翌朝。
遅くまで喋り続けていたにも関わらず、気が付いた時にはレオナお姉ちゃんは、誰よりも先にホームの仕事に取り掛かっていた。
僕が目を覚ました時は既に身支度を整えていたし、朝食の準備や部屋の掃除などを始めていたのだ。
その後に続くように僕も手伝いをしたものの、あっという間に終わってしまったせいで手持ち無沙汰になってしまった。
そんな僕の様子に気が付いたのか、レオナお姉ちゃんが口を開く。
「たまには休むというのも大事な仕事だぞ?」
「レオナお姉ちゃんこそ、帰省した時ぐらいはゆっくりすれば良いんじゃないの?」
僕の言葉に苦笑しつつ、お姉ちゃんは首を振った。
「いや、いつもと変わらないさ」
「そうなの?」
そう尋ねると小さく頷いて見せた。
「私にとって、これが普通だからな」
相変わらず生真面目だなぁと思いながら眺めていると、不意にレオナお姉ちゃんが言葉を発した。
「ところで、だ」
「どうしたの?」
その疑問に対してお姉ちゃんは一呼吸置いてから言葉を紡いだ。
「リエトの将来の夢。何か思い浮かぶものは出来たか?」
唐突な質問の内容に首を傾げつつも思考を巡らせてみることにした。
以前に比べれば少しずつ将来を考えるようになってきたけども、明確なものとなると中々出てこないものである。
うんうん唸っていると、レオナお姉ちゃんの方から問いかけてきた。
「リエト、空を飛んだ経験はあるか?」
その問いかけに僕は首を横に振った。
「それなら話は早いな」
「どういうこと?」
いまいち意味が分からず聞き返すと、お姉ちゃんは微笑みながら答えた。
「折角だ、私と一緒にあの子で空を飛んでみないか?」
そう言われた瞬間、胸が高鳴るのを感じた。
飛行機は操縦ではなく整備をするのが当たり前だと考えていたところに、まさかこんな提案を受けるとは思ってもいなかったからだ。
驚きと興奮で目をパチクリさせていると、その様子を見たお姉ちゃんは小さく笑う。
「あの子の整備をしている時に、発動機を動かしたりはしなかったのか?」
「何度か動かして調子を確かめたりはしたけど……」
「そのまま空へ上がろうとは思わなかったのか?」
「無いとは言い切れないなぁ」
そこまで話してから一度、言葉が途切れてしまった。
しかしそれは気まずい沈黙ではなく、次の言葉を待ってくれていることを感じた。
「一人で飛ぶのは怖いって思っちゃって。結局一度も空に上がることは出来なかったんだ」
「なるほどな」
短く相槌を打った後、僕の頭を優しく撫でてくれるレオナお姉ちゃん。
それが妙に心地良くて目を細めていると、お姉ちゃんは少し間を開けてから再び口を開いた。
「なら尚更だ。リエトの可能性を見つけにいこうじゃないか」
その言葉と共に差し出された手をそっと握ると、力強く握り返してくれた。
そして手を引かれるままに、あの子がいる小屋へと歩き出したのだ。
◇◇◇◇
格納庫とは言い難く、物置小屋というには大きい倉庫の中には、色々なものが雑多に置かれているものの、日頃から整理整頓を行っているおかげか埃っぽさを感じることはない。
中心にはいつも通り鎮座しているあの子、九七式を小屋から押し出すようにして外まで運び出すと、操縦席に乗り込むレオナお姉ちゃんの姿が見えた。
あの時以来の飛行前点検を手早く済ませると、お姉ちゃんはこちらに顔を向けながら指を回したのだ。
それを確認した僕は、ゆっくりとイナーシャハンドルを回し始めていく。
最初はカチャンと小気味良い音が鳴っただけで何も変化はなかったが、回していくにつれて回転数が上がっていくのが分かると同時に、普段よりも大きく響いていくようにも感じられる。
それに合わせるようにして、次第に甲高い音が響き渡り、まるで早く飛ばせてくれと言わんばかりの音に急かされるよう、僕は更に回していく。
そして規定速度に達したと感じた瞬間、遂に爆発のような轟音が鳴り響き、それと同時に勢いよくプロペラが回り始めたのである。
その瞬間、身体中の血液が一気に沸き立つような感覚に襲われたのだ。
いつもならここで車輪止めを外して機体から離れるのだが、今日は違う。
発進出来る状態にして待っているレオナお姉ちゃんが、『早く来い』と言わんばかりにこちらを見ていたのだ。
「レオナお姉ちゃん、やっぱりコレ狭くな……」
「ほら、遠慮するな」
有無を言わさない笑顔のまま僕の腕を引っ張りつつ、抱き抱えられる様に座席へと無理矢理座らされたことで、逃げ場を失ってしまった。
背中は温かく、首は少しばかりくすぐったいお姉ちゃんの吐息が耳にかかってこそばゆい感じであるが、自然と力が抜けていくのが分かる。
「どうした? 緊張しているのか?」
レオナお姉ちゃんのどこか楽しそうな声を感じながらも、素直に頷くことしか出来なかった。
「大丈夫さ、私が付いているからな」
そう言いながら僕の頭を撫でる手は、どこまでも優しくて温かい。
「さぁ、行くぞ!」
その言葉に合わせてレバーをゆっくりと前に倒すと、発動機の回転数を示す計器盤の針が右方向に振れていき、それに伴いガタガタと音を立てて機体全体が揺れ動く。
その度に大きな不安と僅かな恐怖で体が震えてしまうものの、不思議と嫌ではないと思ったのは何故だろう?
そんなことを考えていたものの、徐々に落ち着きを取り戻して行ったのであった。
すると次の瞬間、ふわりと浮き上がった感覚が全身を包み込むと共に、機体はゆっくりと高度を上げていく。
地面との距離がどんどん離れていくことに多少の怖さを感じつつも、同時に何とも言えない高揚感が込み上げてくる感覚があった。
やがてある程度の高さにまで達した頃合いを見て、機体が旋回し始めたのだろう。
先程までいたホームが小さく見えるだけでなく、ラハマの街を一望できたのである。
普段は見上げるばかりだった雲でさえ眼下に納められたこの光景に見惚れていると、不意に後ろから声をかけられた。
「どうだ? 初めての空は気持ちが良いだろう?」
そう言われて改めて周囲を見渡してみると、一面に広がる荒野が地平線の彼方まで続いている。
自分が今まで見ていた景色は何だったのかと考えさせられてしまったぐらいで、思わず溜息を漏らすと、背後から小さな笑い声が聞こえてきたのだった。
◇◇◇◇
それから暫くの間、レオナお姉ちゃんと空の散歩を楽しむこととなる。
時折話しかけてくる言葉に相槌を打ちながらも楽しんでいたのだけれど、不意にレオナお姉ちゃんがこんなことを言い出したのだった。
「少し寄り道しようか」
その言葉に僕は頷き返すことしかできなかったが、お姉ちゃんはそれを確認した後に操縦桿を少しだけ傾けたのだ。
その行動にどんな意味があるのか僕には分からないままであったが、特に断る理由もなかった為に従うことにしたのだ。
幾つかの雲を超えて程なくして見えてきたのは、飛行機というには余りにも大きすぎる代物だった。
飛行船。
海が消え去ったこの世界で唯一、船の名詞が使われており、今では多くの街に物資を運ぶ存在として知られている。
まさか昨日の夜話から実物を目にする機会があるとは思いもしなかったので、驚いてしまったのは仕方のないことだろう。
初めて目にした飛行船の大きさは予想以上で、かなりの距離があるにも関わらず、その存在感は圧倒されるものだったのだ。
「凄い! あれが飛行船なんだね!」
そんな言葉しか出てこない僕に、レオナお姉ちゃんは小さく笑う。
「そうだぞ。あれがイジツを支えている船であり、ユーハングの置き土産でもあるんだ」
そう言うお姉ちゃんの発する言葉の節々からは、誇らしさの様なものを感じられる。
ほんの僅かに会わない日々が続いただけなのに、何だかレオナお姉ちゃんが大人になった様な気がしてちょっぴり寂しく感じてしまう。
だからだろうか、ふとある言葉が口から漏れていた。
「僕も大きくなったら飛行船に乗ってみたいなぁ……」
独り言のように呟いたそれを聞き取ったのか、レオナお姉ちゃんは一瞬驚いた表情を見せたものの、すぐにいつもの優しい笑顔を見せてくれた。
「リエトならきっと乗れるさ」
それは励ましの言葉なのだろうけども、嬉しかったことを覚えている。