あの時、私は見ていることしか出来なかった。
教え子が血を流しながら必死に戦っているのを見て、ただ歯を食いしばっているだけだった。
分かっていた。彼らに比べれば私なんて何の役にも立てないくらい。
作農師として重宝されようとも、豊穣の女神として祭り上げられようとも、私は実戦では何の力にもなれないただの一般人だった。
だから私が何も出来なくてもそれは仕方がなかった。
本当にそうだっただろうか。
作農師の技能が役に立たなくとも、私には魂魄魔法があった。
通用するかどうかは分からない。それでも、1%でも可能性があるならば行動に移せば何か変わったかもしれない。でも、私はそれをしなかった。
生徒達を守らないといけないから。
──
魂魄魔法をまだうまく使いこなせていなかったから。
──目の前で大切な生徒が殺されそうになってるのに?
私なんかじゃ足手まといにしかならないから。
──じゃあ、何で神山では動けたの?
ああ、分かってる。もう分かってるんだ。
神山で聖教教会を教会関係者ごと吹き飛ばした。ハジメが殺されるかもしれないと必死だった。その時と状況は全く変わらない。それでも私が動けなかった理由……
それは、
神山では常にティオさんが居た。きっと何かあっても彼女が守ってくれたことだろう。でも今回は違った。南雲くんも、ティオさんも、他のみんなも倒された。
私を守ってくれる人は一人も居なかった。
何が起きても南雲君達なら何とかしてくれる。そんな根拠もない思い込みは粉々に砕け散った。
ひとたびエヒトの前に立ち塞がれば、その脅威は私一人に向けられる。彼らよりも数年早く生まれただけの私が。戦う覚悟もない私が。
こんなにちっぽけな私が一人で何かを為せる訳がない。
だからこそ、失意に沈む彼らに声を掛けることが出来なかった。
怖かった。彼らを前にした時、卑怯者の役立たずと罵られることが。肝心な時に何もしないくせに、命の危険が無くなった途端に大人振る汚い人間と思われることが。
私がそんなことに悩んでいる内に、彼らは悲劇を乗り越えた。友人の鼓舞を受けて自分達の足で立ち上がった。
その姿を見て。その光景を見て。私は思った。
──ああ、これできっと大丈夫だ、と。
私はなんて卑怯で浅ましい女なのだろうか。
◇ ◇ ◇
「“豊穣の女神“様!! どうか我らにお導きを!!」
「そうだ、我らにはあのお方が居る。魔人族共め! ひれ伏せるが良い」
「豊穣の女神? エヒトのことではないのか?」
「どういうことだ? 人間族はエヒト教以外の信教を認めていないのではなかったのか?」
愛子の登場に人間族から歓声が湧き上がる一方、魔人族は一様に首を傾げていた。多くが軍に所属する彼らも作農師のことは知っていても、愛子の容姿と“豊穣の女神“については知らないものがほとんどだ。
彼らからすれば、エヒトを唯一神として他の宗教を排他していた人間族が、一般人よりは魔力が高いだけの、どうみても戦い慣れしていない子供を祭り上げていることに疑問を覚えても仕方がないことだった。
「愛子さん!? どうしてここに!?」
「すすす、すみません!? リリアーナさんが心配で見に来ただけなんです!!」
「確か、あの場に居た……なるほど、彼女が“豊穣の女神“だったのか」
慌てて駆け寄るリリアーナに半泣きで縋り付く愛子。そこでようやくフリードが目の前の少女があの“豊穣の女神“であることに気付いた。
「噂は聞いている。地形を変える程の力を有する暴虐の女神だと」
「混ざってます!! 多分それ、違う人が混ざってます!!」
正確には『地形を変えるほどの戦力を従えている女神』なのだが、魔人族側には湾曲して伝わっているらしい。
「まあ事実はともかく、影響力は噂通りらしいな」
「え?」
首を傾げる愛子にフリードは顎で後ろを向くよう促す。愛子がそれにつられて背後に視線を向けると。
「女神様!! どうか奴らに裁きを!!」
「どうか蛮族共に報いを!!」
「み、みなさん……?」
愛子でもはっきりと感じられる程の憎悪と歓喜。
家族や仲間を奪った魔人族への怒り。それを女神自らが晴らしてくれることへの喜び。
「まずい、ですね。兵達を鼓舞していたことが裏目に出たようです」
愛子はその立場と名声を利用することで人間族を一つに纏めるべく奮闘していた。
『立ち上がるのです人々よ。エヒト様の名を驕り、不遜にもその力を振るう
志を一つにする為、明確な敵を作り出し、人々に共通の目標を与えた。人々が信仰するエヒトを害した存在が自分たちを狙っているぞ、と。しかし、ここに来てそれが良くない方向へと影響を与えてしまっていた。
何せ、今彼らの目の前には紛うことなき
疑う余地もない。まさしく不倶戴天の人類共通の宿敵。対エルフェウスに向けて着々と準備していた人々の意思が、ここにきて魔人族へと逸れてしまっていた。
「ッ!?」
愛子はその視線に、立ち振る舞いに……彼らが自分に何を求めているのかを嫌でも理解してしまった。
神山で協会関係者を殺害した愛子に対し、貴族や役人達が向けていたものと同じもの。つまり、自分達を害し、洗脳した元凶を排除したこと対する称賛。
ウルの街で魔物を
神山で協会関係者を
──ああ、きっとまた“豊穣の女神“様が我らの敵を
たとえ愛子にその意思が無かったのだとしても、人間族からすれば愛子は敵を殺すことで自分達を救ってくれた救世主だっだ。
「──うっ!?」
その事実に愛子は胃の奥から込み上げてくるものを必死にせき止める。
彼らが殺人を犯した自分の行動を称賛していることは知っていた。誰からも責められること無く、逆にその行動を称賛された。ハジメに胸の内をさらけ出したことで多少は踏ん切りはついていたが、改めてそれを求められている状況に愛子の精神が擦り減っていく。
(駄目だ……!! 吐くな吐くな吐くな!! 弱気なところを見せるな! これじゃ今までの苦労が……! みんなの頑張りが……! でも、協力を申し出てくれた魔人族の人達を殺すなんて……!!)
魔人族を受け入れることが出来れば戦力は飛躍的に上昇する。しかし、それは人間族の求める“豊穣の女神“の姿ではない。最悪、人間族の結束すら揺らいでしまう危険がある。
(どうしようどうしようどうしよう……!?)
呼吸が乱れる。視界が揺れる。今自分が立っているのか倒れているのかすらあやふやになる。
やっぱり自分ごときにこんな大役は無理だったんだと頭を抱えて耳を塞ぎたくなる。
(だれか……だれ、か……!!)
まともに思考も出来ない愛子は助けを求めるように周囲を見回した──そして、見つけた。
(な、ぐも……君?)
集まった兵達の後方。まだかなり距離はあるが、ハジメを筆頭に神山へと向かった面々がこちらに駆けてきているのが見えた。先頭を走っていたハジメは愛子がこちらに気付いたことを知ると口を開く。
──あとは任せろ。
声は届いていないが、愛子にははっきりと伝わった。それだけで愛子はそれまでの焦燥が嘘のように心が軽くなるのを感じた。
(ああ、良かった。もう大丈夫だ)
多少強引な手段を取るかもしれないが、彼ならきっとこんな状況もどうにかしてしまうだろう。愛子はそんな確信めいた予感を感じていた。
(そうだ。今まで通り、彼に任せておけば……?)
安心感に腰を抜かしそうなった瞬間、愛子はそれを感じた。
(……焦ってる?)
魂魄魔法を会得した影響か、愛子は人の根幹の揺らぎのようなものを無意識に感じることが出来た。それは追い詰められた状況で僅かに覚醒したものか、はたまた元々の素質故かは分からない。
だが、確かに感じた。
(皆さん、何でそんな必死な顔で……?)
ハジメの後ろを追走する面々。特に光輝、香織、雫、鈴、龍太郎の顔色はここでもはっきりと分かるほど悪い。
彼らからすれば、ようやく神山を下山したと思ったら自分達の教師が人間族と魔人族の間に挟まれているのだ。焦るなという方が無理な話だ。あのハジメですら、表面上は今まで通りでも内心はかなり焦っていた。
安堵に緊張が解けた自分と、焦燥感が募る教え子達。
(何ですかそれは)
次の瞬間、愛子は体の奥底から未だかつて経験が無い程の怒りが湧き上がってくるのを感じた。
「邪魔しないでください!!!」
「「「ッ!?」」」
その小さな身体のどこから出たのかと疑う程の怒号。誰もが言葉を失い、金縛りにあったかのように動きを止める。
「……私を、信じてください」
それまでの喧騒はピタリと止み、静寂が支配する中、続く愛子の言葉にほとんどのものが意味が分からず困惑する。
しかし、視線を向けられていたハジメは、じっと愛子を凝視した後、一つ息を吐くと建物の壁に背中を預けた。周りの面々がどうしたのかとハジメに詰め寄るが、ハジメに何かを言われると心配そうな表情を浮かべながらも、渋々と足を止める。
(ありがとございます)
自分の我儘を通してくれたハジメに。そして、その想いを汲み取ってくれた面々に感謝を告げる。
(そうだ。私は教師なんだ)
ハジメに助けてもらうのが当たり前になっていた。適材適所を理由に、彼の背に隠れることに何の疑問も抱かなくなっていた。
そうじゃなかった筈だ。彼らがどれだけ強くなろうとも、彼らは生徒でまだ子供なのだ。教師として、何よりも大人として彼らを導くのは己の役目だった筈だ。
強くなった彼らを見て、自分達だけで立ち上がった彼らを見て、もう私の出番は要らないのだと勝手に思い込んでいた。
でもそれは私の思い込みで、彼は私の力も必要としてくれた。信じて頼ってくれた。それなのに……
“豊穣の女神“なんて大層な名前を付けられただけで狼狽えて。
その名を利用して民衆を扇動するだけで萎縮して。
挙げ句の果てに守るべき子供達に助けを求めた。
彼らが必死に駆けつけてくる光景を見て、一人安堵した。
ああ、なんて情けない。なんて無様なんだ。
自分を置いて走り出した彼らが、心配そうに後ろを振り返ってくれることに安心していた。
これが、こんな姿が夢にまで見た教師の姿な訳がない。
今更かと思われるかもしれない。半端な真似は彼らの足を引っ張ってしまうかもしれない。
でも、どうか……どうか……
(私も、君達と一緒に戦わせてください……!!)
◇
「おい南雲! 本当に先生を放っておく気か!?」
「だからそう言ったろ」
焦る様子を隠すこと無く光輝がハジメに詰め寄るも、ハジメは全く動じること無く答える。
「ハジメ君。本当に大丈夫なの?」
基本はハジメの判断を信じている香織も、愛子のピンチに何もしないことに焦りを覚えているのか、しきりにキョロキョロとハジメと愛子を行き来する。他の面々も不安な様子を隠しきれていない。
「あの人なら大丈夫だよ」
しかし、そんな彼らの不安な表情をあっさりと受け流したハジメは軽く肩をすくめた。
「そもそも、お前らは先生を心配しすぎなんだよ」
「でも……」
尚も浮かない表情の彼らにハジメは指を一つ立てた。
「じゃあ聞くが……俺と人類。敵に回すならどっちを選ぶ?」
「「「へ?」」」
「だから、俺と人類で勝率を考えればどっちに歯向かうってことだよ。ああ、ここに居るメンバーは除いてな」
「えっと……単純に勝率を考えれば、だよね? それはまあ、人類だけど……」
いきなり話が変わったことに全員が首を傾げるも、香織が代表して答える。勝率を考えればトータスの戦力を集結させたとしてもハジメには敵わない。シアやティオ達を除外して考えるとなれば間違いないだろう。
「だからだよ」
「?」
「先生はこの俺に正面から意見してきたんだぞ? それに比べりゃ、人類相手なんて軽いもんだろ」
まさかの解答にポカーンと放心するも、よくよく考えれば「まあ、確かに?」と少し納得してしまった。
「……何かやる気だな」
それまでは倒れそうなほどの真っ青だった表情は、何かを決意したかのような覇気に満ちた強い表情に変わっていた。今まで見たことがなかった愛子の表情に、無意識に緊張感が包み込む。そして……
「人間族の神エヒトルジュエ! この神の本性は人類のことを何とも思ってない外道なクソ野郎です!!」
「「「………………………………………………………………………………………………………は?」」」
まさかの発言にその場の空気が死んだ。
「ははっ、そうきたか」
凍りつくような静寂の中、ハジメだけが唯一面白そうに笑みを浮かべていた。
愛子 is 爆心地