翌日、オルクス大迷宮入り口前。
メルドたち騎士団員に率いられたハジメたちは、オルクス大迷宮前の受付窓口の周りに集まっていた。
本来ならば一人一人ステータスプレートを含め、入念なチェックをした後、とっくに迷宮に足を踏み入れている予定だったのだが、彼らはとある理由から足止めを食らっていた。
どうやらハジメたちが着く少し前に、ステータスプレートを所持していない不審な男が無謀にも迷宮に乗り込もうとしたらしい。無論、受付の人間に止められたのだが、それでも諦めようとせず口論になっていた。
今、メルドたち騎士団員はその対処に向かっている。騒いでいる人間はいかにもカタギじゃありませんという風貌をしているが、まさかこの場に騎士団の人間が居るとは思わないだろう。
騎士団の人間の姿を見た周りの民衆も、男が拘束されるのは時間の問題と誰もが疑わなかった。
『うっせぇ!! 騎士団が何だってんだ!! 邪魔するならぶっ殺すぞ!!』
まさか、ナイフを取り出して襲いかかってくるとは思わなかった。
メルドが慌てて男を押さえつけるも、男は一切大人しくする気配が無かったため、念のため、駆けつけた衛兵と共に牢屋まで連行することになった。現地の衛兵に任せても良い案件ではあったが、そこはメルドの人柄だろう。
少しだけ待っていてくれ、と一言告げられ、今はそのメルドたちが戻ってくるのを待っている最中だ。
誰もがクラスメイト同士でこれからの迷宮探索に心躍らせている中、集団から少し外れたところでハジメは一人佇んでいた。
「あの連行された人、何か変だったな」
てっきり酔っ払いか何かの悪ふざけだと思っていたハジメだったが、それにしてはその表情に違和感があった。男がメルドたちに引きずられていく最中も……
『離せよ!! 俺は迷宮に入らなくちゃいけないんだ!!』
『じゃないと、じゃないとちゃんと殺してくれないんだよ!!』
『なあ、頼むよ!! 行かせてくれよ!! 頼むからさぁ!!』
と、意味のわからないことを口にしていた。周囲の人々は何か危ない薬でもやったのかと口々に話していたが、ハジメには、男が本気で何かに恐怖しているように見えた。
「それに、“迷宮に入らなくちゃいけない“とか……」
まるで、
「……て言うか“ちゃんと殺してくれない“って、死にたいってこと?」
「何のことですか?」
「ッ!?……はぁ、気配を消して声を掛けるの止めてくれない、エルス?」
「あれ、バレました?」
後ろから突然声を掛けられたことに少し驚いたハジメだったが、今までの経験とその声色から、該当する一人の少女の名前を口にすると、案の定後ろからひょっこりと姿を現す一人の修道女の少女。
「そりゃ、何度もやられたら慣れるよ」
「むう、それは残念ですね。では、バリエーションを増やしておかなくては」
「増やさなくていいから」
妙なところでやる気を出し始めるエルスに、ハジメが溜息をつく。
「ところで、これは何の騒ぎですか?」
「ああ、何かステータスプレートを持ってない人が無理矢理迷宮に入ろうとしたみたいでさ」
「へぇ、昔は迷宮に度胸試ししようとする人はたくさん居たみたいですけどねぇ」
「そうなの?」
「はい。と言っても、今はステータスプレートの開示などのチェックが厳しくなったのでほとんど居なくなったそうです」
エルスの豆知識にハジメは感心するように頷く。普段はその儚げな容姿に反してかなりアグレッシブな言動をすることが多い彼女だが、何だかんだ様々な方面の知識に対して博識なのは認める他ない。
「ですが、ハジメ様がまだ居てくれたのは僥倖でした」
「僕に用があったの?」
「はい。これを渡しておこうと思いまして」
そう言ってエルスが懐から取り出し、ハジメに差し出したのは、中心に小さな翡翠色の鉱石が埋め込まれた簡素なネックレスだ。
「お守りです。差し上げます」
「ええ!? 貰えないよ、こんな綺麗なもの!?」
「ハジメ様は翡翠の石言葉、ご存知ですか?」
「い、石言葉?」
残念ながら、石言葉なんてハジメは一切知らない。元々占いとかそういう類のものにも興味が無いのだ。
「繁栄・長寿・幸福・安定です」
「えっと……それが?」
「察しが悪い男性はモテませんよ?」
やれやれと言った風に首を振ったエルスはハジメの前に指を一本ずつ立てていく。
長寿。命を落とすこと無く、無事帰って来られるように。
幸福。香織様の見たような不幸が訪れることが無いように。
安定。迷宮内で何もアクシデントに見舞われないように。
「……繁栄は?」
言外に、最後の一つは迷宮探索に関係ないのでは?と告げるハジメに、エルスはにやりと悪い笑みを浮かべながら4本目の指を立てて──
「繁栄。無事帰還し、昨晩の続きが出来ますように」
「なっ!?」
ハジメの耳元に口を寄せ、妙に艶めかしい声で囁くエルスにハジメの顔は茹でダコのように真っ赤に染まった。
「あらあら、ハジメ様、お顔が真っ赤ですよ?」
「エルスが変なこと言うからでしょ!?」
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべるエルスに、ハジメは激しく高鳴る心臓の鼓動を無理矢理押さえつけてジト目を送る。
「はぁ、いい加減僕をからかって遊ぶのは止めてよ」
「からかって、ですか?」
首を傾げるエルスの姿を、ハジメは改めて観察する。
見れば見るほど、自分なんかとは釣り合わないほどの美少女だ。ハジメは自己評価が低く、自分のことを良くて平凡なモブキャラ程度の容姿だと思っている。運動や勉強が出来るわけでも無く、人付き合いがうまいわけでもない。背も低いし、身体づきもモヤシのように華奢だ。
ハッキリ言って、自分の隣なんかよりも光輝や香織が居るグループに混ざっている方が自然だ。自分との関係も、偶然最初に地球のことを教えたのが自分だっただけに過ぎない。
まだ一週間程度の付き合いだが、彼女の性格を考えるに、自分が女性に耐性が無いことを比喩って遊んでいると考えるのが妥当だろう。
「ハジメ様、ハジメ様」
そんなネガティブなことを考えていると、突然エルスがちょいちょいと手招きをしてきた。
「え、何?」
「少しお耳を拝借」
周囲を気にしながらそんなことを告げてくるエルスに、不思議そうにしながら、言われるままに横を向いたハジメは耳をエルスに近づける。
──その瞬間、フワリと鼻孔をくすぐる甘い香りと同時に、柔らかな感触を頬に感じた。
「……へ?」
僅かに遅れて聞こえた小さなリップ音。
「これで分かって頂けましたか?」
そして、いつも通りの悪い笑み。しかし、うっすらと赤みを帯びたエルスの頬が、何よりもその感触の正体を物語っていた。
「……………」
あまりの衝撃に、ハジメフリーズ。
二次元を愛し、早17年。生まれてこの方、母親以外の女性と触れる機会など、片手で数えられる程だったハジメにはそれは刺激が強すぎた。
「ハジメ様は私が誰にでもこんなことをする痴女に見えますか?」
「い、いや……そんなことは……」
「好意を抱いていない殿方の部屋に夜遅くに訪ねたり、ベットに潜り込んだりするとお思いですか?」
「思って……ないです……」
「分かって頂いて良かったです」
ニッコリと笑みを浮かべるエルスに、ぷしゅうぅと頭から湯気を吹き出しながら、ハジメはただ頭を縦に振ることしか出来なかった。
「な、何で僕なんかを……」
「何で、と言われても。人を好きになるのに理由なんて必要ですか? それと“僕なんか“と自分を卑下なさらないで下さい。貴方はご自身が思っている以上に素敵な男性ですよ?」
「それは……」
「と、いうわけで、これ。受け取って下さいますね?」
反論は受け付けないと言わんばかりに目の前に突きつけてくるネックレスを、ハジメは躊躇いながらも受け取った。
「迷宮内では、そのネックレスを私だと思って大切にしてくださいね」
「……ははは。うん、ありがとう」
後ろ手を組んで、茶目っ気を感じさせるエルスに苦笑いを浮かべながらも、ハジメはしっかりと頷いた。
「すまない、待たせた! 集まってくれ!!」
その時、広場に響く大声にハジメとエルスが視線を向けると、いつの間にか戻ってきていたメルドがクラスメイトたちに集合をかけていた。
「ごめん、もう行かなきゃ」
「そのようですね……ハジメ様」
「ん?」
「迷宮内ではいつ何が起こるか分かりません。十分お気をつけて」
「……うん、行ってきます」
背を向けて駆けていくハジメを見つめていたエルスは、徐ろに両手を胸の前で合わせた。
「ご武運を」
その後ろ姿は見た者は後に語る。
それは正しく、戦地へ赴く恋人を見送る淑女そのものだったという。
もし、その少女を正面から見ていれば、また違った感想だったのかもしれない。
◇ ◇ ◇
騎士団に率いられた勇者一行がオルクス大迷宮に突入したのが約30分前。
エルスは一人、オルクス大迷宮の付近に建てられている拘置所にて、笑みを浮かべながら足元を見つめていた。
そこに居るのは、喉が切り裂かれ、無惨な姿に変わり果てた男の姿。しかし、その惨状に反して、男の表情はとても安らかなものだっだ。
『やっと終わらせてくれるのか? ああ、ありがとう! 本当にありがとう! 俺を殺してくれてありがとう!!』
男は命を奪われたのではない。今まさに、エルスによって地獄から解放されたのだ。生き地獄という終わりのない苦痛から。
「ふふふ、やっぱり感謝されるのは気分が良いですね」
男は世間一般で言う、最低な部類に入る男だった。日がな一日酒を飲み歩き、むしゃくしゃすれば、浮浪者や気の弱そうな男に絡み、暴力を振るうのが当たり前。女を脅してそういった行為を強要したこともある。
そんな男が、最後は
「流石私。神の使徒に相応しい働きでした」
良いことをした、と気分良くそのままエルスは男の死体に背を向けて拘置所を後にする。
出口で牢屋の監視をする衛兵と目が合うが……
「お疲れ様です、
「予想通り、何かしらの薬品を接種しているようだな。後数時間はまともに話も出来ないだろう」
「やはりそうでしたか」
「下手に関われば何をされるか分からん。しばらくは誰も入れないようにしておけ」
「了解しました。お手を煩わせて申し訳ありません」
「気にするな」
修道服を着るエルス相手に、まるで上司に接するかのような態度で敬礼をする衛兵の肩をポンポンと叩き、その場を後にする。
“魅了“──それは真の神の使徒全員が持つ固有魔法の一つ。対象を洗脳し、自身の思い通りに動く傀儡に変えてしまうという恐ろしい魔法だが、エルフェウスはこの魔法をあまり好んではいなかった。
確かに便利ではあるが、“魅了“を受けた対象は命令を忠実に実行しようとするあまり、性格が豹変してしまう。そのため、対象の親しい人間からは違和感を持たれてしまうことが多い。
“魅了“をかける対象は、権力者が多いことから、多少の違和感は封殺出来てしまうのだが、まるで脳筋のような方法が好きではなかったのだ。
故に生み出した派生魔法──“誘導“
対象の無意識下に干渉し、深層心理に浮かんだ想像や思考を現実の光景に投影させる魔法。
簡単に言えば、対象に勘違いを起こさせる魔法だ。
この監視の衛兵も、この魔法の影響を受けていた。
騒ぎを起こした罪人の尋問に来るのは騎士や兵士が一般だ。間違っても修道女が来るわけがない。だからこそ、男には目の前の
「ああいう手合いは自決用の刃物を隠し持ってる可能性があるのでお気をつけて〜」
去り際に小さく呟かれた言葉は、残念ながら衛兵の耳に届くことは無かった。
オルクス大迷宮に挑戦しようと息巻く冒険者。商売に精を出す商人たち。露店目当てで歩き回る大勢の人々。
その誰もが、大通りの中央を歩くエルスに目もくれようとしない。まるで、そこに誰も居ないかのように。
「ああ、ハジメ様……」
そんな周囲の様子を気にすること無く、エルスは一人の無垢な少年に思いを馳せる。
「貴方様のことを知れば知るほど、エルスは胸の高鳴りが止まりません」
最初は物語のイレギュラーとして目をつけていた。邪魔になるようならば、異端者として始末してしまうつもりだった。
しかし、今ではそんな気はサラサラ無い。
イレギュラー? 異端者?
とんでもない。彼こそがこの物語の中心だ。
これからこの世界は彼を起点に回っていくことになるだろう。
純粋な少年だ。この世の闇を知らない真っ白なキャンパスのような少年。
気弱な性格を持つ反面、誰よりも好奇心と思いやりに溢れた存在。
故に──
これから彼には、今までの常識を遥かに超える悲劇が訪れるだろう。
それでも、彼にはそれを乗り越えてもらわなくてならない。いや、乗り越えさせなくてはならない。
何故ならば、彼こそがこの物語を紡ぎ出す、
「愛してます、ハジメ様。貴方様こそ、この素晴らしい物語を飾り付ける……」
──私の
>大騒ぎ男
お前、まだ出番あったんだな。
>“魅了“派生魔法───“誘導“
人の思い込みを反映する魔法と言った方がいいかも。
例えば、自分に好意を抱いてる女性から貰ったお守りが、何か悪意があるものとは微塵も思わなかったり。
>エルスはハジメを愛している
嫁候補がひとり増えたよ。ヤッタネ……。