彼女のセブンMy Favorite Seven 作:skav
「愛華、そろそろ時間じゃない?」
「あ、うん。そうだね。」
自宅のリビングでくつろいでいた愛華は母親の言葉でテレビをつけた。そして、目当てのチャンネルに切り替えると、ちょうどサーキットの様子が映し出されていた。
―20××年フォーミュラガイアシリーズも終盤を迎え、いよいよ残すところあと二戦。タイトルの可能性を残すのは三チームのみです。さあ、天王山であるここ九州オートポリスを制するのは誰なのか。
「金髪の彼、卯月君はどこのチームなの?」
「ローソン・レネンってところ。ほら、あの青い車のチーム。」
「へぇ…ふふ、卯月君が来た時のお父さんの慌て方はおかしかったわねぇ。」
「そ、それは今言わなくても良いでしょ…。」
愛華は本当に両親へ説明するために誇之が来たことを蒸し返されて、少しだけ顔を赤らめた。
それを誤魔化すように麦茶を一口飲む。
―さて、そのなかでも注目なのがローソン・レネン陣営のマシンですね。他のチームと比較して全体的にすっきりしている印象ですが、今回どんなパフォーマンスを見せるのかとても興味があります。
そしてチャンピオン争いに黄色信号を通り越して赤信号が灯っている三嶋選手ですが、このレースは絶対に勝たなければなりません。はたしてこのニューマシンは三嶋選手に勝利を呼び込むことができるのでしょうか?
―土曜の予選ではそれほどタイムがのびなかったみたいですね。Q1も二周走ってすぐにガレージに入ってしまいましたし。どうもダウンフォースが全体的に落ちてるみたいです。
―ここで三嶋選手のインタビューがあるようです。
画面にはスポンサーカラーの鮮やかなブルーに塗られたマシンが写っていた。その前に、同じく青いレーシングスーツを着た沙羅が映し出された。
―昨日の予選では思ったほどタイムが出なかったようですが。
「いえ、最初からタイムは狙っていませんでした。ですから、それほど気にはしてません。」
―では、これも作戦通りということですか?
「はい、車の調子は万全です。我々はタイトルを取りに行くつもりですから。」
―分かりました、では頑張ってください。以上、三嶋選手でした。
実に簡素なインタビューだったが、彼女の眼には確かな自信を感じ取ることができた。
―僕としては、あの金髪の彼に興味がありますね。実はとある雑誌に彼の記事がありましてね、なんと彼の作った車がニュルで日本車最速タイムを記録したそうなんですよ。
―見た目かなり若いようですが、それが本当であればあのニューマシンは彼が作ったと考えてもよろしいですか?
画面の奥で誇之が映った。彼は余裕そうな表情で、チーム監督と話をしていた。
「あ、今の卯月君じゃない?」
「……うん。」
母親の問いに愛華は空返事をした。上位四台はいずれもタイトル争いをしているチームだ。普通ならタイトルはかなり厳しいはず。それなのに誇之は平然として、時折笑顔を見せていた。
この状況でどんなレースを見せるのか、愛華は完全に画面に集中していた。
―そうですね、レネン陣営のメカニックは彼を相当信頼しているみたいですから。
「では、今回の作戦を説明します。まず8週目に雨が降ります。」
開口一番誇之は突拍子もないことを言い出した。
「ちょっと待て、いきなり妙なことを言う。こんなに晴れているのに雨が降るのか?」
コックピットに収まり、シートベルトのチェックをしながら沙羅は驚いた顔で聞き返した。
「はい、過去20年の気象情報と周辺の日照時間、地表の水分含有量と風向きから予想しました。ほぼ100%間違いなく雨が降ります。」
「では、雨が降るとしてレインに履き替えるんだな?」
「いえ、ハードタイヤに履き替えます。最初の2週はきついでしょうが我慢してください。そのためにソフトタイヤを二周しか使わなかったんですから。それから終盤残り5周で大雨が降るのでそこでレインに履き替えます。」
予想と言うよりは断言と言っているような口ぶりに、沙羅は目を丸くした。
「信用して良いんだな?」
「モチロンです。」
「まあ、ほかに頼るものもないからな。よし、それで行こう。…行ってくる。」
沙羅は誇之に向かって拳を突き出した。意図を理解した誇之は同じように拳を突き出してぶつけた。
ヘルメットを被り、グローブをしっかりしめる。ジャッキが下ろされ、エンジンに火が入る。
チームスタッフがウォール際によけて残り時間を示すプラカードが掲示された。
エンジン回転数を上げる。グリーンフラッグが振られる。ウォーミングラップが始まった。
「あ、走り出した。へ~最初はああやってジグザグに走るのね。」
「うん、あれをやるとタイヤが温まるんだ。タイヤだけじゃなくてブレーキもしっかり温めないと。」
「それで、あの青い車を応援すれば良いの?」
「うん、青いヘルメットの人だからね。赤じゃないよ。」
ウォーミングラップが終了し、各車グリッドに付く。全ての車が停車すると、後ろの方で緑の旗が振られる。そして赤いシグナルが一つずつ減っていく。
適正回転数に上げられたエンジンが一斉に咆哮を上げる。22台の猛獣がスタートを急かすように震える。
ブルーシグナル
クラッチという名の枷から解き放たれた車たちが猛然と走り出す。後ろの車は前の車を追い抜こうと、後ろの車を前に出すまいとブロックをする。
ブロックに対してアクセルを緩めるそのすきを突いた沙羅は前の車を難なくパスした。そしてすかさず前の車の背後にぴったりと張り付く。
第一コーナーを過ぎ、長い一本の列が出来上がった。その中で果敢にオーバーテイクを試みる一台があった。
「よし、上々の滑り出しですね。」
「流石に上位は早いな、もう距離ができ始めてる。」
「まあ、あれくらいなら全然問題ないですよ。最初はできるだけ順位を上げるのが目的ですから。…ふふふ、一波乱起こしてやりましょうか。」
―さあ、接触もなく各車綺麗なスタートを見せました。三嶋選手は一つ順位を上げ10位に上げましたか?上位勢は少しづつ後続との距離を離している模様です。
―22号車はコーナー脱出の安定感が抜群に良いですよ。ほら、全然ふらつかないで。これ相当タイヤに優しい車ですよ。
1コーナーのイン側は路面が荒れていて、綺麗な路面のラインはアウト側の一本しかなかった。しかし、タイヤに優しく足の柔らかい沙羅の車は自由にラインを選択できる。
ぴったりと前の車に張り付き、ホームストレート上で車を右に振る。ブロックをすることもできない相手の車を沙羅は難なくイン側からパスする。
この要領で沙羅は一周ごとに確実に順位を上げていった。しかし、やはり予選用のタイヤはライフが短くグリップ力が急激に落ち始めた。
「そろそろタイヤが限界だ。」
『了解、ピットインしてください。予定通りで行きます。』
―それが本当であればこれはレース終盤が楽しみなところ。おや?22号車がピットに入りました。
―まだ8週でしょ?どうしたんでしょうね。もしかしたら、柔らかいタイヤで走っていたのかもしれないですね。あら、ちょっと待ってくださいこれ雨降ってませんか?
―そうですね…あ、これは凄い。どんどん強くなってますよ!
沙羅の車がピットレーンを出た時には完全に土砂降りになっていた。
少しでもアクセルを踏みすぎればたちまちタイヤが空転する。ステアリングを切りすぎても、簡単に前後のグリップが抜けそうだった。
く、本当にこの路面で走らせるのか…なかなかきつい注文を言う。
―これはたまらず上位勢もピットに入ります。
その時ピットレポーターの叫び声が届いた。
―22号車スリックタイヤです!ドライに履き替えて出ていきました!
―あらぁ…凄いタイミングですね。三嶋選手は災難だなぁ…。
最初の波乱が起きたと愛華は感じ取った。タイヤの作動温度が低いハードタイヤならギリギリ…いや、駄目だ。あまりにも雨量が多すぎる。
これじゃあ勝負にならない…。
思った通りレインタイヤに履き替えた車が沙羅を簡単にパスしていった。彼女はコースにとどまるだけでも精いっぱいの様子だった。
―やはりこの路面ではスリックは無謀だったようです。チーム側の作戦ミスでしょうか?
画面にRennen陣営の映像が映し出された。しかし、相変わらず誇之は余裕の表情でタイミングモニターを見つめていた。
―でもチームは余裕そうですが…いったい何を考えてるのでしょうか?
―う~ん、そこまで遅いわけでもないんですよね22号車は。雨用のセッティングなのかな?
「あ、もう晴れてきた。」
母親の言う通り画面には青空が見え、路面を太陽が照らしていた。
濡れた路面でスリックタイヤは予想通りの状態だった。
タイヤがグリップしない、アンダーにもオーバーにもなる…。ペースを落とせばタイヤが冷えますます滑る。このままのペースを維持しなければ確実にグリップレベルは落ちていく一方だ。
だが、ぎりぎりまだコントロールできる。右足に集中しろ。卯月の策を無下にするわけにはいかない。
全ての車に抜かされ、最下位に落ちてしまった。
焦るな…冷静に、今の私の敵は焦る自分だ。……だが、本当に大丈夫なのだろうか?射程内にちゃんと上位はいるのか?
『トップとの差30秒、良いですよ沙羅さんその調子です。』
その言葉で完全に平静を取り戻した。ありがとう卯月、いいタイミングで教えてくれた。
ちらりと空を見ると、青空が見え隠れしていた。
―路面に日が差してきましたね。これは22号車にとってかなりいい状況ですね。レインタイヤを履いている陣営はどこかでスリックを履かないといけませんからね。
―もしかして、レネン陣営はこれを見越してスリックにしたと考えられませんか?あの顔を見た感じでは、そんな気がしますよ。
画面にしてやったりと言った様子で笑う誇之と美羽が映っていた。
コース上にはレコードラインが出来上がり、ただ一台沙羅だけがそのラインを辿ることができる。ほかの車はタイヤを冷やそうと、水のある場所を探して走っていた。
ついに沙羅のラップタイムが上位陣を上回った。再び息を吹き返し、安定したラップタイムを刻み始めた。
―ああ、これはもうレインはきついようですね。半分以上乾いてきてる。22号車は30秒差?それじゃあ、ピットで簡単に追いついちゃうな…。
―たまらず各車ピットに入ります、全車給油も行います。フルサービスです!その分大きくタイムロス!22号車はもちろんそのままホームストレートを駆け抜けます!トップです、22号車見事な作戦勝ち!
ピットストップは速いチームでもおよそ21秒だったそれにピットレーンを走った時間を足せばおよそ45秒のロスとなる。つまりは15秒のアドバンテージが生まれることになる。
コース上で争うことなく、沙羅はラップリーダーとなった。
「ねえ、今の何が起こったの?」
「えっと…卯月君の天気予報が的中したのかな。」
「ふーん…。」
良く分からないと言った様子で再び母親は画面に視線を移した。無理もない、愛華でさえ目の前で起こったことが信じられないのだから。
今この瞬間サーキットは誇之の手中に収められた。愛華はそう直感した。
路面は完全にドライになった。今私の15秒後方にタイトル争いをする四台が走っている。ラップでいえばおよそ0.5秒あちらの方が早い。とするとあと30周で追いつかれてしまう計算だ。
まあ、それは予選の段階でわかっていたことだ。向こうはミディアムタイヤで予選を走ったというのに、ソフトを履いた私たちよりも速いタイムで走っていたのだから。
だがそれも30周タイヤが持てばの話だ。おそらく20周持てばいい方だろう。
『それじゃあ予定通りに作戦を始めます。』
「ああ、了解。」
それが分かっているから私は自分の仕事に集中することができる。
―現在トップは22号車と21号車です。レネン陣営は余裕ですかね?
―どうでしょうかね?今三位以下はコンマ5秒速いペースですからね。追いつかれちゃうんじゃないですか?
そう、このままレースが進めばすぐに追いつかれてしまう。…あの車が彼らと同じだったならば。
だけど、私は知っている。その目で実際に見たのだ。あの車はタイヤライフが抜群に良い。一回分ピットインの回数が減らせるほどに。
次第に四台の隊列が追いつき、一つの画面に収まるくらい差が縮まってきた。だが、彼らのタイヤは見るからにボロボロだった。
―ここで1号車、36号車がピットインです。やはりタイヤがきついのでしょうか。
―そうですね、けど20周はそう短くないはずなんですけどねぇ…。これは22号車はとんでもないポテンシャルを秘めてるかもしれませんよ。ほら、さっきからタイムがずっと安定してる。
―シーズン途中の大幅アップデートが完璧にかみ合ったレネン陣営、このまま独走してしまうのでしょうか!?
ここで再びピットレポーターが興奮した様子で声を張り上げた。
上空、雨雲が広がってきました!
「愛華ちゃん、今卯月君のところが一番で良いの?」
「うん…でも、もう一波乱あるかも。」
サーキット上空にどす黒い雲が広がり、今にも雨が降り出しそうだった。この状況で今度はどう動くのか、このままでは終わらないことを誇之の表情を見れば明らかだった。
くそ、あの車はどんな魔法で走ってやがるんだ?こちらがいくらハイペースで走ろうがピットに入れば全てパーだ。
『雨雲が広がってきた。いつ降り出してもおかしくない。』
チームの無線からそんな無情な言葉が伝えられる。
…勘弁してくれ。次またアレをやられたらこっちは完全に勝負にならない。頼む、残り10周なんだ…降らないでくれ。
「雨が降る確率は?」
『およそ7割。レインはいつでも履けるように準備してあるぞ。判断はドライバーに任せる。』
最初の降水確率は半分を切ってたんだ。それなのにあの雨だ。天気予報なんざあてにならない。
「……ステイだ。」
そもそもステイアウトしか俺たちにはもう手段がないのだ。
『了解。』
残り8周を迎えたあたりでバイザーに水滴が付き始めた。
ホームストレートを抜けたあたりでポツポツと雨が降り出す。だが、まだレインに履き替えるほどじゃない。…まったく、気の休まる暇がないな。
「ちょっと降ってきましたね。他の陣営はどうです?」
「どこもステイアウト。だが、タイヤを用意しているところから察するにこちらの様子を伺っているみたいだね。」
「あの四台はもうステイアウトしか勝てる可能性はありませんからね。最終ラップはイエローフラッグのバーゲンセールになりますよ。」
「君はどこでそんな言葉を覚えてくるんだい?」
ポツポツとした雨が小雨になり、そして徐々に雨脚が強くなっていった。
「沙羅さん、ピットインしてください。」
『了解』
―ここで再び雨が降り出しました。22号車はタイヤをレインにするようです。これを見て下位勢が一斉にレインタイヤを出し始めました。タイトル争い組は雨が止むと予想したのでしょうか、ピットに動きはありませんね。
―彼らはもうとどまるしか選択肢はありませんからね。
―22号車、5番手でコースに戻りました。目と鼻の先に、上位勢が走っています。あぁっと、これは序盤よりもずっと激しい雨ですよ!今度は止む様子がありません!
コース上には川が出来上がり、レネン陣営の車でもスリックでは不可能なほど水かさが増え始めていた。
―うわぁ…きついなぁ。
曲がることもできず止まることもできず、前に進もうとアクセルを踏むと不安定で強力なダウンフォースが途端に彼に牙をむく。
あるものはそのままタイヤバリアへ、あるものはスピンし、一人、また一人とマシンから降りる。
―上位勢はほぼリタイア、チームの作戦が裏目に出てしまいました!レースの女神は22号車に微笑んだようです!
最終ラップ、ホームストレートを抜け第一コーナーを曲がる。そこでイエローフラッグが振られていた。追い越し禁止区間だ。
少しペースを落として、コースの状況を確認する。タイヤバリアに二台の車が止まっていた。おそらくスリック組だろう。仕方ないとはいえ、この状況でスリックはいくらなんでも無茶だったな。
黄旗区間が終わると目の前を走る車、ラップリーダーが目の前でスピンをした。おそらくコースに車を留めるだけで必死だったのだろう。ピットレーンを走るくらいの速度なのにも関わらず簡単に回ってしまった。
安全な速度までブレーキをかけ、その横をすり抜ける。
最終コーナーを抜け、ピットレーン方向へ車を寄せてホームストレートを走る。今シーズン初めてのチェッカーフラッグだった。
「すごーい!卯月君のチームが優勝だね!」
「う、うん…そうだね。」
青い二台の車が悠々とウイニングランをする。これ以上ないほどの完全勝利だった。これで沙羅はシリーズ2位に急上昇した。
パルクフェルメにマシンを止め、ゆっくりと沙羅はマシンから降りた。
今までここに止めるときは必ず前に車が止まっていた。しかし、今日は誰もいない。
雨に濡れたバイザーを上げると、自分のチームのメンバーが目に入る。その中に誇之の姿もあった。その事実が沙羅に勝利を実感させた。
私は静かに拳を突き出す。すると卯月も同じように握り拳を見せた。直接触れることなく二つの拳をぶつけ合った。
―優勝おめでとうございます。
「ありがとうございます。」
―序盤のピットインは見事でした。あれは、作戦通りですか?
「はい、チームの予想が的中しました。おかげで勝つことができました。」
―これでシリーズ3位タイになりました。最終戦の意気込みを聞かせてください。
「勝ちます。それだけです。」
―以上、見事見事優勝を飾りました三嶋選手のインタビューでした。
勝利してもなお、沙羅は相変わらずそっけない受け答えだった。