昔はよく泣いていた。
臆病で気弱な私は、嫌なことがあるといつも家族の後ろに隠れた。
お姉ちゃんはあまり表情の変わらない人だったけど、頭を撫でてくれる手付きはいつだって優しかった。
お母さんはどんな時も笑顔を絶やさずに、私を暖かく包みこんでくれた。
それだけで私は頑張れた。二人の為なら何だって出来た。
でも、ある時夢を見た。お母さんが私の前から居なくなってしまう夢。どれだけ走っても追いつけない。どれだけ叫んでも振り返ってくれない。どれだけ泣いても、いつものように抱きしめてくれない。
『お母さんは、ずっと側に居てくれるよね……?』
不安げに問いかける私を抱きしめながらお母さんは言った。
『そうね……ずっと、は無理かもしれない』
その言葉に泣きそうになる私に、お母さんは『でも』と続けた。
『私が居なくなっても、きっと大丈夫』
『どうして……?』
『そんなの決まってるさ。ピンチのお姫様を救うのは、王子様って決まってるんだよ』
その言葉は今でも鮮明に覚えている。
『貴女が心の底から助けを求めた時、応えてくれる人が必ず居る』
──だって、世界はとっても広いんだから。
◇ ◇ ◇
「……王子様なんて居ないよ、お母さん」
神域の玉座にて、エルフェウスは小さく呟いた。
何度助けを求めても、応えてくれる人は居なかった。
何度手を伸ばしても、掴んでくれる人は居なかった。
「なら、自分でどうにかするしかないよね」
だからこそ、エルフェウスは自らの手で幕を下ろすことに決めた。その先に広がる未来を夢見て……
「……エルフェウス」
「分かってます……始まったようですね」
「私達はお前に言われた通りの位置で待ってれば良いんでしょ?」
「はい。地上で終わるようならそれで良し。もしここに来るような直接叩く。戦況は?」
「完全に向こうの防戦一方」
「何とか耐えてるみたいだけど、あれじゃジリ貧だね」
「……彼らは?」
元々トータスの戦力だけでは神の軍勢を相手取ることは出来ない。防戦一方とは言え、戦いとして成立するだけでも奇跡だろう。そして、注意すべきはその奇跡を生み出した存在。
「……前線には出てきてない。索敵範囲には居ないみたい」
「ふむ……」
アレーティアの報告を聞いたエルフェウスは首元のネックレスを手に取り、集中するように瞼を閉じる。
(……やはり、何も感じない)
ハジメに渡したネックレス型のアーティファクトを通して周囲の状況を把握出来る筈のそれは、数日前より一切反応を示さなくなっていた。
(流石にもう捨ててますか)
エルフェウスは力任せにネックレスを引きちぎると、ぐしゃ、と握りつぶした
「各員は戦闘を続行。ただし、彼らが現れたらそちらの対処を優先するように」
何を考えているのかは知らないが、どんな手段を講じようとも彼らに残された希望は南雲ハジメとその仲間達だ。
そこさえ潰してしまえば勝負は決まったと言って良い。
トータスの人間がどれだけアーティファクトで装備を固めようとも、彼らでは状況を打破することは出来ないのだから。
「──と、あいつは考えてるだろうな」
ドローンから送られてくる映像から戦況を確認しながらハジメは呟いた。この場にはハジメを含め、神山に赴いた面々が揃っている。
「いくら俺が手を加えようとも限界はある。精々が全滅しないように粘るのが限界だ。絶対に奴らが負けることはない。だからこそ、お前は持てる手段で最高の結果を手に入れようとする」
「あの、ハジメさん? 本当に大丈夫なんでしょうか? 正直かなりの賭けのような気がするんですが……」
「当たり前だろ。博打も博打。大博打だ。そもそもこうでもしないと勝機はねぇよ」
そう言い切るハジメに、鈴が悲しそうに口を開く。
「……恵理が居てくれたら」
そう呟く鈴の周りに、見慣れたボブカットの少女は居なかった。リリアーナに伝言を残した後、彼らもここ数日の慌ただしさで話をしに行く余裕も無かった。結局決戦日まで彼女が姿を現すことはなく、鈴は後ろ髪を引かれながらも王都を後にした。
「いねぇ奴なんざどうでもいい」
恵理の“契約の首輪“を作ったハジメだったが、来るかどうか分からない奴を作戦に組み込むことなどしていない。来たら来たで少しは便利になるか、程度の認識だ。
「それより集中しろ。合図が来たら即動くぞ」
「う、うん!」
全員が固唾を呑んで見守るドローンの映像では今この瞬間も一人、また一人と兵士達が地に沈んでいく。
その光景に、ハジメはエルフェウスの今までの言動を思い出して、一つの推測を口にした。
「やっぱり
◇
ライセン大峡谷上空。
トータスの大陸を二分するその地にて、今まさに人類の命運を左右する戦いが繰り広げられていた。
大峡谷上空に鎮座する“
その身はこの世界では馴染みのない武装で固められているが、全員が共通して身につけているものがあった。
──魂魄防護アーティファクト ゴスペル
小さな宝石がはめ込まれたブレスレット型のアーティファクトは、“熾天使の唄《ララバイ》“による精神汚染を防ぐ為に連合軍全員が身につけているものだ。これがあって初めて彼らは戦いの土俵に立つことが出来る。
「戦況は?」
国境監視塔で戦場を見回していたリリアーナが口を開いた。
「既に前線のいくつかの隊は沈黙。尚も被害は拡大しています」
「沈黙……ゴスペルを破壊された、ということですね。ハジメさん。どうやら賭けは私達の勝ちのようですよ」
兵士からの報告を受け取ったリリアーナにタイミング良く念話が届いた。
『おう、リリアーナ嬢。半信半疑だったが、マジで言った通りになったな』
『最初に聞いた時はまさかとは思ったが……』
『ああ、後は発動のタイミングだ』
現状、連合軍は部隊を四つに分けている。
“
「もう少し……あと少し……!!」
空を自在に飛び回る使徒達を睨みつけながら、リリアーナは歯を食いしばった。
飛翔能力により無条件で制空権を取る敵に対し、竜人族と使役した竜型の魔物を操る魔人族が何とか均衡を保っているが、人間族と亜人族は空に対する有用手段を持ち合わせては居ない。
その穴埋めとして数による物量と銃型アーティファクトによる銃撃で凌いでいる、しかし、使徒達の猛攻は激しく、次々と兵士達が倒れていく。彼らは一時的な“限界突破“で本来の実力を大きく超えた力を発揮しているが、それでも神の使徒には届かない。
トドメと言わんばかりに、更に大量の使徒達が流れ込んでいき、おおよそ使徒の全戦力の半数程が制圧に動いた。
それを確認したリリアーナは叫んだ。
「今です!!」
リリアーナの号令と同時に、各戦場を指揮する頭達がそれぞれ手に持っていた丸い水晶を砕いた。
その瞬間、砕けた水晶を中心とした半径一キロにも及ぶ円形の障壁が出現した。
「これは、結界? 無駄なことを」
結界に囚われた使徒の一人は、徐ろに手をかざすと“分解“を放とうとする。
「何故……?」
しかし、彼女の思惑に反して魔法は発動せず、結界は何事も無かったかのように展開し続けている。
「驚いたか?」
どういうことかと目を見開く使徒に、ガハルドが悠々とその姿を見上げた。
「何でもこいつは魔力を喰らって強度を増す結界らしい」
「貴方達程度の魔力で私達の攻撃が防ぎきれるとは思いませんが……」
「まあ、そうだろうな……魔力を喰われるのが
「……まさか」
ガハルドの言葉にある可能性がよぎった使徒は自らの手のひらを凝視した。すると、今この瞬間にも自らから魔力が漏れ出していっていることが見て取れた。
──生体リンク障壁機構 サクリファイス
その効力は、発動時その結界の内側に居る者達の魔力を糧に生成される大型結界だ。発動を維持させるためには常に魔力を供給し続けなければならず、魔力を多く保有している者程その影響は大きく、また結界の強度も増していく。同時に結界内での魔法の行使も不可能に近い。
「
「なるほど。この結界を維持させる為に私達をおびき寄せたという訳ですか。ですが、私達を一時的に捕らえた所で何が出来るというのです?」
「別に構わねぇよ。一時的にでも捕まえるのが目的だからな」
ガハルドの言葉に眉を潜めていると、突然今まで感じられなかった魔力が膨れ上がるのを感じた。
「さっさとぶっ潰してこい、南雲ハジメ!!」
◇
「ええ〜」
その報告に、エルフェウスは呆れたような声を上げた。
戦力差は圧倒的だ。その上で結界で両陣営を閉じ込めるということは虎と蟻を密室に閉じ込めるようなものに近い。しかも蟻の中には一般兵だけでなく、リリアーナを始めとした各種族の長達が含まれている。勝利の先を見据えるのならばその犠牲はこれからの未来に影響が大きすぎる。
「まさか、
だから彼らは賭けに出た。エルフェウスが自分達を殺しに来ないという賭けに。
エルフェウスは人類の魂を鹵獲することでこの世界を平定しようとしている。それならば、必要最低限の損失で納めようとする可能性がある。
あまりにも危険な賭けだが、事実、倒れた兵士達は致命傷を与えられた訳では無く、“ゴスペル“を破壊されたことで眠りに落ちてしまっただけだ。
今最大に警戒すべきはハジメ達。他は後でどうとでもなる。そう考えていたからこそ、そこを突かれた。
「まあ、戦力を分散させた程度でどうこう出来る訳でもありませんし。”
──
「…………………………え? 出来るの?」
“
「はい、もちろん」
ニッコリと笑みを浮かべた。
◇
結界が東西南北の四箇所で展開されたことを確認したハジメ達はスカイボードを“
「ここは通しません」
“スカイボード“の進行を妨げるように展開する使徒を目にしたハジメは懐から宝珠を取り出した。
「命令を実行するだけの木偶人形が……失せろ」
直後、直径五十メートル程の三つの光の柱が使徒目掛けて落とされた。
「ちっ、本来は七機の予定だったんだがな」
──太陽収束型レーザー パルスヒュベリオン
本来の設計では合計七機のパルスヒュベリオンによる殲滅を目的としたものだが、時間と材料の不足により、三機での運用となった。しかし、その威力は折り紙付きだ。使徒の銀翼による“分解“すら貫き、地上に傷跡を残していく。
その軌道はジグザグと大地を削りながら“
「あれが魔力による攻撃の完全反射とやらか……何だ?」
ミレディの忠告を思い出したハジメが顔を顰めていると、ピリッと何かが肌を焼くような違和感を感じた。
「ッ!?──避けてくださいッ!!」
前触れは無かった。吉兆も無かった。
それでも彼らが生きていられたのは、“未来視“という
彼らの頬を掠め、視界を灼くのは、実に数百にも及ぶ閃光の放出だった。
「どういうことだ、あの
「絶対ぶっ潰します!! 捻り潰します!! 少しは感謝した私が馬鹿でしたぁ!!」
「気持ちは分かるがそれは後じゃ!! 今は回避に専念するのじゃ!!」
光弾の一斉照射は逃げるハジメ達の背を追走し、光弾の弾幕の隙間を縫うような攻撃を繰り出す使徒の大群に徐々に目的の地から離されていく。
これ以上離される訳にはいかないと、光輝が聖剣に光を纏わせ、ハジメがメツェライ・デザストルを取り出した。
「邪魔をするな!!」
「纏めて落ちろ!!」
扇状に閃いた刃が近づく光弾を軒並み撃ち落とし、その隙に装填を完了した六砲身のガトリングが咆哮を上げる。
空を覆う壁のようにハジメ達に迫っていた使徒達を粉砕し、こじ開けた道を一気に駆け上る。
そして──
「──は?」
その先で待ち受けていた天使像と
天使像の顔を覆う翼。それがいつの間にか開き、燃えるような紅い瞳がハジメ達を見つめていた。
『
紡がれる言葉を理解出来ずとも、その意味が頭の中に流れ込んでくる。
『
不快感はない。ふわりとした浮遊感と全能感がその身を包み込む。
ぱきんっ、と“ゴスペル“に一筋の傷が刻まれた。
『
>全人類囮大作戦。
わざわざ手間かけて眠らせるくらいだから、なるべく殺さず無力化したいだろ、というルーレットで数字単体に全財産掛けるくらいの暴挙。
>普通に迎撃してくるんだけどミレディさん。
いや、嘘ついてないよ!? ほんとに迎撃能力は無いって言ってたんだよ!? え? 誰が言ってたかって? そりゃ、エルフェ、ウ……ス……