ストックが無い!話のストックも歌詞のストックも!あれだけあったのに!
あの日、拙者は体育館で星を見ました。歪で、変わった色で、煌々と輝く星に焦がれたのですぞ。
そして今、拙者は憧れた2つの星………京極氏とひとりたんと同じ舞台に上がり、こうして同じ音楽を創っている。ロックを奏でている。だからこそ、拙者自身の不甲斐無さが許せませんぞ!!
曲の世界の土台となる堅実にして実直なベース、稲妻のように鮮烈にして熱烈、それでいて繊細さと軽やかさを併せ持つギター、そしてなによりベースとギターの全てを従えて曲の世界を創造する変幻自在のボーカル………引きずり回されながらやっとの思いでついていくものの、やはり3年の差は覆し難いものがありますぞ。拙者は悔しくて、無力感にスティックをつよく握り締めます。
『はーい!それじゃあ、次は六苦ヒーローの新曲2曲目「不条理の国のアリス」から!!』
共演相手であるSICKHACKのきくりたんのMCを聞き、拙者は気合を入れ直しスティックを振るいます。
この曲は京極氏が童話「不思議の国のアリス」を土台に拙者をイメージして作詞し、詩を元にひとりたんが作曲した、拙者が歌うかもしれなかった曲。ドラムを叩きながら京極氏に劣らぬ歌をとなると流石に無理無茶無謀もいいところですから、六苦ヒーローのステージで歌うことは金輪際ありませぬでしょうが、出自故に拙者と重なる部分が多くて思い入れの強い曲ですぞ!
「【時計ウサギどこへ行った? アリスは今も一人きり】
足りません、足りませんぞ!こんな演奏ではお2人と並ぶには全くもって足りません!
不甲斐ない拙者自身に嫌気が差して、途端に空気が無くなったかのように息苦しくなりますぞ。
「【同じ絵柄のトランプ兵士 同じ言葉をただ繰り返し】」
こんな演奏では「ヒーロー」を語るに相応しくありません。
ですが、それでも、拙者は負ける訳にはいきません。諦める訳にはいかないのですぞ!
「【綺麗なお庭結構ですね 素直なアリスダメダメですか】」
諦められないのは、憧れのヒーローたちと肩を並べているからだけではありませんぞ。
京極氏は拙者を男だと呼んでそう扱ってくれました、ひとりたんは恐怖に震えながらもともに柊の家で戦ってくれました。お2人が拙者を聖から聖十郎にしてくれたのですぞ。拙者はそんなお2人と、これからも胸を張って肩を並べて、心の底から笑い合いたいのですぞ!
「【ここは 不条理 不思議の国! 広い世界で一人きり これが正しいと叫ぶんだ!】」
だから、拙者は負けられないのです!今日ここで、拙者が3人目のヒーローになるのですぞ!
「【兵士 クイーン 知ったことか! これがアリスの生きる道 君の在り方を歌うんだ!】」
一番が佳境を迎え、クライマックスへと向かう曲の花道を奏でます。
ここが運命の転換点、この正念場で頑張れなければ拙者に未来はありませんぞ!
「【それが本当のアリスの国】」
一番の歌詞を歌い終わり間奏に入ると、ほんの少しの間ではありますが、京極氏が振り返って「いい演奏だ」と、認めてくれているかのような笑みを見せてくれましたぞ。
京極氏に認められたようで気分が上がりますが、まだ曲が終わった訳ではありませんぞ。
京極氏が認めてくれたなら、その期待と信頼に答えなければドラムヒーローは名乗れませんな!
曲は間奏を超えて2番へ、既にライブハウスもかくやという盛り上がりを見せていて、ただでさえ大勢の人が集まっていた路上へ音楽を聴きつけた新たな観客が次々に集まってきますぞ!
無論、この観客たちを集めたのが拙者の力だと驕るつもりは毛頭ありませぬが、それでも拙者は六苦ヒーローのドラムヒーロー!ガッカリさせるような演奏は出来ませんぞ!
「【僕がアリス誰が決めた? あららと落ちてウサギ穴】」
そうですぞ。誰も拙者が何者か等決めておりませぬ、自分が何者かは拙者自身が決めるもの。
「【変な奴らがお茶会をし 変だ変だとまた繰り返し】」
柊の家の人間の様な頭の固い方は居るでしょうし、拙者が男として生きることを変だと糾弾する者もいるでしょうな。ですが、人間だれしもどこか外れているもの、変なのはお互い様ですぞ。
「【かわいいアリス結構ですね 素顔の僕は失格ですか?】」
ジェンダーレスだの、LGBTだの、ダイバーシティーだの、あれこれ言われてはおりますが人間の本質なんてものは言葉程度でコロコロ変わったりはしない物ですぞ。
ですから、きっと、世の中のほとんどの人は拙者を本当の意味で受け入れはしないでしょう。
「【不思議 不条理 鏡の国! 何時も世界に一人きり 願い叫んだら跳ね返って!】」
本当の意味で拙者を理解できるのは拙者しかいないのかもしれませんし、拙者の望みが直に叶うような優しい世界なんて本当は無いのかもしれませんな。ですが、それが何だというのですかな?
「【ウサギ 帽子屋 知ったことか! これが僕の願った夢 僕の在り方を奏でるんだ!】」
拙者にはありのままの拙者を受け入れてくれる居場所がある。
ならば、最早、憂うことなどありませんな!堂々と胸を張って生きる!それでいいのですぞ!
「【これが本当の僕らの国】」
2番も終ってまた間奏。それが終ればラストスパート、3番に入りますぞ。
拙者らしく、叫ぶように叩きつけるように、この心を奏でるとしますかな!
勢いが増した拙者に答えるように、ベースヒーロー氏とギターヒーローたんの音が更に激しさを増し、感情を剥き出しにして叩きつけてくる。ですが、それはただ身勝手に暴れているような音では決して無く、むしろ周囲の音を良く聞いて寄り添っている繊細で優しい音楽。
「【ここは 不条理 不思議の国! 歌で世界をぶっ壊せ! 僕の本当を叫ぶんだ!】」
荒れ狂う炎の中で、暖炉に火のような暖かさを感じているかのような、激しく燃えるような心地良い熱狂、拙者楽しくて仕方がありませんぞ!
「【不思議 不条理 鏡の国! こんな世界に僕らだけ! アリス叫んでる生き辛いと!】」
ここが拙者の新天地、これが拙者の生きる道・・・・・・・・・
「【嗚呼 いつか本当のアリスの国】」
「【嗚呼 いつか本当の僕らの国】」
これが拙者のしんてんち・ざ・ろっく!ですぞ!
楽しい時間に限って過ぎてしまうのは早いもので、アッという間に時間が過ぎていきましたぞ。
3曲目はSICKHACK、4曲目は六苦ヒーローと予定通り順々に演奏していき、7曲目の「ワタシダケユウレイ」と8曲目の「水底のオクタヴィア」では両バンド一丸となって互いのバンドの曲を奏でるという胸熱展開!テンションが上がりすぎて暴走しかけたきくりたんに志摩たんとベースヒーロー氏が慌ててストップをかけるというアクシデントもありましたが、、路上ライブは大盛況のまま惜しまれつつも閉幕の時を迎えましたぞ。
とはいえ、今回の路上ライブはチケットを売ってノルマをクリアするのが目的、ライブが終ったからといってチケットを売らずに即解散とはいきませんな。
「SICKHACKのチケット2枚下さい!」
「六苦ヒーローのチケット3枚」
「両方よ!両バンドのチケットを1枚づつ貰うわ!」
そう、例え、山ほどの客をたった5人(きくりたんは酔っ払って何をするか分からないので戦力外)でさばかなければならなくても、レジが無いので1番数学の成績が良い拙者が計算をすることになっても、そろそろ終電の時間が近づいていても、帰る訳には行かないのですぞ。
「あ、あの、少し良いですか?」
と、忙しい中、声をかけてきたのは制服姿の1人の女性。いや、拙者のようなパターンもあり得るので決めつけは良くありませんな。高確率で、女性ですぞ!
「忙しい中、お邪魔なのは分かっていますけどどうしても一言言いたくて・・・・・・・・・ドラム!格好良かったです!次のライブ絶対行きます!」
忙しくて大変ではありますが、また今回のようなライブをするのも良いかもしれませんな!
「それから、チケット2枚お願いします」
・・・・・・・・・次の路上ライブはしばらく先で良いですな。
コメント欄で六苦ヒーローの名前について触れてくれた方がいたので
六苦とは大師の教えの中に出てくる仏教における八つの苦(八苦)の中の、生の苦、死の苦、老の憂、病の痛、貧の苦、財の苦の六つを指します。
実のところ本当は六苦という括りは無いのですが、『平城天皇潅頂文』の中の一文において、八苦の内二つを省略して六つの苦について書いているので、その六つを指して六苦として扱っています。
後は単純に音楽用語のロックとかけていて、彼等は六苦の中で生きながらもロックを以て輝くヒーローな訳です。