気長にお待ちいただければ幸いです。
「ハルカは混乱のバッドステータスになっていました。これは早急にパーティメンバーが攻撃して、解除しなければいけません!」
至近距離でシャーレの仲間の側頭部に9ミリ拳銃弾をぶっ放したアリスの最初の供述がこれである。あわあわとハルカに抱き着いたままのモモイが、アリスに何と声をかけたらいいのか脳内で複数の自分と会話を繰り広げている間に、ハルカが動いた。
拳銃弾が直撃しつつも、ハルカは倒れるどころかふらつきもしない。ただ、流石にロボットに無限顔面フットスタンプは止めていた。
「……痛いじゃないですか……」
ぼそりと低い声で言い、ハルカの首がぐるりと動いた。ニコニコと笑っているアリスを見下ろし、銃弾が当たった部分をカリカリと掻く。そしてゴキッと首を鳴らし、ふぅ、と息を吐いた。
「あ、いや……ありがとうございます。私、またやってしまいましたね。すみません、お話の最中に。……はーあぁ……死にたい死にたいぃ……」
そのまま何事もなかったかのように、自身に抱き着いているモモイを気にすることもなくアリスとミカへ向き直った。
いくらキヴォトスの生徒といえども、普通は頭に銃弾を撃ち込まれれば気絶か脳震盪を起こすものだが、ハルカは平然としている。脳震盪どころかダメージを受けた様子もない。何だこの子見た目華奢なのに頑丈だな、とミカは内心呆れていた。もしナギサが今のミカの心の中を覗いていたら、「ミカさん、貴女もう常に鏡と向かい合って生活した方が良いんじゃないですか?」と言うに違いない。
「すみません、少し頭がカッとなりました」
「あ、うん……」
「良し、ハルカのバッドステータスが解除されました!」
ミカが指導したためか、地味に手慣れた手つきでリホルスターをしたアリスが両手を空へと突き出した。
それを見て、若干憔悴した表情を浮かべたモモイが漸くハルカの胴体に回していた腕を解いた。
「あぁ、すみませんすみませんすみません……失敗から何も学ばない愚図ですみません……。私のせいで、皆さんの貴重なお時間を浪費してしまいますね。本当にすみません……」
首をゴキゴキと鳴らしつつも、ハルカは気絶したままのロボットの頭に蹴りを入れてゴロリと転がした。触れていたくないものをどけるような仕草だった。
見るのも憚られるほどに無残なこととなったロボットの顔から、ミカたちはスッと目を逸らした。怒り狂っているように見えたハルカであったが、命を奪うよりも適度に甚振ることを優先していたらしく、意外と大怪我には見えなかったが、それでも絵面は極めて悲惨である。
「ええと……続きを話しますね」
「う、うん」
ミカが頷くと、ハルカは咳払いをして再び話し始めた。
「それで、ヴェリタスの方々が調べたところによると、このロボットを催眠状態にする……いえ、洗脳と言ってしまいましょうか。洗脳可能な
「スクーナー?」
「はい、もともとこの手の道具はそれぞれブランド名といいますか、コードネームみたいなものが製造元と売人組織によって決められていたのですが、これはスクーナーと呼称されているとのことです。夢の世界に旅立つための
「ネーミングセンス、趣味悪っ」
嫌そうな顔で吐き捨てるモモイを見て、ハルカはこくりと首肯した。
「というか、もうそこまでわかっているの?」
「私もユウカさんやウタハさんから聞いただけですが、そうらしいですね。色々とブラックマーケットを突っついたんだと思います。多分ですが、ブラックマーケットでもそんなに隠していないのではないかと。そもそも売り物ですから隠しては売れませんし……勿論、実際には購入者にこれを使用すると洗脳されるなんて言ってはいないですが。ただ多幸感に包まれストレス発散ができるものとして売っているようです」
「だよねぇ。……そのロボットも売人なの?」
ミカが転がっているロボットを指差すと、ハルカは荒々し気に息を吐いて再び頷いた。
「はい、販売のマーケティングは所謂ダークウェブ……ブラックマーケットを本拠地とするアングラな、一般とは切り離されたSNSで行われているようです。キヴォトスではこういった物は表の世界でなかなか手に入りません。依存性がありますからね。
同時に少しずつ口コミだとかで表の世界に漏らしていって、興味を抱いたもの相手に
「普通の違法製品って? その言い方だとつまり、スクーナーは普通ではないってことだよね?」
意図的に奇妙な言い回しをしたハルカに向け、モモイが怪訝そうな表情を向けた。
「はい。このスクーナーには使用者を他人からの命令に従いたくなるように洗脳する効果があります。他のよくある違法製品とは危険度が違います。それを、普通の違法製品と同じようにアングラなSNSを通じてばら撒いているのです。
製造元は、何でわざわざ洗脳効果があるものを生み出し、量産して、売り捌いているのか……」
そこまで言って、ハルカは首を横に振った。もううんざりだとでも言いたげに、つまらなさそうに地面に転がっているロボットを一瞥する。
「ユウカさんの推測では……つまり、サンプルデータの収集も兼ねているのではないか、と。……実験ですね」
「実験……つまり、スクーナーは試作品……というより、発展途上、未完成ってことかな?」
「そう、考えられます」
ミカが低い声で言うと、ハルカが大きくため息を吐いた。
「そもそも不特定多数にバラまくのであれば、洗脳効果があったところで役に立ちません。例えば数十体のロボットの人を一か所に集めて一斉に使用させて、そしてその場で命令してコントロールするとかなら兎も角……こうしてD.U.にあちらこちらに売り捌いて洗脳したとして、どうやって命令を出すのかという話になってしまいます。何も購入者が買ってすぐさま、売人の目の前で使用するとも限らないでしょう。それ以前にどんな命令を下してどんなことをさせるのか、というのもありますが……」
「確かに。……多分、ムエットの時は予め何人か集めて、適当に口実を作って一斉に使用させたにしても……それですら、別に脅威にはならなかったからね」
ミカは喫茶店ムエットの出来事を思い出していた。火炎瓶や手榴弾を投げる、拳銃を撃つくらいの単調な動きしかできず、最後には勝手に動けなくなったロボットたち。彼らがスクーナーで洗脳状態になっていたとして、その状態のロボットが複数人集まったところでアレだ。大したことが出来るように思えなかった。
適当に売り歩いたところで、あんな状態のロボットがあちこちに現れるだけだ。現れたところでだから何? という感じが否めない。
単純にテロでも起こしたいなら、こんなことをせずにお金を払って傭兵や不良軍団でも雇った方が遥かに手っ取り早いし簡単だ。わざわざこんな道具を製造しておいて、傭兵などを雇う金が不足しているなどということはないだろう。
「確かに、何かの実験って言われた方が――」
「うん、その方が分かりやすいかも」
「はい。仮にそうだとすれば……
ミカとモモイの返事を聞くと、ハルカが顔を俯かせた。強い力で愛銃を握り、僅かに体を震わせている。
「モモイさん、アリスさん、聖園ミカさん……わかりますか、この屈辱が。こんな
違法製品の売り場に使われる方が、まだマシです。そんなものは、別に珍しくもないですから。お酒、煙草、違法改造された銃火器、闇ルートで出回った高額の転売商品、希少な商品……ブラックマーケットからD.U.に運ばれたものは、決して少なくはないでしょう。ですが、これは駄目ですよ。誰かは知りませんが、これは駄目です」
ハルカは顔をあげた。先程のように歯を噛みしめ、唇からは僅かに血が垂れている。目は血走り、紫色のオーラが瞳から放たれているかのようだった。
僅かに後退るモモイと真剣な表情で腕を組むミカを睥睨し、ハルカますます強い力で愛銃を握った。
「だから、奴らを潰します。まずは売人からです。まずは製造元、つまり黒幕の手足を捥ぎ取ります。何本あろうが、全て捥ぎます。
次は、このスクーナーを製造している工場や施設を
最後は、黒幕を狩り出します。恐らく何人、何十人かの組織だと思われますが、丁寧に確実に処理をします。
「え」
突然話かけられ、ハルカの物騒な台詞回しに内心ドン引きしていたミカが咄嗟に変な声をあげてハルカの顔を凝視した。
そんなミカの横にいたモモイは、物理的にハルカからどんどん離れていっている上に、完全に涙目になってプルプルと身を震わせている。一方で、アリスは全く動じておらず真剣な表情を崩すこともなく、終始無言であった。意外にも、アリスはハルカの憎悪の籠った声にあまり感じるところはないようだ。真剣な表情を浮かべているアリスの瞳に怯えや戸惑いの色はなく、頭の中で情報を組み合わせているような理知的な雰囲気をまとっていた。
自分と目を合わせたミカを見て、ハルカはぐにゃりと笑った。人形の顔を火で炙って溶かして作ったような、不気味な笑顔だ。
「まだ先生からの正式な指示は来ておりませんが、ユウカさんからこの情報を回された私たち、そして一部のシャーレ部員はもう動き始めていますよ。……頑張りましょうね。貴女が入部してから初めての、時間がかかる
そう言って、ハルカは目を細めた。
「シャーレ部員となった以上、私も貴女も先生の盾で、銃で、手足です。その時、もしご一緒する機会があれば……よろしくお願いしますね、聖園ミカさん」
卑屈そうに軽く会釈したハルカだが、その目は笑っていなかった。
◆
才羽ミドリの愛銃「フレッシュ・インスピレーション」はスナイパーライフルである。スナイパーライフルと聞くと大型で超遠距離から狙撃する銃がイメージされがちだが、「フレッシュ・インスピレーション」は中~遠距離の狙撃を得意とする「バトルライフル」と呼ばれるタイプのライフルだ。バトルライフルとは、簡単に言えば遠距離専用の大型弾薬(フルロード弾)を使用するアサルトライフルのことで、フルオート射撃も可能である。本格的なスナイパーライフルと比べると射程が短いがアサルトライフルよりは長く、フルオート射撃で近接戦闘もある程度こなせるのがミドリの愛銃である。
故にミドリは超遠距離からの狙撃というものは出来ず、中~遠距離程度の狙撃を得意とする。それも瞬時に複数の標的を一撃で仕留めていく緻密な連続狙撃が、彼女の得意技である。
このため、ミドリはスコープを覗けば即座に標的との距離を把握できる能力を持っている。もっとも、その能力が発揮されるのは中距離で複数人の敵と戦う場合に限られる。なにもわざわざ、じっくり狙える時にまで「早撃ち」に拘る意味はない。
「……
シャーレの権限を使って侵入したペンションの天窓から銃身を突き出した状態で、ミドリは独り言を呟いた。脚立の上に乗っている状態だが、体幹は安定している。お気に入りの狙撃用スコープを覗き、ミドリはレティクル(スコープに刻まれている十字などの線)を標的のロボットへ合わせていった。このレティクルはマルチエックスと呼ばれ、十字の中心部の少し前まで太めの線、中心部分だけ細い線が刻まれているタイプのレティクルとなっている。この線が細いと、夜間で十字の中心に標的を合わせるのに苦労する。ミドリのスコープは蓄光機能があってレティクルを光らせることができるのだが、故障時に備えて夜間でも問題なく狙うことが出来るタイプのレティクルを採用しているのだ。
ちなみにレティクルの十字は「ヘアクロス」とも呼ばれる。これは大昔のスコープには実際に髪の毛を張り付けて照準をつけていたことに由来する。
「ミル」というのは狙撃に使われる角度を示す単位である。円周を表す単位としては「度」があるが、1度が360分の1なのに対し、ミルは1ミルが6400分の1となる。1度は17.8ミル、1ミルは0.0573度である。
何故狙撃でミルという単位を使うのかといえば、1ミルは1000メートル離れた場所から幅1メートルのものを見た時の角度だからだ。
例えば敵をスコープで覗いて、スコープの
勿論相手の肩幅でしか測れないということはない。身長でも距離を測ることが出来る。ミドリは今、スコープで覗いているロボットの身長は170センチ程度だと推測した。角度は凡そ4ミル。つまり、距離は500メートルだ。
「ゼロインは、300メートル……もう少し、上。風速は4メートル……」
素人は勘違いしがちであるが、スコープ(望遠標準器)というのは取り付けたからといって命中精度が上がるというものではない。スコープで狙ったところに当たる様に調整するから命中するようになるのである。ある距離で標的の中心に向かって撃ち、命中するように調整することを「ゼロイン(零点規正)」と呼ぶ。発射された弾丸がどのような弾道を描くかは風速、偏流などで大きく変わるので、都度都度ゼロインをする必要があるのだ。
実際はもっと早く狙うことも出来るのだが、幸い標的はほぼ動いていない。ここは確実に仕留めよう。多少時間がかかったとしても、何の問題もない。逃がしてしまう方が問題だ。
そう思いつつ、ミドリは感情のこもっていない瞳でスコープ越しに敵を見つめた。
「……」
引き金を引く。銃声が響く。プライマーのトリシネートが燃える臭いが鼻孔に入る。トリシネートはプライマーの燃焼に使われる爆薬のことだ。
よく文学的な表現として、銃を撃った時に「硝煙の臭いがする」ということがある。この硝煙の臭いというのがプライマーのトリシネートの臭いである。よく発砲した時の発射薬の臭いと誤解されることがあるが、現代の薬莢の発射薬は「無煙火薬」であり(無煙というのは黒色火薬より煙が少ないという意味なので、字面に反して煙が出ないわけではないのだが)、硝煙の臭いは出さない。
実弾を発射した時に臭うこの鼻にツンと来る臭いは、銃を撃つ以外には感じることが少ない独特の臭いだ。その臭いをミドリの脳が感知した瞬間、ぱたりとロボットが倒れた。
周囲に他に通行人はいない。D.U.の中でも、この辺りはペンションなどの宿泊施設やアスレチック公園が多いエリアだ。姉のモモイがアリスを連れて出かけていった公園からも、然程離れていない。
さて、回収だ。
ミドリは素早く脚立から降りて、転がった空薬莢を拾いポケットに突っ込んだ。愛銃を肩にかけなおして脚立を運びつつ、くぁ、と小さな欠伸を零す。昼食を食べたお陰か、少々眠気が出てきた。眠気覚ましも兼ねて、ミドリは少し大きな声で独り言を呟いた。
「よし、1人目!」
手早くスマホを操作しつつ、ミドリはスタスタと歩き出した。ペンションのオーナーにシャーレのIDカードを見せながら頭を下げ、それでも立ち止まることはなく歩いていく。
外に出ると、冬の日の光がミドリを照らした。
「う~~~ん、順調、順調」
背伸びをして、ミドリは晴れやかな笑顔を浮かべながら空を見上げた。
ヴェリタスに追跡されていることすら気付いていない哀れな獲物は、ユズとハルカが仕留めたのを除いてもう僅かだった。このまま順調にいけば、先生の所へ遊びに行く時間もとれそうだ。自分の機嫌が良くなってくるのを自覚しながらも、ミドリは鼻歌を歌いながら、倒れたロボットの方へ歩き出した。