雪ノ下を何とか説得した翌日。
俺はフラリとした足取りで、ぼーっとする頭をどうにか動かして二年E組の教室までやってきた。
自分の席は一番左の窓際で、その列の一番後ろの席になる。日中は日差しが当たって嫌になる、そんな席だ。
俺は鞄を置いて、早速一眠りしようかと思った矢先だった。ソソソッと誰かが席に近づいてきたのが視界に入る。
「おはようございます」
「……おぉ、おはよう」
松山だった。恐らく昨日の件で色々と聞きに来たのだろう。
彼女は俺に挨拶するやいなや早速と言わんばかりに口を開いたが、すぐに怪訝そうな顔になった。
「なんだか、眠そうなお顔をしていますね」
「色々あって徹夜だ。ここのところ寝付きが悪かったもんで、いつも以上に寝不足だよ」
思ったよりも仕事の精査や、そもそもの量、分配、ノルマの設定に時間がかかったせいで、結局俺は人に早く寝ろよと忠告しておきながら、自分は寝ないという愚行を犯してしまった。とはいえ、いつも通りといえばいつも通りではあるのだが。
「そうなのですか……お話を聞かせてもらおうかと思っていたのですが」
「悪いが今は寝かせろ。それに話が長くなりそうなんだ。昼休みにまとめて話す」
松山は少しだけ逡巡した。
「……分かりました。ですが授業はしっかりと聞いてくださいね」
「……多分な」
「多分ではなく、絶対ですよ」
「善処しよう」
俺の言葉を聞くと松山は相変わらずの眠たげな目のまま、何やら呆れたようにため息をついて自分の席に戻っていった。あいつは俺の母親か何かか?だとしたらあんな小さい母親はごめんだな。
机の上に突っ伏して、そのまま目を閉じる。窓から吹き付ける秋風が頬をくすぐって心地よい。普段はやかましいばかりの教室の喧騒も、今は何故だが耳障りの良いBGMとして聞くことが出来た。午前の授業は特に移動教室もないはずだ。別に授業中寝ていたとしても問題はない。
盛大に口を開けて欠伸をした後、俺はそのまま全身を襲う心地の良い微睡みに身を任せた。
◇
「結局授業中、寝ていましたね?善処するのではなかったのですか田島くん」
「人間、睡魔というものには勝てないのさ」
魔とは人を誑かすもの。人を誑かし、堕落の道に誘い込む。強き心を持つ者ならば抗えるのだろうが、生憎とこの俺はそこまで強くはない。心地の良い堕落と怠惰が待っているというのだ。是非とも身を任せて誑かされるべきだ。
それに、放課後はそれなりに気張らなければならない。
「ならば英気を養うのも必要だろう?」
「だとするならは、昨日しっかりと睡眠を取っていれば、問題のないお話ですよね」
「……むぅ、ぐうの音も出ない」
お手上げだと言わんばかりに肩を竦めて、そこで会話を打ち切る。
今は昼休み、昼食も程々に取った俺は松山と共に生徒会室までの道のりを歩いていた。こういう時少食なのが役に立つ。松山は見た目通り食も細いらしく、お互いに10分程で食べ終わった。
しばらく歩けばすぐに生徒会室は見えてくる。
扉の前に立ち止まれば、中からは二人の男女の会話が聞こえてきた。
コンコン、とノックをすると中からは聞き覚えのある声が「どうぞ〜」と入室を促す。
「失礼します」
カラリと引き戸を横に引いて、生徒会室の中に入れば、そこに居たのは、長机に座って楽しげに会話する葉山隼人と生徒会長城廻めぐりだった。
彼らは俺たちが入ってきたのに気づくと、振り返った。
「やあ、やっと来たか」
「二人とも、こんにちは」
二人に俺達も「こんにちは」と挨拶を返す。隣では松山が随分不思議そうな顔をしていた。
「てっきり、城廻会長だけに用があるのかと思っていましたが」
「それ含めて今から話してやる」
「そうですか」
会長が座るように促してきたので、俺たちは彼らの対面に座る。さっきまで葉山は会長の対面にいたはずだが、今はサラッと隣に座っているあたりさすがだった。
会長が俺たちの前に湯呑みを置いてくれた。それに対して会釈で返すと、会長は微笑んで松山の対面に座り直した。それを確認すると、葉山が口を開く。
「それで、話って?正直、ヒキタニくんでもなく田島から声をかけられると思わなかったから、少し意外だな」
「お前のような顔の広い人材が必要だからな……話というのは他でもない、文実についてだ」
文実、という言葉を聞くと、先程までは和やかな雰囲気を保っていた二人は少しだけ真剣な表情になる。それは隣にいた松山も同様だった。
こほんと少しわざとらしく咳をして、俺は少しだけ真面目な顔と声色を作った。
「今朝、雪ノ下から熱が出たという連絡がきました。まず間違いなく過労でしょう」
途端皆の顔が曇った。
三人にとっては危惧していたことが起きたと思った事だろう。もちろん、その通りだ。雪ノ下に負担をかけていたからこそ、過労で雪ノ下が熱をだすような結果に繋がった。それを知った二人が負い目を感じることによって、今後の交渉で優位に立つつもりだったのだが……。
実は今朝雪ノ下から本当に連絡が来た。
曰く『本当に熱が出たわ』とか。
雪ノ下め、本当に出すやつがあるか。なんの為に俺が事前に忠告をして休ませたと思っているのか。そうならないためのはずだろうに。俺と交代できるからと、一時的に荷が降りて気が抜けたか?本人は『嘘をつく必要がなくなったわね、』なんて少々喜んでいたが。
全く、戸塚の依頼の時に分かっていたことだが、体力のなさはアイツの弱点の一つだな。ちなみに他にも負けず嫌いなどがある。
ともあれ、なってしまったものは仕方がない。
もとよりそういう設定で行くつもりだったのだ、嘘から出た真と思うことにしよう。
内心大いに呆れながらも、俺は普段通りの顔のまま言葉を続ける。
「雪ノ下が言うには明日には復帰出来る体調だという話でした。そこで折衷案として俺が今日だけ、雪ノ下の代理を務めることにしました」
「田島くんが?」
「はい」
「でも、相模さんから許可は得ているのか?」
「その事だが、そもそも許可なんざ得る必要がない」
「どういうことですか?」
随分と怪訝な顔を向けられた。とはいえこれにおいては俺に説明義務がある。ここで理解を得られなければ、そもそもの前提が崩れるのだから。さがみ野以来の件も含めて、俺の考えを説明しよう。
「雪ノ下が副委員長になった経緯は、相模南が奉仕部に助力の依頼をしたことが発端です」
「奉仕部って?」
「ぼくや雪ノ下らが所属する、有り体に言ってしまえば生徒たちのお願い叶えることを手伝う部活です」
「そうなんだ……」
生徒会長ですら知らない部活ってなんだよ。
「故に、雪ノ下が倒れたのでその代理が必要になったのですが、部長がダメなら副部長のぼくがやるという形になりまして。これなら自然だろう?葉山」
そう言って葉山の方を見た。
「ああ。それなら納得だ。でも、悪いんだけど雪ノ下さんの代わりを君ができるとは思えないな」
「おお……言ってくれるな。まあ事実なのだが」
葉山は至極当然のことを口にする。どんな関係なのかは分からないが、この男は以前から雪ノ下と知り合いのようだし彼女のこともよく知っているのだろう。故にこそ俺の実力を疑う発言だった。俺はそれを否定しない。
「確かにお前の言う通りだ。しかしそもそも雪ノ下の完全代わりをする必要はない。それに今の俺では十全に力を発揮することは難しいからな。あれだけの負担を一気に受け持てばキツイどころの話じゃない」
「だったらどうするのですか?」
「負担を受け持つことは出来ないが、分散させることは出来る。つまり、今参加していない委員を全員参加させる」
雪ノ下には何故か聞かれなかったので説明しなかったが、さすがにあれだけの負担を受け持つのは骨が折れる。いやむしろ粉々に砕け散る、身も心も粉砕骨折だ。暫く歩けなくなることは請け合いだろうな。
故に全員参加という形にすることによってかかる負担を分散する。
「なるほど……ですが、どうやって参加をさせますか?」
「うん。それは気になるな。私が連絡してもみんな忙しそうで来てくれなかったから」
「その為に二人をお呼びしました。ぼくが思うに、城廻会長はそのお人柄によって随分と三年生に慕われているようですから。ぼくが提示する内容と併せて実際に声を掛ければ彼らも来てくれるでしょう」
城廻めぐりは、その人柄か、それとも生徒会長だからか、あるいはその整った容姿からか随分と三年生に慕われているらしい。文実中も三年生組は雪ノ下よりも彼女に頼っている場面が見受けられた。それは間違いなく彼女が三年生から一定の信頼を置かれている証拠だろう。
葉山を呼んだのはこいつの顔の広さや人脈は二年生の中でも群を抜いている。名前が独り歩きしている雪ノ下と違って、実際に人と関わってその実力を発揮してきたのが大きいのだろう。今回の文実でもよく分かったが、他人を心配して行動に移せるだけの実行力がある。それはこいつの美徳だ。林間学校のように裏目に出ることもあるのだが、今回はそれは強い追い風になるだろう。
ちなみに、葉山の武勇伝みたいなのは戸部から聞かされるのだ。何らかの下心ありでもよくやると感心したものだ。
「つまり、俺が呼ばれたのもそういうことなのか」
「そうだな」
「?なら私は関係ないと思うのですが?」
「お前は俺と一年の呼び出しだ」
初めての文化祭で、かつ少しばかり感じている罪悪感を蘇らせるのならば、男女の先輩が教室までやってくる。このシチュエーションほど効果的なものはないだろう。よっぽどの不良じゃない限りは押せるはずだ。
「把握しました。確かに問題はなさそうです」
「それじゃあ、さっき言ってた提示するって内容のやつ聞かせて貰えるかな?」
「はい。とはいっても、ある文言を追加するだけです」
その内容は、『文実の現状を鑑みて、先生方から参加の要請が出ている。これを無視すればペナルティが出るので、一度だけでもいいので参加するべし』である。
これのポイントは、教師陣の名前を出していること、ペナルティの存在、そして一度だけというところだ。
どれもが、今まで休んでいた生徒たちを強制的に参加させるために必要なファクターとなる。教師陣からの要請という点は、この参加をお願いではなく確かな要請であるという実感を。ペナルティの存在で教師陣がそれなりにこの現状を重く見ているのだと実感させ、事実上の最終通告であると理解させる。かつサボることに対する抑止力として。そして一度だけでもいいので参加するという文言を追加することで、一度だけなら参加しても良いかと思わせる。以上を持ってして、言葉と態度だけで生徒たちを参加させる。
葉山と城廻めぐり先輩の力を借りれば、可能なはずだ。
以上の内容を三人に説明する。
「なるほど。なら実際に休む生徒がいたら、どんなペナルティを出すんだ?」
「反省文を提出させる。もちろん、平塚先生から許可を得ているよ」
ペナルティの件で名前を借りる許可を貰った際、ついでだからと色々と許可を貰った。雪ノ下の代理を行うことも、そしてこの反省文の発行もだ。
実際に参加しない奴がいて、ペナルティがなかったと吹聴されるのも事だからな。
「以上を持ってして、雪ノ下の代理を務め、そして文実を相模南実行委員長の宣言前に限りなく近い状態に戻す。これがぼくの目的です」
俺が説明を終えると、皆は何かを考えるように黙った。そした数秒もしないうちに葉山が口を開く。
「一応聞いておくが、仕事内容の把握はしているのか?」
「もちろん。そのために徹夜したんだからな。仕事の分配や、各担当部署における仕事のノルマも設定している」
隣で松山が「あ〜」と声を出しながら納得がいったような顔をした。恐らく徹夜に対しての納得だろう。
俺の説明を聞いて、葉山は暫く考えていたが、こちらへと視線を向けて頷いた。
「……うん、分かった。協力するよ」
「助かる」
「私も手伝うね。雪ノ下さんが熱出しちゃったのは、私の責任もあるだろうし」
狙い通り、会長は負い目を感じてくれたようだ。人を動かすためには色々な要素がある。そのうちの一つが罪の意識だ。少しだけでも悪い事をしたと罪悪感を覚えることがあればそこに漬け込む事が出来る。ちなみにこれは洗脳の常套手段である。
「そうですか。ありがとうございます。それで声をかけるタイミングなのですが、放課後にお願いします」
「うん。わかったよ」
「それと葉山」
「うん?なんだい」
「相模には最後に声をかけろ。出来れば皆が揃いかけるタイミングが良い。遅刻にならないギリギリに来るようにな。お前ならできるだろう?」
俺の発言に皆が固まる。言いたいことが理解出来たからだろう。
これは俺の個人的な恨みが混ざった行為でもあるが、相模に対しての慈悲でもある。いい加減、自分を知ってもらう時だ。馬鹿は死んでも治らない。しかしその心を完膚なきまでに叩きのめして折ってやれば、少しばかり学ぶことだろう。
会議室に入ってきたのが、自分が最後だと知った時どんな顔をするか見ものというやつだ。
そんな俺の様子に、会長は少しばかり引いたように苦笑いを浮かべていた。
「……君、性格悪いってよく言われない?」
「いいえ?知り合いにもっと悪辣な女がいるので、初めて言われましたよ」
雪ノ下とか雪ノ下とか雪ノ下とかな。
微妙な空気が流れる生徒会室は、カチカチと時計が無慈悲に時を刻む音がだけが響く。気まずい雰囲気が流れたが、松山が俺の脇腹をどついた後立ち上がる。予想だにしない攻撃に、口からくぐもった変な声と共に空気が漏れ出た。
「お二人ともお昼は済ませましたか?」
「うん。俺は済ませたよ」
「あっ、私はまだ途中だった」
「そうですか。それでは私たちはこれで。さあ、行きますよ田島くん」
「……おう」
痛む脇腹を抑えながら、俺もパイプ椅子から立ち上がった。なんだかここ半月程度で随分と容赦がなくなった気がする。これを信頼の表れと捉えるか、呆れられているのか。十中八九前者だが、ポジティブに捉えていこうと思う。何事もポジティブシンキングだと、彼女も言っていたことだからな。
フゥと溜息を吐いて、俺たちは生徒会室を後にした。
◇
会議室には所狭しと生徒達が並んで座っている。
執行部の席には平塚先生も来てもらっている。今回の要請が教師のものであると認知させる為だ。彼女は常にいなくて良いからちょくちょく顔を出してくれとお願いしているので、しばらくしたらいなくなるだろう。
それと、隣には何故かニコニコしながらこちらを見つめてくる雪ノ下陽乃もいた。出来れば彼女はいないで欲しかったが、仕方がない。彼女の能力は有用だ。いるならいるで存分に使わせてもらおう。
残りの生徒で来ていないのは、文化祭実行委員長である相模南と、その取り巻きの二人だけだ。生徒名簿に一人一人名前を書いてもらって、既に確認済みだ。幸い今回は皆が参加してくれた。
相模は葉山に頼んで遅れて呼んで貰っているからな、彼女たちは今頃焦って来ることだろう。
そうほくそ笑んでいれば、そら。
「ごめんなさ〜い!遅れ……まし、た」
急いできたようで、少しだけ荒い呼吸でしかし脳天気な声色で入ってきた彼女たちに全生徒の視線が集中する。すると次第にその声も萎んでいった。
そして相模はそそくさと自身の席に座ろうとするが、その隣に俺が座っていることに気づいて一瞬目を丸くする。「誰?」とぽつりと声が漏れている。
しかし変わらず皆の視線が集中していることもあって、特に質問してくることなく席に座った。
俺はそれを合図に彼女に許可を取ることなく、開始の宣言をするために口を開いた。
「それでは、文化祭実行委員会臨時ミーティングを始めます」
さあ、始めるとしよう。
原作の雪ノ下さん家訪問の裏の話にあたります。
次回 田島くん頑張る
この作品のメインヒロインを誰だと捉えてますか?
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雪ノ下
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一色いろは
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鶴見留美
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松山千佳子
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材木座義輝
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戸部翔