彼女のセブンMy Favorite Seven 作:skav
黒狼~ブラックウルフ~
とまあこれまでが幽霊のお話だったんですが。え?…ふふ、すみません。ですが、まさか従妹同士だったなんて思いませんでしたよ。初めて会った時は。
どういう意味かって?それは秘密ですよ。というか理由は薄々分かってるはずでしょ?
…はい。それじゃあ次は本格的に活動を初めて、頭角を現し始めたころのお話が良いですかね。
ええ、そうですよ!黒狼の話もありますよーだ。あんな噂のせいで時々妻から子犬扱いされるんですから。
首都高速道路。昼間は通勤や仕事で忙しなく乗用車やトラックが往来する日本の大動脈。
しかし夜になるとその様子は一変する。
己を磨き、さらなる速さを追い求める者。
バトルに明け暮れ自分の名前を刻み込もうとする者。
そんな様々な思いが交錯する首都高で、特に目立つものは通り名がつけられる。
「黒狼(ブラックウルフ)?あー知ってる!噂のランボルギーニハンターでしょ?」
「ユリちゃん知ってるの?」
少年誌プレイガイズのグラビア撮影にて、担当の轟麗奈(とどろき れいな)は撮影が終わったユリにある噂について尋ねた。
首都高速でランボルギーニだけを狙う車がいて、今のところ全勝中のようだ。
狼の遠吠えのような排気音と黒い車体の色から付いた通り名が黒狼だった。
夜な夜な狩りに出て牛を襲う狼。はたしてその目的は何なのか、そしてその正体は一体―
「ね、気になるでしょ?」
「う、うん…。」
ポルシェ・カレラRS(964)に乗る麗奈自身も気にならないと言えば嘘になる。
「じゃあ、今夜早速行ってみよう!お迎えに行くから待っててね~。」
そんな表情を読み取ったのかユリは麗奈に詰め寄りそう言った。
「じゃあ…待ってます。」
轟麗奈、彼女はこれ以上ないほどの巻き込まれやすい体質だった。
東京都のとあるマンションにて、低くうなるエキゾーストノートが響き渡る。
「前乗ってきたのとは違うね。」
「流石にミウラじゃ勝てないかもしれないからね。今日はディアブロで行きます!」
ランボルギーニ・ディアブロ。世間を驚かせたカウンタックの遺志を継ぎ生まれた車だ。
V型12気筒エンジンは500馬力以上を発生し、何の車にも似ないその風貌はまさにカウンタックの再来と呼ぶにふさわしい車だった。
「カメラは持った?じゃあ行くよ~。」
乗った瞬間に感じるオーラのようなものに、麗奈の心臓は早くも強く脈打っていた。
ユリと麗奈が載るディアブロが首都高をゆっくりと走る。今夜は比較的車の通りが少なく、後ろから追ってくる速い車もすぐに気が付くはずなのだが。
「全然来ないね~。」
「そ、そうだね…。」
何となーく嫌な予感がする麗奈は引き攣った笑みをこぼす。しかし、そんな彼女の思いとは裏腹に突然ディアブロは雄たけびを上げた。
「ちょ、ちょっとユリちゃん?」
「えへへ~ごめんね、ちょっと餌を撒いておこうかなーって。でも…ほらほら、食いついてきたよ。」
そう言ってユリは小さい窓を開けて外の音を聞く。ディアブロのメカニカルノイズに紛れて確実に聞こえている。
オオォォォ…
狼の遠吠えのような甲高い排気音。
しばらくして、ミラーに黒い影が写りこむ。
背後にぴたりと付いた黒狼が三回パッシングした。この首都高の暗黙の了解だ。
後ろにいる車が三回パッシングをした後に、左ウインカーならその契約は不成立になる。
そしてその勝負を受ける場合は、右ウインカーだ。
ユリは躊躇なく右ウインカーを出して、アクセルを踏み込んだ。
先ほどとは比べ物にならない加速Gが麗奈の体を押し出した。
「ひゃ…。」
「ごめんね…麗奈ちゃん。ちょーっと本気で走らないと勝てないかな。」
軽く悲鳴を上げる麗奈だったが、カメラを構える手はしっかりとしていた。
普段とは明らかに違う景色の流れ方に目が回りそうになるが、必死にカメラの画面を睨みつける。
ユリのディアブロはかなりのハイペースで首都高を攻めるが、黒狼は一定の距離を保って食いついていた。
まるで狩る前に獲物を観察する狼のように。
首都高速道路は一般的な高速道路とは異なり、複雑な曲線を描くコーナーが多い。右の高速コーナーが目の前に迫る。
コーナーが苦手であるディアブロはその大柄なボディを生かしてイン側をふさぐ。
黒狼はそんなブロックをいとも介さずアウト側から抜き去る。まるでそこはストレートだと言わんばかりの加速だった。
目の前に黒狼の正体が現れる。
レーシングカーのような低いボディ、特徴的な横長のテールライト。
ホンダが世界に誇るスーパースポーツ。NSXだ。しかしその音は確実にV12のそれだった。
黒い色と言われていたが、実際にはネイビーブルーだった。
「あー…負けちゃったか。」
NSXはペースを落としてPAに入るレーンに侵入した。
「私たちもちょっと休もうか、乗ってる人も気になるし。」
ユリは前の車の横にディアブロを止めた。
渾身のペースで走っていたというのにあっさりと抜いた車のドライバーは誰なのか、ユリはNSXを見つめる。
エンジンが止まり、ドアが開けられる。まず初めに足が見え、天井から金色の髪の毛が見えた。
「あれ、誇之くん?」
「あ、誰かと思ったら三うr…桃瀬さんじゃないですか。」
ドライバーの正体は日本人離れをした透き通るような金髪、スラリとした長身。卯月誇之だった。
知っている人を追いかけまわしたことを気にしているのか、誇之は少し申し訳なさそうな顔をしていた。
そんな時一台の青いスカイラインがNSXの横に車を止めた。
「卯月、お前また勝手に飛び出しただろ?しかも飽きずにランボルギーニを…。」
スカイラインから降りてきた赤髪の女性、三嶋沙羅は真っ先に誇之を怒った。
「いやだってまだ……ね?」
「いい加減割り切れ、あれはどう考えてもお前が悪かっただろ。八つ当たりはこれで最後だ。分かったか?」
「……はーい、分かりましたよー。」
そう返事はするものの誇之はあからさまにふてくされていた。
「うんしょ…やっと足に力が…。」
足元のおぼつかない麗奈がよたよたと車から降りてきた。かがんだ瞬間彼女の大きな胸が揺れる。
「ひっ…!」
その光景が目に飛び込んできた瞬間誇之は沙羅の背後に隠れた。
「えっと…私何かしたのかな?」
そんあ誇之を見て麗奈は戸惑いの色を見せる。
「あー…これはですね。彼の軽率な行いが原因で…その、胸の大きな女性が苦手らしくて。」
「は、はあ……。」
そんな沙羅の説明を聞いてさらに麗奈の表情が曇った。
「自己紹介が遅れましたね。私は三嶋沙羅です。レーシングドライバーそしています。みう…こほん、桃瀬さんとは一応顔見知りです。」
「そうなんですか。私は轟麗奈です。プレイガイズの編集をしています。」
「ほら卯月、お前も自己紹介しろ。」
そう言われ全く隠れていない沙羅の背後から誇之が出てきた。
「卯月誇之です。レーシングチームのメカニックをしています。桃瀬さんのミウラの整備もしてます。」
誇之はできるだけ麗奈の首から下を見ないようにして挨拶をした。
その様子がおかしくて麗奈はくすりと笑った。
「あ、そういえば三嶋さんはウチの雑誌のグラビアも撮ってましたよね?あの写真評判良かったんですよ。またお願いしますね。」
「いえ、その予定は当分ないと思います。」
麗奈の提案に沙羅はほとんど即答で拒否した。そんな沙羅の様子を見た誇之の眼がきらりと輝いた。
「えー残念ですね。じゃああの奇跡の一枚は永久保存ですわー。」
「何?お前まだあの雑誌持ってたのか!?」
「もちろんですよ、もったいない。在庫を問い合わせればまだまだ買え…いててて!」
真顔で答える誇之頭を片腕でがっちりホールドして、もう片方の拳でその頭をグリグリする。
そんな二人の様子を見ながら、麗奈は今日の出来事を同じ系列の自動車雑誌の編集に伝えるかどうかで迷う。
カメラには威圧感さえ漂うネイビーブルーのNSXが写っている。
その写真を見て麗奈は報告は止めることにした。
「あぁ…抜けていく、俺の中のドイツ人が…。」
「元から無いようなものだろ、この…この…!」
イタリアの猛牛を狩り続けた黒狼の正体は、子犬のような少年だった。今日はそれだけが分かれば十分だった。
「…とまあそんなことがあったの。」
「ふぅん…どこかで聞いたことある名前だね…。で、あんた事故ったんだってね。」
「うぐ…。」
現在麗奈は自身が起こした事故が原因で964ではなく、ボクスターに乗っている。それを掘り返されたくなくて先日の事を母親に話していたのだが、残念ながらそれは無駄だったようだ。
「ま、それはそれとして。アンタ従妹の愛華は覚えてるだろ?」
「うん、父さんの通夜に出てたし。…どうしたの?」
「あのこ春に東京の高校に編入するから、あんたのところに住ませてっやてくれってことで。」
「てことでって……。」
「アンタのところは2LDK…1部屋余ってるんだろ?」
ということで従妹と突然一緒に住むことになった。
カレラの事故、保険。突然やってくる従妹などなどいろいろと込み入った話が一気にやってきた。
「とりあえず明日香のところに急ごう。」
やらなければならない事は多いが、今はとりあえず温泉に入ってゆっくりしたかった。
「げ、もう4時…。間に合うかなー?」
約束の時間に遅れてしまう可能性が出てきたため、麗奈は少しだけアクセルを踏む足に力を込めた。
その時、ルームミラーに一台の車が見え始めた。
青い車体に四角い横長のヘッドライトが特徴的だ。
「綺麗な青…どこの車だろ?…って近い近い!」
どんどん車間距離を詰め、最後には鼻先数センチのところまで近づく。
道を譲るために速度を落とすが、後ろの車は一向に追い越す気配が無い。仕方がないので麗奈はペースを上げることにした。
「良く整備されてる…。968CSを断ったのはこれが理由かい?」
ホンダインテグラタイプR。NSX-R以来二台目につけられたRの名前。インテグラをベースにして軽量化とボディ補強を施し、足回りも煮詰めることでFFとは思えない運動性能を手にれた車体。
職人が一基ずつ手作業で研磨をしたエンジンはリッター111馬力を誇る高性能エンジンだ。
その二つが組み合わさったインテグラタイプRは同クラスにはもはや敵なしと言わしめ、時には各上の相手に対しても遜色なく立ち回って見せた。
「ごめんなさい。でも、968でジムカーナはちょっと…。」
「ま、やることが見つかったのならそれを通したらいいさ。」
「うん。」
今まで5000回転で走っていたペースを少し上げる。
「一番パンチが効いた96スペックって言うけど。…Vtecに入った瞬間のこの感じは癖になるなー。」
タコメーターの黄色い針が上昇し、5700回転を超える。その瞬間。音色が変わる、まるでターボが効いたように鋭く加速する。
「年式も古いけど…ブッシュ換えて。元々ラリー仕様だから装備を外して軽量化して。できればエンジンもオーバーホールをすればまだまだ戦える。じゃあ前に出るね。」
「はいよ、対向車に注意して。」
小さいコーナーを抜け、高回転域を維持したままボクスターの横に並ぶ。その瞬間目の前にトラックが迫る。
「…くっ。」
寸前でボクスターを抜かし切り、思い切りブレーキを踏んだ。その瞬間リアタイヤのグリップが抜けてリアが流れてしまう。
愛華はサイドブレーキを引き、沙羅にリアタイヤを流すことで元の車線に戻った。
スピンを維持したままボクスターに正面を向いた状態で停止する。
「ふーびっくりした…。あのトラックのドライバーには悪いことしたね。」
深く息を吐く横で愛華は落ち込んだように、ステアリングにもたれかかっていた。
「まだ荷重変動が起こる…。全然ってことか。」
先ほどの自分の運転を思い出して、ある人物との運転と比較する。
”彼”だったらおそらくリアを流さずに何事もなくクリアしただろう。
「え、母さん?」
「あんたが事故ったって聞いて上達具合を確かめようと思ってね。」
そんな会話を聞きながら愛華はバケットシートに寄りかかり、ため息をついた。
そんな刺激的な顔合わせから数日が経ち、麗奈は駅前までボクスターを運転していた。今日から一緒に住むことになる愛華を迎えに行くためだ。
「お待たせ~さ、乗って乗って。」
愛華を助手席に乗せて、とりあえず周辺をドライブすることにした。
「あれ?そういえば愛華ちゃんって今年で19歳だよね?高校三年生って…。」
そんな疑問を口にしてから麗奈はハッと口をつぐんだ。
「三年生の時にイジメがあってね。それが原因で全然学校行ってなかったの。いわゆる不登校ってやつ?」
「ご、ごめんね言いにくいことだったよね?」
「良いよ別に。一人助けてくれた子がいてね、だからもう全然気にしてない。」
イジメという言葉が出てきたが、愛華の口調は想像以上に軽かった。
「じゃあ、その子との関係は一生大切にしないとね。」
「もちろん。」
お昼時となり、小腹がすいた二人は小さな喫茶店に立ち寄った。
「ここ穴場なんだよ。落ち着いた雰囲気でお茶も食べ物もすっごく美味しいの!」
麗奈の言う通り店内は落ち着いた雰囲気で、時間の流れがゆっくりに感じた。
「あれ、愛華さんだ。いらっしゃい。」
声のした方を向くと、この店の制服で身を包んだ誇之が立っていた。
「卯月君、ここで働いてるの?」
「うん、学校帰りに通えるからね。…それと轟さんとは知り合い?」
「あ、姉さんのこと知ってるんだ。そうだよ、私の従妹。」
そんな会話をする愛華の顔を麗奈はじっくりと観察していた。
平静を装っているが、その瞳が僅かに揺れている。ちらりと誇之の顔を見て、視線が合うとスッと目をそらす。
…ナルホド。
「もしかして愛華ちゃんがさっき言ってた助けてくれた子って…ムグ。」
「姉さんそれ以上言っちゃダメ。」
ものすごい勢いで麗奈の口をふさぐが、時すでに遅く、誇之目がきらりと光った。
「そうですよ。でも俺が大学に行ってからかなーり寂しい思いさせちゃったみたいで。」
「べつに寂しくは―」
「え、寂しくなかったの?」
「うぐ……。」
言葉を詰まらせる愛華を見て麗奈はにやにやとした顔をメニュー表で隠した。
大変そうだと思っていた思わぬ同居人の登場だったが、案外楽しめそうであった。
とあるマンションの地下駐車場へネイビーブルーのNSXが入っていく。
広々とした駐車場に低い音が響き渡る。マリンブルーのスカイラインの横にNSXが止まる。
「ふー今日も働いた~。」
車から降りた誇之はすぐさまタイヤの観察を始めた。
「…少し減り方が変だな。アライメントだろうけど。あ~やっぱりネオバ良いな~。」
思わずタイヤに頬ずりをしそうになるのをすんでのところで思いとどまる。
「いかんいかん…また遅くなって沙羅さんに怒られる。」
およそ一時間も駐車場でそんなことを繰り返したことで同居人である沙羅にこってり絞られたことを思い出したのだった。
NSXを見て、スカイラインを見て、誇之は自分の部屋へ向かった。
「ただいまー。お、今日はカレーですか。」
「残念、カレーうどんだ。すぐに食べられるぞ。手洗って来い。」
「わーい。」
しっかりと手洗いとうがいをする誇之の横で沙羅は大きめの器と普通の器にカレーうどんをよそった。
「そう言えば今日バイト中に愛華さんと轟さんが来ましたよ。二人は従妹同士なんですって。」
「そうだったのか…ということは岬はあの人と同居するのか。卯月は岬が次何に乗るか知ってるか?」
「いえ知らないです。沙羅さんは知ってるんですか?」
「ああ、インテRだそうだ。96スペックのラリー仕様。」
車種の名前を聞いて誇之は目を輝かせた。
「DC2ですか!?あのテンハチ最強のエンジンを搭載した?」
「ああ、未だに第一線で戦ってるヤツだ。あれでジムカーナをやれば、確かに勝負になるな。」
ジムカーナのN1クラス(前輪駆動、排気量1600cc以上、改造範囲が最も狭い)では上位に食い込む選手のマシンは全てDC2型のインテグラタイプRだ。
純正状態で軽く、よく曲がり、尚且つパワーがあるインテRはそのクラスにぴったりの車だと言える。
「うわぁ楽しみだな~今日あたり出くわさないかな~。」
口の周りにカレーをつけながら誇之は子供のような顔を浮かべていた。
「…まったく。」
沙羅はそんな誇之の口元をそっとティッシュで拭うのだった。
「愛華ちゃんどこ行くの?」
「走りに行ってくる。」
そう言って愛華はマンションの駐車場へ向かう。麗奈は慌てて愛華の後を追った。
「駄目だよーまた群馬の時みたく無茶しちゃ。」
なんでついてくるかなー?と愛華は内心思うが、口には出さなかった。
「あ、私のポル君と同じ鉄の棒があるー…愛華ちゃんこの機械ってなに?」
麗奈は助手席に付けられている電卓のような機械に興味を示していた。
「ラリーコンピューター…ま、当分使う予定はないけど。」
「ふーん。」
とりあえず何かに使う機械なんだと納得させ、フルバケに背を預けた。
「とりあえず芝浦PAまで行って休憩しよっか。」
「はーい。」
誇之と沙羅も同じく首都高速に訪れていた。
「あーやっぱり来たか…。」
しかし愛華達とは対照的にこちらは忙しそうであった。
誇之のNSXの背後で一台の真っ白なフェラーリ・モデナがパッシングを仕掛けていた。
黒狼の噂はフェラーリ乗りにまで広がっていた。同じイタリアで生まれたスポーツカーでありながら、猛牛にだけ勝負を挑むことに跳ね馬たちはプライドを傷つけられていたようだ。
「しかもあの派手なステッカーって…うわぁ、一番面倒な人に。」
誇之は常日頃からフェラーリにあらずんば車にあらずと平安時代の平家を想起させる言葉を放つ女性漫画家の顔を思い出した。
「まあ、折角なんで受けて立ちますけど…ね!」
右ウインカーと同時にアクセルを踏み込む。タコメーターは滑らかに吹け上がるが、8000回転付近でシフトアップをした。
「V12にはV12を…だからごめんなさい。」
センターコンソールに設置されているリミッターカットの赤いスイッチはOFFのままだった。
「卯月のヤツ…また相手の癇に障るようなことを。」
フェラーリモデナの背後にぴたりと付けた状態で沙羅は呆れた顔をしていた。
跳ね馬乗り達の中でもプライドがかなり高い霧島ぱるこはさぞやお怒りだろう。
「ただ、それが命取りになることもある。」
冷静さを欠いたまま走れば視野が狭くなり、ミスも多くなる。誇之は相手のミスを誘う運転が非常に得意だった。
誇之は徐々にペースを上げていき、後ろの車を自分のリズムに取り込んでいく。まるでダンスを踊っているような心地の良いペースは、引き込んだものを地獄へと引きずり込む。
長い高速コーナーを曲がる最中に突如フェラーリ・モデナのリアタイヤが流れた。アクセルを緩めカウンターを当てて立て直すが、誇之のNSXはすでに遠く離れていた。
ハーフスピンをしている最中に沙羅もすでに追い抜いていた。
「アイツのコーナーリングに付いていくからそうなるんだ。…ふっ、一つ勉強になったな。」
悔しそうにペースを落とす純白のフェラーリの姿をルームミラーで見ながら、沙羅は誇之を追った。
「なんだか遠くの方で凄い音が聞こえるね。」
「そうだね…たぶん誰かがバトルしてるんだと思う。」
大黒PAで休憩をしていると、スポーツカー特有の低いうなり声が近づいてきた。
一台はマリンブルーのスカイライン、そしてもう一台はネイビーブルーのNSXだった。
スカラインは三嶋先輩かな。…あのNSXは誰だろう?
「こんな時間に外出か?不良だな。」
「先輩だって人の事言えないですよ。」
沙羅は車内からミネラルウォーターを取り出して、車に寄りかかりながらそれを飲む。
「それが新しい車か?」
「はい。ラリー車ですけど、これからジムカーナ仕様にしていくつもりです。」
「そうか…良い選択だ。」
「愛華さんだ、こんばんわ~。おぉ~!インテRだ!」
NSXから出てきた誇之は早速愛華の新車に興味津々だった。
車の周りを観察し、運転席を見てブレーキなどの各所を見ていく。
「エンジンはノーマル?オーバーホールは?」
「ノーマルだよ。オーバーホールもまだしてない。」
「じゃあ、一回見た方が良いかもね。」
「エンジンもだけどブッシュとかもだいぶ弱ってきてるかも。」
「そっか…そっか~愛華さんがインテRか~。」
誇之はなぜか嬉しそうに車と愛華を交互に見る。
「ちなみに卯月君ならこの車をどういじる?」
「そうだな~とりあえずリフレッシュは前提として…元が良いからブレーキのインチアップくらいかな?制動距離が10メートル違うと思うよ。」
「10メートル…。」
ブレーキで突っ込んでいくスタイルの運転をする愛華にとってそれは夢のような数字だった。
「俺に任せて貰えばリフレッシュからインチアップまで全部やるよ?」
「じゃあ…お願いしようかな。」
「よっしゃぁぁ!DC2をいじれるぞ~!」
飛び上がって喜ぶ誇之を見て愛華は多少の戸惑いの色が混じった笑みを見せた。
「それはそうとあのNSXは卯月君が言ってた車?」
「そうだよ~良かったら乗ってみる?」
「……良いの?」
願ってもない申し出に二つ返事で了承した。
「じゃあ、ちょっと行ってきますね。」
「ああ、気を付けて。」
「行ってらっしゃい。」
運転席に愛華が乗り、助手席に誇之が乗り、NSXはPAの出口へ向かっていった。
横長のテールライトを見つめた後、沙羅はスカイラインのボンネットを撫でた。
エンジン自体が軽くなってるとは言え、少し動きが重いな…。もう少し足のセットを煮詰める必要があるか。ボンネットとトランクも…軽いものに変えるか。
それからタイヤの摩耗具合も確認する。
自分では綺麗な摩耗な方だとは思うが…アイツと比べるとまだ荒い。
同時期に購入したタイヤで同じくらいの走行距離を走っているというのに、沙羅のタイヤの方が摩耗の進行が速い。
誇之の方が飛ばしまくっているのにも関わらずだ。
「…生意気な。」
脳裏に天真爛漫な笑顔が浮かび上がり、沙羅は小さく笑った。
「(気まずい…!)」
そんな沙羅を見ながら麗奈は愛華が早く帰ってくることを願っていた。
「回転の落ち方…滑らかな吹け上がり。本当にレーシングカーみたいだね。」
NSXをゆっくり走らせながら愛華は思った感想を口にした。
「でも足は固すぎず、むしろしなやか…街乗りも全然苦じゃない。」
「折角だからリミッターカットしてみようか。その赤いカバーのスイッチ押してみて。」
愛華は一瞬戸惑うが、意を決して赤いカバーを上にずらす。そして、スイッチを押し込んだ。
その瞬間タコメーターの照明が青色から赤色に変わった。メーター自身も反時計回りに回転して、今まで見えなかった本来のレッドゾーンが現れた。
刻まれた数字は15。愛華の緊張が一気に膨れ上がった。
四速に落として、先ほどと同じ感覚でアクセルを踏み込む。
グン!!
「わっ…。」
するとまるで一速のような加速で一気にレッドゾーンまで到達した。慌ててアクセルを緩めると、
ガクン!!
今度は強烈なエンジンブレーキで一気に減速する。
愛華は冷静に6速に入れてアクセルを慎重に踏み込んだ。
今度は落ち着いた加速で巡航速度まで到達する。
「愛華さんこれじゃあリミッターの意味ないよ?」
「無理。」
誇之の茶化しをバッサリと切り落とす愛華だった。いまの自分ではこれが精いっぱいだった。
結局次のSAで誇之に運転を代わってもらった。
「二人も待ってることだし、ちょーっと飛ばすよ~。」
そう言って誇之はリミッターを解除したままアクセルを踏み込んだ。5速からの加速。
タコメーターの針が滑らかに上昇していく。そして10000回転を超えたところで音が変わった。高速用カムが切り替わった音だ。
そしてさらにシートが自分を押し出す力が強くなる。
「……っ!」
目の前の景色が飛ぶように流れ出す。少しずつ視界が狭くなっていき、やがて目の前のものしか見えなくなってくる。
「愛華さん大丈夫~まだまだ行くよ~。」
必死に前を睨みつけているのが精一杯だと言うのに、誇之は街中で会話をするような感覚で愛華の方をちらっと見る。
遠くに見えたコーナーがあっという間に近づく。コーナーだと言うのにも関わらず、愛華には壁にしか見えなかった。
「く…っ!」
サイドバーを掴み、足を踏ん張ってバケットシートに背中を密着させる。
壁が迫る。誇之はまだブレーキを踏まない。迫る壁が重圧となり、愛華の眼の奥がズキズキと脈を打ち始めた。
まだ…踏まない。
「……!!」
愛華は耐えきれず、ついに目を閉じた。それからしばらくもしないうちに強烈な減速Gが体を襲う。縦の力が滑らかに横の遠心力へと変換されていく。
うっすらと目を開けると、コーナーをとんでもない速さで通過している最中だった。コーナーを抜けると再び強烈なトラクションが体を押し出した。
「っはぁ…はぁ…。」
息を止めて苦しくなり、愛華は冷や汗を流しながら息を整える。この感覚はあのCR-Xとバトルをして以来だった。
しかし今ハンドルを握っているのは誇之だ。青の時はペースを落とせたが、今この状況では不可能だ。
誇之にペースを落とすように言えば良いのだが、それは愛華のプライドが許さなかった。
「よし、タイヤの食いつきも申し分なし。愛華さん、大丈夫?」
「大丈夫。」
全然大丈夫じゃないのだが、愛華はきっぱりと言った。
「おっけ~。」
誇之は4速までギアを落とす。そして躊躇なくアクセルを踏み込む。
ドン!!
それはもはや衝撃と呼んだ方がふさわしいのではないかと思えるほどの加速Gだった。
…勘弁して。
二人が帰ってくるころには愛華はすっかり腰砕けになっていた。
「卯月、またやらかしたのか?」
「……てへ。」
沙羅は容赦無しに誇之にデコピンで制裁を加えた。
「姉さん、帰り私のインテ運転してくれる?」
「良いけど…大丈夫?」
ふらふらの千鳥足でインテグラの助手席にやっとのことでたどり着く。
「ふー…凄かった…。」
そっと呟いたその声に妙な色気が混じっていて、麗奈はなぜかドキドキした。