これは、僕が――――――までの物語だ。
世界総人口の約八割が何らかの特異体質、すなわち個性持ちである超人社会。
ヒーローという職業が台頭し、富と名声を得ていた。その人気と国民への浸透ぶりは高校の段階から養成校が存在するほどである。
その最難関こそ、国立雄英高等学校。あのナンバーワンヒーロー『オールマイト』や『エンデヴァー』などの数多くのトップヒーローを輩出してきた雄英高校ヒーロー科は、偏差値79、倍率は300を超える。
校門をくぐりぬけ受験者達が試験前のプレゼンテーション会場へ向けて足を運ぶ中、立ち止まる一人の少女がいた。
受験者達は皆一様に中学校の制服を着ており、例に漏れず彼女もまたそうであった。
が、しかし。
赤い角襟に赤いスカーフのセーラー服、そして赤いスカートは黒が殆どの制服を着た受験者が多い中では、否応なしに目立っている。
他にも、目立つ要素はいくらでもある。頭部には黄色いヘッドバンド。膝を通り越すほど長い黒髪は首と太股の高さで、これまた黄色いリボンで結ばれている。
脚部には黒いソックス。強い拘りでもあるのか屋外だというのに上履きを履いているのが、彼女の恰好の中で一際謎な点である。
「君、そんな所で立ち止まっていたら迷惑だぞ」
そんな彼女に、勇敢にも眼鏡の少年が声をかけた。外見や物言いからして如何にも規律を重んじ、マナーにやかましそうな真面目君だ。
「これは失礼。感慨深くてつい足を止めていたみたいだ」
どこか芝居がかった口調で少女は答える。振り返った少女の表情と声がこの場の誰とも異なる雰囲気を纏っていたので、少年は微かに瞠目した。
続けて、少年は今しがたの彼女の言葉に引っ掛かりを覚えた。校舎よりも行き交う少年少女達の方に目線が行っていたような気がしたからである。
とはいえどちらだろうと些細な事だ。かぶりを振って、気のせいだと思うことにした。
「そうか。誉れ高い雄英高校を間近にして見惚れる気持ちは分かるが、くれぐれも気を付けるといい」
少年はそう言うと会場へ向けて歩み始めた。
「もし」
その背に、声がかけられた。
「良ければ、僕を会場まで連れて行ってくれないか」
僕。女性にしては珍しい一人称に、少年はまたしても彼女の雰囲気に呑まれた。
そうでなければ、彼の口からは「事前に把握しておかなかったのか」という叱責が飛び出していただろう。
会場の場所くらい学校案内のパンフレットを見れば載っている。受験者達の後をついていけば迷うこともないはずだ。彼女の発言には突っ込みどころが山ほどあった。
「構わない」
相手を疑うよりも、まず信頼する真面目君である。入試を前にして一人でいるのが不安なのだろう、と少年は考えた。
どのみち、会場までは近い。この程度の些細な懇願を拒むほど彼は狭量ではなかった。二人は連れだって歩み始める。
「僕は
「俺は飯田天哉だ。よろしく、安心院さん」
自己紹介まで交わしてしまったが、長い付き合いになるとは限らない。
飯田も落ちるつもりは毛頭無い。が、彼視点では安心院の筆記・実技の成績は分からないのだから、ここで関係性を築くのはあまり得策とは言えない。彼女が落ちた時は二度と会うことは無いのだから、気まずさというよりは情を抱くと後に引きずり兼ねないという意味で。
それでも自然と会話を続けたのは、不思議と彼女の実力が不足しているとは思えなかったからだろうか。
「君は何故雄英高校を受けるんだい?」
「うちは代々ヒーロー一家なんだ。兄に憧れてヒーローを目指している」
さして驚く素振りもない。
今やヒーロー飽和社会とあって血縁者がヒーローなんて珍しくもないとはいえ、兄を誇りに思う飯田としては彼女の反応は決して満足いくものではない。
インゲニウムの名を出せばその反応も少しは違っただろうか、と飯田は考える。
が、そこはグッと堪えた。自慢したい気持ちもあるが、身内の自慢ほど聞いていて煩わしいものもない。その辺、気配りができる少年だった。
暫くの無言。こちらが答えたのだから自分も語るだろうと思っていた飯田と、特に用は無くなった安心院の間のすれ違いである。
「そういう安心院さんはどうなんだ?」
聞かれていないのに自分語りをするのに抵抗があったのか、と彼女の心境を推測した飯田が切り出した。
「僕は――」
言葉はそこで途切れる。
気づけば、二人は入学試験プレゼンテーション会場へと着いていた。
言葉の続きに後ろ髪を引かれないわけではないが、迅速な行動が染み付いている彼は立ち止まることはなかった。
「ここまでのようだ。お互い、受かると良いな」
言って、彼は眉を顰める。
それ見た事か。ほんの僅かに言葉を交わしただけなのに、もう情が湧き始めているではないか。入試に集中しなければ、と彼は自戒する。
飯田は彼女を置いて、早々に指定された席へと向かった。
「今時、眼鏡君が主人公だっておかしくはないか」
遠のく安心院の小声の呟きを、彼は聞き取れなかった。
7つある演習会場の内の一つ、演習場F。
市街地を再現した広大な演習場はもはや本物と遜色なく、まるで街を丸ごと切り取って持ってきた様である。
一人の人間を生涯街から一歩も踏み出させず偽りの世界を見させるという思考実験が安心院の頭に過った。それくらいの完成度であり、この街一つで全て完結するのではないかと思わせるほどの再現度であった。この施設が7つもあると考えると、雄英高校、ひいてはヒーロー業界の資金力を思い知らされる。
10分間の模擬市街地演習を前にして緊張する受験生達の中で唯一、彼女はそんな事を考えていた。
気が付けば、彼女は飯田の姿を探していた。
彼は入試説明の際も、0Pの仮想ヴィランについて質問していた。
最初に目を付け言葉を交わしただけあって多少気になっていたというのもあるが、受験生の中で既に存在感を放つ彼は、安心院の中に色濃く刻まれていた。
しかし集団の中に飯田の姿は見えないと分かると、まるで全てに興味を失ったかのように目を逸らした。
気を抜いていたというより、端から試験自体どうでもいいという風な態度を取っていたものだから、試験開始の合図の件にも反応しなかった。
全員が門を潜った後、殿を務めるかのようにゆっくりと歩み始めた。
モニター越しに試験を見ている教師達は、怪訝な目を向ける。
「緑谷出久、安心院なじみ。大幅な出遅れが2名もいるなんて」
「出遅れと余裕は違うのさ」
ネズミとアリクイの中間のような、判別の付かない小さな獣人。彼こそが雄英高校の校長である。
「……まあ確かに、態度を見ていれば分かりますが」
片や出遅れたと知るや必死の形相で猛ダッシュを始めた少年。
片やそんなことは気にも留めず、悠々自適に歩み始めた少女。
誰の目に見ても、違いは明らかだった。
「しかし、遅れは遅れ。不利であることには変わりませんよ」
仮想ヴィランロボットに会敵した受験生達が、次々と撃退しポイントを稼いでいく。
他の受験生達が走る中で歩いている安心院。彼女が辿り着く頃には一機も残っていないだろう。
この場にあるロボットだけではない。彼女が走り始めない限り、逐次投入されるロボットも狩りつくされる筈だ。
「(余程個性に自信があるのだろうが、その慢心が仇となったな)」
もう一人の出遅れ、緑谷出久は何とか集団に追いついた。
ロボットを誰よりも早く見つける索敵力、ロボットを倒す戦闘力は無いようだが、必死に食らいつかんとするその態度の方が、まだ好感が持てた。ヒーローを目指す生徒としてあるべき姿がどちらかと言えば、全員が口を揃えて緑谷を選ぶだろう。
安心院の余裕綽々とした態度から推測される性格を鑑みるに、レスキューポイントも期待できない。何人かの教師は、早々に見切りをつけた。
「あれ、何かおかしくありませんか」
モニターに映るマップ上の赤い点は、仮想ヴィランを示している。
教師達は、受験生達の集団から離れた、まだ発見されていないロボット達の動きに違和感を覚えて声を上げた。試験場の外周に位置する一部のロボット達が受験生らを迂回して移動しているようだ。
それらが一直線に向かった先は、件の少女の元であった。
「誤作動か?」
「ちょっ、流石にこの数は不味いんじゃないですか」
行動ルーチン――特にターゲティングアルゴリズムに異常があるのは間違いない。リカバリーガールでも治せず後遺症が残るレベルの大怪我は負わせないようにプログラムされている筈だが、それも上手く働いているのかどうか。
「緊急停止させろ!」
「できません、制御不能です!」
「まあまあ、もう少し放っておこうじゃないか」
「何を言っているんですか校長!」
明らかにフェアじゃない今この状況は、世間からの追及を免れないだろう。それ以前に、彼女の生命が脅かされるというもっと深刻な問題がある。声を荒げる一部教師陣は、校長の発言が正気の沙汰とは思えなかった。
「ロボットは暴走してるんじゃない、制御を乗っ取られているのさ」
ロボット達は、受験生達の位置情報を知らない。にも拘らず一斉に安心院の元へ向かったということは、誰かがロボットを操っているということになる。
「同じことでしょう!?」
どちらにせよ今すぐ試験を中止すべき事態だ。いや、ハッキングを受けているのであればセキュリティ上の問題にも波及する。もはや試験の中止だけでは留まらない。
「制御を乗っ取って受験生に危害を加えたいなら、何故彼女だけを狙うんだい?」
「それは……」
ヴィランによる試験の妨害なら、態々遠くにいる彼女を狙う必要は無い。死傷者を出させるのが目的なら、まだ出現させていない0Pヴィランを乗っ取るのが一番効率的だ。
校長の言う通り色々不可解な点があるのは確かだが、それでも彼らは放置が最善策とは思えなかった。
数十体のロボットに囲まれて尚、安心院は微笑を絶やさない。
教師達に緊張が走る中、ロボット達の様子がおかしくなる。
カメラや各関節部から火花が飛び散ったかと思うと、直後にロボット達が爆発した。
「これは一体……」
「彼女の個性か?」
「機械を操って爆発させたのか」
どこまでが操作の対象になるのかは分からないが、電子機器全般が含まれるのであれば現代社会においてその個性の有用性は論じるまでもない。ここにきて、彼女の余裕振りに納得がいった教師達である。
相当遠くからでも操れるにも拘らずその場で爆破させず、安心院の元まで仮想ヴィランを誘導したのは、撃破者が自分であることを試験官にアピールするためか。
「機械を操る個性……この試験ではこれ以上ない最適解ですね」
ただ一つ、彼らが見逃していたことがある。それは、ロボットをどう操作しようと外部からの衝撃無しに爆発させられる仕様ではないということだ。
「不正解。彼女の個性は機械を操る個性ではないのさ」
校長は各受験生達の個人情報の中から、安心院をピックアップして教師達に見せた。
「『
立ち込める黒煙の中から、ゆるりとした足取りで一人の少女が現れる。
「機械を操るスキル『
スクラップとなったロボット達を背にした彼女は、まるでそれがお決まりであるかのように淡々と言葉を紡いだ。続けて彼女は、わざとらしい口調でこう言った。
「1京しか無い貴重なスキルを2つも使ってしまったぜ――――おっと、スキルじゃなくて個性だった」