闘牌描写は哭きの竜やその他麻雀漫画を参考にしています。
インターハイ 個人戦決勝戦
「……ロン」
無機質な少女の声が会場内に響くと彼女は右手で副露を中央にスーッと寄せ、パタリと手牌が倒される。
{二}
放銃してしまった少女がショックを受けているのは明らかであった。その証拠に彼女は打牌した{二}から未だ指が離れておらずわなわなと震え焦点の定まらぬ目で食い入るように凝視していた。
「けっ……決着ゥ────‼ なんという劇的な終局でしょうか! 本年度より初参加の甲斐学園代表 竜選手ッ 並みいる優勝候補を抑えて初出場の個人戦で初優勝だっ──!」
実況の興奮した絶叫とは対照的に全国大会で少女達の勇姿を応援していた観客たちも、競技場で実際に竜と卓を囲んでいた各校代表の三名達も言葉を失い戦慄していた。
「化け物……っ!」
勝者である竜の対面に位置する少女、宮永照の零した言葉に他の二名も沈黙でもって同意した。それほどまでに竜の麻雀は凄絶を極めたのだ。
「ここまで憑いて、負けたのはいつ以来でしょう」
もう一名、戒能良子は卓上に広がる光景に自らの力不足を嘆くとともにこれからの麻雀界に思いを馳せていた。
「純チャン……ドラ5」
手牌
{一一一三①②③} ドラ表示牌{八9}
副露
{横1111}
{横七八九}
7翻40符の18000点。カンによるドラ4が乗らなければオーラス時にリードしていた宮永照を親でない竜が一手で逆転することは不可能であった。
そもそも個人戦は午前4戦午後6戦の計10戦であるので最終局では既に大勢が決まっていることが多い。しかも今年は既にプロ入りが確実視されている戒能良子に加え一年生ながらも団体戦・個人戦共に圧倒的な成績を出した白糸台高校所属の一年ルーキー宮永照、この両雄の戦いだと思われていただけにこの結果は予想外の一言に尽きた。
優勝者を示す電光板にただ一文字だけ表示されたその名。本来、高校生の健全な教育を目指す全国大会で誰もが本名ではないと分かる名で堂々と出場しているだけでも異彩を放つが彼女の麻雀を知ればそんなことは些細な問題だと分かる。
予選の東東京大会で団体・個人共に大本命と言われていた臨海女子高校自慢の麻雀留学生達が手も足も出ず敗北。唯一食い下がれたのは当時無名の日本人学生ただ一人だけであった。
この時点で驚異の一言に尽きるが最も特筆すべきはその打ちスジであった。
彼女はポン・チー・カンといった鳴きを多用し数々の局で信じられない上がりを連発。その鳴きに呼応してか彼女の麻雀は他家も含めて配牌や自摸が確率的にあり得ない組み合わせ……必然すら感じさせる牌のめぐり合わせに人々は恐れ戦き、情景すら抱いた。
「今大会最大のダークホースとなった竜選手は~~」
「大会前にこの世を去った亡き恩師の為に~~」
「鳴き麻雀での奇跡の逆転劇は日本中を熱狂の渦に~~」
「……」
興奮冷めやらぬ実況が続く中、竜は未だ放心状態の対戦者達を一瞥もすることなく席から立ち上がり出口へ向かった。対局室を出ると一斉に煌びやかなフラッシュが焚かれマスコミのカメラやマイクが竜へ突き付けられるが、彼女は煩わしそうに眼を細め胸ポケットに提げていたティアドロップのサングラスを掛け表情を見せぬまま試合会場を出て行った。
その時のことを、居合わせていた某麻雀雑誌の記者は後に語った。
「彼女は一切のコメントも感情も出さず記者達の前を通り過ぎました。百戦錬磨の記者達がそれでも食い下がろうとしましたが……今でもゾッとしますよ。
彼女の体から……スーッと冷気のような白い煙が出てくるのが見えました。それに当てられ記者達は全員が本当に凍りついてしまったように固まってましたよ。
今まで色んな人間を見てきましたが……いるんですね。ああゆう幽霊みたいな人間が。沢山の少女達が夢見る全国優勝の栄冠なんて興味ないって感じで彼女は授賞式にも参加せず消えちゃいました」
彼女はそこまで言うと最後に笑いながらこう締め括った。
「でも正直に言ってホッとしましたよ。あんなのが近くいちゃ、生きた心地がしませんからね」
既に光が落とされた試合会場に宮永照だけが佇んでいたと言う……。
彼女は決着した時のまま残されている卓を眺め続けていた。竜と麻雀を打った者達は時に精神を崩壊させる。現にこの年の全国大会で竜と対局した少女達の中にはその後二度と牌を握らなかった者達も多くいた。
しかしその時の照の目は死んでもいなければ狂ってもいなかった。
「……必ずッ」
照は自分が切り竜が和了った{二}を見つめていた。
「……勝つッ」
照は静かに、しかし溶岩のように熱い決意を魂に刻んだ。二度と負けぬ己との誓いのように……!
「哭きの……竜……ッ!」
~~インターハイ会場前~~
「竜……感謝する。先代も草葉の陰で喜んでおるはずや」
甲斐学園二代目校長
「誰が為などではない。己の為、己の足で来た」
素っ気ない竜の態度に不快になるどころか石川はくつくつと鬼面を歪ませ万感の思いに至っていた。
「竜よ、わしが今何を考えているか分かるか? 先代、
「……」
竜は暫し沈黙していた。
しかし石川は確かに見た。竜のサングラスの奥にある瞳が僅かに揺らぐのを……。
~~一年前 新宿歌舞伎町~~
東洋一とも謳われる街の路上を今、一人の少女が歩いていた。
夕刻を過ぎた繁華街にはホストや風俗嬢、一目でそのスジと分かる人間達が欲望の眼をギラつかせ獲物を求め彷徨う道を少女は俯きただ歩く。
スカートを翻す女たちを他所に簡素なズボンを履き、対照的に血の色のような真っ赤に映えるシャツが衆目を惹いていた。長身に髪はベリーショートの七三分けならぬ九一分けと、華やかさ皆無であり遠目から見れば男と見間違うも者も多い。
やや陰気ながらも整った顔立ちとスリムな体型は美少女と評して間違いはないが、歓楽街の熱気に当てられた男も女達も全員が少女を一瞥すると幽霊か死人にでも出会ったかのように背中を縮ませ近づこうとはしなかった。
いつしか、雨が降り出したという……。
通行人は傘を取り出したり慌てて店の軒下へ駆け込むが、少女は髪や服が雨の雫に浸されても構うことなく歩き続けた。
「竜……随分探したぞ」
一人の男が竜と呼ばれた少女を呼び止める。
男は夜だというのにサングラスを掛け一目で高級と分かるスーツを纏ったいかにもな風体であった。
「竜よ、お望み通り己の足でやってきたぜ」
人間達の欲を呑み込まんと巨大な口を開けるネオン煌めく歌舞伎町一番街アーチ。その前で男と竜は僅か数メートルの距離で相対していた。
「分かった……話を聞こう」
竜と呼ばれた少女はすぐ脇にある薄暗い路地裏へと歩いて行く。雨が降りしきる中、周りには若い女が好みそうなカフェやレストランがいくらでもあるにもかかわらず、あえて野ざらしを選ぶ竜に男は苦笑しながら懐から名刺を取り出した。
関東一円に勢力を誇る東日本最大の学校法人である。男、甲斐正三はその中で最大規模の学校である甲斐学園の学園長を務めていた。甲斐正三が竜と呼ばれる少女を知ったのはこれより少しばかり遡る。
きっかけは巷に流れる単なる噂、よもやま話の類であった。
曰く、巷に恐ろしい女雀ゴロがいる。
曰く、そいつの麻雀は哭く度にドラが三つも四つも増えていく。
曰く、その哭きは天下一品。牌が閃光を放ち命すら喰い尽くす魔性の女。
曰く、その雀ゴロの名──
その話を聞いた甲斐の動きは電光石火の如くだったと言う。学校関係者に檄を飛ばし人海戦術で竜の居所を突き止めその元まで辿り着いたのが先月の事。
以降、常に甲斐は竜をマークし付け狙っていた。誤解無きよう説明すれば、御天道様に恥ずべき理由ではない。
「竜よ! ようやく腰を据えてお前と話ができる。────感謝するぜ」
「感謝などいらん。──ただ、もう俺の後に付き纏う野良犬どもを外して欲しい。それだけだ」
甲斐正三は路地裏に設置されているゴミ箱の上に腰掛ける竜に傘を差す。しとどに濡れる少女の姿は倒錯的な色気を醸すが甲斐は別の意味で興奮していた。
「単刀直入に言う。竜、
「……分かるように話せ」
竜は教育者が目の前にいながら大胆にもポケットから取り出したタバコを口に咥え、同じくポケットに入っていたライターで着火しこれ見よがしに特大の煙を吐いた。
未成年喫煙の現場を目撃しながらも甲斐は竜を咎めはしない。今の彼は、そんな事に構うより重要な目的があるのだ。
「簡単な話じゃ。わしが教壇に立っとる学園に入学せい。えぇ所じゃ、そしてそこの麻雀部に入れ。わしと一緒に全国に行こうや」
竜の甲斐を見つめる目が鋭くなる。少女の目つきではない。幾度となく地獄・死線・修羅場を潜ってきた者だけが放つ殺気にも近いソレ。どのような人生を歩めばこんな眼に成れるのか……竜の眼はそのような質問すら許さなかった。
「わしの学園は全校生徒合わせて二千人じゃ。その生徒達の人生がわしの肩に乗っちょる。重い肩じゃ」
「それで?」
「そのわしがこうしてわざわざお前さんとこまで出向いて頭を下げとる。そこらへん汲んでくれんか? のう竜、これ以上わしをコケにするな」
「時間の無駄だ。帰らせてもらう」
煙草を地面に落とし靴裏で踏みつけた竜は甲斐の真横を通り過ぎ大通りに出ていくと、雨脚は勢いを増していく。
しかし、雨の中へ消えゆくその背中に怒声が突き刺さる。
「竜! おどれ本当に今のままでいいんか? ケチな雀荘でチンケな雀ゴロや素人相手に小銭巻き上げるだけで満足なんか!? えぇ⁉ そうなんか‼」
雨が痛いほど両者の頭上を叩きつけていたと言う……。
「竜、竜よ。全国じゃ。あそこにはお前の想像もつかん化け物共の巣窟じゃ。お前が求める本気の勝負がきっとそこにあるんじゃあっ!」
「……」
「わしかて助平心はある。お前は強い! お前なら高校麻雀のてっぺんを取れる! そしてそれを成し遂げるのはわしら桜道会や! わしの渡世の親、桜田道造理事長の麻雀全国制覇の夢を叶えさせたいんじゃ~! 竜~!」
それでも竜の歩みは止まらない。夜のネオン街に消えていく竜の背中に甲斐は最後の思いをぶつける。
「竜! わしと勝負じゃ! わしが勝ったら入学せい! 負けたらわしの命でも何でも好きにせいやぁ~!」
これが哭きの竜と、勝負に挑む男達と女達の熱く哀しい物語の始まりでもあったのだ。
~~都内某所、ある雀荘にて~~
「竜よ。よく来てくれた。さぁ! このわし一世一代の大勝負じゃ!」
竜が甲斐から指定された雀荘は古びた建物の2階に居を構えていた。狭く暗い階段を登り年季の入ったドアノブを回すとこれまた時代を感じさせる店内がこじんまりとあった。
雀荘特有の喧騒は一切ない。
それもそのはずで中央の卓に座る者たちと竜を除いて雀荘には誰一人としていなかった。
「それにしても遅かったな。わしゃ待ちくたびれるかと思うたぞ?」
「時の刻みは……オレにはない」
雀卓に着いた竜に6つの視線が注がれる。甲斐もそうだが左右の男達も並大抵の打ち手ではないことが鬼気迫る眼光と気迫で語っていた。
「今夜の打ち手じゃ。右がこの雀荘の店主じゃ。左の厳ついのが部下の石川じゃ」
「甲斐学園副学園長の石川喬じゃ。お前さんが噂の哭きの竜か……! わしも一度打ってみたかったわ」
仁王のような巨躯に夜叉の如き貌に睨まれながらも竜はいつもの通りポケットから出した煙草を咥えるが、それは石川の手によって叩き落とされた。
「竜! 未成年の喫煙はやめい」
竜はさして怒りも見せず新たな煙草に手を伸ばす。逆に注意をあからさまに無視された石川の額に青筋が浮かぶ。
「おどれ竜! わしらをコケにしとるんか⁉」
「やめい石川。今日は構わん、吸わせたれ」
「しかしおやっさん!」
「どうせ竜は明日からわしらの教え子になるんじゃ……! 今のうちに吸えるだけたっぷり吸うたらええ。じきに煙の味も忘れるくらい楽しい学校生活が始まるんじゃからのぅ~~竜?」
「……ふん」
竜は今宵、甲斐正三のみを見ていた。
そして甲斐正三もまた、竜のみを見てい。
他の面子も今回が竜と甲斐の一騎打ちであり自分達は場を乱さぬ為の要員であることは理解していた。何より甲斐本人から竜を負けさせる為の差し込みやイカサマは絶対にするなと厳命を受けていた。
「さぁ竜。そろそろ始めようか……わしとお前の運命を懸けた麻雀をな」
「……」
竜が新たに吸った煙草の煙はこれからの勝負の行方を案じさせるかのように二人の間に立ち込めていた。
異様な空気の中で始まった半荘一回勝負の命を懸けた戦い。先に仕掛けたのは竜であった。
「ポン」
竜 副露
{横白白白}
四巡目でのポン。またいつもの鳴き麻雀での上がりかと思われたが甲斐の発声が割って入る。
「それポンじゃ」
甲斐 副露
{①①横①}
甲斐もまた竜の哭きに哭きで応え、瞬く間に東一局目は竜と甲斐の哭きが飛び交う空中戦となった。そして──
「……テンパイ」
竜 手牌
{北北北東}
副露
{9横99}
{横312}
{横白白白}
「おっと、わしもテンパイじゃ」
甲斐 手牌
{南南東東}
副露
{①①横①}
{横111}
{一一横一}
互いに互いの当たり牌を抱えての聴牌。二人の対局を見てここまでは互角と考える石川に対し、甲斐の考えは違っていた。
──来とる……! 今日の竜はツキが無い! わしじゃ……天がわしに微笑んどる!
竜の麻雀に恋焦がれ四六時中彼女の麻雀を見てきた甲斐は今夜の竜の運に陰りが出ていると確信していた。竜の幸運・豪運・天運とも言える力はこの程度ではないと甲斐自身が一番よく分かっているのだ。
甲斐の予感はまさしく的中する。
「竜! 2000 4000じゃ……!」
甲斐 手牌
{1122233} {1}
副露
{99横9}
{横978}
「竜よ! 今日おめぇは負ける! {中}ホンイツじゃ~~!」
甲斐 手牌
{二三三四四} {二}
副露
{横九九九}
{横中中中}
その夜、甲斐正三は自身の言葉通り次々と有効牌を引き竜を圧倒した。まさに神も仏も彼の背中を押しているようであった。
己以外誰にも上がらせず甲斐の大幅リードで迎えた最終局。直取りなら跳満以上、自摸ならば三倍満以上が竜に残された僅かな逆転への道であった。
「ゴホッ……ゴホッ……竜。さ、最後の局じゃ」
圧倒的優位にも関わらず甲斐には微塵も油断はない。目の前の少女が一瞬でも油断すれば容赦なく喉笛を食い千切り心臓を貫く者だと知っているからである。
「おやっさん! 血が……⁉ 汗もこないに……!」
対局の途中より甲斐の様子が見るからに悪化していたのは誰の目にも明らかだった。しかしそれをわざわざ指摘する竜でもなければ訳を話す甲斐でもない。二人にとってはあくまでも今夜の対局が全て……!
それ以外は悉く『無』である。
だがここに、我慢できない男が絶叫する。
「竜ぅう! 聞いてくれ! 理事長が……甲斐のおやっさんが渡世の親と慕う
「止めんかあほんだらぁ!」
「おやっさん! しかし!」
口元から滴る血をハンカチで拭いながら甲斐は夜叉すら怖気づく眼光を放ち石川の言葉を封殺した。
「すまんな竜、つまらん話を聞かせた。ええか石川、これはわしと竜の二人だけの勝負や。外野の事なんか一切関係ない。勝つか負けるか二つに一つ、それに命張ってるんよわしらはな……!」
文字通り血反吐を吐きながら配牌を揃える甲斐正三の姿に、竜は執念を見た。ただ勝つという一点の思いを──
オーラス 親 竜 ドラ表示牌 {⑤}
「チー」
竜 手牌
{■■■■■■■■■}
副露
{横⑦⑥⑧} 打{⑨}
竜の哭きに周囲は怪訝な表情になる。ドラ鳴きとは言え鳴いてしまえば手は安くなり立直も裏ドラも失う。
鳴き清一色ドラ1の直撃ならば跳満の逆転だが竜の捨て牌には{④}が一枚あり他家の河にも3枚見えていた。更に甲斐は自身の手牌に視線を落とす。
「ゴホッ……ゴホッ……! う、うぅぅ……!」
甲斐 手牌
{45⑤⑤⑤九九}
副露
{中中横中}
{②②横②}
――{④⑤}は全枯れ、{②}も三枚わしが鳴いとる。それにここでツモれば……う‶ぅ⁉
ツモ {⑦}
甲斐が引いたのは{⑦} 直前竜に哭かれた牌であった。甲斐はツモした{⑦}を一旦手牌に収め奥歯を噛み締める。当然上がれぬ為、どれかを切らなければならない。しかしそこが大きな関門であった。
――聴牌に受けるんなら当然{⑦}切りや。だが竜の考えが分からん。あいつは一体なにで待っとるんや……?
ギリギリと歯ぎしりの音が雀荘内に響いていた。
誰も甲斐の長考を急かしはしない。当然だ、この勝負は点棒や金のやり取りではない。二人の人間の全てが懸かった勝負なのだ。
竜もまた、煙草を燻らせながらただ静かに、しかし強烈に甲斐正三ただ一人を見つめていた。
──竜……こんな時でもわしを見るか! 汗一つかかず、一切の震えも見せず、一言も弱音も見せん……! お前はやはり麻雀の、いや! 神様がもしいるんならそれはお前や! お前がわしの勝利の女神じゃ! 死神じゃあ!
意を決した甲斐は手牌へと手を伸ばす。
「竜ぅぅぅううう~~~~!」
絶叫と共に吹き出る吐血。甲斐の凄絶な覚悟に彩られるように卓上に血が飛び散った。
「勝負じゃ──────!?」
その時、甲斐の視界は雀卓が自分へ向けて迫り上がってくるように見えた。刹那に湧いたその疑問は、胸を締め付ける激痛と石川達の怒声でようやくの納得を得る。
「おっ……おやっさん──⁉ 救急車じゃ〜〜! 早う呼ばんかいィィ〜〜!
「り、竜……! 竜よ〜〜! ま、まだ終わっとらん……ぞ」
雀卓に頭から突っ伏した甲斐は、本人の気力はともかくもはや麻雀などできる有様ではなかった。手足には力は入らず呼吸する毎に大量の喀血が雀卓を染め上げ床へと滴り落ちていた。
「と、取れ……! わしの牌を取るんじゃ……勝負な……ん……じ……」
それもまた無理な願いであった。卓に突っ込んだ時点で甲斐は手牌の牌を掴もうとした段階でありその直後に倒れた為、どの牌を切ろうとしていたのかは甲斐のみぞ知る所だった。
「──終わったな」
騒然とする雀荘内で竜が静かに漏らした一言に石川が吠える。
「待てや竜! おやっさんは、おやっさんは肺の病気やったんや! 手術をしても五分と五分、おやっさんは頑として手術を拒んだ! 持って三か月……! その三か月を竜! お前に! お前に懸けたんや〜〜! 何とか言ったらどうや!!」
「……」
竜は無言で甲斐正三を見た。最早口も利けぬ有様ながら必死の形相で己を見返す男の目を見た。
その時、竜の手牌
{⑥⑥⑥⑧678六七八}
副露
{横⑦⑥⑧}
ズバリ、竜は甲斐からのカン{⑦}を待っていた。断公九 三色同順 ドラ4の跳満直取り。逆転の手をしっかりと竜は張っていた。しかし、彼女はその手牌をゆっくりと卓に伏せ……席を立った。
「捨てた牌は表の世界。手の中の牌は裏の世界。己の裏は……己だけが知ればいい。その男は二千の人生を背負ってるんだろ? 重い命、大事にしなよ。
「竜……お前…………」
石川の胸に、熱い血潮が沸き上がった。冷酷無比、勝負に対して絶対的なまでに真摯な竜が再戦を口にした──ように彼の目には見えた。
甲斐の行為は不測の事態による不可抗力とは言え厳密にルールに落として考えればチョンボである。この雀荘のルールでもチョンボは満貫払いで局はノーゲームとして仕切り直しである。
賭けているものが命であるが故、竜が勝負無効を切り出しても文句は言えない。しかし、竜は甲斐の勝負続行不可能としこの場で試合を中断した。
誰よりも勝負の中で生きている女が下した判断は、誰が為のものなのか?
それは竜のみが知っていた……。
竜はそのまま雀荘を出て眩いネオンの街へと歩き出した。
雨は未だ降りしきっていたと言う……。
ビル街の向こう側からサイレンの音が近づいていた。
──竜! 竜! わしの勝ちじゃ! お前は今日からわしの生徒じゃ! これからわしと一緒に麻雀じゃ~~!
その時、竜は確かに甲斐正三の声を聞いた。雀荘を一瞥した後、ポケットに入っていた愛用の煙草とライターを宙へ高く高く投げ捨てていた。
~~現在 インターハイ会場前~~
竜は石川の元を訪れた。甲斐の死を知らぬ彼女ではない。しかし、竜は、確かに、全国の舞台への切符を懸けた場に現れたのであった。
「のう、竜よ! 懐かしいのぅ! わしはこれからおやっさんの墓前に勝利報告じゃ。お前も来るか?」
「……懐かしくなどない。今もオレの中で────
それだけ言い残すと竜は石川が用意した黒塗りのベンツを無視し歩き出した。
その歩みを止める者は誰もいない。少女は一人、喧騒冷めやらぬ人混みへ向かう。まるで己の存在そのものを消すかのように……。
だが、時の刻みはあまりにも無情に、残酷なまでに竜すらも巻き込む。
「哭きの竜! 覚悟せぇ~~!」
喧騒を掻き消す銃声が、紺碧の空に木霊した。
警察の取り調べにて、狙撃犯はこう供述したと言う。
「麻雀で負けた腹いせに撃った。3発撃って竜は倒れて動かなくなった」
突然の凶報に日本全国が震撼した。
インターハイ個人戦優勝者がその日のうちに狙撃されると言う大事件は、その凶悪性と話題性にも関わらず犯人逮捕の報だけが先行し、本人の容態は一切報じられなかった。
所属の甲斐学園も病気療養の為に本人休学との発表しか行わず、その不気味な沈黙はネット上で竜は一命を取り止め都内病院に入院中だとか長野の雀荘で見ただとか、様々な風説を流布させた。
しかし一向に姿を現さぬ状況は次第に世間は事件を忘れいつもの日常へと戻っていった。
一部の者達を除いて……。
警察署にて供述調書にサインをした狙撃犯は、担当刑事におかしな質問をしたと言う。
「刑事さん、変なこと聞いてもいいですか? 俺、本当に竜を殺したんですか? いえ、竜を撃った事は認めます。あれは確かに哭きの竜でした。でもね……」
連日の厳しい取り調べも平然と受け答えをしていた太々しい男が初めて見せた動揺に担当刑事も目を丸くする。
「微笑ったんですよ? 体に弾喰らって、さぁトドメに頭だ……って瞬間にです。俺は、俺はあれほど恐ろしいと思ったことはありません」
両手で顔を覆った狙撃犯はこれから自分が語る言葉が自分でも信じられないかのように冷や汗を垂らしながら大きく喉を鳴らし、恐怖で震えた口元から供述した。
今、一つの時代が終結を告げようとしていた。
そしてそれは新たなる戦いの幕開けを意味していた……!
『哭きの竜』暴力、賭博、煙草の三点要素がぎゅうぎゅうに詰め込まれた咲の真逆のような麻雀劇画の金字塔的作品であり麻雀漫画なのに闘牌描写より極道達の人間ドラマに主軸を置いた異色の作品。主人公である竜はひたすらに強いが理由は特にない。あえて言えば強運。主人公の内面描写は皆無でありクールなキャラが勝つというバトル漫画のお約束を突き詰めたようなキャラ。ひたすらかっこいい。