彼女のセブンMy Favorite Seven 作:skav
四気筒の独特な、一度聞けばすぐに分かるノイズを発する白いスポーツカーが高速道を走っていた。
ホンダS200。2シーターオープンスポーツでありながら強固なボディを持ち、9000回転まで回るエンジンを持ったスポーツカーだ。
「わざわざすみません迎えまで来てもらって。」
「いや、君が車を手放したのも私が一枚噛んでいるからね。これくらい当然さ。」
「いや、本当助かります。…それはそうと、今日はいろいろと楽しい一日になりそうですね。」
本日行われるテストでは、誇之と彼の作ったマシンの初お披露目と岬愛華のテスト参加が予定されていた。
空力を一から見直したマシンの仕上がり、誇之の思い描いた通りに車は動いてくれるのか。そして岬愛華は初めて乗るフォーミュラカーにどこまで順応し、どのようなタイムを出すのか。
「卯月誇之が日本レース界に名を残す最初の1ページになるだろうね。」
「いえいえ、言い過ぎですってば。」
「何を謙遜しているんだい、あの車は素晴らしいできだよ。あれで本当に不完全なのかい?」
「良くて80%です。今シーズンじゃあそれが限界ですよ。本当の勝負は来シーズンからです。それでも今年を諦めたわけではありませんよ?」
誇之たちがチャンピオンになる条件は、残りの二レースをすべて優勝することが最低必要だ。かなり厳しい状況ではあるが誇之は全く気にしていない様子だった。
残り二戦は九州のオートポリスと栃木県のツインリンクもてぎで行われる。今回はタイヤメーカーが主催するテストで、ツインリンクもてぎで行われる。
合計5チームがこのテストに参加し、うちチャンピオン争いをしている3チームの内2チームがおなじメーカーのタイヤを履いている。
他メーカーのタイヤよりもグリップ力で勝るが、反面タイヤ作動温度の範囲が狭いという弱点がある。
その狭い作動温度に合わせきれたチーム。つまりタイヤに気遣っていたチームが生き残っているというわけである。
そして今回行われるのは、残りの1チーム。誇之たちのチームが使用しているメーカーのテストだった。
こちらのメーカーはグリップ力に劣るが作動温度領域が広く、安定したグリップ力を発揮する特徴がある。優勝こそないものの安定した順位でポイントを確実に獲得することができたのは、チームの戦略がしっかりと機能したということだ。
「さ、そろそろ到着だ。今日が実りのある一日になることを祈るよ。」
ゲートを抜け、白いスポーツカーはチームのパドックへ向かった。
一足先に現地入りしていた沙羅はレーシングスーツを着て、自分のチームのトランスポーターからマシンが下ろされるのを眺めていた。
そして、カバーのかけられたボディが放つシルエットが少し違うことに気が付いた。
…ずいぶんと大がかりに形が変わっているな。これ以上じゃじゃ馬になられたら困るのだが。
「三島さん、ちょっとこっちに来てくれるかい?」
レースマネージャーの美春に呼ばれ、沙羅はピットのほうへ向かう。するとそこにはここにいるはずのない、よく見知った顔があった。
「今月付で我がチームに加わることになった卯月誇之君だ。君のほうがよく知っているかな?ちなみに、今回のマシンは彼が手を加えたものだ。」
「よろしくお願いします沙羅さん。」
「…あ、ああ。よろしく、卯月。」
一瞬ぽかんとしていた沙羅は慌てて誇之が差し出して手を握った。想像していたよりも大きく逞しい手をしていた。
まくられた袖からのぞく腕の筋肉に少しだけ気を取られていると、誇之の背中からピョンと髪の毛が見え隠れしているのを発見した。
「それともう一人、今日特別にテストに参加してもらうことになった岬愛華君だ。彼女も個人的に知り合いらしいね。」
その髪の毛の正体は岬愛華だった。彼女が来ることはメールで把握していたのだが、この状況はあまりにも出来すぎていた。
この中で一枚噛んでいそうな人物はただ一人、沙羅は誇之の顔をじっと見つめた。すると、彼はいたずらが見つかった子供のような顔をしていた。
「はぁ…まあ、良いです。それじゃあ早速ですけど、彼が仕上げたというマシンを見せてもらいましょうか。」
「もちろんですよ、ちょうど搬入が終わったみたいですし。」
搬入を終え、カバーをかけられた2台のマシンが眠っていた。誇之が合図をすると、手際よくスタッフがそのカバーを外していく。
黒地のカバーがめくられていき、少しずつその姿が露わにされていく。
そこには沙羅の知っている車とは全く正反対のマシンがいた。空力パーツは必要最低限に減らされていて、以前のゴテゴテした車に比べてかなりすっきりしていた。
いや、むしろすっきりしすぎて心配になるほどだった。
「エアロをこんなに削って大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないですよ。おそらくラップタイムは前のよりも遅いはずです。」
ラップタイムが落ちるということはレースで不利になるということだ。予選でタイムが出なければ下の順位でスタートしなければならないし、レースでもその不利は変わらない。
しかしあの怪物マシンを作った男が作った車だということを考えると、そのディスアドバンテージを埋めてさらにお釣りが出る何かがあるとしか思えなかった。
「それで、お前は何をしようとしているんだ?」
「ふっふっふ~それは乗ったらすぐに分かりますよ。今回はあくまで”シェイクダウン”と”タイヤ開発”が目的ですから。」
もったいぶる誇之にため息をついて、沙羅は愛華の方を見た。
「今回のテスト…お前にとっては大事なチャンスだ。分かってるな?」
「はい、モチロンです。先輩は自分の仕事に集中してどうぞ。」
そう言って愛華はヘルメットをかぶってしまった。そして旧型のゴテゴテエアロの方へと乗り込んだ。
「……可愛げないな。」
癖のある後輩たちに肩をすくめる沙羅だった。
ピット場内に「p…p…p…」とブザー音が鳴り、レッドシグナルが一つずつ減っていく。ガレージから出てきたマシンたちが今か今かと雄たけびを上げる。
「一周回ったらピットインしてください。異常がなかったら予定通りロングランテストを行います。」
『了解。』
無線越しに指示をして、誇之はピットからマシンが駆け出していくのを見送った。
ピットレーンリミッターを解除して、ゆっくりとスロットルを開けていく。マシンを左右に振って挙動や、異常がないかを確かめる。
『どうですか?特に異常とかないですか?』
「問題ない。予定通りメニューを消化する。」
ピットで車を止めて、新しいタイヤに交換してから再びピットを後にした。
タイヤを温めながら少しずつペースを上げていく。やがて適正温度に達したタイヤが、地面に食いつき始めるのを感じた。
ブレーキを踏んでアクセルを開けながらコーナーを脱出する。この一連の動作が全てスムーズであった。
…すごいな、ダウンフォースレベルが全く落ちない。安心してコーナーを攻められる。
以前のマシンであればコーナーリングの途中にスロットルを開けば、突端にリアのグリップを失っているところだが。この車はまるでタイヤが路面に吸い付いているようだった。
ただ、やはりペースは悪いな。コンマ2秒は確実に遅い。
「これ以上突っ込むとスピンしそうなのだが、ペースはどうだ?」
『ちょっと速いですね。一度ピットインしてください。』
「…了解だ。」
なぜが速いからと理由でピットインを指示されたが、まだ誇之の考えていることは分からなかった。
もう一度ピットに入ると、真剣な顔をした誇之が入念にタイヤを見ていた。そしてタイヤメーカーのスタッフと何かを話し合ってから、もう一度沙羅の方へ歩み寄る。
「あとコンマ一秒落としてください。目標は三十周で、タイヤはそのままです。」
「コンマ1だな。分かった。」
燃料を入れなおしてピットレーンを出た。
「さてさて、愛華さんの方はどうかな~?」
愛華の場合今回のテストは車の方ではなく、人間のテストの意味が大きい。
それ故、彼女に割り当てられたのは従来通りのゴテゴテエアロマシンだった。
「このマシンの方が彼女のブレーキを遅らせる走り方に合ってると思います。」
愛華の乗り方はぎりぎりまでブレーキを我慢して、早めに車の向きを変えてからアクセルを踏むという特徴がある。
早めにブレーキを踏んでアクセルで車を曲げる沙羅の走り方とは違い、大切なのは空力ではなくブレーキとエンジンのバランスだ。
「柔らかめのタイヤを履かせてるから、できるだけ攻め込んだ走りでお願い。」
『了解。』
「美春さんは沙羅さんのペース管理をお願いします。」
「任された。」
ウォームアップ走行でタイヤを温めた愛華の車が、ヴィクトリーコーナーを抜けてホームストレートを全開で過ぎていった。
ブレーキ、アクセル、エンジン回転数...etc
誇之は愛華の車から送られてくる様々な情報をパソコンで確認する。
「なかなかいい感じのペースだね。これ…レギュラーのふたりよりも速いんじゃないの?」
画面に表示されている各区間ごとのタイムは確実に沙羅たちを上回っていた。
『のこり五周、何か異常は感じられたかい?』
「いえ、特に問題ありません。このまま続行します。」
『それは良かった。ああ、岬さんが後ろからくるよ。』
美春の言う通りミラー越しに青いヘルメットを確認できた。ダウンヒルストレートの中腹あたりで車を右側に寄せ、岬車を先に行かせた。
そして後ろからその車を観察する。ぎりぎりまでブレーキを遅らせ、少しだけリアが流れたところをステアリングで修正。アクセルを踏んだ際にややゼロカウンター気味になったが、タイムには影響しないだろう。
「…マンセルとセナを足して割ったような走り方だな。」
まだまだ荒削りの走り方だが、車を早く走らせるという意味ではずば抜けたセンスというものを感じて取れた。
最終コーナー手前の電光掲示塔には岬車を示す数字がトップに表示されていた。
やはりなと、沙羅は呟いた。
初めて乗る車でよくそこまで走ることができるな。なら、私も少し見せつけてやらねばな。
「卯月、あと十周ほど延ばせるがどうする?」
『そりゃ走れるのは越したことはありませんけど…あとコンマ1.5秒上げないと時間が足りませんよ?』
「ああ、大丈夫だ。やらせてくれ。」
『分かりました。お任せします。』
そうだ…車を早く走らせるだけが全てとは限らないのだ。
岬車がガレージに入れられ、仕事を終えた愛華が車から降りた。ヘルメットを外し、レーシングスーツの上だけを脱いで腰に巻いく。
「愛華さん、お疲れ様。」
「ありがとう。」
誇之から飲み物を受け取り、椅子に座ってモニターを見つめる。そこには自分の名前がトップで表示されていた。
「レギュラーの二人よりも速かったよ。」
「うん…でも、最終コーナーで少しミスしちゃった。あれがなかったらもう少し速かったかも。」
「それでも凄いよ。とても初めて乗った人のタイムじゃないから。誇っていいよ。」
「ふふ、ありがとー。それで、卯月君の作った車はどう?」
画面にはちょうど沙羅の乗る車が映っていた。無駄のない挙動で一本のラインをトレースする姿は、まるで電車のようだった。
「愛華さんに触発されちゃったみたいでね、予定周回数を延長させてくれって。」
「ふぅん…ちなみにどれくらい走ってるの?」
「連続で38周だね。総合でいえば48周あ、いま49周になった。」
「……た、タイヤは?」
「交換してないけど?」
連続で38周。それは今シーズンでは考えられない数字だった。大体長くて20周が今年の大まかな流れだったはずなのに。あの車はおよそ二倍の距離を走ろうとしている。
「え?…ふふ、了解です。スピンしちゃだめですよ~。」
無線で何かを話した誇之は心底楽しそうな顔を浮かべていた。
「三嶋さん、何か言ってたの?」
「うん、タイヤを使い切るって。ちょっとセクタータイムを見てみようか。」
誇之のパソコンを二人は食い入るように見つめた。確実に前のラップと比べて速いタイムを刻んでいた。
第一セクターコンマ05秒落ち。
「これ…本当に50周走ったタイヤなんだよね?」
「うん、その証拠にタイヤの痛みが目でわかるくらいまで進行してるでしょ?」
誇之のいう通り、沙羅の車が履くタイヤは黒色が濃くなり、見るからにボロボロだった。
「たぶんセクター2じゃ、もっと速くなると思うよ。」
トンネルを抜け、上りながらの連続S字コーナーを縁石をショートカットしながら最短距離を抜けていく。
第二セクターでコンマ1秒愛華のタイムを更新した。
「おお、やっぱり上回ってきたね。沙羅さんセクター2得意だから。」
ゾクリと愛華の背中に冷たい汗が流れた。落ち着いてきた心臓が再び強く脈打ち、胸が少しだけ苦しさを覚えた。
ダウンヒルストレートを駆け抜け、90度コーナーを無駄なくクリアする。そし残すはヴィクトリーコーナーのみ。
縁石を舐めるようにしてラインをトレースし、最終コーナーを抜けた瞬間、沙羅の車が僅かに横に振られた。
「あ」
「あーあー、やっちゃった。あんなタイヤで無茶するから~。」
ホームストレートを抜け、結局沙羅は二番手。愛華のコンマ1秒落ちに終わった。
「タイヤ終わってるのが分かってたのになんであんな無茶しますかね?あなたは。」
「終わってなどいない、現に最後までラップは安定しただろう?」
ピットから戻ってきた沙羅はとても悔しそうな顔を浮かべていた。
「せめて、あと数ミリアクセルを緩めていれば…。」
「まあ、沙羅さんのおかげで良いデータは取れましたけど。…それで、車の感触はどうでした?」
「ああ、以前に比べて車が素直に動くようになった。ダウンフォースは減っているが、その分扱いやすくなっている。それともう少しアンダーステアの方が私は好きだ。」
「分かました…それじゃあ、午後は沙羅さんと車のマッチングに時間を割きましょう。」
とりあえず自分の思った方向へ車が出来上がっていることに、誇之は少し安心した。
「いやーすみません、また送ってくださって。」
「ああ、お前にはいろいろ聞きたいことがあったからな。」
テストは恙なく終了し、誇之は沙羅のスカイラインに乗って帰路に就いているところだった。
「以前言っていた俺の作った車に沙羅さんが乗るって約束がまさかこんなに早く実現するとは思いませんでしたよ。」
「嘘をつけ、あの時卯月はすでに分かっていただろう?ついでに言えば岬の件もお前が一枚噛んでいるな?」
「えへへ…ばれちゃいました?」
「可能性をつぶしていったら、その結論に至ったまでだ。」
やれやれと、沙羅は隣で笑っている後輩を横目で見た。
「まあ、話を持ち掛けてきたのはあちらからなんですよ。それで条件として彼女の名前を出したんです。」
「まあ、あいつもそろそろステップアップすべき時期にあったからな。それが今日のテストだったというわけか?」
「はい、まさかあそこまでいい結果を出すとは思いませんでしたけど。」
「君の車も上々、本番が楽しみだな…。ああ、それと一つ報告なのだが。この車、叔父に返すことになった。」
「これ、沙羅さんの車じゃなかったんですか?じゃあ、次はどんな車に?」
「ああ、それで新しい車なんだが…またスカイラインに乗ろうと思うんだ。25GTターボ。」
「GT-Rじゃない方ですか…じゃあ、あそこをこうして…あれをつければ…。」
車種を聞いた途端誇之は何やらぶつぶつと呟き始めた。彼の頭の中では勝手に改造プランが出来上がりつつあった。
「なんなら君に改造をお願いしてみようか。」
「良いんですか!?本当にやっちゃいますよ?」
「私は良いと言っている。」
「よっしゃー!」
まだ現物もないのに、誇之は大はしゃぎだった。
「ああ、その前に。自分の仕事をきっちりと終わらせるように。あのミウラ、まだ直っていないんだろう?」
「問題ありません!車体が入ったらすぐに連絡ください。」
「それはそうと、君は今寮暮らしだろう?来年のアパートは見つかったのか?夏のうちに見つけておかないと、後々大変だぞ?」
誇之が通う学校は一年目は寮生活をするという決まりがあり、二年目からは実家から通うなりアパートを探すなりしなければならない。
「実家と言っても居候の身ですからね~。アパート見つけないとまずいのは分かってるんですが。駐車場付き、しかも住宅地じゃないとなると物件少なくて。ちなみに沙羅さんは?」
「郊外のものすごくボロいアパートだ。」
「それ…防犯上心配じゃないですか?」
「私みたいな女に欲情する男もいないと思うのだが…。」
「先輩、一緒にアパート探しましょう。」
自分に疎いということは時として危険な状況にも陥ることがある。それを実感した誇之であった。