暗闇があたりを包む。オープニングセレモニーを待つこの体育館は、隙間なく張り巡らされた暗幕によって光一つ通さない。この暗闇の中では、自身の視力なんて役に立たないだろう。それ故に人は光を求める。
そして、俺はその光を与える行為を担当する役割が与えられていた。
記録雑務は当日において多くの仕事が割り振られる。俺であれば照明、比企谷であればタイムキープ、松山であればPAだ。
準備期間の忙しさがおかしいのであって、本来であれば今日が一番の山場なのだ。しかしどうも俺はあんな代理として出しゃばり方をしたせいか感覚が麻痺しているようで、この程度じゃ緊張なんざまるでなかった。
手首に巻かれている腕時計を見れば、時間は九時五十分。そろそろ開演三分前の内線が飛んでくるはずだ。
すると耳に嵌めたインカムがザザっとノイズを走らせた。
『───開演三分前、三分前』
聞こえてきたのは比企谷の声だ。しっかりと役割を果たしているらしい。
『───雪ノ下です。各員に通達。オンタイムで進行します。問題があれば即時発報を』
雪ノ下の落ち着いた声が聞こえると、ブツっとインカムは切れる。
それを合図に俺はインカムのスイッチを押した。
『───照明、特に問題なし』
そして続けざまに他の部署からも連絡が入る。楽屋裏のキャストが押しているだとか連絡があったが、特に間に合わないなどはなさそうだ。それぞれの報告は指揮を執る雪ノ下の元へと伝達されていく。
『───了解。ではキュー出しまで各自待機』
俺はインカムに集中するのを止めると、照明の面々へと視線を巡らせた。彼らは皆インカムに集中している。秒針が静かに時を刻んでいた。生徒たちのざわめきは、開始の時刻に近づく度に静かさを増していく。
今か今かと、誰もが固唾を飲んでいた。
『───十秒前』
カウントダウンが開始された。
『九』
『八』
『七』
『六』
『五秒前』
それまでの気だるげな男の声が、冷たい雰囲気の声色の女の声に変わった。
『四』
『三』
そしてカウントダウンの声が消える。
誰もがステージを見つめている。
そして、心の中で最後の一秒を数えた。
コントロールパネルの照明のスイッチを押した。瞬間、ステージに溢れんばかりの光が照らされる。
「お前ら、文化してるかー!?」
「うおおおおおお!」
予定通り舞台に現れた会長の声に生徒たちはその怒号で体育館を揺らした。
「千葉の名物、踊りと───!?」
「祭りいいいいい!」
こんな声がけ台本にあったか……?
「同じ阿呆なら、踊らにゃ────!?」
「シンガッソ─────!」
会長のスローガンにちなんだ、予定にない謎のコールアンドレスポンスで会場を一気に湧かす。ちなみにスローガンは「千葉の名物、踊りと祭り!同じ阿呆なら踊らにゃsing a song!!」である。
爆音の音楽と共に、ダンス同好会とチアリーディング部達を見ながら俺はホッと息を吐く。ともあれ照明はなんら問題なくステージを照らすことが出来ている。あとはこのオープニングアクトが終われば、相模が全体の挨拶をするので落ち着いた照明に変えるだけだ。
『───こちら、PA。間もなく曲あけまーす』
PAから連絡が入る。そして相模がスタンバイするとキュー出しをされたので、曲が開けたタイミングで俺も色の着いた照明を落とすように指示を出した。カラー照明はコントロールパネルではなく直接機材を操作する必要があるのだ。
それと同時にダンスチームが舞台袖へと掃けて、生徒会長が呼び込んだ。
「では、続いて文化祭実行委員長よりご挨拶です」
ステージ中央へと歩いてきた相模の顔は、誰が見ても固かった。全校生徒の視線が集中すれば、相模のその足はピタリと止まってしまう。マイクを持った手は震え、目はあちらこちらへと泳いでいた。
しかし何とか言葉を発するために口を開いて、声を発した瞬間。きーんと耳を劈くようなハウリング。インカムからは音響の報告が入るが、特に機材には問題ナシとの事だ。
ドっと、生徒たちが爆笑した。もちろん悪意なんてものはない。しかし相模にとってはどう聞こえるか。
不味いな。大丈夫か、あれ。
相模は涙目になりながら、ハウリングが収まった今でも話出さない。見かねた会長がマイクを握った。
「……では、気を取り直して、実行委員長、どうぞ!」
その声で焦ったようにカンペを取り出した相模だったが、狂った指先によってそれはステージへと落ちる。その様子がまた観客の笑いを誘った。
真っ赤を通り越して真っ青になった顔で相模はカンペを拾った。一部の生徒たちから無責任な「がんばれー」といった言葉が飛んでくるが、そんなものは今の彼女にとっては励ましにならなかった。
そうしてようやく行われた挨拶は、カンペがあるというのにたどたどしく、ゆっくりゆっくり棒読みで読み上げられていたがどう考えても時間を押している。
『───比企谷くん。巻くように指示を出して』
ノイズ混じりの雪ノ下の声が聞こえた。役職名ではなく名前で呼ぶのは如何なものだろうか。
『───さっきから出してる。見えてないみたいだけど』
『───そう。……私の人選ミスかしら』
『───それは俺の存在感のなさを揶揄しているのか』
『───あら、そんなこと言ってないわ。それよりさっきからどこにいるの?客席?』
『───めっちゃ揶揄してんじゃねぇか。ていうか───』
突然インカム越しでいつもの漫才が始まった。
こいつらインカムだから全体に入っているということが分かっているのか?バカなのか?馬鹿なんだろう。ため息をついてインカムのスイッチを押した。
「おい阿呆ども。黙れ。聞こえているぞ」
俺がそう言えば、インカムがブツっと音を立てて切れる。そして数秒を置いてイヤホンにノイズが入った。
『───…………以降のスケジュールを繰り上げます。各自そのつもりで』
たっぷりの間を開けて、それっきり通信が途絶える。別に俺が漫才をした訳でもなければ、恥をかいたわけではないのに、何故だか指摘した俺すらも恥ずかしくなってきた。眼鏡を外して、服の裾でレンズを拭いてからステージへと目をやった。
オープニングセレモニーはようやく相模の挨拶が終わって、次に移る。
グダグダな文化祭の幕開けに、俺は小さくため息を吐いた。
◇
「「お帰りなさいませー!」」
大正浪漫風のメイド服を来たうちのクラスの女子生徒たちが、入ってくる生徒たちをとびっきりの笑顔で迎え入れる。
オープニングセレモニーが終われば、文化祭は本番に入る。我が2年E組も同様であり、一風変わったメイド喫茶を謳っているが故に客入りはそれなりのものだった。一日目は一般公開はされておらず、生徒のみの文化祭となっている。
それでも生徒たちによって席は満席。メニューとにらめっこしている客からのオーダーで、メイド服をきたクラスの女子生徒たちは忙しなく働いていた。
それは余った男子生徒たちで構成されているバックヤードも同様であった。
「田島くん。特製コーヒーオーダー入りました!」
「了解」
ポッドに入っているコーヒーをカップに注いでメイド服を来たクラスメイトに手渡す。彼女はすぐに客席の方へと向かっていった。
事前に加藤と一緒に抽出しておいてよかった。じゃないと間に合わない予感がしたのたが、案の定である。
では俺が何をやっているかと言うと、これまたひたすらにコーヒーを抽出していた。
加藤が持ってきたドリッパーは二セットある。わざわざスタンドまで持ってきている辺り本格的である。
基本的にドリッパーは1〜4杯ほど抽出することが出来る。大きなドリッパーなら4〜6杯分と言った形だ。ちなみに、中には28杯分を一度に用意できるといった化け物みたいなやつもある。ドリッパーではなく、パーコレーターではあるが。
今回持ってきてくれたのは大きめのドリッパーであり、二セット稼働させればだいたい10杯分は確実に抽出できる。なので注文の多さに反して提供量が少なすぎる!といったことはない。
そもそもこの特製コーヒー、正式名称を『コーヒー好きによる丹精込めた特製コーヒー』というのだが……名前もう少しどうにかならなかったのか?ウケを狙いにしては露骨すぎるだろう。これ、一杯650円である。コーヒーにだ。それも素人のだぞ。
ちなみにただのインスタントコーヒーは200円。サンドイッチは1番高いのでも350円だ。ほぼ倍である。誰が頼むんだこんなぼったくりコーヒー……と思ったが、意外と注文が来る。文化祭の熱に当てられたのだろう。あるいは物珍しさからかもしれない。どちらにせよそれなりの頻度で頼まれた。
なので俺は常にドリッパーを動かしていた。
今回使われているのは某有名コーヒーチェーン店スター○ックスの深煎りコーヒー粉『カフェベロナ』だ。それの中挽きのやつ。
癖になる力強いコクと酸味が抑えられたその味わいは、既に挽いてあるコーヒー粉とはいえ、バランスのとれた深さを舌で感じ取ることが出来るだろう。
あのチェーン店のコーヒーなら飲みなれている学生も多いだろうし、俺と加藤二人で選んだのだが正解だったようだ。ちなみに一袋お値段1440円。結構お手軽なお値段。
俺も少しだけ飲ませて貰ったが美味かった。最近のコーヒーは馬鹿にならないからなぁ。コンビニコーヒーなんてそこら辺の店より上等なものもあるし。それがお手軽な値段で飲めるようになったのだから、便利な時代になったと婆さんが言っていたのを思い出した。
忙しなく動くクラスメイトを時折眺めながら、温度計とにらめっこをしていると加藤がやってきた。
「やほやっほ。売れ行きはどうよ?」
「上々だ。見ての通り盛況だよ」
「そりゃよかった」
加藤はウンウンと頷くと、腕に巻かれた時計を見る。
「いい時間だから変わろっか」
「わかった……そうだ、十四時からは文実の仕事があるんだが」
「うーん……じゃあ三時間ぐらい私がぶっ続けで入るかー」
「悪いな」
「いいよいいよ。なんか後輩ちゃんと回るんでしょ?松ちゃん言ってたし、遊んできなよ」
「前から思ってはいたがあの女口軽いな……了解だ」
少し人の事情ペラペラと喋りすぎな気もするが、彼女の性格上聞かれたら答えるという応対をしていても不思議ではない気がする。結構素直なやつではあるからな。
加藤にあとは任せて、俺はバックヤードを出た。教室には生徒たちで一杯になっていて、わいわいがやがやと喧しくてしょうがない。とはいえこれが文化祭というものなのだろうとも思うのだ。文化祭もこれで二回目だが、この熱にだって特段感じ入るものはない。
出来れば、彼女にも見せてやりたかった。きっと彼女はこういう人々が熱に浮かされて笑顔になるようなイベントは好きだったろうから。
それが叶わぬ願いだと知ってもなお、そう思ってしまうのは、俺がほとほと間抜けな男だという証明なのだ。
ああ、こんな時にも憂鬱な俺は、きっと罰当たりでどうしようもない男に違いない。そんな俺が当然のように生きていることが、ただただ恥ずかしかった。
◇
一色のスマホに連絡を入れれば、十秒後には返信が帰ってきた。早いな。
とりあえず待ち合わせの場所である昇降口の方まで行く。外の模擬店へと行き交う生徒達でごったがえしていた。あたりを見渡せば一色は既にそこにいた。だから早いな。
俺が来たのに気づくと一色は頬をふくらませる。
「田島さんおそーい」
「お前が早すぎるだけだろ」
一色はヘラっと笑ったあと「はいこれ」と言ってアイスキャンディーを渡してきた。
受け取って包装紙から取りだし、早速アイスキャンディーを食べる。サクッとした食感と優しいミルクの味が美味い。何故だが懐かしくなる味わいだが、パッケージの方にも昔なつかしいアイスキャンディーと書いてあるので狙って作り出されている味なのだろう。
「どこで買ってきたんだ?」
「外の模擬店で売ってたので、いまさっき買ってきたんですよ」
「そうか。悪いな……それでいくらだ?」
「150円になりま〜す」
「コンビニで買えるやつより高いのが良い商売してるよ……そら」
「毎度ありです」
一色さ渡された小銭を財布にしまう。水色で二つ折りの可愛らしい財布だった。
そんな仕草をしている彼女の袖口から、ふと手首の当たりがちらりと見える。彼女が以前から大事にしていたレザーベルトの腕時計が、そこには着いていなかった。
「……お前、いつもの時計はどうしたんだ?」
「ああ。アレ、壊れちゃったんですよね……お気に入りだったんですけど」
「そうか……」
彼女が酷く残念そうな顔をして手首の辺りをさするのを見て、以前誰かからプレゼントしてもらったと言って、大層喜んでいたのを思い出した。相手を聞いたんだが、蠱惑的な笑みで『秘密です』と言われてそれ以上追及するのをやめたのだったか。
……腕時計、それも皮ベルトのものはおおよそいくらするのだろうか。後で調べておこう。
「……はいっ!湿っぽい雰囲気はこれくらいにして、どこか行きません?田島さん」
「どこに行く?」
「田島さんのクラスとか?」
「この時間だと一番混んでそうな気もするな……」
「でも私、まだお昼食べてないんですよね」
「俺もだ」
ふむと二人で思案する。しかしすぐに考えるのも面倒くさくなった。空腹のせいで考えが上手くまとまらない。いくら少食とはいえ腹は減る、こと今日はいつもよりも腹が減っていた。適当に歩いてそれらしいものでも見つけるとしよう。
「適当に外の模擬店にでも行くか」
「ですね。あ、そういえばホットドッグ売ってましたよ」
「良いな。それにするか」
「それじゃレッツゴーです!」
◇
ホットドックだとか、ハンバーガーだとかのジャンクフードの利点は、単体で結構腹一杯になるというところだろう。そして何より片手で食えるのがいい。歩き食いというシチュエーションには適している。
とはいえ校内での歩き食いは基本禁止されている。一部の部屋が休憩所として提供されているので、そこで大人しく飯を食べた。
食い終わって、休憩室から出れば時間はおよそ十三時。交代した時間から一時間が経っていた。
あと一時間もすれば、俺は参加して申請書類と違う出し物がないか確認するというなの見回りをすることになる。確か他の文実メンバーと一緒に回ることになっているはずだ。一般公開の日に向けて万全を期して行くという意思の表れだろう。
「それで、次どこ行きます?」
「そうだな……」
顎に手をやって考える。食い物系は正直もういい。甘いものとかは正直アイスキャンディーだけで腹一杯だった。
となるとアトラクション系だが、どこがいいのだろうか。適当に生徒の話に聞き耳でも立てて評判の良さそうな場所でも……。
「では、お化け屋敷などはどうでしょうか」
「おづっ……!?」
ニュっと、突然俺と一色の間に松山が生えてきた。比喩ではなく本当に。俺は辛うじて変な声を出すだけで済んだが、一色に至っては驚きすぎて声を失っている。
先程まで仕事をしていたのか、メイド服を身にまとった松山は、二つに結んだお下げを揺らしながら俺たちの様子を相変わらずの眠たげな目で見ていた。
「心臓が止まるかと思いました……」
「お化け屋敷なんぞよりよっぽど驚いた気がするぞ……仕事終わりか?」
「ええ。ちょうど終わってなにか暇潰しでもしようかと思った所でお二人を見つけたので」
だからイタズラしましたと言わんばかりに、その口角を彼女は釣り上げた。愉快そうで何よりだよ。
「それでなんでお化け屋敷なんだ」
「何でも三年生のお化け屋敷がかなり評判が良いと耳にしまして。ですが一人で行くのは少々不安でして」
「じゃあ千佳ちゃん先輩一緒に行きます?」
「ええ是非」
一色の申し出にこくりと頷き、松山は彼女の隣に立つ。
しかし、一色が一緒に行くと申し出るとは思わなかったな。それだけ松山に心を許したのだろうか。
まあ、俺としては特に同行について異論はなかった。
「ならば、さっさと行くぞ」
「はーい」
「松山が なかまに なった!」
道中でラムネ瓶を買いつつも、俺たちは三年生の教室まで歩き始める。その後ろで目の前を歩いて会話する二人の背中を眺めていた。しかし並ばれるとよりどっちが先輩で後輩かパッと見じゃわからんな。
などと思いつつ俺はラムネのシールを剥がす。蓋として飲み口を塞ぐビー玉を付属の部品で落とせばボンッと重い音が鳴って、その後炭酸の泡が少し吹き出してきた。それをハンカチで拭えば、飲み口に口をつけた。
シュワシュワと口の中で炭酸が弾ける。爽やかな味わいの炭酸水を喉に流し込めば、さっきまで喉奥にあった気持ち悪いものもなくなっていく気がした。
炭酸飲料特有の喉が焼けるような感覚がする。
それをどこか心地よいと思う自分が確かにいる。
「まあ、たまにはこういうのも悪くはないさ」
誰に聞かせる訳でもない呟きは、すぐに祭りの喧騒の中に消えていった。
次回 筆が乗ればデート続き、なければ文化祭二日目
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雪ノ下
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一色いろは
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松山千佳子
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戸部翔