ハイリヒ王国・王立図書館。
国中の様々な書物が集まる王国随一の図書館は、毎日多くの利用者が現れる。
多くの学者や研究者などの軍関係者から、城下町に住まう一般人まで様々だ。
誰もが黙々と書物を読み漁る中で、香織は一人、本を一冊も手に取ること無く、椅子に腰掛けままぼうっと天井を見上げていた。
「南雲くん……」
その口から無意識に一人の少年の名が呟かれる。
ハジメが奈落の底に姿を消してから、約二ヶ月の月日が経過していた。王国はハジメを正式に死亡扱いと決定を下していた。常識的に考えても生存は絶望的だろう。
オルクス大迷宮は、地下に潜れば潜るほど魔物の強さが増す。その特性からハジメが奇跡的に転落死を回避していたと仮定しても、辿り着いた先は、あのベヒモスすら超えるであろう強大な魔物が蔓延る魔境。
それに加えて、ハジメの実力はクラスメイトの中でも最弱。まともに水も食料も無いであろう状態で、二ヶ月も生き続けることは到底不可能だった。
(大丈夫、きっと大丈夫……)
しかし、香織はハジメの生存を諦めてはいなかった。
生存は絶望的だが、死体を確認したわけでは無い以上、可能性は0パーセントじゃない。
(迷宮の探索を続けていれば、きっと……!)
その先に待つ未来は絶望かもしれない。見つけなかった方が良かったと後悔するかもしれない。それでも、前に進むと決めた。
(今度こそ、私が……)
──守ると決めたのだから。
「香織様?」
そう決意を新たに固めていると、唐突に呼ばれた自分の名前に香織が背後を振り返る。
「……エルス?」
「こうして直接お会いするのはお久しぶりですね」
そこに立っていたのは、この世界でハジメとの距離感を瞬く間に縮め、香織に危機感を抱かせるまでに至った少女、エルスだった。
「香織様……ハジメ様は……」
「まだ……」
「……そうですか。迷宮探索は下層に行けば行くほど危険が高まります。香織様も十分お気をつけ下さい」
一瞬浮かんだ暗い表情をすぐに隠してこちらを気遣うその姿に、香織は罪悪感に胸が締め付けられそうになる。
戦う術を持たず、現場に居なかったエルスと違い、自分はあの悲劇が起こった場に居たのだ。しかも、彼女の前で堂々とハジメ守ると宣言もしている。
そのくせ、おめおめと逃げ帰ってきた自分に恨み言の一つでもぶつけてもいいものだが、エルスは「香織様が無事で良かった」と自分を慰める言葉を口にした。
慣れない化粧で誤魔化しているようだが、その目の下には隠しきれないクマが見える。睡眠もまともに取れていないのだろう。
(そこまで南雲くんのことを……)
きっとたくさん泣いたのだろう。夢であって欲しいと願ったのだろう。
香織は無理矢理笑顔を作る。
「大丈夫! 南雲くんは本当は誰よりも強い人だから、きっと生きてる!! 私が必ず見つけるから、だから……だからね……!!」
だからこそ、自分はエルスの前でだけは泣いてはいけないと、香織は強く思う。
約束を守れなかった自分が、エルスを差し置いて泣くことなど許されないのだから。
「……香織様、ご無理をなさらないで下さい」
「ッ!?──私は全然無理なんて……!」
「そんな今にも泣きそうなお顔でそれは無理があります」
「そ、れは……」
「香織様。私は貴方様を恨んでなどおりません。きっと貴方様のことです。全力を尽くしてくださったのでしょう」
「でも、私は南雲くんを守れなかった」
「香織様は何も悪くありません……それどころか、悪いのは……」
「エルス?」
香織を庇うように言葉を続けていたエルスの歯切れが唐突に悪くなる。
エルスは表情を暗くしながら、何かを迷うような様子で、小さく口を開け閉めする。
それを黙って待っていた香織の表情を見て、何かを決意したような表情になると、エルスが香織の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「香織様にお伝えしなくてはいけないことがあります」
◇
場所を変えましょう。そう告げて移動し始めたエルスの後を追って、香織は王立図書館の奥へと足を進めた。
そして、最奥の扉の前で司書と何かを話した後「こちらです」と促してくるエルスに並んで扉をくぐった。
「……凄い」
そして、その口から思わず感嘆の声が出た。
香織の視界を埋め尽くすような本の山。20メートル以上はある本棚が所狭しと立ち並び、そこにぎっしりと詰められた様々な本の数々。
「ここは王立図書館の中でも希少価値の高い書物が保存されている区画です。本来はそれなりの身分や地位の方でないと閲覧できないのですが、少し伝手がありまして……」
奥へと進んでいくエルスに慌てて香織は付いていく。
「実を言うと、他の人の目が無いところで話したかっただけでここである必要は無いんですけどね」
「それってどういう?」
「この話を誰かに聞かれたら、私は異端者として裁かれる可能性があるからです」
「えっ!?」
驚愕する香織を連れて、人気の少ない区画へとエルスは辿り着いた。
「元々違和感は感じていたのです。何故エヒト様は人間族の救済のためとは言え、香織様方のような関係のない方々を巻き込むようなことを為さったのか」
「それは……」
実はエルスの言うことは、香織も一度は頭の片隅に浮かんだ疑問だ。
教会からは耳にタコが出来るほど、創造神エヒトがどれだけ慈悲深く神聖な存在なのかを聞かされていたが、聞けば聞くほど、それならば何故自分たちを喚んだのだろうかという疑問が湧き上がってきた。
「やむを得ない事情があったとしても、召喚の対象はもっと成熟した大人の方が適任だったはずです。香織様たちの世界は争いのない平和な世界と聞いていますが、国の防衛部隊なるものが存在すると聞きました」
「うん。自衛隊って言うんだけど、私たちのような子供や一般人よりもずっと適任だったと思う」
自衛隊とはあくまで国の平和と独立を守り、国の安全を保つための組織だ。そのため自発的に武力行使を行うことは無いが、それでも防衛の手段として日夜訓練に励んでいるため、“戦う“という意味では、香織たちよりも何倍も候補としては適任だろう。
「それに、ハジメ様は名目上死亡扱いになっておりますが、その対応があまりにも早すぎます。まるで、始めからそうなると分かっていたかのように……」
「え? それってどういう……?」
「ハジメ様の死は、仕組まれたものかもしれません」
「ッ!?」
あまりの衝撃に、香織は口を覆って絶句する。
ハジメが奈落に落ちたのは、ベヒモスに放ったクラスメイトの魔法の誤爆が原因だ。しかし、あの状況自体は檜山の浅慮な行動によって起きたイレギュラーによるもの。それが香織たちの共通の認識だった。
「そもそも、下層に転移するなどという危険極まりないトラップが今まで発見されなかったというのにも疑問が残ります」
オルクス大迷宮は100階層にもなる、七代迷宮の名に恥じない巨大な迷宮だ。その全容は未だ謎に包まれているが、上層に関してはそうでもない。数百年に渡り、数え切れない数の冒険者たちによってマッピングがなされ、今では47階層までの詳細なマップを簡単に手にすることが出来る。
さらに、迷宮探索をする際の必需品となっている“フェアスコープ“は索敵範囲こそ小さいが、魔力の流れを検知してトラップを発見することが出来る。これまでオルクス大迷宮に挑戦した多くの冒険者たちもこれを使用して探索を行っているが、今回のようなトラップが発見されたという事例は一度も上がっていない。
「でも、もしそれが本当なら何で南雲くんが……」
「分かりません。今話したことはあくまで私の推測に過ぎませんので。ですが、聖教教会の力では……いえ、人間程度では、集団をまとめて転移させるトラップなど生み出すことも出来ません」
「じゃあ、結局あのトラップは偶然……」
「
エルスの口から飛び出した名前に、香織は言葉を失った。
自分たちを呼び出した存在がハジメを奈落の底に落とした可能性。それ以上に、聖職者であるエルスが信仰する神への疑念を持っていることに。
「おかしいですよね。聖教教会に所属する私が神を疑うなんて」
「それは……」
「もし、誰かにバレたら、私は修道女の立場を追われるだけでは済まないでしょう」
だから秘密ですよ?と告げるエルスに香織がブンブンと首を縦に振るう。
この国で神への疑惑を秘めていると知られれば、間違いなくタダでは済まない。エヒト神がこの世界でどれほどの影響力を持っているか、この数カ月で嫌と言うほど知った香織は、ここで聞いたことは絶対に漏らさないと誓う。
「それと、これは香織様にお伝えしようか悩んだのですが……」
「どうしたの?」
端切れの悪くなったエルスに首を傾げつつも、他に何か気になることがあるなら教えて欲しいと続きを促す。
「……ハジメ様が奈落に落ちたことが仕組まれたことだったとしても、トラップを仕掛けただけで全てがうまくいくとは限りません」
「それは……うん、そうだね」
「現場に協力者が居たと考えるのが妥当です」
「……まさか、私たちの中に……!」
「香織様。そもそも何故ハジメ様はベヒモスという強大な敵に一人立ち向かうことになったのですか?」
「えっと……確か、みんなを纏めるために光輝君を呼ぼうと……」
香織はベヒモスと相対していたわけではないが、雫から簡潔にその時の状況を説明されていた時に、そのような話を聞いていた。
「……噂では聞いたことがあります。とても仲間思いな方だと。彼は仲間の悲鳴を無視して戦いに没頭するような戦闘狂なのですか?」
「え? ううん、いつも周りで困ってる人が居たらいの一番で駆けつけるような人だけど……」
「……実はあの夜、皆様がホルアドにお帰りになった後、眠れずふと夜風に当たっていた時、何やら誰かの声が聞こえたのです」
そこには天之河光輝様の姿がありました。そう続けるエルスに、香織は何故か口内がカラカラに乾いていくのを感じた。
そんな香織の様子にエルスは悲痛そうな表情を浮かべ……
「あの方は迷宮のある方角を見て、こう仰っていました……」
──天罰だ、と。
◇
深夜、王城。
光輝は一人、王宮の通路を自室に向けて歩いていた。
「少し訓練に没頭しすぎたかな?」
一人残って訓練に明け暮れていた光輝は、思っていた以上に時間が経っていたことに気づき、急いで汗を流した後、少し遅めの夕食を取り、自室へと帰っている途中だった。
「それにしても、今日の香織はどうしたんだろう?」
ハジメが奈落の底に落ちてから、塞ぎ込みがちだった彼女を気遣い、色々と声を掛けていた光輝だったが、今日の彼女は周囲の人間から見ても、分かりやすい程光輝から距離を取っていた。
「もしかして、体調が悪かったのか? ダメだな、俺がちゃんと支えてあげないと」
しかし、光輝だけはその事実に気づかない。幼馴染の香織が自分を避けるなどありえないと無意識で思っているからだ。
そんなことを考えていると──
「ひっく……ううぅ……」
「これは……」
光輝の耳が捉えた、誰かのすすり泣くような小さな声。
時間が夜中だということも相まって、聞く人からすればホラー展開そのものだ。
「誰かが泣いている……?」
だが、正義感が人一倍強い光輝は、そんな可能性よりも、誰かが困っている、助けを求めている可能性を真っ先に考えつく。
迷うこと無く声のする方に駆けていくと、通路の影で壁に背中を預け、膝を抱えて座り込んでいる少女を見つけた。
「あの、大丈夫ですか? 何かあったんですか?」
女性、恐らく自分と同年代くらいの少女が、泣いているという状況を光輝が見過ごすわけもなく、当たり前のようにそばにしゃがみ込み、優しく声を掛ける。
突然、声を掛けられたことに、少女はビクッと震えた後、恐る恐ると言った様子で顔を持ち上げた。
その顔を見た瞬間、光輝は思わずドキリと胸が高鳴るのを抑えられなかった。
精巧な人形のように整った顔立ちに、陶磁器のように白い肌。薄水色の髪から覗く翡翠色の瞳には涙が溜まっており、今のお互いの立ち位置の関係上、上目遣いで光輝を見上げる形となっている。
正義感に溢れ、下心など一切無かった光輝が平然と出来なくとも仕方がない光景だった。
「ひっ!? ごめんなさい! ごめんなさい!」
「え!? ちょっ、いきなりどうしたんですか!?」
しかし、そんな感情もすぐに吹き飛んでしまった。
光輝の姿を捉えた少女は、その顔を恐怖で歪め、頭を抱えて必死に謝罪を繰り返す。
予想もしていなかった状況に、光輝は慌てて顔を上げさせようとするも、女性の身体に勝手に触れるのは躊躇われ、誰かを呼ぼうにも、既に人が偶然通るような時間帯ではない。
大声を出せば見回りの衛兵くらいは来てくれそうではあるが、恐怖で震える少女の前で大きな声を出すわけにもいかず、この状態の少女を置いて、場を離れることも出来なかった。
「大丈夫です。俺は貴方に何もしません」
故に、恐怖心を少しでも和らげられるようにと、少し距離を開けたまま優しく声を掛ける。大丈夫だと。自分は貴方を傷つけることはしないと。
どのくらいの時間が経ったのだろう。
光輝の奮闘が良い方に影響したのか、少女はゆっくりと顔を上げて、再び光輝の姿を視界に入れた。
「……貴方は……勇者様?」
「はい。天之河光輝と言います。貴方は、聖教教会の修道女……の方ですよね?」
その服装から少女の立場を言い当てた光輝に、少女は小さく一つ頷く。
「すみません、光輝様。大変ご迷惑をおかけしました」
「いえいえ、迷惑なんてとんでもない……それで、その……何があったんですか? えっと……」
「あ、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私、聖教教会で修道女を勤めております……」
──
>オルクス大迷宮のトラップ
転移系のトラップって普通にありそうだけど、原作ではそれまで発見されなかったらしいです。なので当作品では元々転移系のトラップなど無く、誰かさんが今回のために準備したという設定です。
>香織
光輝がそんなことをするわけが、と思いつつ、エルスが嘘をつくとも思っていない。
>光輝
爆弾を拾った。
>エルスではなく、エルフェウス
Q.情緒不安定か?
A.正常です。