車の排気音と、エアコンの稼働音。そして平塚先生の鼻歌。これらを聴きながら、俺は平塚先生の運転する車に揺られていた。
目的地は駅の方らしい。集合場所がそこなのだとか。最終的な目的地は千葉村だそうだ。千葉村とは、千葉市の保養施設が故に群馬県にあるのに千葉村という名前になっている、アウトドア施設である。
「しかし平塚先生、ぼくの家をよくご存知でしたね」
「前に行ったことがあるからな。忘れたのか?」
「……そうでしたね」
以前に一度だけ、俺がまだ一年生の頃。平塚先生はとある事情で俺の家まで来たことがある。俺と平塚先生の長いようでまだ短い付き合いはそれからだ。余程俺は手のかかる生徒だったのだろう、それからずっとこうして目をかけてくれている。
途中で赤信号に引っかかり、車は一度停止する。こうして車に乗るのは随分と久しぶりだな、なんて考えていると、平塚先生が顔はそのまま視線だけ向けて声をかけてくる。
「田島」
「はい?」
「奉仕部はどうだ?楽しいか?」
その問いかけに対し、俺という人間は、はいかいいえという単純な答えは持ち合わせていなかった。俺は、あの空間を楽しめているのだろうか。それとも楽しめていないのか。そもそも、楽しむ権利なんてあるのだろうか。
だが、それでも確かに感じることはある。満ち足りているなんて愚かなことは言うつもりはないが、それでも俺は確かに孤独を忘れることが出来ている。
ならば、まあ───
「……悪くはないですよ」
「そうか」
平塚先生は満足そうに頷くと、また黙って運転を再開した。
「そういえば、なんでぼくを迎えに?」
「いやぁ……君がサボるかと思ってな」
「信用がないですね……」
「日頃の行い、というやつだよ」
耳が痛い。
「まあ実際は、君の家が単に通り道だったから拾っただけなんだが」
「それなら初めからそうだと言ってください」
◇
そうしないうちに、車は駅に着く。バスのロータリー近くに平塚先生はワンボックスカーを止めた。
「このまま中にいても構わないぞ?エンジンは切るが」
「ぼくを殺す気ですか?出ますから少々待ってください」
車内の空気を吸って、覚悟を決める。車のドアをスライドして開ければ、ムワッとした熱気を肌で感じて、脱力しそうになるが、何とか堪えて脚を踏み出した。
「ああ、クソ」
悪態をつきながら、俺は車から降りる。空から注ぐ陽射しは燦々として、目を開けているのも億劫になるほどだ。雲一つない快晴の空は青々と澄み渡り、空から注ぐ熱線が、肌をチリチリと焦がすような感覚がする。まだ外に出てそんな経っていないのに、じっとりと汗ばんでくる。眼鏡に汗がつかないように、ポケットからハンカチを取りだし汗を拭いながら、被っている帽子を深く被り直す。
俺以外に誰かいないのかと周囲を見渡してみるが、チラホラと人はいれども見知った顔はいない。どうやら俺が一番最初に来たようだ。平塚先生が連れてきてくれたのだから当然ではあるが。
本来だったらここまでの道のりを歩いていかねばならないと考えると、平塚先生には感謝しかない。徒歩だとこの暑さにやられて、何処かでぶっ倒れていたとしてもおかしくはないのだから。
「他の部員が来るまで、適当に何処かで涼んでるといい」
「では、お言葉に甘えて」
駅近くのコンビニまで俺はフラリと歩いていき、中に入る。中は空調によってガンガンに冷やされており、少し肌寒いかもしれない温度だが、今の俺にとってはちょうど良いくらいだった。
「らっしゃーせ」
店員のやる気のない声と、コンビニ特有のチープなBGMを背に俺は、とりあえずミネラルウォーターとカロリーメイトを手に取ってカゴに放り込む。他の部員の為に、何かしら摘めるものを買っておくか……?いや、しかしどうせ由比ヶ浜あたりが既に買うだろう。やめておくか。
とりあえず俺の糖分補給用のキャラメルと、塩分チャージをカゴに放り込んで、レジまで向かおうとする。
「いやー、千葉村楽しみだねっ、ゆきのん」
「そうかしら。私はあまり気が乗らないわね……」
「えっそうなの?……あっ!」
入口の方から見知った声がしたのでそちらに振り向けば、そこには由比ヶ浜と雪ノ下がいた。
ピンクのサンバイザーをつけ、裾の短いTシャツ短パンと露出度高めの夏らしい格好をした由比ヶ浜に対し、ジーパンに露出控えめなTシャツと涼し気な装いをした雪ノ下。随分と対称的な格好をした二人だ。
「みのるんやっはろー!」
「おはよう……やはり慣れないな、その呼び方は」
六月の誕生日会以来、由比ヶ浜は俺をあだ名で呼ぶようになった。少しだけ俺と、彼女の距離感が縮まったのだろう。喜ばしく、少しだけ面倒なことだった。
あだ名に関しては未だに遺憾極まりないのだが、由比ヶ浜から提示された候補が『みのるん』『たじたじ』『たじまっち』だったがために仕方なくこの呼び方になった。改めて列挙すると酷い候補だな。
「雪ノ下もおはよう」
「ええ、おはよう」
逆に雪ノ下とは得に何もない。俺と雪ノ下の関係性において進展性というものは何もなかった。とはいえこれくらいの方が楽でいい。
「みのるん何買うの?」
「水とカロリーメイトと、後は糖分と塩分補給用の奴だ」
「あー、キャラメルだ。じゃあ、あたし何買おっかな。ゆきのんお菓子何食べる?」
「由比ヶ浜さん。私たちが今から向かう場所は林間学校であって、別に遠足じゃないのよ?」
仲睦まじくて結構なことだ。ベタベタと距離が近くて、見ているだけでも暑苦しいことこの上ないが。しかし雪ノ下もそんな由比ヶ浜を剥がさないのを見ると、順調に絆されてきている……いやもうとっくに絆されているのか。
「何を気持ちの悪い目でジロジロ見ているの?早く会計を済ませてきなさい。そこで突っ立っているのが、他のお客さんの邪魔になるということが分からないのかしら」
「別に俺たち以外誰もいないだろ……とはいえ、お前の言うことも一理ある」
レジまで行って、会計を済ました後、俺は適当に雑誌のコーナーで暇を潰す。普段から読書はあまりしないが、雑誌なんてのは人生で数えられる数しか読んだことがない。
料理雑誌とかならば多少興味が引かれるので、手に取ってペラペラと捲る。最近は色んなお手軽レシピが作られており、一人暮らしの身としては大変ありがたい。基本的にはネットで検索をして調べるのだが、たまには雑誌を読むのも悪くはないな。中々有用そうなレシピが多いし今度買ってみるとしよう。
「ありあとしたー」
再び店員のやる気のない挨拶が聞こえる。どうやら由比ヶ浜達も会計を終えたらしい。
「あれ、みのるんまだいたんだ」
「外は暑いからな……」
「超わかる」
俺は手に取っていた雑誌を棚に戻す。
由比ヶ浜は随分パンパンになったビニール袋を持っている。そんなに何を買ったんだ?袋から透けた中身は凡そ菓子の類しか入ってなかったような気もするが。
「なんだ、ジロジロこっちを見て」
間抜け面をしながらこちらを見る由比ヶ浜に苦言を呈する。
「あ、ごめんね。なんか、制服じゃないみのるん新鮮だったから。ね、ゆきのん」
「そうね……あなた、学校でしか姿を見ないから。もしかしたら学校に潜む地縛霊か何かかと思っていたわ」
「そんなにか」
言われてみれば確かに彼女たちとは学校以外で顔を合わせたことはない。唯一校外で活動したという、川崎何某の依頼も俺は体調不良で関わりがなかったな。
となればそう思われるのも、仕方、なくはないだろう。地縛霊は言い過ぎだ。そもそも別のクラスだし、俺はコイツらと部員仲間と言うだけで友達ではないのだから当たり前のことのような気もしてきた。
「ちょっと帽子深く被りすぎじゃない?」
「暑いんだよ、外が」
「全部それじゃん。でもラフな格好も似合ってていいね!」
ニコニコとした笑顔で由比ヶ浜は俺の服装を褒めてくる。今日の俺の服は、黒のキャップに白のTシャツ、7分丈のカーゴパンツと夏に合わせて買ったものを、適当に組み合わせて着ている。こうして褒められるのはそれほど悪い気はしないが……。
「お前、そういうのは比企谷に言ってやった方が良いぞ。その方が好感度稼げそうだからな」
「な、なんでヒッキー!?今関係なくない!?」
「なんだ、隠せていると思っているのか?まあそれならそれでいいんだが……」
「な、なんのことかな〜あはは〜」
パタパタと顔を仰ぎながら明後日の方を向き、ヘラヘラと笑う由比ヶ浜であった。
誤魔化したいなら誤魔化せばいいさ。別に隠すことではないとは思うが、乙女心は複雑なのだろう。
「二人とも、そこで駄弁ってないでそろそろ行きましょうか」
「あ、そうだね。行こっか」
「ああ」
そろそろ店員の目が厳しくなって来たのを察知したのか、単に話の切れ目だと思ったのかは分からないが、雪ノ下はそう言って出口に向かった。それを由比ヶ浜はガサガサとビニール袋を揺らしながら追いかける。
その背中を、俺も外の暑さを想像して辟易としながら追いかけるのだった。
◇
バスロータリーまで戻ると、比企谷が平塚先生に詰められていた。アイツはいつも先生にどつかれているな。
どうやら比企谷たちも来たようだが、一人見知らぬ少女が由比ヶ浜に溌剌とした表情で元気に挨拶していた。
「由比ヶ浜さんっ!やっはろー!」
「小町ちゃん、やっはろー!」
もしや、巷ではその挨拶が流行っているのか?正直馬鹿に見えるからやめた方がいいと思うのだが。
「雪乃さんもっ!やっはろー!」
「やっ………こんにちは、小町さん」
雪ノ下、今つられかけて言いそうになっていたな。やはり最近ガードが緩くなってきているだろ、あの女。
俺は溜息をつきながら、一旦見知らぬ少女のことは置いて、先程コンビニで買った物の中から、ミネラルウォーターだけ取り出す。キャップを開けて、俺はかわいた喉を潤した。
「戸塚さんやっはろー!」
「うん、やっはろー」
どうやら戸塚も今回の部活動に参加するらしい。戸塚彩加、以前奉仕部にテニス部の実力向上を手伝って欲しいと依頼してきた、総武高の男子生徒である。
もう一度言うが男子生徒である。童顔、低身長、細い身体と、ハスキーボイスといった中性的な見た目をしているせいで、勘違いしやすいが彼はれっきとした男なのである。しかし比企谷は現実が見れていないので、戸塚に対して態度が気持ち悪い。そりゃもうオタサーの姫のような扱いをしている。
「戸塚も呼ばれてたのか」
「うん、人手が足りないからって。でも、ぼくが行っていいのかな?」
「いいに決まってるだろ!」
あんな感じだ。
ボケーッと戸塚と比企谷のやり取りを眺めていると、さっきまで戸塚の方にいた少女が俺の方へと近づいてきた。
「こんにちは!」
「……こんにちは。君が比企谷の妹さんか?」
「はい、比企谷小町です!兄が何時もお世話になっております」
「いや別に世話なんぞしちゃいないが……まあいい、俺は田島実。比企谷とは部員仲間といった関係性だ。どうぞよろしく、小町さん」
「よろしくお願いしますっ」
小町さんはぺこりと頭を下げると、変わらずはつらつとした笑顔を見せた。
「ふむ……」
「えっと……小町の顔になにか付いていますか?」
こてんと首を傾げこちらを不思議そうに見る小町さん。どうにもこの顔、というか溌剌そうな雰囲気、短い黒髪のショートには見覚えがあるのだが……帽子をかぶっているせいがイマイチピンと来なかった。
「いや、そういう訳じゃないんだが……以前どこかで会った事があるか?」
「いえ?今日が初対面ですけど……」
「そうか、ならいい。急に変な事を言って悪かったな」
「いえいえー。新手のナンパかな?って一瞬思いましたけどっ」
この娘、本当に比企谷の妹か?いや確かに顔のパーツや、くせっ毛なところは似てはいるが、主に性格の部分が何一つ似ていない。親の教育が良かったのか、それとも兄の存在が反面教師となったのか。恐らく後者だろう。
なんて思ってると、比企谷がオラつきながらやってくる。
「は?てめぇコラ、なに小町にナンパしてんだよ」
「どう見てもしていないだろ、話を聞いていたか?ああいや、聞いていなかったのだろう?何しろ戸塚に夢中で他は何も見えてなかったんだからな!」
「は?戸塚に見とれるのが何が悪いんだコラ」
「そう開き直られると困るのは戸塚だぞ」
「えっ、ぼく!?」
面倒くさくなったので戸塚にキラーパスを投げておく。戸塚なら上手く舵を取ってくれるだろう。
ため息を吐いて、帽子を被り直していると、小町さんが、今度は微笑ましそうな顔で比企谷を見ていた。
「田島さん、兄と仲良くしてくれてるんですね」
「そう見えるか?」
「ですです」
「……そうか」
比企谷を長年見てきた妹だからこそ何かしら感じるものもあるのだろう。
「さて、では行くか」
平塚先生に言われて、俺たちはワンボックスカーに乗り込む。中は七人乗りで、前から二、二、三といった座席数となっている。
比企谷は助手席に座れと、平塚先生から直々のお達しを受けていた。憐れ、きっと目的地に着くまで平塚先生のアニメやら漫画やらゲームなどのサブカルトークを受け続けるに違いない。俺に気色の悪い詰め方をしてきた報いだとも、シスコンめ。
「ゆきのん、お菓子食べようお菓子」
「それは向こうに着いてから食べるものではなかったの?」
由比ヶ浜と雪ノ下は一緒に座る気満々のようなので、自ずと俺は戸塚と小町さんと一緒に座ることとなった。……どうやら、報いを受けるのは俺もらしい。
「兄との関係とか色々と聞かせてもらいますからねー」
「なんか田島くんと喋るの久しぶりかも……」
各々が車内で好き勝手に喋りながら、平塚先生は車は出した。ゆっくり眠れるかと思っていたが、この様子では無理そうだ。
「あ?……小町さん六月上旬の日曜日にららぽーとにいたか?」
「あ、はい。いましたけど」
「そう、か……」
世間は意外と狭い。
この作品のメインヒロインを誰だと捉えてますか?
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雪ノ下
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一色いろは
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鶴見留美
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松山千佳子
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材木座義輝
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戸部翔