彼女のセブンMy Favorite Seven 作:skav
三嶋沙羅は一人、とある峠道を走っていた。ただし攻めているわけではない、ただゆっくりと流すように車を走らせていた。
先日の一件から沙羅は車の運転を楽しむ、ということを学ばされた。タイヤが地面を捉え、サスペンションへ、ボディ、ドライバーへと伝わる路面の情報。車の挙動。それを読み取り、車が今どんな動きをして欲しいのかを感じ取る。
スピードを出す必要は無い。沙羅はゆっくりと車との対話を楽しんでいた。
明日は卯月とジムカーナへ行く約束をしたのだ。久しぶりのジムカーナ。・・・卯月とジムカーナか。
「はっ・・・何を考えているんだ私は。」
たった一度レースをしただけの、ただの後輩じゃないか。そう、ただの後輩だ!・・・だが、なぜか心が弾むのも確かではある。
「だからなぜ笑っているんだ・・・。」
ミラー越しにニヤつく自分の顔を見て、真顔に戻そうと四苦八苦していた。現在深夜一時過ぎ、そろそろ帰った方が良い時間だろう。
そんなとき、一台の車が背後にぴたりとついていた。
インプレッサ。そのヘッドライトの形から涙目形と呼ばれているタイプだった。
ヘッドライトを点滅させる、パッシング、それを意味するものはただ一つだった。
「生憎だが、今日はそう言う気分では無いな。」
ハザードを転倒させて、左に寄せる。
食いつかない獲物に、興ざめしたのか背後の車は緩やかに加速し沙羅のスカイラインを追い越していった。
「・・・・・・なに?」
しかしそこにはあるべきものがあらず、沙羅は驚く。青いインプレッサ、そこに座るドライバーの姿がどこにも無かった。
「ゆ・・・幽霊?」
沙羅の背筋に冷たいものが走る。
三嶋沙羅、彼女は幽霊のたぐいが大の苦手であった。
「絶対にアレは幽霊だ!」
翌日の約束の日。ジムカーナ場に付くなり沙羅はそう叫んだ。
「えっと・・・何が幽霊なんですか?」
「あ・・・すまん、ならば一から説明しよう。」
コンビニで買ってきたおにぎりを食べ終えた、誇之はランチパック(ピーナッツバター)に手を伸ばした。
「昨日私はH峠で走っていたんだが・・・。」
そう切り出して、沙羅は事細かに昨日の状況を説明した。
「・・・成る程、インプレッサの幽霊ですか。」
「本当にドライバーがいなかったんだ、本当だぞ。」
明らかに動揺する沙羅の様子を見て、誇之はある疑問を口にした。
「三嶋さん、あなたもしかして幽霊とか苦手なんですか?」
「ば、馬鹿なことを言うな。苦手などと一言も言ってないだろう。」
誰から見ても強がりだと分かる言動だったが、誇之は先輩の威厳のために突っ込まないでおくことにした。
「そう言えば沙羅さんって、ジムカーナは初めてですか?」
「いや、以前に何度かやったことがある。手頃かつ、確実に技術を磨けるからな。」
「そのスカイラインでですか?」
「ああ、その時はまだ四輪駆動だったな。アンダーを殺すのに必死だったのを良く覚えている。」
アンダーの強い車種なのを差し引いても、スカイラインでジムカーナをやる人物は少ないのではないだろうか。
軽量化しているとは言え、大柄な車体は振り回しづらいはずだ。
「あーだから沙羅さんの運転はあんなにスムーズなんですね。」
「まあ、それもあるな。少しでも無駄な動きがあれば大きくタイムロスしてしまうから。」
『コレより、ミーティングを開始いたします。参加者の方は本部テントまでお集まり下さい。』
「さて、じゃあ行きましょうか。」
「ああ、そうだな。」
ほぼ毎週のようにジムカーナ場に訪れていた誇之にとっては、すでにここのジムカーナ場の職員と顔見知りになっていた。その中の一人、佐藤陽一が気さくに誇之に話しかける。
「なんだ誇之、今日は女連れかよ!・・・って、まさかあの三嶋沙羅ちゃん!?」
「大学の先輩ですよ。やっぱり沙羅さんは有名人じゃないですか~。」
「へぇ・・・あの女子大生レーサーの後輩か。・・・はっ、良かったらサイン下さい!」
「え、ええ・・・構いませんよ。」
慣れた様子で沙羅は佐藤の車のダッシュボードにサインをした。何だか人の車に落書きをしているようで、少し申し訳ない気分になった。
「佐藤さん、そこに書かせたってことは誰か乗せる度に自慢する気でしょう?」
「自慢するに決まってるだろう!二人目の女性シリーズチャンピオン候補だぞ?・・・おっと、時間か。では今日一日楽しんでいって下さい。応援してますよ。」
「はい、ありがとうございます。」
満面の笑顔を見せた佐藤の背中を見送り、沙羅は小さくため息をついた。
・・・ふぅ、大切な事とは言えやはり慣れないな。こういうことは。
「ところで卯月、君がかたくなに助手席に乗せたがらない理由をそろそろ教えて貰おうか。」
誇之の運転を間近で見てみたいと、毎日のように頼んではみるものの、勝負に勝ったらとか理由を付け、のらりくらりと断られていた。
頑固に拒否を続けると言うことは何かしら理由があることは明白だった。
「約束してるんですよ。車ができたら最初に乗せるって。」
「・・・誰にだ?」
「名前の知らない、同じ学校の生徒にです。正確にはだったですけどね。今は高校三年生のはずです。」
「成る程・・・そういうことなら遠慮しておこう。初めて助手席に乗せると言うことは、何かしら重要な意味があるからな。」
「へー、てことは沙羅さんが俺を助手席に乗せたのは重要な理由があったからなんですね。」
自分で墓穴を掘ったことに気がついた沙羅は、返答に困った。以前は沙羅も誇之のように誰一人として助手席には誰も乗せようとはしなかったのだ。
ソレなのになぜ、あの時はすんなりと助手席のドアを開いてしまったのか。
「まあ、そうだな。下手したら地球の自転が逆転するくらいの深い意味があったんだ。」
「それはそれは、本当に逆転したら困るので聞かないでおくことにしますよ。」
「そうだ、その方が地球の平和のためだぞ。」
自分でも滅多に言わない冗談を言い、沙羅は適当に誤魔化しておいた。
「それはそうと、今日のコースは平均タイムは一分二十秒台らしいですよ。」
「どれ・・・ふむ、コレならば10秒前半、上手くいけば一桁に入れるかもしれない。」
誇之に渡されたコースレイアウトを見て沙羅は自分のタイムを設定した。
「おー流石プロドライバー。じゃあ、俺は20秒切りを目指して―」
「ダメだ。君も一桁大が目標だ。ダメだったら学食を一週間奢らせるから覚悟しておけ。」
「えぇ・・・はい、分かりました。」
二人はヘルメットを装着し、自分の出走まで待つことにした。
最初に飛び出したのは沙羅のスカイラインだった。元々低速で行われるジムカーナであるが、今回のレイアウトはさらに低速寄りだった。
に連続八の字ターン、自由定常円回転、180ターン、ほとんどが小回りをする技術を問われるものだ。
沙羅は大柄なスカイラインに、全く無駄な動きをさせず最短距離を駆け抜ける。最低限のサイドブレーキに最低限のタイヤ切れ角、一切空転しない後輪。まさに芸術的であった。
一本目のタイムは一分十一秒三七、誇之が十秒九だった。
「流石毎週練習しているヤツには及ばないか・・・。」
「いやいや、だとしても凄いですよ。あんなにスムーズにパイロンを抜ける人初めて見ました。」
「よし、大体感覚が掴めてきた・・・次は10秒切る。そして学食を奢らせてやる。」
「わ、わー・・・。」
変に意気込む沙羅に。少し誇之は引き気味だった。
一本目が終了し、ここで昼食が挟まれる。その時間に二人は耳寄りな情報を得ることができた。無論、あの幽霊についてである。
突如現れたその青いインプレッサは、運転席に誰も乗っていないことからブルーゴーストと呼ばれている。
腕に自信のある走り屋達を次々と撃破するブルーゴーストは今のところ無敗だそうだ。
そしてその正体が最近明かされたらしい。
「・・・女の子?」
「ああ、走り仲間がその正体を見たって言ったんだよ。160センチくらいの女の子がブルーゴーストから降りるのを。」
参加者の一人の話を二人は興味深そうに聞き入る。
「あーだから見えなかったんですね。それくらいの背丈だと、暗闇じゃ誰も乗ってないように見えますから。」
「な、なんだ・・・幽霊じゃ無いのか・・・。」
誇之の言葉に沙羅は深い安堵のため息をついた。昨夜見たあの車が実在すると知って、かなり肩の力が抜けた心地だった。
「なんだ、H山のブルーゴーストの話か?それならもっと面白い話があるぞ。」
「面白い話し・・・是非聞かせて下さい。」
また別の男が小さく咳払いし、口を開いた。
「何でも最近そのブルーゴーストの無敗記録を破ったらしいんだ。引き分けで。」
「引き分け・・・その開いてって誰なんですか?」
「知る人ぞ知る、sawken塾の塾長だよ。ランエボだったらしい。今のところ144戦中143勝1引き分け。あの人が引き分けじゃ、誰も歯が立たないだろうな~。」
「ちなみに出没する時間帯とかはあるんですか?」
「平日休日問わず、毎日深夜の1時から2時くらいが活動時間みたいだ。」
明確な情報を得ることができた二人は、自分の車が止めてある場所まで戻り話しあう。
「さて、面白くなってきましたね~。無敗のブルーゴースト、興味ありますよね?」
「もちろんだ。ただ勝負となると私のスカイラインでは分が悪い。やはり君がやるべきだろう。」
「では、来週の水曜日に。」
「ああ、構わない。」
『コレより二本目のタイム計測に入ります。参加者の方は―』
作戦会議が終わり、アナウンスと共に二人はヘルメットを被る。この瞬間からは、タイムで争うライバルだ。
「卯月、次は君が先行で出てくれないか?追う方が得意なんだ。」
ヘルメット越しに見えるその目は、狩人のようにギラギラしていた。
「分かりましたよ。じゃあ、俺が先で。」
誇之も追う方よりは逃げる方が得意なのであった。
結果、誇之は一分十秒フラット。沙羅が十秒台を切り、誇之の奢りが決定された。
自宅(遠藤モータース)のガレージで、誇之はボンネットを開けたCR-Xと睨めっこをしていた。
「このエンジンもだいぶ慣れてきたな~、そろそろ次の段階に行くときかな~?」
極限まで軽量化したボディに見合う、パワーを誇之は欲していた。しかしすでにほとんど手を入れてあるので、見直す点は少ない。
過給器を使えば簡単にパワーを上げることができるが、誇之は後付けの過給器は嫌いだった。
それならば残すところはあと一つである。
「高回転化かなぁ・・・やっぱり。」
誇之の見積もりでは、少なくともあと3000回転ほど上げても安全マージンが取ることができた。
「それに、そろそろお別れだ。やっぱり君は貴重な存在なんだよ、一個人が所有して良い代物じゃ無いんだ。」
NSXのボディ形成に不可欠であったアルミモノコック。誇之はホンダミュージアムでのあの時、こんな依頼もされていた。
そのCR-Xを寄贈させてはくれないだろうか。
自分の手足のように前後左右自由自在に動き回り、アクセルを踏み込めば独特の甲高い雄叫びを上げる。突如現れた奇怪な体を持ったこの小柄なスポーツカーに誇之は愛着を感じていた。
「ありがとう、短い間だったけど楽しかったよ。だから、今度の幽霊退治・・・存分に楽しもう。」