「──―リオンちゃん」
ふいに背後からかけられた声に振り返ると、そこには黒髪で細目の、絵に描いたように胡散臭い男が立っていた。
「……何か胡散臭そうな人だな」
「初対面なのにいきなりボディブロー入れてくるねぇ!?」
おっと、あまりのうさん臭さに思わず声に出てしまったようだ。
俺の言葉にショックを受けたのか、「よよよ」と大袈裟に泣真似をしながら袖で涙を拭っている。
(そういうとこが胡散臭く感じる原因なんだよ。)
「貴方は…神エレン?」
「覚えててくれたんだ、嬉しいなぁ。リオンちゃんはまた街の巡回かい?正義の眷属は大変だねぇ」
「あらあら、どちら様ですか、こちらの男神様は?何やらぱっとしない見た目ですねぇ」
(神エレン?どっかで聞いたな。それに見覚えが…男のことはどうにも…)
「アリーゼが言ってた、大した金もねぇ胡散臭い貧乏神だろ?」
「あ、前に冒険者に財布スられて叫んでた情けない神様ってやつか」
「続けざまの三連コンボ!一応神だからもうちょっと敬意を持ってくれるとお兄さん嬉しいんだけどなー!」
俺達からの怒涛の口撃に、神エレンは自尊心が傷つけられたのか天を仰いで嘆いている。
「君たち、あの神々の中でも善良派なアストレアの眷属でしょ!? もっと淑女しようよ!」
「あら、アストレア様のことをご存知なので?」
「勿論!アストレアといえば優しいお姉さん代表!癖のある女神の中でも彼女は一点の汚れなき清廉の象徴ッ!柔和かつ慈愛の塊、女神の中の女神!膝枕されながらヨシヨシされたいランキング堂々の第一位!」
「…俺もアストレア様に膝枕されてぇなぁ──いづッ!?」
同意した瞬間、右隣に立つライラから膝裏に痛烈な蹴りを見舞われた。
「あ、アストレアは男神たちの母になってくれるかもしれない女神なんだ!!!」
「確かになぁ。あの豊満な胸には一度くらい飛び込んでみたい゛ッッ!?」
今度は左隣に立つ輝夜から脇腹に肘打ちを叩きこまれる。
「お前らさっきから痛いんだが!さっき言われただろ、淑女しろって。だからお前ら男性冒険者から暴力女とか言われるんだよ゛ッッ!?」
「「黙れ」」
怒気を含んだ低い声が重なり、両側から頭部に強烈な打撃が加えられて、俺の頭は一瞬にして地面に
「誰がそんなこと言ったのか知らねぇが、とりあえずお前は死ね」
「あぁ、この
倒れ伏した俺の背中に、二人からの無慈悲な追撃が降り注ぐ。
「そ、そこにいる子は大丈夫なの?」
神エレンが引き攣った笑みを浮かべ、地面でピクピクと震えている俺を心配そうに見つめる。
「知りません。ですが自業自得なので気にしなくて結構です」
「そ、そうかい…」
顔を地面に伏せているので表情は見えないが、背中に突き刺さる同情の視線が痛い。そんなに可哀想だと思うなら、この猛犬二人を止めてくれ。
「それより私になにか御用ですか?」
「…いや?フラフラ歩いていたら君を見かけたからさ、暇つぶしに話しかけただけ」
「神の気まぐれほど面倒なものはありませんね」
ようやく二人が俺を蹴るのをやめ、輝夜は面倒臭そうな様子を隠すこともなく、神エレンに対して吐き捨てるように呟いた。
「申し訳ないのですが、貴方が言った通り我々は巡回中です。失礼させてもらいます」
「お前もいつまで倒れてんだ、さっさと起きろ」
「いや、お前らがやったんだからな?」
俺は恨み節を垂れながらもふらふらと立ち上がり、神エレンに背を向けて歩き出したリューたちの後を追う。
「────その巡回ってさあ、いつまでやるの?」
不意に投げかけられたその問いに、リューの足が止まった
「......?どういう意味ですか?」
「言葉通りさ。毎日、君たちはこの都市のために無償の奉仕をしている。じゃあ君たちが奉仕をしなくなる日って、いつ?」
先ほどまでのおちゃらけた雰囲気は霧散し、神の瞳には冷徹な知性が宿っていた。値踏みするようなその視線に、場の空気がぴりりと張り詰める。
「...無論、『悪』が消え去るまで。都市に心の平和が訪れた時、私達の警邏も必要無くなるでしょう」
「君たちの『正義感』が枯れるまでじゃないんだ?」
「...何が言いたいのですか?」
神エレンはどこか演技じみた様子で、滔々と言葉を紡ぎ始める。
「見返りを求めない奉仕ってさぁ、きついんだよ。すごく。俺から言わせればすごく不健全で、歪。だから心配になっちゃって。君達が元気なうちはいいかもしれない。でも、もし疲れ果ててしまった時、本当に今と同じことが言える?」
「男神様?私達にいちゃもんとやらをつけたいので?」
「まさか。俺は君達のことをすごいと思ってるよ。いや本当に。俺には絶対できっこないことを、誇りさえ持って臨んでるんだから」
(あぁ、なんだこれ…すげぇ気色悪い。)
耳を撫でるような滑らかな声。だがその言葉のすべてが上っ面で言っているのか、本心から言っているのかまるで分からない。
それ故にその一言一言がこちらの神経を逆撫でする。
「君達が儚く崩れ落ちた光景を目にした時...とても悲しくて、そして禁断めいた興奮を抱くんだろうなぁ、って...そう思う」
「「っ.....!」」
(まったく。厄介な
薄く開かれた神の瞳から放たれる異様な眼光に、輝夜とリューが嫌悪感を露わにする。俺は改めて、目の前の存在が人間の理解を遥か超えた超越者であることを再認識し、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
「いい加減、不愉快になってきたぜ、神様。こっちの武闘派はどっちも沸点が低い猛犬なんだ。噛みつかれる前にちょっかいかけんの止めてくんね?」
「へぇ……いいね。蛇の道も知ってそうなその瞳。君みたいな子がいるから、正義の派閥も破綻せずに回るんだろうな」
「いくぜお前ら。構うだけ手の平の上で転がされるだけだ。神の娯楽に付き合う義理はねぇ」
「あ!ごめんごめん。意地悪なお兄さんの最後の質問、答えてくれたらここから消える。約束するよ」
今度こそ立ち去ろうとした俺たちを、再び軽薄な調子に戻った神が引き止めた。
「.....その質問とは?」
「『正義』って、なに?」
再び軽薄な様子は鳴りを潜め、その問いは今までのような薄気味悪さも無く、ただ純粋な、剥き出しの疑問として放たれた。
零能ではあるが全知たる神。その存在の問いかけに一瞬、時が止まったかのような沈黙が路地を支配し、神の視線は俺たちを冷たく突き刺さる。
「.....なんですって?」
「俺はこれについてずっと考え続けているんだが、未だに下界に掲示できる絶対の『正義』ってやつに確信が持てない。それは俺がしょーもないモノを司っているせいかもしれないけど。でもだからこそ君達に聞いてみたいんだ。正義を司る女神、その眷属たる君達に…」
「リオン、相手にすんな」
「言えないの?やっぱりわかってないのかな?自分たちが掲げているものでさえ」
「.....ッ!いいでしょう、その戯言に付き合います。答えなど、決まりきっているのだから」
「その答えって?」
リューは分かりきった挑発に乗り、品定めでもしようという神の目の前で己が『正義』を言い放つ。
「無償に基づく善行。いついかなる時も、揺るがない唯一無二の価値。そして悪を切り、悪を討つ。──―それが私の正義だ」
揺るぎない信念を込めたその言葉に、神エレンはしばらく黙考した後……薄く笑った。
「ふぅむ……なるほど。つまり善性こそが下界の住人の本質であり、『巨悪』ならぬ『巨正』をもって世を正そうというわけだ...善意を押し売り、暴力を持って制す──―力づくの『正義』だ」
「ッ...!わたしはそんなことを言ってはッ!」
「はい、ストップ」
俺は激昂しかけたリューを制するように、その肩に手を置いた。
「最後の質問ってやつには答えただろ。これ以上グダグダ言い争う必要はない。あんたも神なら子どもの言ったことにケチつけないでもらっていいですかね」
「へぇ、そこの桃髪の娘が闇を知る賢者なら、さしずめ君は彼女らを守る
「最後じゃなかったんすか?」
「これが本当の最後だよ。それで君にとって『正義』とは?」
「ったく」
しつこい神に辟易しつつも、ここで断ればさらに粘られそうだと判断し、俺は神エレンの瞳を真っ向から見つめ返した。
「……理想の体現だ」
「──────っ」
俺は自身の内なる『正義』────いや、自分の『理想』を、かつての友の背中を…その生き様をなぞるように言葉を紡ぐ。
「定められた理不尽な選択を蹴り飛ばし、人を助けるために、自分のもてるすべてを尽くし、自らが正しいと思う道を笑って闊歩する…
そして、どんな逆境でも最後まで諦めない。そんな
その言葉を聞いた瞬間、神の表情が劇的に変化した。
まるで、長年探し求めていたパズルの最後の欠片をようやく見つけ出したかのような、不気味なまでの法悦。
「君、名前は?」
「あんたみたいな胡散臭いのに言いたくないんですが。一応神だしなぁ…レイ・オーガです」
「その名前覚えておくよ。最後に君にアドバイスだ」
去り際に神が投げかけた言葉は、鋭い刃のように俺の胸を突いた。
「君のそれは追求ではなく依存…あるいは模倣だよ。そして君は、それを心の奥底では理解しているはずだ。
理解した上で、縋るように追い求めている。折角
「……」
神が夕闇に溶けるように去っていく中、俺はその場に立ち尽くしていた。
神エレンがこちらに背を向けて去っていくが俺は最後に神エレンに言われた言葉が頭から離れない。
(素質があるだって?そんなものねぇよ。俺がなれるのはただの代用品だ)
心の中で否定しても、神の指摘は呪いのように、頭にこびりついて離れなかった。
「……レイ。私の言ったことは間違っていたのでしょうか」
「ん?うーん、分からん。『正義』の定義なんて人それぞれだろ。ただ...」
「ただ?」
「大事なのは他人から何と言われても、折れないこと。これがわかっておけばいい」
「そうですか...肝に銘じておきます」
「というか、レイの方こそ……最後のあの神の話、どういう意味だったんだ?」
「あーまぁ、一つ言うなら────
俺は半端者ってことだよ」
ライラの問いに、俺は夜の闇を見つめながら自嘲気味に笑った。
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その後、巡回を終えた俺は、複雑な思いを抱えたまま一人で夜のオラリオを歩いていた。静まり返った街路を抜けると、不意に明るい声が届いた。
「あれ、レイ?」
「お、アーディか」
そこには街灯の光に照らされた、天然元気っ娘系青髪美少女アーディが立っていた。