時間は少し戻って、文実のミーティング前。
少し手間取ったが一年生の呼び出しは概ね成功した。俺と松山が理論整然とペナルティの件を説明すれば彼らは二つ返事で了承した。元より初めての文化祭であまり悪目立ちするようなことをしたくなかったのだろう。
二年生と三年生の呼び出しは未だに時間がかかりそうではあるが、ちょいちょい送られてくるショートメッセージを見るに問題は無さそうだ。
俺が一人頷いていると、会議室に入ってきた比企谷が近づいてきた。
「……雪ノ下が熱出したらしい。聞いてっか?」
「ああ。平塚先生からな」
嘘ではない。
比企谷は神妙な面持ちになっていた。俺は比企谷や由比ヶ浜に代理の件は話していなかったから、仕方がないことではある。しかしこればっかりは話す必要がないと判断した。
俺が動くのは奉仕部の監督役であり、そして副部長という肩書きを持っているからに過ぎない。故に奉仕部としては一人でやりたい。雪ノ下がそうしたように、代理としてやるならばそうしなければならないのだから。それに比企谷はわからんが、由比ヶ浜なら手伝いを申し出ることだろう。だから伝えなかった。
何より、比企谷と由比ヶ浜には雪ノ下のメンタルケアをやってもらわねばなるまい。こっちの事を気にして、中途半端になって欲しくはない。俺には俺の、比企谷には比企谷の由比ヶ浜には由比ヶ浜のできることがある。それに専念してもらいたいのだ。
「一応、雪ノ下ん家行くって話になってるんだが……俺は行こうと思う。お前はどうする?」
「ふむ」
スマホ取り出しメールアプリを起動すれば、確かに由比ヶ浜からそんな内容のメールが来ていた。今の今まで忙しかったから気にしていなかった。
「生憎と俺は今回の文実でやるべきことがあるからな……お前たちだけで行くといい」
「そう、か……分かった」
一瞬だけ目を丸くした比企谷だったが、すぐにいつもの無愛想な面に戻った。
「ああ、出席の件ならば問題ないぞ。お前の名前なら名簿に書いてあるから、存分にサボるといい」
「は?なんのことかわからんが……それに名簿なんかあったか?」
「今回ばかりの特別措置だ」
「ほーん……だから人が多いのか」
周囲へと視線を巡らせた後、納得したような顔をした。その後じっと俺を見つめてくる。
そう見つめるな。勘違いされるだろ。主に比企谷のクラスの海老名、だったか?あの眼鏡の腐女子に。以前戸部と喋っていたら、急に現れて、何故か興奮し始めて鼻血を吹き出したからな。アイツは妖怪の類だ。絶対に関わるべきじゃない。だからそうやって視線を飛ばしてくるのはやめて欲しい。本当に。
「なんだ?いや、それより妖怪に見つかる可能性もある、そうやって俺を見つめるのをやめろ。気持ちが悪いだろう」
「いや別に見つめてねぇよ。というか妖怪って何?」
「妖怪眼鏡腐女子だ」
「ああ、海老名さんのことね……」
何故か途端に辟易とした表情になる比企谷。こいつも苦労しているのだろうか。そういえば、F組の出し物は演劇だったか。確か、立案者でリーダーは海老名姫菜とかいう───そういうことか。大変だな、こいつのクラスも。文実に参加することになったことを話していた時にも、そういえば嫌そうな顔でミュージカルがどうのこうのと言っていたのを思い出した。ちょいとばかし比企谷に同情した。
「……それでどうした。まだ俺に何か用でも?」
「ん……いや別に用って程の用でもないんだが……ちょっと聞きたいことがあってな。なあ田島」
「あん?」
俺の名前を呼んだ比企谷は妙に真剣な顔をしていた。
「雪ノ下でも、嘘をつくと思うか?間違いを、犯すと思うか」
比企谷からこんな質問が飛んでくるとは思わなかった。こいつは他人の考えを自分の中に入れることはない人間だと思っていたから。だから少しだけ驚いた。
恐らく、これは以前雪ノ下を評価していた時の完璧超人とやらの延長線にある質問だろう。つまり比企谷にとっての雪ノ下雪乃という人物は嘘をつかず、間違いを犯さない女ということになる。比企谷はずっとそのギャップに苦しんでいた、あるいは憤っていた。
それはなぜか。由比ヶ浜から聞いた比企谷の事故の件、それを雪ノ下が話さなかったから?それを比企谷は嘘をつかない雪ノ下が隠し事をしていたという風に考えたのだろうか。
それならば比企谷の一連の態度にも説明が着く。あのやけに刺々しい態度も、雪ノ下に対するあるいはそのギャップに対するものならば納得がいくのだ。
ならば、比企谷は────いや、やめておこう。これ以上邪推するのは無粋だ。そもそも、比企谷には同情も憐憫も哀れみも必要ない。きっとな。
だったら俺が言うべきことは。
「──知らん。自分で考えろ。俺の評価なんぞお前には必要ないだろう」
俺の言葉はこの男には不要だ。
「俺は俺のやるべきことを見つけた。比企谷。お前もそれをさっさと見つけてこい」
「……分かった」
比企谷は小さく頷いたあと会議室を出ていった。俺はそれを見届けて、首をコキッと鳴らす。
松山がとてとてと近づいてきた。
「田島くん、書類の準備完了しました」
「良し。生徒が揃い次第始めるぞ」
「はい」
松山が再度執行部の方に戻って生徒会役員たちと会話しているのを見て、俺も執行部の席へと向かった。
◇
そうして今に至る。
会議室中の視線が俺に集まっていた。『お前は誰だ?』と問われる、そんな予感のする視線だ。あるいは俺がここに座っているのを問われるかもしれない。なんにせよ、説明義務が俺にはあるだろう。それは隣にいる相模においては最悪の説明になるが、まあ自業自得というものだろうさ。
「本日熱を出して欠席している、雪ノ下雪乃に変わってこのぼく、田島実が代理で副委員長をやらせていただきます。どうぞ、よろしく」
ざわざわと喧騒がより強くなって上がった。いくつもの視線が俺に注いだ。それを煩わしく思いながら、俺は一切表情を変えることなく言葉を紡いでいく。
「皆さんの疑問も当然でしょう。ですからぼくにはある程度の説明義務があると思いまして。本日の流れを説明することも含め、この臨時ミーティングを開きました」
「それで、なんで君が雪乃ちゃんの代わりになるかなー?」
と突然雪ノ下陽乃から声が上がった。発言は許可していないが、この女が勝手に喋るのは今までも多々あった。特に問題はない。
隣で平塚先生がため息を吐くのが見えた。
「そうですね。まずはそれから説明しましょうか。実の所副委員長の雪ノ下雪乃がこの文化祭実行委員会の副委員長になったのは、彼女やぼくが所属する部活動『奉仕部』へ依頼があったのです」
それまでは怪訝な目で見ているだけだった隣の相模南が、途端バッと焦ったような顔でこちらを見た。
俺はそれを無視して言葉を続ける。
「確か……そう『文化祭実行委員長をやることになったけど、不安だから助けて欲しい』でしたか。そうですよね、相模実行委員長?」
水を向けられた相模の肩がびくりと震えた。
会議室は水を打ったように静まり返る。そしてそれはすぐにざわめきに変わった。
ざわざわと相模を疑うような声がどこからが上がる。その度に相模は顔を歪めて、じっと下を向いていた。
ああ、面倒くさいさっさと説明を終えてしまおう。
「なので部長である雪ノ下雪乃が代表として相模さんの"お手伝い"をさせて貰っていたのですが……日頃の無理が祟ったのか体調不良とのことですから。なので副部長であるぼくに水が向けられたという訳です」
「ふ〜ん」
雪ノ下陽乃は納得したのかしてないのか判別のつかない返事をした。そして頬杖を着きながらまるで面白いものか否か見定めるように、俺を見ていた。
だからこの女はこの場にいて欲しくはなかったのだが、仕方があるまいよ。なるようになるだろう。多分。
「ともあれ、これはもう決定事項なので説明も程々にしておきましょう」
俺がそう言って、話を区切る。そして生徒会長へと視線を移した。彼女は頷いて「みんなお願いできるかな」と生徒会長役員達へとプリントの束を渡す。
「今から配るのは本日皆さんにやって頂く仕事のノルマです。それとそれぞれの担当部署における仕事内容と進め方や要点を箇条書きで記載しておきましたので、参考程度にどうぞ」
役員達が各部署にそれぞれプリントを配っていく。俺が徹夜することになった原因の殆どがこれのせいである。仕事の再分配、それにおける仕事の説明。それを各部署にやらねばならなくなり、かつ相模に回す仕事の選別やら俺のやるべき仕事やらなんやらでてんてこ舞いだった。
なんなら登校ギリギリまでやっていたので、正直学校を遅刻しようか迷ったほどである。しかしそれをせずとも完成させることが出来たのは、間違いなく雪ノ下の仕事の要点をまとめたメールのおかげだった。
プリントを配り終えた役員達が座ったのを見て、俺は口を開いた。
「そのプリントに目を通し終えた部署から仕事を始めてください。今まで休んでいた方もいると存じますので、それぞれ協力しながら仕事を進めていただけると幸いです。ノルマが終われば帰ってもらって構わないので、今までの遅れを取り戻す為にも頑張りましょう」
暗にお前たちが休んでいたせいで遅れているのだと、遠回しに、それでも確かに理解出来るように言葉にする。その言葉はじわりと彼らの罪悪感を刺激することだろう。
その証拠に会議室は再び沈黙に支配された。緊張感が辺りを支配する。
そうだ。今の今まで休んでいたのだ。それこそ馬車馬のように働いてもらおうか。
「それでは、実行委員長。開始の宣言を」
「……は、はい。えっと……それでは皆さん、本日も、よろしくお願いします」
相模の頼りない開始宣言によって、俺の一日限りの文実が始まった。
◇
会議室は活気に満ち溢れていた。各々が仕事の為に手を動かし、時には意見を交換し合う。
「ここの収支合ってないんじゃないの?」
「今確認中!」
「ごめん!これ、ちょっと誰かわかる人いない?」
「会計か……それなら、松山。頼めるか?」
「はい。今行きます」
俺の呼び掛けに松山が頷いて、会計で声を上げた三年生の先輩の元へと向かう。
やはりと言うべきか、かなりの期間休んでいたせいで仕事の理解度が足りていない人間がいる。
それを想定しないわけがないので、サポートの為、事前に文実が始まる前に頭を下げていたのだ。これまで休まず真面目に参加していたメンバーに。
正直難しいかと思っていたのだが、彼らは俺のお願いに快く承諾してくれた。なんというか、俺たちは俺たちで不思議な信頼のようなものがあったようで。
皆笑って『ここまで来たならとことんやる』と言ってくれた。
彼らは今までおよそ全ての仕事に触れてきたので仕事の要点などを十分に理解している。更に今回も参加してくれた葉山を中心に、それぞれの部署で仕事に専念するのではなく、全体のサポートに回ってもらっている。
今のように基本的には担当部署の仕事をしながら、どこかで声が上がれば、すぐさま駆けつけるそんな役目だ。
それを快諾した上で実際にやってくれているのだから、頭が上がらない。飲み物でも奢って労った方がいいだろうな。
「あの、確認できたけど……」
隣の相模がファイルを手渡してくる。受け取ってそれの中身を見る。
「問題ない。引き続き他のも確認を頼む」
「う、うん」
相模は小さく顎を引いて、また別のファイルへと目を通し始めた。
彼女はいくつか書類の確認作業と、判子を押すだけの作業を任せている。
開始宣言の後、彼女の仕事に対する理解度合いを確かめたのだがほとんど理解出来ていなかったので、適当にできそうなものを渡しておいた。これならさすがに出来るだろう。実際出来ているようだから問題はない。
「代理、これ終わりましたので確認お願いします」
報告にやってきたのは一年生だった。ああ、呼び出した時に一番俺に怯えてた男子生徒だな。覚えている。松山にしこたま文句を言われたからな。やれ『顔が怖い』だの『目つきが悪い』だの『口が悪い』だの『寝ろ』だの『顔色が悪い』だの。後半からはただの心配である。
「拝見します……問題はないようですね。ありがとうございます。ノルマ達成まではもう少しですね。引き続きお願いできますか?」
「……はい!」
彼に対し労いの言葉をかけると、少しだけホッとしたように息を吐くと嬉しそうな様子を見せながら自身の席へと戻って行った。
文実の進捗は順調だった。元々残ったメンバーだけでも回せてはいたのだ。明確に間に合わない遅れなどはなかった。遅れがあったとしても、それは雪ノ下が以前言ったようなバッファを取ることの出来ない遅れだ。
だから全員参加させ、その仕事を分配し負担を分散。それだけで進捗は目に見えて上がる。ノルマを設定したのも、彼らに対し終わりのない仕事ではなくここまでやれば問題ないとゴールを見せることで作業効率をあげる役目を果たせるからだ。ノルマ自体も困難なものではない。寧ろしっかりとやれば直ぐに終わるようなものが多い。
予想通り、今日一日で進捗は元に戻せそうだ。
一度キーボードを叩く手を止めて、乾いた喉を潤そうと手元に置いた湯呑みに手を伸ばしたが、それは空を切った。
何故かそこに湯呑みはなかった。
訳が分からず困惑していると、目の前にやってきた雪ノ下姉がコトリとお茶が入った湯呑みを置いた。
「はいこれ」
「あ、ああ……どうも」
困惑が続きながら、俺は湯呑みに入ったお茶を啜る。安物のパックで作られたお茶は味が薄いというのに、目の前に雪ノ下姉が立っているという事実でより薄く感じられた。
しばらく溜まった書類の確認をしながら冷たいお茶で喉を潤し終えれば、俺は再び作業を開始しようと湯呑みを置くとまだ彼女がいて普通に吃驚した。
「……えぇと、何かご用でも?」
「うん、そうね。もちろんあるわ。お姉さんちょっと君に聞きたいことがあるんだけど」
「はぁ、何か?」
よく分からず、ただただ怪訝な目を向ければ、彼女はニッコリと笑う。
「ねぇ、これもしかして雪乃ちゃんのためにやってるの?」
「はい?違いますけど。見当違いの所感はやめていただきたいですね」
「じゃあ、誰のため?」
雪ノ下姉は誰もが見蕩れるような笑みを浮かべながらも、どこか真剣味を帯びた声色で問うてきた。
誰のためかと言われても、正直困った。別に誰のためでもないのだ。俺の行動は、監督役としての責務を果たすためであり、特定の誰かのために動いている訳ではない。
だが、彼女の様子を見るにそういう答えを求められているのではなさそうなのだ。
チラリと様子を伺う為に入ってきたであろう平塚先生へと視線を移した。
そう、強いて言うのであれば──
「──愛しの平塚先生のため、ですかね」
俺の言葉を聞けば、彼女は目を丸くしたあとプッと可愛らしく吹き出した。突然笑い出した彼女に対し、隣の相模や生徒会長が驚いていた。
「あっははは!そっか、そっか!静ちゃんのためか!」
雪ノ下姉は、ひとしきり笑う。そんな様子に入ってきたばかりの平塚先生が何事だと近づいてきた。
「お、おい陽乃?何を私のことで笑っているんだ?」
「ふふふっ……あっ静ちゃん。ううん、なんでもないよ。あははっ」
「生徒の前でその呼び方はやめろ。それにその割には随分とご機嫌だが……」
平塚先生は困ったような顔をして、俺へと視線を向けてきた。俺はそれに肩を竦めて返す。
「本当に何でもないよ。静ちゃん、良い生徒を持ったね」
「うん?そうか?」
「うんそうだよ。えっと、君名前なんだっけ」
「……田島実。見たまんまの、どこにでもいるような男ですよ」
雪ノ下姉は愉快なもの見る目で俺を見てきた。
「君のような子がどこにでもいるならお姉さん退屈しなさそうだなぁ……君のこと気に入っちゃった。ちゃんと、覚えておくね?」
「出来れば忘れてくださると嬉しいですね」
「いやいや、それは無理だから。……あー気分いいからお仕事手伝っちゃお。隼人〜なんか仕事ない〜?」
雪ノ下姉は愉快そうに笑いながら、葉山の方へと向かっていった。何故か葉山がこちらを申し訳そうに見ていたが、俺からすれば彼の方が大変そうに見えたので、気にするなと首を振った。
しかしこうなるのが予想出来ていたから、あまり目立つ行動はしたくなかったのだが。
小さく溜息を吐く。
「なあ田島。君、陽乃になんて言ったんだ?」
「特に何も言ってませんけど」
「言ってなければあんな楽しそうにする子ではないよ、陽乃は」
「いや本当に何も言ってませんから」
さすがに本人に面と向かって言えるほど、俺は羞恥心を感じないわけではない。適当に誤魔化して俺は手を動かすのを再開した。
それから顔を出す度になんと言ったのか確認しようとしてくる平塚先生に対し辟易としたが、それでも文実はつつがなく進行していった。途中で仕事を手伝い始めた雪ノ下姉のお陰かより効率が上がった。
そして。
「代理。ノルマ全て終わりました」
ノルマ達成の報告が上がるようになった。
それもすぐに一部署だけではなく、全ての部署でのノルマ達成の報告が上がる。俺はそれに全て目を通す。どれも問題はなさそうだ。
「全て確認しました。ノルマの達成、ありがとうございます。これで本日は終わりですので、お帰り頂いても結構です。お疲れ様でした」
俺の労いの言葉を皮切りに、多くの人が会議室を後にし始めた。
時間にして、通常の委員会の終了時刻よりほんの少しだけ早い程度。日が沈み初めて茜色の日差しが窓から差し込み始めた頃だった。
俺はそれを見て一度手を止めて、隣の相模の方を見る。
「おう、お前も帰ってもいいぞ。今回は終了宣言も要らん」
「……うん、分かった」
「お疲れ様」
「……」
彼女は俺に返事をすることなく鞄を肩に提げて、いつもの取り巻きメンバーと共にそそくさと帰って行った。
彼女はこの文実中、常に非難の目に晒されていた。『雪ノ下さんが倒れたのはこの女のせいに違いない』だとか『今こうして仕事が大変なのも相模のせいだ』だとかまるでそんなことを言いたげな視線に。実際に言葉にはされていないが、きっと彼女はそう思ったことだろう。
もちろん、どの口が言うんだと我々は言いたくなるようかセリフではあるが、人というのは基本的自責思考ではなく他責思考だ。体の良い不満のぶつけ先がいれば、このように簡単に自身の行いを棚に上げて平気で人に責任をなすりつける。
故に仕事中彼女は最低限の会話以外で言葉を発することはなかった。それは帰る時も同様に。
とはいえそれも自業自得だ。かけた迷惑が回り回って帰ってきているのだから。当然の帰結なのだ。
ああでも、君ならば彼女のことすらも救えたのだろうか。
久しく忘れていた憂鬱がぶり返し、俺はそれを忘れるように手元にあったお茶を飲み干した。
◇
もはや会議室に人気はなく、残っているのは後始末をしている生徒会役員達と俺や松山だけであった。よく見れば生徒会役員もチラホラと帰り支度を始めている。ちなみに城廻生徒会長をいの一番に帰していた。過保護な役員たちだ。
サポートをしてくれた精鋭たちには直接労いを言って、今度飲み物でも奢ると約束したのだが、松山から『うちのクラスの喫茶店。田島くんが淹れるコーヒー、一杯無料で良いのでは?』と言われた。なのでそれでいいかと言ったら普通にOKが出た。
それでいいんだなと、なんだか拍子抜けだった。その後、彼らも残ろうとしたが、さすがに頑張ってくれたのもあって先に帰らせた。雪ノ下が復帰したらまた頑張ってもらうのだから、ゆっくり休んで英気を養って欲しい。
残っている仕事を片付けながら、雪ノ下への引き継ぎを纏めていると松山が近づいてきた。
「お疲れ様です」
「……おお、お疲れ様」
「はい。田島くんはまだお仕事を?」
松山は俺の手元をチラリと見る。
「ああ」
「お手伝いしますよ」
「いや、さすがに帰るといい。お前も疲れただろう」
「別に帰っても暇ですので。だから、ね?」
「そうか?悪いな」
松山は隣の席に腰掛けて、適当なファイルを取った。いつの間にか、会議室には俺たち二人しかいなかった。
「……仕事今日だけで随分となくなりましたね」
彼女は手を動かしながら俺の隣に置かれているファイル群を見て言った。
「そうだな。これで、次回からは多少楽ができる」
「そうですね。本当に良かった」
松山はそう呟くように言う。その後は黙々と手を動かし始めた。俺もそれを見て、さっさと残りを終わらせる。
そして十分もかからないうちに、残りの仕事や引き継ぎのまとめが終わった。
隣では松山が喉を鳴らしてこくこくと、ペットボトルに入った水を飲んでいる。俺に見られていることに気がつくと、ボトルから口を離した。
「……終わりましたか?」
「ああ。手伝い悪いな、助かったよ」
「良いのですよ。それじゃ、帰りましょうか」
松山が立ち上がった。それを見て、俺もPCや書類を纏めて、机の上に置いておく。これで次雪ノ下が来ても問題はないだろう。
ふと、視線を感じて目をやると立ち上がった松山が、俺の事を見ていた。その丸い眼鏡の奥は、夕陽が反射して紅く染っており、いつもの眠たげな眼は見ることは出来ない。
「……やっぱり面白いですね。私の目に狂いはありませんでした」
「は?なんだ、急に」
「ふふっ。いいえ、お気になさらずっ。ではお先に」
彼女はふわりと花が咲くように微笑んだ。そうして少し小走り気味で会議室を出ていった。それを見届けて、俺も立ち上がった。
会議室の鍵を閉めて、職員室に残った先生に挨拶したあと鍵を返す。
暗くなって影がかかり始めた廊下を歩きながら、俺はふと立ち止まった。
スマホ震えた。
画面を見れば雪ノ下からメールが来ていた。
『明日から復帰します』
内容はそんな一言だけ。相変わらず事務的なメールだ。俺はどこか可笑しくて笑ってしまいながら、彼女のメールに返信する。
『了解。こちらは問題なく終了した。明日からはまたよろしく』
メールが送信されたのを確認すれば、俺はまたスマホをポケットに入れて、再び歩き始める。
後悔はある。もっと上手くやれた気もする。それでも、俺は確かにやるべきことを終えた。
「あ〜疲れた」
そう呟いて、仕事の終わりを実感しながら俺は帰路に着いた。
松山ちゃんはこいつおもれ〜wって気分だけで田島に付き合っています
次回 その結果
この作品のメインヒロインを誰だと捉えてますか?
-
雪ノ下
-
一色いろは
-
鶴見留美
-
松山千佳子
-
材木座義輝
-
戸部翔