ああ、死にたい。
湧き上がる憂鬱な衝動を抑えて、なんとか思考を巡らせる。反応が鈍い頭を動かして、言葉を探さなくてはならない。しかし、どんな言葉であれば彼女へと届くのだろうか。
彼女の言っていることは無茶苦茶だ。全くもって巫山戯ている。だからこそ、意志が強い。間違っていることを真実だと思い込み、それを他者へ強要する人間は得てして嫌われる。何故かと言えば、人の話を聞かないから。アドバイスを批判だと思い、提案を自身の考えの否定だと思い込む。
だからこそ、尽くしたところで言葉が届かない。想いが伝わらない。
故に今一度彼女の心を解きほぐして、俺の言葉を受け入れてもらえる土台を作る必要がある。しかもこの短時間で。
無理だ。そんなことできやしない。
だって、相模がこうなってしまったそもそもの原因は俺だ。ならそんな俺では彼女の心に触れられないのだ。
およそ詰んでいた。
相模はこれ以上語らないならさっさと去れと言わんばかりの目で俺を見下しながら、無言でフェンスへと寄りかかる。
澱んで軋む心を奮わせて、相模に意思を問う。
「……本当に、戻る気はないのか?」
「別にないわけじゃないけど〜……まぁ、あんたの頼みじゃ嫌かな〜」
俺が相模を無理矢理連れていくという選択をしない事が分かっているが故に、相模の顔は嘲るような表情だった。
己の不甲斐なさに歯噛みをする。
言葉を尽くしても、探してもそれら全てが無駄に終わると確信してしまう。だから言葉が出ない、考えが進まない。その徒労感で再び憂鬱になる。
それでも尚諦められないのは、なぜなのだろうか。
「それにもうエンディングセレモニー始まったんじゃない?」
腕時計を見る。
確かに、予定ならばもうセレモニーが始まっていてもおかしくはない時間だ。だと言うのに俺は未だに相模を連れ戻せずにいた。
この状況において俺はただひたすらに無力だった。
しかし、相模を見つけた時に雪ノ下へと下書きメールに『特別棟屋上』と付け足して、メールは送ったはずだ。だというのに未だに人が来ないのはどういうことだろうか。
焦りと、後悔で胸の中が支配されて頭が上手く回らない。見落としているものがあるということのみ分かる。
どろりと、一つ胸の中で何かが澱んだ。
君ならどうする。こんな時、君ならもっと上手くできたのだろうか。いいやきっとできたのだろう。
それでも昔の俺ならもっと上手くやれた。だけどやっぱりそれは、俺の隣に君がいてくれたからで。俺はするべきことが見えていただけだったのだ。そうやって隣で君が示していてくれたから。
なにも変わってなどいない。昔から俺は、結局一人じゃ何も出来ない。何かをなすだけの才能がないから。
───やっばり諦めてしまおうか。どうせもう間に合わないのだから。
時計の針は、無慈悲に淡々と過ぎ去っていく時を刻んでいく。
セレモニー開始の時間はとっくのとうに過ぎていた。途方もない無力感が俺を苛む。視線が自然と下へと落ちていく。
突如、ぎいっと突然扉が大きな音を立てた。
その音に自然と、俺と相模は視線をそちらへと向けた。
そこに居たのは比企谷八幡であった。
相変わらず腐った目をした彼は、少々驚いた様子で俺の方へと目を向ける。
「田島……お前、いたのか」
「雪ノ下から聞いていないのか?メールを送ったはずだが」
「メール?……てことは俺が探し始めた後に送られたのかもな。それはともかく、時間がないんだ」
比企谷は相模の方へと顔を向けた。
「エンディングセレモニーが始まるから戻れ」
簡潔な要求だった。しかし、今の相模が素直に頷くとは思えない。
「ふぅん……雪ノ下さんがね……」
相模は何やら意味ありげに笑みを浮かべた。ギシッと音を立てながらフェンスへと背中を預けて寄りかかる。
「じゃあ、うちが戻らなければ雪ノ下さん達の努力は台無しになるわけだ」
「は?」
比企谷は訳が分からないといったように眉をひそめた。
「じゃあやっぱりうちは戻らない」
「……それは通らないだろ。実行委員長になったお前の責任放棄でしかない」
「別にうちの代わりなら雪ノ下さんでもできるでしょ?それともそんなにうちが必要なの?」
「お前の持ってる集計結果の発表とか色々あんだよ。だから早くしてくれ」
相模の言い分に苛立ちが募ったのか、比企谷は少し語気が強くなっていた。同時にその顔には焦りが感じられる。ただただ浪費されていくだけの時間に、焦燥感を覚えてしまうのだろう。
「だったらこの紙だけ持っていけばいいじゃん」
どうでも良さそうに相模が恐らく集計結果であろう紙を地べたに放り投げる。
「まあでも、結局うちが戻らないと意味ないみたいだけど」
彼女は俺の方を見て笑った。
その視線に目を逸らすことしかできなかった。
「なんか、あったのか?」
困惑したように比企谷は俺へと再び目を向けた。
俺はなにか言葉を出そうとしては、所在なさげに視線を泳がして、また閉口してしまった。
口の中が乾いている。胃から何かが込み上げてきそうだ。コーヒーが飲みたい。
ただひたすらに憂鬱だった。それに怖い。なぜだか怖い。
だが一体、俺は何を恐れている?
それは、多分。
─失望だ。
「言ってあげたら?うちがこうしてるのも、全部自分のせいですってさ」
「どういうことだ?」
ゆっくり、そして深く息を吐いてから口を開く。
「なんでも、今の相模の状況は全て、俺が原因なんだと。陰口を言われるのも、文実で孤立しているのも。全部、俺のせいなんだとさ」
変わらず当惑したようにこちらを見る比企谷に対し、投げやりにそしてぶっきらぼうに伝えた。
そうでなければ言葉にできそうになかったから。
それを聞いた彼は、何故だか苛立った様子を隠すことなく相模へと目を向けた。
「……それはただの責任の擦り付けじゃねぇか」
その通りである。相模の言うことは、彼女にとって都合のいい責任転嫁でしかない。
だが、そうなった要因の一つに確かに俺の行動があって。それを否定することが出来なかった俺は、同様に相模の言葉を否定することが出来なかった。
「はぁ?それが何?だって事実じゃん」
「事実無根だ。そもそもそれとこれとは関係ない。お前がセレモニーに出ないことの説明になってないだろ」
「なるよ。だってさ、うちが戻らなければ、その責任は全部ここまで追い込んだそいつのせいになるってわけでしょ?」
「ならねぇよ。田島がそうせざるを得なかったのは相模お前のせいだ。お前が文実での責任や、やるべきことを全部雪ノ下におっ被せて、そのうえで文実全体が立ち行かなくなる状況まで追い込んだ。なら全部お前の自業自得なんだよ」
「っ、うるさいな!」
さっきまで余裕そうに、フェンス越しに向こうを見ていた相模だったが、比企谷の言葉には不快そうに顔を歪ませて振り向いた。
それからは互いに無言だった。その数秒間、比企谷と相模は睨み合い続けていて、どちらも引く気がないのだと、語らずとも目線だけで意思を伝えていた。
そんな折だった。
再びギィっと、大きな音を立てて背後の扉が開く。
「やあ。ここにいたんだね、探したよ」
そこに立っていたのは、相模の取り巻き女子二人を連れて、オレンジのクラスTシャツを着て、少し汗を流しながらも普段通り爽やかな笑みを浮かべる葉山隼人だった。
「っ……葉山くん……。それに、二人とも……」
先程までは不快そうな顔をしていた相模だったが、葉山が来た途端一瞬顔をほころばせ、そしてしおらしい顔に変わる。さすがに葉山にはあの態度は見せたくないのだろう。文実の時に相模はやたらに葉山のことを気にしていた素振りを見せていたはずだった。一色や三浦だけではなく、ほかの女も落としているのか。
そんな相模の様子を比企谷は冷めた目で見ていた。
「連絡取れなくて心配したよ。田島くんからの連絡もあって、なんとか見つけられた。さぁ、早く戻ろう。みんな待ってるよ」
葉山はこちらへ笑顔を向けてくる。俺はそれに対し、目を逸らした。今の俺をその顔で見るのは、やめてくれ。惨めになりそうだ。
葉山がわざわざ来たと言うのに、相模の態度は相変わらず頑なだった。
「でも……今更うちが戻っても……」
「そんなことないよ。ほら一緒に行こ?」
やり取りを見守っている葉山だったが、その視線が一瞬腕時計へと向いた。葉山も俺たちと同様に焦っているらしい。
「そうだよ。相模さんのために、みんなも頑張ってるからさ」
彼らは何とか言葉を尽くして、相模の説得に当たる。
「だけどうち、どんな顔して戻ればいいのかわかんないよ……」
取り巻きの二人に囲まれていた相模原突然しゃくりあげて、その瞳を潤ませた。そして彼女は俺へと一瞬目を向けた。
まるで、お前のせいであると再び伝えてくるように。
「それに……うち、そいつに酷いこと言われて……」
より強くしゃくり上げて、悲劇のヒロインかのごとその場にくずれおちる相模。
相模が弱々しく指をさせば、その先にいるのは俺で。
困惑するように俺を見る葉山。そしてその近くにいた取り巻きたちの目が、責めるような目になって俺へと注ぐ。
「ねぇ……どういうこと?さがみん泣いてるじゃん?」
「そうだよ。何やったんだよ」
「いや、俺は……」
「みんな、待ってくれ。そんなことをしている場合じゃないだろ?何があったかは分からないけどさ。早く戻ろう、相模さん」
二人の女子に険のある視線をとばされて、思わずたじろいでしまう。
しかし葉山が直ぐに俺の前に立って二人を宥めてくれた。その後すぐに相模へと水を向ける。
不味い。俺のせいで事態がややこしい方へ進んでいる。何か、言わなければならないが、何を言うんだ?何を言えばいい。だって、俺が悪いのは事実なのだから。
しかし葉山の説得も虚しく相模はその場でポロポロと涙を流すだけで、その足は一向に動く気配がなかった。
「みんなに迷惑ばっかかけて、うち……最低だ……」
相模が自己嫌悪の言葉を吐いた。自己嫌悪したいのはこっちだと言うのに、この女はどんな立場でその言葉を吐くのだろうか。
ああ、憂鬱だ。
そんな刹那、比企谷がこれまでの鬱憤を込めたかのように深く長いため息を吐いた。
「本当に最低だな」
時が止まった。
相模はまるで理解ができないと言ったふうに比企谷を見る。そこにあった嘲りや、優位性を保った余裕のある素振りはなくなった。まるで、それまで心地の良い夢を見ていたものが、ふと現実に戻されてその差異に困惑するような、そんな顔だった。
そして比企谷を見ていたのは俺も同様だった。
視線の先に立っていたのは、先程までただ刻一刻と過ぎ去る時間に焦っていた男の顔ではなかった。何か成すべきことを見つけたように、その表情は嘲笑に溢れていた。何をする気なんだ、お前は。
「相模。結局お前は楽してちやほやされたいだけなんだ。かまって欲しくてそういうことやってんだろ?だから、田島に責任を擦り付けようとした。『悪いのは全部あいつだよ。気にしなくていいんだよ』ってそんな甘い言葉をかけてもらいたいんだろ?んで、みんなで田島を責めて、詫びでも入れてもらえれば、お前は被害者側になれる」
「何、言って……」
相模の声が震える。それを遮るように比企谷は言葉を続けた。
「そうればもっと労わって貰えるもんな。責任からも逃れられて、被害者にもなれて。そんな立場でみんなから慰められるのは最高に気持ちいいだろうな。でも、お前がそんな最低な奴だって、たぶんみんな気づいてるぞ。なんせ、お前のことなんざまるで理解してない俺がわかるくらいだ」
「うるいさな……!あんたと一緒にしないでよ……!」
「同じだよ。最底辺の世界の住人だ」
相模の瞳はもう潤んでいない。
ついさっき、比企谷や俺に向けていた憎悪が再び彼女の心を支配した。その目は鋭く、比企谷を射抜く。
「よく考えてみろよ。お前をいちばん最初に見つけたのは誰だ?田島だろ。お前をそんな状況に陥れたって奴が、お前のことを一番探していたわけだ。わざわざ連絡までいれてな」
比企谷はそのまま冷たい声色で、しかし嘲笑を隠さずに言葉を続けた。
「つまりさ、……田島が気づくまで、誰も真剣にお前を探してなかったってことだろ」
相模の顔色が変わった。それまでの憎悪や怒りがなりを潜め、出てきたのは絶望や驚愕。それらの感情の発露が混ざり合い、彼女の顔を歪ませている。
比企谷の言っていることは事実ではない。俺が探し始めたのはアナウンスがなった瞬間、つまり皆が相模がいなくなったことを認識した瞬間である。だから比企谷の虚言だ。
しかし、仮に、誰かに認められて、比企谷曰くのチヤホヤされたいという願望がある相模に対しては、その虚言は事実になりうる。相模のみに効く猛毒としてじんわりと浸透して、彼女の認識を歪ませてしまった。
誰も、相模南を求めていないのだと。
「わかってるんじゃないのか、自分がその程度の」
「比企谷、少し黙れよ」
比企谷が最後のトドメを口にしようとしたが、その続きはひゅっと短い息が漏れ出るだけで、そこで言葉が途切れた。それは葉山が比企谷の胸ぐらを掴んで、そのまま壁まで押付けたからだ。
突然の事で反応が送れたが、一触即発の空気が流れてしまっている。葉山のことだから暴力沙汰にはならないだろうが、一応ここで制止の言葉はかけなければ。
俺は少し焦りながら、葉山の肩に手を置く。
「待て葉山。落ち着け」
「そうだよ!そんな人ほっといて行こ?ね?」
肩で息をしていた葉山は、大きく息を吐くと
比企谷の胸ぐらを振り払うように離す。そして比企谷に背を向け、冷静を装いながら「早く戻ろう」と相模達に促した。
相模は取り巻き二人に囲まれ、護送されるようにその場を去る。去り際、比企谷に対してだけ心のない罵詈雑言を吐き捨てながら。
三人がいなくなって、最後に残った葉山が悲しそうに、そして悔しそうな表情をしながら扉を閉める。
「……どうして、そんなやり方しかできないんだ」
去り際に、独り言のようにそれだけを呟いて。
屋上に取り残されたのは俺と比企谷の二人だけだった。比企谷は脱力したようにずるずると壁に背を預けながら座り込む。
彼は俺がいることを忘れているのか、ぼんやりと空を眺めていた。
結局、俺はこいつに助けられたのだろう。
それによって俺は相模を追い詰めた加害者にならなかったのだと思う。ただその代わりに、加害者となったのは比企谷になるのだろう。
ならせめて、俺くらいは声をかけてやらねばなるまい。小さくため息を吐いてから、声を出す。しかし出した声は、やけに小さかった。
「……貸し、一つにしておいてくれ」
比企谷は俺の言葉に顔を上げて、その後普段のように腐った目を向けてきた。
「……別に、お前のためにやったわけじゃない」
「そうだな。だが、本当に助かったんだ……我ながら情けない限りではあるが、俺だけでは相模を連れ戻せそうにはなかった」
「俺でも無理だったろ。あとから来た葉山がいたからだ」
「それでも最終的にはお前の……まあ言葉のお陰で相模は戻った。それに、少なくとも、相模がああして頑なだったのは俺のせいでもある」
俺のせいで、相模は精神的に追い詰められてしまった。彼女の苦し紛れの責任転嫁は確かに俺を頷かせるものだったから。
俺は、俺を素直に褒めることはできないし、認めることも出来そうにない。本当ならもっと上手くやれるはずだったんだ。
「アイツの言葉気にしすぎだろ」
「事実だろう?なら受け止めるしかないさ」
「事実じゃない部分まで受け止めてどうすんだよ……」
比企谷は呆れたようにため息をついた。
「ともあれ、貸しに関しては心の片隅にでも留めておいてくれ。今回は助かったよ。ありがとう。奉仕部監督役として、礼でも言っておこう」
比企谷は思うところがあるようにジッと俺の目を見ている。
そしてしばらくして視線を逸らした比企谷は、ゆっくりと立ち上がった。そしてこちらを見ずに背を向けた。
「……そろそろ行くぞ」
「そうだな」
確かに、急がなければエンディングセレモニーには間に合わなさそうだ。
俺と比企谷は、互いに何か言うわけでもなく無言で屋上を後にした。
◇
エンディングセレモニーは雪ノ下や由比ヶ浜の尽力もあって無事に終わった。
ただ、相模の挨拶だけは無事とは言い難い結果だったが。とちる噛むは当たり前、ハウリングもするし、内容は時折飛んでいた。
相模の挨拶がそんな散々な結果だったので、そこまで追い込んだ比企谷は取り巻きから散々な物言いだった。
「あいつがなんか言わなかったら平気だったのにね」
「あれで調子くるったよねー」
どうやら比企谷のやったことはもう止めようが無い所まで広がったようで、彼を知っている人間はひそひそと陰口を言い合う。酷い話だ。
「あ、だべ?ヒキタニくんマジでひでぇから!夏休みのときもそんなんあってー」
戸部……こいつには後で飯を奢らせるからいいか。ともあれ、しばらくの間比企谷が学校での立場が悪くなってしまうのは想像に難くなかった。これの一端を担っているのは俺のなのだろう。全くもって嫌になる。
今は文実も解散して皆思い思い喋りながらそれぞれの教室へと帰っている。
俺もそろそろ帰るかと踵を返した。
「お疲れ様」
「ん……?ああ。お疲れ」
声の方へと振り向く。
背中に声をかけてきたのは雪ノ下だった。
さっきまで雪ノ下姉や比企谷と喋っていたはずだったが。わざわざこっちに来たのだろうか。
「何か用か?今は大したこともしていない俺の事よりも、相模を連れ戻した功労者である比企谷のことを存分に労ってやった方がいいと思うが。今回のMVPはあいつだぞ」
「はぁ……聞いていた以上ね」
何故かため息を吐かれた。
「あ?何がだ」
「……なんでもないわ。比企谷くんなら、ほら」
雪ノ下が視線を向けた先を見ると、平塚先生と喋っている比企谷がいた。何やら頬に手を添えられている。多分叱られているのだろう。
やはり良い人だ。比企谷のことをよく理解している。だから叱ってくれる。普通だったら、叱ることもせずただ呆れられて、そのうえで諦められるだけだろうに。
「……なるほど、説教中か。まあ、それなら終わるまでの暇つぶし位はできるだろうよ」
「いつにも増してマイナス思考ね。比企谷くんからある程度は聞いていたけれど……相模さんから何を言われたの?」
訝しむような視線だった。
「何を、と言われてもな。比企谷からはどの程度聞いているんだ?」
「……相模さんの現状が、全て私の代理として介入したあなたのせいだと責められていたことぐらいかしら」
「その認識で間違っていない。ならお前もわかるだろうが、全部事実だろう?」
雪ノ下は俺の言葉には特に何も言わずに、視線を下の方にやった。
しばらく黙っていた雪ノ下だったが、その後俺の目を見て口を開いた。
「……私、一応あなたにお礼を言いに来たのよ」
「礼……?俺にか?何故?」
頭が疑問でいっぱいになった。俺が雪ノ下にしてやれたことなんざ、何もないと思うが。
「あなたが代理で入ってくれたから、それ以降の文実は随分と楽ができたわ。予定通りバッファも取れた」
「それはお前や、その他のメンバーの尽力あってのことだろう?大したことはしちゃいないさ」
「そんな事ないわ。あなたはちゃんと私の代わりを務めてくれた。感謝しているのよ」
「だが、その結果相模を追い詰めすぎた。それは、あまりにも大きなミスだろう」
相模のメンタルが悪化しているのを見て見ぬふりを続けた。そんな状態で俺は再び相模のメンタルに攻撃をしたのだ。その後のメンタルケアもやらずに。見誤った、と言えば聞こえは良いが雪ノ下の代理を務めたのだから、それも考慮してやるべきだったのだ。
例えば、葉山にアフターケアを頼めば少なからず相模は俺に対してあそこまでの嫌悪感を向けなかったかもしれない。
あくまでたらればの話だが。
「だから、礼なんて良い。比企谷が相模を悪く言わざるを得なかったのは俺に責任がある。本来であれば、ああなっているのは俺だったはずだ」
むしろ俺が比企谷に礼を言うべきだ。雪ノ下が俺に礼を言う義理なんてない。
「人からの感謝くらい素直に受け取りなさい。特に、私からの感謝なのよ。喜んで受け取るべきだわ。それに、随分と稀だと思うのだけれど」
「やけに上から目線の上、自覚済みかよ……」
意地悪くくすくすと笑う雪ノ下にため息が漏れる。
「まあ……お前にそこまで言われれば、断るのもアレか……。なら、後で缶コーヒーでも奢ってくれ」
「それくらいでいいのかしら」
「いいよ。それで。そもそもお前のためにやった訳でもなし、なら仕事の報酬としては充分だ」
「そう。なら、改めてお疲れ様」
「ああ、お疲れ……お前もさっさと比企谷と仲直りしろよ」
「……ちゃんとするわよ。そもそも仲違いでもないわ」
「そうかい。ならいいんだ」
比企谷も平塚先生との説教も終わって早々に帰ったようだし、俺も雪ノ下と別れて自分の教室に戻るとしよう。
踵を返し、のったりゆったりと教室への廊下を辿る。
校舎はほとんどの人が自分の教室に戻っていて、廊下には誰もいない。
長かった文化祭の終わりをようやく実感した。
祭りの終わり、宴のあと。
後悔は多々あれど、雪ノ下の感謝から察するに少なからず俺にもできたことはあったのだろう。それでも残った禍根は数しれず。
そんなもの今更気づいたところで後の祭りだ。もうどうしようもないものを嘆いたところで、それがどうにかなる訳でもない。俺の後悔も、そしてあの日の出来事も。
ならばきっと今日も夢を見る。
過ぎ去ったものが、決して忘れるなと俺を指す。悪夢となって俺を苛む。
それを忘れなければならない。忘れて前に進まなければならない。
だから俺はいつだって憂鬱なのだ。
─────────────────
夢を見た。
腕の中で君が横たわる姿を。
夢を見た。
君が、息も絶え絶えになりながら、血を流して笑う姿を。
悪い夢を見た。
君と、君のことを忘れる約束をしたことを。
出来の悪い夢を見た。
君が死んだ、あの寒い冬の終わり、過ぎ去ってもなお忘れることの出来ない過去を。
その夢全てが俺を苛む。
お前は忘れると約束したのに、何をのうのうと思い出を積上げているのだと。ぼんやりとした輪郭だけど、君だとわかる影から、指を向けて、非難されている。
分かっている。分かっているから。全部、忘れるから。
だから、あと二年、いや一年だけ、待っていてくれ。少しだけ時間がかかりそうなんだ。
平塚先生に借りを返しきれてないし、何より奉仕部は俺の目的のための足がかりになる気がする。
でもちゃんと、このどうしようもない悪夢を、終わらせるから。
待っていてくれ。
約束は絶対に守るから。
遅れましてこんばんは
相模は開き直りはしましたが、葉山が来て油断したところに比企谷に差されて動揺してしまった感じです。
心の壁のATフィールドが脆くなってしまったわけですね。
長かった文化祭編も終わり、ではなくもうちっとだけ続くんじゃ。
次回 後日談
この作品のメインヒロインを誰だと捉えてますか?
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雪ノ下
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一色いろは
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鶴見留美
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松山千佳子
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材木座義輝
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戸部翔