彼女のセブンMy Favorite Seven 作:skav
「なんだ、おじさんも来るの?」
「当たり前だ!プロレーサーと、ニュル育ちのアマチュアレーサーとの対決だぞ。見ないわけ無いだろうが。」
「アマチュア・・・ははは、うんそうだよね・・・皆知らないもんね・・・。」
今日はいよいよレース本番の日である。夕方になり、誇之と遠藤は戦場へと出発した。アマチュアという遠藤の発言に、誇之は少しぎこちない反応を示した。
「本日はありがとうございます。彼女のわがままにつきあって頂いて。」
「いえいえ、僕も楽しみにしてましたから。それで、今日は随分とギャラリーが多いんですね。」
誇之達がいる駐車場でもすでに満席状態で、ほかの駐車場でも同じような状況らしい。
「完全に閉鎖するとは言え、公道レースですからね。物好きが多いんですよ。それに、今日は雑誌の取材も入ってるんです。」
「・・・へえ、どこの雑誌です?」
「確か、ドリヴィン・・・と言いましたか。」
そんなとき、二人の男女が誇之前に姿を現した。
眼鏡をかけた女性と、長髪の男性だ。
「お久しぶりね卯月誇之君。まさか日本に帰ってきたなんて。」
「ドリヴィン・・・ああ、あの時の!お久しぶりです叶さん。」
女性の方は誇之も知っていた。ニュルブルクリンクで一度取材を受けたことがあったからだった。
「編集長、面識があったんですか?」
「ええ、松坂君も知ってるでしょう?ウチが取り上げた市販車最速記録の記事。」
「ああ、あの記事ですね・・・。って、まだこんなに若いんですか?」
松坂と呼ばれた男性は酷く驚いた様だった。
「初めまして、卯月誇之です。」
「ど、ども・・・松坂です。」
挨拶を終えた誇之は、もう一人の主役の居場所を西田に尋ねた。
「えっと、三嶋さんはどこに?」
「私がどうかしたか?」
「Oh!!」
いきなり背後から話しかけられた誇之は、見事な発音で飛び上がった。誇之が振り向くと、相変わらず切れ目の沙羅が立っていた。
「丁度良いわ、二人とも写真を撮らせてくれるかしら?」
叶の指示で二人の車を並べて、その前に立った二人の写真を数枚撮る。そしていくつか質問の受け答えをした。
「相変わらず奇天烈なチューンを考えつくのね卯月君は。」
「こりゃあかなり軽そうだな・・・。」
とりわけドリヴィンの二人は誇之の車に興味津々だった。
「さて、道路の封鎖も終了しましたし。コースマーシャルの配置も終わったそうなので、そろそろ始めましょうか。」
西田の言葉に誇之と沙羅は静かに頷いた。
先月と同じく先にゴールした方の勝ちだが、今回は三周で行われる。伸びた距離がどちらに有利に働くか。ソレが分かるのはチェッカーが振られたときだ。
スタートラインに二台の車が並ぶ。濃紺のCR-Xとマリンブルーのスカイライン。
カウント5秒前が掲示されて、両者とも最適な回転域までエンジンを回す。山の中に4気筒と6気筒の音が響く。
「5・・・4・・3・・・2・・・1・・・GO!」
スターターの手が下ろされ、同時にクラッチをつなぐ。
軽いCR-Xが一度前に飛び出すが、その後馬力の勝るスカイラインが並び返す。両者そのまま緩い右コーナーを抜けて、短い直線の後に最初の勝負どころが訪れる。
ややきつめの左コーナー。
4速からのフルブレーキング。先にテールランプを点灯させたのは沙羅の方だった。やや遅れて誇之のCR-Xも赤いランプを点灯させる。
完全にブレーキで前に出た誇之はアクセルを踏んだままコーナーを駆け抜ける。
先月の様子を観察するに、沙羅は後半追い上げ方のようだった。
「じゃあ、早めに前に出たし。ここは逃げ切ろうかな~。あっちはSタイヤだし。」
Sタイヤとは一般道を走れるスリックタイヤで、極端に溝が少ないのが特徴だ。普通のスポーツタイヤとは桁違いのグリップ力を発揮する反面、タイヤをしっかり暖めないと本来の実力を発揮することができない。タイヤが冷えたままで使うと、すぐ使い物にならなくなる。と言う弱点もある。
誇之としては相手のタイヤが温まる前に、できるだけ距離を開けておきたいところだ。
「先月以来だが、本当に恐ろしいスピードで進入する・・・。よほどあの車を知っているのか?」
タイヤに負担をかけないように、丁寧にアクセルをコントロールしながら、沙羅は目の前を走る車を観察する。
元々軽くて、ショートホイールベースの車体に、ホンダ製のエンジンを積んだCR-Xは峠で敵なしと言われてきた。
その特徴をさらに極限まで高めた彼の車は、まるで蜘蛛の糸の上をたどるような危険な均衡を保っているように見える。
そしてその車を躊躇無く限界の領域まで持っていく、彼もなにか恐ろしい者のように感じた。
このときのために用意したSタイヤだ。タイヤを暖めながら前を行く車を追いかける状況は何度も体験している。
大丈夫、必ず追いつく。追い越せる。
冷静に、ホイールスピンを絶対起こすな。横Gを極限まで減らせ。ブレーキは優しいタッチでしっかりと。
じりじりと二台の距離が開いていき、最終コーナーを立ち上がる頃には6秒の差が開いていた。
ストレートを通過する誇之のバックミラーに小さく映る沙羅のスカイライン。そのライトが一回点滅した。
―パッシング
前の車を抜かせるための合図だが、これがゴングだった。
来る。と、誇之は察した。今から後ろのスカイラインが、恐ろしいプッシュをして追い上げてくる。
それが恐ろしくもあり、楽しみでもあった。
五速全開、ノーブレーキで1コーナーを抜けて、フルブレーキング。特訓の成果が花咲き、高回転を維持したままコーナーを抜ける。
一瞬陰に隠れてスカイラインの姿が見えなくなる。見晴らしの良い複合コーナーをクリアしている最中に再びヘッドライトがミラーを照らす。
確実に差は詰まってきている。
「うっは~もう来てるよ。凄いなSタイヤって。」
トンネルを抜けてきつい登りの後に急な下りのS字。車体を壁に擦りつけるぎりぎりを通過する。
さらに距離が縮まること、その差2秒半。この先は先月沙羅が勝負を仕掛けた急勾配からのヘアピンだ。彼女がそこで仕掛けてくることは確実。
それを阻止するためには、手前の高速コーナーで蓋をすれば良いのだが。彼女は絶妙な距離でそれをさせない。
そのまま誇之は全開でコーナーを抜ける。そしてイン側を閉めて彼女を待ち構える。
「あーこのラインって2005年鈴鹿のフィジケラのラインじゃん・・・あ。」
スカイラインが恐ろしいスピードで高速コーナーを抜ける。そして、あっという間にCR-Xのテールに吸い付く。完全なテール・トゥ・ノーズだった。
「もらったぞ卯月!」
スカイラインがアウトに車体を振り、両車はほぼ同時にブレーキランプを点滅させた。先にランプが消えたのは、なんとスカイラインの方だった。
少しオーバースピード気味にアウトからCR-Xをかぶせる。加速が鈍ったCR-Xと並ぶように逆デグナーにアプローチ。今度はスカイラインがイン側だ。
綺麗なラインを描いて、スカイラインはCR-Xをパスした。
「あーあー、やられちゃったよ。でも、まだ一周残ってるんだな~。」
ここまでの展開は誇之の予想通りであった。正直こんなに見事に抜かれるとは思っていなかったが。
おそらく沙羅は最後までタイヤを持たせるためにペースを落とすか、グリップが落ちる前にできるだけ離すか。どちらかをしてくるはずだ。
サーキットであれば最後までタイヤはもつだろうが、ここは舗装の荒い峠道だ。どんなに気を遣ってもタイヤはすぐに摩耗する。
2週が終わった時点で2秒の差が開いた。決して難しい距離では無い。
「よし、今度は立場が逆転したね・・・ふふ。」
誇之を抜いてから、沙羅は自分の失策に気がついた。
「しまった・・・仕掛けるのが早すぎたか。」
一週目の最終コーナーを抜けた瞬間に、なぜだか分からないが、自然と手がパッシングをしていた。
その時、一瞬にして全身の血が沸騰するのを感じた。ただ本能のままに前にいる車を追いかける。
これでもかとブレーキを踏み、アクセルを床まで踏み抜く。暴れる車をカウンターを切ってねじ伏せる。
そして前に出たときにはほとんどタイヤを使い果たしていた。
「くそっ・・・私としたことが・・・なぜだ。」
これが公式のレースだったら、優勝をふいにするところだ。どうして?ここが公道だからか?相手がプロじゃ無いから?
焦る沙羅はブレーキを踏むタイミングを誤り、突っ込みすぎる。
「しまった!?」
苦労して稼いだマージンがこれで完全に無くなり、ぴったりと後ろに着かれてしまった。
タイヤはすでに限界を迎えつつあった。ブロックラインを取る余裕さえ無い。
上りながらの複合コーナーであっさりと抜き返されてしまった。
「だめだ・・・もうついて行くのさえ・・・。」
酷いアンダーステアとオーバーステアに翻弄されながら、ふと沙羅はある違和感に気がついた。
「差が・・・開かない?」
向こうの車も限界なのだろうか?いや、違う。聞こえてくるエンジン音が明らかに低い回転域の音をしていた。
それはまるで、転んで泣いている子供に手をさしのべているようでもあった。
「一体何なんだ・・・これはレースだぞ?」
後ろを気遣い、尚かつレースペースを維持する前の車から感じるのはあまりにも場違いな感情だった。
”車を運転するのは楽しい”
そんな気持ちが伝わってくるような気がした。そしてその楽しそうなリズムがとても心地よく、身をゆだねたくなる。
そうか・・・卯月はあんなにハイスピードでもこんな気持ちで走れるのか。
それは羨ましくもあり、恐ろしくもあった。
ほとんどトップスピードのまま二台は並ぶようにゴールラインを通過する。ノーズ一つ分誇之のCR-Xが先にゴールした。
ギャラリーから見ればぎりぎり誇之が買ったように見えたが、当事者同士では圧倒的な大差で勝負がついていた。
「私の負けだ卯月。本当に気味は不思議なヤツだ。」
「今日のレースは凄く楽しかったです。ありがとうございました。三嶋さん。」
「沙羅で良い。・・・こちらこそ礼を言うよ。ありがとう、卯月。あそこまで攻め込んだ走りをしたのはいつ以来だったかなぁ・・・。」
沙羅はスカイラインのボンネットに寄りかかり、昔を思い出すように上を見た。
「じゃあ、沙羅さんで。それにしてもこのスカイライン、乗りやすそうですね。タイヤが終わってもちゃんとコントロールできてましたし。でも一番は沙羅さんのアクセルコントロールが上手だからですかね。機会があったら隣に乗せて下さいよ。」
「別の機会と言わず、今からでも構わないが?」
「本当ですか!?」
車から降りれば、車が好きな者同士簡単に打ち解けてしまったようだ。
沙羅自身このへんてこな後輩に対して妙な親近感が湧いていた。
「ナビシートに誰かを乗せたのは卯月が初めてなんだ。光栄に思え。」
キーを回すと、軽快なセルモーターの音の後に豪快な排気音が響き渡る。
「良いですね~RBエンジンも。高回転まで回るエンジンは大好物ですよー。ドイツにいたときは知り合いのスカイラインを一万回転まで回せるようにしたこともあってですね。」
「・・・君も大概だな。」
苦笑をしながら沙羅はクラッチをつなぐ。遅いスピードで、こうして話しながら運転するのも悪くない。と、感じる沙羅であった。