随分前に書いた話を発掘してきました。
軽く修正なんかはしたんですが、うーん……
※キャラ崩壊、解釈違いなどを含んでいる可能性がありますので閲覧の際はご了承ください
「はぁ……まだつれぇ……」
「大丈夫か? 無理しないほうがいいんじゃねぇの?」
ここは都内のとある居酒屋。トレセン学園所属のトレーナー二人が話しながら酒を飲み交わしていた。
「まーじしんどい。俺これ以上飲めないかもしれねぇ」
「しかも今月入ってから3回目だろ? 流石にやばそうだなぁ」
時刻的には仕事終わりの二人呑みといったところだろうが、なにやら様子がおかしい。
どうも一人、どちらかと言えば細身の男のほうの調子が悪そうだ。
酒で気分が悪くなったのかと思えばそうではないようで、なにやら別の事情があるらしい。
「明日ちゃんと話したらどうだ? タキオンのせいだろそれ?」
「ああ。昨日治験した薬の副作用だそうだ。酒でなんとかできねぇかと思ったけどやっぱり無理かぁ……」
「薬の効果ある状態で酒ってそれこそやばそうなもんだけどな」
「いや、それに関しては大丈夫だって言われたし、たぶん純粋に副作用のせいだよこれは」
「その説明も怪しいもんだけどなぁ」
彼らの話しているのは、細身のほうが担当しているウマ娘であるアグネスタキオンについてだ。
トレセン学園内でも有名な変わり者で、レースよりも自身の好奇心の対象について探求しようという信念を貫いている。
彼はそんなアグネスタキオンのトレーナーなのだが、彼女の好奇心に付き合わされ手を焼いているようだ。
「なあ、ちょっと真面目に話すんだけどよ」
細身ではないほう、メガネをかけたもう一人が真剣な声音でそう切り出す。
「前からちょくちょく言ってるけどさ、一回しっかり怒ったほうがいいんじゃねぇか?」
「え?」
「いや、タキオンのことだよ」
「あ、ああ……そうか。まあ、確かにな」
細身の男は視線を逸らすが、メガネは雰囲気を崩さない。
「このままタキオンの我儘に付き合ってたらお前のためにもならない。お前もそれはわかってんだろ?」
「…………まあな」
「なら言うべきだろ? 今までお前は自己犠牲でタキオンとの関係を何とかしてきたかもしれないけど、ここらでそれも変えるべきだ」
「けど……あいつは…………」
「お前からきいた話は覚えてる。身体のこととか、本人の目標とか、そのための実験だとか、その辺もわかってるつもりだ。ウマ娘に関してもまだまだ未知のことが多すぎるから自力で何とかしようっていう考えなのも、悪い子じゃないってのもわかってる。けどいくら何でも我儘を通しすぎだ。お前が良くたって、俺含め周りのやつらは心配してるんだぞ?」
「それは……そうかもしれないけど、俺は最初に覚悟を決めてるんだよ。あいつにどこまでも付き合うって」
「だから、それじゃあダメだって言ってんだよ」
メガネはやや険しい顔つきでそう言った。大して細身は居心地悪そうに顔をしかめる。
「お前とはそれなりの仲だし、どういう性格かも知ってるつもりだ。ウマ娘のことを一番に考えているからこそ、そういう自己犠牲的な考え方になってるのもわかってる」
「自己犠牲ってそんなことは……」
「いいや、自己犠牲だね。自分が無茶をして何とかなるならそれでいいと思ってるだろ。俺はそれを何とかしたいんだよ、お前の親友としてな」
この二人、実は学生時代からの仲だ。トレセン学園関係者はほとんど知らないが、かなり長い付き合いである。
ただ仲が良いだけでなく、互いを思う気持ちがあるからこそこういった話も出るのだろう。
「はぁ、わかったよ。ちゃんと考えてみる」
「ほんとか?」
「ああ、不安だったら音声録音でもしといてくれ」
「いや、そこまではしねぇけどよ。まあ、それならいいんだ」
その後他のやり取りもあったが、アグネスタキオンというウマ娘に関する話題はでなかった。
彼らが当のアグネスタキオンと一悶着起こすのは、この日から数日たったある日のことだった。
「さあモルモット君、今度はこの薬を飲んでくれたまえ」
「またかよ…………」
数日後のトレーナー室。
そこには相も変わらずタキオンの実験に付き合っているトレーナーの姿があった。
「お前この前の薬酷かったんだからな?」
「それに関しては謝ったじゃないか。あれは私としても想定外の反応でねぇ。まさか君用に調整したせいで逆に副作用が強くなってしまうとは思わなかったんだ」
「できれば遠慮したいんだがなぁ」
「大丈夫さ。今回は前回の反省を生かして君に対しての副作用を軽減することを念頭に置いて成分を調整した。それに君のことだ、ちょっとやそっと薬に問題があってもなんとかなるだろう」
「あのなぁ…………」
呆れたようにため息をつきながら、トレーナーは口を開いた。
「実験、これ以上はあんまり良くないと思うんだ」
「今、なんて?」
聞き返すタキオン。
ばっちり聞こえていただろうし、この反応は半ば圧に近い。だがトレーナーはそれに臆さず言葉を続ける。
「実験が良くないって話だ。別に俺は構わないけど、この先もし何かのミスで俺の体調がさらに悪化するようなことがあったら、俺はお前の面倒を見切れなくなる」
「おいおいおい、君ともあろう者が、自分の担当ウマ娘のことを疑っているのかい?」
「疑ってはないさ。ただ、ミスは誰にでも起こりうる。過去歴史に名を遺した天才たちだってそうだし、もちろんお前も例外じゃないはずだ」
「確かに一理あるが、やや心外だね。私はそこまで甘く見られていたとは」
「甘く見てるとかそういうのじゃ————」
「わかった、ではこうしよう」
人差し指をピンとたて、タキオンが提案を口にする。
「今後これ以上の副作用があったら実験を即座に中止するという事でどうだい?」
「それはつまり、これからはよりリスクを減らすってことか?」
「そう捉えてもらって結構だよ。私は約束を破らないように今以上に安全に気を遣う。そして君は何かあれば私を明確に止められる。丁度いい条件だとは思わないかい?」
「でもなぁ…………」
「それにだ。君に成分的な説明をしても理解しきれないだろうから省くが、私の扱っている薬はそこまで危険なものではないんだ。確かに前回の薬の影響で君は体調が悪くなったかもしれないが、それも稀かつただの一時的な副作用。市販の薬品だって時と場合によっては同じようなことになりうるだろう」
「まあ確かに、それはそうだろうけど」
「そうと決まれば早速この薬を飲んでくれたまえ」
「って、結局こうなるのかよ……」
なんだかんだいつもこうしてタキオンのペースに乗せられてしまう。この約束もその場しのぎじゃないかどうか怪しいものだ。
しかしそれももう慣れている。細身のトレーナーはいつもと同じように薬の入った試験管を受け取り、それを一気に飲み干した。
「2~30分で効果が出てくるから、それまで安静にしていてくれ」
「ああ、わかっ…………?!」
ドタッ
突如としてトレーナーは体勢を崩し、片膝を地面につける形でうずくまった。
「ど、どうしたんだい!?」
「わ、わから……ない……力が……抜けて…………」
トレーナーがそう返すが早いか、彼の意識は深層へと飲み込まれていった。
(タキオン……なんで……)
薄れゆく意識の中で彼が最後に思ったのは、担当ウマ娘への疑問と、わずかな失望だった。
その後、すぐにトレーナーは病院へと運ばれた。
救急車が到着し、事情を知らない生徒たちも何かあったのかと騒ぎが広がっていった。
ただ一人、メガネのトレーナーだけは搬送されていく親友の姿を見て事態を把握。
自身の担当するウマ娘たちに今日のトレーニングを自主トレへと変更する旨の連絡をすると、すぐさま搬送先の病院へと向かった。
幸いにも細身のトレーナーの容態はすぐに回復し、数時間後には意識が回復した。
だが、メガネのトレーナーはそれを確認するとすぐさまトレセン学園へと戻り、
アグネスタキオンを空き教室に呼び出した。
「誰かと思えば、君は……モルモット君の同僚だったね?」
「ああそうだ。呼び出して悪かったなアグネスタキオン。少しお前と話がしたくてな」
「ほう……話ねぇ…………」
メガネトレーナーの雰囲気を察したのか、タキオンはゆっくりと椅子に座った。
ただの話し合いなどではない。誰が見てもそう感じとれるほどの威圧感すら孕んだ空間が出来上がっていた。
「それで、どんな話かな? 大方倒れてしまったトレーナー君に関してのことだろうが、私とトレーナー君の関係性について待ったをかけるならそれはお門違いというもので——————」
「警察にお前のことを通報する」
「———————なんだって?」
タキオンの表情が一気に固まった。
メガネは続けて口を開いた。
「お前の悪行を警察に通報するって言ったんだ。それとも詳しい説明が必要か?」
「なっ……どういうことだい? 話が飛躍しすぎて状況が呑み込めないのだがねぇ。私はてっきりトレーナー君のことかと」
「そうだ。あいつに明確な被害が出たってことで無視できなくなった。薬事法、器物損壊、傷害、その他いろんな法に触れてるからな」
「そ、そんな馬鹿な…………」
タキオンの顔がみるみる青くなっている。普段の飄々とした態度は鳴りを潜め、ただただ焦りだけが表情に浮かび上がってくる。
「わ、私はそこまでのことはしていない! そもそも薬の件に関してはトレーナー君の同意を得ていてだなぁ!」
「自分の興味のあることに関しての知識は豊富でも賢くはねぇみたいだな」
「えっ……?」
「まず薬事法は薬に関する法律で、目的はどうあれ不正な使用を禁止するための法律だ。用途や使用相手の同意なんて関係ねぇんだよ。てっきりわかってるもんだと思ってたがな」
「それは…………」
「それに、他人に危害を加えた時点で傷害が成立している。お前とあいつの関係を知っている俺含め周囲の証言、それから薬品に関する証拠があれば、十分に成立するだろうぜ」
「くっ…………」
「お前が危険物取扱とか特定の資格を持ってて公的に扱いが許されてるなら問題ないだろうが、そうじゃないだろ? 無許可で好き勝手やってるのが今までまかり通ってきたほうが異常なんだよ」
「だ、だとしてもだ! 君に薬を利用したわけじゃないんだから君には関係の無いことだろう!」
「お前のトレーナーは俺の同期で親友だ。だから関係は十分にあるし、これ以上見て見ぬふりはできない。それに他にも被害に合ってるやつは何人かいるからな。お前のラボになってるあの部屋に警察の捜査が入れば一発でアウトだろうよ」
「!?」
「それからトレーナーの同意を得ているって言ってたが、法的に有効な同意書はあるのか?」
「……え?」
「裁判になれば当然脅しや弱みで無理やり同意させられている可能性も考慮される。書面で同意してるなら除外されるが、それが無いならお前がトレーナーを脅して実験に付き合わせていた可能性の方が濃厚と判断されるだろうよ。そもそも、度を越えた危険行為に関しては書面があったってアウトなことだってある」
「そんな……彼は確かに……」
「だからその証拠はあるのかって言ってんだよ」
「………………」
タキオンは何も言うことが出来ないのか黙ってしまう。
しかしメガネは追求をやめない。
彼の眼には本気の怒りの色が見える。
「普段通りならこのままお咎め無しで行っただろうがな、残念ながらもうこれ以上あいつを危険にさらすわけにもいかないからな」
「そん……な……」
「当然学園としてもかなりの痛手だろうよ。薬物なんて話が出れば世間はまずドーピングを疑うからな」
「わ、私は! そんな低俗なものには手を染めていない! そんな短角的に身体を強化したところで何も得るものなんてない!」
「知らねぇよ」
「え…………?」
「お前がどんなに熱弁しようがその声は世間に届かねぇんだ。『トレセン学園でウマ娘が違法な薬物の実験、トレーナーが重態』なんて見出しになったらみんな噂する。トレセン学園には違法な薬物を使ってドーピングをしようとしてたウマ娘がいたんだって」
「私が……? そんな、私は……私は決してそんなくだらないものに……」
「弁解の余地はない。誰もそんなところまで理解しようとしないからな。お前からしたら無知な連中と映るかもしれないが、そもそも無知な奴らに理解を求めるほうが間違いだ」
スポーツと薬。この二つに関するネガティヴな話題においてドーピングを想像しないものいない。
経験者や関連職業に就いている者は多少の理解があるかもしれないが、世間の大半はそんなこと考えてくれない。
「そして噂は膨らんでいく、他にもいるんじゃないかって。今走ってるやつの中にもドーピングしてるやつがいるんじゃないかって。周りにも迷惑が掛かるんだ。そしてどんなに言い訳しようが世間の噂が消えることは無いだろうな」
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
タキオンの呼吸が見て分かるほどに荒くなっていく。自らの頭を押さえ震えるその姿は狂気そのものだ。
しかし数秒後、タキオンは唐突に立ち上がると、口を開いた。
「なら……」
「ん?」
「なら公表などできないだろう! いや、事件にすること自体も学園側は避けたいはずだ!」
突然タキオンが叫ぶ。見開かれたその眼には涙が浮かんでいるが、本人はそんなこと気にしていられる状態ではない。
「それなら当然私に追及などするはずがない! そうだろう! そこまでの疑惑が立つことが推測されるならば、何としても避けるはずだ!」
「…………」
「恐らく君は今学園側の意思ではなく独断で話をしている、そうだろう? 友人が私のせいで辛い目に遭っていると邪推して私を個人的に咎めようとハッタリを張っているんだ! 違うかい?」
「なるほど、そういう読みか」
「図星だろう? 学園がそんなことするわけないんだ! そもそも今まで私の行為が黙認されてきたのもそういった判断があってのこと! それならば急にその考えが変わったりすること自体があり得ない話なんだ! 私を怖がらせようとつまらない嘘をついたみたいだが無駄だったようだね!」
「ならハッタリかどうか、自分の耳で確かめな」
そう言うとメガネは自分のスマホを取り出すと、画面を数回タップして操作を完了した。
流れるのは、音声ファイル。
『で、どうするんだ? ここまでボロボロになってるのにまた我慢してだんまりか?』
『いや、俺は……』
『医者から聞いたけど、今回のは結構まずいんだってな。いい加減決めたらどうだ?』
『…………』
『どうする?』
『俺、タキオンのことをちゃんと話さないといけない……。学園側にも、警察にも……』
『だろうな、妥当な結論だよ』
「そんな……そんな馬鹿な!?」
流されたのはタキオンのトレーナー本人の声。タキオンに聞き分けられないわけがない。
「もし学園が黙認しようが、一個人としての告発はもみ消すことはできない。第一、病院にいるんだし警察への連絡を止める手段なんてねぇよ」
「う、嘘だ! 大方音声の編集でそれっぽくしているに決まってる!」
「そこまで言うなら病院に行って確かめてみるか? 遅かれ早変えお前は直接聞かなきゃいけないからな」
「っ…………」
「おっと、裏切られたなんて考えるなよ? むしろお前の無茶な実験にここまで付き合ってきたんだ。あいつのどこにも非はねぇよ」
「モルモット君が……そんな……」
「ほらその呼び方もよぉ、酷いよな」
「え…………?」
容赦のないさらなる冷徹な追及が、タキオンを襲う。
「普通自分が世話になってる相手のこと実験動物として扱うか? お前の中であいつは奴隷以下なのか?」
「ち、ちがっ……そんなことは……」
「実際問題そう思ってるからそんな呼び方になるんだろ? 自分の好き勝手薬飲ませて身体いじくって、相手のことは何も考えない。自己中ここに極まれりって感じだな」
「違う! 私は……私は彼を大切に……」
「本当に大切にしてたら実験なんてしないだろうが。自分の目的を高尚なものと勘違いして、他人を巻き込んで自分勝手やってるのなんてドーピングの何倍もたちが悪ぃよ」
「っ!!」
「それに科学者としても二流以下だ」
「二流……だと?」
「なんのために実験というプロセスが存在してるかわかるか? 例外を排除して結果の妥当性や正確性を上げるためだ。特に薬なんてものは個人の体調や体質はもちろん、場合によっては季節や解明不能な差異までも存在する。それらを極力排斥してできるだけ対象に安全に服用できるように試行回数を重ねるんだ。お前の実験はそれすらも出来ていない」
「そんなことわかって————」
「ならなぜあいつ一人に負担をかける? あいつがたまたま特殊な体質だったらどうするつもりだ? それで得られた結果に実験としての価値があるのか?」
「それは……」
「それにお前は学生。研究と言っても内容はお遊びレベルだ。ならいっそその身分を自覚すればいいのに、お前はそれもしない。走ることに中途半端な興味しかないならわざわざトレセン学園なんかに来ないで、専門的な勉強を続けてそういう方面の大学に進学すれば合法的に有意義な研究ができただろうに」
「くっ…………」
「レースも、研究も、そして自分の実力も、全てを甘く見すぎなんだよお前は」
その一言が決定打となったのか、タキオンは何も言い返すことなくうつむいた。
目からは涙が流れ、見られてはいないが表情もぐちゃぐちゃに崩れている。
しばらく部屋の中には嗚咽が響いた。それは子供の我儘から来るものではなく、悲しみや憤りといったいくつもの感情が混じったものだ。
「お前はどこかで己惚れていたんじゃないか? 自分は人にはない探求心を持っている。自分は本気を出せば走っても早い。自分は何かを成すべきウマ娘だってな」
「………………」
「確かにお前には才能がある。それを見込んだからこそあいつだってお前の担当になったんだろう。だが、あいつは甘すぎたし、お前も自分勝手が過ぎたな」
「………………」
「これからどうするかはお前が決めることだから俺はこれ以上何も言わない。ただその変に膨らんだ自尊心だけは何とかしたほうがいいと警告しておくよ」
「……む………」
「ん?」
「頼む…………許してくれ…………」
タキオンの口から漏れたのは、許しを請う言葉だった。
「私は……私はここで終わるわけにはいかないんだ……だから……だから頼む……」
「心配すんな。お前の年齢ならまだ少年法が適用されるから保護観察処分で済むはずだ。終わりはしねぇよ」
「そういうことを言ってるんじゃあない! 警察には連絡しないようにしてくれと言っているんだ!」
「いや、無理だろ」
「なっ!?」
「あのさぁ、まだどこかで甘えてるだろ、この状況でまだ」
「へ…………?」
「お前が犯罪を犯した事実は変わらないんだよ。今更どうにかなるわけねーだろ」
「そんな……」
「それにその『許して』っていうのは『見逃して』っていう意味だ。やったことを償おうっていう意味じゃあねぇ。俺が見逃せばバレずに犯罪にならないと思ってるからだ。甘えた思考だからそういう発想しか出てこないんだよ」
罪を犯した者の意識は大きく分けて二つ。罪悪感があるか否かだ。
自らで罪の意識を自覚しているならば自然と反省する。罪を償うために自分の行動を顧みる。
しかしその意識が無ければ反省はしない。罪そのものではなくそれがバレたことに対しての後悔をする。
「確かに犯罪はバレなきゃ成立しないが、そういう意味じゃお前の犯罪はもう学園中にバレてんだよ。自制できてない時点で遅かれ早かれ犯罪者だ」
「犯……罪…………」
「そう、立派な犯罪な。お前に残されたのは罪を償う道だけだよ」
「もうやめてくれ!」
「えっ…………?」
部屋に入ってきたのは、病院にいるはずのタキオンのトレーナーだった。
「おま、なんでここに! まだ安静にしてなきゃって……」
「それよりも優先すべきことがあると思ったから戻ってきたんだ」
優先すべきこと、それは他ならぬタキオンのことに違いない。
見ればまだ顔色も悪く体制も健康時のそれとは違う。誰が見ても一目で体調不良だとわかるような状態だ。
しかし彼はそれでも、戻ってきたのだ。タキオンのために。
「しばらく聞いてたが、流石に言いすぎだぞお前! ここまで言う必要は無かったはずだ!」
「ッ……お前、それ本気で言ってんのか?」
「ああ本気だ! タキオン泣いてんだぞ? 明らかに言い過ぎだろうが!」
その言葉を受けて、メガネの目つきが完全に変わった。
先程までも瞳に怒りが見えた。しかしそれを理性で押さえつけ加減をしているのだろうと言った感じだった。
しかし、その枷が外れた。
「お前が甘いからこんなことになってんだろうがッ!」
「?!」
細身の胸倉を掴み本気で声を荒げながら凄むメガネ。その迫力は先程までとは比にならない正真正銘の怒りによるものだった。
「法的に見ても! 倫理的に見ても! アグネスタキオンというウマ娘に問題があるのは明らかだった! だが俺の担当じゃなかったから変なことを言うつもりは無かった!」
「だけど言ってるだろ! 言わなくていいことまで! 追い詰めるようなことまで!」
「言わなきゃどうしようもならない状況になっちまってんだよ! 状況を考えたらここで止めなきゃなんないだろうが! それが俺たちの仕事だろうが! ああ!?」
「っ……それは…………」
メガネの怒号に、細身はたじろいだ。
「俺たちはトレーナーである以前に教育者だ! ただウマ娘たちを勝たせりゃいいってわけじゃねぇ!」
「心も! 身体も! 精神も! 全部含めて面倒見なきゃなんねぇんだよ!」
「それなのにお前はなんだ?! 意思を尊重するっていう名分でこいつに好き勝手させてばっかじゃねぇか!」
「その結果がこのザマだろうが! お前の身体がボロボロになって、それでもこいつは反省の色なしだ!」
「なら叱るのが俺達トレーナーの役目だろうが! 正しい道に戻してやるのが俺たちのすべきことだろうが!」
「嫌われるの怖がってんのか?! それとも自分なら大丈夫ってタカ括ってんのか?!」
「そのせいでこんなことになってこいつの未来がどうなってもいいってのかよ!」
それは、彼の心からの叫びだった。
一口にトレーナーと言っても、ヒトによってその考え方や教育方針には大きな差異がある。
ウマ娘の感覚を信じてトレーニングを調整する者、自分の構築した理論を信じてトレーニングをさせる者、中には先人の知恵を借りたり、日本だけでなく海外の環境を参考にする者もいるという。
トレーニングだけでもそれほどの違いがあるのに、接し方や態度、ウマ娘という存在に対する根本的な姿勢などというレベルになればその違いはとても大きなものとなる。
片やウマ娘の考えを優先し、片や総合的に未来を考える。
どちらが悪いという事は無いが、その差異の大元にはこうした想いがあったりするのだ。
「未来がどうなるか、こいつが将来どうなるかなんて俺はわかんねぇけどよ…………。このまま犯罪者になる可能性も無いわけじゃないんだぞ?」
「………………」
「それじゃあダメじゃないのか? 良心に全てを任せていいと思うのか? 今ここで俺たちが止めることで、少しでもその可能性を減らしてやるのが、俺たちにとって最善の選択なんじゃないのか?」
その言葉には、もう怒りは籠っていなかった。
ただ、一人のトレーナーとして、一人の人間としての、真摯な想いがあるだけだった。
唯一無二の親友からの言葉を受け取った細身は、数秒の間噛みしめるように沈黙していた。
「ごめん……」
「ごめんって、なんでお前が謝るんだよ」
「俺のせいだ。こうなったのも、お前がここまで怒ることになったのも、全部」
「それはだから————」
「でも!」
すると彼はメガネの手を振り払い、体勢を低くすると、そのまま地面に頭を付けた。
「タキオンのことは許してくれ!!」
「?!」
突然のことにあっけにとられるが、彼の真意はその後続いた言葉によって明らかになった。
「俺への心配も! 怒りも! トレーナーとしての覚悟も全部もっともだ! けど、それでも俺はお前に許してほしい! タキオンのことを許してほしい!」
「な、なにを言って……」
「確かにお前の言う通り、ここで止めてあげるのが俺たちのすべきことなのかもしれない! 心を鬼にして法律の通りタキオンに相応の罰を受けさせるのが正しいのかもしれない! けど! 俺にはそんなことできねぇんだ! これ以上タキオンが悲しむのを見たくねぇんだ!」
「っ…………」
「お前だってタキオンのことを憎くて言ってたわけじゃないのはわかってる! 思うからこそ、タキオンのために言ってくれたのもわかってる! けど、俺には無理なんだ! ここで許してあげたいって思っちゃうんだ! さっきは確かにタキオンのためをって思ってお前の言うとおりにしようかと思ったけど、やっぱり出来ねぇんだ!」
「そんなこと言ったって……でも……」
「俺はまた走るタキオンが見たいから! 無茶なことはこれで最後にさせる! これからは俺もしっかり怒れるようになる! だから! だから!」
「タキオンを許してやってくれ!!!」
しばらく沈黙が続いた。
およそ3分もの間、誰もしゃべらず、誰も微動だにしなかった。
「…………わかったよ」
「!!」
長い葛藤の末、口を開いたのはメガネだった。
「お前が許すって言ってるのに俺がいつまでも引きずるのはお門違いだからな」
「ほんとか? 本当にいいのか?」
「ああ。その代わりしっかりやれよ? 別に心配してるのだって俺だけじゃないんだ」
「……そうだな。もちろんだよ」
細身のトレーナーはそう返すと、今度はタキオンへと向き直った。
「タキオン」
「…………」
「わかってるよな? それに、約束もしたよな?」
「………………」
「さっき言われてたからわかってると思うけど、君はトレセン学園の生徒だ。一番にするべきことは走ることだ。そして君は走ることに関して素晴らしい才能を持っているし、君にその気があればこれからもそれを活かしていけるだろうし、俺はそれを全力で支えていくつもりだ」
「……………………」
「俺は……できれば君にやりたいことを何でもやらせてあげたい。けど、やっぱりそういうわけにはいかないんだ。これからは今まで以上にしっかり君を叱らなきゃいけない。それでも、俺は君が走るのが好きだ。これからも君の走る姿を見たいと思ってる」
「…………………………」
「だからこれからも走ってくれないか? 俺もできる限りのことをするからさ」
「………………………………」
タキオンは口を開かなかった。思うところがあるのか、なにかを言いたそうにはするものの、なかなかそれが言葉にならないようだった。
そこに、危なげな助け船が出る。
「こいつのこと大切なんだろ?」
「!!」
「なら嘘じゃないってこと見せてくれよ。さっきは俺もごちゃごちゃ言ったけどよ、本当に信じてて大切にしてるって言うなら俺の言葉なんか気にする必要ないだろ?」
「おいお前また…………」
「でもそうだろ? 申し訳ないが、今の俺にはお前がこき使われてるようにしか見えないからな。でもタキオン的にはそうじゃないんだろ?」
「いや確かに俺は実験でいろいろやってるけど、別にタキオンは————」
「もちろんだ」
「「!!」」
口を開いた彼女の目にはもう涙は残っていなかった。代わりに闘志が燃えている。
それが反骨精神によるものか、はたまたトレーナーへの信頼と安心から来るものか、いつも通り不敵に笑みを浮かべるアグネスタキオンがそこにはいた。
「すまなかったねトレーナー君。彼にいろいろ言われて、私も少し反省すべき点が見えたよ」
「タキオン……」
「年甲斐もなく泣きじゃくってしまったが、もう大丈夫だ。約束は守るし、君の期待にも全力で答えることを誓おう」
そして、とメガネに向き直り睨みつける。
「そしてこの私に好き勝手言ってくれたこの無礼な君の親友とやらに、一泡吹かせてやろうじゃないか」
「お、調子出て来たな。いいぜ? 見せてもらおうじゃないか」
既に先程までの険悪な空気は消え失せていた。
まるで取り調べを行う刑事と容疑者の如くこじれた関係性だった二人も、話すことに違和感を感じない。
「さて、そういうことなら俺はお邪魔だろうし、もう行かせてもらおうかね」
「あ、おい」
「悪かったなアグネスタキオン。俺も言い過ぎたよ。レース楽しみにしてるからな」
そう言い残しメガネは部屋を後にした。
残ったのは当然細身とタキオンの二人のみだ。
「本当に行きやがった……」
「このままいられても迷惑だし、これ以上話すようなこともないしね」
タキオンはそう言うが早いか、トレーナーに向き直るといきなり頭を下げた。
何事かと驚くトレーナーだったが、すぐにタキオンは言葉を続ける。
「すまなかったトレーナー君。私は君に酷いことをたくさんしてしまった」
「おいおいちょっと待てって! あいつの言ってたことだろ? 別に気にしなくても……」
「いや、君がなんて言おうと私は謝ると決めたからね。この謝罪はしっかりと受け取ってくれたまえ」
「でも……」
「いいから! じゃないと私の心の切り替えができない」
「そういうことなら……まあ……。つっても、俺も全然気にしてないから大丈夫だ」
「ありがとう。私のことを許してくれて」
タキオンは顔を上げた。そして一直線にトレーナーを見つめる。
その表情はいつになく穏やかで、これまでのタキオンとは違った優しさが確かに感じられるような、そんな表情になっていた。
「…………」
「どうしたんだい?」
「いや、なんでもないよ」
一瞬だけ、トレーナーにはタキオンが変わってしまったことを寂しく思うような感情が残った。
これまでのマッドサイエンティストのような常識破りな面が好きだったというのもあるが、それ以上に一人のウマ娘の成長を間近で感じるというのは複雑なものだからだ。
自分の影響で変わる存在、それを今までで一番大きく感じたのだろう。もちろんそれは生半可な覚悟で受け止められる変化ではない。自分という存在が時としてウマ娘たちの未来を決定してしまうという影響力の大きさは凄まじいものだ。
だが、それも含めてトレーナーという職業であり、彼はこれからもそれを続けていく。
少なくとも、アグネスタキオンというウマ娘がそのレース生涯の幕を閉じるまでは、彼は彼女を支え続けるだろう。
トレセン学園で発生したこの事件のことを知る者は当事者たち以外にいない。
ここまでの一連の出来事が果たして正しいのかどうか、それを判断することは難しい。問題として提起すれば賛否の両方が上がることだろう。
しかし正しいか正しくないか、結局のところそんなものは誰もわからないし、可能性の話をしても仕方がない。
今回の出来事を経てアグネスタキオンとそのトレーナーは何物にも代えがたい貴重な経験をした。その事実に間違いはないだろうから。
「おはよう…………って、珍しいなタキオンが朝から読書なんて」
「なに、君との約束を守っているだけさ。実験は控えるようにしているからね」
「そっか。まあ、あんなこと言っといてなんだけど、少しぐらいなら別に構わないぞ? 全部が全部人体実験とかじゃないのは俺も知ってるし」
「いや、しばらくは大丈夫さ。今まで以上にしっかりした理論を構築してそれを明確な形にできるようにしなければ、君の親友にまた馬鹿にされてしまうからね」
「あいつのことなら別に気にしなくていいのに」
「いや、彼の言う事ももっともだったよ。冷静になってみれば、私の実験にはいろんなものが足りていない。それを何とかできるように、こうして勉学に励んでいるというわけだ」
「なるほどねぇ」
「もちろん、走りの方を疎かにするつもりはないよトレーナー君」
「ほんとか? それならいいんだけど」
「ああ。だから早速来週のトレーニングメニューについて議論しようじゃないか。今まで以上に、綿密にね」
彼女の名前はアグネスタキオン。
高速の粒子の名を冠する、確かな実力を持つウマ娘だ。