黒い霧が満ち切った横濱の地。血に濡れた道路と、叫び声の響く路地裏。
竜頭抗争、その48日目の出来事であった。
一人の少年が、死体と爆薬に塗れた道の真ん中を、さも当然のように、其処に居るのが当たり前かのように歩みを進めていた。
その瞳に、憎悪は映らない。その唇に、歓喜は映らない。
その表情に映るのは、純粋な少年が抱く困惑と疑問だけだった。
誰か俺のこの純粋かつ単純な質問に答えて頂きたい。否頼む答えてくれさもないと此の儘死にそうだわ。
改めて、俺は
夢…にしては妙に現実味があるし、先程からパラパラと舞い散る火の粉が熱いし痛い。転がる死体は冷たいし、血も水気を含んでいる。
「…否、何で俺こんなに冷静なの?有り得なくない?普通に考えて」
一周回って冷静になっていた思考が更に半周回って混乱を導く。チリチリと思考の導線が焼き切れる音と重なるように、近くから爆薬の弾ける音と銃声が鳴り響いた。
その内の1発の銃弾が、相手の何かに弾かれて此方に飛んでくる。咄嗟に回避行動を取ろうとしても、数分前まで唯の一般人類であった俺に避けられる訳もない。
転生?転移?憑依?直後に死亡だなんて悲しいにも程がある。
せめてもの抵抗を、と飛んできた銃弾を前に手を翳した其の瞬間、銃弾が自分を避けるように屈折し、背後の爆薬に当たり弾け飛んだ。
「…は?」
面白いくらい現状が理解できない。理解できないがこれは幸運だ。生き延びるには最高の力を神は与えてくれたのかもしれない。これさえあれば、生き延びれる。
四方八方から飛び交う瓦礫や銃弾を自分から逸れるよう軌道修正しながら、未だ戦火の止まぬ街中を走り続ける。
何分走ったろう。ざっと30分は走り続けた気がする。
漸く少しばかり戦火から離れた場所を見つけ、鍵を閉められたを先程の容量で無理矢理破壊し中に潜り込んだ。
生活感の残る室内だった。調理途中の儘放り出されたと思われる鍋や、机に置かれた料理達。恐らくもう食す事は叶わぬだろうが、数日前まで人が居た事は明らかだ。最低限、生きる為の資源はあるだろう。
水道を撚れば水は出るし、ガスコンロから火も出る。電気も弱いが付きはするし、良くここまで破壊されなかったものだ。
冷蔵庫から果物を取り出し、台所に放置されていた果物ナイフを水で軽く洗い、手頃な大きさに切り分けてそのまま口に運ぶ。動きまくったせいで乾いた喉が潤い、息づらさが漸く解消される。
…却説、現状を整理しよう。
現在俺は16歳…え、16歳?いつそんな事を認識したのかは分からないが、自然とそう思ったのだから、恐らくそうなのだろう。その上、7から今までのこの身体の記憶はあるのだが、それ以前の記憶が全くない。
普通に忘れてる〜とかで通るならば構わないが、何一つとして…それこそ何処に行ったかなども覚えていないというのは、些か問題だろう。
まぁそれはいい。どうせいつか思い出すだろう。
二つ目。何故か持っている俺の特殊能力についてだが、これに関しては思い当たる節がある。
俺の出身地は横浜なのだが、俺が今さっきまで居た場所は其の横浜の赤煉瓦倉庫近くだ。だが過去にこの辺りで銃乱射事件も戦争もあったという情報は無いし、抑も爆薬なんてあったら警察にとっ捕まって終わりだ。
となれば、今俺が居るであろう横浜は、俺の知らない何処かの横浜という事になる。そして一つ、俺は横浜がモデルになって、こういう戦争やら抗争が頻発している創作作品に心当たりがあった。
文豪ストレイドッグス…アニメの4期が期待されていて、3期と映画まで一気見した作品だ。それと、小説版も幾つか。
其の作品には確か"異能力"と呼ばれる特異能力が存在してた筈だし、それならば俺が銃弾やら瓦礫やらの軌道を無理矢理捻じ曲げられても可笑しくはないだろう。
使い方はまだ良く分からないが、感覚的に物を動かせそうだし、それで現状を突破するしか無いだろう。
異能力の詳細については今確かめる術も暇もないし、また後日だ。
そんなことより、俺が何故か転生か何かしてしまったこの世界が文ストの世界だと判明したのなら、まず行うべきは生存行動である。
恐らく抗争か戦争真っ只中なのにのほほんと街中散策できるほど俺は莫迦でも何でもない。
ならば、生き残るには如何するか。
答えは簡単だ。味方、仲間を作ればいい。
そして仲間を作るにはどうするべきか。
これも簡単だ。何方かの陣営の情報を、もう片方に流せばいい。
上辺だけでの信頼でも、今では充分有難い。利用できる時に利用しきって、報復を受ける前に海外か地下にでも逃げ込めば此方の勝ちだ。
となれば、先ず何方に味方するかを決めなければならないが、抑も俺はこの抗争が何が原因で、どんな抗争が起こっているかを全くもって理解していない。
戦の基本は情報からだ。情報を売るならば、己も情報を持っていなければならない。台所から先程の果物ナイフとアイスピックを拝借し、アイスピックの方を羽織っていたパーカーのポケットに、果物ナイフを手に持ち、爆発音と銃声の鳴り止まぬ戦火へと再び潜り込んだ。
先程迄は比較的遠くにあった戦火が直ぐそこまで迫っていた。
銃撃戦で逃げ撃ちしてるうちにこっちまで来てしまったのだろう。本来であれば尻尾を巻いて逃げるところだが、情報を求めている俺からすれば好奇でしかなかった。
撃ち合いをしているのは30名程の黒服勢と、深くフードを被った集団10名。人数差的に勝つのは黒服だろうし、今回は敢えてフード集団に味方をするとしよう。
地面に転がる瓦礫を先程まで銃弾を逸らしたような容量で空中に持ち上げ、其の儘黒服の一人に向けて発射する。まぁ気が逸せれば充分だろうと想定して撃ち出した瓦礫だったが、予想以上の威力を持ち合わせていたようで、脳天をぶち抜き、並んでいたその他黒服7名の脳天ごと突き抜けていってしまった。
勿論殺傷を行うつもりも何も無かったが、こうなってしまった以上言い訳は聞いてくれないだろう。
幸い、俺は生死感に疎い人間であった。両親が殺害された時でさえ、犯人に対する憎悪も、温度を持たぬ器と化した両親に対する慈愛も、何も抱く事は無かったのだ。
手に持つ果物ナイフを同じように黒服に向けて発射し、頸にある動脈を切り裂く。悲鳴を上げさせる間も無くナイフの向きを転換し、二人、三人と着実に仕留める。
不意に、フードを被った集団の一人が地面に叩き付けられた。続くように他の全員も土瀝青へと叩き付けられる。
黒服の中に異能力者でも混じっていたかと思ったが、其の予想は己の無駄に回る思考によって即刻掻き消された。
この世界観は、文豪ストレイドッグスが元だ。そして地面に誰かを叩き付けられるような異能力を持ち合わせている人間も、無論存在している。
「よぉ、俺の部下が世話になったなァ」
「…中原、中也」
ポートマフィアの重力遣い、中原中也其の人だ。
反射的にポケットに入れていたアイスピックを取り出し、素人ながらも構える。
中原中也を前に肉弾戦など勝ち目がある訳ない。相手は歴戦に対し此方は生まれたて、戦闘経験皆無の一般人だ。
最悪だ。最悪以外の何物でもない。協力しようとした結果空回りした上、敵対してしまうなど。
「俺の名前を知ってるってこたァ、手前もどっかの組織のモンか?」
「……」
俺の返事を待っているようで、場には沈黙が訪れる。
状況を打破する為の策を、大学首席の己の思考を存分に使い考えるも、出てきた案は一つだけだった。
アイスピックを手放し、道路に落ちた瞬間にカラカラと音が鳴る。その後に気を取られた瞬間にアイスピックを中原中也の喉元ギリギリに向けて発射した。
触れられてしまえば操作権を得るのは異能力の扱いに慣れている相手に決まっていた。触れられないギリギリを見極めて軌道を逸らす。そしてアイスピックに意識を奪われているうちに、周囲の瓦礫で目眩しを行い逃亡する。
確かに相手は戦闘のプロだ。異能力も強いし、その強さに溺れて体術を疎かになどしていない。
だが状況把握能力と単純な知識なら、俺の方が勝る。生きてきた年数の差は、こういう場所において顕著に現れるのだ。
何とか逃げ仰た先で、俺は今度こそ情報屋を始めようと意気込んだ矢先にまた抗争に巻き込まれたり、太宰治に捕まってマフィアの捕虜になりかけたり、森鷗外に見た目のせいで女扱いされてうっかり殺しそうになったり、武装探偵社の社長である福沢諭吉に遭遇し、探偵社にスカウトされたりと色々な事があった。
持ち合わせていた知識を活かして何とか逃げ切る事には成功したが、未だ特務課にスカウトされるわポートマフィアにスカウトされるわ武装探偵社の社長にはお茶に誘われるわと、苦労と胃痛は絶える事を知らない。
そんなこんな有りながらも無事に情報屋自体は開業でき、平和でもあり混乱でもある日常を過ごしていた最中、俺はとうとう原作開始地点…月下獣、中島敦についての一報を聞くこととなる。