時は少し遡る。
王宮の緊急時に集合場所に指定されていた屋外の広場。
そこには光輝を始め、多くのクラスメイト達が床に倒れ伏していた。
彼らがそうなった原因は彼らの仲間の一人、中村恵理の裏切りによるものだった。
彼女の言葉にまんまと誘導され、既に傀儡と化していた騎士達によって不意を付かれてしまったのだ。
光輝や雫といったクラスメイトの中での強者に位置する者も軒並み戦闘不能に追い込まれ、抵抗虚しくそのまま殺されると思われた瞬間──
「雫ちゃん!」
天はまだ彼らを見捨ててはいなかった。
雫の命を散らせる筈だった一撃は、香織が展開した障壁によって防がれた。
彼女一人ならばまだ状況は好転しなかった。彼女の役目はあくまで後方支援。集団戦でこそその力は輝きを見せるが、単騎においてはそこまで脅威と成り得ない。
だが、この場に現れたのは香織だけでは無かった。
「皆さん! 一体どうしたのですか! 正気に戻ってください!!」
回復魔法を発動させようと詠唱を始めた香織を守るように障壁を展開したのは、この国の王女であるリリアーナだ。
彼女も香織と同じく役割は後方支援に当たるが、それが二人居ればその場を凌ぐだけの時間を稼ぐには十分だ。その時間で光輝達の回復が終わる。そうすれば形勢は完全に逆転する。
そのことを人知れず理解した男が一人動き出した。
「白崎にリリアーナ姫! 無事か!」
リリアーナの展開した障壁に騎士剣を振るっていた騎士の首が落とされ、その後ろから姿を見せたのは檜山だった。
胸元には夥しい量の血が付着しており、どう見ても無茶をしていることは明白だ。
その様子に慌ててリリアーナが障壁の一部を解いて檜山を中に入れる。
そのままドサリと倒れ込んだ檜山は──ニヤリと笑みを浮かべた。
「ダメ! 彼から逃げてぇ!!」
その瞬間、雫から悲痛な叫びが上がる。
彼女は気付いたのだ。光輝すら抜け出すことがことが出来ない拘束を何故檜山が抜け出せたのか。檜山がなぜこのタイミングで香織の側に向かったのか。
「きゃぁああ!?」
それまでの弱々しい様子から一転。ガバリと身体を持ち上げた檜山はリリアーナを殴り飛ばし、そのまま香織に狙いを定める。その手には未だ騎士の首を斬り落とした剣が握られている。
檜山は怪我などしていなかった。全ては不測の事態に対処するために。そして、香織を手に入れる機会を待っていただけなのだ。そして、今こそ千載一遇のチャンス。
(俺のものだ! これで、お前は俺のものだ!!)
ずっと待ち望んでいた。届かないと諦めていた。それが今目の前にある。手を伸ばせば届く場所にある。
(俺のものにな──ッ!?)
背後から香織の心臓を狙い、剣を突き出した瞬間。
「大丈夫だよ、雫ちゃん」
檜山の視界に白一色が広がった。
「え──ぶぶっ!?」
香織の渾身の肘鉄が、檜山の鼻面に直撃した。
鼻から大量の血を出しながら吹き飛んでいく檜山に、一瞬静寂が広場を包み込む。
誰もが油断した。雫ですら、一瞬気づくのが遅れた。
しかし、
彼女の人となりを聞けば、誰もが優しい女性と答えるだろう。
常に誰かを想い、誰かに想われる慎ましく聖母のような穏やかな女性。
それが、白崎香織という女性だった。
そんな彼女だが、トータスに来て一つだけ変わったことがある。
それが、誰かを疑うという感情を持ったこと。
キッカケは光輝との仲違いだ。
幼馴染の光輝の変貌。自分の都合の良いように思い込むことはあっても、常に彼の行動の根幹には彼なりの正義があった。
それが裏切られた。幼い頃から知っている光輝ですら環境の変化であそこまで変わるのだ。いや、もしかしたら最初から自分が気付いていなかっただけなのかもしれない。
なら、
だから香織は一切の油断をしていなかった。
もう二度とあのときの光景を作りたくなかったから。
故に、気付いた。
あの瞬間、わざわざこちらに駆け寄ってきた意味に。その胸の内に隠された悪意に。
血だらけの相手をすぐに助けなくては。という今までであれば一も二もなく抱いたであろう考えを押し殺して。
「リリィ! 大丈夫!?」
「は、はい! 大丈夫です!!」
香織の言葉に我に返ったリリィはすぐに障壁を展開し直す。
幸い騎士達を操る恵里も香織の行動に面食らっていたのか、騎士たちの猛追は一時的に散漫な動きとなっていて立て直すのは容易だった。
「くそっ! あの役立たずが……!」
障壁の範囲外で痛みに呻く檜山を睨みつけた恵里はすぐに騎士達を動かすが、再び展開したリリアーナの障壁を破る前に、香織の詠唱が完了する。
「──“聖典“!!」
香織を中心に光の波紋が広がる。
その波に包まれた者達に突き刺された剣が抜け落ち、傷を瞬く間に癒やしていく。
光輝を先頭に、次々とクラスメイトが立ち上がり態勢を立て直す。
これで形勢は逆転した。
「……恵里。これはどういうことかな?」
魔法の発動を終えた香織が恵里に問いかける。その声色は彼女を知る者からすれば、酷く冷たいものだった。
「……ふん、どうも何も、この状況が全てさ」
「香織! 恵里は私達を裏切っていたの! 騎士団の人ももう殺されてる! 死体を操ってるの!!」
「……そう、なんだ」
雫の言葉で香織は少し悲しげに眉を下げた。
他者を疑うということを覚えた香織だが、だからと言ってハジメのように全てを割り切れるわけでは無い。友人だと思っていた人物が裏切っていたという事実は悲しいし、知らないところで殺人を犯していたことも信じたくない。
それでも、目の前の状況が真実だ。そこから目を逸らすわけにはいかない。
「がおりぃいいい! でめぇ、なにじやがるぅううう!!」
そこに大量の鼻血を垂れ流しながら檜山が叫ぶ。
「檜山くんは恵里の仲間なの?」
「仲間なんて括りは止めてくれるかな? 利害の一致ってやつだよ。まあ、あそこまで役に立たないとは思わなかったけどね。それより、よくここに居るって分かったね」
「皆がこっちに向かってるのを偶然見て、それを伝えてくれた子が居たの」
恵里がちらりと香織の後ろに視線を向けると、壁の影から僅かに水色掛かった髪がちらりと見えた。
「へぇ〜、そりゃ親切な人が居て良かったねぇ。ところでよく檜山の一撃を躱せたね?」
「……もう、同じ過ちは起こさない為にだよ」
「なるほど? つまりクラスメイトに殺されそうになった南雲の二の舞いを防ぐためってことかい?」
その言葉に周囲のクラスメイト達が目を見開く。
結果的にハジメは生きていたわけだが、当初は誰かの流れ弾が当たってしまったのでは無いかと疑心暗鬼に陥っていたのだ。自分かもしれないという事実から目を逸らすために、ハジメがドジをして勝手に落ちていったという風に全員で思い込むことにした。
恵里の発言にクラスメイト達の視線が檜山に向く。実際に香織を殺そうとした瞬間を目撃したのだ。証拠は無いが、誰もが檜山に疑いの目を向けていた。
だが、香織だけはちらりと光輝に視線を向けた。その姿に恵里はニヤリと口元を吊り上げる。
「なるほどなるほど。愛しい南雲を殺した奴が紛れ込んでる奴らなんか最初から信頼してなかったってことか」
「信じてなかったわけじゃない。でも、疑ってはいた」
「ふーん? それって雫も入ってるの?」
「雫ちゃんのことはずっと信じてるよ」
「なら鈴のことは? それに私のことは? どうなの香織?」
「……何が言いたいの?」
軽薄な笑みを浮かべながら矢継ぎ早に疑問を投げかけてくる恵里の姿に、香織や周囲の人間も怪訝な表情を浮かべる。
そんな中、恵里はやれやれと言った表情で首を横に振った。
「ダメダメだね、香織。君は中途半端なんだ。誰かを疑うのは良いことだよ? そのおかげで君は檜山に殺されずに済んだんだ。でもさ……」
──疑うなら全部を疑わないとダメでしょ。
恵里の言葉の意味を尋ねようとした香織だったが、その意志とは裏腹に言葉を口にすることは出来なかった。
代わりに香織から撒き散らされる大量の血液。
その胸からは一本の刃が突き出ていた。
「か、香織ぃいいいいい!!」
雫の悲鳴が木霊する。
朦朧とする意識の中、背後を振り返った香織が見たのは……
「……エ……ル、ス……?」
ここまで自分を連れてきてくれた少女の姿。しかし、その表情は先程までと違い、操られている騎士達のように酷く冷たく、まるで人形のようだった。
「エルフェウスさん!? 何を!?」
その少女を光輝はエルフェウスと呼んだ。
その瞬間、香織は全てを察した。
「……そっ、か……そう、いう、ことだった、んだ」
この数ヶ月の出来事。エルスから聞いた光輝の発言。人が変わったような光輝の変貌。
全てが仕組まれたものだった。
「貴女、まさかエルスまで!」
「うん、この子、君達とやけに仲が良かったからさ。何かに使えると思って。おかげで香織をここまで簡単に誘導出来たし。まあ? 僕の折角の温情は檜山におじゃんにされたけどね」
「待ってくれ!? エルス? その人はエルフェウスさんじゃ……!」
「あ、ごめんね光輝くん。それ嘘なんだ。君と香織達を仲違いさせるために南雲に襲われたって嘘つかせたの」
「……え?」
「恵里っ!!」
困惑する光輝を尻目に雫は激昂する。
光輝が何故ハジメを貶すような言葉を言い放ったのか。その理由に気付いたからだ。
あの時の光輝にとって、ハジメは女性を襲った、まさしく悪人だったのだ。元々ハジメに良い感情を持っていなかった光輝のことだ。エルスのように儚げな少女が襲われたと知れば、問答無用でハジメにヘイトが向くのは想像に難しくない。
恵里は光輝のそばにいる自分や香織を疎ましく思っていた。その関係を裂くためだけに何の罪もないエルスを利用した。
「いやぁ、この子は結構入念に作ったんだよ? 長いこと使うから他の奴らよりも力を割いて違和感抱かれないようにしてさ。こんな風に……」
「香織様、酷い怪我です!? 今すぐ楽にして差し上げますね!!」
「どう? 全然違和感ないでしょ?」
証明するかのように言葉を発するエルスは、その内容は別に、確かに死んでいるとは思えない様相だ。
そんな中、今まで事の成り行きを呆然と眺めていた男が口を開いた
「ながむらァアア! そいづは、おれ゛のおんなだぞ!!」
「だから言ったじゃん。君なんかに惚れる女は居ないって。結果的に香織が手に入ったんだから感謝しなよね」
「ふざげんなクゾオンナァアアアア!!」
「恵里……! 檜山……!」
どうやら恵里は操ったエルスを使って檜山を利用していたらしい。何をさせたのかは想像に難しくない。到底血の通った人間の所業とは思えない残酷な行いに、雫は体中の血管が破裂するかのようなまでの怒りを感じた。今すぐにでも飛び出したいが、兵士や騎士団員が邪魔で香織の元に中々迎えない。
光輝や雫が香織を助けようと奮闘する中、香織は動かない身体に鞭を打って、後ろに回した手でエルスの頭を優しく撫でた
(ごめんねエルス。気付いてあげられなくて……)
自分がハジメのことで一杯一杯だった時に、エルスはずっと苦しんでいたのだろう。
遠くの可能性を必死に手繰り寄せるのに必死で、すぐ側で友人が苦しんでいることに気付かなかった。もしかしたら助けられたかもしれない。そうでなくとも、死んでなおエルスの身体が利用されることは防げたかもしれない。
そんな後悔が香織の胸中に溢れ出す。
(お願い。どうか、これ以上この子が悪用されないように……)
最後の力を振り絞り、香織は願った。
(助けてあげてね、ハジメくん)
その願いと共に、香織の心臓は鼓動を止めた。
香織の身体から力が抜け、腕がだらりと垂れ下がる。その光景に雫達の顔が真っ青に染まり……
その瞬間、その声は響いた。
「…………おい」
決して大きくはない。
それなのに、喧騒に満ちていたその場は時が止まったかのようにシンと静まり返った。
全員がその出処に視線を向ける。
そこには白髪に眼帯の少年──南雲ハジメが立っていた。
ハジメは自分に向けられる百人を超える視線を無視し、ぐるりと周囲を見渡す。
クラスメイトに襲いかかる兵士と騎士達。円陣を組み、戦えない者を庇いながら応戦するクラスメイト。騎士達と斬り合いながら必死に手を伸ばそうとする雫と光輝。
その中で兵士や騎士達に襲われる様子もなく、硬直する恵里と檜山。
そして、胸を貫かれて絶命した香織。その香織に背後から剣を突き刺すエルス。
それらを見た瞬間、ハジメの身体から凄まじい殺気が放たれた。
大地が軋み、空気が揺らぐ。離れているのに直接心臓を鷲掴みにされたかのような錯覚すら覚える。
それが、
信じたくなかった。信じられなかった。
彼女が自分を裏切っている可能性を考えたくなかった。
彼女を殺したくはなかった。
でも……違った。
彼女は裏切っていなかった。
彼女は敵じゃなかった。
彼女は利用されていただけだった。
ハジメの眼はその肉体が既に生きていないことをすぐに看破した。
ようやく分かった。ようやく見つけた。
そうか……
「─────お前らか」
ハジメは
恵里と檜山、ピーーーーーーーンチ!!
実は香織に檜山の奇襲を躱させる為だけに光輝と仲違いさせたまである。