雄英体育祭。
雄英の行事スケジュール上は所謂普通の学校の運動会に相当するが、相当するだけで別物といっていい。
というのも、両者の違いは単純に個性があるかないかだけには収まらない。会場外に屋台が出店するなど、普通の運動会ではまず考えられないだろう。文化祭ではあるまいし。
多くのメディアが押し寄せテレビ中継されるこの体育祭は、オリンピックに代わり全国を熱狂させているのだという。
「まったく、この世はまるで週刊連載だぜ」
誇張が過ぎると思う。巫山戯ているとさえ思う。
雄英にどんな歴史と権威があろうと、所詮は一高校にすぎない。常識的に考えて、そんなことあるはずがない。ところがこれが大真面目に事実なのだから、彼女が現実を疑うのも仕方が無かった。
そして、極めつけに。この体育祭が運動会とは一線を画し、一線を越えてしまった催しであると示す最大のポイント。
それは種目にあった。
USJでのヴィラン襲撃事件。無事に死者を出さずに今日を迎えられたわけだが、あの一件で気にかかる事は多い。その中でも、轟が個人的に気になった事がある。
オールマイトが拘束されていた所を、爆豪や轟達によって救出されたあの瞬間。彼は目撃した。安心院が脳無に触れて氷ごと腕を破壊したところを。
いや。破壊、というのは正確な表現ではなかった。後に残る物が無かったのだから。粉々になって、蒸発した。それが一番しっくりくる。
安心院の個性は瞬間移動。であるなら、あんなことが出来るはずがない。
「『個性を作る個性』だと?」
轟は、安心院に直接訊いてみることにした。休み時間に教室を出ていく彼女の後をつけ、人気の無い廊下を通るタイミングを見計らって声を掛けた。
するとあまりにすんなりと、正直に答えたので彼は拍子抜けした。
黙秘か、そうでなくとも言い訳くらいすると思っていた。例えば細かく分けて瞬間移動させて、構造をスカスカにして破壊したとか。さながら、岩を砕いて砂にするように。実行可能な技かどうかは別として、理論上誤謬は無いように思える。実際に個性を持つ本人でもなし、こういう言い訳をされると轟としては引き下がらざるを得なかった。
「隠していたのか? ……いや、『聞かれてないから言ってない』だったな」
問い質そうとして言葉に出すも、先日の安心院の言葉を思い出して一人で勝手に納得する。
彼女の人間性を理解したわけではない。人を理解することなどできない。しかし想像することはできる。
その行動にどんな理由があるかは分からない。そこにどんな動機や感情の機微があるかは測れない。だが少なくとも、彼女は親切で律儀な人間ではないということなのだろう。
「聞きたいことはそれだけかな」
「ああ」
轟はそれ以上彼女の個性について何も聞かず、あっさりと引き下がった。
安心院はさっさとその場を後にする。彼女の背を見送りながら、轟は息を吐いた。
本当は、疑問は山ほどあった。
作れるとはどういう意味なのか、好きな個性を好きなだけ手に入れられるということか?
一度に持てる個性の数は?
新しく個性を作るのにどれだけの時間がかかる?
複数の個性を同時に扱えるのか?
作れる個性の内容に制限は?
『個性を作る個性』。なるほど言葉通り捉えるなら強力だ。強力というか、最強かもしれない。
それでもそれ以上踏み込まなかったのは、聞き返されるのを恐れたからだ。
何故僕の個性が気になるんだい、と。
轟自身、そこが不思議だった。他人と馴れ合うことに必要性を感じない彼が、人に話しかけること自体珍しい。だから、今度は自分に問いかける番だった。
実力のある人物だと思って、ライバル視でもしたのか?
違う。『個性を作る個性』という真相を聞いた今なら、ライバル視しているかもしれない。だがそれは聞いた後だから言えるのであって、聞く前はそもそも知らないのだからライバル視する材料が存在しない。確かに対人訓練では敗北を喫したが、それは仕方がないと割り切っている。
USJで彼女がオールマイトを助けた立役者だから、功を取られたと思って焦っているのか?
違う。オールマイトを助けたのは彼女だけではない。あの場面、爆豪も彼も貢献した。何より彼女が手を出さなくとも、脳無の腕が凍り付いた時点でオールマイトなら拘束から抜け出せただろう。
では、一体何故?
……不気味さ、だろうか。
右利きを公言している奴が、左手で箸を持っている場面を目撃したら。
殺人現場で誰もが戦慄している中、集団の中で一人にやけている奴を目撃したら。
誰だって不審に思うし、気持ちが悪いだろう。
あの時。彼女は負傷したオールマイトを放って、崩れた脳無の腕を見ていた。放心ではなく、明らかに観察していた。オールマイトに声を掛けられるまで数秒もなかったが、それまでの間、ずっと。
「何なんだ、あの女は」
体育祭当日。1年A組の面々は、控室で待機していた。
ヒーローコスチュームではなく体操服ジャージを着なければならないことに不服を唱えたり、予選の内容について考えを巡らせてみたり。各々が時間を潰していると、ドアが開かれた。
「皆、準備はできてるか? もうじき入場だ!」
「人人人人……」
峰田が手に人の文字を書いて、それを呑む。
「あがらないためにくだらない迷信に縋るなよ」
ぼそり、と安心院が呟く。
……戯言だ。
戯言だし、戯言以外の何物でもない。
緊張を解きほぐすためにそれぞれの精神統一を図り、さあいざ出陣。と、部屋を出ようとした生徒達の機先を制するように、水を差すように、轟が緑谷に呼びかけた。
「お前、オールマイトに目かけられてるよな。別にそこ詮索するつもりはねぇが……お前には勝つぞ」
それは宣戦布告だった。
クラスメイト達が見ている中での、大見え切った穏やかでない発言。反感を受け流して、緑谷の返答も聞いて。もう用はないと退出しようとした轟。何を思ったか、ちらりと安心院の方を見た。
それすらお見通しなのか、彼女は背を向けて座ったまま、片手をひらひらと振った。
個性だけ考えれば自分より強いかもしれない相手。だが何故か、彼女がNo.1ヒーローへの道に立ち塞がるとは思えなかった。緑谷には対抗心を燃やす轟だが、一方で彼女に対してはどんな感情を抱けばいいかすら掴みかねていた。
考えても答えは出ないし、出たところで答えに価値があるとも思えなかったので、それきり安心院のことは思考の外に追いやることにした。
それが正しいことだったのか、失敗だったのか。今はまだ分からない。
障害物競走。普通の運動会にもあっておかしくはない種目だが、巨大ロボットや地雷原が障害になる運動会がどこにあるというのだろうか。
安心院は、この予選をどう立ち回るか決めかねていた。
「コースを守れば何をしてもいい、ね」
問題はそこだった。
『コースを守る』の定義が重要なのだ。動線が三次元空間上で連続でない場合はルールに抵触するのか否か。瞬間移動を使えば即失格扱いになるのではないか、という疑義が生じる。
もう一つ、根本的な話として。陸上競技場のトラックを想像してみて欲しい。周回路を1周してスタート地点のラインがゴールだとしよう。この場合、逆走してラインを越えて、すぐさま順走してもう一度ラインを越えたらゴール……なんてことには勿論なるはずがない。
だがテレポートがあればどうだ?
コース外に出たり、ラインを逆方向から跨いだからゴール扱いにならないのであって、テレポートでゴール前に移動した場合は物理的にラインを逆走していないのだから、ゴール扱いにすべきではないのか。
そんな馬鹿なこと認めてたまるか、と一蹴することは簡単だ。しかしそれは考え無しと言わざるを得ない。
少し違う角度から考えてみよう。
一歩先にテレポートすることはルール違反か?
これ自体は、特に問題は無いように思える。それくらい許してもよさそうだ。というより、個性使用を認めておきながら瞬間移動だけ全面的に禁止というのは恣意的で不平等な判決ではないか。
一歩が許されるなら、二歩でも百歩でも変わりはない。そこに閾値を設けることに、論理的正当性が用意できるだろうか。するとでは、先ほどのゴール前ワープも認めざるを得ないではないか。
始点と終点の直線距離で考えるからインチキだと思ってしまうのである。もしコースが周回路ではなく直線であったなら、テレポートを許すことにそれほどの抵抗は感じないだろう。
などと論じたが、結局その辺の裁定を決めるのは審判である。どれだけの言葉を尽くしたところで、駄目と言われれば従わざるを得ない。
安心院としては、別にどっちでもよかった。
端から予選通過を目指しているわけでもなし、優勝する気などもっと無い。だから、わざわざその辺の裁定を18禁ヒーローミッドナイトに借問しなかった。
彼女の手にかかればルールの方を捻じ曲げるなど児戯に等しいが、それはやはり過干渉だし、そこまでする意味も見出せない。
そういうわけで、安心院はスタートと同時に狭い門に押し寄せる生徒達を、動くことなく傍観していた。
先頭集団が第一関門の入試の0ポイントヴィランの群れを突破し、第二関門の綱渡りを突破し、第三関門の地雷原に到達しても、安心院はスタート地点から動かなかった。
これなら、最初から参加する必要もなかったかもしれない。
そうやってじっとしていたものだから、当然ながらミッドナイトに体調不良を疑われて声を掛けられもした。その時は、棄権するかどうかを決めかねていた彼女は、心身共に健康であることを伝えて保留にした。
観客も実況も、先頭集団の熾烈な攻防に意識を戻して彼女に触れることはなくなったのだが……やはり気になる。
こうも長く動かないと、逆に何かあるのでは。
そこにポツンと突っ立っているだけなのに、不当に存在感を主張するとはけしからん。
などと、終盤に近づくにつれ観客の視線が集まる。
何かを期待されても、それに応えてやる義理もない彼女である。完走しなくても、タイムアップか予選通過者が確定した段階で競技は終了するだろう。棄権もわざわざ申告する必要も無いと言えば無い。
だが、理由もなくこうして衆目に晒されることを良しとする性格かと言われると、そこは安心院の像に合わない。気にする性質でもなかろうが、さりとて甘んじる性質でもない。早々に棄権する方がらしいだろう。
それでも、彼女が留まり続ける理由。
それは結局のところ、『
緑谷が機転を利かせて2連地雷爆破で轟と爆豪を追い抜き、1位に躍り出た頃。会場のモニターでそれを見た安心院は、違うことを考えていた。
「いやはや、嫌な予感というのは当たるものだぜ。上位勢にA組が固まるのが
先頭集団には、A組の面々が固まっている。第2種目出場者、という属性が今後ストーリーに効いてくる可能性もある。
ここから打開するには瞬間移動以外の
重い腰を上げて、というと既に腰は上がっているのだが、ともかく彼女は動き出す。
出遅れを取り戻すスキル『
動かない分だけ力を溜めるスキル『
周囲を巻き込まないスキル『
運動力学無視のスキル『
スキルを行使した安心院は時速1440km、弾丸のような速さで駆け抜けた。
先頭集団に追いつくまでかかった時間は、約10秒。
誰にもぶつかることなく、風を巻き起こすことなく、衝撃波を生じさせることなく、地面を捲り上げることもなく。
「!?」
ゴールを目前にした緑谷達。その脇を、何かが追い越した。後方から来た高速移動物体が何であるか、彼らには分からなかった。到底視認できる速さではなかった。
急制動のスキル『
慣性を無視して、それは停止した。止まって、ようやくそれが安心院だと分かった。
ゴール手前で止まった彼女は、3人に向けて短く言い放つ。
「1位は譲ってあげよう」
絶望など抱えきれぬほど抱いた。
文句など言葉にならぬほどあった。
怒りなど抑えきれぬほどあった。
それでも3人は脚を、個性を止めることなくゴールを目指した。
その挑発を受け流して。