哭きの竜、復活ス!
余りにも大仰なその朗報は驚愕と歓喜を伴い光の速さで全国へ駆け巡った。
そして放送された東東京地区予選での闘牌に未だ彼女の麻雀は健在であると知られることとなった。個人戦後の夕方のニュースには特集が組まれネットではお祭り状態となりいくつものスレッドが乱立していた。
全国の麻雀少女達も彼女との対戦を夢見、既に敗れた者は一部を除きその名に恐怖していた。
世間が竜の復活騒ぎに興じ明日の本選を待ち望む中、当の彼女は予選会場から帰路に着くこともせず東京の夜の街を歩いていた。懐かしさなど感じていない。ただ、歩いていた。まるで己の存在を探しているように……。
「あのぅ、ひょっとして甲斐学園の竜さんですか?」
「……」
夜の帳もかき消す人工照明の雨の中、一人の少女が声を掛けた。顔が知れてからはこの手の声掛けは珍しくもない。普段ならば無視して通り過ぎる所だったが大人びた少女の憂いを孕んだ表情を見ると、何故か竜の足が止まっていた。
「やっぱり……! 私、甲斐学園の生徒なんです。私、去年の全国大会見ました。今日の予選も」
「……」
「あの、どこに行くんですか? 近くに家が?」
竜はじっとその少女の顔を見ていた。
「も、もしよければウチに来ませんか? すぐそこなんです。それに私、一人暮らしなので」
なぜその少女に着いていったのか。それは竜にも分らなかった。何故かその顔を見た時に、深い懺悔と……憐憫にも似たものがふつと沸いたのだ。
「どうぞ、狭い所だけどあがって」
女子高生の住まいとは思えない殺風景なワンルームのアパートには、必要最低限の家具と生活必需品しか置かれていなかった。一目で彼女以外の同居人が存在しないと分かる。
「待っててね。今何か作るから。それともお風呂に入りますか?」
竜は無言で畳の上に座り俯いた。言葉は無かった。だが拒絶の意を示さなかった事に女は喜んでいた。
「ね、ねぇ……もう真っ暗になっちゃったし、今夜は泊っていって。ねぇいいでしょう?」
テレビもラジオも無い部屋の中で、竜はただ静かに──本当にただ静かに目を閉じた。
窓際に立てかけられた一輪の風車がカラ、と廻り朝日が窓から差す。
竜と少女は同じベッドの中にいた。
「ねぇ、今日の本選頑張ってね。あ、お弁当作ろっか?」
何も答えず気だるげな表情でベッドから起き上がり散乱した服を着る竜の背中に少女は抱き着く。まるでその存在をしかと確かめるように。
「私、あなたの事が知りたいの。ねぇ何でもいいの。なんでもいいから話してちょうだい」
女の息遣いと震える腕の温もりを背中に感じながら竜はサングラスを掛け女の方を向く。
「……博打打ちに、女は要らない」
それだけ言い残すと女の腕を振り払い部屋を出ていく。バタリと閉まったドアをに女は縋るように項垂れる。
「待ってるから。私、ここで待ってるから」
部屋の中で少女の啜り泣くような小さな声がだた、零れ落ちた。
──個人戦会場──
「さぁ始まりました! 東東京地区個人戦本選! 既に会場のボルテージは最高潮です!」
福与アナウンサーの熱のこもった実況に呼応するように会場内は凄まじい熱気が充満していた。個人戦本選は予選の東風戦とは違い半荘で行われる中・長期戦である。短期決戦の予選で力を出しきれなかった者も本戦では牙を剥く事になるのは明白である。
しかし今回はそれらの熱以外にも別種の熱が存在していた。
「注目はなんと言っても甲斐学園の竜選手! 予選で見せた麻雀を再び我々の前に見せてくれるのか〜~っ!?」
最早言わずもがなである竜の存在だ。
予選を華麗な哭きと和了で一位通過した彼女の麻雀を見ようと会場内外でギャラリーがごった返し、多くの選手たちはその別次元の強さに早くも顔を青くしていた。
「他の選手もいるんだから偏った実況はしない方が……」
「昨日はインタビューする前に逃げられましたが今日こそは優勝インタビューを皆様の前にお届けします!」
「いや、だから決めつけない方が……」
「早速本選出場を決めた各校選手たちが会場にそろい踏みです! おおっと! やはりと言うべきか竜選手は現れていません! 試合開始時間までに卓に着けば問題ありませんがそれでいいのか健全な女子高生!」
「やっぱり私はスルー⁉」
福与アナウンサーの実況の通り竜は予選と同じく試合開始ギリギリになってようやく現れ大会関係者をやきもきさせた。青少年の健全な発達と教育を目指す大会側としても竜の不真面目とも取れる態度に注意をしようとしたが彼女の鋭い眼光に睨まれると皆一様にして口を噤んでしまっているのだから仕様がない。
「さぁ個人戦本選開幕です! 果たしてどのような激闘が見られるか──っ⁉」
「本戦は午前4回・午後6回の計10回の半荘戦だから長丁場になるね」
戦いは始まった。
大方の予想通り序盤から臨海女子の猛攻で火蓋が切られ、中でも辻垣内智葉の麻雀に場内は沸く。
二回戦
智葉 手牌
{横三}
{二四五六六12344①②③}
「リーチ」 打{横六}
八巡目にしての先制リーチ。他家の表情が強張る中で智葉の脳裏には一抹の不安があった。
「ツモ」
智葉 手牌
{二三四五六12344①②③} {四}
「い、一発!」
「くっ!」
「三色でないだけマシかっ」
智葉は裏ドラにその不安を打ち消すかのように手を伸ばすが……
ドラ表示牌{六}
{九}
──よれたか……
智葉にはツキが無かった。思えば予選一回戦の国士無双が絶頂でありそれからは暗雲立ち込め五里霧中を彷徨うばかり。
点棒の山とは裏腹に心中は飢えていた。
四回戦
「ツモ」
智葉 手牌
{七八九①①①②②③③} {④}
副露
{9■■9}
「決まったー! 臨海女子は留学生のみに非ずと言わんばかりのアガリ! 強いぞ辻垣内智葉~~! 前半戦をトップ通過です!」
勝利を得る度に智葉は感じていた。
ドラ表示牌{7⑧}
己自身の器の大きさを。
──そうか……お前も竜の味方か。上等じゃないか‼
『ツキ』から見放されていくような……運がない‼
それは智葉にとって初めて味わう辛酸であった。
暗い暗い夜道の中を、一人の女が己を見てあざ笑っているように見えた。それは勿論……
「ロン」
竜 手牌
{6789} 対面 打{6}
副露
{④横④④}
{横八七九}
{横⑨⑦⑧}
「三色ドラ3」
「い、イカサマだ! こんな立て続けに都合のいいドラやツモ牌が揃うはずがない!」
竜への振り込みによりトップからラスへと一気に転落した対面の少女は焦点の定まらぬ血走った眼で睨み声を張り上げた。周辺が騒然となる中で竜は次なる卓へと向かうため立ち上がり対面に背を向ける。
「な、なにか一言言ってみろ! 逃げる気かっ 竜!」
「背中が煤けてるぜ」
「な な な なんだと~~~~っ」
更に激昂した少女にあわや乱闘かと周囲から悲鳴が漏れる。しかし竜は一度だけ振り返ると少女をまっすぐに捉え、言い放つ。
「……他人の命かまうより、己の命────磨きなよ」
「あわわっ」
今しがた激怒していた少女は去り行く竜の背中を前に怯えた子供のように腰を抜かしガタガタと震えた。
「ま、負けたぁ! な、哭きの竜~~~~っ」
人目も憚らずに大粒の涙を流し慟哭する少女は、この日を境に麻雀をやめた。
次なる修羅場へ続く通路を歩きながら竜は感じていた。
遅かれ早かれ、辻垣内智葉が自分の前に立ちはだかることを。
「遂に! 遂にこの時が来てしまいました! 本選最終局! 現在トップは臨海女子代表の辻垣内智葉選手! それに続くは甲斐学園代表の竜選手です!」
「スコアは互いにほぼ同列で3位以下を突き放してるね。二人とも全国出場枠の三人には入るだろうけどそうなると気になるのは……」
小鍛冶プロの解説通りこの会場内にいる多くの観客や選手たちの多くはある一つの疑問を抱いていた。
「対局室に選手が入場してきました。まずは辻垣内智葉選手! 基本に則し相手の手牌をも予測した打ちスジで攻守ともにスキの無い麻雀で予選・本選を勝ち進みました!」
「シンプルに麻雀が上手い子だよね。よっぽど基礎練習を積まないと出来ない打ち方だよ」
「そして迎え撃つは竜選手! 異端! 異能! 理解不能の鳴き麻雀で他を圧倒するアウトサイダー! ついたあだ名は哭きの竜! 彼女との対局を経て既に何人もの選手が人生を壊されたという魔性の女!」
「だから彼女だけ実況の毛色がおかしくない? あの子まだ高校二年生だよ?」
――対局室――
竜と智葉。既にこの対局は二人の差し勝負と言っていいものであった。他家二名も自身のスコアを気にはしていたが両雄の殺気とも冷気とも言える雰囲気に吞まれていた。
「竜、お前が対面か。ちょうどいい。お前の顔がよぉく見れる」
智葉は依然として自身の運を見失っていた。しかし竜の前では決して弱気など見せるつもりは無かった。
多くの観客が見守る決戦は早くも動きだす。
「ツモ」
辻垣内 手牌
{二二三四五六七678⑥⑦⑧} {五}
「
早アガリで機先を制したはずの智葉の表情は晴れない。いや、むしろ更に険しく真一文字に口は結ばれる。
「ツモ‼ マンガン‼」
次局も和了、差を更に広げた智葉。しかし直後、彼女の持つ匕首が卓上に突き刺さる──
「竜、これは何の真似だ……っ!」
──ように見えた。
実際には匕首など智葉は持っていない。しかし竜にはハッキリと卓上に光る匕首の刃が見えた。
それは憤怒。
それは不審。
それは疑念。
「前局もこの局も
智葉 捨て牌
{西⑨東三八⑧}
{横五9⑥}
竜 捨て牌
{西⑨東三八⑧}
{五9⑥}
「律儀に順番まで……っ! この勝負はお前にとって何だ! 私は全てを懸けてここにいる! それをお前はっ お前は~~~~!」
「ふっ」
「何がおかしぃっ!」
竜はおもむろに自身の伏せた手牌に指を這わせ人差し指一本で左端の牌から順番に捲り上げた。
竜 手牌
{1■■■■■■■■■■■■}
{1234■■■■■■■■■}
四枚目の牌を捲った時点で智葉の目が見開かれる。
{12345678■■■■■}
辻垣内 手牌
{九九九2223456777} {3}
――実況席――
「な、なんという闘牌でしょうか⁉ まるで辻垣内選手の手牌と対を成すかのように呼応する竜選手の手牌! しかし何故! 何故このような打ち方をするのか全く分かりません! 場内は騒然となっております‼ すこやん、解説を!」
「……」
福与はチラリと隣の小鍛冶にヘルプを出す。如何に麻雀大会の実況を行っているプロアナウンサーであろうとも実際の現役プロ選手の解説には及ばない。しかも今回はあの哭きの竜の闘牌である。明朗快活な実況で誤魔化してはいるものの既に対局室で何が起こっているのか彼女は皆目見当もついていなかった。
「えーと小鍛冶プロ、解説お願いしてもいいですか?」
そこにきて自分の隣にはあの小鍛冶健夜がいると自負していた。普段はフランクに接している間柄だが麻雀の実力は国内最高峰であり世界でも五本の指には入ると確信しているこの親友ならば意味不明の闘牌にも何かしら答えを出してくれると期待して話を振った。
「こーこちゃん」
「は、はい?」
しかし……
「ちょっと黙ってて」
「へっ⁉ あ、はい……ごめんなさい。さ、さぁ! このまま逃げ切りとなるか辻垣内選手! それとも逆転なるか竜選手! まだまだ対局は始まったばかりです!」
頼みの親友はもう福与を見てはいなかった。その横顔はもう何年も見ていない、記録映像の中にしかいない最強と呼ばれた最盛期の小鍛冶健夜そのものであった。
東三局、東四局と過ぎ……迎えた南一局
智葉も、他家も、福与も小鍛冶も観客も既に気づいていた。
「竜! 何故哭かないっ⁉」
東場を終え、未だ竜は哭いていなかった。通常ならば疑問を挟む必要もない事だがあの哭きの竜に関しては異常事態と言えた。
「……」
「私は、私には必要ないと言うのか? 哭く価値もないとっ どうなんだ竜⁉」
竜は答えない。言葉など、答えなど、端から智葉も期待していなかった。
智葉 打{北}
「くっ……哭け、竜」
それでも智葉は竜へ思いをぶつける。
打{⑤}
「哭くんだ。哭くんだよ竜っ」
怒りの表情のまま、しかしまるで懇願するように。
打{3}
「哭くんだよ~~~~っ」
観客席にいたメガンは親友の姿を直視出来ずにいた。
「サトハ……っ」
余りにも、憐れ過ぎた。
いつしか智葉の髪留めは解け、腰にまで届く長髪が怒髪冠を衝いていた。
されど、迎える竜は水面の如し静謐。
上家 打{一}
上家にして見れば四巡目と言う序盤も序盤、しかも手牌とまったく絡まない{一}を切ることに抵抗は無かった。
それを──
その牌を──
竜は待っていたかのように──
──静かに、哭いた。
「竜……っ」
己を通り越し牌が哭かれる光景に智葉は痛感してた。
この女には恐怖と言うものが存在しない。
ましてや極限状態などどこにも見当たらない。
ただ一つ言えるとしたら闘い続けることを止めた時、この女は自ら死を選ぶであろう。
智葉は竜という存在に憎しみを超えた同じ人間としての愛しさを感じていた。
「──いいだろう。その喧嘩、買ってやる。この辻垣内智葉の全てを懸けて買ってやる‼」
竜の女
哭きの竜本編にて賭麻雀に勝利した褒美としてヤクザの親分からあてがわれた女。通称(待子)
愛想笑いすら見せない竜の何処に惚れたんだと全読者が疑問に思うほど竜にひたすら尽くす女。雪降る雀荘の前でコートを羽織りひたすら竜を待つ姿は名シーンだが残酷。その後やや竜がデレる描写もあったが最終的には彼女の幸せを祈り竜が突き放す形で別れる。が、
竜を忘れられない彼女は最後まで竜を追うが突然現れた車に撥ねられ救急車の中で息を引き取る。最後に竜の幻を見て満足して死ぬ。
本人は幸せかもしれないが登場人物の中でもひたすら不幸な女。やくざ映画や不良漫画に出てくる主人公に付き従う役割のような存在。とにかく登場人物は不幸にしてやるという作者の残酷な意思を感じられる。