大雑把なあの子は苦手だった。
俺も、そうだった。
特別棟は三階建てであり、自販機は一階にある。比企谷曰くゆっくりダラダラ歩いてれば雪ノ下達の話も終わるだろうとの事だ。
「田島、お前ちょっと顔色悪くないか」
「寝不足だからな。よくある事だ。それはそうと顔色に関してはお前にだけは言われたくないんだが」
「おいおい、俺はこう見えても一度も健康診断に引っかかったことない超健康優良児だぞ。妹にも『お兄ちゃんいつもゴロゴロしてばっかで動かないし、疲れたことなさそうだねっ』て言われるぐらいだからな」
「そら馬鹿にされてるんだよ……とはいえやはり問題なのはその目の方か」
「俺も目つきに関してはお前に言われたかねぇよ」
といった感じで比企谷とたわいもない雑談をしながら一階に向かう。
自販機までやってくると比企谷は財布を取りだし、百円玉を投入する。どうやら宣言通りのスポルトップと野菜生活を買うらしい。
眺めてると比企谷が俺の方に手を出してきた。
「ん」
「あん?」
「お前何飲むんだ」
「……缶コーヒー」
「おう」
比企谷に百円玉を手渡すと缶コーヒーと一緒に男のカフェオレを買っていた。どうやら由比ヶ浜のものらしいが、その百円玉は俺のものだろうに。まあ仕方がない。
「ほい」
釣りと一緒に缶コーヒーを手渡してくる。やけに手馴れている。先程妹がいると言っていたし、普段からやっているのだろう。
「悪いな」
「そんじゃ、そろそろ戻ろうぜ」
「ああ……いや、お前は先に戻っていてくれ」
「なんで?」
「家庭科室の使用許可を取ってくる」
「いやだからなんで?」
比企谷は訳が分からんと言った顔を向けてくる。
「さっき、あの女子生徒、なんて言ったか」
「由比ヶ浜」
「そう、その由比ヶ浜がクッキーって言いかけていただろう?」
「……作んのか?」
「可能性はある。とりあえず雪ノ下に伝えといてくれ」
「了解」
了承すると比企谷は部室の方へと向かっていく。俺もさっさと鶴見先生から使用許可と鍵を貰ってこよう。一度奉仕部に戻ってからまた職員室に行くなんぞ、二度手間だ。面倒なことは効率的に行こうじゃないか。
◇
家庭科室ではバタークッキーの甘ったるい香りが漂っている。そして、目の前には黒焦げた台無しのクッキー……なのだろうか。見た目だけなら木炭のような、しっかりクッキーだと意識して見ればクッキーのような。いや、やはり発癌性物質マシマシの謎の物体と称してやろう。これをクッキーと呼ぶにはクッキーに失礼だ。もちろん由比ヶ浜作である。
これを目の前にしては、さしもの雪ノ下ですら怖気付くらしくクッキーを摘んで不安そうにそれを見る。無理もないだろう。臭いからしておかしいからな。
「……死なないかしら?」
「俺が聞きてぇよ……」
「いいからさっさと食うぞ。爆発物は素早い処理を求められる。味が気になるなら鼻でもつまんで食うといい」
口に入れれば広がる苦味、恐らく砂糖が溶けきってないのだろう、ジャリッとした感覚が最悪だ。生地はサクッとはするがそれは焦げているからであり、クッキーとしてのサクサク感は全くもってない。ひたすらにシンプルに不味い。
「……雪ノ下、悪いが紅茶を貰えるか」
「……わかったわ」
ケトルからお湯を注ぎ、雪ノ下が紙コップに紅茶を淹れる。
「どうぞ」
「すまん」
渡された紅茶を一気に飲み干す。口直しにはなったが、未だに苦味が舌の上に残っているような気がする。とはいえようやく落ち着いたわけで、意図せず溜息を吐いてしまう。それと同じように他の三人からもため息が漏れ出た。
各々疲れた表情を見せてはいたが、気を取り直して由比ヶ浜と雪ノ下はクッキー作りに取り掛かる。ひと悶着ありながらも雪ノ下が正しいクッキーの作り方、それも完全にレシピ通りのものを実際に作って見せたが、由比ヶ浜にはあまり伝わっていいないようで、見るからにクッキー作りは難航しているようだ。
「なんか違う……」
「……どう教えれば伝わるのかしら?」
雪ノ下が作ったものと、由比ヶ浜が作ったものを見比べてあまりの差に由比ヶ浜は項垂れ、あの雪ノ下ですら机に伏して軽く匙を投げている。
それを見ながら由比ヶ浜が作ったクッキーを口に放り込む。少なくとも先の物体よりかは余程マシだろう。一日でここまで上達しなら上出来だと思うが、二人は違うらしい。真面目な事だ。
先程淹れたコーヒーを飲みながら紙にペンを走らせていると、由比ヶ浜がぽつり、と声を漏らした。
「なんで上手くいかないのかなぁ……言われた通りにやってるのに」
心底不思議そうな顔をして、彼女もまたクッキーに手を伸ばす。
「うーん、やっぱり雪ノ下さんのと違う」
雪ノ下の教え方が悪い、という訳ではない。とはいえ雪ノ下という少女は優秀だ。優秀故に由比ヶ浜が何故教えた通りにできないのか理解ができないのだろう。
いつもの態度から察するに雪ノ下はなんでも出来たのだろう。だとするならば俺が今行っている行為も無駄じゃない、と思いたい。
今度は雪ノ下が作ったクッキーを口に放り込む。うーむ、美味い。
「あのさぁ、さっきから思ってたんだけど、なんでお前ら美味いクッキー作ろうとしてんの?」
「どうした急に」
比企谷が得意げな顔で、由比ヶ浜のクッキーを口の中に放り込む。ムカつくまでのドヤ顔だった。
「十分後、ここへ来てください。俺が"本当"の手作りクッキーってやつを食べさせてやりますよ」
◇
十分後、家庭科室に戻ってきた俺たちは比企谷の『本当の手作りクッキー』とやらの前で怪訝な顔をしていた。いや、由比ヶ浜は嘲笑を超えて爆笑していた。
「ぷはっ、大口叩いたわりに大したことないとかマジウケるっ!食べるまでもないわっ!」
「ま、まぁそう言わず食べてみてくださいよ」
比企谷は由比ヶ浜のその態度に口角がひくついているが、それでも余裕の笑みを崩さないあたり余程この作戦に自信があるらしい。
「そこまで言うなら……」
由比ヶ浜は恐る恐るクッキーを口にする。それに続く様に雪ノ下と俺も一摘み。
一瞬の沈黙の後、由比ヶ浜の目がクワッと開く。
「別に特別何かあるわけじゃないし、はっきり言ってそんなにおいしくない!」
とは言うものの、比企谷が持ち出したクッキーは恐らく由比ヶ浜がさっき作ったものだろう。自分で自分の作ったものを貶させるあたり、比企谷の性格の悪さが伺えるな。
当の比企谷は由比ヶ浜の反応に悲しげに目を伏せる。役者かな。
「そっか、美味しくないか……頑張ったんだけどな。わり、捨てるわ」
「──あ……ごめん。そ、それに、別に捨てるもんじゃないでしょ……言うほど不味くはないし」
由比ヶ浜が気まずそうに視線を床へと落とす。
「そっか……まあ、由比ヶ浜がさっき作ったクッキーなんだけどな」
「……は?」
そんな由比ヶ浜にしれっと、さらっと自然に残酷な真実を告げる。せっかくの由比ヶ浜の気遣いが無駄になった。哀れ由比ヶ浜。
「それで比企谷。お前は結局何が言いたいんだ」
彼がなんの為にこの茶番を行ったのか。同じ男の俺ならば凡そ想像はできるがあえて問う。
「こんな言葉がある……『愛があれば、ラブ・イズ・オーケー!!』」
比企谷は気色の悪い笑顔でサムズアップした。随分懐かしいネタだな。
「お前らはハードルを上げすぎてんだよ。ハードル競走の主目的は──」
「要するに、手段と目的を取り違えてたってことだろう?」
「お前な……」
「ハンッ、これからは言いたいことは端的に話すんだな」
そう言うと比企谷は恨みがましい目つきでこちらを睨んできたが無視する。
「……まぁあれだ。男ってのは単純なんだ。それこそ残念なくらいにな。ちょっとした事で勘違いするし、手作りってだけで喜ぶの。だから、」
比企谷はそこで言葉を区切って、由比ヶ浜を見つめる。
「別に特別何かあるわけじゃなくて時々ジャリってするような、はっきり言ってそんなにおいしくないクッキーでいいんだよ」
「〜っ!うっさい!」
由比ヶ浜は手当り次第手近にあるものを比企谷に投げ付ける。散らかしやがって。
「ヒッキー、マジで腹立つ!もう帰る!」
「まぁ、なんだ……。お前が頑張ったって姿勢が伝わりゃ男心は揺れんじゃねぇの」
比企谷なりのフォローが入る。ちょいと不器用だな。窓から差し込む夕陽は二人を照らし、青春の様相を醸し出す。
「……ヒッキーも揺れんの?」
「あ?あーもう超揺れるね。むしろ優しくされただけで好きになるレベル。っつーか、ヒッキーって呼ぶな」
「ふ、ふぅん」
あ?一体なんだこの反応は。夕陽によって由比ヶ浜の顔は赤く染まっていて、まるで恋する乙女かのようだ。というか実際そうなのだろう。世界は広い。きっと比企谷に恋をする女がいる、とそういうこともあるのだろう。ならばそれを察してやるのが男というものだが───。
「由比ヶ浜さん、依頼の方はどうするの?」
「あれはもういいや!今度は自分のやり方でやってみる。ありがとね、雪ノ下さん」
そう言って由比ヶ浜は家庭科室を出て行こうとするがそうはいかない。
「待て、由比ヶ浜」
「うぇ?どうしたの?」
今どんな顔をしているか知らないが、俺は相当悪い顔をしているだろう。ふははは、リア充爆発しろ。床に散乱したペーパーやら何やらを指さす。
「これ、片付けろ」
「お前、今の流れでそれ言う?空気読めなさすぎだろ」
「さすがの私も驚きね……」
二人の呆れた声は無視し、由比ヶ浜の方に目を向ける。由比ヶ浜は固まっている。
「おい、早くしろ」
「……もう!信じらんない!」
由比ヶ浜はデカい足音を立てながら歩いてくる。ぷんすこぷんと聞こえるかのように頬を膨らませながら散乱した道具を片付け始めた。
ついでに俺達も使った道具やら食品なんかを片付け初め、しばらくして片付けが終わる。ひと心地つきため息を着く由比ヶ浜に声をかける。
「そら、受け取れ」
「なにこれ」
「由比ヶ浜がクッキー作りの際にしたミスをとりあえず箇条書きで書き出して、その対応策を書いてみた」
ルーズリーフに手書きで書いたものだが、あまり理解力のない由比ヶ浜でも理解できるように、俺の持てる力を総動員し、出来うる限り見やすく分かりやすく書いたつもりだ。名付けて『保育園卒でもわかるクッキー作り』これでダメだったら流石にお手上げだが、果たしてどうなるか。神のみぞ知るといったところだな。
「うは〜、これ全部?てか書いてあること多くない?」
「多いからクッキーが納得できん仕上がりになったんだろう。とりあえず次に作る時はここに書いてあることを意識して作るといい」
「あ、ありがと」
「部活動の一環だ、礼なんぞいらん」
彼女はルーズリーフを受け取った後今度こそ帰るべく鞄を背負った。
「それじゃ、改めて……今日はありがと!」
由比ヶ浜はそう言うと今度こそ帰るべく扉に手をかける。
「また明日ね。ばいばい」
そして手を振って由比ヶ浜は帰っていった。雪ノ下は最後まで努力しなかったことに不満を漏らしていたが、それを珍しく比企谷が上手く丸め込んでいた。
そうして奉仕部初の依頼は、無事、とは言い難いがそれでも円満に解決出来た。何かと忙しなく、騒がしい一日ではあったが、ここでようやく終わりを告げたのだった。
後日、由比ヶ浜がお礼のクッキーと共に、何故か新しく奉仕部の部員となるのだが、それは蛇足なので語るのはやめておこう。
文化祭の展開に今から悩んでいる、そんな状況であります。
この作品のメインヒロインを誰だと捉えてますか?
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雪ノ下
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一色いろは
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鶴見留美
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松山千佳子
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材木座義輝
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戸部翔