彼女のセブンMy Favorite Seven 作:skav
翌日、約束通り誇之と沙羅はMR-Sの洗車をしていた。その横に白いスカイラインも確認できる。
そして今日は誇之が待ちに待った日でもある。
「いよいよCR-Xがお披露目か。」
「はい、ですからお昼ごろには出発したいんです。」
「なるほど、なら岬を呼んで正解だったか。」
そのとき丁度いいタイミングで門から青いインプレッサが入ってきた。
「朝からご苦労様。手伝いに来たよ。」
「ありがとう、助かるよ。」
車か降りてきた愛華は、普段よりも少しだけ口数が多い。当たり前だが彼女は普段見慣れた制服ではなく、私服姿だった。
「よし、岬。これに着替えて早速始めるぞ。」
沙羅がこのために持ってきた自分の短パンとTシャツを渡す。
「いま中には誰もいないからそこで着替えればいいよ。」
「うん、ありがとう。」
着替えをするために愛華は建物の中に消える。
「確かこのインプレッサは岬の父親のだったな。」
「はい、やっぱり地元のメーカーだからでしょうね。生粋のスバリストでしたよ。」
「岬の父親に会ったことがあるのか?」
誇之は以前愛華が学校に行かずに、夜な夜な出かけていた事を説明するために岬家へ訪れたことを思い出した。
「はい、それはもう…衝撃でしたよ。」
事前に岬家に連絡をすると、やはり一人娘のことが心配だったのだろう。すぐに来てほしいと言われたのだった。
翌日岬家に向かうと真剣な顔をした両親に家へ招きいられた。
テーブルを挟んで二人掛けのソファに座るように促され、愛華の両親と対面する形で腰を下ろした。
「愛華、ちょっと来なさい。」
母親が愛華を呼ぶと、気まずそうな顔をしながらも愛華は素直に誇之の隣に座った。
しばらく沈黙が続き、耐えきれなくなった誇之が口を開いたとき―
『君は英語は話せるかい?』
なぜかドイツ語で愛華の父親が誇之にそう尋ねた。
〔は、はい。大丈夫です。〕
『娘とはどこで知り合ったんだい?』
〔愛華さんが通う学校に転校しまして、その時に。〕
「あら、ということは卯月君は高校生?」
〔いえ、大学1年生です〕
「まあ飛び入学?凄いわ~。」
極度の緊張からだろう。誇之は英語で、愛華の両親はドイツ語と日本語で会話をするという混沌とした空間が出来上がってしまったのだった。
三人は全く気が付いていない様子で会話を進めていたが、愛華がストップをかけた。
「三人とも、ちょっと落ち着いて。何かおかしなことになってるから。」
『愛華、今大切な話をしているんだ。静かにしてなさい』
「誇之くん、お母さん、せめて二人はちゃんと話して。」
少しだけ沸き起こった怒りをニヤニヤしている二人に向けた。
「では単刀直入に言います。愛華さんは学校でイジメを受けていました。」
『それは本当かい?愛華。』
「う、うん…本当。」
結局父親は終始ドイツ語のままで会話をしていた。
「それは…凄い光景だな。猫型ロボットのこんにゃくを食べたわけでも無いのだろう?」
「ドイツ出身だから気を遣ってくれたんでしょうけど、本当にあの時はびっくりしましたよ。」
「ふふふ…。それで岬の両親は事情が分かったわけだな。そのおかげで今日は車を貸してくれたというわけか。」
深夜の外出は基本許されないことだが、それを理解した上での彼女の行動の理由を両親はしっかりと理解してくれた。
理解したうえで、高校は卒業することとそのために東京の学校へ転校することを約束した。
すでに彼女は完全に今の学校に行く意思は持っておらず、基本家で勉強をしている。
「お待たせー。」
「よし、じゃあ早速始めましょう。」
高圧洗浄機を片手に誇之は勢いよく水を車にかけていく。最高出力で圧縮された水が車体に当たり、飛び散った水滴が三人に容赦なく浴びせられる。
「ちょっと、卯月君!もう少し加減…冷た!」
「……あ。」
驚いた愛華が誤って高圧ホースを踏みつけると水圧に耐えきれなくなった留め具が外れてしまった。
「…お決まりだな。」
諦めた表情の沙羅が呟いた。
瞬間、作用反作用の法則によりホースが暴れまわる。でたらめに水をまき散らし、飛散した水により見事な虹が浮かび上がる。
「まったく…こら卯月!早く蛇口を締めろ!」
水道の蛇口は結構離れた場所にあるので、誇之が水を止めることには二人はずぶ濡れになっていた。
「……えっと、すみません。」
「なに、岬は悪くない。…岬はな。」
「あははは、盛大にやっちゃいましたね~。」
「お前、ちょっとこっち来い。」
沙羅は泡を作るためにバケツにためておいた水を思い切り誇之にかぶせたのだった。
「うわっぷ!何するんですか!?」
「うるさい、少しは反省しろ。…このっ、このっ!」
「…何やってんだあいつら。」
買い物から帰ってきた遠藤はその惨状を見て呆れた顔をしていた。
そのあとは特にトラブルもなく、三人の分担作業で手際よく作業が進んでいった。
最後の仕上げであるワックスでしっかり磨き上げると、三台は新車のような輝きを放っていた。
対照的に三人は、浴びた水と汗によってすっかりべとべとだった。
「お昼ご飯はそうめんにしましょう。あ、お風呂沸かしてあるんで良かったらどうぞ。」
「ありがとう、気が利くな。ならお言葉に甘えることにする。」
「…私も。」
二人を風呂場へ案内して、キッチンに立った誇之は最近覚えた素麺のゆで方を実践することにした。
「おじさんも素麺食べるでしょ?」
「おー、俺の分は冷蔵庫に放り込んでおけ。後で食う。」
「りょーかーい。」
大鍋に水を張り、段ボールにある素麺をほぼ目分量で放り込んだ。
「そういえばおじさん、白鳥さんとは上手くいってるの?」
「ぶふっ!、なんだ突然。」
煙草を吹きだした遠藤はあからさまに狼狽している声を出した。
「いや、最近仲良いなーって思っただけ。」
「…あれのどこが仲良いってんだよ。」
「ふーん。ところで引っ越し先は目途がついたの?」
最近遠藤は東京へ拠点を移すことを考えている。理由は東京からくる依頼主が大半を占めているからだそうだ。
オーナーが来る回数が増えれば、その分要望に沿った作業を進めることができる。…というのが一応の建前だ。
その依頼主の中に一人、白鳥桜が一番の理由だろうと誇之は確信していた。
「ああ、なかなか良い立地を見つけた。あそこなら客足も伸びるだろうよ。」
「へーそれは良かったじゃん。ポルシェの方は?」
「あとはドライバーに合わせてシートを合わせて、コンピューターをいじって一応完成だな。」
おそらくあのポルシェが完成したら遠藤は拠点を移す準備に取り掛かるのだろう。
「あ、そうそう。これから三人で出かけるからね。夕飯は自分で何とかしてよ。」
「分かった分かった。」
「ふーん、これがスバルのインプレッサか。良く曲がって良く加速するなー。四駆ってこんな動き方するんだ。」
高速道路を三台の車が列を連なって走る。先頭は誇之が乗るインプレッサだった。
「いじりがいがある車だよなーこれも。なんたってラリーで鍛えられた車だからね。」
四輪駆動のまるで加速装置でも着いたかのようなスピードの上がり方は、強烈であった。
「これで二度目だな。この車に乗るのも。」
それに続くのは沙羅が乗るMR-Sだ。
「…早速メーターが増えてる。サイドブレーキもか。」
センターコンソールには水温計と油温計が追加され、サイドブレーキも引くだけでかかるような特殊なものに変わっていた。それらを見てこれから誇之が何をしようとしているかがはっきりと理解できた。
「またジムカーナか。…それならスカイラインも準備をしておくか。」
ミッドシップエンジンゆえの鋭い蹴りだし、軽快な動きをするであろう軽い車体。これはかなり面白そうだ。
「良いな、ほとんど新車みたいなもんだね。この車。」
最後尾を走る白いスカイラインには愛華が乗っていた。H峠でのバトルの際に終始後ろに張り付いていたGT-Rでないことが少し残念ではあった。
…もうあのGT-Rには乗らないのかな?
「三嶋さんはこんな重くて大きな車体でホントにジムカーナを?だとしたら、やっぱりあの人も相当速いんだろうな。」
H峠にて誇之とやりあった際に、終始沙羅の青いスカイラインは一定の距離を保ったまま追走してきた。
そして、バックミラー越しに見えた芸術的なサイドターンはまるでダンスでも踊っているかのようだった。
おそらくアクセルを使って車を操る能力と、タイヤダメージの低い運転技術は愛華よりも優れているだろう。その力はそのままレースでも生かされている。
「ドライタイヤで濡れた路面を走れるんだから、凄いな。」
テストに参加して、レギュラードラーバーよりも速いラップタイムを叩きだしたことよりも、沙羅の連続周回を目の当たりにしたことの方が衝撃だった。
彼女の恐ろしさはラップ数を重ねる決勝レースにて嫌でも知ることになる。
「でも…あの人に勝ちたいな。」
同じ土俵で、同じコンディションで彼女の乗る車と戦ってみたい。そのためにも―
「最終戦、応援してます。…ふふ。」
ゲートを通り、広い道路を進む。今日はサーキットの方も一台の車も確認できない。山奥のサーキットは蝉の鳴き声に包まれていた。
「はぁ~着いたぁ。やっぱり高い所は風が気持ちいいですね~。」
「そうだな、これなら帰りはオープンでも良いかもしれない。」
ホンダミュージアムの入り口前にはNSX~世界初アルミモノコックボディのスポーツカー~と書かれた看板が置かれていた。
「これに卯月くんの車が出てるの?」
「うん、そのはずだよ。」
カーチス号に迎えられ、三人は階段をのっぼって二階へ行く。
二階のフロアが市販車の展示スペース、三階がレーシングカーの展示スペースになっていて、誇之のCR-Xは二階に展示されている。
歴代のホンダ車に囲まれるようにして、フロアの真ん中に初期型から最終モデルまでのすべてのNSXがずらりと並んでいた。
「……すごいな、ここまで揃うと。」
標準モデル、オープンモデルであるタイプT、極限まで軽量化が施され、フルバケットシートが装備されたNSX-R。そして一台の車のホワイトボディが端に展示されていた。
ボディ後部をバッサリと切り落としたような独特なフォルム。ホンダ・コンパクトスポーツの先駆者。
「やあ、久しぶり。どう?色々な人に見られる気分は。」
オールアルミモノコックはこの試作車から始まった。まずは現物を作ってみる。ホンダの伝統的な研究方針から生まれたCR-X。
この車があったからこそ、NSXはアルミモノコックながらもしっかりと剛性が確保されたボディを獲得することができたのだった。
「それにしても、なぜこんな車をお前が乗ってたんだ?」
「詳しくは知りませんよ。まあ、良いじゃないですか収まるべきところに収まったわけだし。それにこの車のおかげで愛華さんと知り合えたんだから。ね?」
「うん、そうだね。あ、卯月君あの穴ってロールバーの穴でしょ?」
愛華が指をさす先には、真新しい穴があった。
「…あけたのか?」
「はい、流石に心配だったので。そのままペシャンコは嫌ですからね。いくら貴重だからって、そのまま乗るには剛性が貧相だったんですよ。」
とは言え、寄贈されるレベルの代物に対する躊躇のない行動に、沙羅はあきれるばかりだった。
「お前の実用性能第一主義には敵わないな。」
ホワイトボディの横にはtype-Rの名前を付けられた車たちが並んでいる。
ホンダのRはNSXからインテグラ、そしてシビックへと受け継がれていく。どれも最速の称号を得るべく開発された車たちだ。
「そういえば近々VOC主催のジムカーナ大会があるんですよ。」
「やっぱりか、それであのMR-Sで出るつもりなんだな?」
「はい、それでその大会では面白いルールがあるんですよ。」
どこに隠し持っていたのか、誇之はポケットから参加要項が書かれた紙を取り出した。
「団体戦…?」
ジムカーナの団体戦。一台の車に対して三人ドライバーで行われる競技だ。1ヒートで一人でもミスコースや四輪脱輪をしてしまうと、そのヒートのタイムは無効になってしまう。
「二人が良かったら三人で出てみようかなーと思うのですが。」
「…面白そう。」
「ああ、構わない。それで、いつやるんだ?」
「最終戦の2週間後です。会場はここですね。ちなみに必要書類は準備済みなので、あとは二人の分ですぐに提出できます。」
なんとも周到な準備に愛華と沙羅は苦笑していた。
その帰り道、再び車をチェンジしてMR-Sには愛華が乗っていた。満場一致でこの車でジムカーナに出ることが決定したので、少しでも挙動の癖を探そうと車の挙動に集中する。
「前が軽い…重心はやっぱり後ろよりか。まあ、ミッドシップだしエンジンも大きくなってるし当たり前か。」
しかし、癖という癖はそれだけだった。重心を除けば、いたって素直に動き、パワーも十分にある。他のメーカー同士の組み合わせであるにも関わらず、とてもレベルの高い位置で均衡を保っていた。
「これはジムカーナ速いだろうなぁ…ふふ。」
最終戦のほかに、もう一つ楽しみが増えた愛華は嬉しそうに口角を上げた。