①強運。ひたすら強運。
②関わった相手は不幸(原作ではほぼ死ぬ)になる。関わった当人は幸せかも。
甲斐学園
「なに~~! 竜が病室から消えただと~~⁉」
甲斐学園学園長、石川喬の怒声が廊下まで突き抜けた。受話器越しに会話する部下は心臓が縮み上がる思いで自然と謝罪の形に背中が曲がっている。
『は、ハイ! 今さっき着いて病室に向かったらもぬけの殻でして……。病院にも確認したんですけどまったく見当が付かないと……』
「アホウ! 早く探さんかい! 竜は三発食らって絶対安静なんやぞ!」
怒りに任せて受話器を叩き切った石川の腸は煮えくり返るが同時に頭は不思議と冷静であった。先代甲斐正三が夢を託した竜を保護しきれなかった己に怒りは覚えども、彼女の身勝手とも言える行動に怒りはしなかった。むしろそれこそが竜だと石川は悲しいまでに理解していた。
「竜、今どこにいるんじゃ……。どこにお前は行くんじゃ……」
石川は知っていた。
竜は留まらない。
竜は安らぎなど求めない。
竜が求めるのは、戦いのみ。
己すら焼き尽くす、勝負の坩堝の惨禍のみ……。
――雀荘roof-top――
「それ、ロンじゃ! 緑一色!」
雀荘に似合わぬ快活な声が鳴る。
だがここは麻雀が競技として定着していない異なる世界ではない。老若男女が日々の楽しみとして集う雀荘がここ、長野県の某所に存在する雀荘である。
対面に役満を直撃させたメイド服の少女、染谷まこは得意げにガッツポーズを取り幼さを残す顔立ちとは裏腹の厳つい広島弁で嬉しさを顕にした。
「今日は調子がええ。何かええことがあるかもしれんな」
来年度より清澄高校に入学予定のまこは高校デビューに思いを馳せながら今日も実家の雀荘の手伝いをしながら客との麻雀に興じていた。
「おいおい、絶好調なのは良いが店員が客に役満直撃って商売としてどうよ? てかカツ丼おかわり」
北家に座って大きな丼をカラにしながら雀荘のメニューに存在しないカツ丼を出前に頼む非常識な女がいた。まこに対面から点棒が支払われるが女の点棒は役満手を上がった彼女よりも多く収支では一位であった。
「別にええじゃろ。それも込みでここのウリなんじゃから」
まこの言う通りこの雀荘は旧来の薄暗い雰囲気や煙草の煙やひりついた気配とは無縁であった。雀荘と言っても店内の設えは喫茶店のように華やかで若い女性客や子供も多かった。役満を振り込んだ客も悔しがりはしつつも特に不満もなく点棒を手渡しており純粋なゲームに興じているようだった。
局が終わりまこと女以外が席を立つと、女はサッと懐からキセルを取り出し慣れた手つきでマッチを擦り着火させた。立ち込める煙に眉を顰めながらまこは出前の為の電話を掛ける。
「中学生の前でよう吸えるのう」
「ここは喫煙席だろ。いる方が悪い」
「もう好きにせい。しっかし最近の客の打ち方はどうにかならんもんかのう?」
「打ち方?」
「悪いとは言わんが皆して鳴きまくりじゃ。それも速攻が目的じゃなく無理して大物手を狙い過ぎなんじゃ。さっきの客も萬子の清一色を狙ってるのが鳴きでもろ分かりじゃった」
「ああなるほど。確かに鳴きは立派な戦略だが基本は手牌や待ちがバレやすいし流れも悪くなる。多用する手じゃないな」
「それもこれもこの前の全国大会からじゃ……皆がみ~んな哭きの竜のマネしとる」
そう言いながらまこは雀荘内を見渡す。
そこにはどこもかしこもポンだチーだカンだと鳴きを宣言する声で溢れていた。家業が賑わうことは嬉しいが麻雀を嗜む者としてはその顔に苦々しさもあった。
「プロリーグも似たようなもんさ。デジタル派はこぞって彼女を否定してるがアナログ派はここぞとばかりに鳴いてるよ。ま、それで勝てれば私も苦労はしないけど」
「それだけ哭きの竜が凄かったしな。今どこにおるんじゃろう」
「さぁ? 死んだって噂もあるが、甲斐学園は休学の一点張りで何も発表しないし全国大会以降の公式大会にも一切彼女の名は無いな」
それまで裏の麻雀界にまことしやかにささやかれていた凄腕の雀ゴロ、哭きの竜の名は全国大会優勝にて日本中に知れ渡っていた。そしてその最中に起こった狙撃事件で彼女の名は既に伝説へと昇華していた。
「私も中継で決勝戦を見たが……久し振りに震えたよ。牌に愛された子は度々全国の舞台に現れるが、あんな衝撃は小鍛治健夜の闘牌を見た以来だったな」
小鍛治健夜。
麻雀プロ史上最強のは雀士は誰か?
そんな問いが投げかけられたならば必ず名前が挙がるのが彼女である。
圧倒的と言う言葉すら生温い力で数々の伝説的記録を打ち立てた彼女と比較されている時点で、哭きの竜の異常性が伺い知れた。
「実業団やプロリーグ団体の幾つかはもう彼女に目を付けてるよ。噂じゃ海外チームもコンタクトを図ってるらしい。ま、本人に会えなきゃ皮算用だとは思うが……⁉」
「麻雀界も忙しいのう……おっ、いらっしゃいませー。お客さん、新顔か」
「……」
まこと女が会話に集中していると、一人の少女が既に卓へ座っていた。その少女はまこの対面に座り挨拶も無く顔を俯かせ卓上に散らばる牌の整理を無機質に行う。
続いて一般の客も空いていた席に着き自然と卓の始まりを意味した。
「新顔さん。ここのハウスルールは分かっとるか?」
「……問題ない」
まこにはその少女の顔がよく見えなかった。否、見ることが出来なかった。彼女の本能とも言うべきものがその少女を直視することを忌避していたが、まこ自身はまだそれに気づいてはいなかった。
「ほいじゃ新顔さんのお手並み拝見といくか」
そうして、不穏な空気を孕みつつ局が始まった。
東一局 ドラ表示牌{③}
6巡目
まこ打 {中}
「──ポン」
少女 手牌
{■■■■■■■■■■}
副露
{中横中中} 打 {五}
「なんじゃ、いきなり鳴きか」
「──ポン」
少女手牌
{■■■■■■■}
副露
{一横一一}
{中横中中} 打 {②}
「なんじゃなんじゃ。お客さんも哭き竜の真似か?」
立て続けに二副露となった少女に辟易した表情を浮かべるまこだがそれで手を抜く彼女でもない。雀荘店員でもある彼女の実力は同年代の中でも確かな物を持っていた。
少女 捨て牌
{④④7西五②}
──六巡目で二鳴きか……{中}があるけぇ何でも和了れるが最初と次に二連続の{④}ドラ切りから見て萬子の染め手かチャンタかいのう?
まこはしばしの思案の後、手牌の{①}に手を伸ばす。
──チャンタ狙いなら危ないが序盤で{④}を切っとるし筒子はしゃーなーじゃろ
まこ 打{①}
「──カン」
少女手牌
{■■■■} ドラ表示牌{③⑨}
副露
{①横①①①}
{一横一一}
{中横中中} 打{赤⑤}
「なんじゃと⁉」
少女のカンの宣言と共に新ドラ表示が捲られまこの計算が狂う。大明槓によって{①}四枚がそっくりドラ四、この時点で満貫確定。少女は新ドラ表示に浮足立つ面々を他所に嶺上牌をつまみ微かに口角を上げ……
「ツモ」
ゆっくりと嶺上牌を卓上に置き、和了を宣言した。
「はぁ⁉」
少女の手牌が明かされるとまこのマナーもへったくれもない叫びが雀荘に轟く。
少女手牌
{②②②④} {④} ドラ表示牌{③⑨}
副露
{横①①①①}
{横一一一}
{横中中中}
「ドラ{④}の地獄待ちぃ~~⁉ お客さんが捨てた牌やぞ‼」
まこは怒りにも近い驚愕を抱いた。
観察眼に自信のあるまこは少女の一挙手一投足を見ていた。特に手牌の動き、自摸牌を何処に引き入れどこから河に出すのか。牌を鳴いた時も然りである。
それゆえ少女が序盤に捨てた二枚のドラ{④}と手牌のドラ{④}が自摸牌でなく配牌時からの牌であることが分かると激しく動揺しながら目の前の少女につい疑問をぶつけてしまった。
「最初っからドラ暗刻なのにそっから切ったっていうのか⁉ なのに待ちがフリテンのドラ{④}って……っ! どがいなことじゃあ‼」
しかし少女は一切動じない。ドギツい広島弁を浴びせられようとも目を合わせること無く点棒を手にする。それに苛立つまこだったがその怒りが爆発するよりも先に一人の女の笑い声が卓に零れる。
「ククク……! 流石は全国の頂点に立った子だ。
「な! 哭きの竜じゃと⁉ どがいなことじゃ!」
女はそれまで見せていた無害な空気を一変させ獰猛な肉食獣の如き笑みを表した。目の奥に光る欲望は獲物たる哭きの竜と呼ばれた少女の全身を舐めるように見ていた。彼女はただのカツ丼好きの客ではなかったのだ。
藤田靖子、長野をホームとするプロ麻雀チームに所属する現役プロ雀士である。その実力はまくりの女王と評されプロの中でも一際強烈な存在感を持っている。
「撃たれたと聞いたが随分元気そうだな。あれからまだ数か月しか経ってないがとりあえず無事で何よりだ」
「……」
「だんまりか、噂通りクールだねぇ。どうだい? 一つ賭けをしないか。この半荘で私が勝ったらウチの団体に来てくれないかしら」
「藤田プロ⁉ そがいないきなりっ」
それは紛れもないプロ直々のスカウト。全国の麻雀少女達が夢見る展開に色めくまこだが当の誘われた本人は初めて顔を上げて靖子を見つめると小さく、それでいてハッキリと決意の籠った言葉を放った。
「オレは哭きの竜など知らぬ。オレはオレだ……」
「ハッ……! 上等……‼」
そうして始まった哭きの竜? のプロ入りを賭けた勝負。機先を制したのは竜? であった。
「ロン」
「あう……っ」
竜? 手牌
{123中} {中}
副露
{横二一三}
{横①②③}
{発横発発}
先ほどの倍満直撃のショックからまだ立ち直っていないのかまこは再び竜? に振り込んでしまう。見え見えの混全帯么九・三色に危険牌の字牌を打ってしまう失態。まこ自身、ワナワナと震え頬を冷えた汗が伝っていた。
「ロ、ロン! 混一色、5200や──っ!」
かと思えば次局、あっさりとまこに放銃し点差を縮められる。
「な、なんじゃ……さっきのはまぐれかいな」
ホッと胸を撫で下ろすまこだったが靖子が手牌を倒すと更に汗が噴出する。
「甘いな、まこ……! マグレじゃないわ。見なさい」
靖子 手牌
{555777④④④東東東北} 待ち{北}
「す、四暗刻単騎待ち!?」
「そして次の私の自摸牌は……ビンゴ!」
{北}
「竜が貴女に振り込まなきゃ私が上がってたわ。そうなれば親の役満自摸、竜はまだしも貴女はトビ終了で私の勝ちだった」
「け、結果論じゃ! それじゃ何か!? 藤田プロの言い草じゃこの女は役満手を読んでたばかりか山に積まれた牌が{北}だと知ってたって言うのか──っ!?」
「どうだかね、でも私も気になるわ。牌が透けて見える雀士がいるとかいないとか。哭きの竜さんもそうなのかしら?」
「……」
「またまただんまり。そんなんじゃ友達出来ないわよ? ま、いいわ。すぐにその化けの皮を剥がして泣きべそかかせてあげる」
その後も局は続いた。
もともとプロ雀士である靖子はコンスタントに手役を進めまこや一般客から安手ながらも直撃を取り点棒を積み上げていく。一方の竜? は身を潜めており不気味な沈黙を貫いた。
そして南三局 親 靖子 ドラ表示牌{8}
「3位か……まだまだこっからじゃ」
染谷まこの最も特筆すべき雀士としての能力……それがこの眼である。彼女は幼い頃から何百回・何千回・何万回と見てきた雀卓の光景を記憶していた。そして実際の局においてその膨大なビッグデータとも言える記憶を頼りに流れを掴んだり不利な状況を打破する術を持っていた。
まこは眼鏡を既に外していた。額の上に掛け卓上全体を俯瞰して見渡していた。 しかし……
──み、見えん……! 何なんじゃこの女は。今まで見てきた対局とどれも一致せん。のっぺらぼうじゃあ……顔も何もないのっぺらぼうじゃあ!
強気な言葉とは裏腹に彼女の精神は混乱していた。これまでどんな玄人や素人であっても全く何も見えないなんて事は無かった。どんな策略も偶然も、彼女の脳裏には刻まれその局の流れと言うのが見えてくるはずなのだ。
それが無い。
それが見えない。
今のまこには目の前の少女が人間に見えなかった。
──落ち着け、落ち着くんじゃ……! 逆転は出来る。あと二局で何とか逆転を……
まこ 手牌
{三赤五②⑦3東東南南西西北北}
──き、キタ……!
それはまさに値千金の配牌だった。強烈に漂う役満の香りにまこはざわつく心を抑え平静を装った。
竜? 第一打{南}
「ポン!」
まこ 副露
{南横南南} 打{②}
「お客さん……いきなり南切りとは随分強気じゃ──⁉」
竜? 第二打{東}
「ポ、ポン!」
まこ 副露
{東横東東}
{南横南南} 打{⑦}
「お、お客さん……なんぼ何でも舐めすぎじゃないか? そんなポンポンと字牌を──」
竜? 第三打{北}
「ポッ⁉」
「どうした、哭かナいのか?」
「う、うるさい! それもポンじゃ!」
まこ 副露
{北横北北}
{東横東東}
{南横南南} 打{3}
竜? 第四打{西}
「ポ……⁉ ポ……ポポ⁉」
「哭くかい?」
「い……! 言われんでもするわ!
~~~~っポンじゃい! 」
まこ 手牌
{赤五}
副露
{西横西西}
{北横北北}
{東横東東}
{南横南南} 打{三}
「あンた……人を見る前に、己を見なよ」
「あん? どがいなこ──」
「カン」
竜? 副露
{三横三三三} ドラ表示牌{88}
「なにィィ⁉」
「ツモ」
竜? 手牌
{五五五1239④⑤⑥} {9} ドラ表示牌{88}
副露
{三横三三三}
「り、嶺上開花……ドラ4て、んな……馬鹿なっ」
まこが卓に沈むと同時に額の上に掛けられていた眼鏡がズルっと落ち、元の位置に戻っていた。大明槓の責任払いによる満貫出費によって竜? は1位に浮上し彼女は4位に転落したが、それ以上にその心はこの和了によってポッキリと折れた。
「ククク……竜。まこを全く寄せ付けないなんてやるわね。でも私はプロだ、次でどう逆転するか今から楽しくてしょうがないわ!」
瞬間的に膨張する靖子のオーラ。そのプレッシャーの奔流に今まで多くの雀士たちが飲み込まれていった。
だが……
「あンた──」
「え?」
南四局 オーラス 親竜? ドラ表示牌{⑤}
竜? 打{①}
靖子 配牌
{横赤5}
{一四赤五六七1234①②③④}
──ククク! 勝負手……私がまくりの女王と呼ばれる所以、教えてあげるわ!
赤ドラ二つにタンピン三色も狙える好形の配牌。立直や裏ドラを気にせずとも逆転は十分に可能であった。まことちがい靖子は勝負手が入っていることを察せられないよう誤魔化すこともなく、ギラリと笑いキセルを吸う。
靖子 打{①}
「チー」
「ん?」
竜? 手牌
{■■■■■■■■■■}
副露
{横①②③} 打{一}
──なんだこいつは? 一巡目に切った{①}を二巡目で鳴き? 相変わらずセオリー無視か。
哭きの竜の打牌は全国大会でも解説者泣かせとして有名であった。牌効率やスジなど知らぬ存ぜぬとばかりに牌を打ち点棒を得る彼女は意味不明としか言いようがない。なんとか解説しようと四苦八苦するプロ雀士小鍛治健夜を他所にアナウンサーの福与恒子などは早々に実況を放棄、ネット界隈では神回として有名であった。
靖子 手牌
{横三}
{赤5四赤五六七1234②③④} 打{一}
「チー」
「んんっ?」
竜? 手牌
{■■■■■■■}
副露
{横一二三}
{横①②③}
「クッ! 随分魅せるじゃない……やっぱりプロの才能があるわよ貴女。でもプロ相手にあんまり好き勝手やってると……火傷するわよ‼」
竜? 打{1}
「……アチチチ!?」
ポトリ、と手に持っていたキセルが靖子の太腿に落ち悲鳴が上がる。竜? の打牌に靖子のみならず他家も首を傾げその思惑を図りかねていた。
しかしそれを解明する前に靖子は遂に引き入れる。
靖子 手牌
{横二}
{赤5三四赤五六七1234②③④} 打{1}
「あ、貴女と打つと面白いように牌が集まってくるわ。意外と優しいのかしら? 二度あることは三度あるっていうけどまさか……」
竜? 手牌
{■■■■■23}
「竜っ 貴女……!」
パタリ……と竜? の手牌から二牌が倒され――
竜? 手牌
{■■■■}
副露
{横123}
{横一二三}
{横①②③} 打{八}
三色同順完成。既に配牌で確定していた三色をわざわざ自分で崩して自分で鳴くと言う暴挙に靖子は混乱。まるで初心者の打ち回しだがこと彼女に限ってはそんな楽観は死を招くと靖子はヒシヒシと卓に座ってから今まで感じていた。
それから数巡、靖子は無駄自摸が続いた。まるで竜? の哭きにツキを喰われたかのように靖子の望む牌は顔を出さない。そればかりか──
靖子 手牌
{横⑨}
{二三四赤五六七234赤5②③④}
「……」
思わず、靖子の手が止まった。
竜? の副露と捨て牌を見れば不安がぬるりと心に入り込む。
──彼女も自摸切りが続いているけど混全帯么九・三色を張っているならこの生牌{⑨}はかなり危険だわ。でもここで降りたら竜の速さを考えて逆転は恐らく不可能……。
打{⑨}
靖子は打った。危険を覚悟した一打。それは傍から見れば勇気ある一打だが彼女にとっては確信の一打である。
──次順の自摸牌は{5}よ。間違いない……私には分かる。これが通れば私の勝ち。
彼女には見えていた。全てではないが牌が見えるのだ。まくりの女王と言われる所以は土壇場の勝負強さなどと言うあやふやな物ではない。彼女は凡人には決して到達できない領域にいる雀士の一人だったのだ。
「ねぇ、聞かせてくれる? 貴女は本当にあの哭きの竜なの?」
勝利を確信し余裕を見せる靖子の問いに竜? は俯いていた顔をゆっくりと上げると同時に、手牌右端の三枚を倒した。
{■⑨⑨⑨}
「──カン」
「カン⁉」
竜? 手牌 ドラ表示牌{⑤⑧}
{■}
副露
{横⑨⑨⑨⑨}
{横123}
{横一二三}
{横①②③}
──私の自摸順がズラされた⁉ しかもドラ4!
「哭きの竜など、
大明槓のカンドラもろ乗りと言う誰もが沸き立つ展開であっても彼女だけは表情一つ変わらない。誰もがその嶺上牌に固唾を飲み見守る中、やはり彼女は指先一つ微塵も震えずその牌を掴み、自らの頭上に高く高く掲げた。
「フ……! フフフ……! 痺れるわねぇ! 貴女がますます欲しくなってきたわ!」
恐怖とも歓喜とも取れる表情浮かべる靖子、同時にパッと離された竜? の手からは嶺上牌がカランと無造作に卓上へと落とされた。
「──オレが欲しければ、あンたも命を懸けるんだな」
竜? 手牌
{九} {九} ドラ表示牌{⑤⑧}
副露
{横⑨⑨⑨⑨}
{横123}
{横一二三}
{横①②③}
しばしの沈黙……そしてズレ落ちそうになる眼鏡を抑えながら必死の形相で卓上を見つめるまこ。彼女は幽霊でも見るように席から飛び上がり竜? に吠えた。
「な、ない! あんたの打ちスジが何処にもない! こんなんありえん!!」
それも無理からぬことだった。竜? は配牌時から一切手牌に自摸牌を入れずに自摸切っていた。つまり配牌時の手牌は
{一二三八九123①②③⑨⑨⑨}
この形になる。
ダブル立直、自摸れば親倍満の奇跡に近い配牌を崩してまで上がった役が結局同じ親倍満。しかも三副露の時点で{九}単騎待ちで張っていたにも関わらず異端の大明槓による嶺上開花。
まるで彼女のみが卓上の全ての牌を操っているかのような無謀・暴挙・狂気などと言う言葉では到底言い表せない意味不明の感性。まこの脳内データベースは既にショート。目の前のバグとも言うべき存在に客と店員の関係も忘れただただ恐怖していた。
「終わったな……」
「待って」
まこの狂騒などどこ吹く風、竜? は胸ポケットにしまわれていたサングラスを掛け脇目も振らず雀荘の出口へと向かうがそこに靖子の声が掛かる。
「一年後……! プロ・アマ合同の親善試合があるわ。そこに来れば貴女を負かす雀士がいるかもしれない」
その言葉に竜? は出口の扉に手を掛けつつ立ち止まる。
「竜、貴女ひょっとして
彼女は答えない。否定も肯定もしないその背中に靖子は畳みかけるように核心を突く。
「でも貴女は麻雀をしている。記憶を失っても貴女の魂は飢えてる! 求めてる! 勝利に、戦いに、身を焦がす真剣勝負に‼」
その言葉を受けて彼女はようやく振り返る。靖子はその横顔に、サングラスの向こう側に僅かに透ける眼に射抜かれた。
「オレは過去など知らぬ、未来など興味も無い。オレはオレ、他人は他人。オレは――」
紡がれる言葉と視線は靖子の背中と下腹部にゾクゾクと走る電流と興奮に変換され、彼女は次に何を言うのかも忘れていた。
その時、靖子の何かが決壊した。
「あンたの言葉……覚えておこう」
竜の姿が完全に見えなくなると靖子はへたりとその場に座り込んだ。一回りも年下のアマチュア学生に負けたショックからではない。
「ふふっ ふふふ……! 哭きの竜……哭きの竜ぅぅ……」
靖子は感動していた。得も言われぬ激情に身を任せていた。
「はぁぁぁ~~~何て、何ていい女なのかしら……! 食べちゃいたいわ……!」
また一人、竜の魔性に魅入られた女がいた。
しかしそれは、この先に続く犠牲者の一人に過ぎなかったのである。
甲斐正三 哭きの竜において数少ない竜の内面描写で大きな存在として生き続ける男。かっこいい。
石川喬 甲斐正三の意志を受け継ぎ自らも竜に惹かれその命までも狙おうとした。脳筋のような見た目だが切れ者であり極道社会のテッペンと竜を取ることに心血を注いだ。かっこいい。