ダンジョン都市で正義を騙るのは間違っているだろうか 作:kuku_kuku
黄昏時の赤く薄昏く染まる空に輝く、無数の星火。
「ひひひひ……ひひひヒヒヒヒヒヒヒ……! ハーッハッハッハッハッハッハ……!!! おいおいおいおいおいおい、何だよこれはよおぉっ!?」
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!! ぶっ殺してやる!!」
鳴り響くのは、
互いの拳と脚が衝突する度に轟音と衝撃が世界を揺らし、赤と銀の閃光が縦横無尽に戦場に描かれ、そして飛び散る火炎がまるで花火のように世界を彩る。
「言いたいことは色々あるぜ? そもそも美の女神サマが魅了してこの私が侵して歪めたたはずの世界が、何であんな私とニルスの立ち位置が入れ替わってただけの無意味な状態になってるんだとか、さっきまで記憶どころか私の存在が世界から消えかけてたのは何だとか、気になることだってそりゃあ沢山あるぜ? だがよぉ、まあ、そんなことはどうでもいいんだよ! それより、おい!!! そこのクソエルフ!! てめぇ、人のモンに何ベタベタ触ってやがる!? つーか邪魔してんじゃねえよ、このクソ雑魚狼!!!」
「お前、お前は、お前はああ!! 俺に変な記憶を植え付けやがて!!!!気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い、なんで、何でてめえみたいなゴミカスが……!!!はああああああ!? 何でてめえみたいなゴミを俺がツレだと思わなきゃならねえんだよ!!!!! ぶっ殺してやる!!!消し炭にしてやる!!!!!」
互いに一方的に叫び罵る二人。そして徐々に激しさを増す戦いに、蒼白炎と蒼炎を武器に纏わせる
「……僕は、今、怒っています! あなたが、あなたみたいな人がニルスさんを騙っていたこともそうですが、あろうことかリューさんに成り代わろうとしていたなんて……!! 僕は絶対に、絶対にあなたを許しません!!」
「我が女神の権能を侵した。あの日の蒼炎の記憶を汚した。故に、俺はお前を、殺す!!」
黄昏色の世界に眩く輝く、無数の星火。
鳴り響く、怒声と戦の音。
そして神の鏡から降り注ぐ、迷宮都市に生きる全ての人と神の声援と歓声。
賑やかで派手やかで、綺羅びやかに煌々と花火が咲き誇るかのようなその様は、まるでおもちゃ箱をひっくり返したかのようなお祭り騒ぎだった。
──だけど
そしてこの五年間の全てを忘れて思い出した今、あの最期を誓った日に、本当は心の底で望んでいたことを、強く俺を抱きしめ返してくれる愛しき人に伝える。
「店員さん。俺、本当は、店員さんが作ってくれる焼き魚を、もう一回食べたかったんです」
俺の肩に強く顔を埋め涙を流す彼女が、確かに頷く。
「冒険者さん。もう一度だけでは、困ってしまいます。私はこれからもずっと、あなたのために焼き魚を作り続けます。だから食べてくれるあなたがいないと、私はとても悲しい」
その言葉に、これから先の未来を願う彼女の言葉に、涙が流れる。だから少しだけそれを誤魔化すように続けた。
「店員さん。俺、本当は、今よりも薄緑色の短い髪の店員さんの方が好きなんです。五年間、あの酒場で何時だってずっと俺を出迎えてくれた店員さんを、俺は好きになったんです。だから今の店員さんを見てると、置いて行かれた気がして、少し寂しかったんです」
彼女の頭頂部で結ばれた金色の髪が、苦笑とともに揺れて鼻先をかすめた。ちょっとだけくすぐったかった。
「冒険者さん。私はあなたを置いてなど行きません。それにあなたが好いてくれると言うのなら、まあ、そうすることも吝かではありません」
真っ直ぐに受け入れられてしまった事実に、胸が暖かくなり、同時に少し勇気が出た。だから俺は続けた。
「リオンさん。俺、自分が死んだ方がリオンさんも皆も幸せになるんだって、そう思ってました。俺を想って泣いてくれる人達がいるって、ちゃんとわかってませんでした。だから俺、まだ生きていたいって、そう思ってしまいました。俺は……俺は、ちゃんと罪を償います。誰かを傷つけた以上に、誰か救います。だから、だから……あの日の約束を、破らせてくれませんか? 俺を、生かしてくれませんか?」
リオンさんは俺を抱きしめていた腕を緩め少し距離を取り、そして真正面から俺の目を見る。
「アズライト。私はもう、あなたを失うのは嫌です。もしもあなたが自分を許せないなら、代わりに私があなたを許します。もしも世界があなたを許さないなら、私が例え黒竜であろうと討伐して世界を救い、その成果をもってあなたの罪の許しを請いましょう。だからもう、これからは死ぬなどと言わないでください。これからもずっと、私の隣で生きてください」
リオンさんは、涙を流しながらそう言って笑ってくれた。それはとても柔らかで優しくて、希望に満ちた笑顔だった。
「──だからよぉ、お前ら、巫山戯てんのかよ? なあ!? おい!!」
だけどまだ、この騒がしくて賑やかしくて混沌に満ちた趣味の悪い舞台に、幕は降りていない。
迷宮都市の最強戦力達三人を相手取ってもなお余裕を見せるのは、赤髪の化物。三人の全力の火力を纏った攻撃を無造作に受け止めて薙ぎ払いながら、ヴァレッタが嗤う。
「なーんで、二人は幸せに暮らしましたとさ、みてえに締めくくってんだよ? 忘れてねえか? フレイヤ・ファミリアも、ニルス、お前も、私に手も足も出ずに負けたってことをよぉ」
吹き飛ばされ膝を着くベート達。ヴァレッタはそんな三人と、そして徐々に回復して戦線に加わろうとするロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアを始めとする冒険者達を睥睨し、溜息を吐きながら赤い頭をがりがりと掻きむしる。
「ああ、もう、面倒くせえ。これをやるとナカの奴がギャアギャア煩えからやりたくなかったが、もういい。さっさと片付けて、そこのエルフをぶっ殺して、ニルス、お前の目を覚まさせてやるよ」
そして、ヴァレッタは天に手を掲げ、その祝詞を紡いだ。
「【神蝕結界・昇華反転】」
それは人の魔法と怪物の力と精霊の怨念が混ざり合った、
ヴァレッタを中心に迷宮都市と戦場全域に黒い波動が広がり、そして形成されたのは巨大な結界。
「……ああん? おい、ゴミ女、てめぇ、何しやがった!?」
立ち上がりかけていたベートがぐらりと揺れ、そして立つのが精一杯といった様子でヴァレッタを睨む。
「これは……やはり、『
同じく大剣を地面に突き刺しどうにか体を支えるオッタルに、ヴァレッタは嗤う。
「ああ、そうだぜ。これは神サマ達を憎んで憎んで憎しみ抜いて歪んだ馬鹿な精霊の呪いだ。私が喰ったそいつの力で変質した結界魔法は、神が人に与え給うた『
その巫山戯た力に、すべての冒険者達が愕然とする。そして事実、誰一人まともに戦えるような状態ではなくなっていた。
これこそがフレイヤ・ファミリアを壊滅させ、そして俺自身も手も足も出ずに一方的にやられた力の真相だったのだ。
「さあて、ニルス。どうする? もう一回、さっきみたいに記憶と思い出を燃やして戦えば、どうにかなるかもしれないぜ? そこのちょっとばかし愛着を持っちまったクソエルフの記憶も燃やしてよお、そんで全部邪魔なもんは燃やし尽くして真っ白な状態で私と愛し合おうぜ?」
響き渡るのは、ヴァレッタのそんな邪悪な笑い声。迷宮都市に絶望が広がる最中、
「くははは……ふふふ、ハーッハッハッハッハッハッハ!! ええのう、お誂え向きの展開や!!」
──しかし、絶対的な絶望をかき消すかのような、高らかな歓喜の絶叫が響き渡る。
迷宮都市の市壁の上で高らかに笑うのは、一柱の女神。【
「ニルス!! その服脱いで、背中を見せてみい!!」
突然の意味不明な指示にヴァレッタも迷宮都市に住まう人も神も皆が唖然とする中、しかし、神様のことを信頼している俺は炭化して襤褸切れとし化していた外套を脱ぎ捨て、背中をさらけ出す。
そして上空の神の鏡に、道化師を象る
「ニルス、ええか? 先ずは自覚するんや。自分は今、ヴァレッタの力で
「はあ? おいおいおい、女神様よぉ、あんた、現実逃避か? もういい、早くやろうぜ、ニルス。さっさと全部燃やしちまえよ」
神様の唐突な行動に少し警戒していたヴァレッタがため息を吐きながらそう煽ってくるが、俺はそれに答えない。
ただ俺は呆然と、辛そうに今にも崩れかかっているリオンさんを支える体に、何の違和感もないことを自覚していた。
──神様は、笑う。
「じゃあ、次のステップや。ニルス。塗り替えられとった世界で、うちが言ったことを覚えとるか?」
ああ、覚えている。それは、確かに俺を絶望させた言葉だ。
「
『『『…………は?』』』
神様のその言葉に、迷宮都市に住まう全ての神々が意味がわからないとばかりに同時に声を漏らした。
──だが、それを証明するように、神の鏡に映し出された俺の背中から、道化師を象っていたはずの神聖文字が崩れてゆく。
「そもそもや。そもそもニルス・アズライトって人間は、神から『
「なぜ、それをロキ様が? ……いえ、そういうことですか」
唖然として呟き、そして苦笑したリオンさんの言葉に応えるように、漂っていた星火の光が一つ、輝く。
──それは、一人の少女が見守り続けた、一人の愚かな少年の記憶だった。
ああ、そうか。そうだった。
聖火そのものである妹を犠牲にして刃を鍛とうとする狂った一族に逆らい続けた俺は、『
そして再誕の炎を纏い生まれた妹のように、遍く総ての火を司る
──思い出し、自覚したその瞬間、星火による再誕の権能が、不可逆の理想の証であった
『……ヒューマンが、
「な、何だ? 何を言っている……? 神共は、何を意味不明な事を言ってやがるんだ……!?」
唖然とする神々と、困惑と畏怖に満ちた目を向けてくる
「さあ、ここからが最後のステップや。ニルス・アズライトは【業火】としての原点を、原初の火を生み出す存在に自己を改変した、その始まりを思い出した。やから最後に思い出すべきは、もう一つの原点や」
星火が、最後に一つ、弾けた。
──それは、一柱の女神の記憶。
闇派閥が壊滅したあの地獄のような夜に、道化師と少年が交わした、秘密の約束の記憶。
その過去の幻影が、静かに消え逝く最後の星火によって映し出された。
* * *
闇派閥の全てが殺し尽くされたその夜。
火の海と化した都市の一角、火の粉が舞い落ちる路地裏。この死の二十日間が始まる前に、一人の少女と交わした約束を果たすために、赤く染まった夜空の下をロキは歩く。
そして、まるで御伽話に出てくる地獄のような世界の片隅に座り込む少年を、ロキは見つけた。
「大層な名前持った極悪人がどんな面しとんのか気になっとったけど、目つき以外は随分と可愛いらしいガキンチョやないか」
「……」
「ハッ、無視かいな。ああ、それとももう口利けへん程に死にそうなんか? こんな街の片隅で一人死んでくなんて、極悪人にはお似合いの最期やな」
まるでもう燃え尽きて死んでしまったかと思う程に命が希薄なその少年の姿に、少女との約束を果たす事は疎か、まともな会話すら不可能かと諦めかけたが、
「……別に、会話する理由がなかったからな。お前の眷族の復讐が理由なら、好きにしろ。お前、ロキだろ? お前の眷族は……知ってるだけでも三人殺した」
想定外の返答と、そしてその内容が少女が予見した通りの内容だったことに内心驚き、少し慌ててそれを誤魔化すように「なんや、まだ元気やないか」と軽口を叩いて仕切り直す。
「自分に直接やられたんは五人や。やけど復讐する気はあらへん。その代わり、償いたいとか謝罪したいとか、少しでもそういう気があんのなら、質問に答えや」
「お前、頭大丈夫か? 俺が自分の意志で殺したのに、償いたいとか謝罪したいとか思っていい筈ねえだろ。まあ、別に質問には答えるが」
その自罰的な返答に一切の嘘はない。少女から聞いたアズライト兄妹の境遇を確信しながら、ロキは「《悪》って、何なんや?」と問いかける。
少女──フェリス・アズライトによれば、彼の背中には理想を体現する【
故に、フェリスにニルスを託されたロキとしては、知る必要があった。迷宮都市で【純粋悪】と呼ばれたその男が、何故そのような理想を持つに至ったかを。
「うちの子を殺した時、悪やから尊い人の命を理不尽に奪い殺す、なんて言ったそうやないか。やけどうちは、自分が妹を人質に捕られて闇派閥に協力させられとったんを、大切なもんを守るために戦っとったんを、もう知ってしまっとる。にも関わらず自分は自ら悪を名乗り、そんで敵も味方も関係なく、全員から何の疑いも無く【純粋悪】なんて呼ばれとった。かつての闇派閥の親玉が掲げとった【絶対悪】でも、正義の神が認めた【必要悪】でもなくや。悪の根源を識り、体現する。その背中に刻まれた
「絶対だとか必要だとか純粋だとか、何だその言葉遊びは? 頭に大仰な枕詞をつけたって、例えどんな理由があったって何かを傷つければその行為は須らく悪で、それ以下でもそれ以上でもねえだろ。俺のスキルに何を期待してたのか知らねえけど、悪の根源を識るって言っても、成された《悪》が誰の手によるものか見れば分かるってだけの、それだけの力だ」
嘘は、ない。そして彼の語る《悪》を、ロキは《悪》であるとは思わない。それは命ある定命の者たちに課せられた宿業だ。
「……何かを傷つければ、その行為は須らく悪、か。確かに真理ではあるな。やけど質問に対する答えにはなっとらん。自分は成した結果やのうて、原因である己の存在そのものを《悪》と称した。それも、まだ因果が果たされる前にや。やったら自分は、何を以って《悪》を名乗ったんや? 何を以ってその行為の原因そのものを──人を、神を、怪物を、悪と証明するんや?」
「何をって、そんなの──悪を成す意志を持って名乗れば、それが証明に決まってんだろうが。それ以外に何か証明が必要で、それ以外に何か証明できるものがあるとでも思うのか?」
その嘘偽りのない返答に、自然と口角が上がる。
「ハッ、えらくまた単純な答えやな。じゃあ例えば何の罪もない人間を何十人殺した奴でも、自分で名乗りさえせんかったら、行為はともかくとしてそれを成した奴そのものは悪やないんか? それどころか、極端な事言えば何をしたって悪さしとる自覚がなけりゃ、それは悪とちゃうんか?」
「ああ、そんなのはただの馬鹿だろ。馬鹿は馬鹿だから勝手に死ぬし、馬鹿だから自分が悪を成した事も分からずに恨み買って誰かから殺されるか、危険だからって排除される。まあ、結果だけみりゃあ悪も馬鹿も同類で一緒か」
愚かな子だと思った。愚かなまでに純粋で、愚かなまでに不器用で、愚かなまでに善良な子どもだと、ロキはそう思った。
その凄惨たる境遇に甘えず、自身の不徳と無力を言い訳せず、何時か罰せられるその時まで後生大事にその罪を背負い、罪の証をその目に焼き付け続け、それが罪であることを自ら高らかに謳い続けるその生き様は、時代と境遇が違えば【純粋悪】とは真逆の呼ばれ方すらしただろうに。
面白い子どもだと思った。だからこそ、少し意地悪をしたくなった。
悪を騙る愚かな子どもは、果たして正義をどう語れるのか、興味が湧いた。
皮肉なことに【純粋悪】と共に戦ったのは、神も人も誰もが認める
「なるほどな、なら次や。自分にとっての正義は何や? いや、この質問はちゃうな。自分は、正義をどう証明するんや?」
「知らねえよ。そんなの、考えた事もない」
それは、ニルスが吐いた今日初めての嘘だった。ロキは少し笑ってしまう。
「今考えたらええ。そんで、うちに答えを聞かせてや」
「……正義が悪の反対なら、他人からそう認められたら、少なくともその人にとっての正義にはなるんじゃねえの? ああ……だけど、違うか。リオンは俺を救った。だから俺はその行為を成したあいつが正義なんだと思った。だけどあいつは自分が正義じゃないって、もう正義を掲げられないって言ってた。だから結局正義も、意志が必要なのかもな」
やはり愚かだ。愚かすぎて、愛おしさすら湧いてくる。この少年は、彼に救われ続けた妹が、どれだけ彼に感謝していたのか気にしたこともないのかもしれない。彼女にとっての正義が誰であったのか、悪を騙る彼はその可能性を考えたことすらないのだろう。
「《悪》とは意志を持って自ら名乗るもの。《正義》とは他者から認められ、覚悟を持って自ら掲げるもの。ああ、ええ答えなんやないか。うん、ええな。うちは好きやで」
ロキは笑う。フェリス・アズライトは、この愛おしき愚直な子を、自分が気に入るだろうと言っていた。ああ、その通りだ。その予想は完全に的中している。
「それで、結局自分は何がしたかったんや? 闇派閥を潰したんは、正義にでもなりたくてやったんか?」
それが少しだけ悔しくて、兄に責任を取らせるべきだろうと内心意地悪く笑った。
「正義どころか悪に決まってんだろうが。俺自身のための、妹の復讐だったんだから。ああ……でも、リオンに救われて、憧れて……だから、そうかもな。正義の真似事をしてみたいって、思ってはいたのかもな。まあ……でも、改めて考えると、そうだな。多分これは、そういうやつだ。もっと単純な話だ」
馬鹿馬鹿しいとばかりに笑い飛ばしたかと思えば、しかし予想に反して思い詰めた様子でそう零しはじめた少年に、ロキはおやと思い直す。
「復讐しか頭になくて、真っ黒に輝いてて、それでも俺と妹を救う優しさを持っていたリオンに救われて、惰性で付き合いはじめた復讐だったはずなに、いつの間にか俺はリオンのために戦ってたのかもしれない。復讐の中で死のうとすらしてるあいつに、どうにか生きて欲しいって、そう思い始めたんだと思う。だから悪とか正義とか復讐とかそれ以前の話で、俺は多分、ただリオンを好きになって、リオンに幸せになって欲しいって、そう考えてただけなんだろうな」
「……………………は?」
少年の突然の独白に、嘘偽りのない告白に、ロキは一瞬頭の中が真っ白になった。
そして遅れて、笑いが込み上げてきた。
「アホや……アホがおる!! お前、あんな真面目に語っといて、それが、それが──助けてくれたちょっと危ない雰囲気の年上のお姉さんに惚れて、やから命賭けて都市をこんな丸焦げにしてまで戦っとったって……ふははははははははははははははははははっ! アホや、アホすぎる純情少年がおる!!!!」
「……うるせえな。悪いかよ。言っとくが、スキルで火力に変えたらLv.5の幹部陣も焼き殺せるくらいにはなったんだから、少なくともその程度にはちゃんとした気持ちだったんだぞ」
「重っ! 一周回ってもうなんかドン引きやわ」
涙すら出して大爆笑していると、少年が無言で炎を右手に灯しだしたのでロキは命の危機を感じて笑うのを止めた。
そんな自分を見て、少年は一度ため息を吐く。
「まあ、好きに笑えよ。俺はもうやれることはやった。生きる意味も、そのうちすぐに忘れる。だから少なくとも、ここで今あんたと話してる俺は、このまま死んでくだけなんだ。意外と不快ではなかったから、あんたに笑われながら消えてくのもいいって、そう思ってる」
そんな事を言うニルスに、ロキは笑いかける。フェリスとの約束だからではない。この面白い少年を本当に気に入ったからこそ、ロキは少年に手を差し出した。
「──なあ。もう死んでくだけなら、生きる意味がないんなら、うちのとこに来んか?」
不思議そうに首を傾げ、少年は苦笑する。
「物好きだな。街の火が消える頃には、この記憶も想いも全部燃え尽きて廃人同然になってるかもだけど、その時の俺がいいって言うんなら、好きに使ってくれよ。ああ、でも、もし俺がまだ動けてるなら、一つだけ頼まれてくれ」
「ええで。【疾風】のことか?」
「ああ。もしもリオンが死なないでちゃんと生きててくれたら、次の俺をリオンに引き合わせてくれないか?」
「ええけど、何でや? 忘れてるんやろ?」
よくわからない頼みに首を傾げれば、少年は少しだけ楽しそうに答えた。
「一緒に何をやったかは覚えてるよ。成した悪は、何があっても忘れるべきじゃないから。ただ、まあ、これは単純な思いつきでただの未練なんだけど、もしも未来の俺が好意とは別にちゃんとあの人に救われたことは覚えていて、それでリオンのために何か、今度は復讐の手伝いじゃなくて、もっとあの人が笑ってくれるような事が出来るならいいなって、そう思った」
「……ほんっとに自分、重いのう」
思わず口からそんな軽口が漏れたが、いい気分だった。だからロキは堪らなくなって少年の頭を乱暴にがしがしと撫でる。
「まあ、ええと思うで。うん、嘘やのうて、そいうのは本当に好きや。うちもその賭け、乗ったるわ。この火が消えん内に契約しようやないか。その重たい想いなら、スキルとして刻まれる可能性もあるやろ。自分、故郷出た時から今までずっと改宗可能状態なんやって? はよ背中出し…………て、…………は?」
そしてロキは、服を脱がせたニルス・アズライトの背中に、
フェリス・アズライトの『もしかしたら神様は愚兄のステイタスに驚くかもしれないが、まあ、神様の道化師の
「どうした? 何かあったのか?」
「いや、何もないで」
そしてロキは、火のついてしまった悪戯心のままに笑った。
「いま、
ロキは何もしない。ただ背中に手を触れているだけ。だが、ロキの期待と言葉に応えるように、勝手に魔力が集まり道化師を象る
そして刻まれた【正義詐称】という、彼の理想を、彼の想いを、彼の誓いをそのまま形にしたかのようなスキルに、ロキは破顔した。
故に、ロキは心の赴くままに宣言する。
「──ニルス・アズライト。これからは
「ああ、あと、二つ名の読み方なんやけどな──」
* * *
それは、たった数瞬の追想。
日は沈み、ついに星火はその役目を終えて燃え尽き、世界は薄暗く染まる。
そんな世界で、かつて燃え尽きて灰となったはずの俺達は、再誕の炎によって今ここに全てを思い出し原点へと帰結していた。
十年前の俺は、ただあの火のように在りたいと、ただ純粋にそれだけを望んだ。
九年前の俺は、大切な妹を助けるために、大切な想いと記憶を代償に悪を成す覚悟を以って力を望んだ。
だけど過去の俺達の願いは叶わず、願いを叶えるために思い描いた理想は儚くも燃え尽きた。
そして五年前の俺は、全てを失った俺を救ってくれた彼女に恩返しをするために、彼女の正義を証明するために、せめて憧れた正義を騙り続けられるようにと祈った。
「──ニルス。あなたに言わなければならないことがあります」
奇跡を代行しすべての力を使い果たしたリオンさんは、それでもしっかりと自分の足で大地を踏みしめ、俺の名を呼んだ。
「やはり今でも、あなたを結果的に助けただけの五年前の私の行為は、正義の行いではなかったと、そう思っています。あなたが憧れたという正義を、私自身が正義と認めることはできません」
それは、五年前の俺の誓いを否定する言葉。だけど、リオンさんは、優しく微笑んでいた。
「──ですが、五年前のあなたが願ってくれたからこそ、そして五年間今のあなたがずっと正義を成し続けてくれたからこそ、私は救われたのです。皆から受け継いだ正義を、もう一度名乗る覚悟ができたのです。そして今こうして、あなたの隣にいられることを、幸せに思えているのです。ですから私は、その始まりが正義とはかけ離れた行いであったとしても、あの日あなたを救えたことを、決して後悔なんてしていません」
そして続けられたその言葉は、間違いなく一つの証明だった。五年前から続く俺達の──否、俺の願いは、今ようやくここに確かに実を結んだのだ。
「ところでニルス」
思わず天を仰いだ俺に、リオンさんはそう呼びかける。
「順番が前後しましたが、私もあなたを愛していますよ」
「!? な、え、ちょっ……リ、リオンさん……!?」
「過去のあなたの想い人が私だったのなら、もう遠慮する必要はありません。あなたがもう忘れてしまっていた、あのとても憎たらしかった頃のあなたも含めて、もうあなたは全部私のものです」
「……!?」
絶句した。顔を真赤に染めてそんな恥ずかしい宣言をするリオンさんに負けず劣らず、俺の顔も真っ赤になっているだろう。
「おいっ!!!! お前、クソエルフ、ソレは私のモノだって言ってんだろうがっ!!!」
絶叫して殺意を剥き出しにして疾走し、オッタルから奪った大剣をリオンさんに振り下ろしてくるヴァレッタ。その一撃は弱体化前のLv.8のオッタルに勝るとも劣らない、
絶体絶命の危機に、暴走して熱に浮かれていた思考が一気に冷える。しかし、焦りはない。
やるべきことも、やりたいことも、そして今の俺だからこそやれることも、ちゃんと全部分かっていた。
──脳裏に蘇るのは、何時かの
『寄る辺も呪縛もなき持たざる子よ。真実の刃の創造にも、その担い手への到達にも惹かれぬ一族の異端児よ。教えてごらん。君はどうしてこの地獄で生き続けることが出来るんだい? 君は、地獄に何を見ているんだい? ──君は、何になりたいんだい?』
──答えは、同じだ。
そう心の中で答えながら、俺はリオンさんに向かって振り下ろされたその大剣を、素手のまま受け止め、
「願いの形は、あの頃のままでいい」
そして、手に炎を灯し、刃を握り潰した。
「っ!?」
驚愕に目を見開くヴァレッタを無視して、心の赴くままに言葉を紡ぐ。
「だけど火はただ其処に在って、火だけが唯一変わらず此処に在り続けていた。だからもう、
それは形のない詠唱にして、理想を想い描き願うための儀式。
「そして今度は、大切なモノを見失わないように。今度こそ、大切な人達を守れるように」
それは形のない詠唱にして、誓約と意志を世界に刻む行為。
「だから俺は────火になろう。人を救い祝い温め、邪悪を払い天災となり敵を穿ち、世界を照らし、そしてただ純粋に燃え盛る、かつて憧れた炎そのものになろう」
手の炎が、燃え盛る。
そして背中に神聖文字が再び浮かび上がり、しかし、次の瞬間には弾けて消えて、そして何もなくなる。そうだ。もう俺は知っている。わざわざ
『おい、まさかこれ、詠唱なのか……?』『魔力でも
「うるさいのう、ええから黙っとけや! 特に散々うちのニルスを馬鹿にして嘲って貶して来たド阿呆神共、残念なお知らせやで!! それ以外の神も人間も精霊も怪物も怪人も遍く全ての者共も、目を見開いて見さらせ!!」
神の鏡を通して聞こえる神々の驚愕の言葉を遮り、
「今日この時をもって下界天界その他三千世界で語り継がれることになる最新の神話の
神様のそんな言葉を意識の隅に聞きながら、そして絶望に満ちた顔で折れた大剣で突き出してくるヴァレッタを無視して、俺は最後の詠唱を紡いだ。
「【変身】」
瞬間、世界に新たな一つの存在が生まれ落ちた。
それは人でもなければ怪物でもない。精霊でもなければ神でもない。今ここにあるのはただ純粋な【火】という概念そのもの。
俺の胸に向かって突き出された大剣は、何の抵抗もなく体を貫く。そしてただ焼け溶けて、消えた。
「お前……ニルス、はははははは、おい、何だよ……お前も、人間を辞めちまったのかよ!? 何だ何だ、私と一緒じゃねえか。なあおい、じゃあこれからは世界にたった二人だけの同類じゃねえかよ!」
恐怖を誤魔化すように、そして壊れたような歓喜の表情を浮かべて、嗤いながらヴァレッタは大きく飛び退く。
「「「「【■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!】」」」」
一体何体の
そして発現したのは超長文詠唱級の魔術。迷宮都市そのものを崩壊させかねない威力のそれが、同時に六種。
吹き荒れる巨大な炎嵐。戦場全体を縦横無尽に貫く紫電。四方八方に打ち出された氷柱の砲撃。天より降り注ぐ無数の岩石の雨。そして解き放たれた闇と光の極大の二条の閃光。
だがその天災そのもののような超常の現象が、迷宮都市を傷つけることはなかった。
「消えろ」
炎嵐は何も飲み込むことなくただ消えて、
「散れ」
紫電は一瞬の発光ともに消失し、
「溶けろ」
氷柱は打ち出されたその瞬間に水となり蒸発し、
「朽ちろ」
降り注ぐ隕石は地表に届く前に空で燃え尽き無くなり、
「火よ」
純粋な魔力に近い闇と光の閃光は、しかしただ俺の左手に小さく火を灯すためだけの薪となり果て、跡形も残さずに消失した。
今はもう火を灯すために、己の血肉を贄とする必要も、記憶と想いを焚べる必要もない。
火は其処に在り、そして此処に在り続けていて、今は俺こそが火そのものである。だからこそ俺は己が手足を動かすこと以上に自然と、其処に在る火を使って全てを為すことも全てを為さないことも、此処にある火の為に全てを焚べることも全てを焚べないことも出来る。
「は、ははは…………」
壊れたように笑いそして崩れ落ちるヴァレッタに、俺はゆっくりと歩み寄る。
そして左手の灯火を天へと掲げ、握り潰し、かつてこの地に確かに存在していた彼女達が掲げた正義の翼の如く輝く、巨大な炎弓をこの世界に顕現させる。
右手でつがえし矢は、破邪の炎。込めた想いは、彼女たちへの誓い。
そして解き放たれた破邪の矢は、天に広がる神を否定する結界を穿ち貫き、そして天球に火が灯る。
混沌と不浄の力で編まれた結界は燃え広がる炎に焼き清められ、そして天球から舞い落ちる無数の星のような煌めき、再生の権能が込められた星火が世界を優しく包み込んだ。
かつてフェリスが司っていた再生の炎は、全てを焼き清めあるべき姿へ再誕させる権能だ。故に焼け野原となったはずの大地は草原へと戻り、壊れて燃え尽きたガラクタすらも以前の武具としての姿を取り戻し、冒険者達の傷も完治し、混ざり溶け合い歪んでしまった異物すらも元の姿へと回帰する。
そして世界に降り注いだ星火が消えた頃、己が無傷であることを確かめたヴァレッタは、諦めたようにため息を吐く。そして草原へと仰向けに倒れ込んだ。
「……なんでもありじゃねえかよ、ニルス。もういい。勝てる気がしねえよ。せっかくなら濁りきったくせに真っ黒に、地獄の炎のようにギラギラ輝いてたお前に殺されたかったけど、もういい。殺せよ」
まるで憑き物が落ちたかのようにそう呟くヴァレッタには、もうその身に取り込んだ
ヴァレッタ・グレーデは、今や只の何の力も持たない人間に成り果てていた。
だからこそ俺は、
「馬鹿かお前? 私刑は犯罪だろうが。何で俺がお前のために犯罪者にならねえといけねえんだよ。俺はこれから【正義の味方】として、この迷宮都市で
──こうして、一つの偽りの世界を燃やし尽くした戦争が、静かに幕を開じたのだった。
* * *