あれから留美は母親と合流し、そのまま別のクラスの出し物を見に行っていた。トロッコがどうのこうのと言っていた。
一緒にいた由比ヶ浜は三浦たちと有志で出るバンドの最終調整をするといって去っていった。葉山たちと一曲披露するそうだ。有志団体の発表はエンディングセレモニー前だから、確かにそろそろ行かねば遅れてしまうだろう。
彼女たちや、ようやくやってきた文実のずっと参加していたメンバーにコーヒーを提供した後も俺は黙々と抽出していた。
次の豆をドリップしようと思ったが、ふと袋が空となったことに気がついた。つまり我がクラスは無事、コーヒー豆が尽きたということだ。それを報告すれば、すぐに特製コーヒーの提供を完売御礼ということで止めさせてもらった。
今は残りのサンドイッチとインスタントコーヒーを売るために尽力しているようで、外では幾人かの生徒が呼び込みをしているそうだ。それも数少ないので、時期に全部売れるだろう。つまるところ俺の仕事はもうないということだ。
そのためやることもなく、暇だった。
誰かに声を掛けようかと思って、口を開いたがやめた。わざわざ仕事を貰って忙しい身になる必要もあるまい。クラスメイトには悪いが、サボらせてもらおう。
バックヤードから出て、そのまま廊下へと出る。そこでは松山筆頭に女子生徒が、最後と言わんばかりに呼び込みをしていた。
そのまま立ち去ろうとするが、彼女と目が合った。相変わらず何を考えているのか分からない眠たげな目だった。
俺が文実の腕章をコツコツと指でつつくと、彼女はこくりと頷いて、呼び込みを再開した。
俺の意図はこれで伝わっただろう。
そういえば、俺が文実の仕事に行った後は松山と一色とで一緒に回っていたという話だったな。そのまま仲良くなってくれたならば良いが。
エンディングセレモニーの打ち合わせまではそれなりに時間がある。特にやることもないので、俺は一人で校舎をぶらついていた。一人で歩く文化祭は特に思うところはなかった。あと少しすれば、この長かった文化祭も終わるのだろう。
殆どのクラスは最後の呼び込みを行っているか、あるいは全てやり終えたのか暇そうにしている生徒しかいなかった。
「どうしよう遅れちゃう!」
「まだ空いてるかなー!?」
そう思っていたが、一部生徒が廊下を走って、何やら急いだ様子で体育館の方へと向かっていった。
「なんだ?」
この時間は有志によるオーケストラの演奏だったか。例年、総武校は集客の見込めるバンドや演奏系の有志団体のステージをこの時間に組み込んでいる。その後そのままエンディングセレモニーへと流れ込む。なんでも生徒の移動を効率よくするためらしい。
確か有志ステージの代表者名が乗せられたプリントがあったはずだ。俺はそれを見ている。オーケストラのリーダーの名前は……そう、雪ノ下陽乃だ。
そこまで思い出してなるほどと内心頷いた。確かに彼女による演奏ならばここまで話題になるのも納得というものだ。
見に行ってもいいが、俺としてはそこまで興味がない。が暇つぶし程度にはなるだろう。彼女が指揮を執るのだから、一定のクオリティは補償されているのだろうし。
俺はこの文化祭準備期間で、雪ノ下姉妹の評価を個人的に上げていた。姉と妹、タイプも性質も違うが、どちらも優秀なのは間違いない。だからこそ、一定のクオリティが見込めると断定しているのである。
なんにせよ、どうせやることもないのだ。残りの時間を有志の発表でも見て潰すのも良いだろう。
思い立ったが吉日。ということで足を体育館の方へと向けたのだが、その際に視界の端にとある人物を捉えた。
相模南だ。
彼女は人目を気にしているのか、できるだけ目立たないように人混みに紛れつつどこかへと去っていった。方角は、恐らく特別棟の方か。
エンディングセレモニーまでは時間があるのだし、今どこかへ行こうととかく問題はないだろう。有志の発表が終わるまでに戻ればそれでいいのだと思う。いや、セレモニーの打ち合わせをすると雪ノ下が言っていたような。俺の気にすることではないか。
ただ少しだけ気になったのは、彼女が一人でいたということだ。仮に何処かへと行くのだとしても、いつもの取り巻きの女子二人が連れ立っていないというのはいささか違和感を覚えた。
とはいえ、オープニングセレモニーであんな姿を見せてしまったのだから、エンディングセレモニーが近づく今、少しナイーブな気持ちになっているのかもしれない。
人に弱みを見せることを嫌がるのが人の常だ。いくらグループの連中とはいえ、どうせ深い仲でもない連中だ。エンディングセレモニーに出ることを日和るような、弱々しい姿を見せるのは嫌だった。そんなところかもしれない。
なら気に止めることでもないだろう。
俺は相模のことを忘れ、ゆったりのったりとした足取りをしながら、体育館の方へと向かっていくのだった。
◇
重い体育館の扉に手をかける。ゆっくりとその扉を推し開けば、視界に入るのは人の群れ。肌で感じるのは人が作り出す熱気。そして耳に入るは、ジャン!という音。そして扉越しでも聞こえていた演奏がピタリと止まった。
そうして沸き起こるは鳴り止まぬ歓声と拍手。これちょうど今演奏終わったな。
少しノロノロと歩きすぎたか……と後悔もつかの間、続けて知らない3年のバンドが始まった。
歌われるのは青臭い歌。愛だ恋だと腑抜けたような言葉て語り続けて、しまいには君を愛してるなんて、浮ついた歌詞。
思い出がどうの、別れがどうの。キラキラとした、目も当てられないような、それでいて聞いてるこっちが恥ずかしくなるようなラブソングだった。
青春だと思った。歯の浮くような気分だった。憂鬱で、死にたくなった。
「ふぅぅぅぅぅ……」
込み上げてきたものを抑えるように、深く息を吐く。
気づけば、そのバンドはもう演奏を終えていて、次は知らない女のバンドだった。これまた知らん曲だった。またラブソングだった。
これ以上ここにいたら死ねると思ったので、体育館を出る。
清涼な空気を吸い込んで、淀みきった肺の空気を全て出し切るまで息を吐く。それを数度繰り返した。
「さて。どうするか」
エンディングセレモニーが始まるまでもう体育館は行きたくない。とんだ地雷原である。
ピンポンパンポーンと、聞き慣れない音と共に、天井に着いているスピーカーからノイズ混じりの声がする。
『二年F組の相模南さん。副実行委員長がお探しです。至急、ステージ裏まで来て下さい』
それ相模南の呼び出しの校内アナウンスであった。
校舎に人はほぼまばらにいるだけだったが、それでも残っていた人間たちがザワついていた。それも無理はない。この校内アナウンスは、相模と連絡がつかないことの証明であった。即ち逃げ出したということだ。
「さて。どうするか」
先程言った言葉を改めて口にした。
憂鬱に支配されかけていた頭を切替える。俺は先程相模を発見した。それは確か特別棟の方へ一人で向かっていく姿だったはずだ。
まずはこの情報を雪ノ下にメールで共有するべきだな。
『アナウンスを聞いた。実は半時前に特別棟方面へと向かう相模南を発見した。ので、俺も探そうと思う。本人を発見次第連絡をする。』
内容はこんなところでいいだろう。送信ボタンを押して、無事送信されたことを確認すれば、続けて一つだけ下書きのメールを書いて保存してから、スマホをしまう。
さて、ひとつ考えてみよう。
相模が向かったのは何処なのか。まず闇雲に探すという選択肢は論外だ。それはもう既に他のメンバーがやっているはず。ならばどうするか。ヤマを張るのが一番である。
誰にも見られたくない彼女が向かったのは何処だ?
まず、トイレ。女子の個室トイレなら長時間使われていても、誰も不思議に思わない。そもそも体育館に人が集まっているなので、今であれば使われること自体少ないだろう。
そして空き教室。この学校は広いからこそ空き教室が幾つかある。隠れるならば絶好の場所であろう。
あとは、屋上か。
確か特別棟の屋上は鍵が壊れていて、容易に侵入することが出来るのだ。砂っぽいし、汚いし、日照りが酷くて俺はあまり使わなかったが。しかし教師にはその事実が出回っていないことを考えると、ここも良い隠れ場所になるだろう。
他にも侵入できるところは幾つかあるが、どれも専用の鍵が必要で難しい。
となれば現状で俺が探せるのは上記の三つとなるのだが、まずトイレは無理だ。俺は男だから。ここに隠れているとしたら他の人間に任せるしかない。
では空き教室はというと、ここも鍵が必要な筈だ。もし鍵を借りていたのならば、教師が誰かしら把握しているはずなのだから、校内アナウンスなど流れるわけがないので除外。
つまり初めに行くべきは、特別棟の屋上だ。ここにいなかったのであれば空き教室を回る。トイレは雪ノ下にでも連絡するしかない。
俺は行動の指針を決めて思考を止めた。仮に特別棟から移動していた場合も他の人間に任せるしかないだろう。
人のいない校舎は俺の足音だけが響いていた。焦りなのか、次第に歩くペースが早くなる。
エンディングセレモニーに不在なんてさせるわけにはいかない。そんなことがまかり通ってしまえば、全てが無駄になる。
俺がなんのために柄でもない代理になってまで雪ノ下の代わりをやったのか。それはただ一つ。奉仕部の依頼を全うさせるためだ。彼女がサボタージュを決めるだけで、それが破綻する。
そんなこと、させるものか。
特別棟の屋上へと俺は急いで向かった。
◇
屋上へと続く階段は、文化祭の荷物置きになっているようで、駆け上がるのは難しい。しかし不自然に人が通ったような隙間が出来ている。
それを辿っていく。
そして踊り場に出た。扉には壊れた南京錠が引っかかっていた。ドアノブに手をかけて、力を込める。錆が浮いて立て付けの悪くなった扉は少しだけ重かった。しかしぎぃと大きな音をさせて開いたその扉は、その先の景色を見せた。
フェンスに囲まれた屋上に吹き抜ける秋風は、まだ少しだけ暖かさを残していた。広がる晴天の下、探し人たる相模はフェンスに寄りかかっている。しかし誰かが入ってきたことに気がつくと振り向いた。俺はスマホを仕舞った。
そしてその顔が酷く歪んだ。
「なんで……あんたが……ああ、そう。やっぱりそういうことなんだ」
怒りと落胆と嫌悪。全て俺に向けられた感情だ。察するに、コイツはどうやら誰かに見つけて貰いたかったようだ。それは俺ではなく、別の誰か。まぁそれが誰でもいいし、どうでもいい。
俺の役目はこいつを連れ戻すことだ。
「ご期待に添えなくて大変申し訳ない。しかし相模南実行委員長。エンディングセレモニーが始まる。さっさと戻れ」
簡潔に要件を伝える。
しかし、相模の表情は不快そうに歪んでいた。
「は?なんで戻らないと行けないわけ?別にうちじゃなくてもいいじゃん。雪ノ下さんか、それともあんたがやる?」
そういう彼女の顔は、どこか忌々しげなもので。しかしそれを隠すように嘲笑うように口角を上げた。
「いいから戻ってくれ。お前を探すアナウンスも出ている。エンディングセレモニーももうすぐ始まるんだ」
「むしろもう始まってるんじゃないの?」
舌打ちをしてしまう。どうやら委員長らしくそこは把握しているらしい。
「なんだ。わかっているのか。ならさっさと戻ってくれ。面倒だし、時間がない」
「戻るわけないじゃん。少なくとも、うちはあんたの頼みだけは聞かない」
それは文化祭に戻ることへの拒絶ではない。俺に対する拒絶であった。
「違う。これは俺の頼みではない。文実としての要請だ」
「へ〜。それでもうちは戻らない」
なぜだか彼女は強い意志を持って俺にそう答えた。俺は、彼女はもっと弱々しい姿でいるのかと思ったが。どうにも違う。
覚えた違和感を気にしながら平行線でしかない会話を続ける。
「何故戻らない?」
「あんたに言う必要ないよね。じゃないとこっちの事情また勝手に話すでしょ?」
それは、雪ノ下がなぜ副委員長になったか訳を分実メンバー全員に話した時のことを言っているのだろうか。
「うちさ、あんたがなんかしゃしゃり出てから、文実でずっと孤立してたんだよね。しかも裏で陰口まで言われてるし」
カラカラと乾いた笑いをした後に、相模南はこちらを見据えた。その目は憎悪に燃えていた。
「そんな事になったからさ、調子狂ってオープニングセレモニーの挨拶も上手くいかなかったし。でもこれって、あんたのせいじゃない?」
「何を、言っている……?」
「うちがここでエンディングセレモニーに参加しなければ、文化祭は台無しになるのかなって。でもそれってうちを追い詰めたあんたのせいってことにならない?」
とんだ責任転嫁だ。笑えない。
だと言うのに、俺は言葉が出なかった。
彼女の言葉がよく理解できない。
俺の責任?相模が孤立したのも、相模がエンディングセレモニーで失敗したのも全て?
違う。違うはずだ。
恐らく、セレモニーの挨拶が終わったあと彼女は今まで感じていた以上に責任を感じたのだ。しかしその責任を負うのが嫌で。擦り付ける先を探した結果俺へと向いて。俺が悪いと、俺が全ての原因で、自分がこうなったのも田島実のせいであると思い込んだのでは?つまり開き直ったのではないだろうか。
折れた心が、一周回って立ち上がった。それも俺に対する憎悪で。
どうやら、俺は。彼女のことを追い詰めすぎたらしい。そんな自身の犯した失態を、俺は今ようやく理解した。
これは身から出た錆だ。これは自業自得だ。
なら全くもって、笑えなくて、憂鬱でしかない。
比企谷か田島、どっちかの精神攻撃だけなら原作と同じでしたが、二人が同時に相模に対して強火で殴ったせいで相模は開き直りました。
シヴィライゼーションでガンジーの攻撃性マイナスにしたら核戦争仕掛け始めまくるみたいなもんです。
メンタルボロボロにしまくったら一周回って攻撃的になってしまった。そんな感じ。
次回 顛末
この作品のメインヒロインを誰だと捉えてますか?
-
雪ノ下
-
一色いろは
-
鶴見留美
-
松山千佳子
-
材木座義輝
-
戸部翔