決闘とは名ばかりの児戯。
整えられた中庭の美しい景観は影も形も無くなり、男二人による殴り合いは今も続けられていた。いや、殴り合いという言葉は少しふさわしくないかもしれない。
光輝の拳は掠りもせず、ハジメが拳を振るうたびに光輝の体が吹き飛ぶ。誰もが予想した通り、状況はハジメが終始圧倒していた。
「いっちょ前に喧嘩売ってきて、威勢がいいのは口だけか!」
「うぐっ!」
倒れる光輝を無理やり蹴り上げる。それだけで鮮血が舞い、中庭を赤く染め上げる。
「ご主人様! 流石にそれ以上は……!」
「止めてハジメ!! 光輝ももう限界よ!!」
ティオと雫がハジメを必死に説得しようとするも、ハジメは聞く耳を持とうとしない。
そんな状況の中、香織が意を決するかのように一歩足を踏み出した。
(このままじゃ本当に光輝君が死んじゃう! もう無理やりでも止めるしか……!)
「香織ッ!!」
「ッ!?」
しかし、その足がそれ以上前に出ることは無かった。
「言っただろ。邪魔しないでくれって。これは俺と南雲の決闘だ」
そう口にしたのは、ふらふらと死に体の体を引きずるように立ち上がった光輝だった。
「何言ってるの光輝君!? 早く怪我の治療をしないと!!」
「手出し無用だ。邪魔したら、俺は君を恨む」
死に体とは思えない覇気に思わず香織の足が一歩下がる。
「ティオさん! ティオさんならハジメを止められない!?」
「……妾が全力で抑えにいけば可能かもしれん」
「じゃあ──」
「じゃが、今のご主人様はかなり不安定じゃ。もし下手に反撃されたりでもすれば、周りに大きな被害が出る危険がある」
相手が格下の光輝だからこそ中庭がボロボロになる程度の被害で済んでいるが、ティオが相手となればハジメもそれなりの力を振るう可能性があった。周囲にはクラスメイト達に加え、気を失った一般人の姿もある。下手に今のハジメを刺激するにはあまりに危険な賭けだった。
「あの勇者が退いてくれるのが一番なんじゃが……」
「光輝……!!」
周囲の目を気にすること無く、ハジメは苛立たしげに光輝を睨みつける。
「何なんだよ、お前は。本気で俺に勝てるとでも思ってんのか?」
「さあ? 試してみないと分からないだろ?」
「……俺がお前を殺さないと高をくくってるのならそりゃ勘違いだ。これ以上はマジで殺すぞ」
「そうか。どのみちエルフェウスさんは人類を滅ぼすらしいし、死ぬのが少し早くなるだけだな」
血だらけの姿に笑みを浮かべながら言ってのける光輝の姿に、ハジメだけでなく周囲の面々も戦慄の表情を浮かべた。
「……
「誰とは心外だな。俺は天之河光輝だよ……ただ、難しいことを考えるのは止めたんだ」
「は? 何を言って……」
困惑するハジメの表情に愉快そうに笑みを浮かべた後。
「俺は戦うよ。敵がどんなに強大でも、必ず戦い抜く」
そう、宣言した。
◇ ◇ ◇
時は少し遡る。
魔国から王国へと帰還した一同がそれぞれ行動を始めている中、光輝は一人王城の地下へと続く階段を下っていた。
薄暗い通路を壁にかけられた照明の光を頼りに進んでいく。その手には簡素なパンとスープが乗せられたお盆を持っていた。
しばらく進むと、重厚な扉とその脇を固める二人の王国兵の姿が見えた。二人は光輝に気付くと慌てたように駆け寄っていく。
「勇者様!!」
「お疲れ様です。恵里……罪人の食事を持ってきました」
「勇者様、何度も言いますが、そのような雑事など他の兵士達に任せて頂ければ……!」
「そうです。勇者様のようなお方がこのような場所に足を運ばれるなど!」
「気にしないで下さい。俺がやりたかったんです」
「勇者様自らが運んでくださるなど……この薄汚い罪人には勿体ない──」
「おいよせ!」
エヒト神自らが召喚した神の使徒。そのリーダーである光輝に食事を運んでもらえることに兵士の一人が思わず罪人を貶す発言が出かけるも、もう一人の男によって遮られる。
「あ……も、申し訳ありません! 勇者様の目の前で!!」
「いえ、彼女が罪を犯したことは事実です。本来なら、俺達にもその責任があります」
「ッ!? あ、頭を上げて下さい!! あの、その……あ、食事を届けに来たのでしたね!?」
頭を下げる光輝に慌てた兵士達は、無理やり話を変え、扉の鍵を外し始める。
「
「はい。我儘を言って申し訳ありません」
「いえ、勇者様でしたら何も問題はありません」
ギィという音と共に扉が開くと、光輝はその中へと足を踏み入れる。
「勇者様にご心配は無用かもしれませんが、十分お気をつけを」
「はい。ありがとうございます」
扉が閉まるのを確認した光輝は、石板を置いただけのベットに横たわる少女に声を掛けた。
「食事を持ってきたぞ、恵里」
光輝の言葉に恵里はちらりと視線を向けた後、話しかけるなと言わんばかりに背を向けてしまった。
牢屋内に設置された簡素な机の上には全く手がつけられていない食事が置かれている。
「また食べなかったのか。もう一週間になるぞ? 流石に何か口にしないと──」
「うるさいな。そんなの僕の勝手でしょ。もう構わないで」
ぶっきらぼうに言い返す恵里に光輝は一つため息をついた後、食事の乗ったお盆を机の上に置き、恵里が寝転ぶベットの端に腰掛ける。
魂に干渉することで、対象を思いのままに操る恵里を前に無防備かと思うかもしれないが、今の恵里の両手には魔封じのアーティファクトがはめ込まれ、一切の魔法を使うことが出来ない状態だった。素の身体能力だけではどれだけ光輝の隙をついたとしても傷を負わせることすら出来ないだろう。
「……昨日、道端で女性にお礼を言われたんだ」
「……」
「恵里を捕まえてくれてありがとうって」
「ふん、私が殺した奴らの家族とか言うオチ?」
「ああ。旦那さんが王城勤めの衛兵だったらしい」
元々女性は赤子を身籠っていたのだが、突然夫を失ったショックで体調を崩してしまった。それに追い打ちをかけるようにお腹の中の子も流産してしまい、これからの生きる気力を失っていた。
「だけど、恵里が捕まったことを知って……然るべき罰が下されると知って……」
「ざまあみろって?」
「いや、そこまでは……」
「同じようなもんでしょ。他にも居るんじゃないの? あんなに殺したんだから」
恵里の言葉に光輝は俯きながらここ数日の記憶を振り返る。
光輝にお礼を告げた女性は比較的好意的な方だったが、誰もがそうであれる訳ではない。
神の使徒という後ろ盾がある故に大きな声では言えないが、恵里と光輝達を同一視している国民は決して少なくない。いくらご都合主義で思い違いの激しい光輝でも、力の無い一般人から何度も殺気を向けられていれば嫌でも気付く。その中に年端も行かない子供が居れば尚更だ。
何よりも、その女性が恵里が処刑されることに泣きながら感謝を告げてくる姿は、光輝の胸を深く抉ることになった。
『殺された五百人の被害者の家族にはどう説明する? まさか、もう反省したので許してあげてください、なんて言うつもりか?』
過去のハジメの発言が今になって重くのしかかる。
「ここ数日、ずっと考えてた。俺は一体どうすればいいんだろうって」
既に光輝は恵里から彼女の事情を聞いていた。
恵里としてはわざわざ話すつもりはなかったが、どうせこのままエルフェウスに人類ごと滅ぼされるか、処刑されるかの二択なのだ。途端に全てがどうでも良くなり、毎日のようにやってくる光輝に全て吐き捨てるように語った。
それを光輝は今度こそ一つの聞き漏らしもなく理解した。
子供を愛さない親がいるなど今でも信じたくない気持ちが無くはないが、同時に雫や香織達からもかつての自分の行いの結果を聞き出していた。
そこまで来たら、もう逃げることなど出来なかった。
今まで自分が良かれと思って行動してきたことが、誰かを苦しめていることをようやく知った。自分にとっての善意が、他人にとっての善意ではないことに気付いた。
悩んで悩んで悩み続けた。もう全部諦めてハジメのように引き籠もってしまおうかとすら思った。
「でも、結局無理やり自分を変えたって意味がないことに気付いた。だから……
「……………ん?」
ここに来て、恵里は初めて光輝の顔を直視した。
「え? 変わらないの?」
「ああ、変わらない」
「……いや、普通そこは変わろうと努力するとこじゃないの?」
「変わろうとして突然変われるものじゃないだろ? 人って」
さらっと言い放った光輝に流石の恵里も目が点になって固まる。
「困ってる人の力になりたい。苦しんでいる人の側に寄り添いたい。これは変えられない俺の原点なんだ。例えそれで周りに迷惑がかかろうとも、それを変えることは……多分出来ないと思う」
だから、と続ける。
「もし間違ってたり、もっと良い方法があったらその都度周りに教えてもらう。俺は気づけないから、誰かに気付いてもらう」
「……光輝君、自分でカッコ悪いこと言ってる自覚ある?」
「今度からちゃんと相手の話を聞くようにする」
「いや、だからそうじゃなくて……」
自分が惚れた男はこんな脳筋タイプだっただろうかと若干恵里は混乱する。もしかしたら龍太郎が伝染したかもしれない。
「それに、エルフェウスさんのこともある」
「エルフェウス? なんであの女の名前が出るのさ」
エヒトを裏切って自分の計画をおじゃんにしたエルフェウスの名に恵里が分かりやすく眉を潜めるが、次の光輝の言葉で目を見開いた。
「あの人は多分、嘘をついてる」
「は? 何でそんなこと分かるんだよ」
「その……俺にも良く分からないけど、何となくそう思ったんだ」
「……」
ここに来てまさかの勘頼りの光輝に恵里も頬を引きつらせる。
(何となくって、子供じゃあるまいし……ん? 子供?)
しかしそんな時、恵里にある可能性が浮かび上がった。
あの時の光輝は恵里の“縛魂“で彼女の良いように思考を誘導されていた。都合の良いことだけを植え付け、勘違いや思い込みから来る余計な思考は挟ませなかった。言い換えれば、見聞きすることに対して子供のように純粋な状態であったと言える。
そしてエルフェウスが本性を現した瞬間、恵里は自身の計画が粉々に崩れたことで光輝への意識が外れていた。
恵里によって話を都合の良いように誘導されることもなく、“縛魂“の影響で元来の思い込みによって物事を湾曲して捉えることもない。
そして、光輝はその難のある性格が災いしてあり得ない事態を引き起こしていただけで、そもそものスペックは非常に高い。少ない言葉で真意を汲み上げる読解力。僅かな挙動で人の心理を感じ取る共感力。状況を正しく把握する判断力。
今まで宝の持ち腐れだった高いスペックが十全に発揮された瞬間だった。
(純粋だからこそ、何か違和感を覚えた、とか? いやいや流石にそれは……)
いくら何でも考えが突飛すぎるかと恵里が頭を振っていると、光輝が「そろそろ時間だな」と立ち上がり、そのままくるりと恵里に振り返った。
「恵里のことも俺は諦めてない」
「……無理だよ。何人殺したと思ってるんだよ」
「知ってる。でも諦めたくない。どうすればいいかなんて分からない。でもそのためには、あいつの力が絶対にいることだけは分かるんだ」
「……………まさか」
光輝の言う“あいつ“が誰なのかを感づいた恵里は目を見開いた。正確には、光輝が彼の力を頼ろうとしていることに。
「南雲を……引っ張り出す」
◇ ◇ ◇
「俺は戦う。最後まで絶対に諦めない。でも、俺は弱い。俺だけじゃ勝てないんだ。だから、お前の力を貸してくれ」
「……とうとう頭がイカれたか?」
「いたって正常だよ」
戦うことを決めた。逃げないと決めた。でもそれを成し遂げるには実力が足りない。だから手伝ってくれ。
そう告げる光輝にハジメも言葉を失う。これではまるで我儘な子供だ。
「我儘で結構だ。聞き分けがないより良いだろ。皆が俺を心配してくれるのは分かる。でも多少無茶しないとお前は出てこないだろ?」
「……狂ってるよ、お前」
大きくため息をついたハジメはゆらゆらと光輝に向かっていく。
光輝が彼なりに考えて答えを出したのは分かった。だが、それはハジメにはどうでもいいことだ。
「もういい。面倒だ……………死ね」
光輝の前で立ち止まったハジメは今まで以上に大きく振りかぶった拳を真っ直ぐに振り下ろした。
その一撃に込められた力に本気で光輝を殺そうとしていることに気づき、周りが慌てて止めに走るも間に合わない。
光輝の額に吸い込まれる拳は次の瞬間、その頭蓋を砕き、脳髄を撒き散らすだろう。単純に魔力によって強化されただけの一撃。故に最速。故に最凶。
光輝程度では目視してから避けることは不可能。きっと死んだことにも気付かないだろう。
「それを待ってた」
「ッ!?」
だが、来ると分かっていたのなら話は別だ。
拳が直撃する寸前、突如光輝がハジメの懐に潜り込むように上半身を屈めた。
避けられるとは微塵も考えていなかったハジメが慌てて腕を引こうとするが、光輝が素早く脇の下に腕を差し込み、首に引っ掛けた。そのまま体を密着させた光輝は足を振り上げた右足をハジメの両足目掛けて勢いよく振り下ろした。
「“八重樫流柔術・
「──ガッ!?」
両足を刈られると同時に首を押し出されたハジメは宙で体を一回転させて地面に投げ倒された。
その光景に……ハジメが光輝に投げ倒されたという事実に全員が驚愕した。
戦闘において、天之河光輝は南雲ハジメに全てが劣っている。
それが彼らを知る全員の共通認識だった。
だが、実はこれは誤りでもあった。
武器。腕力。魔力。技能。知識。それらにおいて確かに光輝はハジメには及ばない。
ただし、唯一光輝が未だにハジメに勝っているものが残っていた。
それは『技術』だ。
ハジメの戦闘スタイルはその膨大な魔力や身体能力もさることながら、主な手段は制作したアーティファクトを活用した遠距離での銃撃だ。クイックドロウなどの技術は持ち合わせれど、無手や刀剣を用いた近接技術は一切持ち合わせていない。精々が技能で威力を底上げする程度だ。
しかし、光輝は違う。
彼は『勇者』という天職を手に入れる前、幼い頃より八重樫家の道場で剣を学んでいた。才能を遺憾なく発揮し、同年代どころか上の世代ですら相手にならなくなった彼を見た雫の祖父は、彼にある技術を教えた。
それは、武器を失った忍びがその身一つで戦場を生き残る為の技術……その一片。
刀を敵を殺す為の技術では無く、素手で敵を無力化する為の技術。
魔法が存在する世界の戦場では無価値な
故に光輝は待った。正面から堂々と仕掛けたところで返されるのは目に見えている。だからこそ、ハジメが本気で自身を殺そうする瞬間を待った。対応されるとは微塵も考えていない、ただ受けたら死ぬだけの全力の大振りが来る瞬間を待ち続けた。
(こいつ!? 最初からこれを狙って……!?)
受け身もまともに取れずに地に叩きつけられたハジメは、その衝撃で肺の中の酸素を吐き出し痛みに表情を歪める。その隙を光輝は見逃さない。
ハジメの背中にするりと身を潜り込ませ、そのまま首を締め上げる。
「ぐ──ッ!?」
バタバタと抵抗するハジメだったが、完全に首に入った腕を外すのはプロの格闘家でも難しい。
酸素が脳に回らず、ハジメの視界が激しく明滅する。
「ああああああああああああああッ!!!」
「ッ!? ぐあっ!!」
しかし、ハジメもこのままやられているだけでは終わらない。
全身から発した魔力を衝撃に変換して光輝を弾き飛ばす。まともに魔力を練り上げられなかったのか威力はそこまでだったが、密着した光輝を弾き飛ばすには十分だったようだ。
そのまま怒りのままに光輝に襲いかかろうとしたハジメだったが、一歩踏み込んだだけでガクリと膝をついてしまう。
(くそっ!! 何で俺がこの程度で!?)
魔力をそれほど行使したわけでもないのに力が入らない体にハジメが目を白黒させるが、この状況はある意味必然であると言えた。
ハジメはこの一週間まともに食事を摂らず、一睡も出来ていない。ただただ絶望感に嘆きながら毎日を過ごしていた。その状態で突然の激しい戦闘。さらに首を圧迫されたことで血の流れが妨害され、一時的な酸欠状態に陥っている。正直、意識を保っているだけで奇跡に近い。
地面に手をついて必死に体を支えているハジメだったが、その襟元をぐいっと持ち上げられ、強制的に立たされる。
「一人で絶望して、一人で嘆いて、一人で諦めるなよ」
血だらけの光輝がその拳をぐっと握りしめ……
「いい加減、目を覚ませ!!」
渾身のストレートがハジメに突き刺さった。
何だかんだスペックはエグいよね光輝。