑い合う。
「今日も無事に帰ってこられるように、たっくさんおまじないをかけておいたからね!」
「ありがとう、心強いよ」
満面の笑みを向けてくれるキリエの頭を優しく撫でてあげると、猫のように目を細めて気持ちよさそうにしているのだ。
しかし、いつまでものんびりとしていられるほど時間に余裕はないわけで、名残惜しい気持ちを抱えながらも玄関へと向かい靴を履く。
ドアノブに手をかけたまま後ろを振り返れば、キリエがこちらを見つめているのがわかった。
普段は明るい表情を浮かべていることが多いだけに、今の彼女の表情は少し寂しげに見えてしまい心がちくりと痛む。
……彼氏として出来ることといえば。
そう考えたところで思いついたことを口にしてみることにした。
「今日はいつも以上に気合を入れて隼の修理を進めてみるよ。もちろん残業ナシでだけど」
「え? 本当? それは嬉しいけど……」
「だからさ、今夜はキリエからおねだりして欲しいなって」
僕の言葉を聞いて目をパチクリさせた後で、言葉の意味を理解したらしく頬を朱色に染め上げていく。
「あ、えっと……その……うぅ……」
耳まで真っ赤に染め上げた顔を俯かせてしまう彼女が愛おしく思えてしまい、つい意地悪をしたくなってしまう。
「……駄目かな?」
そう言いながら、わざと悲しそうな表情をしてみせると、慌てた様子で顔を上げて必死に否定してくれるのだ。
「だ、だめじゃないっ!! 全然ダメじゃないよ!! むしろお願いしたいっていうか!! あ、新しい下着を用意してあるからね!! 今夜はすっごいことになるから覚悟しておいてよね!!」
半ばヤケクソ気味に言い切ってくれたので、満足して頷き笑顔で答えることにする。
「うん、楽しみにしているね」
「うぐっ……は、図りやがってぇ! 私の純情を弄びやがったなぁ!?」
真っ赤な顔で僕を睨みつけてくる彼女に微笑みかけながら、改めて声をかける。
「それじゃあ行ってくるね。可能な限り早く帰ってくるから」
「……いっ……いってらっしゃい……」
恥ずかしそうな様子ではあるが、ちゃんと返事をしてくれたので手を振ってから扉を閉める。
「(嗾けた自分のせいとはいえ、これは寝不足確定かな)」
そんなことを考えているうちに口元が緩んできてしまっていることに気付いて咳払いをすると、気を引き締め直して職場へと向かうのだ。
そうして今日もまた新しい一日が始まるのであった。