「ま、待ってください! ミカさん、違うんです、何か、誤解が……は、話せばわかります!」
「問答無用だよ、ナギちゃん。今、私はこの拳を振るわなくちゃいけないの。せめてもの情けだよ……紅茶を飲む前にしてあげる。安心してね、後遺症が残らない程度にするから」
「何一つ安心できません! その、シャーレオフィス近くの駅ビルに店を開いたのは色々と理由が……」
ミカがシャーレに初出勤した日の翌日。トリニティ総合学園のティーパーティー専用テラス。ティーパーティーと招待された者しか入れない特別な空間で、2人の少女が互いを見て不思議な踊りを踊っていた。具体的に言うと、小さなリフェクトリーテーブルを挟み、1人がファインティングポーズを取りつつじりじりと相手に接近しようとし、もう1人が両手を突き出して相手から逃げるようにカニ歩きとバックステップを繰り返していた。
「さぁ、ナギちゃん。辞世の句はそのカン高い命乞いで良いんだね?」
「いや、ほんっとに待ってください! 全然良くありません!」
揺らめく陽炎のようなオーラをまといながら聖園ミカが低い声でゴキゴキと指を鳴らして笑顔で言うと、桐藤ナギサは両手を円を描くように大袈裟に動かしながら、ミカを見つめつつ後退した。山中で熊に出会った時の動きである。
そしてそれを眺めながら、この中にいるメンバーで唯一普通に座っている百合園セイアは静かに紅茶を飲んでいた。セイアの目の前のソーサーの横には、彼女の相棒であるシマエナガがひょこひょこと動き回っていた。
全くもってシュール且つ優雅さの欠片もない光景である。微かに聞こえる小鳥の囀りが実に空しい。ティーパーティーに憧れを抱く一般トリニティ生徒が見れば、卒倒して1週間は夢に見てうなされそうな光景である。
いくら気心知れた3人しかいないプライベートな空間とはいえ、ここまで互いに酷い光景を晒すことが出来るのも、事件後の3人全員の歩み寄りと努力、そして先生のお陰だというのがある意味悲惨である。
流石に喧騒に耐えきれなくなったのか、或いは友の無様っぷりをこれ以上見ていたくなかったのか、ティーカップを置いたセイアが静かに言った。
「ミカ、そしてナギサ。戯れるのも結構だが、そろそろ建設的な話をしていこうじゃないか。ミカ、君は安易に身構えるのは良くない。互いに胸襟を開いた結果が暴力を見せつけるパフォーマンスなど、三流の小噺以下だ。
ナギサ、久方ぶりに児童のように戯れ合いに勤しむのを邪魔したくはないのだが、君とて時間は有限だろう。君は時折、ちょっとした悪ふざけで時間を浪費したがる悪癖がある」
「……まぁ、そうだね」
「……セイアさん。時間とは、有意義に消費していれば良いというものではありませんよ?」
「その通りだね。だからこそ、少しでも良い結果を紡ぎ出せるように、私たちは進まなくてはならない」
セイアの一言に唸り、ミカとナギサは互いに見合って揃って微笑んだ。一先ずプロレスと憂さ晴らしも終わったので、ミカとナギサは同時に席に着いた。
分派の首長として公私をはっきり分ける必要がなくなり、三大派閥の行政官を伴わない私的なお茶会で済ませている方が3人ともにリラックスして会えるというのは、実に皮肉である。
テラスの中央に設置された、ティーパーティーの正式な会合で使用されているはずの不必要なまでに長すぎるリフェクトリーテーブルには目もくれず、3人はテラスの隅に置かれた古い別の小さなリフェクトリーテーブルに腰を下ろしていた。
現在、このテラスには3人しかいない。扉の向こう側には重武装の正義実現委員会が数人待機しているが、それだけだ。
会合ではなく、友人同士のお茶会。3人がそれを求め、そして実現したささやかな行事になることもない、桐藤ナギサと百合園セイアの権力の私的行使。聖園ミカの「管理」のため、ティーパーティー体制が完全に崩壊しているわけではないというアピールのため。様々な理由を無理矢理捻り出して行われる、トリニティ上層部の黙認下にあるちょっとした息抜き。
ナギサとセイアは、数日に一度このようなお茶会を開き、ミカを招待していた。勿論、今日もちゃんとした理由が作られている。
「――さぁ、それでは話してくださいな、ミカさん。シャーレのことを」
例えば、シャーレ部員になったミカから色々なことを聞きだすためだとか。
ナギサは微笑を浮かべると、何時ものようにティーカップに口を付けた。
◆
「――というわけで、先生について書いてあったファイルを読んでいたら寝不足になっちゃった☆」
「初等部の幼子達さえその重要性と本質を理解できるであろう『真面目に学業に取り組むべし』という言葉の意味すら理解できないのかい? 君は一度、園児に配られる道徳について書かれた絵本から読み直してくるべきだね」
ノータイムで何という暴言か。実際に自分のせいで殺されるところだった相手に「道徳を学び直せ」とか言われると反論に困る。
結局、何も言えずにミカはセイアをジト目で睨むことにした。
「……そんな綺麗な目で睨みつけても、怖くないと思いますよ?」
「ここに私の味方はいないの?」
すまし顔でそんなことを言うナギサにもジト目を送り、ミカは目の前に置かれたロールケーキにフォークを突き刺した。
事実上ティーパーティーをクビになったというのに週に数回はお茶会に誘ってくれるのは嬉しいけれど、毎度ロールケーキばかりなのは嫌がらせなのだろうか。偶にはマカロンとかが食べたい。
「なに、最近、動き回るようになった君が順調に痩せていっていると聞いてね。ここは肥えさせねばと」
「セイアちゃん、予知夢の次は読心能力でも身に着けたの? 流石にちょっとキモいよ。あと、まずは自分が肥えたら?」
ミカは思わず真顔でセイアを見つめた。どう見ても不健康にしか見えない程痩せすぎなセイアの健康の方が心配だろうし、大体そんな情報何処から持ってきたのか。
「私だって予知夢に頼り切っていたわけではないんだ。自前の諜報手段くらいは用意しているんだよ。君がナギサに知られずにアリウスと手を組めたようにね」
地味に反論しづらい痛いところを突いてくる。ミカは小さく唸りながら、はしたなくロールケーキを嚙み千切った。
「冗談さ。君、目に見えて痩せていっているよ。だが心配は不要だろう。原因は心労と思いきや、何ということはない。あれだけ動き回ってて、痩せない方がおかしいだろう」
「全くです。誰が中央教会の壁でパルクールしろと言ったのですか。しかもその後に隣の講堂の屋根までジャンプするなんて。何メートル離れていたか知っていますか、ミカさん」
「いや、ほかに逃走手段が無くて……」
やはりここには味方がいないようである。ミカは両手をひらひらさせて降伏のポーズをとった。降伏したミカに視線を向けると、セイアは紅茶を一口飲んだ。伝わり辛いが、これでもセイアとしてはかなりミカを労わっている方である。
「それにしても、シャーレ部員の先生に対する執着は予想以上だね。先生……あの人は本当に多くの生徒に慕われているようだ。まさかそんなファイルなんてものがあったとは。この前、ミネ団長が謎のファイルを立ち読みしていたけど、それだったのかな」
「流石に違うでしょ。そうだったらあの人無敵過ぎない?」
先生についてのプライベート情報満載のファイルをトリニティの校舎で立ち読みとか、さしものミカもそんな度胸はない。シャーレから持ち帰ってきたファイルは複数ある。きっと先生についてのことが書かれたファイルではなく、別のファイルだろう。そうだと思いたい。
ミカは食べ飽きたロールケーキを紅茶で喉の奥に流し込みながら、呆れたような視線をセイアに向けた。
「……本当にそんな情報、私たちに伝えて良いのでしょうか? ミカさん」
「うん、問題ないって。一応ユウカちゃんに『もうお茶会で披露する一発ネタ尽きたから、先生ファイルのことお茶会の話のネタにしてもいーい?』ってチャット送ったら、『良いですよ』って返ってきたよ☆」
「君も大概、無敵だと思うけどね」
今度はセイアが呆れたような視線をミカに向ける番だった。
「確かにこれは会合ではなく私的で堅苦しさを意図的に捨てたお茶会ということにしているが、別に一発芸の披露なんて求めていないし、君も今までそんなものを見せたことはなかったと記憶しているよ。もう少し他に確認の仕方があったのではないかな? セミナー会計の……そう、早瀬ユウカに誤解されてしまうじゃないか」
「そうですよ。私もセイアさんも、芸やお笑いのことに詳しくないですし。一発芸なんて持ち合わせておりませんよ」
セイアに続いてナギサもミカに呆れたような視線を向けた。しかし、ミカはジト目でナギサを見つめ返した。
「まーたそんな無意味な謙遜なんかして。椅子に座って紅茶飲んでいるだけで笑いが生まれるナギちゃんがそれを言っても、ただの嫌味だよ?」
「貴女私を何だと思っているんですか?」
あまりにも酷い幼馴染からの一言に、ナギサはカップを震わせて額に青筋を浮かべた。
「確かに、アリウス修復本部で紅茶を飲んでいたナギサは見ていて面白かったな。思わず文字通り抱腹絶倒するところだった。ミカの言葉には同意しよう。ナギサと違って、ミカは行動こそ奇天烈だが思考基準は常人寄りだからね」
「セイアさん!? 貴女、あの時そんなことを思っていたのですか!? 病室で私が『ミカさんと先生を助けに行きます、例え全ての立場を喪ったとしても』と言った時に、力強く頷いてくれたではないですか!」
「確かに私は頷いて、『ならば私もお供させてくれないか、ミカには謝らなくてはいけないことがある』と言ったよ。誓って本音だとも、嘘は言わない。その数十分後に君が正義実現委員会にテーブルと椅子とティーセットを運ばせているのを見た時には、前言撤回したくなったが」
「酷いです!」
ポケットから金色の糸も使われている白いハンカチを取り出して、目に当てるナギサ。それを見て、「そういうのいいから」と言いたげに無表情を浮かべているセイア。口火を切ったミカは、もう飽きたと言いたげに綺麗に整えられた自身の指先を眺めている。
部下を伴わない私的な空間でのお茶会など、3人ともこんなものである。そんなことをつい最近になって思い出したということが、ある意味幸いと呼べるのかもしれない。
「……あ、そろそろ話を戻しても?」
ポケットにハンカチを戻し、何てこともない様に微笑むナギサ。実にいつも通りである。
「うん」
「あぁ」
「では。……私が調査していた時よりも、その……シャーレ部員の皆様の先生へ抱える想いの強さは、遥かに大きくなっているようですね。正直、予想以上です」
「まぁ、気にすることでもないんじゃないかな? あの人が慕われる理由、ナギちゃんも分かるでしょう☆?」
すましたようにナギサを見つめるミカ。パートナーを自慢する恋人のような態度と口調である。ナギサは複雑そうな表情を浮かべると、ふぅ、と息を吐いた。
「確かに……本当に心強くて、頼りがいがあって……はぁーっ」
乱暴に息を吐いて、ナギサは紅茶を一気に飲んだ。遠慮も余裕もない仕草である。
「これでは私が入部する時も、風当たりは強いでしょうか……?」
ピクリ、と肩を動かしたミカは、じっとりとした目をナギサへ向けた。ナギサが疑問に思うよりも先に、ミカは口を開く。その瞬間、セイアが軽く目を見開いてティーカップを乱暴にソーサーの上に置いた。ガチャンと音が鳴り、紅茶がテーブルクロスを汚す。
「どうかな? ナギちゃんがやったことって、先生へ貸しを作ったことをいいことにシャーレの権限利用して、補習授業部の皆を退学させようとして、それを止めようとした先生にあらゆる妨害工作を仕掛けて、あとは肝心な時にミサイルの爆風で気持ちよくお寝んねしていたくらいでしょ☆?」
低い声色なのに、何故か楽しそうな表情で言うミカ。ミカの言葉のこん棒にタコ殴りされるように少しのけ反ったナギサがプルプル震えていくのを尻目に、ミカは急に表情を消し、俯いた。
「……あ」
「ナギサ――」
ナギサが目を見開き、セイアが立ち上がった時にはもう手遅れだった。ミカは光の消えた瞳でティーカップを見つめ、羽を微かに震わせた。
「私なんかさ、先生を騙して、その癖引き返せないところまで行く前に止めてもらって、なのに不満をぶつけて、終いには先生の頑張りも全部無駄にして、勝手に脱獄なんかしてさ……」
「ミカ、深呼吸だ」
「むごっ」
いつもの動きを知る者ならば想像もつかない程に素早く動いたセイアの小さな手に口をふさがれ、ミカは目を白黒させて目の前まで来たセイアの瞳を見つめた。いつもと同じで眠たそうな、超然としたような穢れの一つない黄金色の瞳。しかしその額には、若干汗がにじんでいる。
「うぐむ……っぷはっ」
数十秒後にセイアが手を離すと同時に、ミカは大きく息を吐いた。その光景を眺めながら顔を青ざめさせていたナギサがふらふらと立ち上がり、ミカに近付いた。そして慎重に、そして丁寧にミカの背中をさすった。
「す、すみません……ミカさん、セイアさん」
「あ、うん……ごめんね……」
「……全く」
ゆっくりと顔を上げて弱弱しく微笑むミカを見て、セイアはどっかりと椅子に腰を下ろした。いつもの彼女とはかけ離れた、荒々しい態度だった。
シャーレ部員として先生に受け入れられるようになっても、まだまだ傷は塞がらないらしい。事件に巻き込まれてから1年近く経った自分と違い、ミカの傷はまだ生々しいのだ。そんなことを一瞬でも忘れてしまった自分は、相当に馬鹿になっているのかもしれない。セイアはため息をついて、相変わらず目の前をひょこひょこと動くシマエナガを見下ろした。
互いが互いに歩み寄りを始めたとしても、それでも傷は塞がらず、傷跡が残ってしまうのかもしれない。それでも、塞がらずにさらに広がり、引き裂かれるよりかはずっといいと思う。
たとえそれが希望的観測だとしても、セイアはそう思わずにはいられなかった。
◆
その後も、ミカの報告は続いていった。シャーレに入部して初めて任務をした時のこと、駅ビルでの戦闘のこと、そして、ナツたちや先生との話。すらすらと楽し気に語っていくミカに、ナギサとセイアも徐々に笑顔が戻ってきた。
本当に、彼女のスイッチはどこにあるのかわからない。長年幼馴染をやっている自分もこの様である。ナギサはため息をつくのを何とか堪え、代わりに紅茶を一口飲んだ。心なしか、どうも苦く感じる気がした。
「……それで、ナツちゃんたちと話をしていて思ったんだ。やっぱり話し合うって大事だなって」
「ええ、そうですね……」
全くもって、その通りだ。自分も思い知った。話し合おうとせず、信じようとせず、心を許そうとしなかった結果がこの様だ。
「だから、これからもいっぱいシャーレの人たちと話していこうと思うんだ。やっぱり先生のためにも、シャーレの人たちと仲良くしていきたいからね☆。だから、機会があればもっとシャーレの活動に参加していこうかなーって思うんだよね☆」
「成程、その志は極めて立派だと思うよ、ミカ」
「でしょでしょ☆。ナギちゃんもそう思うよね?」
「ええ、そうですね――」
ロールケーキにフォークを入れようとしたナギサの手が止まった。特徴的な通知音とそれに合わせたバイブ音が、ミカのポケットから聞こえたからだ。同時にミカの口も止まった。
「……あれ、緊急通知?」
「緊急?」
「うん。シャーレ専用のグループチャットアプリでね、色々な種類の緊急通知があるの。この音は、シャーレ部員が別の部員に助けを求める時のメッセージ通知音なんだけど……」
説明しながら、ミカはポケットからスマホを取り出して操作をしていく。どうやらシャーレからの緊急通知はマナーモードの状態でも通知音が鳴るシステムとなっているらしい。
緊急と聞いて顔を引き締めるナギサとセイアだったが、それに対してミカは怪訝そうな表情を浮かべてスマホをタップしている。
「うーん、なんだろこれ? セイアちゃんたち、分かる?」
そう言って、ミカはスマホを2人に見せた。そしてミカのスマホ画面を覗き込んだナギサとセイアも、同じように怪訝そうな表情を浮かべた。
それはシャーレのグループ全体に贈られたメッセージの様だった。送信者を示すアイコンの横に、メッセージが表示されている。そこには
「【急募】カッコよく戦える強い人」
と表示されていた。
「これ、なんだろうね?」
聞かれても困る。もう一度尋ねたミカに向かって、表情で語るナギサとセイアを無視し、ミカはスマホを操作していく。下の方に記載されていたメッセージも見て、ミカはにんまりと笑った。
「う~ん、何かよくわからないけど……部員の人と、仲良くなれる機会かも☆」
そう言って、ミカはおいしそうにロールケーキを口に入れた。