今でこそオンボロなこの屋敷だが、何十年と遡ればそれなりに裕福な商人の一家が住んでいた時期もあったらしい。そんなことを実感できる空間のひとつが、この無駄に広い大浴場というわけだ。
「で、なんでルルリルまで一緒に入浴してんの?」
「そんなの、わたしとアスタ様が一心同体だからに決まっているじゃないですか! それに、アスタ様の可愛らしい肢体を拝める絶好の機会ですから。ぐふふふ」
「えぇ……もうちょっと下心を隠そうよ!?」
いや、隠す隠さない以前に変な目でオレを見ないでほしいんだけどね? あとさ、美形揃いのハーフエルフがしていい笑い方ではないと思うぞ、それ。
「ふふっ、お腹とっても綺麗ですね。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ触っても……」
「ひぃ!? いいわけがないだろ、バカ!」
鼻息を荒くしたルルリルが躊躇なく腕を伸ばしてきたので、オレは悲鳴を上げながら腹を隠す。ってか、なんだその不自然な指先の動きは……!?
そんなオレを見て、アネットとサラが小声で呟く。
「こういうときのリアクションはちゃんと女の子らしいのに、なんで普段はあんな感じなのかしら……」
「おねえ、ジール兄が相手だと、特に無防備」
耳を塞ぎたくなるような内容に限ってしっかりと聞き取れてしまうもので、オレはまたしても心に深い傷を負う。ぐぬぬ、女の子らしいリアクションなんてしたつもりはなかったんだけどな。
「それじゃ、今日はあたしがアスタの頭を洗ってあげるから。しっかり手順を覚えて、明日からは自分でも手入れできるようになりなさいよ?」
「むっ、べつにオレひとりで洗えるし。そもそも頭洗うのなんて適当にお湯を被っておけば十分で……」
「返事は『はい』でしょ?」
「……はぁい」
圧に負けて渋々と頭を差し出すと、アネットがオレの背後に立って髪の毛に指を通し始める。
「爪を立ててゴシゴシ洗ったりしちゃダメよ? そんなことしたらすぐに頭皮が傷ついちゃうんだから」
「そ、そういうものなのか」
「最初はまず、全体へお湯を染み渡らせるようにじっくりと髪を濡らしていくの。その際には、優しく頭皮を揉みほぐしてあげてね」
「うげぇ、もう既にだいぶ面倒臭いなぁ」
「ん? 何か言ったかしら?」
「なんでもないです……」
背後に立っているのだから表情なんて分からないのに、半端なくアネットの圧を感じる。いやはや、なんともおっかないね。くわばらくわばら。
大人しく従って乗り切ることにしたオレは、身を委ねて時間が過ぎるのを待つ。
「ほふぅ……ふぁ、ほへひもひいい」
それにしても、他人に頭を洗われるのってこんなに気持ち良いものなのか。この感じ、ほんのちょっとだけ癖になりそうかも。アネットの念入りなマッサージを受け、オレは次第に脱力していく。
「おねえの表情、緩々で可愛い。むふー!」
「アスタ様ったら、もしかしてわたしのこと誘っていらっしゃいます? そんな無防備な顔を見せつけられては、我慢できなくなっちゃいそうです」
「ふたりとも、うるひゃいぞぉ」
人が気持ち良くなっているときくらい、そっとしておいてくれませんかね!?
「そういえば……ルルリルちゃん、さっきはうちのジールが取り乱しちゃってごめんなさいね」
「い、いえ、たしかに少し驚きましたけど、今はもう本当に気にしてませんから」
オレの頭を洗いながら、ふと思い出したようにアネットが昼間の一件へ触れる。それに対するルルリルの反応は、至って冷静なものだった。オレはあいつの幼馴染として、内心で胸を撫で下ろす。
「すっかり忘れていましたが、今朝ここへ来る道中にもジールさんとお会いしたんですよね。そのとき、わたしに何か話があるようなことを仰っていたので……拒んだりせずちゃんと聞いておけば良かったのかもしれません。そこは反省です」
「ジール兄は、そんなことで怒らない、と思うの」
「そうね、あたしもサラちゃんと同感。反省すべきはどちらかと言うと、アスタにベタベタしすぎな点かしら。普段はクールぶっているけれど、ジールってああ見えて存外に嫉妬深いところがあるから」
あ〜、それはなんとなく分かるかも。故郷にいた頃なんて、オレが別の奴と遊んでいただけで露骨に機嫌悪くなっていたもんな、あいつ。
って、今の話で大事な部分はそこじゃない!
たしか、今朝のジールは「僕がなんとかしてくるから」とか言いながら屋敷を出て行ったはずだよな。あのときは特に気にせず聞き流してしまったけれど、今のルルリルの話を踏まえた上で改めて意味を考えてみると……
やっぱり、
♢
「よっ! 帰ってくるの遅かったじゃないか。夜遊びでもしてきたのか? な〜んてな、にししっ」
皆が寝静まった真夜中になって、ようやくジールが帰ってきた。オレは不良と化した幼馴染の部屋へ忍び込み、冗談混じりに声を掛ける。
「ア、アスタ、起きていたのか……!?」
「起きていたっていうか、おまえの帰りを待っていたんだよ。オレ、一応心配していたんだからな?」
より正確に説明すると、ついさっきまであいつらと同じベッドに押し込められていたんだけど……女性陣に囲まれてすんなり眠れるはずもなく。寝たふりしながらジールの帰りを待ち続け、足音が聞こえたタイミングでこっそりと抜け出してきたってわけだ。
ちなみに「夜遅くなってしまったので、今晩は泊まってもいいですか?」なんて申し訳なさそうにお願いしてきたルルリルも、アネットたちと一緒になって女子部屋で爆睡中である。厚かましい奴め。
「どうしたんだよ、ジール。顔が面白いことになってんぞ? ま、まさか本当に夜遊びを……」
「してない! してないから!」
「なんだよ、びっくりさせんなよぉ」
コホン。少し取り乱してしまったが、オレがジールと話したかった内容はもちろんそんなくだらないことじゃない。これ以上おかしな方向へと話が逸れてしまう前に、さっさと
「なあ、もしかしてオレ、おまえの目の前で殺されたこととかあったりする? ……な〜んてね」
「…………えっ?」
瞬間、月明かりに照らされたジールの顔が露骨なまでに凍りついた。もしオレの予想が外れていたのならば、少なくともそんな表情を浮かべることはなかったはずで。なんとも分かりやすい反応で助かる。
「ぶっちゃけ荒唐無稽な話すぎて、頭とか心配される可能性の方が高いと思っていたんだけどな。ひゃ〜、本当に的中しちゃった感じかぁ」
「どうして……だって今朝は……」
「今朝? あぁ、やっぱりあの質問はそういう意味だったのな。いや、さすがにあれじゃ分かんないって」
ジールは今朝、何も覚えていないのかとオレに探りを入れていた。そのときは性別の話だとばかり思っていたのだが……今になって思い返せば、あれは「自分が殺されたことを何も覚えていないのか?」という意味の質問だったのだと理解することができる。あそこでオレがきちんと察していれば、今日一日の展開も少しは変わっていたのかもしれない。
「アスタはなんでそんな平気そうなんだ……?」
「いやいや、ちっとも平気じゃないっての。こう見えて、頭の中は全然整理できていないしさ」
「整理って……キミは二度も死んだんだよ!?」
なるほど、そういうことになるのか。たしかに、最初の死だけは夢でした、なんて方が不自然だもんな。いや、一度でも死んだはずの人間が無傷でピンピンしている時点で、自然もクソもないのだが。
「仕方がないだろ。こうして今も生きている以上、死んだ実感なんて湧くはずがないんだから。今だって、頭の片隅ではまだ薄らと夢の可能性があるんじゃないかって考えているくらいだし」
投げやりにそんなことを口にした直後、オレは気づく。一筋の涙が幼馴染の頬を伝っていることに。
「ジール、おまえ泣いて――」
「でもさっ、僕は見たんだ……キミが目の前で息絶えるその瞬間を……!」
あぁ、オレはとんでもない大バカ野郎だ。目の前で何度も幼馴染を殺されて、心優しいこの男が傷つかないはずがないじゃないか。
朝からジールの顔色が悪かったのは誰の所為だ?
ルルリルを見て取り乱したのは誰の所為だ?
全部、全部、オレの所為じゃないか。
「おまえ、オレを助ける為にひとりで何とかしようとしてくれていたんだよな。それなのにオレって奴は、ちっとも気づかず……ごめんな」
「違う、アスタが殺されたのはそもそも僕の所為で! それに、結局僕は何も出来なかったわけで……」
「ちょっと待て、ジールは何も悪くないだろ」
「そんなことは……」
「ある!」
というか、寧ろ感謝の気持ちで胸がいっぱいだぞ? もしオレが異性だったら惚れていたかも。って、今のオレは女だから、これはあんまり冗談にならないか。さすがに惚れる云々は取り消しで。でも、そのくらい嬉しかったのは本当なんだ。
「とにかくさ、もう殺されたりはしなさそうだから、結果良ければ全て良しってことで。暗い話はお終いにして、これからのことを話し合おうぜ!」
「そうだね……アスタの言う通り、かもしれない」
死んだはずなのに生きていたり、何故か女になっていたり。そんな不可思議な現象の数々について、オレとジールは一度きちんと認識を擦り合わせておくべきなのだろう。これ以上のすれ違いを無くすためにも、今後の対応を決めるためにも、絶対に。
「よし! それじゃ今夜は朝まで語り――」
「ねぇ、アスタ様。こんな夜中に二人きりで、何をなさっているんですか?」
ジールに掛けようとしたオレの言葉は、いとも容易く遮られる。時計の針は、まもなく零時を廻ろうとしていた。
女神「役者がひとり足りないのではないかと思いまして(満面の笑み)」
感想や評価などいただけると大変励みになります。