──鹿児島県 霧島神宮──
その日、彼の地は天変地異に見舞われていた。
時刻は深夜零時を過ぎた頃……既に多くの人々が寝静まる頃合いにも関わらず神宮周辺は眩いばかりの光が降り注ぎ昼間のように明るかった。
「ひっ、姫様ぁ──!」
「行っちゃダメ! 今は霞先輩に任せる他ありません!」
神宮本殿の扉は固く閉ざされており境内には巫女装束姿の少女達がこの天変地異を起こした張本人の無事を案じていた。
「姫様っ 今度はいったいどんな悪霊を降ろしたの!?」
「と、とんでもない瘴気だよっ」
仮に霊感や神性を全く持たない常人が此処にいたとしても、本殿の奥にいるソレから発せられる凄まじいまでの瘴気に当てられれば意味を解しなくとも本能でその場から逃げ去るだろう。
古来より天孫降臨に纏わる神々をその身に降ろす事ができる日本屈指の巫女は現在、神宮の中に居り姿を見せない。いや、見せることができないでいた。
神代小蒔を姫と呼び敬う巫女達は代々、もしもの時はその命を投げ売ってでも神代本家の血を守れと幼い頃より教育されている分家一族、六女仙である。
そんな彼女らも今は唯一本殿へと足を踏み入れた神代小蒔のよき理解者である
「大丈夫です。霞さんなら、霞さんならきっと姫様をお救いになられるはずです!」
六女仙の一人、
既に岩戸霞が本殿の中へと出向き小一時間が過ぎていたが何ら返答は無い。ただ待つ事しかできぬ彼女らの焦燥感は積もりばかり。
その時、本殿へと通じる扉がぎぃっ……と開かれ待ち望んだ霞の姿が見えた。
「霞ちゃん 姫様は!?」
同じく六女仙、
「ごめんなさい。私ではとても……祓い……き……れ──」
体力の限界を迎えたのか事切れるように意識を失った霞。それを目の当たりにした薄墨達は最早どうする事も出来ず呆然と立ち尽くす他なかった。
「これでは当分学校には行けませんね……」
六女仙であり戒能良子の従姉妹でもある
──そもそも、この場を生きて帰れるのか? 永水女子の面々はその不安を口に出すことを寸前で留めていた。
「わ、私が行くよー」
薄墨初美はこの時、死を覚悟していた。仕えるべき主であり友でもある神代小蒔を救う為……他の六女仙をこれ以上危険な目に合わせぬ為……少女は現世の未練を断ち切った。
しかしそれは他の六女仙も同じである。
「私達は姫様をお守りする六女仙です。どんな時も一緒です」
「もしも姫様をお救いするのに贄が必要とあらば喜んでこの身を捧げます」
「み、みんな!」
初美は皆の献身が悲しい程に嬉しかった。傍から見れば時代錯誤の封建主義かもしれない。しかし六女仙にとっては神代小蒔は命を懸けるに値する姫なのだ。
「ありがとう。皆の命、私に頂戴ですよー」
本殿へと向かう少女達、それは死出の旅路さながらの歩みであった。
しかしその最中、石段を上る音が境内に響いた。
「不味いですねー。こんな時間に参拝者ですかー?」
後に、薄墨初音は六女仙達に語る。
コツ、コツ、と石段を昇る音は死を覚悟した私の心を何故か揺らし続けた……。
まるで姫様と初めて出会った時のような、神や仏との対面に近い情動を私は感じた……。
石段を昇り境内に現れた女は動揺する六女仙達を通り過ぎ本殿へと続く石畳を進んでいく。
「行ってはいけません!」
「霞ちゃん!? 今は休んでなきゃ駄目ですよー!」
「どこのどなたかは存じ上げませんがそこに足を踏み入れれば命はありません! その中に御わす方は人知を超越した魍魎! 人間などひとたまりもなく魅入られとり殺されます!」
女は霞の必死の訴えを背中で受け止めつつも歩みを止めない。まるで恐怖など感じぬかのように……。
「は、入っていきましたね」
「正気の沙汰じゃない。自殺と同じです!」
「ど、どうしよう霞ちゃん! 緊急事態が更に異常事態ですよー!」
「だ、駄目よっ! 勝てない! どんな人間でも、勝てるわけながない。もしもアレに勝てる者がいるならばそれは……」
「そ、それはー?」
歴史を感じされる木組みの巨大な社の本殿に入ると、場違いと言える全自動麻雀卓が中央に鎮座していた。
そしてその麻雀卓には一人の少女が鎮座していた。
六女仙と同じく巫女姿の少女であるが纏う空気はまるで別物。
「ひ、姫様……」
後を追ってきた薄墨達も主の変わり果てた姿にショックを受けていた。高貴な存在として生まれた時からその呼び名の通り姫として扱われてきた神代小蒔だが薄墨達は決して彼女の血統のみに仕えてきている訳ではない。
血統を笠に着ず誰にでも笑顔と優しさを見せる木漏れ日のような温かい人柄に皆が惹かれているからこそ、この人に人生を捧げようと思っていたのだ。
それが今や神代小蒔は神々しい威光は禍々しい邪気に移り、朗らかな顔は能面のような冷たく無機質なモノへと変質していた。
「最早アレは姫様ではありません」
「霞ちゃん! いったい姫様には何が取り憑いているの!?」
霞はその問いの答えを震える声で恐る恐る唇から絞り出す。
「あれは……
アマツミカボシ
西洋神話に比較的見られる善悪二元論とは異なる多神教神話である古事記・日本書紀にて悪神として明記され、日本神話屈指の軍神であるタケミカヅチすら撥ね退けた武力を有する異例の神である。
西洋では大悪魔ルシファーの象徴でもある明星、金星を現す星神でもあり太陽神天照大御神の権能にすら逆らおうとする存在。
それが今、天孫降臨神話発祥の地の一つとされるこの霧島神宮に舞い降りているだ。
神代小蒔の中に降りた存在に六女仙達が衝撃を受けた時、外へと通ずる扉が独りでに大きな音を立てながら閉まった。それはまるで逃げ道を封じるかのように。
「唯一の扉が閉ざされました。もう我々は逃げられません」
霞からすれば絶望を意味するその事実だったが女はさして気にも留めず誰も近付きもしない雀卓に座った。座席は神代の対面へと。
「なっ、なんて恐れ多い! 今すぐそこから離れ──⁉」
「ひゃぁっ⁉」
謎の女が席に着くと同時に霞と初音の体が見えない手に引かれるかのように雀卓へと誘われ、神代から見て上家・下家に霞・初音が着席させられる。
「私達に麻雀をしろと……?」
「あわっ あわあわ……や、やるしかないですよー」
唐突に始まった前代未聞の麻雀。
見知らぬ乱入者に悪神に憑りつかれた巫女と言うイレギュラーに対して霞の腹は決まっていた。
──なんとしてでも姫様を救う。その為なら私を含めた他の面子は生贄にしてでも……
親友である初音や同志達である六女仙を横目にしながら霞は冷徹な覚悟を下していた。そしてこの時、霞達は突然現れた陰気な女を豹変した神代小蒔の事もあり偶然にも巻き込まれた不幸な一般人としか思ってはいなかった。
東一局 親 霞 ドラ表示牌{一}
外界の明かりすら差し込まぬ閉ざされた本殿内は昔ながらの蝋燭によるぼんやりとした光のみがユラユラと揺れていた。それは彼女達の命を現すかのようであった。
古事記日本書紀の神ながら全自動麻雀卓の稼働に全く動じず小蒔は出来上がった山から流れるような手付きで手牌を作る。その動作一つ一つに神威が宿るかの如く荘厳かつ流麗である。
初美 配牌
{二二二三四234②③④南北}
──うっ、この配牌は喜んでいいのでしょうかー?
霞 配牌
{123456789東東西北}
──不吉ですね……
霞達はこみ上げる吐き気と悪寒、そして出来上がった配牌の良さに言い知れぬ不穏を抱き胃を掴まれる思いであった。
両名とも一向聴、最低でも満貫が見える好配牌を前にしても警戒心ばかりが膨れ上がる。
異常な冷気に支配されながらいよいよ生死を懸けた戦いが始まる……少なくとも霞達はそう思っていた。
パタリ……と、おもむろに陰気な女が手牌を倒した。
その手牌に霞は思わず二度見し初音の喉はひゅっと鳴る。
陰気な女 手牌
{一九19①⑨東南西北白発中8}
「こっ 国士無双! ……じゃ、ない!?」
「え、これって……!?」
「九種九牌」
陰気な女の抑揚のないこれまた底冷えするような宣言と共に東一局目は出鼻から流れとなる。
「嘘……{8}切りで国士十三面待ちなのに!」
霞の疑問は最もである。取り決め次第では十三面待ちのダブル役満もあり得た超絶なる好配牌をまさかの蹴り。誰もが愚かな選択だと怪訝な面持ちとなった。
だが霞達は知らない。
この時、神代小蒔の手牌は……
{5558白白白発発発中中中}
もしも女が国士無双に拘っていれば第一打で終わっていた。
「じゃ、じゃあもう一回洗牌するよー」
更に卓中央の洗牌口に牌を入れる際、山から零れ落ちた一枚の牌が表を向く。
{8}
それは神代小蒔の次のツモ牌になるはずの牌である。
つまりこの局、女が九種九種を選択していなければ国士を追おうとも諦めようとも役満を振り込むかツモ和了られていた。開幕から張り巡らされた人和、地和、大三元、四暗刻の四つの役満成就の可能性を回避した神憑りの判断。
「名……」
ただ一音、その一音だけで水を打ったように本殿内が静まり返った。
──姫様が口を開いた⁉ これまで私達とすら一切関わりを絶っていたのに!
神代小蒔の口から発せられた古風なそれは問いであって問いでない。見えない刃の如く女の首筋に突き付けられた絶対者の命令に、女は震え一つない抑揚ではっきりと答える。
「……竜」
「竜!? まさかあの!」
「知ってるの? 霞ちゃん」
「思い出しました! 全国大会個人戦優勝の甲斐学園代表選手!」
「えぇーっ!? 何でここにいるんですかーっ!」
神代は嗤った。本来の神代小蒔では到底見せれない獲物を前にした残忍な肉食獣の笑み……霞達の肝を一瞬で潰すその悪意を一身に受ける竜もまた──
「ふっ――いいだろう」
──微かに笑ったと言う……。
東一局 一本場 親 霞 ドラ表示牌{發}
仕切り直しとなり改めて気を引き締める霞と初美。序盤であろうとも甘い打牌は消してせぬよう慎重に神代の手配を予測する。
──捨て牌は索子と字牌……{赤5}も捨ててますし索子は取り敢えず大丈夫そうですよー
初美 打{4}
「
それは唐突に告げられた。
「へ……?」
神代 手牌
{二二三三四四2344②③④}
「満貫」
「へぅうっ⁉」
初美、痛恨の満貫振り込み。
通常の麻雀ならば運が悪かったで済まされる振り込みだがこの対局では意味合いは大きく変わる。初美からの点棒を受け取るその表情は、先ほど竜に対して見せた好奇心の欠片も感じさせない無機質なものであった……。
東二局 親 神代 ドラ表示牌{②}
誰もが警戒する神代の親番。直前に振り込んだ初美は勿論の事、霞や後ろで対局を見守る六女仙達もぎゅっと身を引き締めた。しかし……
「立直」
神代 打{横5}
「えーっ!?」
「ダブリー……ですか」
無情なるダブル立直に霞達は恐れ戦きながらも幸運にも配牌にあった{5}を揃ってを切り出す。
「自摸」
神代 手配
{五六七七八九234⑨⑨⑨北} {北}
ドラ表示牌{西}
{■}
ドラ表示牌{西}
{⑧}
「跳満」
「う、裏ドラがー!?」
東二局一本場 親 神代
竜 副露
{横北北北}
──竜さんが哭きましたか。しかしドラでも風でもない{北}ポン……と言うことは染め手ですか?
援護の為に捨て牌にない索子を連打する霞だが竜は目もくれない。そして三巡後、
「立直」
神代 打 {横9}
またもや神代の先制リーチが宣言される。二度目の親リー。場の誰もが固唾を呑む。
「カン」
竜以外は。
竜 副露
「ツモ」
竜 手牌
{234555567②} {②}
副露
──速い!
神代の連荘と言う悪夢に苛まれかけていた霞達を救うツモ。僅か六巡目での出来事に霞は舌を巻いた。
──{②}を切って染め手に移行すればドラとの絡みも期待出来るし{5}の槓材も哭いて槓ドラを乗せられれば前局の失点を取り戻し御釣りも期待できそうなもの。
しかも姫様の親リーが宣言されたあの状況で槓ドラを増やす危険を犯した上でなんの迷いもない加カン! からの嶺上開花! なんて判断!
「
「──ふ」
竜、僅かな点棒を得て神代の親を蹴る。しかしその目はただ虚空を見つめていた……。
東三局 親 初美 ドラ表示牌{②}
「立直」
神代 打{横白}
またも立直宣言。その勢いに微塵も陰りがない。
「自摸、満貫」
神代 手牌
{一一九九1199東東南南北} {北}
「ゔっ {北}単騎っ!?」
{北}は既に二枚場に見えていた。更に言えば他の対子のポン材も多く切られており哭く選択肢もあったのに地獄待ちの七対子を選択。直前に切った{白}は生牌で上がる確率は{北}よりずっと良かったのにも関わらずにだ。
ヒヤリ──ヒヤリ──と霞たちの心臓に凍えるような冷気が差し込んでいた。
東四局 親 竜
「ポン」
初美 副露
{横東東東}
{北北横北}
二度目の哭き、この哭きにより場が一気に沸騰し霞もその意図を汲む。
──初美ちゃんが鬼門を哭いた! なら既に他の字牌も手牌に……
薄墨初美の特筆すべき能力、それは北家時に{東北}の鬼門を哭き続けざまに{南西}を揃えて上がる確定の役満和了である。この常ならぬ能力により初美は九州地方屈指の得点力を誇る雀士として恐れられている。
これが通常の麻雀ならば警戒必死の場面ではあるが霞にとっては貴重な援護射撃となっている。今回の麻雀は霞達の順位や点差よりも神代小蒔を倒す、つまり彼女に憑りついている神に一位を取らせないことが重要である。接待麻雀で満足して高天原に帰ってくれるのならば簡単だがそのような楽観的な展望を抱ける相手ではない。
──なんとか初美ちゃんを援護できれば……!
「立直」
神代 打{横7}
霞達の希望を砕く神代の残酷な立直宣言。東四局目にして本来ありない程の緊張感が噴出する。
──嫌な立直ですね。でもこの手牌なら……
初美 手牌
{白南南南西西西}
副露
{横東東東}
{北北横北}
初美は既に張っていた。しかも大四喜・字一色の{白}単騎待ち。ダブル役満のチャンスは彼女の中でオリの選択肢を封印した。
──一発、来てください!
普段の彼女ならまず間違いなくツモる流れである。
「うぅ……」
初美 打{1}
そうそう都合よくはいかない。これまでが出来過ぎていたのだ。それにまだ局は中盤に入った頃、ツモ和了も出和了も一対三の色合いが強い今回の麻雀ではチャンスはいくらでもある。
そう思っていたのも束の間、戦慄が走る。
「
神代 手牌
{1333456②③④七八九}
初美は一発に振り込んだことよりもまず相手の手牌に役もドラも無いことに安堵した。
──た、助かりましたよー。立直一発だけならまだ……
胸をなでおろし点棒を渡す準備に入った初美を他所に神代はおもむろにドラ表示牌へと手を伸ばす。
ドラ表示牌 {發}
{■}
正確にはその下にある裏ドラ表示牌を。
ドラ表示牌 {發}
{2}
「満貫」
「ひゃぁっ またぁ──!?」
初美のはだけた巫女装束が更に乱れ一部ははじけ飛んだ。ここが衆目の場ならかなり問題のある光景だがいまはその様なことも些細なことと言える。
霞は裏ドラが三つ乗った事よりも神代の{7}切りに衝撃を受けていた。
「五面待ちを捨てて{7}切りの{1}待ち……⁉」
――{7}を手牌に残し{1}を切れば平和も付き上がりの確率も跳ね上がる。更に言えばもう少し手牌を育てればタンヤオや一気通貫も見えたにも関わらずほぼノータイムでの{7}切り立直⁉
偶然の幸運と片付けるには余りにも気味が悪く、洒落になっていなかった。
南一局 親 霞 ドラ表示牌{②}
散々な状況ながら幸いにも霞の手牌は何故か好調。7巡目にしてキー牌を引き入れこの形。
霞手牌
{横7}
{四五六六七⑥⑦⑧2346白} 打{白}
三色も見える平和一向聴。更に初美も霞の{白}切りを見て仕掛ける。
「ポン!」
初美 手牌
{②③③⑤⑥⑦⑧⑨發發}
副露
{白横白白}
前局での満貫直撃に精神をかなり疲弊させた初美だが彼女の本質は負けず嫌いのチャレンジャーである。一度や二度の振り込みで臆する軟な精神を持ってはいない。
九巡目 竜 打{④}
「チ……」
「
竜の捨て牌に待ってましたと鳴き宣言をしようとした初美を神代の声が遮る。
神代 手牌
{■■■■■■■■■■}
副露
{④横④④} 打{③}
強気なドラ切りに初美も更にギアを上げ食って掛かる。
「ポン!」
初美 手牌
{②⑤⑥⑦⑧⑨發發}
副露
{③③横③}
{白横白白}
その執念が実る。{②}切りで跳満確定の聴牌、当然{②}を手牌から切り出す。
打{②}
「
「……へ?」
神代 手牌
{一二三七七②②中中中}
副露
{④横④④}
「へぅ⁉」
「{中}のみ……!? そんな!」
南二局 親 神代 ドラ表示牌{⑥}
またも再び恐れていた神代の親。霞達の考えはとうに決まっている。ただでさえ人智を超越した存在、神が憑依している状態の神代小蒔の異常性は分かりきったこと。それも親番となれば無駄な色気で手役を作るのは自殺行為も甚だしい愚行。
相手が何であれ、どれだけ自分達が傷つこうとも、彼女らは諦める事は無い。
しかし神との対局は確実に彼女らの精神を削いでいった。
霞 手牌
{一五七28①⑨⑨東南西北北}
開幕の勢いなど何処へやら。配牌は陰りどころか死臭すら放ち始めていた。
神代手牌
{■■■■■■■■■■■■■■}
霞にとってそれは只の麻雀牌に見えなかった。牌一つ一つから強烈な悪意と殺気が漏れ出し部屋全体を覆い込むかのような幻視を見た。
──この局は不味い……対応を誤れば死ぬ!
対局は運に見放されたように低迷。結果終盤に差し掛かってもに二向牌止まりで霞も流石にオリを選択していた。
「……」
竜 打{4}
──通った!? 助かりました……これで{4}を処理できます。
霞 打{4}
神代 打{一}
「り……」
「初美ちゃん!?」
しかし流局まで残り三順となったところで遂に初美が突然賭けに出る。
「リーチ!」
初美 手牌
{四四六六六⑨⑨⑨南南南北北} 打{9}
自摸れば四暗刻。ロンでも跳満の勝負手。薄墨初美一世一代の賭けであった。
「──」
その打牌に対して神代に動きは無い。
──よ、よかったですよー。通りましたー。
神代からのロンの声が無いことに張り詰めた息を吐き出す初美。後は何とかはもう二順で上がるのみ……そう思ってたのも束の間、全く予想外の人物からありえない宣言が飛び出た。
「……カン」
竜 手牌
{■■■■■■■■■}
副露
{■99■}
「えーーっ! カンですかー!?」
引き入れた嶺上牌、哭きの竜ならば誰もがその牌で和了るものと思っていたにも関わらず、彼女は自摸った嶺上牌をそのまま場に打ち出した。
打{5}
「……
神代 手牌
{一二三55白白白發發發中中}
「あ、あぶないですよー⁉」
{中}を切れば大三元直撃の手牌に初美は生きた心地がしない。だが普通ならば怪我の功名とホッとする所だが霞は違和感に気づく。
──おかしい。この局はみんな自然と索子と字牌を絞っていた。この方はかなりの打ち手、そんな方がこんな終盤にわざわざ槓をしてまで引いた生牌の{5}を長考もせずに切る? まさかわざと振り込んだ? 次順、姫様が{中}を自模ると予感でもしていたと言うのでしょうか?
――な……なんて女!
困惑する霞だったがその意図に竜の闘牌を後ろで見ていた狩宿巴が気づき戦慄していた。
――竜が{4}を切る前にツモ牌を引いた際の手牌はたしかこの形。
竜 手牌
{横5}
{六111234678999}
{六}を切れば純正九蓮宝燈聴牌の九面待ち!
最高の聴牌が出来たはず。それに{六}がキナ臭いと感じていたならばなにも{4}ではなく{1}か{9}切りで通れ二順三順と安全が買えた。
けど、竜が{9}カンをして引き入れた嶺上牌は──
竜 手牌
{横中}
{六111235678}
副露
{■99■}
――嶺上牌は{中}だった! {六中}はどちらも生牌、でもこの状況で{中}を切るか普通⁉
だが巴はその時見てしまった。洗牌で崩れた山……初美が次に自模る牌の正体を……!
{中}
──うっ!? ちっ {中}!!
巴は独り恐怖した。神代ではなく竜、その心眼に。
――竜が振り込んでいなければハッちゃんが{中}をツモ切って大三元に振り込んでいた!
で、でもっ! それがどうして分かるの⁉
勿論それは非常に薄い確率である。たとえその可能性があったにせよ神代の手牌やツモ牌、更に嶺上牌までも予想しなければ手痛い振り込みを犯す意味など無い。
「――ふっ」
点棒を渡した竜は静かに、しかし確実に笑みを零した。牌は見えども巴にはどれだけ考えても竜の真意は見えてこなかった。
南二局 一本場 親 神代
霞 手牌
{一一二二三三五六七八九9北}
十巡目にして倍満や三倍満も見える手牌の気配。だがまたもや……
「立直」
神代 手牌
{■■■■■■■■■■■■■} 打{横5}
十一巡目に放たれる無情な宣言。霞の肌にじとりと汗が滲む。
──ここで親リー!? 姫様の捨て牌は殆ど筒子と字牌……このまま突っ張ればかなり危ういっ。
しばしの長考の後、霞は初美に目配せし牌を切る。
「……っ」
打{9}
「ろ、ロンだよー」
初美 手牌
{78西西}
副露
{123①①①⑨⑨⑨}
「……くっ」
忸怩たる思いであった。
勝負手を崩し味方に差し込み。
だが、霞は心のどこかでホッとしていた。
勝負をしなかった己を恥じるでもなく、振り込まず無事に済んだ己を慰めていた。
南三局 親 初美 ドラ表示牌{⑦}
初美にとって最後の親番ながらもその表情には恐怖以外の何物もなかった。ただ一刻も早く場を流し放銃を避ける以外の選択肢を取り払っている。既に少女の心は神の恐怖で染まり切っていた……。
そんな初美の恐れが功を奏したのか八巡目、
初美 手牌
{四五六56②②③④④⑤⑦⑦}
次順{4}か{⑥}引きの{②}切りで跳満聴牌も見える好形の一向聴が完成。
更に直後、霞も聴牌。
霞 手牌
{横中}
{①②③⑧⑨3456八八中中}
ドラの{⑦}で3,900だが神代も聴牌していないとはとても言えないプレッシャーの中、霞は──
打{②}
後ろで見ていた六女仙達が息を飲んだ。この局面で親でもない霞が安手を上がる意味はほぼ無いがそれでもせっかくできた聴牌を高めに作り変えるでもなくただ崩す行為に愕然とした。
困惑する彼女達をよそに場は急激に進行する。
「ポン!」
初美 手牌
{四五六56③④④⑤⑦⑦}
副露
{②横②②} 打 {④}
初美、聴牌とは言え跳満を捨て1,500のみのクズ手に変更。これにより霞は聴牌を失い一見すると二人の聴牌と一向聴が入れ替わっただけに思えるが実際は違う。
「そうか! 流石は霞さん達だ!」
「どういうこと?」
「この局は貰いました! 霞さんの和了り牌を初美さんは持っていませんがその逆は違います」
「あぁっ そうか! 初美さんが{②}ポンで聴牌すれば霞さんが{4}を差し込める!」
「しかも姫様に一切ツモらせない手出し不可能のアガリ一直線!」
沸き立つ六女仙の歓声を背に霞は最後のピースである牌を卓へと繰り出した
「これで!」
霞 打{4}
「ロ──」
抜群のコンビプレーで生み出した勝利に万感の思いで手牌に手を掛けた初美の口からアガリ宣言が出るその時、またも神代の冷たい声が割って入った。
「な⁉」
「え……⁉」
神代 手牌
{二二三三四四⑧⑧56777}
「断么九一盃口ドラドラ、満貫」
「きゃあぁぁぁっ⁉」
「へうぅぅぅぅぅ⁉」
満貫一閃。
完璧と思えた連係プレーは神代の頭ハネ、それも非常に手痛い反撃でもって水泡に帰した……だけではない。
観戦する六女仙達も初美も霞も、この異様さに心底震えた。通常ならばありえないこのアガリに。
──ありえない……! 今の和了もさっきの初美ちゃんの振り込みも普通なら絶対にロンなんてできないわ!
霞と初美は混迷と恐怖の渦に呑まれていた。今までの和了はまだ不用意な打ち込みや神代の強運でなんとか納得できるが南一局と南三局の二局の和了は全くの別問題……否、別次元と言えた。
──南一局目の初美ちゃんが姫様に振り込む前に彼女は{④}をポンしてドラの{③}を切った。つまりポンする前の手牌はこう。
神代 手牌
{一二三七七②②③④④東東東}
──一盃口{東}ドラドラの満貫。ドラ待ちのダママンを崩して{東}のみの1,300にしたばかりか竜さんが捨てた{④}を哭いてドラ{③}切り! そしてそのドラ{③}をポンして浮いた初美ちゃんの{②}でロン!
──わ、私の手牌が一向聴で{②③③}の形になっていると分かっていなければできない芸当だよー。
これだけでも驚嘆すべき事実だが更に霞達の思考は深まる。
──それに加えて今局の私の振り込み。初美ちゃんとのコンビ打ちはほぼ完ぺきだったはず。私の{②}切りで初美ちゃんは②ポン聴牌{45}待ち。次順で私が手牌の{4}を差し込んで終了だったところを頭ハネの満貫。
──姫様はそれまでツモ番なしで打つ手なしのはずです。つまり私達が仕掛ける以前から既に姫様は聴牌待機と言うことですよー……!
青ざめる、などと言う次元はとうに超えていた。
「神……!」
誰と言わず畏怖の声が漏れた。
読み……当て勘……計算……それらの言葉が虚しくなる圧倒的力。
神の力を借る霞達をあざ笑うかのようにその更に頂上の位置に座す神代の威光。いっそイカサマをしていると言われた方が霞達は気が楽である。だがそんな事実はない。ここにいるのは間違いなく神そのものなのだから。
「竜さん。私たち二人が援護しますので安心してください。きっと勝てます」
竜の連荘を促す霞の露骨な提案に狩宿は沈痛な面持ちを更に悲壮とさせた。
――無理だ。竜さんの親番とは言え互いの差は約80000点。今の姫様相手では例え三人がかりであっても勝てる気がしない。ましてやこの大差を埋めるほどの連荘など不可能だ。しかもこの一局で彼女が逆転勝利するには姫様からの役満直撃が条件ながらも今の姫様が振り込む可能性は皆無! となると勝ち筋は事実上ダブル役満以上のツモしかないという無茶苦茶!
確率の高いダブル役満は四暗刻単騎待ちだけど今回の麻雀のハウスルールでは純粋な役満複合しか認められていない。つまり四暗刻単騎待ちや国士十三面待ち等のダブル役満はただの役満でしかない!
それでも
それでも彼女なら
あの哭きの竜ならば勝てるかもしれない。
そう願わずにはいられなかった。
そしてこうも思った。
この対局から決して、決して目を離してはいけない、と。
オーラス 親 竜 ドラ表示牌{九}
竜 打{②}
――竜さんの第一打目は平凡な捨て牌。通常の麻雀なら気にも留めない一打ですが今回それは通用しない。
「
神代 副露
{■発発■}
――純粋役満の複合を目指さなければいけない縛りを知ってか姫様は一巡目にしていきなりの{發}暗槓。これで大三元・四槓子・緑一色が一気に消え、私の喉は引き攣り冷や汗も凍るようだった。
「
{■①①■}
{■発発■}
――清老頭を消す容赦のない連続暗槓。狩宿と同じく後ろで見守る
か細い蜘蛛の糸を断ち切るように姫様は役満を、ひいては私たちが必死にしがみつく希望を次々と目に見える形で消していく。
ただ一人を除いて。
「……」
私たちのように恐怖に慄きもせず、勝利を信じて戦う覚悟も滲ませず、ただ普通に卓上を見つめ牌を摘まんでいた。
「
それは怒りとも違う、ある種の恐怖にも似た問いかけ。けれどそんな問いすらも雑音のように聞き流し竜さんはとうとう希望を引き入れた。
竜 手牌
{横中}
{一一一二二三三三三⑥⑥⑥}
――す、凄い! この土壇場で四暗刻一向聴なんてっ! でも四暗刻でダブル役満を狙うには字牌が圧倒的に足りないっ!
それでも、それでも希望を信じようと天に祈る気持ちで見守る私の思いを竜さんは平然と裏切った。
霞 打{二}
「チー」
「え……っ!?」
「チーですかーっ!?」
竜 副露
{横二一三}
「
神代 打{⑥}
「カン」
──えっ 閃光った……!?
私はその光景を今でも鮮明に覚えている。
竜さんが槓した{東}は雷の如き閃光を放ちながら卓上を滑る様に流れて行きました。その光景を見た誰もが、姫様に憑依していた神すらもそれに見入っていたのです。
竜 副露
{⑥⑥横⑥⑥}
{横二一三}
「あ、あああああ! 霞ちゃん! ど、ドラが⁉」
驚愕の声を上げる初美先輩に促され皆の視線がドラ表示牌に注がれた。するとそこには更なる衝撃の現実が暗夜の中から顔を出し光に照らされていた。
ドラ表示牌{九一二⑤}
「
「オレに恐れなど無い。あるのはただ」
その時私は分かってしまいました。竜さんは神に、いえ……
「勝利への執念……だ!」
「ツモ」
竜 手牌
{一一二二三三中} {中} ドラ表示牌{九一二⑤}
副露
{⑥⑥横⑥⑥}
{横二一三}
不思議な光景でした。竜さんの勝利を祝うでもなく、姫様の無事を願う訳でもなく、神にお仕えする私たち全員が卓上に出現した神々しさに見惚れてしまっていたのです。
青天の霹靂でした。一局で逆転するにはダブル役満以外ありえないと誰もが思っていた中で、この方は大明槓の責任払いによる役満ツモで決着をつけてしまった。
それも{中}以外はすべてドラ。和了役は嶺上開花しかないという奇跡を超えた奇跡によって!
「うっ……りゅっ……竜ゥゥゥゥ!」
「姫様!?」
屈辱に歪み今にも襲い掛かりそうだった姫様の口元から蒼白く輝くモノが漏れ出ていました。それ自体にも驚きましたがまるで魂のようなそれが竜さんの身体へと吸い込まれていく様に私は目を疑いました。
自然と私の手がその中心へと伸びていた。
──触りたい……!
何故かその思いに駆られた私の手がその青白い肌へと触れるその瞬間、
バチィィイ!!!
一瞬、彼女の肌との間で閃光が弾けた。
落雷に撃たれたような感覚だが痛みは無かった。
──さ、触れない!?
その閃光はまるで竜さんに触れるのを拒むように私たちの間に不可視の壁を作っているかのようだった!
──こ、この人は!
私は遂に悟った。眼前にいる存在の本質、本領、本域……その真を!!
──生者でも、死者でもない! 穢土の地に立っていながらっ!! この方の魂は黄泉そのもの!!!
愕然の最中、ソレが初めて振り返りその目が私を初めて捉えた。
「かはっ──!?」
私の心臓を震わす衝撃。氷の剣で心臓を穿かれたような感覚を感じる頃には意識は空に溶け消えていた。
私が目を覚ますと、悪神は消え去り空は既に本物の太陽が輝いていた。
あの方もまた、何処かに消え去ってしまっていた。
哭きの竜:本名不詳。住所不定。無職。人間なのかも怪しい存在。ブラックホールのように人を惹きつけ最後は飲み込み殺す疫病神。麻雀の腕は一流、それに加え強運。ひたすら強運でありそれ以上の理由はない。竜と麻雀を打つと運気上昇するが結局最後は死、なのだが竜を求める存在は尽きない魔性の存在。