ある男は積み重なった死体の上でこう言った──「正義は我にあり」と。
ある女は全身を返り血で染めながらこう言った──「お前らが悪い」と。
自らの行いが正しいと信じ、残虐な行為を平然と行う異常者が居た。
大切な家族を守る為、悪魔に魂を売る善人が居た。
人は何かを得る為ならば、何かを犠牲にすることが出来る生き物だ。
悲しみに暮れる人々に刃を向けることも、悲劇に嘆く人々の隣を横切ることも容易い。自らの願望を叶える為、自らの大切を守る為。その為に何人もの人々が犠牲になってきた。
少女は何万年もの間、その光景を見続けてきた。
願うだけでは何も変わらない。祈るだけでは何も叶わない。
何故人間はこんなにも弱いのか。
人間が神の創造物ならば、このような貧弱な存在である筈が無いのに。
少女は考えた。
考えて考えて考えて考えて……そして一つの結論に至った。
人間は感情という叡智を得ることで、抑制という枷を捨ててしまったのだと。
言葉にせずとも理解出来ていた筈だ。思考せずとも行動に移せていた筈だ。
しかし、個としての意志を持ってしまったことで全てが破綻してしまった。
一の幸せの対価として、一の犠牲が支払われた。
百の幸せの対価として、百の犠牲が支払われた。
誰かが幸福を享受する為には、誰かが不幸を被らなければならなかった。
誰もが気付いている。気付いていながら見て見ぬ振りをしている。
自らの幸福を捨ててまで他人の不幸に関わろうとする者は居ない。誰もが幸せになりたいと目を瞑っている。
いつの時代も、希望の裏には必ず絶望が存在していた。
ならば、希望も絶望も無くなってしまえば良い。
誰もが幸せになれない世界。それはきっと、誰もが不幸になれない世界。
幸せに涙を零すこともない。不幸に涙を流すこともない。
何も得ることは出来ない。けれど、何も失うことが無い世界。
それが少女がたどり着いた
◇ ◇ ◇
「それが、誰もが泣けない世界……」
『あいつの目的は人から意志を……個を奪うこと。そうすることで、相対的な世界平和を目論んでる』
人間は誰しもが確固たる意志を持っている。それは高潔な精神であったり、薄汚れた欲望であったり、精錬された目的であったり、純粋な夢であったり……人によって様々だ。
その意志を貫こうとする過程の中で争いが起こり、誰かが不幸になることと引き換えに、誰かが幸福になる。
『だからこそ、エルフェウスはそれを取り除く。誰も泣くことが出来ない世界。それが誰も悲しむことが無い世界だって信じて……』
「そ、そんなのめちゃくちゃだよ!?」
「ええ、いくら何でも考えが極端すぎるわ」
香織と雫がミレディから告げられたエルフェウスの目的に声を荒げる。
仮にその企みが成功したとしよう。だが、それは同時に人が何の感情を持たない人形に成り下がることと同義だ。何も考えず、何も行動しない。二人にはそんなものが世界の平和とはとても思えなかった。
『それを補うための神さ。空っぽの人間に神が意志を吹き込む。必ず争いが起こらないように、統合した人の意志から最善の選択肢を選んで全ての人間の判断を統制する』
「でもよ、それじゃまた反乱とか起きるんじゃねぇか?」
「うん。いつかミレディさん達みたいな人達が真実を知って同じようなことになるんじゃ……」
「ああ、結局それじゃ今までの歴史を繰り返してるだけだ。根本的な解決にならない」
いつの世もイレギュラーは生まれるものだ。エヒトの支配で解放者というイレギュラーが現れたように、いつの日か神の真実に気づき、抵抗を始める者が現れる可能性がある。そうなれば争いは確実に避けられない。
『それが可能なんだよ』
龍太郎、鈴、光輝の疑問にミレディは何気なしに答えた。まるで彼らの疑問など予想済みだと言わんばかりに。
『ムカつくけど、あいつの魂魄魔法の腕に関しては私とユエちゃんが束になっても足元にも及ばない。それどころか、ラーちゃんですら圧倒されると思う。それだけ精錬されてる。そんな奴の元に全世界の人間の魂が集められてる。この意味が分かるかい?』
「……まさか」
『エヒトみたいに信仰心で縛るなんてレベルじゃない。正真正銘、魂に刻み込むのさ』
“
一人の例外もなく目の前の違和感を違和感と捉えることが出来ない。反乱を起こす起こさない以前の問題だ。
『それは次の世代にも永遠に引き継がれていく。ここまでいくともう呪いだね』
「……ユエさんは、そのことを分かってあの人に協力してるんでしょうか?」
『もちろんユエちゃんも知ってるよ。付き合いも長いみたいだし、概要しか知らない私と違ってもっと深くまで知ってるんじゃないかな』
シアが頭に浮かんだ疑問を口にすると、タイミング良くミレディがその疑問に答えた。先程といい、普段は空気を読まないくせにこういうときは察しが良い。
「そもそもあの二人はいつから知り合いなんだ?」
「確か、ユエさんは三百年前からオルクス大迷宮に封印されてたんでしょ?」
「南雲が言うにはそうらしいな。エルフェウスさんはずっとエヒトに仕える振りをしてた。案外、ユエさんの居場所を把握して接触してたのかもな」
『うん。その通りだよ。封印されて少しした後にエルフェウスがユエちゃんに会いに行ったみたい』
龍太郎と鈴の疑問に対して光輝が推測を立てると、他ならぬミレディから肯定の言葉が返ってきた。二度ならず三度までもこちらの会話を予測して言葉を残しているミレディ。流石は解放者のリーダーを勤めた人物と言え──
「……いや、流石におかしくないか?」
光輝の言葉に全員の視線がミレディにあつまる。
「……お前、俺達の話を聞いてるな?」
『お、気付いたかい?』
ハジメの問いかけにミレディの記録映像かと思われたホログラムはハッキリと返事を返した。それは予め組み込まれた台詞では無く、明らかにハジメの問いかけを理解した上で口に出しているものだった。
「最初は間違いなく記録映像だった。いつからだ?」
『ついさっきだよ。仕掛けが起動したら私まで伝わるよう術式を組んでおいたんだ』
「……いいのか? こんなことしてたらお前、エルフェウスに見つかるぞ」
『大丈夫大丈夫。聞いたと思うけど、私が知ってるのはただの概要。漏れた所で何がどうなる訳でも無いし』
肩を竦めながら『そもそも気付かれてると思う』と告げるミレディにハジメは眉をひそめる。
「情報が漏れれば対策も出来る」
『それを含めて正面から潰す腹づもりみたいだよ。滅亡に対して抵抗するのは君達に許された最後の権利だからってさ』
「……ミレディ。もう一度聞いておくが、お前は俺達の敵なんだな?」
『うん。そこは変わらないよ』
「そうか、分かった」
淡白とした返答にミレディは首を傾げた。
『……理由、聞かないの?』
「興味ない。どうせ聞いたところでこっちに寝返るような半端な覚悟じゃないだろ」
『……そうだね。君達には悪いけど、私の立ち位置は変わらない。これが私の考える最低最悪の選択さ』
「なら、俺達はそれをねじ伏せてやる。立ちはだかるなら、全てを叩き潰す」
ハジメの言葉に全員が強く頷く。その瞳に揺らぎない覚悟を感じ取ったミレディは小さく笑みを溢した。
『……“
「ッ!──ミレディ……!!」
『落ち着いてシアちゃん。通れれば、の話さ』
“
『でも、通れさえすれば後は私達三人だけだよ』
「何じゃと? 神域には神の使徒を一体も残していないのか?」
『うん。エルフェウスにとっては“
“
「なら、そいつを破壊できれば──」
『無理だね。あれには洗脳以外の一切の迎撃能力は備わっていない代わりに、魔力による攻撃を完全に反射する防壁が張られている。私とユエちゃんの全力を半日当て続けても多分無理だね』
それを精神汚染と神の使徒の攻撃に耐えながら続けるのはほぼ不可能に近い。“
「それでも、神の使徒を一体も残さないのは何でだ?」
「そうね。いくら防衛に戦力を割いてると言っても流石に……」
『居る方があいつにとっては邪魔なのさ。勇者君に剣士ちゃん』
「「居る方が……邪魔?」」
『どうせ数を配置したところで破られるし、不必要な戦闘は不確定な要素を生み出す原因になる。なら初めから戦わなければ良い。だってさ』
定石とは大きく異なるエルフェウスの考えに光輝達も困惑の表情を浮かべる。
「向かってくるなら自分の手で叩き潰せば良いってことか。こっちとしては都合が良いな」
「油断は出来ないよハジメ君。あの子はきっとそれだけの勝算があるんだと思う」
「分かってる。決して俺達を舐めてる訳じゃないし、慢心してる訳でもねぇ。それがあいつの中での最善なんだろうよ」
香織の言葉にぐっと拳を握りしめるハジメ。その時、ブンッという異音と共に、ミレディの姿が揺らいだ。
『そろそろ限界みたいだね』
ミレディの居る神域はハジメ達の居る下界とは別の次元に存在する領域だ。ミレディが魔法陣の術式を通して無理やり繋げていたが、そろそろ交信も限界のようだ。
『ハジメ君。シアちゃん。それに他の皆も。もしこっちに来るつもりなら覚悟は決めておいて。神域に足を踏み入れたら最後、私は君達の敵だ。情を掛けるつもりはない』
「ああ。返り討ちにしてやるから覚悟しとけ」
『ふふっ、君は最後までブレないなぁ……もう、こんなこと言える立場じゃないけど……』
──君達の未来が、どうか自由の意志の元にありますように。
その言葉を最後に、ミレディは掻き消えるように姿を消した。
「……たりめぇだ。抗ってみせるさ」
◇ ◇ ◇
神域の一角にてじっと佇んでいたミレディは、肩の力を向くと深く息を吐いた。
「……ふう」
「話は終わった?」
その瞬間、背後から掛けられた言葉にミレディは慌てること無く振り向いた。
「盗み聞きとは感心しないなぁ♪ ミレディさんはユエちゃんをそんな風に育てた覚えはありません!」
「ハジメ達が来るの?」
「まさかのスルー!? 前はもう少し反応してくれたのに……ミレディさん悲しい。シクシク」
「……」
「……分かった、分かったってば……もう──……」
よよよ、と崩れ落ちる演技まで見せたというのに、全く反応が無いユエにつまらなそうに立ち上がったミレディは先程の話をかいつまんで説明した。
「──彼ら、諦めてないみたいだよ?」
「そっか」
「……で? 神域への侵入経路をバラした私に何か罰でも?」
「問題ない。“導越の羅針盤“があれば遅かれ早かれ気付かれてた」
「ああ、そういえば今は彼らが持ってるんだっけ」
それは元々ミレディ達が作り出した概念魔法の一つ。エヒトの居る神域を見つける為に作り出したものが、自分達の位置を特定する為に使われる可能性に思うことがあるのか、声のトーンが少し下がる。
「……」
「全く、そんな顔ばっかだね」
「え?」
「自覚ないのかい? ユエちゃん、ここに来てからずっと表情が暗いよ」
「……ほっといて」
ミレディの指摘にユエは徐ろに頬に触れた後、ぷいっと横を向いてしまった。
「……分からないなぁ。何で君はこっちについたの?」
ミレディの指摘にユエは答えない。
「ここ数日一緒に居て、君が本当に彼らを大切に思ってたことくらい分かる。そんな彼らを裏切ってまで……苦しんでまで、君はエルフェウスに付く理由があるのかい?」
エルフェウスと交友があったことは知っている。年月で言えばハジメ達とは比べ物にならないだろう。それでも、ここまで苦しみながらも彼らと袂を分かつ選択をするほどの理由がミレディには分からなかった。
「エルフェウスは誰にも負けない。最悪の未来はきっと避けられない……でも、君ならもしかしたら……」
旧友たるユエの言葉ならば、エルフェウスにも響くかもしれない。そうすればユエが昔からの友と新たな友の間で苦しむ必要も無くなる。
それはエルフェウスの計画を止められるかもしれないという打算と、年長としてユエを思っての親切心からくるもの。
しかし、ユエはそれを首を振って否定した。
「無理だよ。もうエルフェウスは誰にも止められない。私が居なくなったところで、あの子は一人でも計画を完遂する」
「……まあ、そりゃそうか」
「それに、私にはエルフェウスを
「? それってどういう……?」
不可解な言い回しに首をかしげるミレディに、ユエは空を見上げながらポツポツと語りだした。
「最初の印象は、とんでもなく臆病な女の子だった」
「……え?」
「小さな物音でビクビクするし、何かある度にすぐに私にすがりついて泣くような子」
「いや、ちょ、何の話?」
「それが、昔のエルフェウスだった」
「……はあ!?」
突然誰の話なのかと困惑するミレディだったが、思いもよらない名前が飛び出たことに驚愕する。
絶句するミレディを置いてユエは続ける。
「あの子は突然私の前に現れて封印を解いてくれた。でも、あの部屋から出ることは許してくれなかった」
理由を聞いても「ごめんなさい」の一点張りだった。ただ、その表情が心の底からユエに申し訳ないと思ってることはだけは明確だった。叔父の裏切りで人を信用しきれないユエだったが、幸いエルフェウスは頻繁にユエの元へ訪れてくれ、彼女もエルフェウスにだんだんと心を開いていった。
その過程でお互いのことをたくさん知っていった。そして気付いたのが、エルフェウスという女の子はその身に宿す力に反して、大きすぎる欠点を抱えているということだった。
彼女は、優しすぎたのだ。
「誰よりも才能溢れたあの子は、誰よりも戦いに向かない性格をしてた」
人を思うがままに洗脳する力を持った女の子は「誰かを操るなんて怖い」と力を使いたがらなかった。
「山一つ簡単に吹き飛ばせるあの子は、虫一匹殺すのすら躊躇した」
天災を自在に巻き起こす女の子は「野生の生き物が巻き込まれるかも」と力を使いたがらなかった。
「でも、世界は残酷にもあの子に力を与えた。そして、人々はそれを行使することを強制した」
そんな女の子に、人は救済という名目で破壊という行動を実行させた。
女の子の理解者の声は神によって封殺された。女の子の理解者の命は人によって惨殺された。
しかし、女の子が自らの使命を果たせなくなったことを知ると、途端に掌を返して女の子を罵倒した。
「辛いのに、苦しいのに……それを必死に押し殺してあの子は生き続けた」
それは人の身体を捨てることになってからも続いた。
「魂魄魔法で心を偽り、エヒトを信じて奴の人形を演じ続けた。いつか、この苦行が報われる日が来ると信じて……」
だが、いくら待てどもそんな日は訪れなかった。当然だ。そもそも女の子が信じていた
そしてついに女の子は限界を迎えた。
「必死だったんだ。とにかく我武者羅に、ヒビだらけで今にも壊れそうな心を抱きしめて」
そうして女の子はユエに全てを打ち明けた。
ユエが封印された本当の理由を。叔父の裏切りの真相を。吸血鬼族の末路を。そして、女の子──エルフェウスの正体を。
「全てを語り終えた後、震えながら伸ばされた傷だらけの手を……
「…………え?」
遮らずにじっと聞いていたミレディの口から思わず声が漏れた。
真実を知ったユエにとって、エルフェウスは大切な家族を殺したエヒトの共犯者でしかなかった。思いつく限りの罵倒の言葉を口にした。目の前が真っ赤に染まり、エルフェウスがどんな表情をしているのかすら見えていなかった。
「私は自分のことしか考えてなかった。どんな気持ちでエルフェウスが助けを求めたのか知りもせずに……! あの子が、どれだけ辛い目に合ってきたのかを知りもせずに……!!」
エルフェウスに居場所を突き止められて尚、どうして自分が今まで無事でいられたのか。少し考えれば分かることだったのに。今まで自分が彼女に守られてきたことに気付きもしなかった。
『ごめんなさい』
全てを受け止めた後、そう言ってエルフェウスはユエの前から姿を消した。
「泣き虫なあの子が泣くのを必死に堪えてた姿を見て、私はようやく自分の過ちに気付いた。でも、もう全てが遅かった」
エルフェウスからユエに会いに来る手段はあれど、逆は無い。だからユエはあの部屋で待ち続けるしか無かった。
「何年か経った頃、やっとエルフェウスが現れた。でも、その時にはもうあの子はあの子じゃ無くなってた」
昔の面影は消え失せ、笑顔を振りまく姿は不気味なまでの狂気を孕んでいた。
「私があの子を壊した。エルフェウスがああなったのは私のせい。人類が滅ぶのも私のせい。そんな私がエルフェウスに止めろなんて……どの口が言えると思う?」
今にも泣きそうな笑みを浮かべながら問いかけるユエに、ミレディもどう言葉を返したら良いか分からない。
「何より私は、もう二度とエルフェウスの手を離さないって決めてるから……」
──たとえそれで、どんな最後を迎えようとも。
背を向けて去っていくユエを、ミレディは黙って見送ることしか出来なかった。
>ユエに会うまでのエルフェウス
魂魄魔法で心を偽って従順な人形を演じる。他の神の使徒を見て、それがエヒトの求める姿と勘違いしていた為。ちなみに偽ってなければもっと早くに壊れる。
>ユエに会って拒絶されてからのエルフェウス
唯一本心を言える相手に罵倒されトラウマが蘇る。瀕死状態で追い打ちをくらい壊れる。ついでにユエも友情やら匿ってくれた恩やら罪悪感やらで雁字搦めになる。