結局、安心院属するチームIは時間切れで勝利した。しかし両チームとも講評での評価は芳しくない。安心院と轟は終始見つめ合っているだけであったし、安心院はその気になれば捕まえられたであろう障子を逃している。2対1にも拘わらず正面戦闘で捕縛に至る有効打を持たなかった尾白と葉隠2人も、本来であれば捕まっていたはずの障子も評価は低い。
「僕としたことが、これじゃまるで
「真面目にやらないからだ」
過負荷とやらが何を指しているのかは不明だが、結果に不満があるなら本気で取り組めばよかっただろう、と飯田は少し怒気を孕んだ声で言う。
「おいおい、あれが最善かもしれないだろう? 瞬間移動にはインターバルが必要だったり」
「何、そうなのか!?」
「いや別に」
実情を知らずに物を言ってしまったと反省しそうになったところを裏切られた。ますます怒り心頭に発する。宥めるように、物の
そうこうしているうちにホームルームの時間がやってきた。教壇に立つ相澤の片手には、資料が握られている。
「昨日の戦闘訓練、お疲れ。VTRと成績見させてもらった」
相も変わらず充血した目で、教室を見渡す。視線は一人の少年に止まった。
「爆豪、お前もガキみたいな真似するな。能力あるんだから」
「分かってる」
指摘されてすぐは拗ねる様子も見せたが、何か思う所があったのか珍しく素直に忠告を受け入れた。
「で緑谷は……また腕ぶっ壊して一件落着か。個性の制御、いつまでもできないから仕方ないじゃ通させねぇぞ」
緑谷は返す言葉もなく、俯いて悔しさに歯嚙みする。
「俺は同じ事を言うのが嫌いだ。それさえクリアすればやれることは多い。焦れよ緑谷」
「はい!」
一転、晴れた顔になった緑谷は元気よく返事をした。
「それと安心院。お前は手を抜きすぎだ」
「抜かなきゃ際限ないんだから、仕方がないってものだろう」
生徒と教師という関係性でありながら、馴れ馴れしい口調に変化は見られない。とはいえそれを言いだせば爆豪もそうだ。もはや咎めまい。呆れた顔で、相澤は流した。
「……個性のこと、まだ隠すつもりなのか?」
「聞かれてないから言ってないだけだぜ」
彼女の個性は『瞬間移動』ではない。彼女の真の個性は『個性を作る個性』という規格外な個性で、瞬間移動はそれによって作られた個性の一つに過ぎない――ということになっている。
「(まあいい。隠していても、いずれは周知される)」
遅かれ早かれ瞬間移動だけで乗り切るのには限界を感じる時が来る。最初から一つの個性しかなければそれでもプルスウルトラの精神で乗り越えていけるのだろうが、なまじ新しい個性を作るという逃げ道が用意されているために、諦めるのは早い筈。
午前の授業が終わり、食堂で昼食を取る緑谷一同。その中に安心院の姿は無かった。思えば、誰も彼女が口に物を運ぶところを見た事が無い。霞でも食べて生きているのかと疑われるのも秒読みだ。
「ところで安心院さんって、何で委員長に立候補しなかったの?」
麗日が、ホームルームで行われた学級委員長決めに言及する。飯田が投票によって委員長を決めるよう提案した際、安心院は自分への投票を無効票とするよう申告していた。
「さっき聞いたんだが、曰く『徹底してるわけじゃないけどあまり波風立てたくない』らしい。あと『
「安心院さんなりの考えがあってのことなんだろうけど、まさか投票まで放棄するなんて」
「民主主義としては、白票は歓迎するべき行為ではないのだが……」
そうやって、緑谷が委員長の責任への不安を吐露したり、飯田が実家についてカミングアウトしたりしていた頃。話に挙げられた安心院は木の枝に腰掛けて、校門前の群衆を観察していた。
「セキュリティ3が突破されました。生徒の皆さんは速やかに屋外へ避難してください」
警報と共に校内アナウンスが流れる。今まさに、安心院の目前でマスコミと見られる集団が破壊された正門のセキュリティを突破して学校敷地内に侵入しているところだった。
「下手人の正体と目論見は分かったけど、僕がどうこうしてやる義理はねぇな」
およそヒーローとは思えない心構え。声音も表情も、彼女こそ黒幕なのではないかという程に冷酷だった。
背後の校舎の方で、生徒達が騒ぎを起こしているのが分かる。いくらヒーローの卵といっても、所詮は子供。緊急時に理性的に行動できるわけではない。それでも、迅速に避難という行動を取れただけマシかもしれない。
「今回は見物させてもらおうかな。精々頑張ってくれよ、ヒーローにヴィラン共」
偶然、彼女の声を聞いた群衆の内の一人がふと頭上を見上げる。風に揺られる木々が騒めくだけで、そこにはもう誰もいなかった。千切れ落ちた木の葉が、見上げた男性の鼻先を掠める。しばし呆けていた彼は雪崩れ込むマスコミ達に背後から押されて、我に返る。
彼はこの後到着した警察に不法侵入でしょっぴかれる、あるいは注意を受けることだろう。そして仕事場に戻り、家に帰り、食って、寝る。毎日金のために働いて、飽きもせず娯楽を謳歌し、ただ生きるために生き続ける。きっと彼は今日のことなんて気にも留めず、彼女の声を聞いたことも数日後には忘れてしまう。
――彼女とはもっとも遠く、決して分かり合えない人種だ。
それから、生徒達はごく普通の高校生活を過ごしていた。雄英も基本的には高等学校であることに変わりはない。ただ、ヒーロー科をヒーロー科たらしめているのがヒーロー基礎学。オールマイト担当による戦闘訓練も記憶に新しい内に、次のヒーロー基礎学の時間がやってきた。
今回は人命救助や災害被災地等での救助活動を学ぶレスキュー訓練。ヒーローというとヴィランと戦う姿ばかり持ち上げられがちだが、これも立派なヒーローの業務である。よく公安がヴィラン受け渡し係と揶揄されるが、そういう意味では消防や自衛隊の仕事もある程度奪っていると言える。決してそれは悪いことではないが。
嘘の災害や事故ルーム、略してUSJという非常に危険な名称の演習場に、生徒達は一堂に会していた。
スペースヒーロー13号による本演習の趣旨についての演説を聴講し、生徒達が拍手や称賛を送る中で、安心院は無感動に聞き流していた。監視対象として彼女を視界の隅に収めていた相澤は、人形のように表情を変えない様子に不気味さを覚える。
「(こいつ、まるで……)」
まるで、はしゃぐ園児達の中に1人だけ大人が混じっているような。この演習、いや学校生活をNo.1ヒーローを目指す上での通過点としてしか見ていない轟など、冷めた生徒はいる。だが、安心院はもっと根本的な所からずれているような気がした。
違和感の正体に辿り着く前に、それは起こった。相澤は気配を感じて振り返る。
噴水前の空間に黒い渦が現れる。渦は一気に膨張したかと思うと、壁のように屹立した。そこから、人間の手が這い出てくる。開くように押しのけて穴の縁を掴むと、誰かが顔を覗かせた。
「一塊になって動くな! 13号、生徒を守れ」
「何だありゃ……」
男が黒い靄から歩み出てくる。彼の体には至る所に手が張り付いており、それは一見模型のようで、しかし嫌に青白い。顔を覆う手の指の隙間から、ぎょろぎょろとこちらを窺う。
面妖な風貌の男を皮切りに、見るからに粗野な者達が靄の中よりゾロゾロと現れる。
「また入試の時みたいなもう始まってんぞパターン?」
「動くな! あれはヴィランだ」
相澤の言葉に、生徒達は息を吞む。
ヴィランらの中には、明らかに人間ではない異形もいた。鳥類の嘴のように尖り、頬まで裂けた口からは常に歯列が剝き出し。頭蓋もなく露出した脳は肥大化し、眼球は大脳皮質に沈没して取り込まれ融合している。
そいつは大群の中でも別格の存在だが、体中に手を着けた青年が片腕を上げて進行を制すと大人しく停止した。やはり彼がリーダーらしい。
「13号にイレイザーヘッドですか。先日頂いた教師側のカリキュラムではオールマイトがここにいるはずなのですが」
ヴィラン達を放出した靄は収縮すると、言葉を発した。
「やはり先日のはクソ共の仕業だったか」
思い出されるのは、マスコミ達による侵入の一件。一般人に正門のセキュリティを突破することなどできはしない。ヴィランが関与していた可能性は教師陣でも共有されていた。この日の潜入のための工作だったとみていい。
「どこだよ……。せっかくこんなに大衆引き連れてきたのにさ……。オールマイト……平和の象徴……いないなんて……。子供を殺せば来るのかな?」
こちらへ向けて行進してくるヴィラン達。生徒達は状況を呑み込んだが、それはそれとして目の前の光景が信じられるわけではない。何せここはヒーローの学校。警察署に指名手配犯が乗り込むような愚行である。
困惑し思考停止状態に陥る生徒達の中で、冷静な八百万が侵入者用センサーの有無を訊ねた。設計者たる13号曰くUSJにもあるとの言を受け、轟はヴィラン達によって妨害工作が行われていると分析する。
「13号、避難開始。学校に電話試せ。センサーの対策も頭にあるヴィランだ、電波系の奴が妨害している可能性もある。上鳴、お前も個性で連絡試せ」
ちらり、と相澤は安心院の方を見る。ゴーグルで目が隠されているため、誰もその視線には気付かなかった。
瞬間移動の個性はこの場面で間違いなく有用だ。個性把握テストでの射程距離を考えれば、電話や上鳴による連絡が失敗した時のセカンドプランの連絡係として適任だろう。だが――
「(こいつを信用して良いものか)」
安心院はオールフォーワンの手先である可能性がある。それにしては合理性に欠ける行動が多いために、あくまでも注意に留めるように通達を受けてはいる。つまりは現状白。
しかし相澤個人としては、彼女はグレーだった。『個性を作る個性』という要因とは別に、彼女を直接観察した結果得られた情報から、直感が警戒を呼び掛けている。
偏見、と言えばそうなのだろう。露骨に扱いを変えるのはコンプライアンス上問題があったとしても、心中で、他人にはそうと分からない範囲で備えるのは倫理上はともかく規則上は問題ない。
例えば、ここで学校への連絡役を安心院一人にさせないような。
「13号、耳を貸せ」
相澤は何かを耳打ちすると、長い階段を飛び降りてヴィランへと襲い掛かる。
見送った13号は生徒達を連れて、迅速に避難を開始する。しかしゲートへ向けて走るその行く手を、渦が阻む。
「初めまして、我々はヴィラン連合。僭越ながらこの度ヒーローの巣窟、雄英高校に入らせて頂いたのは……平和の象徴、オールマイトに息絶えて頂きたいと思ってのことでして」
相澤の瞬きの隙を突いて、靄の男――黒霧が立ち塞がった。先手必勝とでも思ったのか、爆豪と切島が攻撃を仕掛ける。
「危ない危ない。そう、生徒といえど優秀な金の卵」
だがそれは結果的に、13号の射線を遮る行為でしかなかった。
「私の役目は貴方たちを散らして、嬲り殺す!」
黒霧が身に纏う靄が拡散し、生徒達を呑み込む。
「皆!無事か!?」
靄が晴れた頃には、ほとんどの生徒達がいなくなっていた。個性を使って見渡した障子によると、彼らはUSJ中にワープさせられたようだ。
黒霧の発言通り、生徒達を分断して数で押すつもりなのだろう。もはや一刻の猶予もない。事態を重く見た13号は、決断を下す。
「委員長、安心院さん。お二人に学校までの連絡をお願いします。道中、ここ以外でもヴィランと遭遇する可能性があります。決して一人にならないように」
もしも連絡手段が必要になったら、飯田と安心院の二人に学校へ連絡させること。これは相澤が耳打ちしたことだった。安心院への警戒という真意は語らずに、尤もらしい口実も付け加えて。
「待って先生、安心院さんがいません!」
初撃は避けないし、防がない。
これは安心院のモットーというか、癖みたいなものだ。裏目に出たと言えばそうなのだろうが、考え方の問題だ。そもそも表目がなければ裏目はない。避けようが避けまいが、安心院にとっては平等に意味は無いのだから。あるいは常人が裏と思う事こそ、彼女にとっては表なのかもしれない。
黒霧の転移攻撃を喰らってUSJのどこかへと飛ばされた彼女は、狼狽えることなく静かに歩きだした。
見える範囲では、廃墟と化したビル群しか見えない。
「なんだ、女一人かよ」
ガラの悪い男達が瓦礫の影から姿を現す。
「おい、歳や見た目で判断するな。個性を見ろって言われたろ」
そうは言いつつも口調はヘラヘラと笑うようで完全に侮っており、包囲もいい加減だ。聡明というより賢ぶっているだけなのだろう。
「流石に君達は主人公って柄じゃないな」
安心院は立ち止まる。元々、特に理由があって歩いていたわけでもない。
包囲されたから立ち止まったというより、他にやることも無く立ち止まった。
立ち尽くしたというより、やり尽くした。
「加えて、誰かの成長の糧になるほど強くもなさそうだ」
つまりはこんな奴ら、
「ああ? 調子に乗ってるとぶち殺すぞ」
「取り敢えずは事件の中心に赴くとしよう」
馬鹿にされていると捉えられる程度の頭はあったらしい。だが、あるのは頭だけだ。
首だけ死体の山を置き去りに、安心院は『
「おやまあ大変そうだね、相澤くん」
「安心院!? お前、何故ここに来た!」
噴水前の広場に彼女が現れた時には、相澤は脳味噌剥きだしの筋肉達磨――脳無に拘束され地に伏しているところだった。
「何だこいつ、どこから現れた?」
「私と同じ空間移動系の個性かもしれません」
その場には手だらけの死柄木と、靄がかかった黒霧も居た。
「教師を助けるために単身飛び込んできた生徒ってことか。健気だねぇ……!」
歯軋りする相澤。どんなに疑いを抱こうと安心院が生徒であることに変わりは無い。守るべき対象である彼女を、今の彼は守れない。それが歯痒くて、悔しい。
それが分かっているから、死柄木はますます愉悦に浸る。
「何勘違いしてやがる、僕はただ見物に来ただけだぜ」
「……は?」
死柄木は、安心院が何を言っているのか理解できなかった。指の隙間から覗く目だけで困惑しているのが分かるほどに、目は口程に物を言っていた。
そしてそれは彼だけではない。黒霧も、相澤も、隠れて様子を窺う緑谷と蛙吹と峰田も。この場にいる誰もが彼女の言葉を理解できなかった。
「構わず続きをするといい。僕はそこにいるだけの人外とでも思ってくれ」
「裏切るのか、ヒーローの卵がっ……!?」
ようやく理解が追いついた、と死柄木は彼女の意図を推量した。まさか天下の雄英高校の生徒から裏切者が出るとは、こんなに可笑しなことはない。黒霧が生徒を逃がしたことによるイラつきを忘れるほど面白いものを見て、死柄木は歓喜の表情を浮かべる。
「それこそまさか。僕みたいなか弱い生徒が怖ーいヴィランと仲良くなれるわけないだろう」
「なんだこいつ……何を言ってる……?」
一転、掴んだはずの理解が遠のく。
大体、今の彼女は見るからにか弱い生徒のする態度ではない。恐怖で怯えて震える様子もなく、怖がる人間の台詞ではない。
「そうだねぇ。『先生のピンチに思わず駆け付けたけど、いざ相対すると怖くて動けない』なんてのはどうかな」
「……頭イカれてんのか?」
死柄木は彼女を理解できない。ただ、あからさまな嘘をついていることだけは分かった。
「落ち着いてください、死柄木弔。彼女は瞬間移動の個性があるからいつでも逃げられる。戯言をまくしたてこちらを混乱させる、単なる時間稼ぎです」
「違う……違わないが、問題はそういうことじゃない」
どちらにせよ肝が据わり過ぎている。女生徒のメンタルではない。
死柄木が言いたいのはそういうことだった。
「安心院、お前、何考えてやがる」
「僕は何も企んでなんていないぜ。いや本当に」
相澤からすれば、13号に連絡役として任命するよう耳打ちした筈の安心院がここにいる時点で非常事態。
危険な場に出てきた彼女の身を案ずればいいのか、裏切ったと考えればいいのか、はたまた黒霧の言う通り陽動作戦なのか、もう何もかも滅茶苦茶である。
「ただ……
その時、USJ中に激震が走った。
何かが吹き飛んだかのような爆音。それはゲートの方向から聞こえた。全員の意識が、舞い上がる土煙へ向く。
誰かが、粉塵の中にいる。
響く足音は、姿よりも先に到来者の正体を予感させる。
悠然と歩くその影は、全てのヒーローの憧れにして希望。
「もう大丈夫――――私が来た!!」
現れたのは、オールマイトその人だった。