ダンジョン都市で正義を騙るのは間違っているだろうか 作:kuku_kuku
目が覚めると同時、頭痛と強烈な吐き気に襲われた。ベッドから身を起こして、思わず気持ち悪さに頭を押さえてしまう。
「……?」
そしてベッドと衣装棚があるだけの殺風景な部屋、ロキ・ファミリアの拠点の自室のベッドで寝ていたことに遅れて気づき、首を傾げた。
昨日、リオンさんと店で別れて以降の記憶が曖昧である。確か一人で飲んでいたが、記憶を失うような飲み方はしていないはずだ。
「いや、違うな。一人で飲んでる最中に、確かシルさんが来て……、それで……────!!」
まるで霞がかかったかのような不思議な不快感を押し殺しながら朧気な記憶を手繰る最中、唐突に記憶が繋がった。
そしてフレイヤ・ファミリアを人質に取り、女神フレイヤを脅迫してその何でもありの魅了の権能により、リオンさんとヴァレッタの存在の入れ替えを世界に強制させた。
そこまで記憶が蘇ると同時、致命的な事態に背筋が凍る。そしてほぼ反射的にベッドから飛び降り、部屋を飛び出す。
俺の記憶が書き換えられた確かな自覚があるのに、一方でなぜか俺はそのことを認識できている。敵にとっても何らかの異常事態なのか、それともシルさんの抵抗の結果なのかは不明だが、今はとにかく現状の把握が必要だ。
「リヴェリア、ちょうど良かった。緊急事態です。何も聞かずに質問に答えてください」
そして廊下に出てすぐに見えたリヴェリアの背中に声をかけ、肩を掴んで強引にこちらを向かせて質問をする。その強引な行動にリヴェリアがはっきりと困惑した表情を浮かべたが、無視して続ける。
「リュー・リオン、【疾風】についてどう認識していますか? というか、そもそも彼女の存在を把握できていますか?」
「【疾風】……? 随分と懐かしい名前だな。五年前に滅んだアストレア・ファミリアの団員の一人という認識だが……、いや、そんなことより……」
「クソ、やっぱりそういう認識なのかよ。じゃあ、闇派閥幹部のヴァレッタ・グレーデについてはどう認識していますか?」
「……どう認識しているも何も、今はもうロキ・ファミリアの幹部だ。もっともフレイヤ・ファミリアに出向中だがな」
「は? 『豊穣の女主人』の店員じゃなくて、ロキ・ファミリアですか……?」
強制された偽の記憶と明らかに異なる認識に思わず呆然としてしまう。
奴は世界を書き換えてリオンさんに成り代わろうとしていたはずだ。それが何故そのような結果になっている? 俺が昨日の事を認識できている事も合わせ、まるで理解ができない。
痛む頭を押さえつつ、俺は小さく溜め息を吐く。
「……リヴェリア、緊急事態です。神様と三首領に招集をかけてください。今、この都市、は……?」
そして何はともあれ状況の共有をしようと顔を上げてリヴェリアに視線を向け、そこではじめて気づいた。
「────貴様は誰だ?」
リヴェリアはその無表情な仮面のような顔の奥に、はっきりと困惑と緊張を漂わせ臨戦態勢を整えていた。彼女は何でも無い様子を装いながら自然に三歩ほど後退し、間合いを広げる。
「ロキの客室から出て来た以上は客人かとも思ったが、貴様の出で立ちには覚えがある。確かに今までフードと覆面でその素顔を見たことはなかったが……ああ、そうだ、つい先日まで殺し合いをしていた相手にこうもあっさりと背後を許してしまうとは、あまりにも不甲斐ない」
「……」
困惑が、次第に明確な殺意へと移り変わって行く。それを理解し切る前に、俺は無意識のうちに周囲の気配を探りながら最悪の事態へと身構える。
「致命傷を負った上であの人造迷宮の崩落から生き延びていたとは、敵ながら流石と称賛する他ないな。敵の本拠地に堂々と乗り込んで来て何を企んでいたかは知らないが、今度こそ暗黒期に終止符を打たせてもらうぞ────【純粋悪】!!」
宣言と同時、彼女のローブの袖口から鈍い輝きが閃いた。
首、心臓、脚部。投擲された三本のナイフを捌くその裏で、『拠点内への敵襲』を示す号令が発せられる。
「西棟三階客室前、侵入者は【純粋悪】! オーダーは『最高級の葡萄酒』と『ドワーフの火酒』! 」
巫山戯た名称の暗号が示すのは『賊の狙いは神の可能性あり、フィンが主導しロキの身柄を守れ。それ以外の戦力はガレスの指揮のもと敵の殲滅を』。
そう。つまりは、完全なる殺害宣言であった。
次いでリヴェリアがその口から紡ぐのは、全てを凍て付かせる氷撃の詠唱。
はっきりと示される殺意に対し、覚悟を決めるしかなかった。対話による解決の余地など、もうありはしないだろう。
溜め息と共に詠唱を吐き出し、右手に炎を灯しながらその場で跳躍。熱と握力で館の天井を焼き砕き、空いた風穴から外へと出る。
「【ウィン・フィンブルヴェトル】!」
そして同時、リヴェリアの短文詠唱攻撃魔法が足元から解き放たれた。
襲い来る極寒の三条の吹雪を、炎を纏う左手で握り潰す。そしてリヴェリアの下に集い来る団員達の気配を探りながらロキ・ファミリアの拠点から逃げ出すルートに当たりを付けつつ、苦虫を噛み潰したかのような視線を向けてくるリヴェリアを一瞥した。
オラリオを地獄へと誘う
悪と正義の対立。
眼下のリヴェリアの憎き敵を見据える瞳に、考えずにはいられなかった。
ああ、まるで七年前のあの頃に戻ったかのようだ。
* * *
その日、
かつて都市を恐怖のどん底に叩き落とした
ロキ・ファミリアによる攻勢の果てに相手を都市外壁に追い詰めるも、敵はあろうことか外壁を破壊して逃走。そして追撃せんと迫るロキ・ファミリアに対して外壁を超える巨大な炎の壁を出現させ行く手を阻むことで、【純粋悪】は大手を振ってまんまと都市最強ファミリアの手からから逃げ延びてみせた。
その情報は瞬く間に大手ファミリアに共有され都市全体で厳戒態勢が敷かれ、そしてその重く物々しい雰囲気と噂は民衆へも伝わり、今やオラリオ全体に緊張感が張り詰めている。
外壁の上には大手ファミリアの団員達による哨戒が置かれ、都市全体は平時よりも厳重にガネーシャ・ファミリアによる巡回がなされていた。
……と、それが一週間前の話。
「空気が重いと思ったら、そんなことになっていたんですね。【純粋悪】と言うと、昔滅んだ
「
肩を落としてそう雑談を締め括った薬屋の店主から回復薬の瓶が詰まった紙袋を受け取り、礼を言って小綺麗な店を出る。
俺はこの一週間、炎による幻影で都市外に逃げたと思い込ませ、都市内の隠れ家に潜伏して傷の治療に専念していた。
そして高価な回復薬を使いどうにか体調を万全に整えた今日、都市外から偶然オラリオに訪れていた商人を装って都市を歩き情報収集をしている。
かつて【純粋悪】と呼ばれていた頃からの象徴とも言える認識阻害の効果がある
先程の薬屋で三店舗目だが、得られた情報はすべて同じ。そしてそれは、四店舗目以降でも同じだった。
「……だいたいよお、【業火】の狙いは【道化】って話じゃねえか。勘弁してくれよ……やっぱりあんな奴、五年前にオラリオから追放しちまえばよかったんだ……」
「何が【道化】よ……本当に私達のために尽くすって言うんなら、さっさと死んでくれるのが一番いいのよ……」
「家族を殺しやがった
「死ね「許さない「殺せ「追放しろ────家族を返せ」」」」
恐怖、後悔、憎悪、悲嘆。
都市を一日巡って確信した。正しく何時も【
何が起きたのかは分からないが、つまりこの世界では俺とヴァレッタの存在が完全に入れ替わっている状態であり、そして同時にリュー・リオンは五年前に俺と刺し違えて死亡したことになっている。
目眩がする。吐き気もだ。
この意味のわからない状況にではない。
【
そう。あの日、リオンさんに救われず妹の仇も討てなかった俺が今日まで生き延びていたならば、【道化】などと名乗ってのうのうと暮らしているあの女をきっと殺そうとするだろう。かつての憎しみが燃え尽きていないのならばそれに火を灯し、そしてもしもそれが燃え尽きていても、妹を救うために世界を燃やすと誓った【悪】の一人としてその責任を果たすために。
背中に刻まれた
見なくても、分かってしまう。
きっと俺の背中には今、五年前に消えたはずの【悪即是我】の文字が刻まれつつある。そして果たしてその代償として【正義詐称】の文字はどうなっているのだろう。
わかりたくもなかった。不可逆であると定められているはずの
「ああ……クソ、吐き気がする」
流石にこれは良くない。本当に良くない状態だ。
神様に、会おう。『
例え神様の魂が世界と同じように魅了と得体の知れない力に侵されていようと、俺が神様の眷属である証そのものである背中の
改竄された『
* * *
一週間前の襲撃により今も厳重な警戒態勢が敷かれている
そう、本来ならばそのはずである。
しかし一方で俺の知っている神様ならば、一週間という長い監禁生活には耐えられなくなりLv.7となった三首領を含む精鋭たちの感覚すらも欺いて、酒を求めて夜の街に繰り出すという確信がある。
おそらくロキ・ファミリアにおいては唯一俺だけが知っているであろう神様の秘密の昔馴染みの店。裏通りの地下にある寂れた薄暗い店で待ち構えること二時間。果たして神様はその店に何でもないような顔をしてふらりと顔を出した。
「はえー、お客さんがおるなんて明日にはこの店もついに潰れてまうんか、残念やわ」
「……」
カウンターの奥のマスター、名前を知らない一柱の男神は神様の軽口を無視して、無言のままカウンターにエールを置く。
「兄ちゃん、隣、お邪魔させてもらうで。一応乾杯しとくか?」
「はい。最高級の葡萄酒もドワーフの火酒も不味い果実酒もありませんが、濁った安酒でいいのなら」
「……」
胡散臭い笑顔のままグラスを手に持ち、神様は探るように俺の言葉を待つ。
俺が知っているロキ・ファミリアにおいて『濁った安酒』であったはずの俺は、そんな神様に端的に現状を告げた。
「神様とここで乾杯するのは何十回目かは忘れてしまいましたが、俺にとっては何時も通りのやり取りです。あと、俺はニルス・アズライトといいます。貴方の眷属です」
「いやいやいやいや、何やその面白くもない設定は。符丁はともかくとして、今の話を少なくとも兄ちゃん自身が嘘やあらへんと確信しとるんなら、うちが酔っ払い過ぎて頭おかしくなったって言いたいんか?」
既に酔っ払っているようで楽しげにけたけたと笑う神様は、しかし冗談なのか神意なのかまるで分からない道化師の面目躍如といった様子で、淡々と俺にとっての真実を言い当ててきた。
「色呆け女神が【道化】を騙る生ゴミに脅されて全員頭がお花畑状態になってると、俺だけがそう認識してます」
「ははあ、ほな多数決やと兄ちゃんの頭だけがお花畑ってことやな。じゃあええで、はよ服脱いで背中見せえや。うちの頭がお花畑状態なんなら結局は水掛け論やけど、今んとこは酔っ払っとる自覚しかないからのお。どっちの頭がおかしいか、兄ちゃんの背中で決めようやないか」
打てば響くやり取りに、安堵感を覚える。神様とのまるで違和感のない何時ものようなやり取りに、良くない精神状態によって疑いかけていた自身の記憶の正当性を保証されたような気分になった。少なくとも俺は、全てが燃え尽きかけていたあの夜に俺を拾ってくれた神様を、ちゃんと知っている。
「ほーん、確かにうちの
そして服を脱いだ俺の背中に指を這わせて検分する神様の声に、俺は内心で胸を撫で下ろした。
「信じてもらえたようでよかったです。これでやっと対応に────」
「────まあ、見た目だけやけどな。うちの神血で刻まれたもんやないし、うち自身が兄ちゃんはうちの眷属やないって断言できる」
だからこそ、続けられた神様の言葉に俺の思考は完全に停止する。
「一応ステイタスの更新も試してみたるわ。うちの頭があのボケ女神にやられとる可能性はまだ否定できとらんからの」
そう言って神様は懐から取り出した針で指を刺し、滲み出た神血を俺の背中に垂らす。何時ものように訪れるはずの『恩恵』が開かれる感覚は、しかし何時まで待っても訪れることはなかった。
込み上げてくる吐き気に思わず口元を押さえた俺に、神様は少し同情したような顔で続ける。
「しっかしその見た目だけは完全にうちの
すでにニルス・アズライトなどという眷属がいないという結論をもってそう呟く神様を無視して、俺は席を立った。
そして酒代をカウンターに置いて地下の酒場を出て、日の暮れた街の通りを歩く。
「なあなあニルス、これからどないするつもりなんや? この道ってことは、フレイヤ・ファミリアにカチコミでもするつもりかいな」
そして当然のように俺の後ろに着いて来て当然のように俺の行動を言い当てる神様に、ほんの少しだけ安堵感を覚えた。神様が俺のことを認識していなくとも、俺自身は神様がこうすることを未だ確信し続けることができている。
「はい。シルさんとヴァレッタに直接会って確認します。というより、ヴァレッタを直接排除します。神様を通しての味方戦力の確保が失敗した以上、これ以上先送りにしてもヴァレッタを殺せる確率は下がっていく一方なので」
「今は移籍中やけど、あの子は一応うちの眷属やで? バカ正直にうちにそんな殺害宣言してええんか? フレイヤ・ファミリア全員を相手にできるとも思えんけど、そこにさらにうちの子らが加わったら、それこそどうしようもないやろうに」
呆れたように笑う神様に、俺は淡々と返した。
「自身の罪に起因する個人的な復讐に関してはロキ・ファミリアは関与しない約束でしょう? 少なくとも俺は神様とそう約束したので、俺とあの女の立場が入れ替わっているならその約束もそのまま適用されるはずです。それに俺はヴァレッタ以外を害するつもりもありません。だから神様が俺を妨害する理由はありません」
「……いや、ほんっとに訳分からんな。その約束はヴァレッタ本人しか知らんはずなんやけど」
珍しく茶化すこともなくそう呟いた神様は、遠くに見えてきたフレイヤ・ファミリアの拠点を見据えながら俺に再度問いかけた。
「単純に兄ちゃんの頭が狂っとるってだけじゃあ説明がつかん状況なんは良くわかったわ。せやけど、兄ちゃんからしたら自分以外の全てが狂ってしまっとるこの状況で、最後の拠り所が
「……正気かは、結構怪しいです。少なくともこのまま記憶を改竄した張本人たちに会わないままだと、時間が経つ程に自分の記憶の方を疑ってしまうでしょうね。まあ、ですが、俺のこの五年間の記憶が嘘だろうと本当だろうと、どっちにしろヴァレッタを殺して
「せやったら一回落ち着かんか。兄ちゃんの目的が
呆れたように溜め息を吐いた神様は、しかしそう言ってまるで悪戯小僧のように笑ったのだった。
* * *
フレイヤ・ファミリアの拠点の応接間。絢爛豪華な装飾に満ちた一室の円卓にて、二柱と一人が向かい合い開催される少なくとも表面上は穏やかな茶会。
「神様、どうしたのですか? 急に私と神フレイヤと会話したいなんて」
小綺麗なシャツを身に纏い、柔らかで淑女がかった言葉遣いでそう神様に問いかける女性。上品にティーカップを揺らす
「先日の一件でロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアの協力体制の構築の検討が始まったとは言え、流石に単身でフレイヤ・ファミリアの拠点に約束もなく上がり込むのは褒められた行動ではありませんよ?」
まるで両ファミリアのことを善性から慮るかのようなヴァレッタの言動に、気持ち悪さを通り越して寒気すら感じる。
「急に悪かったな、ヴァレッタ。一人でこんな場所に放り込まれて淋しい思いをしとらんかなって心配やったんや。ていうかフレイヤ、お前、魅了は使っとらんやろうな? ヴァレッタにもやし、うちにもや。ちょっと最近思うところがあってのう」
「え? ……いつにも増して唐突ね。質問の意味が、ええ、本当に質問の意味がわからないわ。なぜ私があなたに魅了を使う必要があるのかしら?」
「そりゃあヴァレッタが楽しそうなのが信じられんからや。うちは本気でお前がうち相手になら平気でそういう事するやつと思っとるし」
「この館の主人の前で結構な言い草ね。もし私がその気なら、そもそもあなたがそういう疑問すら持てないようにするわ。それに私としては
「どちらかと言うとそれだけがフレイヤ・ファミリアでの生活における唯一の欠点ですね。まあ、ここに来た主目的であるベル・クラネルの短期移籍修行参りのお目付け役自体はそれなにり楽しくやっていますよ」
いつものロキ・ファミリアの女性陣への対応そのままにだらしなく笑いながらも意地悪く友神を煽る神様。気の置けない友神に直接的な子供染みた皮肉で微笑み返す神フレイヤ。そして穏やかに苦笑するヴァレッタ。
ありえないはずのその穏やかな光景に、そして俺の知らない世界を大前提とする会話に、無意識に鼓動が早くなる。
「まあ、本当に楽しくやれとんのやったらええわ。それに面白兎君の訓練の方も順調そうで何よりや。これでお姉ちゃんとしてもうちの幹部としても面目躍如やな。愛しの妹分、リリルカちゃんからの頼みやからって自分も短期移籍するー、どうせロキ・ファミリにも修行に来るんだから引き継ぎ効率がー、なんて強引な理屈を言い張ってフィンと大喧嘩しとったもんな」
「リリの頼みで、しかも相手がクラネル君だったから動いたことは否定はしませんけど、それ以上にどこぞの酒場の嘘吐き店員さんの胸の内を知っていた身としては、お目付け役に立候補せざるをえないでしょう。大手複数ファミリアによる英雄候補の集中訓練のための短期移籍なんてそれっぽい名目を掲げていても、神ヘスティアの提案をいいことに善意と正攻法でベル・クラネルを自分の眷属に取り込もうとしてるだけですし、この神、精神的にはお子様なので正攻法が上手くいかなければどうせ我慢できずに魅了の権能使ってしまうでしょうし」
「失礼ね。権能なんて使わなくても、私は絶対に魅了してみせるわ」
「うっさい、色呆けは黙っとれ」
ああ、本当に気持ち悪い。長くゆっくりと息を吐き出し、衝動的に手の中の眼晶を握り潰しそうになるのを抑え込む。
まるで愛おしむようにリリの名を語る醜悪な存在であるはずのそれに、嘘らしさや演技臭さを全く感じない。感じることができなかった。
最悪だ。本当に最悪だ。
俺は当然、ヴァレッタが暴力と脅迫をもって何らかの目的故にフレイヤ・ファミリアに居座っているのだと考えていた。
だが、この状況は何だ?
俺には世界を改変したはずのヴァレッタと神フレイヤ達本人が、このような無意味な演技をする必要性を全く考えつくことができない。
そうであれば、ヴァレッタもフレイヤの両名は本当に今のこの世界を、嘘偽りのない本当の世界と信じて生きているということなのか?
ならば、ならば……頭がおかしくなっているのは……
「そういえば、あんま聞いたことはなかったけど、リリルカちゃんは昔可愛がってたっていう妹分に似とるんか? ていうか、妹ちゃんはどんな子やったんや?」
「確かフェリス・アズライトだったかしら?」
手の中の眼晶から聞こえて来た神様と神フレイヤの声に、大きく鼓動が鳴る。
「【業火】の実の妹で、なし崩し的にヴァレッタが面倒を見てるうちに絆されてしまった子よね?」
「そうそう。そんで【業火】と取り巻きがその子の命を犠牲に再生魔法を使ってオラリオを地獄に変えようなんて作戦実行しかけたところに、それに納得できんやったヴァレッタが闇派閥を裏切って壊滅させたっていう、ある意味闇派閥壊滅の切欠になった子やな。まあ、先日ようやく生き延びとった【業火】を自分の手で討って仇討ちも終わったわけやし、単純に聞いてみたかったんや、妹ちゃんのことを」
俺が……俺が、妹を犠牲にしようとした……?
全く笑えない冗談のような言葉。だがしかし、もう今となっては妹の顔も思い出も何一つ記憶に残っていないという絶対の事実があるが故に、俺にはそれを否定する術がない。
二柱と一人が和やかに語り合う茶会の様子は、もう全く頭に入ってこなかった。
妹との関係を唯一証明してくれていたリオンさんがいないこの世界では、俺はもう自分が今も変わらず【業火】のままであることを否定できない。
だから……、だから俺にはもう、正義を詐称することができない……。
風の凪いだ迷宮都市で、俺は、そう確信してしまった。
────背中に刻まれた『
見なくても、理解できてしまった。
【正義詐称】の
既に一度燃え尽きた心と記憶の消し炭の下で再び火が灯り、【灰被残火】は【焼心灰燼】へと回帰する。
────だが、それだけでは終わらない。『
──ああ、そうだ。そうだった。
もう、疾風は吹かない。俺を止めてくれた激風は、俺を変えてくれた優しい風は、もうこの迷宮都市にはない。
だからもう……否、最初から俺には、これしか残されていなかった。昔だって今だって、妹を救おうとしても悪を為そうとしても正義を詐称しようとしても、結局俺にできたことは、何かを焚べて火を灯すことだけだった。
俺に出来ることは、最初から最後までたった一つしかない。この憧憬にして執着の象徴たる【火】を願い、何かを焚べることだけだ。
だから、全てを燃やそう。全てに火を灯し、灰へと還そう。
もう、全部いらない。どうせもう後は死んで灰になるだけだ。いや、その灰すら遺す必要はないんだ。
だからもう俺の心と記憶だけに留める必要はない。俺という存在は、もう必要ない。
ああ、だからこそ、全てを燃やそう。全てを焚べて、火を灯し、そして全てを消し去ろう。
──あの日、妹を救うために求め差し出したニルス・アズライトの【
* * *
「まあ自分でも気づいとるようやけど、少なくともヴァレッタの言葉には嘘はなかったで。それにあの色呆け女神の魅了も、これだけ疑ってかかってうち自身に何の違和感もないし、記憶の連続性があることも自覚できとる。兄ちゃんもうちらの会話に記憶を改竄されたような痕跡は見つけられんかったんやろ?」
待ち合わせ場所の公園で酒瓶を渡しながらそう結論づけた神様に、俺は何の言葉も返す事ができなかった。
神様から受け取った葡萄酒を口に含み、まともに味がわからない事だけを自覚しながら無意味に酒を飲み込む。
「……」
ただベンチに座り込む俺の横に身を投げ出すように腰掛けて、神差は俺の手から酒瓶を奪い取ってまるで水でも飲むかのように酒を煽る。
もはや何一つ自分のことに自信は持てないが、それでもこうして横で酒を煽る神様の意図は分かってしまう。その矛盾に精神が更に消耗した。
「神様は、リュー・リオンという冒険者を知っていますか? アストレア・ファミリアの【疾風】と呼ばれていた冒険者です」
「ああ、知っとるで。ダンジョンで【純粋悪】と相打ちになった……って、少なくともつい最近まではそう思われとった子や」
「俺の記憶では、ヴァレッタ達に人質に取られていた妹を救ってくれて、俺と一緒に闇派閥を壊滅させた人でした。俺は彼女がいたから生き延びて、神様に拾われて、ロキ・ファミリアの冒険者として、正義を騙りながら生きてきたんです」
神様から再度酒を受け取り、口を湿らせる。相変わらず味はわからない。
「……えらくその子については乖離しとるんやな。にしても、なんや、随分大事そうに語るんは、もしかしてそういうオトナな関係やったんか?」
真面目ぶって深刻な様子で返答したかと思えば、神様はそうやって何時ものふざけた様子でニタニタと笑う。
「俺が一方的に愛していただけですよ。リオンさんは正義で俺は正義を騙っているだけの悪党ですから、彼女からしたらどこまでいっても俺はただの仇で、闇派閥の完全壊滅を期に来月には殺してもうらうはずでした」
「はあ!? な、なな、何か急に重たい感情と衝撃の事実叩きつけて来よんな、自分……。まあ、ええけど、それで、その子がどうしたんや?」
狼狽しつつ顔を引き攣らせる神様に、俺は神様が戻って来るまでにまとめていた考えを告げた。
「神様にお願いがあります。結末がどうであれ、もしも全部が終わってリオンさんがオラリオに帰って来たら、リオンさんの後見人になってくれませんか?」
「結末がどうであれって、それはどういう状態を言っとるんや? ていうか、何をするつもりなんや?」
「どういう状態になるかは、正確には俺にもわかりません。ですが俺は、ヴァレッタ・グレーデとニルス・アズライト、そしてロキ・ファミリアの【道化】という存在そのものを世界から燃やし尽くします。もし俺の記憶が正しくてリオンさんが生きていれば闇派閥を潰したのは彼女になるんでしょうし、俺だけが狂っていてリオンさんが生きていないのなら……どうなるんでしょうね……誰も整合性も理由も気にしなくなるのかもしれませんが、とにかく、闇派閥が壊滅したという結果だけは残ります」
「……は? いやいや、ちょい待て、何言っとんのや自分は……」
頭を抱えてため息を吐く神様に、俺は端的に補足する。
「紛らわしい言い方をしましたが、過程はどうでもよくて重要なのは結果だけです。俺の記憶が間違えていて、本当にリオンさんが死んでいた場合は、特に何も起きませんし気にする必要はありません。仮に死んだと思われていた【疾風】が生きていて何時の日かオラリオに戻って来た時には、神様が後見人になってください。そして、俺の記憶が正しい場合は、世界は正されて神様にはお気に入りだったリオンさんの記憶が戻って来て、神様は勝手に自分の意思で彼女をロキ・ファミリアに引き入れます。だから神様には、リュー・リオンがオラリオに戻って来れば、それがどういう状態であれ後見人になってもらいたいんです」
「いやいや、そこやないやろ……リューたんを気にかけるんは頼まれんでもやったるわ。うちが聞きたいのは、ヴァレッタでも、仮に本当はそれがニルスであったとしても、うちにとっての、うちらにとっての【道化】はどうなるんやってことを聞いとんのや」
少しだけ怒りを滲ませて俺を睨み据えて来る神様に、俺は苦笑した。やっぱり俺は、神様をちゃんと知っている。
神様に説明なんて必要ない。神様も説明を求めている訳では無い。だけどこれは儀式だ。
だから、俺はもう一度答える。
「消えます。そもそも【道化】なんてロキ・ファミリアにはいなかったことになります。ついでにかつての闇派閥のニルス・アズライトもヴァレッタ・グレーデも消えます。俺達の物理的な罪は消えませんが、もしかすると俺達個人に起因する精神的な傷なら、忘れることもできるかもしれないおまけ付きです」
ああ、改めて自分で言葉にして再認識したが、それは素晴らしいことではないか。オラリオの人たちの色々なモノを失くしてしまったが故の悲しみと痛みは消えないが、少なくとも俺達個人に対する恐怖心は消える。それは、ただ死ぬだけよりも遥かに良いことだ。
一人満足感に浸る俺の胸に、真横に振るわれた神様の拳が打ち付けられる。道化師の純粋な怒りだった。
「……この際、本当にそんな奇跡みたいなことが、世界改変なんてことが出来るんかは聞かん。気にせん。やけどのう、ニルス、お前は本当にそんな世界から存在を消し去るなんてことをやってええと思っとんのか?」
「死ぬべき闇派閥の人間なら、別に消し去ってもいいでしょう? それに、良いとか悪いとかではなく、俺にはそうすることでしかこの状況を解決することができません」
俺からすると、この世界から少なくとも俺の知っているリュー・リオンの存在が消し去られてしまっている状態なのだ。それに比べれば俺とヴァレッタの存在など些末な話だ。比べるまでもない。
「…………」
神様は何も答えない。だから俺は、続けた。
「俺には、リオンさんが再び前を向いて歩き出そうとした事をなかった事にはできません。例え状況証拠がそれを偽りの記憶であると告げているとしても、可能性がゼロではない以上、俺はそれを無視できないんです。だから俺とついでにヴァレッタの存在が消えるだけで、リオンさんが再びこのオラリオで前を向いて生きていける明日が約束されるなら、迷う理由はありません」
「…………」
「もしも神様が【道化】が消えることを憐れんでくれているんだとしても、心配は要りませんよ。ちゃんと全て綺麗に灰すら残さずに燃やすと約束します。今の感情も、この記憶も、ちゃんと最後には消えてくれますから」
今の神様にとって、俺はただの敵であるはずだ。しかし神様は、【道化】ではなく俺を思って怒ってくれていた。神様は、昔から変わらずどこまでも甘く優しい神様のままだった。
「…………もう、ええわ」
そう呟いて、神様は腰掛けていたベンチから立ち上がった。
そして俺に残り少なくなった葡萄酒の瓶を投げて寄越し、立ち去ろうとして、ふと立ち止まる。
「最後に一個だけ教えてえな。うちはニルス・アズライトに、最初から【道化】って二つ名をつけたんか?」
「? ああ、リオンさんがいないから、そこは違ってるんですね。神様が俺、というかヴァレッタを拾った日に色々と尋問をしたと思うんですけど、その時に俺の方では、俺を救ってくれたリオンさんの正義に憧れて真似をしたいって思ってたのかもなんて話をしました。それを聞いて、【正義詐称】のスキルを見たからだと思うんですが、神様が最初に俺につけた二つ名は【正義の味方】でしたよ。まあ、復讐のために色々な記憶を燃やしてしまってたので、その時の細かい状況は忘れてるんですけどね」
「ああ……なるほどのう、そうかそうか、そういうことなんか。ああ、ニルス・アズライト、自分は確かに【正義の味方】を名乗るんが相応しい。うちが、いや、違うなあ、うちらが保証したる。誰にも文句は言わせん」
「……神様?」
あの夜の記憶を彷彿とさせる神様の言葉に、俺はまさかと神様の横顔を見つめてしまう。
「期待させてもうて悪いけど、うちにとっての【道化】はヴァレッタのままや。やけどのう、仮に自分の記憶にあるうちなら、まあ、そう言ったんやろうなあってのは十分にわかった。やからこそ気が変わった。さっきまで協力は当然せんとして、敵対もやめとこうって思っとったんやけど、思いっきり干渉したるわ」
「……」
そのような考えになった経緯と理由はまるでわからない。だけど神様が言おうとしていることは、やはり俺には理解できた。
そして、神様は邪悪に嗤いながら宣言する。
「うちが、このロキ様が、ニルス・アズライトに全力で敵対したるわ。うちのファミリアの【道化】の命を狙い、世界の平和を脅かす【純粋悪】。敵としては破格の相手や。クハハハハハ、願ったり叶ったりやろ? そうやんなあ? 世界そのものを燃やすんなら、それくらいは必要なんやろ?」
夜の帷が降りた静かなオラリオで、道化師は笑う。全てが燃え尽きた地獄のようなあの日を彷彿とさせる、キレイな笑顔で嗤う。
「ええで。うちが用意したろう。とびっきりの
こうして、一つの世界を燃やし尽くす戦争が、静かに幕を開けた。
* * *
【登場人物】
ニルス・アズライト
| 年齢 | 種族 | 所属 | 二つ名 | Lv. |
|---|---|---|---|---|
| 18歳 | ヒューマン | ■■ | 【業火】 | 6 |
| 基本アビリティ | ||||
|---|---|---|---|---|
| 力 | 耐久 | 器用 | 敏捷 | 魔力 |
| D525 | C641 | F312 | F302 | ■■■■■■■ |
| 発展アビリティ | |||
|---|---|---|---|
| 炎熱 | 耐異常 | 鉤爪 | 火炎 |
| ■ | E | F | ■ |
| 魔法
| ||
|---|---|---|
| 【イデア】
| ・使用条件付き変身魔法 ・理想を不可逆に体現する
| |
| 【アグニ】
| ・自傷型儀式魔法 ・自身の肉体を代償に火を灯す ・痛みを熱に、傷を炎に変換する | |
| スキル
| ||
| 【千遍万火】
| ・火は其処に在る
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| 【業炎劫火】
| ・火だけが此処に在った | |