廠舎の中は、異様な熱気が支配していた。拍手と歓声が鳴り止み、ただただマイクを持ったイロハの声が響く。それ以外は、誰も言葉を発しない。
「今回の演習の
イロハが話し始めると同時に、イロハの横に立体映像が浮かび上がった。どうやらイロハと同じ実行委員会のメンバーが投影装置を操作しているらしい。立体映像で浮かび上がったのは、先程この廠舎に入る前にミカが見かけた大きな校舎のような建物だった。
「回収するものは敵組織の悪事の証拠が入ったファイルです。これより、これを『ファイル』と呼称します。皆様の任務はこのファイルの回収です。それが
第1ステージ。早速想定外のワードが飛び出した。ミカは自身の表情が硬くなるのを自覚した。相変わらず、イロハの声以外は誰の声も聞こえない。騒めきは起こらず、空気が張り詰めるのみである。
「その後、皆様は予めこちらが指定したルートを通ってこの演習場の
イロハの説明と同時に、立体映像が大きく変化した。光の線が映された建物から伸びていき、地面の下へと潜っていく。同時に立方体を幾つも組み合わせたような建物が地面の下の部分に表示された。
この演習場にはそんなものもあるのか、とミカは声を出さずに驚愕した。しかし、直ぐに思い至る。この演習場は、ゲヘナとトリニティの境界線付近にある施設であり、言い換えれば最前線の駐屯地なのだ。平時は演習場として運用するが、有事の際は治安維持部隊の駐屯所や補給、後方支援のための臨時基地に転用されることを想定しているなど、別に珍しくもない。
そのブンカーとやらは、恐らく有事の際にトリニティの部隊に対して防衛線を構築するための施設なのだろう。或いはトリニティにある同類の施設を攻略するための訓練施設も兼ねているのかもしれない。現在立体映像で表示されているブンカーのマップは、ブンカーの全容ではなく一部に過ぎないのだろう。映し出されたブンカーの全容は見るからにちぐはぐで、あからさまに一部しか表示されていないようだった。隠す努力すらする気がないらしい。実際のブンカーはもっと広く、近隣の風紀委員会の駐屯地や
当然、複数の重要拠点と通じている秘密の地下エリアなど機密情報の塊であるはずだった。本来であれば、一部とはいえ他校、それもトリニティの生徒が大勢参加する演習に使うような施設ではない。
ミカは思わず周囲に視線を配った。真剣な表情で立体映像を見つめている生徒の中に、トリニティ生徒は何人いるのだろう。自分の周囲だけでも、スズミ、セリナ、ウイの3人がいる。トリニティの生徒がゲヘナの秘密軍事施設で訓練をするという、これまでのキヴォトスにおいては起こり得るはずがなかった事態。しかし、盗み見た限りでは、スズミたちの表情は特に変わることがないようだった。
衝撃を受けた、というほどではなかったが、世界の常識から爪弾きにされたような感覚に、ミカは周囲に悟られぬ程度に数秒目を瞑って脚に力を入れた。ここにいるのは、全員シャーレ部員なのだから、おかしいことなど何もないというのに。
そう、ここにいるのは全員がシャーレ部員なのだ。先生のために、自らの意思で集まった者たちだ。所属校も、部活も何も関係がない組織。自分も含めて、いや、自分もこうなるべきなのだろう。
「作戦内容は以上です。あぁ、例によって敵に関する情報は何も渡しません。作戦は複数のグループに分かれて行います。同時に始まるか、時間差でスタートするか、それも説明は無しです。
何時もの通り、演習の内容はこれだけではありませんからね。サクサク行きましょう」
淡々と説明を続けていたイロハが一旦口を閉じ、抱えていたタブレットを見た。感情を窺い知ることが出来ない瞳でじっとタブレットを見つめた後、小さく息を吐いて再び話し出す。
「作戦は6人編成のチームで行います。それで、チーム分けですが……各チームごとに控室を用意しました。全員のグループチャットに集合場所を送りますので、そこに集まってください。同じ控室に集まったメンバーが、一緒に作戦を行うチームです。
予め言っておきますと、今回のシミュレーションでは『シャーレオフィスに訪れたら突発的に作戦が始まった』という感じです。こう言っては何ですが、最近シャーレに入部したばかりのメンバーを除いて、今更これまで合同で作戦参加も訓練もしたことがないって人、皆様殆どいないでしょう? こういうのはちゃっちゃと決めてしまいますよ」
段々口調がぞんざいになってきてやしないか。そう思いつつ、ミカは僅かに眉を顰めてイロハを見つめた。何か癪に障る事でもあったのかもしれない。
イロハは僅かに小首を傾げ、再びシャーレ部員たちをぐるりと見渡した。
「あぁ、そうそう……これは皆様ご承知おきされていると思いますが、演習場には至る所にカメラやマイクが設置されていますし、参加チームの付近には小型の撮影用ドローンが飛行しています。皆様の雄姿を先生にご覧いただくためにも、後々私たち皆で観賞するためにも、出来るだけ壊さないようにお願いしますね。ちなみに映像の一部は各学校のお偉方にも提供されますので、悪しからず」
それは演習参加前に、ユウカから一度教えられていたことだった。なのでミカは特に気にすることもなく、小さく鼻を鳴らすにとどめた。
それはシャーレに演習場を提供したりシャーレ演習に協力するにあたり、各学校がシャーレと行った取引の一部に過ぎないものである。
ミカもそうだが、大半の武闘派の部員たちは、自分たちの戦闘シーンが他校に流れることなど気にしていない。流されたところで不都合など感じないのだ。それは戦闘が専門ではない部員たちも同様である。
「だからと言って先生にカメラ目線でアピールするのはレギュレーション違反なので止めてください。媚びずに真面目にやりましょう。あと前回も問題になりましたが、先生にアピールした部員の顔面を撃ちまくるのも止めましょう。顔面パンチやキックも絵面が酷いので止めて差し上げましょう。先生が泣いてしまいます。先生を泣かしたら私が虎丸(戦車)で顔を轢きますので、そのつもりで。
そしてこれもいつものことですが、建物や施設を過度に破壊するのも厳禁です。私が面倒臭いことになりますので。上空から屋台落として建物を潰したり、水を召喚して部屋全て水で満たしたり、キヴォトスラプターオオカモメとかキヴォトスジャベリンカジキマグロとか凶暴な生き物を召喚したりするのも過度にやりすぎないように。あんまり酷いと先生がマコト先輩から怒られますので。そうなったらマコト先輩が皆様にボコボコにされて面倒臭いので、やりすぎないようにお願いします」
どうやら隕石を落とすのも駄目らしい。まさか屋台が駄目で隕石はOKではないだろう。
それにしても、いくら先生にアピールしたからと言って顔面集中攻撃は乙女としてどうなのか。何でシャーレの部員たちは仲が良いのだろうか。そりゃ自分だって、目の前で誰かが先生に媚び媚びのアピールをしていたら、そいつの顔がパンパンに腫れ上がるまで殴る気もするが。
他にも色々突っ込みどころはある気がしなくもないが、ミカとしては気になったのはそれくらいである。
「それでは、説明は以上です。まだ先生はお戻りになりませんし、適当に進めてしまいましょうか。皆様のご健闘を祈ります」
イロハはそう言うと、タブレットを指先で何度か叩いた。幾つもの振動音や通知音が鳴る。ミカは小さく息を吐くと、ポケットに突っ込んでいたスマホを取り出した。画面を見ると、地図とアルファベットの「F」の文字が表示されていた。自分はFチームというわけだ。
「あ、Fです」
ミカの隣にいたセリナの独り言がミカの耳に入り、ミカはセリナの横顔を見つめた。
「え、セリナちゃんも?」
「あっ、ということは、ミカさんもFですか?」
セリナが少し驚いたように目を見開き、ミカの方に向き直った。暫くミカとセリナは見つめ合った後、同時にウイとスズミの方へ振り返った。
ウイは複雑そうに顔を顰めながらコクリと頷き、スズミはにこりと微笑んでスマホの画面をミカたちに見せた。当然のように「F」の文字。
「……え、私たち4人揃ってF?」
ミカは呟いて、近くに立っていた少女、ノドカに視線を向ける。ノドカは黙って首を横に振った。
「きっと私たち4人が一緒に来たからじゃないでしょうか」
首を振るノドカに視線を向けつつ、ウイがボソリと呟いた。
「そういえばさっき、『シャーレオフィスに訪れたら』ってシミュレーション言っていたねぇ。だから、一緒に来た人たちは一緒にチームとしたのかな」
ミカは思い出しつつ演壇の方を見た。いつの間にかイロハの姿は消えている。少し探してみると、部屋の隅で数人と話しているイロハが見えた。実行委員会のメンバーと何かを話しているようだった。
イロハの挨拶と説明を聞いていたシャーレ部員たちは、小声で話をしたり早速控室に向かったりしていた。
「成程、今までにないパターンですね。これまでの演習ではそういったことを考慮せず、適当にチーム分けをしていたのですが」
スズミが頬を掻きつつ静かに呟いた。戸惑っているわけではなく、予想外のことが起きたとちょっと驚いている具合であった。
「あ、皆さん、私も行きますね。一緒ではないですが、先生のために頑張りましょう!」
微妙な空気を纏ったミカたち4人を前に能天気そうな笑顔を浮かべ、ノドカが少し大きな声を上げてガッツポーズをした。
「私、これからもっともっと強くなって、先生のために頑張るんです! そしてずっと先生のお傍に居て、先生を悲しませたくないから先生より長生きして、先生がお亡くなりになったら先生のお墓を用意して、そして先生のお墓の前で死んで、来世も先生のお傍に居るんです! ではっ!」
笑顔で手を振りつつ、ノドカはとんでもないことをそこそこの声量で言い放って、駆け足で去っていった。
あっけにとられたように無言でそれを見送るミカの傍で、ウイが小さな声で呟いた。
「……爽やかに喧嘩を売られましたね……」
か細いながら、地獄の底から聞こえるようなおどろおどろしい声だった。それを聞いて、ミカはそういえば、と頷いていた。
確かに、さらりと宣戦布告を受けたようなものである。先生と生涯を共にするのは私なのだから。
自然とそんな思考が頭を過り、ミカは誤魔化すようにわざとらしくクスクスと笑った。模範的なトリニティ生徒の仕草であった。
◆
ノドカの宣言は周囲の者たちにも聞こえていたはずだが、特に耳目を集めることはなかった。それはノドカの普段の行いによるものなのか、或いは戯言と切って捨てられているからなのか、ミカにはわからなかった。そしてミカも、まずは演習のことに集中しようと思考を切り替えており、先程のノドカのことは意識的に思い出さないように努めつつ、スタスタと先陣を切って速足で歩いて行った。
そんな風に歩いていくミカに疑問を感じる様子もなく、スズミとウイとセリナの3人はミカの後ろに続くように歩いていく。見てくれは、ミカが3人のトリニティ生徒を従えているように見えなくもない。
先程までいた廠舎を出て、そこから目と鼻の先にある別の廠舎に入り、そのまま階段を上る。ミカたちに割り当てられた控室は、2階の階段から一番近い場所にある部屋だった。
一応、軽くノックしてみる。中からの応答はない。ドアノブを掴んでゆっくりとドアを開く。中には誰もいなかった。
「あれ、6人って聞いていたけど、まだ誰もいないんだね」
「後から2人来るのでしょうね。さて、誰が来るのか……」
ドアを開けたまま立ち止まっているミカの後ろから部屋を覗き込んだスズミが、部屋のあちこちに視線を向けつつ呟いた。4人はぞろぞろと部屋に入っていき、最後尾にいたセリナが行儀良くドアを閉めた。
部屋は12畳程度の小さな部屋で、中央にはテーブルとそれを囲むようにパイプ椅子が6つ置かれている。そして壁際にはずらりとロッカーが並んでいる。恐らく、演習参加者の休憩用のスペースなのだろう。実にシンプルな部屋だった。
テーブルの上にはご丁寧に、ケトルやコップ、そしてティーパックや何種類かの茶菓子が置かれている。
「……紅茶ですか……」
少し不機嫌そうにウイが小さな声で不満を漏らす。とはいえ拒絶するほどではないようで、ウイは進んでケトルのスイッチを入れてテキパキと紅茶セットの準備を始めた。
「ウイさんは、紅茶がお好みではなかったのですか?」
「私は、コーヒー派です。先生と同じですよ」
セリナが尋ねると、ウイは不機嫌そうな声のまま即答した。ちなみにウイと先生のコーヒーの好みは結構異なるのだが、態々それを口に出したりはしない。別に先生の好みのコーヒーをウイが全く飲めないわけでもない。その逆もまた然りなのである。
ウイの精一杯のマウントなど気にする素振りも見せず、セリナは微笑みながら自然にウイの手伝いに入った。そんな2人に頭を下げつつ、スズミは肩からかけていた鞄を下ろし、入っていたものを取り出しては床に並べていく。一方で、ミカは早々にパイプ椅子に腰かけてウイたちをぼーっと見つめていた。
そろそろお湯が沸こうかという瞬間、コンコンとノック音が聞こえた。
「はーい」
セリナが返事をすると、ドアが慎重に開いていき、小柄な少女が顔を出した。
「……いやぁ~、ごめんごめん、他の人と話していたら、少し遅くなっちゃったね~」
目を細め、後頭部を搔きながら少女がスタスタと入ってきた。申し訳なさそうに会釈する少女に、セリナが丁寧に頭を下げる。それにつられるように、スズミとウイも軽く会釈した。
「お久しぶりです、ホシノさん」
「セリナちゃんにスズミちゃん、久し振り~。ウイちゃんも、先週のクラブで会ったばかりだけど、久し振りだねぇ。おじさん、トリニティのお嬢様軍団が眩しくて眼福だよ~」
笑顔を浮かべ、アビドス高校3年生小鳥遊ホシノは片手をパタパタと振った。ホシノはゆっくりと部屋の中に入り、部屋全体を見渡した。そして、すぐに椅子に座ったままのミカに視線が固定された。それと同時に、ミカもホシノのオッドアイに吸い込まれるように視線を向けた。
「……は?」
「あ……」
ホシノの口が小さく開き、低い声が漏れ出たと同時に、ミカの口からもため息と驚嘆を混ぜたような声が飛び出した。
そして、暫しの無言。ホシノの砂漠の太陽のような黄金色と海のように深い青色のオッドアイが一瞬光を帯びたように、ミカには見えた。しかし、その光の色をミカの脳が掴む前に消えてなくなった。自然と喉が鳴り、ミカの視線はホシノの顔から離すことが出来なくなった。
小鳥遊ホシノのことを、ミカは知っていた。アビドス高校にまだ生徒会があった頃から、トリニティのティーパーティーをはじめとする上層部がマークしていた存在。キヴォトスでも有数の実力者とされる少女。面識はないし、正直言って然程ミカの興味を引いていたわけでもないが、それでも顔と名前くらいは記憶していた。他人の顔と名前は覚えるのが苦手なミカですら記憶に残るほど、ティーパーティーが集めた小鳥遊ホシノの情報にはインパクトがあった。
「……あ~……イロハちゃん……そういうことね。……え~と、聖園、ミカ……うん、ミカちゃん?」
先に動いたのはホシノだった。無理矢理ミカから視線を離す風ではなく、寧ろ自然体のような動きで、困ったように笑いながらミカに近付いてきた。
そんなホシノを見て、ミカは緩慢な仕草で椅子から立ち上がり、ミカよりずっと小さいホシノの身体を見下ろす。ミカの動きに合わせ、ホシノは顔を上げてミカの顔を覗き込んだ。その表情に、敵意や警戒心はない。
「あ、あの――」
「アビドス高校3年の小鳥遊ホシノだよー。フランクに接してきてくれると嬉しいかな。私もそうするからさ」
ミカの台詞を遮り、ホシノはスッと腕を伸ばして握手を求めた。その手を取り、ミカは首肯する。
「……うん、よろしく……ホシノちゃん。聖園ミカだよ」
ただの握手。セリナも、ウイも、スズミも、それを無言で見つめていた。ホシノとミカの挨拶以外は、誰も言葉を発しない。
静寂。それを破ったのは、ノック音だった。先程のホシノのノックと比べると幾分か力強い。
「どうぞ」
次に答えたのはスズミだった。首を回し、ドアを見つめる。スズミの返答を聞き、即座にドアが勢い良く開いた。
「待たせたわね! さぁ、今日も演習をがんば……」
にこやかな笑顔を浮かべて堂々と入ってきた少女は、目の前に飛び込んで来た室内の様子を把握すると動きを止めた。
「……え?」
「あ、アルちゃーん。久しぶり~」
ミカと握手したまま、ホシノがへらりと笑って少女を出迎えた。
歓待に答えることもままならず、陸八魔アルの笑顔のまま固まった顔は、ミカをしっかりと見つめていた。