ダンジョン都市で正義を騙るのは間違っているだろうか 作:kuku_kuku
「人相の悪い店員さん、エールのおかわりをお願いしまふ」
「態度の悪い店員、私もら」
「「あ、あと、さっきのカリカリに焼いらチーズも」」
呂律の怪しい顔を赤らめた酔っ払い二人。小人族の少女とハイエルフの女性は、カウンターの奥に立つ俺にそう言ってジョッキを勢いよく突き出したその瞬間、同時に机に突っ伏して小さくいびきをかき始めた。
散々飲み散らかして好き勝手言いまくって急に眠りに落ちたリリとリヴェリアに大きく溜め息を吐けば、背後のミアさんが苦笑する。
「あんたの妹と母親、酒癖が悪すぎるんじゃないのかい? はしゃぎ過ぎだよ」
「家族が増えて喜んでるんじゃないですか? お義母さん」
「はっ、相変わらず達者な口じゃないか」
どうやら先日の大騒動以来、アル中という共通の病気もとい共通の趣味を通してすっかり仲良くなったらしいリリとリヴェリアは、今日初めてこのカウンターに立つことになった俺を肴に一杯やろうと以前から計画していたようで、夜の営業開始と同時に連れ立って『豊穣の女主人』に突撃してきて、無事こうしてたった二時間ほどで見事に酔い潰れていた。
「ほらな、やっぱもう潰れとるやろ? 二人ともちゃんとフィンに証言してえな、賭けはうちの勝ちやったでって」
「ニルス、店員さんになってる。本当だったんだ」
「冗談じゃねえ。なんて格好してやがる。酒が不味くなるだろうが」
そしてただでさえ賑やかしい店内を更に賑やかしつつ現れたのは、神様とアイズとベートの常連三人組。店の扉を勢いよく開けて入ってきた三人は、勝手知ったる我が家と言わんばかりに迷いなく一番奥の何時ものカウンター、つまり俺の眼の前にやって来て、酔っぱらい二人を椅子ごと隅に追いやって腰掛ける。
「おい、そこの店員に擬態中の悪人面野郎。酒だ。さっさと出しやがれ」
「黙れクソ雑魚狼。てめえは外で泥水でも啜ってろ」
挨拶と同時に厨房の奥に戻りがけのミアさんに「一応は客だよ」と頭を叩かれたが、今日も金を持ってないであろうこの狼は決して客ではない。
「私、あれがいい。前に飲んだ、極東のお酒。あとジャガ丸くん」
「うちはミア母ちゃんの秘蔵の火酒で。あとこのお土産の燻製肉、いい感じに炙ってや」
舌打ちし合う俺とベートを無視して好き勝手に注文してくるアイズと神様。お前たちはメニューが読めないのか。
問答無用で果実酒と少し値が張るだけのドワーフの火酒、そしてついでにエールを三人の前に置き、作り置きのサラダをアイズの前に置いてやる。
神様が持ち込んで来た燻製肉を炎刃で薄切りにしながら炙りつ、俺はため息を吐いてコップにエールを注いで一気に飲み干した。
「なんで私だけ全部お願いしたのと違うの出すの? ニルス、意地悪。あ、でもこれ美味しい」
「ちゃうちゃうもっと厚切りにするんやって。そんなお上品な切り方してどないすんのや」
「お前、仮にも店員なら客よりも先に酒飲みながら人間辞めた方法で料理作ってんじゃねえよ」
「うるさい黙れゴミ狼。俺に常識を説く前にお前の左右の奴らに客としての常識を弁えさせろ」
ぎゃあぎゃあ煩い三人を無視して、切った燻製肉を肴にもう一杯エールを飲み干す。なかなかいけるな、この肉。酒場に食料を持参してくる神様の常識は壊れているが、やはり舌だけは確かである。もう一枚いっておこう。それに確かにこれなら火酒も合うな。うん、やはり美味い。
わいわいがやがやと酒盛りを始める三人を放置して、厨房から頼まれた焼いたり切ったりするだけの簡単な料理を幾つか作っていると、面倒くさくいので瓶ごと渡しておいた酒を手酌で注ぎながら神様が可笑しそうにケタケタと笑う。
「今日が初日やのに随分と馴染んどるやないか。で、しばらくはゆっくりと新居を整えるか言っとったのに、結局なんで働いとるんや? 借金返済ももう終わったんやろ?」
「ミアさんから、無職に娘はやらないって言われたんで、仕方なく。あと、まともに飯も作れない男にも娘をやれないって」
「ああ、そりゃまあ何ていうか、とりあえず頑張りや」
大人気酒場『豊穣の女主人』は何時だって人手不足。経営者であるミアさんにとって、せっかく育てたリオンさんを手放した上に、一時的には客寄せになる俺を無職状態でふらふらとさせることはありえないことである。
「いや、お前、俺とアイズも名前貸してやってる組織の方はどうなったんだよ? あれも一応仕事じゃねえのかよ」
「あんなのはギルド都合の、体のいいファミリアの枠組みを超えた協力体制作りのための方便だろ。そもそも何なんだよ、アストレア・ファミリアの正統後継の独立治安維持組織とか言ってるくせに、最終目的が黒竜の討伐って。治安維持なんて次元じゃねえだろ。そのくせ人をダンジョン出禁にしやがって」
リオンさんのブラックリストからの撤回と冒険者復帰と引き換えにギルドから提示された要求に、俺はついため息を吐いてしまう。
「まあ、ダンジョン出禁はしゃーないやろ。ニルスがダンジョンに入るとどういう影響があるか全くわからんのやし。ていうかそれ以前に、ギリギリ人間とも神とも呼べんこともない、不思議存在なわけやし。リューたんのステイタス更新もできたんやろ? そんならしばらくは、
「ニルス、ジュースおかわり。あとジャガ丸くん」
「だからねえよそんなもん。あとそれは酒だ」
ジャガ丸ジャガ丸うるさいアイズに再度サラダの皿とグラスを叩きつけてやると、悲しそうな顔で酒をちびちびと舐めるように飲み始める。くそ、面倒くさい。要は蒸したジャガイモをすり潰して揚げればいいのだろう。やってやるよ。
「おいベート。これ、じゃがいも潰しとけ」
「はあ!? お前、なんで俺がそんなことを……!」
「え、ベートさん、ジャガ丸くん、作れるの? すごい」
「ぐっ……!」
ぐっ……じゃねえんだよ、チョロ狼が。擂り鉢でじゃがいもをすり潰し始めたベートを無視して、焼き終わった各種肉料理の皿をシルさんに手渡しつつ、ついでにミアさんにジャガ丸くんのレシピを確認する。たぶんなんとなく行けるだろう。不味くてもアイズがベートに失望するだけだ。全く問題はない。
少しばかり手が空いた俺は神様から火酒を分けてもらいつつ、二人で頑張り始めたベートとアイズを眺めながらポツリと相談する。
「組織の話なんですが、各種ファミリアから出向者って形でどんどん名前だけが出揃って来てるんですけど、何かしないと不味いんですかね? 俺達としては、まあ、ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアの合同遠征に一緒に参加したり、ヘスティア・ファミリアの戦力底上げをしたりくらいしかするつもりはないんですけど。まあ、俺達って言っても、俺はダンジョンに入れないから、ほとんどリオンさん任せなんですけどね。実際今日もフレイヤ・ファミリアで、ベルと一緒にリオンさんは訓練中ですし」
「それでええんとちゃう? 大局って意味やと、たぶんばっちり押さえるべきところは押さえられとるで。面白兎君の訓練まで含めてな。それにそもそも神とはちゃうけどそれに類する存在の名の下に、既存のファミリアって枠組みと相反しない形で別集団を構築できること自体が今の最終決戦を間近に控えた時代においては破格なことやのに、その意味不明なバケモンが正義の正統後継者にぞっこんラブで人類にとってはむしろ神よりも信用できる状態っちゅう冗談みたいな奇跡まで重なっとるんや。やからトップたるリューたんが正義を掲げて、それを
「まあ、理屈ではわかってるんですけどね。とはいえ、俺自身がそもそもまだ神様の眷属だと思ってますし、リリがいるヘスティア・ファミリアも特別と思ってますので、他ファミリアからしたら公平性って意味では不満が出そうなものですけど」
「でも、リューは黒竜を倒すって宣言してくれた。それに昔からニルスがずっと
じゃがいもがすり潰された擂り鉢を差し出しながら、アイズがそんなことを言ってくる。けっぱん……血判状? 血判状って何だ。俺はそんな物騒なものを知らないぞ。
「俺が提案した」
「僕が二番目に名前を書きました!」
「私が教えました!!」
困惑する俺に答えたのは、いつの間にか店に入って来ていたオッタルとベルと、その二人の背後で腰に手を当てて胸を張って鼻高々にいばるシルさんだった。
「説明しろ、先輩店員」
「えー、だってそういうのっていいじゃないですかー。神としては結構ロマンを感じるやつですよー? オッタルもベルさんも、ニルスさんとリューと一蓮托生の契約だーってとっても喜んでくれてましたし」
「一蓮託生の契約を何で勝手に知らないとこで結ばれなきゃならねえんだよ。駄女神、お前、はっちゃけるのも大概にしろよ? ベルにお前の悪事全部ぶち撒けるぞ」
「はいい!? ちょ、ちょっとそれは反則じゃないですか!」
「じゃあ正攻法だ。アイズ、これ、ベルに渡してやってくれ。ついでにオッタルにも」
薄めた果実酒をアイズに渡してベルにけしかければ、シルさんは口をぱくぱくさせながら声にならない非難をぶつけてくる。ざまあみろ。
酔っ払っているのか、訓練でお疲れの様子のベルの頭をご機嫌で撫で回すアイズ。顔を真っ赤にして慌てふためきながらも喜ぶベル。そんなアイズとベルを悲劇の主人公かのような面をして見つめるベート。泣きそうな顔でアイズを引き剥がそうとするシルさん。きゃっきゃしながらそれを肴に楽しそうに酒を飲む神様。
迷惑な客達である。あと先輩は仕事しろ。
じゃがいもに塩とスープストックを混ぜて一口大に丸めて油が跳ねる鍋に放り込んでいく。飲み干したジョッキを返してきたオッタルは、香ばしい香りと共に揚がってくジャガ丸くんじっと見つめている。
「それは、ジャガ丸くんか?」
「はい……?」
言葉の意味はわかるがオッタルから出てきた言葉に頭がおいつかない。いま、一体何が起きている?
「以前、剣姫からもらったことがある。あれは美味だった。俺にも一つ作ってくれ」
「……ああ、なるほど。いいですよ。味の保証はできませんが」
「構わない。それもジャガ丸くんの醍醐味だ」
どこか嬉しそうにそう語るオッタル。背後で大きく何度も頷くアイズ。だめだこいつら。意味がわからない。
出来上がった擦り潰したジャガイモを揚げただけの料理をカウンターに置いてやれば、ぎゃあぎゃあと喚いていた迷惑な客達が次々と口へと運んで行く。
そして気付けば、何時の間にか人が増えていた。
シルさん達が運んで来た酒場の正式な各種料理と酒が近くのテーブルを埋め尽くし、それに誘き寄せられるように何故か次々と知人達が集まり出す。
カウンターにやってきた
団長が胃薬を持って向かう先のテーブルでは、ガレスさんがオッタルとフレイヤ・ファミリアの幹部陣と酒を飲み交わしている。
ティオナとティオネを始めとするロキ・ファミリアの面々も、フレイヤ・ファミリアの団員達と連れ立って流れ込んでくる。
ロキ・ファミリアとフレイヤ・ファミリアだけではない。
ベルの周りにもヘスティア・ファミリアの団員達を始めとして色々がファミリアの団員達が集まり、そしてその他の見知ったファミリアも店のテーブルを埋め尽くし始める。
完全に狙いすまして集まって来たとしか思えない客層。不思議とすら思う余地もなく一人楽しそうにカウンター席に座って酒を煽り続ける神様に視線をやれば、
「はえー、不思議なこともあるもんやな。ニルスに接待させられる機会なんて滅多にないから、みんなラッキーやったなあ」
などと寝ぼけたことを呟きながら笑っている。これは営業妨害じゃないのかと厨房の奥のミアさんに非難の視線を送っても、黙ってさっさと働けと睨みつけられるばかり。ああ、これ、俺は既に売られていたのか。
もはや大宴会と言った方が適切な絶望的な状況にため息を吐いていると、アスフィさんアミッドさん椿さんの三大生産者がカウンターにやって来て、
「その節はどうも。ところで早く血をください」
「指は千切っても生えてくると聞きました。人を丸焼きにした謝罪の気持ちを要求します」
「火と骨を寄越せ。私の槍を使い捨てたことはそれで許してやろう」
もはや完全に人間に向ける言葉を超越した注文を飛ばして来た。この三人、以前から薄々感じていたが、すでに人間性が死んでいやがる。そして神様の爆笑がうるさい。
絶妙に強く言い返せないくらいには確かにやらかしてしまっているので、今度手伝いに行きますとだけ告げて、店の秘蔵の葡萄酒をこっそり横流しすることで事なきを得てほっと一息吐いていると、神様の隣に一柱の小さな女神が腰掛けた。
「やあやあアズライト君。お邪魔させてもらってるよ」
「勝手に邪魔すんなやドチビ。酒がまずなるやろが」
神様の友神にしてリリとベルの主神、女神ヘスティアはジョッキを掲げて俺にニヒルに笑いかける。
「今の今まで君には色々な事でお礼を言うのが遅れてしまってすまなかったね。アズライト君。ボクのベル君のことやサポーター君のこと、君には本当に感謝してるよ。ありがとう」
「ああ、気にしなくてもいいんだぞ。お兄ちゃんがやり……」
「…………は?」
「ああ、気にしなくてもダイジョウブですよ。俺がやりたくてやったことなので。むしろ諸々のご助力、感謝しなければならないのは俺の方です」
「いやいやいやいや、何をなかったことにしようとしてんねん! 今の気持ち悪いの何やったんや!? 流せるわけないやろ!!」
「し、仕方ないでしょう。ヘスティア様が小さかった頃の妹に似てるんで、つい癖が出たんです」
酒を吹き出し唖然とする神様にしどろもどろに言い訳する。記憶を取り戻した今、女神ヘスティアが昔の妹にしか見えないのだ。
「いやいや、あんま似てないやろ! フェリスたん、胸はともかくもっと大人びとったやん! 共通点なんてボクっ娘なとこくらいやったやん!」
「見た目ではなく、雰囲気というか神性というか、火の性質が似てるんですよ。特に三歳くらいの時に」
「な、ななななな何だって!? 三歳なんて幼女じゃないか! ボクは立派なレディだぞ!」
「さ、三歳! ひいぃ、草生えるわ!!ドチビ、三歳児の幼女フェリスたんと同列やったんか!! 流石ドチビや!」
「ああもううるせえな、見た目の話じゃないって言ってるでしょうが」
爆笑する神様。怒り狂う女神ヘスティア。やらかしてしまったことに正直恥ずかしくなる俺。
「これは何の騒ぎなのですか?」
収拾がつかない場をおさめてくれたのは、苦笑交じりのそんな鈴がなるような声だった。
新緑色のケープで体を覆い、しかし今はもうフードと覆面でその素顔を隠すことはやめたリオンさんは、そのケープを毛布代わりに眠りこけるリリとリヴェリアにかけてやりながら、不思議そうに酒場を見渡す。
「んん、おねえちゃん……?」
「んん、我が娘か……?」
そしてもにょもにょと寝ぼけるリリとリヴェリアに「まだ寝ていても大丈夫ですよ」と微笑みながら、その背を優しくあやすように叩く。
すやすやと再び眠りに落ちるリヴェリアと、眠そうに目を擦りながら起き上がるリリ。リリはともかく、母よ、お前は本当にそれでいいのか。
「え、エルフ君、聞いておくれよ。アズライト君が、ボクのことを三歳の時の妹君にそっくりだなんて言うんだ。それはボクだって少しばかり身長は小さい自覚があるさ。だけど流石に三歳児だなんて……」
先ずはあんたが話を聞いてほしい。何なんだ一体。トラウマでもあるのか。
「フェリスとヘスティア様がですか? ……まあ、言いたいことは何となく私もわかりますが、見た目の話ではないでしょう。それにニルスにとってのフェリスに似てるという表現は、ある意味で最上級の褒め言葉のようなものですので、悪意はありませんよ?」
苦笑するリオンさん。複雑そうな顔で「うーん、そうなのかい?」と首を傾げる女神ヘスティア。
そして乱入してくる小さな二人組。
「ヘスティア様、ベル様を付け狙うだけではなく、人の兄まで掠め取ろうとはいい度胸ですね」
「神様。どうして神様がそんなにニルスさんと仲がいいんですか? 会話したのだって初めてですよね? ちょっとどういうことか詳しく教えてくれませんか?」
完全に覚醒したリリ。いつの間にか女神の後ろに立っていたベル。両者とも満面の笑みである。しかし同時に恐怖を感じる。何だこれ。
「え、どどどど、どうしたんだい? ふ、二人とも、落ち着いて話し合おうじゃないか」
「「はい是非そうしましょう」」
差し迫る危機感に冷や汗を流す女神ヘスティアは、俺とリオンさんに「ちょっと神様を借りていきますね」と満面の笑顔で断りを入れたリリとベルに両脇を抱えられて連れ去られて行ったのだった。
舌を出しながらひらひらと手を振って女神ヘスティアを煽り散らしている神様に苦笑していると、ふとカウンター席に腰掛けたリオンさんの腕の傷に目が止まる。
「リオンさん、手を」
「はい?」
彼女の手を握り、目に止まった切り傷をそっと指で撫でる。指の軌跡を追って細く火花が走れば、傷口はゆっくりと跡形もなく消失した。
「……ありがとうございます。しかし訓練でついたこの程度の傷に、わざわざあなたの火を使う必要はありません」
「Lv.6の治癒能力があるからと言って、切り傷を軽視するのはどうかと思いますよ。毒の可能性だってあるんですから。念のために浄化もしておきましょうか」
「まったく。あなたはいつもやり過ぎなのです」
リオンさんの手を握ってその全身を一瞬だけ火で焼き清めれば、苦笑しながらも、しかしどこか嬉しそうにリオンさんはそう微笑んだ。
「ええ度胸しとんなあ、自分は。客を放置してイチャイチャしよってからに」
「ロキ様? いちゃいちゃとは……?」
ニヤニヤと笑いながらため息を吐く神様に、不思議そうに首を傾げるリオンさん。
「天然ドジっ子惚気リューたん萌えー。ちょっと前まではニルスに手を握られたら反射的にほっぺた引っ叩いとったやろ? ふりだけやったとは言え」
「…………!」
え、あれって、ふりだったのか?
「それが今や手を握られてもでろでろに甘やかされても、まるでこれが日常ですなんて言わんばかりに堂々としてしもうて。ええなあ、ニルスは。こんな可愛い娘を手籠めにして甘やかし放題やなんて。一日でええから代わって欲しいわ」
「絶対嫌です。そもそも恥ずかしがるリオンさんがここまで気を許して触れさせてくれるようになるまでどれだけ俺が色々耐えつつ頑張ったと思って……あ」
真剣に羨ましがる神様に反射的に答えて、そして、手を握ったままのリオンさんの顔が真っ赤に染まっていることに気づく。
そして次の瞬間にはリオンさんは俺の手を打ち払い、流れるような動作で右手で俺の頬を叩いていた。
「あーあ、こりんなあ、自分!」
鳴り響いた綺麗な平手の音に、心底楽しそうにケタケタと笑って神様は勢い良く席を立ち、豊穣の女主人全体に聞こえるように叫ぶ。
「聞いてえな、みんな! ニルスがまたしても粗相やで! 店員ともあろう者がうちを差し置いて、リューたんにセクハラするなんて最低な粗相や! 吊るせ吊るせ!」
「おや、僕の親戚にそれは良くない。あのセクハラ横暴偽店員はオラリオの恥だ。みんな、総指揮官命令だ。やれ」
「ハッ!? 良くわからないが我が娘を辱めるとは最低だなあのセクハラ不良店員! お母さんの命令も重ねる。やれ」
低俗神様の呼び声に、くすくすと笑うアラフォーロリコン勇者と飛び起きて反射で叫ぶ嫁贔屓ママの楽しそうな号令が重なる。
既視感のある意味不明かつ理不尽な身の危機を感じていると、ロキ・ファミリアの団員達どころか店中の客達がロープを構えながらじりじりとにじり寄ってくる。先頭は後ろに隠れて俺に指を突きつける嘘吐き裏切り店員に命じられ嬉々としているオッタルだ。やめてくれ。よし、アイズの隣で鼻で笑っているベートも巻き込もう。安心してんじゃねえよ、察しの悪い飼いならされた狼ちゃんが。
「まったく、良い家族を持ちましたね、奥さん」
苦笑しながらそう呟いて、迷惑客共を全員まとめて返り討ちにしてやろうと厨房の鉄鍋を手に取りかけたが、それよりも早く背後のミアさんの拳が後頭部に振り下ろされた。
まさかの店側からの制裁に混乱していると、ミアさんから怒鳴られる。
「何が良い家族ですねだ、このバカ婿が! 全員あんたんところの迷惑家族……じゃないじゃないか!! シルにオッタル、あんたらまで何やってんだい!! リュー、あんたもだよ! あんたがいながらあのバカどもに何させてんだい!!」
が、当然のように嘘吐き裏切り店員とその手先に真っ当な怒りの矛先が向き、そして更にリオンさんが監督責任を問われていた。
ミアさんに叱られてわたわたと慌てるリオンさんは、少しだけ恨めしそうにしながらも、笑顔で俺に返した。
「そちらこそ良い家族を持ちましたね、旦那さん」
* * *
かつてダンジョン都市オラリオには、暗黒期と呼ばれた時代があった。
暗黒期のオラリオにおいて、《正義》を掲げる
暗黒期のオラリオにおいて、《悪》を名乗る集団に
しかし、正義を掲げた少女は、悪によって愛する
そして少女の復讐の過程によって最愛の
落ちた正義の使者である少女と、それに憧れたかつて悪だった少年。
殺戮によって暗黒期を終わらせ、自分達も終わり行くはずだった少女と少年は、しかしそれぞれ新たな家族によって救われて、間違って迷って苦しんで、それでもダンジョン都市オラリオで必死に生きて来た。
そしてダンジョン都市に迷い込んだ一匹の白兎の存在が呼び水となったかのように、そして終わらせた筈の過去が贖罪を迫って来るかのように始まった都市の命運を賭けた戦いで、かつて少年と少女だった彼と彼女は、この世界に確かな一つの成果として彼と彼女の【正義を巡る物語】の一遍を刻んだ。
故に、これから新たに語られるのは、その物語の続き。何時か黒竜を討伐し、世界を解放する英雄譚に繋がる詩篇。
かつての少女だったリュー・リオンと、かつての少年だったニルス・アズライトが、もう一度世界を救うまでの、何でもないありふれた毎夜の語らいの記録である。
* * *
「ところで、こうも毎夜だと流石に焼き魚は飽きてしまうのではありませんか?」
温かな橙色の灯火に照れらされた小さな部屋。二人並んで座ったソファーに浅く腰掛けて、薄緑色の短い髪の
「少なくとも、もう暫くは毎日お願いしたいですね。それより今日のお酒ですが、ちょっと変わり種を用意しておきましたよ」
言葉を返すのは灰色の髪の男。その顔には少しばかり悪戯げな笑みが浮かんでいる。
「この無機質で、薬草じみた香り……もしやこのお酒は、あの日の……?」
「はい、昔に俺が飲んでいた密造酒です。実は最近になってまた流通しはじめていたようで、買って来ました。今でも水と言い張ってるみたいですね」
硝子瓶には手書きで水とだけ書かれたラベルが無造作に貼り付けられている。灯火がガラスの中の液体の向こうで少しだけ歪んで揺れた。杯に注がれた度数だけはやたらと高く純粋に透き通ったその密造酒に、
「……」
「嫌でしたか? 別のお酒でもいいですが」
「いえ、ただ感慨にふけっていただけです。私にとっては初めてのお酒だったわけですので。どこぞの悪い男に無理やり覚えさせられた」
じっとりと半眼に細めた目をそのままに、
「見解の不一致ですね。俺としては善意で酒を勧めたら、危ない雰囲気の年上のお姉さんに殴られて、馬乗りにされながら首を噛み千切られた衝撃の記憶だったのですが?」
同じくじっとりとした目で
「その後にあなたがしたことを、私は忘れていませんよ? 一方であなたはどうやらつい最近まで忘れていたようですが」
「お陰様で俺も思い出せたがな。ていうか、あれ、どっちかって言うと加害者はあんただと思うぞ?」
「あなたが無理やり流し込んだお酒……と、血に酔ったことが原因なので、不可抗力です。それに、どの口で被害者を騙るのですか。あたなにとっては大切な思い出だったから忘れていたのでしょう?」
「まあ一般的に十四歳の純情少年にとって、結果論的に初恋になった年上のお姉さんとのあんな記憶は、大切な思い出にならざるをえないんじゃないですかね?」
両者ともに牽制するように鼻で笑い合い、そして杯に注がれた無色透明なあの日の密造酒を飲み干す。
苦くて、刺激的で、忘れられない、あの夜の独特な香りがした。
「お、意外と悪くない組み合わせですね」
「はい。魚の苦みが程よく香り引き立ちます」
そして、あの夜にはなかった焼き魚を二人して口にしながら、穏やかに笑い合う。
「そういえば、ちゃんと覚えていますか?」
「朝市のことですよね? 楽しみにしてましたもんね、またあのパン屋が出店するって」
語り合うのは、早朝の澄んだ空気の中を連れ立って歩き、市場を見ながらその日の朝食について会話を交わす、今や日課となった毎朝のあの時間について。
彼が「明日は早起きしなきゃですね。今回こそ買えるように」と微笑むと、彼女は「はい」と真面目に意気込んで頷く。
「あれから美味しい朝採りの野菜の店も見つけましたから、朝食が楽しみです」
「俺は燻製肉も挟んで食べたいですね。神様から教えてもらった店が卸してるらしく。あ、そういえば珈琲豆も切れかけなので、明日補充してしまいましょう」
「確か、今度は私が選ぶ番でしたか? 責任重大ですね。あの素晴らしいパンに合う珈琲を選べるといいのですが」
過去を懐かしみ、今日の幸せを噛み締め合い、そして未だ見ぬ明日を夢見て語り合う。
これは、今日も明日も明後日もその先もずっと続いて行く、そんな彼と彼女の毎夜の語らいの記録。
かつて終わりを望んでいた少女と少年は、楽しげに微笑み合いながら、今夜も幸せな明日に思いを馳せた。
「さて、明日はどんな一日にしましょうか」
* * *