期待と疑念に渦巻く両者の間に沈黙が広がる。
愛子の発した言葉は、喧騒に包まれたその場に凍りつくような沈黙を齎した。
「愛子さん!? 一体何を!?」
初めに硬直が解けたのはリリアーナだった。その表情には隠しきれない焦燥が浮かんでいる。
“豊穣の女神“の信仰が広がりつつあると言えども、エヒトの信仰が無くなった訳では無い。だからこそ、それを利用する計画だった。
『神エヒトを驕り、偽使徒を操っている敵が居るぞ』と。
しかし、それを愛子自身が真っ向から否定してしまった。
“豊穣の女神“の信仰は今この瞬間も人間族に浸透しつつあるが、彼らの根底にはエヒトの教えが染み付いている。そのエヒトを侮辱したのだ。最悪、彼らの敵意が愛子に向いてしまう危険性もある。
「……」
動揺するリリアーナとは対象にフリードは僅かに目を見開いたものの、静かに愛子の動向を見守っていた。彼の後ろに控える魔人族も驚きの声こそ上がるものの、人間族のように言葉を失う程ではない。
その様子を確認した愛子は自分の予想があたっていたことを確信した。
(やっぱり、魔人族の人達は神の本性をもう知っているんですね)
人間族と魔人族が今も争いを続ける理由。それはお互いの信仰する神の違いだ。自分達の崇める神こそが世界を統べる唯一神として認めず、それ以外の一切を排除しようとする戦い。
“豊穣の女神“の設定は、あくまで天が遣わした現人神。つまりエヒトが送った使者という位置づけだ。だからこそ、人間族は特に嫌悪感を持つこと無く“豊穣の女神“を受け入れた。
しかし、それはアルヴを信仰する魔人族には受け入れられない事実の筈だ。
彼らからすれば、ただでさえエヒトという偽神に加えて、更に神を驕る存在が現れたのだ。そのことに不快感や嫌悪感を感じてもおかしくはないが、魔人族からは困惑や疑念といったものはあれど、頭ごなしに拒絶されている様子は無かった。
つまりそれは、既に神の本性を知り得ているという証拠に他ならない。
愛子はちらりとフリードに視線を向ける。
(この人は全部話したんだ。あの場で起こったことを。その上で、こんなにも大勢の人達がついてきている)
愛子の想像通り、フリードは魔人城であったことを部下や民達に包み隠さず公開した。
あの場で見聞きしたことを心の内に留め、今まで通りに振る舞うことももちろん出来た。しかし、神の救いがあると信じていては人間族との同盟には賛同されない。そんなことをしなくとも、
何よりも、フリードは自分自身を許せなかった。
同胞の達が何に脅かされることもない、安心できる国を作りたかった。それだけが望みだった。それを叶える為の力を求め、手に入れた。
その筈が、いつの間にか神の意思なら仕方がないと守るべき者を安易に切り捨てようとした。そのせいで大勢の罪なき者が死んでいった。操られていたからといって許されることではない。
だからこそ、すべてを打ち明けた。
神の真実。自身の過ち。その全てを。
たとえ全ての同胞から恨みを向けられようとも、未来に自分の姿が無くとも、魔人族の存続が叶うならばそれで満足だった。
だが、彼らはそれでもフリードを受け入れた。恨みもした。怒りも覚えた。でも、それ以上に彼らはフリードに感謝していた。たとえ操られていたとしても、彼はいつでも戦いの最前線に居た。部下を置いて、一人危険な大迷宮に挑んだ。
確かに多くの同胞が命を落としたのかもしれない。だが同時に、それ以上の同胞がフリードに救われた。
彼らは従う。自分達が命を預けるにふさわしい最高の将軍に。
(魔人族の人達だって人間族に何も思わない訳じゃない。人間族が真実を知らないことを知れば、必ず態度に出る)
仮に愛子が再び口八丁で人間族を鼓舞したとしても、真実を知る魔人族と共にしていけば、それがいずれ歪みとなる。
真実を知った上で戦う魔人族と真実を知らされずに戦う人間族。
同盟とは互いが平等でなければならない。人間族だけが真実を知らない状態で続けば、必ずどこかで不和が生まれる。
(人間族も真実を知らなくちゃいけない。同じ土俵に立てないと同盟なんて組めない)
多少荒療治でもここで人間族の認識を変えなくてはならない。
その為にも……
「全ては偽りだったんです。私達も、彼らも……みんな騙されていたんです」
言葉を失う彼らに、愛子は自分の知る全てを伝えていった。
◇ ◇ ◇
「い、いい加減なことを言わないでください!!」
「そ、そうです!! いくら貴方と言えどもエヒト様を侮辱するなど許されることではありませんよ!!」
誰もが話を呑み込めず、縋り付くようにそれを否定する。愛子の目の前に広がる景色は、ある意味当たり前の光景だった。
「信じたくない気持ちは分かります。ですが、全て真実です」
「〜〜ッ!! リ、リリアーナ様! 違いますよね!? エヒト様がそんなこと……!!」
「そ、それは……」
兵士達からの追求にリリアーナは狼狽えて言葉が出てこない。
ここで「それは間違いだ」と言うのは簡単だ。だが、それは王女と“豊穣の女神“で完全に袂を分かつこととなってしまう。しかし愛子を肯定してしまえばそれこそ人間族の結束が揺るぎかねない。
「リリアーナさん」
そんなリリアーナに愛子が声を掛けた。
「どうか、私を信じてください」
「……」
常識で考えれば、嘘をつくことが最善だ。トータスで生まれた者にとって、エヒトは人間族を導く唯一にして至高の神だ。真実を知ったリリアーナでさえ未だに心の底では受け入れられない部分もあるのだから。
しかし、それで今を乗り切れたとして、その先はどうだ?
魔人族は既に真実を受け入れている。仮に戦いに勝利出来たとして、世界の流れに真実から目を背け続けていく人間族が置いていかれないと言えるだろうか。
世界を守れたとしても、その先に人間族の未来があるのか。
「……愛子さん」
「はい」
「信じて、いいんですね?」
「はい!!」
はっきりと頷いた愛子の姿を見たリリアーナは小さく息を吸い込むと、兵士達に向き直った。
「愛子さんが仰ったことは、全て真実です」
「「「なっ!?」」」
「国民の皆さまを欺いてきたこと、深く謝罪いたします」
頭を下げるリリアーナに続き、愛子も頭を下げる。
実際に彼らに偽りを吹き込み扇動していたことは事実。そのことは撤回のしようもない。
「……ふざけんな」
一人の兵士がポツリと溢した。
「俺達を騙してたのか!!」
「王族が国民を謀ったのか!!」
「エヒト様がそんな訳あるか!!」
「異端者……そうだ、異端者だ!!」
「神に背く異端者共がっ!!」
途端に二人めがけて心無い罵倒がぶつけられる。
一部の騎士や兵士達は彼らを宥めようとするも、不安や怒りが伝播していき、今にも爆発しそうに膨れ上がる。
その勢いなのだろう。拳を握りしめて怒りに震えていた兵士の一人が地面にこぼれていた瓦礫の欠片を拾い上げた。
「この、裏切り者がぁああ!!」
「リリアーナ様!!」
投げつけられた瓦礫はリリアーナに一直線に飛んでいく。突然の凶行にクゼリー達の反応が遅れる。避けられないことを悟ったリリアーナがぎゅっと目を瞑る直前、その視界に小さな影が割り込んだ。
「うぐっ!?」
「あ、愛子さん!?」
「……あっ」
リリアーナの前に割り込んだ愛子の額に瓦礫の欠片が直撃した。慌てて駆け寄るリリアーナに支えられる愛子の額からは、瓦礫で切ったのかダラダラと真っ赤な血が流れてくる。
投げた本人も本心では傷つけるつもりは無かったのだろう。その光景に固まり、罵倒をしていた他の兵士達も思わず言葉に詰まる。
「愛子さん!! 血が!!」
「だ、いじょうぶです。これくらい何とも……」
リリアーナに支えられながら立ち上がった愛子はぐるりと王国の兵士達を見回した。
「私は皆さんを救う力なんて持ってません。本当は一人じゃ何も出来ない情けない大人なんです」
突然の独白に人々が動揺する。
「この世界のことを全然知らないし、正直、人類が滅亡するなんて聞いても未だに実感がありません。私達が居た国には争いなんかなくて、自分が明日殺されるかもしれないなんて考えたことありませんでした」
無論、元の世界でも人は大勢死んでいる。それは病だったり、事故だったり……原因は様々だが毎日人は死んでいる。でもそれは、自分とは関係がない遠いどこかの話で身近に感じることは非常に少ない。
「……でも、死ぬんです。このままじゃ、私も、人間族も、魔人族も……みんな……みんな居なくなっちゃうんです」
初めて身近に死を感じた。どれだけ目を背けても、会得した魂魄魔法がそれを否定してくる。肉体的に死ぬ、とは少し違うかもしれない。でもきっと自分が自分じゃ無くなるような、そんな感覚。
「……だ、だからって!! 家族を殺した奴らと肩を並べるなんて──」
「私はっ!!」
兵士の言葉を遮り、愛子が声を上げる。
「私はまた、家族と会いたい!!」
死ぬかもしれない。自分が壊れるかもしれない。そう考えた時、最初に頭に浮かんだ恐怖。
もう二度と、家族に会えないかもしれないという恐怖。
「このままじゃ、私達の大切な家族が、友人が、仲間がまた居なくなっちゃうんです!! もう会えなくなっちゃうんです!!」
恨んだ、妬んだ。家族を殺しておいて今更なんだと。やり直す選択肢など無いのだと。誰もがそう思っていた。もう会えない家族との思い出に悲しみ、その怒りを魔人族にぶつけた。
「でも、私達はきっと手を取り合える筈なんです!」
「一体何を根拠に……!!」
「だって皆さんが怒りをぶつけてるのは、
千年にも及ぶ人間族と魔人族の争い。その原因は信仰する神の違い……だった。
「魔人族の方達を見た時、誰かエヒトの名を口にしましたか!? アルヴ教を蔑みましたか!?」
ぶつける恨みは、抱く憎しみは、どれも家族や仲間を奪われたことに対する憎しみだった。
「一緒なんです!! 人間族も、魔人族も。大切な人を想う心はみんな一緒なんです!!」
互いを憎しみ合った二つの種族。その根幹にある誰かを想う心はどちら変わらない清廉なものだった。
「その大切な人達が、今危険に晒されてます!! 全部無くなっちゃうんです!!」
歪みは取り除かれたが、降り積もった怨嗟は残った。だが、それに足を取られていては手が届くものも届かなくなってしまう。
「お願いします!! どうか、どうか剣を収めてくれませんか!! 人類の為に!! 何よりも、側にいる大切な人達を守る為に!!」
愛子の叫びが響き渡る。
「私達が手を取り合うことを、どうか許してください!!!」
小さな身体から発せられた魂の叫び。それを「信じられるか!」と一喝することは簡単だった。でも誰もそれを出来なかった。
魂魄魔法“
土壇場で無意識に愛子が編み出した新たな魂魄魔法。その内容は自身の魂の開示。
心の奥底の本音を曝け出し、相手に伝える魔法。ただそれだけの力。
もし愛子が心の何処かで彼らを利用しようと考えて場合、それも余すこと無く彼らに伝わっていたことだろう。しかし、今の愛子のそんなつもりは一切無い。
心の底から家族の為。そして、この先居なくなってしまう誰かの為。その為に愛子は頭を下げる。
「おいおい、俺の居ないとこで盛り上がってるな」
誰も口を開けないでいる中、強い口調で兵士達を掻き分けて進んでくる男が一人。
「ガハルド陛下……?」
「よう、女神様。あんた見た目と違って中々言うじゃねぇか」
気軽に片手を上げて答えたガハルドは、愛子の側まで近寄るとくるりと背を向けた。
「そういうのは嫌いじゃねぇ」
「……え?」
目を見開く愛子にニヤリと笑みを浮かべたガハルドは声高に宣言した。
「ヘルシャー帝国は魔人族との同盟に賛同する!!」
「「「なぁっ!?」」」
「問題ねぇな? 魔人族の将軍殿?」
「こちらとしては是非もない」
「つーわけだ!! 文句はねぇなお前ら!!」
「貴方が決めたのなら、我々は従うのみです」
ガハルドの声に帝国の鎧を来た一団を率いる先頭の男が頷いた。
「あ、あの……!」
「良い啖呵だった。
「〜〜っ! ありがとうございます!!」
「で? そっちはどうするんだ? リリアーナ嬢?」
「……私には陛下のようなカリスマも実力もありません」
「おいおい、ここまで来て──」
「ですが、他人任せにするつもりもありません……貴女のおかげです。愛子さん」
愛子に小さな笑みを向けたリリアーナは王国の兵士達に顔を向ける。
「従えとは言いません。強制も従順も求めません。ですが、もう一度だけ私を信じて頂けませんか? 大切な人を守る為に皆さんの力をどうかお貸しください」
誰もが戸惑う中、最初に答えたのはリリアーナが心の底から信頼する女性騎士だった。
「元より、この剣は貴女様の為に」
「クゼリー……」
「お供します。たとえそこが地獄の底であろうとも」
クゼリーに続くように彼女の部下の騎士達がリリアーナに忠誠の礼を取る。
その姿を面白そうに見ていたガハルドが背後に立ちすくむ王国の兵士達に声を荒げた。
「おら、てめぇら!! ここまで言われててめぇらはまだ見てるだけか!? 怖ぇんだったら尻尾巻いてブルブル震えて引き籠もってな!!」
「……馬鹿にしないでもらいたい」
「ああ? 聞こえねぇよ。腹から声出せ!!」
「ッ! 王国の民を守るのは我らの仕事!! 皇帝陛下と言えども、お譲りする気はありません!!」
「そうだ、俺達が、俺達の手でみんなを守るんだ!!」
「ああくそ、やってやる! やってやるよ!!」
「守るんだ! これ以上、大切な人を失ってたまるか!!」
熱が伝播するように、その想いは王国の兵士達に瞬く間に広がっていく。全ては大切な人を守る為に。
「〜〜っ!!」
込み上げてくるものを抑え込み、リリアーナは愛子達に振り向いた。
「ハイリヒ王国は魔人族との同盟に賛同いたします!!」
「リリアーナさん、ガハルドさん……」
「感謝する」
「よし! じゃあ、女神様よ。いっちょ景気づけに一言頼むぜ?」
「……え!? 私ですか!?」
「たりめぇだろ。あんたがやらねぇで誰がこの場を締めるんだよ」
「愛子さん、よろしくお願いします」
「私からも頼む」
三国のトップから任された愛子は僅かに動揺するも、口元を引き絞って顔を上げた。
「敵はとても強大です。間違いなく苦しい戦いになることが想定されます」
もう逃げない。与えられた責任から。
「ですが、私は……私達は諦めません!!」
それしか出来ないからじゃない。
「絶対勝ちましょう!!」
それが私のやるべきことだから。
◇
広場を包み込むような雄叫びは、成り行きを見守ってたハジメ達の元にも届いていた。
「凄い……本当に……」
「だから言ったろ? あの人なら大丈夫って」
「ああ。俺はまだ先生の凄さを分かっていなかったみたいだ」
「……うし、ティオ」
「なんじゃ?」
「
主語の抜けた言葉にほとんどの者が首を傾げるが、ティオだけは苦笑を溢した。
「やはり気付いておったか」
「お前なら一週間を無駄に過ごすなんてことはないだろうと思ってな」
「ご主人様とシアは無駄に過ごしたがの」
「……悪かった」
「ふふ、冗談じゃ。推察通り、既に近くまで来ておる。流石にいきなり姿を見せては混乱するかと思っての」
「上々だ。これで
「ん? 四とな? ご主人様、彼らは……」
「他の奴らはどうか知らんが、少なくともあいつらは逃げ延びたようだな。そこら中から気配がしてる」
「……ッ!? ハジメさんまさか!?」
他の面々と同じように終始頭にはてなを浮かべていたシアが何かに気付いたように声を上げる。
「これでようやくスタート地点だ。随分出遅れたが……」
──ここから巻き返すぞ。
>オリ主モノなのに、オリ主がもう八話も出てない件について。
流石に出なさすぎて何か体が痒くなってきた。早く……早く続きを……