聖園ミカがシャーレに馴染むまでの話   作:五色雨

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シャーレ初出勤日⑨

 この日、早瀬ユウカの機嫌は久方ぶりに最低値に届くほど悪かった。正確に言えば、とある通知のお陰で急降下した。

 今日は聖園ミカの初出勤日である。ユウカは先生と共に他の当番を厳選し、そして希望者から3人のメンバーを選んだ。ミカに対して敵意を抱いておらず、オフィスでの書類仕事と外回りを教えることが可能で、有事の際に戦闘のサポートもこなせる人物。結果、ナツ、シロコ、シズコの3人を選んだ。

 先生と一緒にじっくりと選出したメンバーだ。3人とも先生と知り合ってから長く、特にシロコはシャーレメンバーの中でもユウカに次ぐ古参である。ユウカは3人を信頼しているし、3人からの信頼も得られていると自負している。何より、先生が太鼓判を押している。おもちゃを購入する時のチョイスだとか、先生のセンスには時折呆れているが、それでも戦術指揮と人材を配置するときの先生の目は確かだ。何よりも信頼している。3人とも、ミカと問題など起こさないだろう。

 しかし、それでも心配だった。どうも落ち着かない。確率的に成功するとは思うのだが、それでも心配なのだ。

 

 そしてそわそわしながらミレニアムサイエンススクールのセミナー執務室でいつも通りの仕事をしていた時にシャーレ互助会のグループチャットの通知音が響く。それも緊急通知だ。急いでスマホを手に取ったユウカは、画面に浮かんだ文字の羅列に目を通すと歯を食いしばった。奥歯が軋む音が室内に響く。

 

「……やってくれたわね……」

 

 先生がいるすぐ近くで火炎瓶を投げようとしたなど、断じて許してはおけない愚挙だ。誰がどんな思惑でこのような行為を仕出かしたのか、突き止める必要がある。頭が一瞬だけ沸騰しそうになり、急速に冷えていく。様々な考えが頭の中で閃光のように生まれては消えていく。

 セミナーの執務室ではなく自室だったら、怒声の一つや二つくらいは口から漏れ出たのかもしれない。自分の胸の奥におどろおどろしい逆巻く炎が生まれるのを自覚し、ユウカは天井に向けてはしたなく強めの息を吐いた。若干叫び声も入っていたかもしれない。先生に見られていなければセーフである。

 

 数十分後、ユウカのスマホが鳴った。画面に表示された名前を見て、ユウカはすぐにスマホを耳に近付ける。

 

「もしもし、シロコ……ええ、挨拶はいいわ。状況は理解している。……そう……安心して、ヴァルキューレとは話を付けるわ。不特定多数の市民が集まる駅ビル内での暴挙よ、シャーレが出る理由としては十分よ」

 

 スマホを持ちつつ立ち上がったユウカは、執務室の隅に置いてある先生が愛用しているものと同じコーヒーマシンへ近付き、スイッチを押した。作動音とカップにコーヒーが注がれる音が、ユウカ以外誰もいない執務室に響く。

 

「ええ、データをヴェリタスに送るわ。セミナー(こっち)でも調べてみる。……当然よ、誰一人として逃がす気はないわ。そっちの方も進めておいて」

 

 コーヒーマシンの作動が止まると同時に、ユウカはカップを手に取って席へ戻った。湯気が昇るカップに軽く触れる。そのぬくもりが、心を落ち着かせてくれる気がした。

 

「貴女が気になるのは……そう、それよね。大丈夫、独占したりはしないから。権利(・・)は皆にあるもの」

 

 ゆっくりとコーヒーを啜り、ユウカは激情を抑え込んだ深海のような色の瞳で、前を見つめた。

 

「……そうね、その通りよ……。一刻も早く……ええ、わかってる。では、また。明日の10時に一度、先生と互助会に報告を上げるわ。知っているでしょう? 私は狩りは好きではないけれど、他人を待たせるのは大嫌いなのよ。特に、先生に関することではね。……ありがとう、またね」

 

 そこまで言って、ユウカは電話を切った。深呼吸を一つ。もう一口コーヒーを啜り、ユウカはそのまま別の相手に電話をかけた。

 

「こんにちは、チヒロ先輩。……ええ、その件です。お時間、宜しいでしょうか?……ありがとうございます。では、10分後にノアと一緒にお伺いしますね」

 

 

「貴女は本当に強い人だよ、ミカさん。私のように、フワフワの綿菓子のようなモノよりもね」

 

「えっ」

 

 目の前に座っているナツの言葉に、ミカは思わず顔を上げた。目の前のナツはそんなミカを気にすることもなく、瞳を輝かせながら美味しそうにホットミルクを啜っている。

 

 現在、ミカたちはシャーレオフィスのカフェで休んでいる。ロボットたちを全員捕縛したシャーレのメンバーは、彼らをヴァルキューレに引き渡した後、喫茶店『ムエット』の店主と少し話をしてオフィスへと戻ってきた。シャーレオフィスで留守番をしていた部員たちは駅ビルにいた市民たちの避難誘導を終えた後は帰宅しており、現在、このカフェにいるのはミカ、ナツ、シロコ、シズコの4人だけである。

 

 前にオフィスに来た時もカフェでホットミルクを振舞われたミカは今回初めて知ったが、仕事が一段落した後や外回りからの帰還後にカフェでホットミルクを飲むのは、シャーレ当番のルーティーンと化しているらしい。先生の真似をしているうちに、いつの間にやらこれが恒例になっていたようだ。

 

「ミカさんのお陰で、シャーレの戦力はますます上がったと言っていいだろうね。ありがとう、ミカさん。これでまた、先生の盾(シャーレ)は進化したと言えるよ」

 

 じっとミカを見ながら、ナツはちびちびとホットミルクを啜っていた。星の様な瞬きでありながらも、どことなく怪しい光を放つ目に、ミカは小さく息を飲んだ。

 

「ミカさん、私たちは一致団結し、先生を護り続けなくてはいけないんだ。だからこそ、今日の貴女を見て確信したよ」

 

「あ~……」

 

 ナツの瞳を見返し、ミカは苦笑しながらホットミルクを一口飲んだ。喉の奥に温かくて甘いミルクが流し込まれていくのを感じて、脳内に浮かんだことを言葉にするか一瞬だけ悩んだ。そして、ミカは話し出した。

 

「合格点はもらえたってこと?」

 

「役に立つことを証明できたかと聞いてきたのは、ミカ」

 

「ん、まぁね……」

 

 問いかけるも自分の隣に座っているシロコに間髪入れずに指摘され、ミカはますます苦笑した。

 

「……ミカさんも、大体は気が付いているかもしれませんが……今日の当番のメンバーは先生が組んだんです。正確に言えば、先生とユウカさんが、ですけど」

 

 そう言って、ナツの横に座っているシズコがニッコリと微笑んだ。

 

「あんまり出番はなかったですけど……私とナツがミカさんの書類仕事の指導役、シロコさんが万一外回りの際に戦闘が起こった場合の支援役、です。シロコさんが支援役なのは、ミカさんの戦闘能力はとても高いから戦闘の指導は必要ないと思うけど、シャーレの指揮管制システムを使用した戦闘の際に勝手が違って戸惑うだろうから、ということです。実際は、すぐに慣れてしまいましたね」

 

 シズコの言葉に、ミカは小さく頷いた。実際のところ、何となくそうだろうなとは思っていた。ナツ、シズコ、シロコの3名ともミカに露骨な敵意は向けてくることはなく、そしてナツは自分と同じトリニティの生徒。どうも、偶然とは思えなかった。

 

「別に騙したいわけではないから最初に言っておくけれど。私たち3人は事前に話し合って、ミカのことをどう思っているかを互いに共有している。勿論、先生にも話はしてある。……共有とはいっても、私たちは全員凡そ同じ考え」

 

 そう言って、シロコは感情を悟らせないような色の無い瞳をミカに向けた。

 

「はっきりと言ってしまうと……私たちは、ミカさんには特に怒りを抱いていない。いや、ミカさんにそういった感情を向けるほど余裕がない(・・・・・)というべきかな」

 

 何時もより数段低い声で、ナツはゆっくりとホットミルクを啜りながら言った。その瞳が黒く濁っていくのを、ミカは見た気がした。

 

「余裕がない……?」

 

「私はトリニティの生徒だよ。先生が殺されそうになったのはトリニティの古聖堂。私が通っている校舎からは離れているけど、同じ自治区の話。シズコのような百鬼夜行とかの他校の生徒に比べれば、遥かに現場に近かった。……近かったはずなんだ」

 

「それは……」

 

 ミカが何かを言い、口を閉じた。ナツが首を横に振ったからだ。その仕草を見た時、ミカは自分が何を言おうとしていたかを忘れてしまった。或いは、最初から何も考えずに口を開いたのかもしれない。それすらも、わからなかった。

 

「ナツ……」

 

 シズコがナツの肩に手を置こうとしたが、ナツはそれを手で制して再度首を横に振った。

 

「……でも、結果はどうだい? 私は先生が殺されかけていることも知らずに、ただニュースを見ていたよ。街を散策しながら、トリニティ中心街の特設モニターでね。……先生の安否がわからない、襲撃されたという未確認情報がニュースキャスターによって読み上げられた時、私が何をしてて、何を思ったか、知りたいかい?……馬鹿みたいだよ、本当に」

 

 何時もと全く違う、感情が籠められていない声。まるで小説を朗読しているかのような声だった。それが恐ろしく不気味に感じ、ミカは僅かに羽を震わせた。

 

「いや、先生がエデン条約の調印式に参加するということは、事前に互助会によって共有されていたんだ。でも、私はその情報を意図的に忘却していた……気がする。多分、認めることを脳が拒否したんだろうね。ニュース映像に映った爆発が起こったところ……あそこ(・・・)に、先生がいるということを。今なら思う。叶うなら過去に戻って、その時の自分を張り倒したい、とね」

 

 ナツはそう言って、椅子の背もたれに体を預け、天井に向けて息を吐いた。

 

「……ミカさんにきつく当たるなんて、とてもできない。私は先生を護れなかった……護ろうと行動することすらもできなかったんだ」

 

 絞り切る様にナツは言った。再びナツの目がミカを見た時、その目は深い血の色のような赤い光を放っていた。

 

「だから、私は……ミカさんに頼りたい。私は稀代の大馬鹿で、1人で先生の盾になるという責務を果たすことはできない。でも、それでも先生を護りたいんだ。愚者な私でも、先生を喪いたくないんだ。ミカさんと一緒に、シャーレをもっと強くしていきたい」

 

 ナツは眉を下げ、ミカに頭を下げた。

 

「……ミカさん、私は――」

 

 ナツが口を開いた瞬間、ミカは大きく頭を下げた。

 

「ごめんなさい、私が悪いのに……」

 

 もう聞いていられなかった。ナツの言葉を遮って先手を打つように頭を下げてしまったことに、ミカは酷い自己嫌悪に囚われた。胸が灼けるように熱くなり、腑が痛むような不快感が心の奥底に溜まっていく。ユウカの時と同じだ。自分はまた、逃げたのだ。自分を罵る気力すらも沸かなかった。

 

「ミカ、頭を下げないで。今は、ナツの話を聞いて」

 

 隣から鋭い声が飛び、ミカの耳を貫いた。本当にその通りだ、シロコの言葉が正しい。叱責が心の底からありがたかった。ミカはのろのろと顔を上げた。ナツはまだ頭を下げたままだった。

 

「……いや、シロコさん。これ以上はいいよ。前にユウカさんが言っていたな……『どんな天才でも、自分の本性(こと)は分からない』と。……あぁ、そうだよね……まったく、そうだ。

 私は何を言いたいのか……そうだ、私がミカさんに怒りを抱いていないというのは本当だよ。心の底から、そう言える。だって、先生が許しているからね。憎む憎まないという問題じゃない、当事者の先生が許せば……これは、終わった問題なんだ。勿論、ミカさんについてはだけどね。アリウス共はまた話が別だ」

 

 ナツはそう言って、顔を上げてミカを見た。

 

「だから、私はミカさんに何もしない。寧ろ、ミカさんと一緒にシャーレ部員として頑張っていきたい。共に……先生の盾(シャーレ)で在り続けたい」

 

「……私も、ナツと同じです」

 

 シズコがミカを見つめた。真っすぐな瞳だった。

 

「私はシャーレの部員です。自分の意思で入部して、自分の意思で先生の指示の下、働いているんです。先生の意向を私情で無視しませんし、正直、そんな気もありません」

 

 そう言って、シズコは目を逸らして床を見た。

 

「ナツと違い、私は自分を責めることもできませんでした。……ただただ、衝撃で。呆然としてて。震えてて。……結構、泣きました。

 そして、吹っ切れました。悔やんでもしょうがないし、今度は先生を絶対護ろうって思っていますよ」

 

 そう言って、シズコは笑顔を浮かべてウィンクをした。そしてふぅ、ふぅ、とホットミルクに息をかけ、啜った。どうやら猫舌らしい。

 

「……ヒフミの要請で現場に行った私がここで話し出すのはどうかと思うけど。……ミカに思うところがないというのは、私も同じ」

 

 今度はシロコがくいっとホットミルクを飲んだ。そして暫く黙りこくった後、微妙な表情を浮かべながらミルクを飲み込んだ。まだ熱かったらしい。

 

「……ん、先生がミカを許した以上、言うことなんてない。パートナーは相手の意を汲んで、尽くす者」

 

「え、何その言い方、ズルくないですか?」

 

「ズルくない」

 

 急に低い声を出して昏い瞳を向けるシズコに対して、シロコは涼しい顔で即否定した。

 

「ズルいけどカッコいい……この人ホント反則だわ。男装させて紳士役でウェイターとかやらせたら凄い客たらしになりそう……」

 

「……わが友よ、それは駄目だ。シロコさんがウェイターなんてしたら、すれ違う客全員の首に手刀を叩き込んでしまうよ」

 

「ナツ! 貴女、シロコさんを何だと思っているのよ!」

 

「アビドスの制服着たギャングかな。燭台が置いてある白いテーブルで、黒スーツを着てクリームブリュレ食べている方が似合うよ。食器の横にドラム・マガジン(円形弾倉)のサブマシンガンか、短め(ソードオフ)の中折れ水平2連式ショットガンでも無造作に置いてあれば最高」

 

「くっ、否定できない!」

 

「……」

 

 突如始まったシズコとナツの漫才を尻目に、シロコはマイペースにホットミルクを啜る。もう自分の言いたいことは言い終えた、という雰囲気である。

 ミカはシロコの顔をチラリと見た。視線に気付いるのか気付いていないのか、シロコは無表情でひたすらホットミルクを飲んでいた。

 でも、それで良いのだろう。もう、シロコの出番はないのだとミカは気付いた。

 ミカは意を決して、声を上げた。

 

「その、ナツちゃん。そしてみんなも……私を責めないでいてくれて、ありがとう。私もシャーレで皆と一緒に、先生のために戦いたいと思っているよ」

 

「……お礼を言われるようなことでは……あ、いや、そう……だね。どういたしてまして……なのかな?」

 

 眉を下げたナツはシズコを見て、再びミカに視線を戻した。それを3回繰り返し、複雑そうな表情を浮かべて頷いた。

 

「そうですね……あ、ミカさん、私たちには謝らないでくださいね。いや、本当に。謝られる資格なんて、無いですので」

 

 ナツに視線を向けられてナツ以上に困った表情を浮かべたシズコもまた、頷きながら言った。そして困ったようなおかしいような、これまた複雑そうな表情を浮かべた。

 それを見て、ミカも同じような表情を浮かべた。そして唯一全く表情を変えていないシロコにも、軽く頭を下げた。

 

「シロコちゃんも、ありがとう」

 

「ん」

 

 シロコはミカの方を向き、ただ一言だけそう言った。

 相変わらず感情が読み取れない冷たい瞳だが、ミカにはそれが心地よいとすら感じられた。

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