「ねぇ、アスタ様。こんな夜中に二人きりで、何をなさっているんですか?」
その声が鼓膜を揺らすと同時に、ドクンと心臓が飛び跳ねた。僕と僕の幼馴染は反射的に声がした方向を凝視し……そして、心の底から恐怖する。
何故って? アスタの更に向こう側、月明かりの届かない暗闇の中から、ハーフエルフの少女がじっとこちらを見つめていたからだ。
「ねぇ、何をなさっているんですか?」
再び繰り返されるルルリルの問い。間髪入れずにアスタの身体がガクガクと震える。あぁ、キミは本当に全てを覚えているんだね。可哀想に……。
「どうなさいました? アスタ様」
ルルリルは感情の読み取りづらい声色でアスタへ疑問を投げかけると、首を小さく傾げながら部屋の中に足を踏み入れた。そんな彼女を照らし出さんと、月明かりが淡く降り注ぐ。その光は彼女の手元で反射し、一瞬キラリと煌めいてみせた。
……ん?
ちょっと待て。
瞬間、後悔と絶望に満ちた過去の記憶が脳裏へと鮮明に甦り、この先の未来を予見するかの如く眼前の光景と重なった。
あぁ、それはダメだ。ダメだダメだダメだ! あんな悲劇を何度も繰り返してなるものか。一気に頭へと血が上った僕は、すかさず腰の剣を抜く。
「その
「「えっ?」」
そうだ、人間の本質なんてものはそう簡単には変わらない。たとえエルフの血が半分混ざっていたって、それは同じこと。ましてや、ルルリルは二度もアスタを殺めた残忍極まりない少女である。そいつが急にまともな人格を取り戻しただなんて、そんな都合の良い展開を鵜呑みにすべきではなかったのだ。
でも、大丈夫。今回は手遅れになってしまう前に反応することができたのだから。もう絶対にアスタの命は奪わせやしない。
「あのぉ、ジールさん? 突然何を仰って……」
僕に勘づかれたことを察したのか、ルルリルがふらふらと前進しながら腕をこちらへ伸ばしてきた。
「くっ!」
きっと彼女は躊躇なくアスタを手にかける。そのことは僕が一番よく知っている。だから、僕も躊躇わない。そもそも躊躇っている暇なんてない。覚悟はとうに決まっていた。
……やられる前に、やってやる!
僕は握っていた剣を素早く構え直し、ルルリルへ向かって突進するべく床を蹴る。もはや力の加減などできやしない。足元の床板がギリシと軋み、その音に反応したアスタがギョッとした顔で振り向いた。
「ダメだジールッ!!」
そう叫びながら身を挺して行手を阻んだのは、僕が必死に守ろうとしていたはずの幼馴染だった。
なんで、どうして。アスタの行動が理解できず、僕は困惑の眼差しを彼に向ける。
「なぁアスタ、なんで止め……あ、えっ?」
「ケホッ、ゴフッ……」
顔を歪めたアスタが咳き込み、口から真っ赤な飛沫を撒き散らした。
「……嘘、だよね?」
僕は駄々を捏ねる子どものように首を振り、逃げるみたいにして後退する。嫌だ、この結末だけは受け入れられない。だって、だってだって、こんなの絶対おかしいじゃないか!?
──ルルリルを仕留めるつもりで構えていた
「ごめんジール、咄嗟に身体が動いちまった……」
「咄嗟にって……意味わかんないよ! クソッ、なんでキミを殺しに来た奴のことなんか庇ったんだ!?」
「オレを、殺しに……? おまえさ、やっぱり何か勘違いして……」
今にも消えそうな掠れた声でアスタが呟く。
「…………かん、ちがい?」
勘違いって、何だ? 僕は一体何を間違えたんだ?
恐る恐る周囲を見渡し、部屋の入り口付近で呆然と立ち尽くすルルリルを見つける。
……あれ?
おかしい、彼女の手元にあるはずの短剣がどこにも見当たらない。でも、さっきたしかに──
僕に凝視されて動揺している所為か、はたまた状況に戸惑っている所為か、ルルリルの手元は小刻みに震え続けていた。そして、その震えは彼女が身につけているブレスレットまでをも揺れ動かす。時折、
「あ、あぁああ、ああぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああ、嘘だ嘘だ嘘だ!!!!!!」
アスタが口にした言葉の意味をこの一瞬で理解した僕は、耐えられなくなって気が狂ったみたいに咆哮する。いや、
「アハハ、あははハハ」
「……………………」
「あ……」
幼馴染の小さな身体は、いつの間にか微動だにしなくなっていた。この喪失感を味わうのはこれで何回目だっけ……?
あぁ、もう何も見たくない、何も感じたくない。
だから僕は、自ら意識を手放すことにした。
「またね、アスタ」
薄れゆく意識の中で僕はぼんやりと思考する。
次は必ずキミを救ってみせるから。そう、次こそは僕が救って……救って…………
でもさ、アスタを殺したのは僕だよね?
♢
「ぐえふぉあ!?」
もしも誰かに聞かれていたら死んでしまいたくなるような奇声と共に、オレは勢い良く飛び起きた。死んでしまいたくなるっていうか……って、さすがに同じことを三度も繰り返すのはしつこいな。割愛で。
「ふぅ……。さて」
兎にも角にも、まずは状況の確認から。
視線を落とし、胸元の膨らみを視認する。ぐぬぬ、やっぱり身体は女のままか。薄々察してはいたけれど残念だ。しかも、より一層膨らみが増している気がするし……。早く戻ってこい、オレの身体!
気を取り直し、今度は周囲を見渡してみる。案の定というべきか、オレはひとりで女子部屋のベッドの上にいた。窓からは燦々と朝日が差し込んでいる。
「間違いない、やっぱりオレは──」
「アスタってば、朝からぶつぶつ独り言……? ほら、いつまでも寝ぼけてないで起きなさい」
おっと、そういえば前回も目覚めた直後にこいつらが部屋へ入ってきたんだっけ。つまり、その辺の流れは大体似たような感じなんだな、了解。
呆れた顔でオレを見つめるアネットたちが、ところどころデジャヴ感のある会話を繰り広げ始める。
「おねえ、おいで。寝癖、直してあげるから」
「そういうのって、普通は年上が年下の子にしてあげるものじゃないのかしら? ふふっ、これじゃ、どっちが姉でどっちが妹か分からないわね」
姉、ねぇ……。
「ハァ、オレが男として認識されていないのも相変わらずか。ま、状況的にそりゃそうだよな……」
「……? アスタってば、遂に言葉遣いだけじゃなくて頭の中まで男の子になっちゃったの?」
「おねえは、ずっと、おねえのまま! こんなに可愛いのに、男の子なわけがない、でしょ。むふー」
うん、その台詞は以前にも聞いた気がする。というか、間違いなく聞いた。さすがに今回は気を失ったりとかしないけど、それでもがっくりきちゃうなぁ。
それにしても、今さっき死んだばかりだってのに、なんでこんなに落ち着いているんだろうね。
う〜ん、過度なストレスで心が壊れてしまわないように防衛機制が働いているのか? もしくは、単にオレが馬鹿なだけという線も……いや、まさかな。
ただ、実感はなくとも記憶は鮮明に残っている。そう、例えばさっき、後先考えずに動いた所為でうっかり死んじゃったこととかね。結果として、あいつにはかなり辛い思いをさせてしまった。今頃は、きっとひとりで自責の念に苛まれているに違いない。
「ジール……」
そうだ、一刻も早く会いに行って、オレは全然平気なんだってことを教えてやらないと。こんなところでいつまでもボケっとしている場合ではないのだ。
何しろ、あいつはああ見えて驚くほどに繊細な性格をしているからなぁ。ま、そういうところがジールという男の良さであり、オレが
「おねえ、急にニヤニヤし始めて気持ち悪い……」
「アスタの色ボケなんて今に始まったことじゃないでしょ。サラちゃんだって本当は分かっているくせに。ねえ、そろそろ素直に応援してあげたら?」
「それは……なんかヤダ。おねえの気持ちは知っているけど、ジール兄には渡したくないし。むふー」
「サラちゃんのシスコンっぷりも大概よねぇ」
……は? ニヤニヤ? 色ボケ?
怪訝に思ったオレは軽い気持ちで口元へ触れて……自身の身に起きている明らかな
な、なぁ、どうしてこんなに顔が熱く火照っているんだ? そんでもって、心臓の鼓動がやたらと喧しい。あと、ジールのことを考えるたびに胸の奥がキュッと苦しくなるんだけど……!
なんだ、なんだ、なんなんだこれはァ!?
オレは思わず両手で顔を覆い、そのままベッドへと潜り込んだ。
思い込みとトラウマが生んだ幻覚に振り回され、自らの手で幼馴染を傷つけてしまったジール。そして、三度目の『死に戻り』の代償により、●●にまで変化が生じ始めたアスタ。
「ま、アスタがどんな風に変わっても、僕とキミの関係だけは変わらないから安心してくれ。僕はいつまでもキミの幼馴染で、親友だ」
「なんで恥ずかしげもなくそんな臭いセリフを吐けるんだよ、おまえって奴は……。けど、そこまで言うなら約束だからな? 破るなよ?」
「あぁ、約束だ」
以前に交わした約束、ちゃんと守れるかな?