会議室の扉の前に立ち、取手に手をかけようとして、ふいにその手を引っこめた。
どうにも、気合いが少々足らない気がしたので、深呼吸をした。
「緊張してます?」
「莫迦を言え」
一色は揶揄うような目を向けて笑うので、否定の言葉を投げてやれば、彼女は忍者みたいに立てた人差し指を握って、もう片方の手で人差し指をピンと立てる、変なポーズを取った。
「じゃあ、私はここらでドロンしちゃいます」
「ああ、万事よろしく」
「おまかせあれですっ」
俺は扉をスライドさせ、会議室へと足を踏み入れる。
一色はここで離脱か。俺とはタイミングをズラして会議室へと入るそうな。まぁ、何か言われても面倒だからな。俺も、一色も。
中に入れば正直集まっている人はまばらだった。会話もあることにあるが、黙って座っている人間も多い。これは大人しくしている、というよりせざるを得ない、あるいは盛り上がる余地がないとも言える。先週の解散は思ったよりもこの委員会に重苦しいものを与えていたようだ。
それでも尚会議室中の視線は一瞬、俺の方へと向くがそれもほんの一瞬のことで、再び先程までと同じようにそれぞれ後好き勝手にしている。
俺はそんな会議室のまとまりのない雰囲気にため息を吐くと委員会首脳部らの席へと近づいた。
すると、いの一番に城廻会長が此方へと寄ってくる。
「あ、田島くん」
「会長、お疲れ様です」
「体調崩しちゃったんだって?大丈夫なの?」
「その節は大変ご迷惑をお掛けしました。今は問題なく、元気ですから」
「そっか」
彼女は屈託のない笑みをうかべた。
来て早々受けるのが、雪ノ下の罵詈雑言ではなく、会長の気遣いに満ちた言葉というのは中々幸先が良いかもしれない。
近頃、比企谷が言っていたマイナスイオンなんたら理論なんぞという妄言を、少しばかり理解できるような気がしてきた。
多分奴に毒されているだけだろうが。
その後会長と一言二言会話を交わし、俺は首脳部の席へ向かった。奉仕部の面々は全員揃っていた。
そして、相模も。
彼女は会議で使うであろう資料を眺めては、方とため息をついた。目頭を揉んだ後、ようやくこちらに気づいたようで「わ……」と驚いてるんだが、なんなのか。小さく声をあげた後、口を開いた。
「た、体調良くなったんだ」
「ああ、世話をかけたな」
「別に……」
相変わらず、つんけんとした態度には変わりがないようで、その言葉を最後にこちらへと目を向けることはなくなった。
まだこんなものだろう。つつがなくやっていくのは、これからだ。ゆっくりと、上手くやっていけばいいさ。
現状を楽観的に捉えつつ、こちらをじっと見ている奉仕部連中へと目を向けた。
「で、さっきから不躾にジロジロとなんだお前らは」
「なんでもないわ」
「うんうん、なんでもないよ」
「なんでもあるだろうその反応は」
女子勢はウンウンと頷くだけで特に返答はせず、比企谷に関しては我関せずと眠たげに欠伸をしていた。
「まぁいい、今日はどうする?」
「とりあえずは、こっちで決めた改善案を提案するってことになってる」
「ふむ、聞かせてくれるか」
「おう」
比企谷が語ってくれたのは、各部活の大会スケジュールを加味した上でそれぞれの部長、顧問と話し合った上でのシフトの改善案。これは勿論、不満があれば即座に変更が可能なものとするらしい。まぁ妥当だろう。まず彼らの主張である大会との兼ね合いという点を潰すのは間違っていない。
次に、一番の負担があるであろう騎馬戦のアレンジ。材木座が提案した騎馬戦の負担軽減。
これはルールの改定と衣装の簡略化など、細々としているが、材木座の案で不要、あるいは余分なものを削るという、これまた妥当な案である。
まぁ、俺としては特に反対意見もなく、至ってまともであるという感想しかない。あくまで、俺としては、だが。
「まぁ、いいんじゃないか」
「随分と投げやりだな」
「何せ、非の打ち所がない改善案だ。他に何かあるとでも?」
「いや、ないな」
「なら、良いだろ」
俺の言葉に、比企谷は納得したのかしていないのか、曖昧に頷いた。
本来であれば、ここに一つ付け足される予定だったらしい。
それは相模が、彼女の取り巻き2人を代表する運動部の女子グループに対し謝罪を行うというもの。
言ってしまえば一種のケジメだろう。相模南にとっても、彼女らにとっても。だが、謝罪なんてのは所詮口だけのものもだ。
小学校でもよく見受けられた話だが、先生に謝罪をしろと言われそれを受けた生徒もそれを許す。ただ、あれはどちらも言わされているだけで、結局口だけの言葉だけの謝罪と許しでしかない。
これもそれと同じだ。であるならば、それは本当に必要か?いいや、必要じゃないはずだ。
何より、俺の計画的には不要だ。味方を作るという発言は、それ即ち敵がいることを前提にしている発言に他ならない。
奴らには暫くは敵でいてもらう必要がある。
しかし、邪魔されては困るのだ。故に、奉仕部が考えた改善案は必須だ。邪魔立てするための取っ掛りを潰していくためにも。
ゆっくり、じっくり始めようていくとしよう。
◇
「……以上が、改善案になります」
雪ノ下の発表に若干会議室がザワつく、が以前の時のような即座に反対意見が出てくるような程でもない。
彼女らの意見は先んじて潰しているためだろう。即席で何か理由をでっち上げるにも限度がある、ということだ。
とはいえ、遥とゆっこ(と呼んでいるらしいと比企谷から聞いた)と相模の関係性は以前悪いままだ。このままではまた同じことが起きるであろう。
なので先んじて手を打っておく。
俺は、そっと挙手をした。
「……なんでしょうか、副委員長」
「ん、一ついいだろうか」
雪ノ下の眉がピクっと動いた。
驚いているのだろう。だが、驚いているままだと困る。お前には、俺の意図をしっかり読み取ってもらわないといけないのだから。
「ここのシフト……ああ、テニス部の割り振りだが、大会が近づいているというのに直近で幾人か参加するシフトが割り振られているな」
「……それがなにか」
「何故だ?大会を優先するのであれば、ここは練習に勤しむべきだろう」
読み取ってくれよ、雪ノ下。
俺の言葉に、同調するようにテニス部から不満の声が上がった。
雪ノ下は一瞬顎に手をやると、ため息を吐いた。
「……そういうこと。それなら、理由があります。シフトを決める際に各部の部長から話を聞いたと言いましたが、シフトに入れることになった彼ら三人は今回は大会のレギュラーに選ばれていないとの事です。なのでこちらの委員会の活動に参加させて良いとのことでした」
「ふむ、なるほど」
要はレギュラーに選ばれていないため、練習漬けになることが必須ではなく、何より学内活動となれば、殊更に無理して部活動に参加する必要がないというわけだ。
単純な話だ。正直、それくらいは言われずとも想像ができた。しかし、ここは反対意見を出すことが重要だ。
ここで反対意見を出すことによって、部活動があるからという逃げ道を潰す。
恐らくこれと同じ理由でシフトが決められている人間が何人かいる。
その手の人間からの不満が今すぐに出ることはないだろうが、それでも後々部活があるからと言って来なかったり、早めに抜けたりと理由をつけられるのも困る。
故に、徹底的に彼らの大義名分を潰す。
しかし多少の逃げ道は残す。
例えば、大会レギュラーの練習相手が必要になったから、とか。テニスならそういうのは往々にしてあるだろうし。
大事なのは抑圧しすぎないこと。目に見える逃げ道を潰し、簡単な言い訳をなくし、頻繁なサボタージュを無くす。その上でしっかりと抜け出せる理由も残しておく。
そうすることで、参加率や反対意見の出方を多少はコントロール出来るはずだ。
……おそらく、だが。
いかんな、ここで自信を持てないのが俺の良くないところだと分かっているはずだろう。
邪念を振り払った後、俺は再び口を開く。
「であるならば、次だ」
さて、ディベートにとことん付き合ってもらうぞ、雪ノ下。お前が俺を信頼するように、俺もお前を信じているのだから。
◇
反対意見も出なくなり、無事ディベートは終了した。そのままシフトの割り振りも終わって、今日の会議は解散の運びとなる。
いつの間にか会議室に立ち込めていた妙な緊張感も霧散していた。
一体、誰のせいなのだろうか。
我先にと帰っていく生徒たちを尻目に、俺は今日の議事録をまとめた資料を眺めていると、横からぬっと視界に入った揺れる黒髪へと目を向けた。
「やってくれたわね」
「なんのことだろうか」
物理的にも比喩的にも見下している、夜明け前の闇のように光を灯した黒い瞳は言外に「さっきのことを説明しなさい」と告げていた。
雪ノ下の後ろで座りながらこちらをチラチラと伺う、比企谷と由比ヶ浜も同様だろう。
隣の相模ですら、内容が気になるのか耳を傾けている様子を見せていた。
確かに、俺には説明義務が発生しているらしい。
「至極単純な話だ。それがお前に見抜けないとは思わんが」
「そうね、理解できていないわけじゃないわ」
「ん、だろうな。なら愚問じゃないか?」
「私が聞きたいのは事前説明が一切なかったことよ」
「それについては悪かったよ。ただ、事前打ち合わせかない方が自然に見えるかと考えてな」
実際奉仕部含む首脳陣の反応は困惑に満ちていて、少なくともこの突発的に発生したディベートもどきが打ち合わせをした茶番ではないことは示すことが出来ていたはずだ。
おそらく、彼らの目には俺の行動が独断で行ったことと映っていたことだろう。
「あれ、これわかってないのあたしだけ?」
「おう」
「ヒッキーもわかってるの!?」
「要するに、反対意見潰しだろ、あれ。俺らが考えた改善案に対して、分かりやすく反対意見を出すことで、雪ノ下からの反論を誘う。ここで適当なこと言うとダメなんだが、雪ノ下が適当な答え返すわけないからな。基本的には田島が納得できるような答えを出して終わる。それを何度か繰り返していけば、気軽に反対意見が出しにくくなるって訳だ」
「ほへ〜」
風船から空気が抜けるような声を出して、納得してないのかしているのか分からないが、由比ヶ浜は口を閉じた。比企谷も同様で、ひとまずは文句はないようだ。
「この手の考え、まだあるのかしら」
「あったとしても、そうだとは言えんだろう?」
「……どうやらないようね」
こちらの心を見透かしたようにそう呟けば、雪ノ下は鼻を「フン」と鳴らした後、会議室を出ていった。
「ゆきのんどこ行くんだろ」
「便所じゃねぇのか」
比企谷はPCと睨めっこして、あまり考えていないせいか普段は心の内に留めているであろう言葉が表に出ていた。
「下世話な勘ぐりはやめておけよ、それとも、アレか、その手の妄想が盛んなのか?さすがだな、男子高校生」
「ヒッキーサイテー」
「その顔やめてくれませんかね……」
PCから顔を上げてこちらを見た後、目を濁らせながらため息を吐いた。
そんな比企谷の様子を、由比ヶ浜は目を細めて笑った後、そのまま相模の方へと顔を向けた。
「でも、なんだか上手く行きそうで良かったねさがみん!」
「え?あ、うん。そう、だね」
相模は僅かではあるが、由比ヶ浜に感化されて笑みを浮かべる。彼女なりに、希望が見えているということだろう。
実際、今回の改善案や俺の先手をとった動きである程度はゆっこと遥らの動きは抑えられるのは見通しが出てきた。このまま順調に進めることが出来れば、といった希望的観測は何ら間違っていない。
しかし、だ。
「そう上手くいくかねぇ……」
思わず漏らした比企谷の言葉に、相模が眉根を寄せて睨みつけた。
嫌悪混じりのその表情は、未だ彼と彼女の溝の深さを眉間のシワの深さが表しているように思えた。
だが、まぁ。
「実際比企谷の懸念は間違いじゃない。このままだと、時期どこかで不満がまた出てくるだろう」
「そ、そうなの?なんか、上手く行きそうな感じ出てきたのに?」
「今回は簡単な意見は全て弾けるようにしたが、あくまで簡単なものだけだ。学校は所詮民主主義だからな。徒党を組んで反対意見を出された場合、それをいなすのは難しい」
「ああいうヤツら、群れれば群れるほど強気になっていくからな。つっても、人間は昔から群れて生きてきたし当然の性質ではあるんだが」
まるで、つまり一人でいる俺は逆に強者である証拠と言いたげな顔をした比企谷。それを無視しつつ、話を進める。
「じゃあどうするか?当然の疑問だ。まず一つ、徒党を組ませない」
「……あ、もしかして前言ってたヤツ?」
「そうだ。と言ってもまだ始めたばかりでな。どうなるかは分からんが、できることはやらせている」
どこまでできるかは知らんが、要領の良いあいつのことだ。きっと上手くやってくれることだろう。
そんな俺の答えに由比ヶ浜は相模と顔を見合せたあと、再び口を開いた。
「一つってことは他にもあるの?」
「ある、が今はいい。とにかく、経過を観察し終えてみないとなんとも言えんな。次の一手はそれからだ」
「……なんか、みのるん。休む前よりも言ってること難しくなってる……」
「そうだろうか。あまり自覚は無いが……」
由比ヶ浜は首を傾げながら、比企谷に同意を求めるが「知らん」と一蹴されていた。
彼らを傍目に、書類へと向き直るが窓から差し込む斜陽が机に反射して思わず目を細める。校門から続く先の空に、まだ夜の兆しは来ていない。
書類をまとめ終えるための時間はもう少し猶予がありそうだ。
買ってきた缶コーヒーを口にして、その舌先を痺れさせるような人工的な苦さに俺は眉をしかめた。
五ヶ月ぶり……?
すみません、非常にお待たせしました。
最近小説以外の創作活動が中々忙しいもので手が付けられない状態にあります。
もうしばらく更新が遅いと思いますが、気長にお待ち頂けたらと思います。
次回も体育祭準備
この作品のメインヒロインを誰だと捉えてますか?
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雪ノ下
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一色いろは
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鶴見留美
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松山千佳子
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戸部翔