第四次聖杯戦争、その結末は悲惨なものとなった。
聖杯戦争の勝者となったセイバーのマスターが聖杯を拒み、破壊したのである。
その後、聖杯戦争の舞台である冬木は瞬く間に炎に包まれた。
これが、1994年に起きた冬木大火災である。
…その後、大火災が収まり焼け野原となった冬木の地を1人の青年が歩いていた。
彼の手には冬木大火災の原因である聖杯…その欠片が握りしめられていた。
大火災があけ、厳重な警備を敷いていた冬木市民会館の跡地から、彼はまんまと聖杯の欠片を盗んでいたのだ。
「これで、起こしてみせる…あの戦いを」
彼がそう呟いた直後、
「たス……ケて」
近場の瓦礫からだろうか、子供のか細い声が聞こえたのだ。
「……………ふん」
彼はじっとその瓦礫を見つめた後、軽く一瞥してその場を去ろうとした。
「だレか……ヒトりは…ヤだよ」
「…!」
その言葉を聞いたとき、彼はその瓦礫をどかし始めた。
急がなければ、聖杯戦争の関係者が狙ってくるかもしれない。
かと言って下手に魔術を使って痕跡を残すわけにはいかない。
しかし、彼はその声の主を助けようと思ったのだ。
何が自身を動かしたのかはわからない。
だけど、見捨ててはならない。
そう思いながら本能的に瓦礫をどかして少しした後、黒い棒状の何かが中から出てきた。
「これで………!」
そう言って黒いものの近くにある瓦礫をどかしたあと、その中を確認し驚愕した。
「まさか、この姿で声を出していたのか…」
彼は驚きの声を出すとともに、目の前の奇跡に戦慄した。
その中にいたのは声を出す黒い'何か,であった。
いや、元は人間であっただろう黒い'何か,である。
さきほど瓦礫から出てきたのはその'何か,の手であったのだ。
「あの聖杯の泥を浴びたのか、いや、それよりも…」
…消滅するどころか、なんの狂気にも侵されていない
冬木の大火災の原因は第三次聖杯戦争の際、聖杯にとあるサーヴァントが入り込んだ結果、生まれた聖杯の泥が聖杯という器が壊され、溢れ出したためである。
その泥は人間が触れれば狂気に囚われ、最悪、泥に呑み込まれて消滅するはずである。
そんな泥に包まれてもなお、片言ながら助けを呼んでいる黒い'何か,に青年は笑みをこぼし、声をかけた。
「私が見えるか?」
黒い'何か,は首を縦にふる。
つまり目と耳に異常はないという事だ。
「ならついてきてくれ、今の君の身体じゃ私は触れられない、だから私の工房にいこう、そこなら君の身体を元に戻せるかもしれない」
黒い'何か,はその言葉を聞くとゆっくりと…ゆっくりと立ち上がる。
木炭みたいな足を大地に踏み締め、白いままであった瞳を目の前の青年に向けた。
そして……
「あリガとう」
その言葉を聞いた青年は笑顔で返したが、いつまでもここにとどまるわけにはいかない。
おそらく警備員にかけた催眠はもうとっくにとけているころである。
青年が走ろうとすると、黒い'何か,も一緒に走り出す。
少し辿々しい走りであったがそれでも青年の駆け足に追いつこうと必死で走っていた。
そして何と冬木の川まで辿り着き、青年は隠蔽魔術で隠してた船に'何か,と共に乗り、船を沖へ沖へと漕いでいった。
‥‥‥
「ふぅ、誰にも見つからなくてよかった」
船の上で青年が胸を撫で下ろしていると、
「どコ…いクノ?」
黒い'何か,の問いに青年は答える。
「あぁそれか、私たちが行くのは『ストレア』という島だ」
「スト…れア?」
ストレアについて知らない'何か,は青年に聞く。
「あぁ、知らないか、ストレアというのはね、所謂…えーと、あっ、幻の島って言えばいいかな」
「まボロし?」
「そうだ、その島にはな、結界が張られていて、島の人たちが作るお守りがなければ入れない不思議な島だ。その島に私の工房がある、そこに行けば君の身体を調べられるんだ」
「なオ…る?」
黒い'何か,は目から涙のような物を流して、青年に聞いた。
「あぁ、聖杯の研究をしているこの私なら、その泥を取り除くことができるかもしれない、だがかなりの時間と苦痛を要するのは覚悟するかもしれないけど大丈夫か?」
「ダ…いジョうブ、アり…ガとう、ボく、うレしイ」
と黒い’何か,のお礼の言葉を言うと、
「?…君、男の子かな?」
「ウん!」
と彼の問いに黒い’何か,が答えると
「あぁ………そうか」
青年は生前に言われていた、他のものが知れば忌避されかねない感情を、黒い'何か,に悟られぬように抱いていた。
「…!ナマえ」
「ん?」
「ナマえ、ワかラナい」
「…!、記憶がないのかい!?」
と聞いた青年の問いに黒い'何か,は首を縦に振った。
「ネえ、ナマえ、ツケて」
「うわっ、わかったわかった、つけるから今は手を伸ばさないでくれ、今の君に触れられると危ないから……」
「……ッ」
と言いながら伸ばしてきた手を青年は触らないように黒い'何か,に手を引くように説得すると、黒い'何か,は諦めたように青年の言うことに従った。
「わカッた、ジゃア、ナマえ、はやク」
「あぁ、名前、名前か、全く記憶喪失だからか自分の身体より先に名前を求めるか…………求める………シーク、いや、アスク…我ながらいい名前かもな、よし、アスクって名前はどうだ?」
「アすく?」
「そう、アスク、求めるって意味だ。記憶喪失の君にはいい名前だと思うが…」
「かっコいい!アすく?アスク!」
「おっ、今度はちゃんと言えたね、さて、君も名乗ったし、私も名乗るとしよう、私はア……」
「…?」
「いや、キャスターと呼んでくれ」
「キやすター?」
「キャスターだ、それ以外に名はない」
青年…いや、『キャスター』には自身の真名を黒い'何か,に、『アスク』に言うことはなかった。
今の彼にとってあの名前は堂々と名乗れるものではない。
その名を名乗ったときには……
「キやす、キゃスたー?キャスター!キャスター!」
そう思う前にアスクが自身の仮の名をキャッキャッと喜びながら呼んでいた。
新たな自分の名前を…新たに覚えた固有名詞を喜ぶ様はまるで年端も行かない子供のようであった。
その様子を見たキャスターには沸々とある感情が湧いていた。
子供を亡くしてからの悲嘆からか、ビルマで研究していたあれが原因かはわからない。
ただ目の前にいる子供に抱いたのは「かわいい」という感情だけではなかった。
なぜあのとき見捨てずに助けたのか、なぜ泥まみれのあの子のために無茶をしたのか…
「……あぁ、そうか」
キャスターは真名を知られる恐怖よりも…
「この子は…」
目の前の子に………
「必ず私の『 』になる」
「?」
キャスターの低く放たれた言葉にアスクは首をかしげたがその言葉を聞くことはなかった、
「あぁ、そうだ」
不意に放たれた言葉にアスクは身体をビクリと振るわせた。
「この治療のことは誰にも話さないでくれ、お互いに命が危なくなるからね」
突如キャスターから放たれた声は幼子が聞くには恐ろしいものであった。
「わ…カッた」
アスクはキャスターの声に怯えながらも首を縦にふった。
「それは良かった…君みたいな子を、あんな奴らの手に渡すわけにはいかないからね」
キャスターは狭い船の中、立ち上がってアスクに近づく………
その顔は子供から見ても醜く歪んでおり、アスクは離れようとしたが船の端に座ってたためどこを見ても青い海しか見えなかった。
「ヤ…あァ、ヤあ!ヤァァ!」
そしてアスクはキャスターに近づけるなと言われた手を伸ばし………
‥‥‥
「来るな!」
と言う声と共に彼は目を覚まし、今の居場所である屋敷の変わらぬ屋根と壁を交互に見ていた。
「手は…黒くないよな」
手はあの時とは違う、人間らしい肌色の手であった。
「……ハハ、15年前の夢か」
「アスク!」
開いたままになっている扉から、女性がアスクに抱きついてきた。
「うわっ、リシャールやめろ」
「やめないよ、さっきから苦しそうな顔してたんだよアスク、だから私、心配で」
「わかった、わかったから離せ」
と言って数秒後、やっとリシャールと呼ばれた女性は抱きつくのをやめてくれた。
「アスク、もしかしてまた?」
「あぁ、思い出したくない過去さ」
どうやらアスクは布団の中で悪夢にうなされていたようだ。
しかもこれが最初ではない。
あの時の悪夢は何度も、何度も、アスクを苦しめるように見させてくる。
その悪夢がここ最近、頻繁に彼の頭に呪いのように現れる。
「なんでだろう?やっぱり『聖杯戦争』が近づいてるから?」
聖杯戦争、それはあらゆる願いを叶える万能の願望器、聖杯を求め、7人のマスターがそれぞれ一騎のサーヴァントを呼び、戦いあう儀式である。
その聖杯戦争のマスターの証である令呪が、アスクには左手の甲、リシャールには右手の甲に刻まれていた。
「多分…そうかもしれない」
「……」
「俺は…キャスターから…聖杯戦争のための兵器みたいに作られたんだ。そんじょそこらの虐待両親のもとに生まれた方がよかったん…」
…とアスクの言葉を遮り再びリシャールがアスクに抱きつく。
「アスク、悪い癖が出てる、過去がどんなに辛くても、今があるじゃない、私や、みんながいる大切な今が……だからその平穏を維持するために私たちは聖杯戦争に参加するの、その時にキャスターに出会ったら、私がぶん殴って反省させるわ」
「……お前なら殺しかねないから四発でおしまいだな」
「ムッ、失礼なことを言う口はこうだ」
「え、いや、お前一度、ムグッ」
今度はリシャールの口で口内を塞がれる。
初めて会った時からこうだ。
アスクがリシャールをからかえばいつもキスで口を塞ぐ。
理由は「仕返し」らしいが、この仕返しはアスクも嫌いではない仕返しであった。
‥‥‥
とある洞窟の中、青年が一人、聖杯を見ながら酒を飲んでいた。
「アスク……」
幼い子供が写った写真を覗きながらそばにある聖杯に目をやる。
「もうすぐ始まるよ、聖杯戦争が」
青年……キャスターは幼いアスクの写真にそう語りかけていた。