青春ラブコメ憂鬱譚   作:FAN男

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笑顔の素敵な少女に恋をした
面影なんてないはずなのに、知らない女に君を重ねてしまう


十五話 再び彼の知らないところで事態は変わる

 

 ボケーッと観戦しているのも暇、かつ手持ち無沙汰だったので、途中で部室を抜けて缶コーヒーを買いに行くことにした。いくら遊戯部とて、雪ノ下や比企谷がいるのであれば負けは……数戦は負けるかもしれないが。とにかく呆気なく敗北してしまうという事はないだろう。とはいえ、一戦目の流れを見るに遊戯部側が何かを企んでいるのは明白ではあったが。

 少しの心配はあったが、問題はないと判断した俺は気づかれないようにそっと遊戯部の部室を出た。エアコンがガンガンに効いていた室内と比べて、廊下はとにかく蒸し暑い。むわぁっとした熱気が肌から伝わってそれだけで、肌には汗が滲む。

 そんな暑さの中俺は、缶コーヒーを買うために廊下を歩き始めた。その道のりの途中でトイレを済ませる。ついでに図書館から借りていた参考書があったことを思い出し教室に寄った後、図書室へと向かって、参考書を返した。

 とにかく俺の思いつく限りの遠回りを行う。正直いくら依頼とて、あんなカードゲームに付き合うほど俺は暇じゃない。どうせ余りで時間はあるのだ。なら時間は有効的に使わせてもらおう。

 自販機まで辿り着き、俺は目的の缶コーヒーを買う。

 よく冷えたスチールでできた缶コーヒーは、しばらくすると表面に水滴がつき始める。それを手の中で弄り、手のひらを濡らしてなんとかそこだけでも冷やそうとした。

 そんな微々たる冷たさのみで遊戯部の部室へと向かうのだが、空気に漂う湿気が、ただでさえ低いやる気をより低くさせ、それに伴って俺の足取りすらも気だるいものになっていく。

 再び遊戯部の部室に戻ってくれば、比企谷が上半身裸でズボンに手をかけていた。

 は?なんだ、面白すぎるだろう。どういう状況だ。比企谷を辱めようの会か?だとしたら抜け出してサボって、これを見逃しかけたのは俺のミスだ。

 

「なんだ。随分面白いことになっているじゃないか」

 

 くつくつと喉奥で笑うように揶揄えば、俺はコーヒー缶のプルタブをと開ける。金属のカコッ潰れる音が鳴った。全員の視線が俺に集まるのを感じながら、それを無視し冷たい中身を呷って、喉を潤した。

 どうやら既に数戦やったあとのようで、テーブルの上には幾つかのカードが散らばっている。遊戯部はそうでもないが、雪ノ下や由比ヶ浜は何やら疲弊しており、比企谷に関しては上半身裸だ。そして材木座は……コートを脱いでいる。ふむつまり?

 

「大富豪はやめて、脱衣麻雀か何かでもやったのか?」

「ちげーよ、というかお前どこ行ってたんだよ」

「缶コーヒーを買いにな」

 

 飲んでる缶コーヒーを彼らに見せれば、由比ヶ浜が「長くない……?」と呟く。意図したものだから弁明はしない。

 しかし、雪ノ下から罵倒の一つでも飛んでくるかと思ったが、しかし何も言われることはなかった。気になって雪ノ下の方に視線を向ければ、彼女はじっと顔を動かさず、微動だにしなかった。喧嘩でもしたのだろうか。だとしたら面倒くさいこと極まりないのだが。

 俺は思わず出そうになった欠伸を噛み締めながら思案する。察するに大貧民になったペアは罰ゲームでもあるのだろう。その内容は脱衣。今どき宴会芸でも野球拳くらいでしかやらないだろうに。

 

「くそ……」

 

 俺や他の皆に見られている中、比企谷は悪態をつきながらズボンを脱ぐ。比企谷の残りの服はパンツのみのようで、その状態でもゲームが継続しているということは、ゲームはまだ終わっていないらしい。

 しかし……男の脱衣ほど見ててつまらんものはないな。いや、ここで雪ノ下や由比ヶ浜が脱ぎ出したらしたらで困るのだが。材木座あたりが脱ぐならば、多少は馬鹿にしがいもあるのだがなぁ。

 そんな中、由比ヶ浜が申し訳なさそうにしゅんとした顔で比企谷の方を見つめる。

 

「……どうした、比企谷の体に興味が?」

「は、はぁっ!?ぜ、全然興味とかないし!というか田島君もほんとデリカシーない!」

 

 俺としては場を和ませるジョークのつもりだったが、顔を真っ赤にして怒鳴られた。残当ではある。反省しよう。

 肩を竦めて雪ノ下へちらりと視線をやれば、変わらず顔を微動だにしない。ああいや違うのか。こいつ、単に比企谷の裸を見たくないだけだな。少し耳が赤いぞ、初な女め。

 由比ヶ浜の言葉に比企谷が肩を落とした。パン一で凹んでいると、より敗者感が増して憐れだな。

 

「そうやって大声で興味ないって言われるとさすがに凹むわ……」

「あ……えっと、ごめん。それと、ありがと」

「別に……礼を言われる筋合いはねぇよ。俺は俺がやりたいようにやってるだけだ」

「うむ、どうでもいいがその格好で言うと開き直った変態にしか見えぬな」

 

 材木座が半笑いで笑う。お前が言うかと言った感じではあるので俺としては苦笑いがせいぜいだ。しかしなんの事情も知らない遊戯部の二人はお気に召したようでクスクスと同じように嘲笑った。

 

「それはそれとして、随分負け越しているようだな」

「見りゃわかるだろ」

 

 一瞬、ここで交代し参加するかどうか迷う。正直に言えばこの手のゲームは得意分野だ。参加すれば勝てるだろう。しかし、どうにも俺は以前の平塚先生から受けた言葉を思い出してしまう。

『監督役の務めを果たすように』

 先は建前として使ったが、俺は未だにこの言葉の意図がわかっていなかった。

 ここで俺が参加して、勝つという行為は、奉仕部の理念に沿うのだろうか、その行為は平塚先生の狙いに沿うのだろうか。

 その場のノリでそれっぽいことを言う人とは言え、あの言葉には何か意味がある、確証はないがそんな確信があった。けれど考えども考えども、その意図については分からない。

 故に、やはり今は。

 

「そうか、なら精々頑張って───」

「た、田島くんっ」

 

 俺の他力本願な言葉を遮るように、由比ヶ浜が声を発した。それは弱々しいものではあったが、さりとて俺の言葉を止めるには十分なものであった。

 

「……どうした?」

 

 自分の表情など分からないが、怪訝な顔をしていることは間違いないだろう。

 

「あ、ご、ごめんね。怒っちゃったかもしれないんだけど……」

「いや、そうじゃない。少し驚いただけだよ。それでなんだ?」

「あ、あのね。ヒッキーと、変わってあげることってできるかな?」

 

 それは彼女の性格を考えれば、さして意外な申し出ではなかった。何より今の彼女の心情的にもだろう。

 何故ならば、恐らく、いや間違いなく由比ヶ浜は比企谷に恋をしている。もしかすると今はまだ恋とは明確に断じてしまうことは出来ないが、少なくともその気はあるはずだ。でなければあんな反応はしまいよ。

 

「まあ、俺個人としては別に構わんのだが……」

 

 他でもない部員の頼みではあるのだし、ここで断る理由はない。いかに監督役を任されてるとはいえ、この申し出を受けることはレギュレーション違反ではないはずだ。まあ、別にそこまで律儀に守る必要も無いのだが。

 俺が言葉を濁したのは、別のことが原因だ。

 由比ヶ浜の申し出に、比企谷が眉をしかめ、あからさまに拒否反応を示していたのを俺は見逃さなかった。

 

「由比ヶ浜、そういう気遣いはいいって───」

 

 いつもの様な曖昧な壁の作り方ではなく、比企谷の言葉に込められたそれは明確な拒絶であった。恐らく、これが不和の原因なのだろう。

 

「っ……ううん、違うよ、そんなんじゃないよ。えっと、あたしヒッキーのことが心配で、それで……ヒッキーにこれ以上嫌な目にあって欲しくなくて……」

「だから、俺は俺のやりたいようにやってるだけって……」

 

 自分の言いたいことを、伝えたいことを伝えるために必死に頭を回しながら、言葉を選ぶ由比ヶ浜に比企谷は冷淡に拒絶の言葉で返す。

 由比ヶ浜の優しさを受け止められない比企谷が、彼女のことをこうやって拒絶したから話は拗れたのだろう。しかし今拗れても困る。その為の今日なのだ、その為の準備だったのだ。

 ならばやることは一つだろう。

 

「積もる話は後でいくらでも時間はあるだろう、比企谷。俺は問題ないから変われ」

「……そういう同情は要らんぞ」

「俺が、お前を、わざわざ同情してやるほど情があるように思えるのか?」

 

 俺が臆面もなく言うと、比企谷は「や、思わないけどよ……」とボソッとつぶやく。思わないのか。我ながら冷淡さには雪ノ下の次くらいに定評があると自負はしているが……面と向かって言われると悲しくなってきた、あまり深く考えるのはやめておこう。

 

「まあ、なにはともあれ、だ。由比ヶ浜、交代の件、俺は構わないぞ」

 

 どうやら部長殿は声をあげないと微動だにしない故に異論はないようだからな。沈黙は肯定、というやつだ。

 由比ヶ浜の顔が少しだけ喜色を帯びた。

 

「田島くん……ありがと」

「俺はまだ納得してねぇぞ」

 

 あからさまに不満そうな表情だな。普段は目が合わない癖にこういう時はバッチリと合うあたり、こいつの性格が伺えるよ。

 

「なんだ、お前も面倒くさいやつだな。まあ、そりゃあお前とて言いたいことはあるだろう。しかしそれは後にしろ。お前のその想いを、もどかしさを伝える機会はしっかりある。何せそのための今日だろう?」

「……わかった、わかったよ」

 

 比企谷は両手を上げる。

 このまま粘られた雪ノ下大先生に頼るしかなかったが、その必要はなかったようだ。実際に頼れたかどうかは別だが。当の本人は一切こっち向かないからな。不動明王だよアレは。

 

「しかし、そのポーズだとアレだな。まるでお縄に着いた犯罪者のようだな」

「はっ倒すぞお前」

「ハハハハ」

 

 椅子から立ち上がった比企谷の代わりに俺がテーブルに着く。

 恐らく学校の備品であろうパイプ椅子に腰をかければ、遊戯部の二人が伺うようにこちらを見ているのが目に入る。どうもさっきの問答で声をかけるタイミングを完全に見失ったらしい。そういえば俺は俺で彼らに参加の許可を聞いていなかった。

 

「悪いな。今度は俺が参加させてもらうが、問題はないか?」

「は、はい。大丈夫です」

「けど、ルールの方は大丈夫でしょうか?」

「まあ、問題はない。一応初戦は見ていたからな」

 

 二人はそれを聞いて、カードを配り始めようとカードのシャッフルを始めた。遊戯部と言うだけあってシャッフルの手際は良いな。カード遊びに慣れている感じだ。こりゃあ雪ノ下と比企谷がいても負け続きだったのも納得だな。

 

「比企谷くん」

「あ?ってかいい加減こっち向いてくれませんかね」

 

 相変わらず雪ノ下は微動だにせずに声だけ発するのだが、なんというか銅像から声だけ出てるみたいな形になっているのが、妙に恐ろしい。ほんとに動かないな、呼吸をする時の胸の上下くらいでしか雪ノ下の体は揺れない。揺れる胸もないくせに。

 

「服、着てもらえるかしら」

「は?」

 

 ポカン、と一瞬の静寂と共に間抜けな空気が流れた。

 

「比企谷くんはゲームから抜けるのだから、罰ゲーム適用下には入らないもの。なら服を着るのは問題ない筈よね?」

「あっ、えっとはい」

「そう。なら比企谷くん、さっさと服を着なさい」

 

 本当に強引で初心だな……この女。

 

 

 

 ゲーム内容に関してはさして語るものはない。何せ、結局のところ俺が参加しても勝負は五分がいい所。その上最後の決め手は由比ヶ浜の持っていたスペードの3だったのだから。

 材木座が余計な事しなければ完勝だったのだがなぁ。革命したのになぜイレブンバックをするのか。そのお陰で積み立てていた勝利への布石が崩れた。そこからは目も当てられない凡ミスに続く凡ミスだ。その上で遊戯部や俺でも見落としたスペードの3での決着。

 本当に俺が参加した意味は薄かったな。比企谷の名誉を守れたという点のみで言うのであれば、確かにあったと言えるのだろうが。

 

「面白みに欠ける塩試合だったな……」

 

 試合内容を思い返した後、それを忘れる為に温くなった缶コーヒーを飲み干す。その味は冷たかった時と比べて、より不味いものとなっていた。

 

「あの、すいませんでした」

「なんか、笑ったりして」

 

 相模と秦野、二人は申し訳なさそうな顔をして頭を下げる。ここで頭を下げられるのは、心根が悪い奴ではない証拠だ。

 

「剣豪さんのゲーム、楽しみにしてますね」

「まあ、版権は会社に帰属するから剣豪さんだけのゲームってわけじゃないですけど」

 

 頭を下げられたからか調子が良さそうに高笑いしていた材木座の動きが止まる。おい、まさかとは言わないが、こいつその程度のことも知らないでシナリオライターになるだのなんだの言っていたのか?

 その後も遊戯部からシナリオライターについて語られる。

 

「じゃ、じゃあやめようかな……うんやめるわ……ふむ、やはり我はラノベ作家に向いているということかもしれぬ。ふははは、我天啓得たり!そうと決まれば次の新作のプロットに取り掛からねばならぬな。ではな、者共!さらばだ!」

 

 呆れてものも言えないとはこの事か。無駄骨、茶番、無駄働き。やはり、材木座義輝は自由人だ。良くも悪くも夢見がち、まあその行動力においては目を見張るものはあるのだが。

 

「なんか変な人っすね……」

「だろ?アレと関わるとろくな目にわねぇんだ」

 

 とかくその性根が腐っているのか、ねじ曲がっているのか、あるいはただ変わっているだけなのかは知らないが、とことん俺とはウマが合わないな。そもそもあいつとウマが合う奴自体が稀だ。比企谷くらいだろう、そんな男は。

 そんな奴に慕われている俺はきっと前世は相当な悪党だったに違いない。それこそ室町時代に何らかの大罪を犯した罪人かな。

 

「──そこで関係のなさそうな顔をしている田島くんだって変人だもの」

「……お前は俺を馬鹿にしないと気が済まないのか?」

 

 人間、痛みに慣れるとそれを感じなくなると言うが俺も順調にそうなっているらしい。全く、眠気も感じなくなればいいのだが。そんなふうに考えて、そろそろ無視出来なくなってきた眠気に耐える為に、欠伸を噛み殺す。

 向こうも由比ヶ浜が雪ノ下に抱きついているし、何らかの話が終わったのだろう。その途中で俺に罵倒が飛んできたのは訳が分からないが。

 

「とりあえず、部室戻るか」

 

 比企谷が歩き始めたのを皮切りに、俺たちは夕陽の沈む中部室へと戻り始めたのだった。

 

 

 部室に戻れば、窓から差し込むのは茜色、窓から外を見れば東側は薄い藍色が広がっている。もうすぐ夜だ。随分と時間を食ってしまったようだ。まあ五戦もゲームをやっていればそれも当然ではあるだろう。

 

「けど、どうしようかしら……。せっかくケーキを焼いて来たのに」

「ケーキ?なんでケーキ?」

「なんでって……ああそう言えば、由比ヶ浜さんには話していなかったわね。今日は由比ヶ浜さんの誕生日をお祝いしたくて呼んだのよ」

「へ?」

 

 こちらとしても『へ?』だった。いや、やはりかという納得もあるのだが。

 俺と比企谷はことの成り行きを見守るために、いつもの定位置座る。

 

「やっぱ雪ノ下、由比ヶ浜になんも伝えてなかったんか……」

「そりゃあどこぞの芸人宜しくああも見事にすれ違うことだろうよ……」

 

 向こうの二人には伝わらない声量でボソボソと喋った後、ふたりで顔を見合わせて呆れた顔になる。

 向こうで由比ヶ浜が雪ノ下に飛びつくのを見て、ため息混じりに深呼吸をした。やっと、重い憑き物が落ちたようなそんな感覚だった。

 

「ええ、まあ私だけがプレゼントを用意しているわけではないのだけれど……」

 

 雪ノ下がこちらをちらりと見た。

 

「え……っていうと」

 

 由比ヶ浜は雪ノ下の視線を追って俺たちの方へと顔を向ける。いや、俺たち、とは少し語弊がある。由比ヶ浜はあえて比企谷に対しては視線を逸らした。

 まあ、ここは俺が先陣を切るべきだろう。

 

「ん、ああ……そうだったな。そういえばそうだった」

 

 それはそれとしてちょっと忘れていた。もちろん由比ヶ浜の誕生日だったことは覚えていたのだが、どうも今日の出来事が濃すぎて俺自身プレゼントを買ったことを完全に失念していたのだ。おのれ材木座許すまじ。いや、こればっかりは俺が悪いか。

 

「そら、大したものじゃないがな」

 

 俺は鞄の中から、わざわざ店でラッピングしてもらった、リボンの着いたピンクの包みを渡す。

 

「た、田島くんも……?わぁ……嬉しいな」

 

 由比ヶ浜は本当に嬉しそうな顔をして俺が渡したものと、恐らく雪ノ下が渡したであろうピンクのエプロンをギュッと抱き締めた。

 

「これ、開けていい?」

「ああ、構わないぞ。まあ、お前の好みと合っているかはわからんが……」

 

 由比ヶ浜が包装を丁寧に開ける。丁寧に開けてくれるのは助かる。ラッピング代が予想以上に高いもんだから、ここで乱雑に開けられていたら内心泣いただろう。

 

「あ、サブレだ……!」

 

 中から取り出されたのは、所謂原色のレッドカラーのダックスフンドを模したスリッパだ。ぱあっと顔が明るくなった由比ヶ浜の様子を見るに、どうやら俺の勘はど真ん中で的中したらしい。

 彼女の言うサブレというのは分からないが。恐らく飼っている犬の名前だろう。

 

「え、でも田島くん。よくあたしがダックス飼ってるって知ってたね?」

「いや、たまたまだったんだが……お前が犬を飼っていると言うのを後輩から聞いてな、それでそれっぽいのを買ってみた」

「後輩?誰?」

「一色いろは」

「いろはちゃんと知り合いなんだ!?」

 

 この時期にああいうモコモコしたスリッパは些か時期外れだと買ってから気づいたが、由比ヶ浜は結構お気に召したようで鼻の部分を押していた。

 

「まあ、お気に召したようで何よりだ」

「うん!これ、あたしの飼ってるダックス、あサブレって言うんだけどね?すっごい似てるんだ……嬉しい、ありがとう」

 

 混じり気のない笑顔を向けて、目を逸らしてしまう。

 俺は、この笑顔が苦手だった。あの子を思い出すから。ああ……もしかしたら雪ノ下のあの言葉は、これを言っていたのだろうか。だとしたら大概、あの女も人の事をよく見ているよ。

 

「……とにかく喜んでくれたならそれでいい。俺としても選んだ甲斐というものがあるからな。それに、喜ぶにはまだ早いよ」

「あ……」

 

 由比ヶ浜と比企谷の目が合う、だが直ぐ逸らしてしまった。

 しかし意を決したような顔をした比企谷が、学校鞄の中に手を突っ込んだあと、すぐに小さな包みを取りだして、無造作に由比ヶ浜へと差し出す。

 

「いや、別に誕生日だからこれを用意したって訳じゃねぇんだ。たまたま良い機会だったってだけでよ……」

「え?」

「少し、考えたんだけどよ。なんつーか、これでチャラってことにしないか。俺がお前んちの犬助けたのも、それでお前が気を遣っていたのも、全部なし」

 

 比企谷が語る内容は、俺には些か理解のできないものだった。こういう時、コーヒーでも淹れることが出来たら、この部室に流れる妙な雰囲気に気圧されることも無かったのだが。

 

「だいたい、お前に気を遣われるいわれがねぇんだよ。怪我したのだって、相手の入ってた保険会社からちゃんと金貰ってるし、弁護士だの運転手だのがあやまりにきたらしいし。だからそもそも発生する余地がねぇんだ。その同情も気遣いも」

 

 これが比企谷の勘違い。すれ違いの原因。由比ヶ浜の気持ちを正しく理解できていないが故の主張だった。

 他人から向けられる好意というのは、得てして本人には分からないものだ。それが、比企谷のような男であれば尚更だろう。過去の話を自分からする時は、基本他者から悪感情を向けられている話しかないのだから。だから、自分の知っている感情に当てはめる。好意を同情に、心配を気遣いに。だから、比企谷はそれを疎ましく思った。

 故にこそ恐らく職場見学の際に比企谷は伝えたのではないだろうか。同じように、由比ヶ浜へと。

 

「それに、別に由比ヶ浜だから助けたわけじゃねえんだ……だから、これで差し引きゼロでチャラ。お前はもう俺を気にかけなくていい。だからこれで終わりだろ」

 

 比企谷は言い終わるとふーっと大きく息を吐く。それは胸につかえていたものが取れたかのようなそんな仕草だった。

 それを聞いて、俺は少し悲しくなった。ここまで短い間積み重ねてきたものを、簡単に終わりにしてしまうのは悲しいことだと、そう感じたからである。

 

「なんか、難しくてよくわかんなくなっちゃった……あたし、そんなつもりはなくて……。もっと簡単なことだと思ったんだけどな……」

 

 無理に明るい声を出して、なんとか平静を保とうとするが、震えた声と頼りげのないその声は一層食う気を重いものにさせる。

 これ以上は、話が拗れてしまうかもしれない。一度、場を改めさせてまた───

 しかしそんなに重苦しい空気を一つの声が切り裂いた。

 

「別に、難しいことではないでしょう」

 

 雪ノ下は夕日を背にし、窓際に経つ。窓から吹き込む潮風は、ふんわりと彼女の艶やかな黒髪を揺らす。まもなく夕日が沈み、当たりを闇が包むだろう。それだと言うのに、そこに立つ彼女の姿はやけに明るく見えた。

 

「比企谷くんには由比ヶ浜さんを助けた覚えはないし、由比ヶ浜さんと比企谷くんに同情した覚えはない。……始まりからずっと間違っていたのよ」

 

 確かに、雪ノ下の言う通りだった。

 

「だから、比企谷くんの言う通り『終わりにする』という選択肢は正しいと思う」

 

 始まりから違うのであれば、結果も間違っている。とするならば、きっと、やり直せるのだ。たとえ明日死ぬのだとしても、やり直す権利というものは皆に平等に分け与えられたものなのだから。

 

「そうだな、間違えたのならば、また始めればいい。確かに、簡単な事だ」

「ええ、そもそも比企谷くんも由比ヶ浜さんも悪くないのだし」

「は?」

「あなた達は、助けた助けられたの違いはあっても等しく被害者なのでしょう?なら、全ての原因は加害者に求められるべきじゃない。だったら……」

 

 雪ノ下はそこで一度言葉を区切る。

 なんだろうか、この違和感は。俺は、何を感じているのだろうか。

 

「ちゃんと始めることだってできるわ。……あなたたちは」

 

 雪ノ下のその異常なほどに穏やかで、しかしどこかもの寂しげな笑顔に俺はやはり違和感を覚えた。

 雪ノ下の言っていることは間違いじゃない。だが、だとするならば、何故その瞳には諦めと、罪悪感のようなものが映っているのだろうか。

 

「私は平塚先生に人員補充完了の報告をしてこないといけないから」

 

 唐突に思い出したかのように言うと、雪ノ下はまるで何もなかったかのように踵を返した。普段よりも早い足取りで、何かを隠すように雪ノ下は決して振り返ることなく扉に手をかける。

 

「雪ノ下」

 

 だから俺は思わず声をかけてしまった。そんなつもりなど毛頭なかったというのに。何故かその雪ノ下のもの寂しげな背中を見ていられなかった。

 

「……何かしら」

「ああいや……俺も同行しよう」

「いいえ、大丈夫よ。ただ報告するだけだから」

 

 雪ノ下はこちらをチラリと見た後、素っ気なく告げた。なぜだかその言葉に拒絶の意志を感じた。

 

「そう、か。ならいい」

「そう」

 

 雪ノ下は俺のその言葉を聞くと、今度こそ部室を出ていった。

 部室の中は妙な空気が漂う。

 由比ヶ浜と比企谷が隣でなにか会話を始めた。だが、俺はその会話に混ざることは出来なかった。

 

「ん?どこに行くんだ?」

「便所」

「お、おお……やっぱお前空気読めないよな」

「あえて読んでいないんだ、察しろ阿呆め」

 

 席から立ち上がり、一応鞄を持って外を出る。戻ってくるのが遅れて鞄だけ部室にある状態で締め出されるのもゴメンだからな。

 

「俺がいるとできない話もあるだろう?だからだよ」

「お、おう……」

「それでは、後は二人でごゆっくり……」

 

 俺はそう言って部室を出るために扉に手をかける。

 

「田島くん!」

「うん?」

「プレゼント、本当にありがとね」

 

 俺は、その言葉には言葉ではなく手を挙げて返答し、部室の扉を開けて外に出た。少し、格好をつけすぎたかと反省しながら。

 

 

 さっきの雪ノ下の姿がやけに焼き付いていて離れない。だって、この話は終わったはずだ。はずなのだ。だというのに、俺の勘はまだ終わってないと言っていた。決して、雪ノ下のあの姿を忘れてはいけないのだと、忠告してくる。お前の知らない何かが、まだあるのだと、俺は正しく認識している。

 だってあの言い分は、まるで雪ノ下はやり直すことが出来ないとでも言いたげでは無いか。まるで、自身が加害者であると言いたげではないか。

 だとすならば、とするのであれば。ああ、それは。なんて、憂鬱なのだろうか。

 

 




進路指導アンケート
総武高等学校 2 年 E 組
田島 実(たじま みのる)
出席番号 21 男
Q.あなたの信条を教えてください
約束は絶対に守る
Q.卒業アルバム、将来の夢なんて書いた?
極々ありふれたもの
Q.将来のために今努力していることは?
生きること
・先生からのコメント
事情を知っている身としては、普通の内容なのに妙に心配になってしまいます。
それと夢の内容を聞いているので、ありふれたものとか書かれても困ります。
次からはしっかりと内容も書いてください。
─────────

※新しく一つタグを追加しました

この作品のメインヒロインを誰だと捉えてますか?

  • 雪ノ下
  • 一色いろは
  • 鶴見留美
  • 松山千佳子
  • 材木座義輝
  • 戸部翔
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