彼女のセブンMy Favorite Seven 作:skav
―音が遠い
―目の前が霞んでよく見えない
頭の中がボーっとして上手く脳が働かない。しかし、体だけが正確にゆっくりとマシンを動かしている。
―私は、チェッカーを受けて…そうだ、結果は?どちらが勝ったのだろう?
無線機のスイッチを入れる。しかし、聞こえるのは雑音のみ。
―そうだったな。
少しずつ頭が冷静になり、マシンを理性でコントロールをする。
気が付けば後ろの車に抜かされ、最後尾になっていた。
パルクフェルメにマシンを止める。
ベルトを外し、ヘルメットについているコード類を外す。
腕を抜いてマシンに両腕を乗せて力を入れる。その時、上手く体が持ち上がらないことに気が付いた。
足に力が入らない?そこまで体力を使い果たしたのか…。
一度体を浮かせてマシンに腰を下ろした。
「…らさん!沙羅さん!」
遠かった音が少しづつ近くなり、聞きなれた声が聞こえてきた。
声のする方を見ると、誇之が興奮した様子で手招きしていた。
震える足にムチを打ち、ゆっくりと誇之の方へと歩み寄る。彼の手の届くところまで近づくと、ぐいっと体を寄せられた。
「沙羅さん!優勝ですよ!チャンピオンですよ!」
文句を言おうとした瞬間にそんな言葉が聞こえた。振り返り自分が車を停めた場所を確認する。
Series Champion
沙羅のマシンの前にはそう書かれたパネルが立てられていた。
「私は…勝ったのか?」
「はい、ギリギリのギリギリですけど。0.5秒差でした。」
「すまないな、もう少しタイヤに余裕があれば…。」
「いえいえ、俺の計算上は0.3秒差で勝つと予想してました。でも沙羅さんはそれを上回ったんですよ。これは計算外でしたね。」
チャンピオン云々よりも誇之の予想に勝ったということの方が、先に現実味を帯びてきた。
「そうか…お前の予想よりも速かったか。…で、私は勝ったのか?」
「ですからチャンピオンですって。何度言わせるんですか。」
「分かった分かった。…卯月、ご苦労様。」
両手で誇之の頭をワシャワシャと撫で繰り回し、沙羅は選手控室へ向かった。
「いやー凄いレースでしたね。最後の最後までハラハラドキドキでした。」
「三嶋選手の第二セクターのスピードにつられて膨らんだのが最終的に勝負を決めましたね。」
全てを決定づけたシーンのリプレイ映像が流れる。
二台が並んでゴールをしようとした瞬間に沙羅のマシンがフッと伸びるように見えた。
しかし、沙羅のマシンが突然早くなったのではなく、相手のマシンが失速したのが原因だった。
「あー完全にスローパンクチャーしてる。あのS字のデブリを踏んじゃったんでしょうね。」
スローで確認すると、相手の車の右リアタイヤからの白煙を確認することができた。
「最後の最後で幸運の女神は、レースの神様は三嶋選手に微笑んだようです。」
「いや、これは三嶋選手が最後まで冷静にレースをしていたことが勝因ですよ。セクター2でスッと離れたでしょう?たぶん三嶋選手は渾身のプッシュを仕掛けたんでしょうね。」
セクター2のS字の侵入でまず後ろとの距離が離れる。それに焦った後ろのマシンはブレーキを早めに離したことで距離を詰めようとする。
しかし、限界が近いタイヤでそのようなことをすれば簡単にアンダーステアに陥ってしまうだろう。その結果、曲がり切れずにナイフのように固く尖ったカーボンデブリが散乱したアウト側に膨らんでしまったのだった。
「それとレネンの安定した空力も要因にありますね。後ろ車はあんなに暴れてるのに、三嶋選手の車は全然ぶれてないでしょ?」
「逆に言えば、それは失速の原因の一つと言っても良いでしょうか?」
「はい、だから不安定なダウンフォースでタイヤがパンクしたら…そりゃぁ、あっという間に失速しちゃいますね。」
映像には表彰台が映し出されている。
「そろそろ表彰式が始まるようです。まずは今日のレースの表彰です。素晴らしいレースを見せてくれました三嶋選手。見事今シーズン2度目の優勝です。」
トロフィーが渡され、早々とシャンパンファイトが行われる。
「さあ、続いてシリーズの表彰です。僅か2ポイント差で、最終戦で劇的な優勝を遂げ見事逆転チャンピオンに輝きました。三嶋選手。ターニングポイントはやはりシーズン途中にマシンを大きく変更したことでしょうか?」
「そうですね。最初見た時は本当に大丈夫なのかな?と思ったんですが意外や意外、あんなにポテンシャルがあるマシンだったなんて。」
表彰台の頂点に上った沙羅は相変わらずの無表情だったが、少しだけ口角が上がっていた。
「コンストラクターズチャンピオンは逃しましたが、レネン陣営にとっては来シーズンが非常に楽しみです。」
「そうですよ、もし岬選手がこのチームに所属したなら史上初の女性ドライバーチームになりますね。」
「来年も話題が尽きないシーズンになりそうです。ここで放送時間が終わりに近づきました。それではみなさんここでお別れです。」
本当に凄いレースだった。トラブルがあっても最後まで冷静だった三嶋先輩が最後の最後で相手のミスを誘った。
途中タイムが乱れだした時は少し心配したけど…卯月君のガムテが効いたのかな?
「卯月君、おめでとう。」
「ありがとう。後で沙羅さんにも言ってあげてよ。」
「うん、そうする。はあ…私もあんな風になれるのかなー?」
今の私じゃあんなところで勝負ができる自信がない。
…でも、あの場所で勝負をしてみたい。どこまで私が通用するのか試してみたい。
「なれるよ。いや、なってくださいお願いします。」
卯月君の言い方がおかしくて、思わず吹き出してしまった。
「ぷふっ…!」
「笑うこたぁないでしょうに。」
「ふふっ…ふ、ごめんごめん。じゃあ、卯月君の作った車に期待しようかな。」
「モチロン、今年よりも速い車を作るよ!」
ドンと自分の胸を叩く。自信ありげな顔は何か確信めいたものがあった。
卯月君の作った車に乗ってみたい。
監督のところへ向かう卯月君の背中を見つめながら、心からそう思った。
「まさか本当にチャンピオンになるとは思いもしなかったよ。」
「最低条件は2連勝でしたからね。チャンピオンは棚ぼたです。」
優勝の余韻に浸りながら、美春は椅子の背もたれに寄りかかり秋空を見つめた。
「チーム参戦から2年目でドラーバーズチャンピオン。オーナーの野望は着実に進んでいるわけだ。」
「来年が勝負どころ…というわけですか?」
「そうだね、それとまだ非公開なのだけど来年はプラスの方にもチャレンジしようと計画している。」
「プラスって、フォーミュラプラスですか?」
フォーミュラプラスとは、ガイアとは対照的に極限までハイテク化されたマシンを使って行われるレースだ。
マシンの制御がドライバーの限界を超えてしまうので、実際にマシンを動かすドラーバーとは別にマシンを制御を行うサポートドライバーと呼ばれるメカニックが存在する。
「沙羅さん…ですか?」
「そう、来シーズン彼女は二足の草鞋を履いてもらおうと思ってね。モチロンサポートドライバーは君だよ。」
技術の粋を集めてフォーミュラマシンを作ることができる。それだけで誇之は興奮が抑えられなかった。
「それは…楽しみですね。すごく…とてもすごく楽しみです。」
「何やら楽しそうだな、卯月。」
「OH!」
突然の背後からの声に誇之の肩がビクッと反応した。
振り向くと、呆れたように肩をすくめる沙羅がいた。
「驚くと日本人がいなくなるんだな、お前は。」
「いよ、チャンピオン!」
「茶化すな。」
誇之の額をトロフィーで小突く沙羅だった。
劇的な最終戦を終え数週間が経ち、誇之たちは再びツインリンク茂木にいた。
「岬はジムカーナは初めてか?」
「そうですね、本格的なジムカーナは初めてです。真似事は何回かありますけど。」
「それならMR-Sで正解かもしれないですね沙羅さん。」
「そうだな、あれなら簡単にリアが出るだろうし、小回りも聞く。」
スカイラインから工具を取り出しながら、沙羅は頷いた。
「卯月君、タイヤは全部交換?」
「うん、だけどまだ出すだけで交換しなくていいよ。」
「分かった。」
この日のために用意しておいた新古タイヤ(皮むき済み新品タイヤ)をインプレッサから出して、なるべく日当たりのいい場所に置く。
「よし、車検の準備をするか。」
エンジンルームを開けてキャップ類をビニルテープで止めていく。
「愛華さん、ゼッケン貼るの手伝ってよ。」
「良いよ。」
競技に備えて着々と準備を進めていく。
コースウォークにて三人でコースの確認をするはずだったのだが、いつの間にか三人は大人数を従えてコースを歩いていた。
「…なぜこうなった。」
「そりゃ沙羅さんと愛華さんは時の人ですから。」
このジムカーナ大会の前日、レネン陣営は早くも来年のガイアのチーム体制を発表した。
そこには岬愛華と三嶋沙羅の名前が挙がっていた。
史上初の女性ドライバーのコンビに、世間の関心が高まるのであった。
「最年少のチーフメカニックさんは随分と他人事だな。ここは二速か?」
「いえ、1速で引っ張れますよ。その先の八の字にアプローチしやすいでしょうから。」
コース図を見て思い描いたラインと、実際にコースを歩いて最終的なラインと選択するギアのすり合わせを行う。
「顔ぶれを見ると結構大物が揃ってるみたいですね。」
ジムカーナの全日本戦で活躍している選手がちらほらと見える。
「あの人たち普段86で走ってる人達ですよ。」
「S2000で出るのか…。」
全日本戦でもインテグラ、シビックで走っている猛者達も確認できた。思ったよりも今回のレベルは高いようだった。
ドライバーズブリーフィングを終えて、間もなくマーシャル走行が行われる。
そのドライバーを務めるのがなんと美春であった。
白いS2000がスタートラインに付く。
「そういえばあのS2000、ロールバーが付いてましたね。何気に両脚ともフルバケだし。」
「知らなかったのか?あの人定期的に競技に出てるんだぞ?」
「へー、ジムカーナですか?」
「いや、ラリーだ。」
思いもよらない単語が出てきて、誇之と愛華は目を丸くした。
『マーシャルカースタートです。』
日章旗が振られる。
白いS2000は一気に回転数を上げ、ホイールスピンを起こしながらスタートした。
そしてサイドブレーキは使わず、主にアクセルターンで豪快にパイロンの横を通過していく。
それを見て誇之は「あ、ラリーの人だ」と納得した。
本番用タイヤを履いて、いよいよ競技が始まる。
一番手は誇之だった。
「サイドターンのタイミングは俺と沙羅さんの走り方を見て真似してみて。」
「うん、そうする。頑張って。」
「ほーい。」
ベルトを装着し、ヘルメットを被る。グローブをはめ、自分の順番を待つ。
「さて、できるだけタイヤを温存してバトンを繋げないとね。」
個人で走るとなるとタイヤのヘリをそれほど気にする必要はない。だが、今回は合計6本走ることになるので、そこそこタイヤの心配をする必要があるのだ。
「6本分美味しい所が使えたらオーケー…よし、行くか!」
サイドブレーキに増設したツマミをいじり、サイドブレーキのロックを常にフリーにした状態にする。これでサイドターンが少しだけ楽になる。
サイドブレーキを引く。
旗が振られる。
アクセルを煽り、クラッチを徐々に繋ぐ。
回転が落ちる。
サイドブレーキを下ろす。
駆動力が路面に伝えられ、走り出す。荷重が移動し、車体の後部が沈む。ミッドシップの特性を生かして、さらに路面に伝わる力が増える。
回転が上がり、カムが切り替わる。
スタート直後にパイロンをぐるりとドアターンで一周回る。そのあとにスラローム。ハンドルの切れ角が少ない一直線のラインで駆け抜ける。
「~♪流石元FF乗り。見事なドアターンだな。」
口笛を吹き、余裕そうな顔で誇之の走りを見守る沙羅の横で愛華は真剣な表情だった。
「あんなタイトな侵入で曲がれるんですね…。」
「それがサイドターンの特徴だからな。興味が沸いてきたか?」
「モチロンです。二人が持っていて私に持っていないもの…それがここにある。」
沙羅の特徴であるあの無駄のない正確な走り。そして誇之のまるで車と体が一体化しているような荷重移動の秘密がここにあるならば、それを探したいと思うのは当然であろう。
「そうか、ならこの世界に浸るのも良いぞ。レースだけがモータースポーツではないからな。」
「…はい。」
レッドゾーンに当てながら誇之がゴールラインを通過した。
『出ました!卯月選手、、トップタイム~!』
「よし、次は岬だ。頑張ってこい。」
「はい。」
ギャラリースタンドを降りてピットエリアへ向かう。
「お疲れさま卯月君。」
運転席から降りた誇之がヘルメットを外し、フェイスマスクを脱ぐ。その時、汗で濡れた金色の髪の毛が太陽に照らされた。
まるで宝石のように輝くそれに一瞬愛華は気を取られた。
「はい、次は愛華さんの番。頑張ってー。……どしたの?」
「ううん、何でもない。」
急いで自分のフェイスマスクを被り、ほんのり赤くなった顔を隠す。
「特に心配なところはないから、思い切り飛ばしていいよ。」
「了解。」
ベルトの調節を手伝う誇之手が身体に当たりそうになり、変に意識してしまう。
「よし、それじゃ行ってらっしゃい!」
「うん、行ってきます。」
ゆっくりと車を発進させ、スタートを待つ列に加わる。
「…ふー。」
無意識のうちに長い息を吐いていた。今まで体験したことがないほど心臓が早く高鳴る。
初めてのジムカーナに対する興奮と緊張か、それともさっきの誇之が原因か。
愛華自身よく分かっていない。
「とりあえずタイムを残そう。ミスコースも、脱輪もダメ。」
自分がやる米ことを一つずつ挙げていき、頭を冷静にしていった。
後片付けの最中の三人のもとに、美春が姿を現した。
「優勝おめでとう。特に岬さん、初めてとは思えない走りだったよ。」
「ありがとうございます。」
1ヒート目の沙羅のタイムが効き、見事三人が優勝を勝ち取った。やはりタイヤが厳しかったのか、1ヒート目のタイムが勝敗を決したようだった。
「このインプレッサは?」
「父の車です。」
「ということは自分の車はまだないのかい?」
「はい。」
今回のジムカーナを通して、愛華自身ジムカーナにもう少し力を入れてみたいと思い始めていた。
このインプレッサでも十分戦えるが、なにせ父親の車だ。自由に乗り回せるわけでも無い。
インプレッサの次に何を乗るべきなのか、愛華は決めあぐねていた。
「私としてはジムカーナで戦える車を探してます。」
「ふむ…その話、私に任せてくれないか?」
「良いんですか?」
「ああ、晴れて君も我がチームに所属することになったわけだしね。できる限りドライバーの要望に応えるのが私の仕事だからね。」
「でしたら、お願いします。」
愛華の表情が少しだけ和らいだ。
「ああ、それと沙羅さん。来週NSXが届きます。それとエンジンも。」
「そうか、ならその時に連絡してくれ。スカイラインを持っていく。」
誇之たちの方も、次の愛車に向けて準備が始まりつつあった。