少しでも望む未来へ   作:ノラン

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0章 総集編『結⑤』

 

 

 

 ——今日という日を、テンは生涯忘れない。

 

 

一日、二十四時間、その一分一秒がテンにとって心を大きく動かすものであったから。自分のことを大切に想ってくれる人達と話して、その気持ちとやっと真正面から向き合えたから。

 

テンという人間が真に変わった日。変わろうと思えた日。ターニングポイントと、そう言い表してもいい。

 

今この瞬間が、彼にとっての運命の瞬間なのだ。

 

そんな中でふと、彼は今日一日を振り返ったとき、今日は本当に色々とあった日だなと思った。色々と——そう、色々とだ。

 

目覚めた直後、ラムに人生相談して、彼女の言葉に自分という人間を変える決意と覚悟を固められて。

 

それからレムを救うために彼女と話して、夢の世界から連れ戻すために告白して、過去を聞いて、想いを届けて、救い出すことができて。

 

そこから、色々とあった。

 

 

「おそい! おそいおそいおそいおそいおそい! どれだけ待たせたと思ってるの! 今日で八日目! 八日目! よ う か め! わたし、テンがいない間、すごーく! すごーーく! すごーーーく! 寂しかったんだから!」

 

「分かった、分かったから——」

 

「テンのせいなんだからね! テンが、そうやってわたしを甘やかすから、こうなったんだもん! テンが優しすぎるのがいけないんだわ! そうに決まってるわよ!」

 

「分かりました。お怒りの程はよーく分か——」

 

「テンがいなくなって、いなくなったら寂しくなって、いつもよりも胸がズキズキしてぎゅーー!ってして、色々と大変だったもん! テンはいつもそう! どうしてわたしにこんな想いを抱かせるの! こうなるなら知らない方がよかったのに!」

 

「ちょ、やめっ……ポカポカ叩くな! 普通に痛い! 跨ったままされると尚のこと——」

 

「あとは、えっと、んっと…………色々よ! 色々は色々よ! テンのバカ! おたんこなす! とーへんぼく! ちゃらんぽらん!」

 

「分かったからその手を止めろ」

 

 

エミリアと久々に再開したら飛びつかれて、抱きつかれて、ポカポカされて、マシンガントーク。とても心配をかけてしまったことが理由で溜まりに溜まった感情を爆発させた彼女がテンに色々と殴りつけた。

 

レムを救ってハッピーエンドだと思っていたが、そうでもなかったらしい。おかげで、彼女と一緒にもう一つのハッピーエンドを見ることになったテンである。

 

最終的に泣かれてしまった彼女を宥めるために頭を優しく撫でていれば、その一幕を視界に捉えたレムが不穏な気配——俗にいうヤンデレムの気配をその身に纏い、

 

 

「テン? もう撫でてくれないの?」

 

「いた……いたたたた! レム! 抓ってる! 思いっきり肉ごとやってるぅぅ!」

 

「ああ、テンくん、ごめんなさい。エミリア様から良からぬ発言が聞こえた気がしたものですから……人に取られるくらいならレムの手で壊してしまいたいと思って……」

 

 

レムとテンとエミリアの三人が揃ったことでちょっとした修羅場となり。三人の賑やかな声を聞きつけた屋敷の住民の全員がテンと合流。目覚めの喜びを分かち合った。

 

その後、エミリアに嫉妬したレムが暴走したことにより、テンがレム色に染め上げられて大変なことになったりならなかったり。 

 

 

「あ、あのね! テン!」

「はい。なんですか」

 

「その……さっきのレムとテンを見てたらね。テンにぎゅーー!ってされるレムを見てたらね。あの……わ、私が……じゃ、邪魔なんじゃないかな、って、思えちゃって……」

 

「え?」

 

「ほら! 私ってずっと前からテンに甘えっぱなしでしょう? それでね、レムのことを見てたら、それもやめた方がいいのかなって思って、でも、私はもっとテンとたくさんおしゃべりしたくて、甘えたくて、前みたいにできなくなっちゃうって思ったらすごーく悲しくて、今も苦しくて、でもダメだって分かってるから遠慮して我慢しなくちゃいけなくて、でも、テンとこうやって話してるとどきどきして…………あ。やだ、私、なに言ってるんだろう」

 

 

あの夜につけられた腕輪をエミリアに返しに行ったら彼女の想いを悟った。話したいことがあると投げかけてきた彼女から、彼女自身が無自覚な想いを聞かされた。

 

展開が早すぎるとテンは思ったけれど、これまでの時間の中で少しずつ熱を帯びてきた感情ともなれば、寧ろ遅すぎると思えなくもない。

 

きっと、レムとテンの様子を見て色々と思うところがあったのだろう。ずっともやもやしてきたモノが、その出来事をきっかけに爆発してしまったのだろう。

 

テンが気付いてあげられなかっただけで。それが今日という日まで表に出てこなかっただけで。今日という日を境目に表に出ただけで。彼女も、ずっと前からそうだった。

 

そんな彼女を見ていると一人分の器に二人分の想いを注がれる現状、己の未熟さがテンは嫌になって。でも、気落ちしている場合ではない。受け止められる人になるために頑張ろうと、彼は少女二人の想いと向き合うことを決意した。

 

 

「俺のゲートについて、って。アレでしょ? フェリックス・アーガイルの治癒を受けるか否か、ってやつ。なら答えは決まってます。必要ない。以上です」

 

「君は。君自身がそうだとしても、私達が納得しないということを理解する必要があるよ。テン君」

 

「そう言われましてもね。俺が、要らない、と言ってるんですから、話し合いはそれで終わりです。当人がそう言う以上、続ける必要性は皆無だと思いますよ。いつまで経っても平行線ですし」

 

「それで事の収集がついたらラクなんだがね。残念なことに、この件に関してはそう簡単に頭を縦に振るわけにはいかないのだよ。私情的にも、陣営的にも、ね」

 

 

エミリア陣営の全員を含めて、テンのゲートについて話し合った。勿論、歪んだそれを治すために世界有数の治癒術師の力を借りるか否か、について。

 

相手が相手ということもあり、その場合は当然のように対価が伴うだろう。故に、テンは拒んだ。対価を支払われる価値などないと本人は思っているし、そんなの申し訳ないと。

 

尤も、それは彼に限った話。テンとしては対価>テンだったのだが、彼以外の人としては対価<テンだったらしく。ロズワールに色々と理由をつけられて丸め込まれた結果、結局は受けることを受け入れた。

 

そこからはいつも通り。久々に揃った使用人四人組による仲良しなほのぼのが厨房で広がり。生存報告として村に遊びに行ったテンとハヤトが子どもたちのおもちゃにされたりと、忙しい昼間であった。

 

 

「ハヤト。俺はね、もう原作には拘らないことにした。そんなもんに縛られて行動制限してたら、却って逆効果になりそうだし。臨機応戦に対応することを努力するよ。だから………」

 

「だから?」

 

「この世界を一つの世界として捉える。アニメの世界とかじゃなくて、原作の世界とかじゃなくて………。自分が生きる世界として捉えて、生き続ける」

 

 

その夜、テンは二度と原作に縛られないことをハヤトに決意表明。この世界で生きるために自分はこの世界に生きる自分になると言った。ハヤトはとっくに決めていた覚悟を、テンはようやく決められた。

 

だって、この世界はもう自分たちの知るアニメの世界ではない。自分達が色々とやったおかげで確実に心が変わった人物がたくさんいるのに加え、二人が在ること自体が原作とは別のルートを進んでいるのだとやっと分かったのだ。

 

テンが知っている原作は、とっくに彼の知らないものになってしまっている。テンが思い描いていた未来は、とっくに空白に染められているのだと。

 

 

「未来は、捻じ曲げるもの。結末は、覆すもの。運命は、変えるもの。この言葉をその心に刻んどけ。テメェが何のために戦うのか、その意志を常に心の中で燃え盛らせろ。それが、原作の知識を持った俺らの誓いだ」

 

「うん。分かった。誓うよ」

 

 

元から覚悟を決めているハヤトと、ようやっと覚悟を決めることができたテンの二人が、決められた未来に抗うと互いに表明し合う。

 

自分達が原作に働きかけ、改変したことであるべき展開が大きく変わり、そこから先が自分達の知らない真っ白な状態——空白になろうが関係ない。

 

だから二人は、少しでも望む未来へと進むため、原作に抗うための誓いを立てた。空白を歩む覚悟を、そうやって頑固としたものにした。

 

 

「私、テンに出会えて本当によかった」

 

「そうなの?」

 

「うん。私のこと……特別扱いしないでくれる。普通の人みたいに——ごく普通の女の子みたいに私のことを扱ってくれる事が、私には幸せなことなの。テンにとっては当たり前のことかもしれないけど」

 

「その当たり前が、エミリアには嬉しかった?」

 

「すごーく、ね。それにね。テンと一緒にいると、とっても落ち着いてくる。理由は分からないんだけどね。心がぽかぽかして、安心するの。こうして寄りかかってると……離れたくないな、って思っちゃう」

 

 

エミリアに「少し、二人だけでお話がしたいな」と言われて庭園に連れられ、そこで彼女の無自覚で無理解な想いを直接聞いた。そして、彼女も自分のことが好きなのだと理解させられる。

 

過去の自分ならば察することはできなかったけど、今の自分ならば察せられるものもあったのだ。態度、声色、表情、言葉——その全部が分かるわけじゃないけど、彼女の瞳に宿る恋色の輝きは分かった。

 

そんなエミリア。彼女は  の人に向ける感情がなんなのかは分かっていないけれど、この胸を温かくしてくれる想いがなんなのかは理解できないけど、テンと一緒にいるのが心地よかったのは確かだった。

 

 

「なぁ、ベアトリス。また『ハヤト』って呼んでくれてもいいんだぜ? その方が俺としても嬉しいし」

 

「その話はもう片付いたはずなのよ。答えも変わらないかしら。あの時はベティーも状況に酔ってただけ、変な期待すんじゃないかしら」

 

「だよな。あーぁ、残念」

 

 

その裏で、ベアトリスがハヤトの名を呼んだ事実を巡って二人が軽快に軽口を交わし合ったりもしていた。いつも通りの二人が、二人しか知らない時間の中、禁書庫という邪魔の入らない空間で、

 

 

「…………気が向いたら、呼んでやらんこともないかしら」

 

「まじ!? そりゃよかった。楽しみにしてるぜ!」

 

 

また一歩、関係が前進。

 

それは、カンザキ・ハヤトという存在に対してベアトリスが完全に心を開いた瞬間であったが、当人のベアトリスですら気づかない。遠い未来、特別な関係性を築くことになる青年と幼女は、この夜も仲良しであった。

 

その後。ハヤトと別れたベアトリスはいつも抱いて寝る黒い本の代わりに、彼から贈られた薔薇の髪飾りを大事そうに両手で包み込みながら眠ったが、それは彼女のみが知ること。

 

 

「ラムがいなかったら俺、今よりもずっと悲惨な状態になってた。ううん、悲惨な状態になったまま……それよりもずっと悲惨な状態になってたかもしれない。しれない……じゃなくて、なってた、かな。だから——ありがとう、ラム」

 

「礼を言われることをした覚えはないわ。ただラムは、いつまでも女々しくて焦ったいテンテンが見るに堪えなかったから、先輩として道を示してあげただけ」

 

 

ラムが寝る直前、彼女の部屋に訪れたテンが自分のことを真に変えてくれた少女に全霊の感謝を告げた。一体、彼女にどれだけ救われたか分からない彼は、誠心誠意頭を下げた。

 

そんな彼に、ラムは全幅の信頼を預けていると言って優しく微笑んでいた。親しい友人関係でしか見せない笑みを、彼女は自然な風に外に曝け出していた。

 

ずっと仲良くしてきた人に真っ直ぐな感謝を告げられるとむず痒いものがあったものの、真っ直ぐな想いは同じ想いで応える必要があるだろう。様々な意味合いで先輩と後輩な関係の二人は、そうやって互いに胸の内に秘める言葉を伝え合い、別れた。

 

これら全てが今日の出来事であり、今までの大まかな流れだ。改めて振り返ると、濃密すぎる日であることは深く考えずとも分かること。

 

様々な人と話す過程でその胸に秘めた想いを聞き、告げ、それらと向き合った今までは、この世界で過ごしたどの日よりも己の在り方を見つめ直した日。

 

あの夜を肉体的に濃密な日であったとするならば、今日は精神的に濃密な日だと言える。

 

濃密な日だった、ではなく。濃密な日だ。

 

まだ、今日は終わらない。まだ、やるべきことは残っている。今日を終わらせるためには、想いを伝えなくちゃいけない人がいるから、

 

 

「——レム。テンだよ」

 

 

全てに決着をつけるために、テンはその扉を叩いた。

 

 

 

 

☆☆☆☆☆☆☆

 

 

 

 

 

テンがレムの部屋に訪れた理由は、大きく分けて二つ。一つは、レムに真っ直ぐな告白をしたいから。何かのために告白をするのではなく、告白のために告白をしたいこと。

 

勿論、レムを救う過程で彼女に「好きだ」とは伝えたから告白をしたと言えなくもないが。しかし、その告白はレムを夢の世界から救い出すためにしたこと。手段として用いただけであり、テンとしては正式なものではない。

 

故に、彼は告白のやり直しをレムに所望した。好きな人を助けるために告白——随分とロマンチックな告白をしてしまったことを良しとしない彼は、色々と解決して落ち着いた今、改めて。

 

もう一つは、レムに隠していることを全て伝えたいから。好きな人だから言えることは、全て伝えたい。自分のとって世界で一番大切な人に、後ろめたい感情は抱きたくなかった。

 

つまりテンは、自分の全てをレムに話すことにしたのだ。自分がこの世界にとって如何なる存在であるか。そして、この世界が如何なる世界であるか。その真実を。

 

この世界が人によって創られた物語である——そのことを。

 

正直、とても不安だった。自分と同じ境遇にあるハヤトにしか理解してもらえないそれを、この世界の住民であるレムに打ち明けるなんて、恐怖心がないわけがない。

 

告げたら何を言われるのか、予想がつかない。信じてもらえないか、気色悪がられるか、嫌われるか、軽蔑されるか、良くない想像ばかりが脳裏を過る。

 

 けど、

 

 

「レムはテンくんを愛しているんですよ。そんな人の言葉を疑う余地なんてレムにはありません。気色悪がるなんて論外。——貴方に全幅の信頼を寄せるレムの覚悟を、あまり甘く見ないでください」

 

「テンくん、レムに言ってくれましたよね。良いところも悪いところも含めて『レム』なんだから。そーゆーところを丸ごと好きになる、と。それはレムだって同じことです」

 

「レムもテンくんの全てを知って、それから丸ごと好きになります。そうしないと不公平ですし。テンくんが隠していること、全部教えてください。教えて、レムにも抱えさせてほしいです」

 

 

レムは、そう言ってくれた。

 

底知れぬ恐怖に怯える自分の体をそっと包み込みながら、慈愛に満ちた笑みを浮かべ、優しく言ってくれた。

 

テンが自分の過去を聞いて、それから丸ごと好きになってくれたのなら、自分も同じだと。自分とテンに隠し事はなしだと。

 

だからテンはレムを信じて話すことにした。レムが自分のことを本気で信じてくれるのなら、自分もレムのことを本気で信じる。

 

未来永劫、隣り合って歩く二人。どちらかが一方的に寄りかかるのではなく、お互いがお互いを支え合いながら一歩ずつ歩みを進めていく。それはこれから先、ずっと変わることはない。

 

物理的にも、精神的にも。同じ痛みを抱える者同士、二人で一緒に頑張って前を向いていこうと、誓ったのだから。辛いことはあるけど、お互いに情けない自分から変わろうと誓い合ったのだから。

 

そのためには、互いに隠し事を無しにする必要があるのだ。

 

 故に、

 

 

「早朝にレムと話す中で、俺の『縛り』について少し話したの……覚えてる?」

 

「はい。そのせいで大変、苦心していたと。ずっと、一つの考え方に拘っていたと」

 

「そう。今からそれについて話すんだけど。その前に知ってもらわなくちゃいけない事があってさ」

 

 

寝台の上に座るテンとレム。両者の手の届く距離で面と向かって話す構図が完成した今、嘘も、隠し事も、全部吐き出してテンは全てを打ち明ける。

 

言えば後には引けない。何が起こるか分からない。先の見えない事態を引き起こしかねないリスクを己の背中に背負うことになる。背負い続けることになる。

 

けど、彼女は知りたいと言った。その自分を知って、その上で丸ごと好きになると言ってくれた。ならば、その程度のリスクなど背負ってやろうではないか。

 

レムのためならば、なんだって背負おう。レムの期待に応えるためならば、なんだってやってのけよう。怖くなんてない。先の見えない未来を歩む覚悟などとうに誓った。

 

 だからテンは、

 

 

「遠回しな言い方は余計に混乱させかねないから、単刀直入に言うね。いい? 言葉そのままの意味で受け取って」

 

 

ずっと、ハヤト以外の誰とも共有することのなかったことを。共有することなんてないと思っていたことを。

 

 

「——この世界が、絵本や小説の中の世界だ。って言ったら、レムは信じてくれる?」

 

 

 今、告げた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

物語の舞台となる世界と、その世界観。その世界に生きる登場人物を含めた生きとし生けるもの。物語の主要人物一人一人の性別や性格、容姿、人間性、歩んできた人生。あるいはこれから歩む人生。物語そのものの道筋、運命、未来。

 

それら全てが元から設定されている世界——それが、絵本や小説の世界。人間の手、自分たちのような普通の人の手によって創り出された世界。神様が世界を作った、なんて神話すらも設定された世界。

 

そんな世界と、この世界は一緒なんだ。

 

テンは、そのようにこの世界のことを語った。

 

親が子どもに読み聞かせるような御伽噺(絵本)の世界と同じで。人間の思想や妄想、あるいは欲望が構想の種となって集約し、文字や絵に表現されることで完成したものと同じなのだと。

 

だから、大凡の起承転結が書き始めた時から決まっているもの。多少のズレは生じても、筋書きはそこまで脱線はしない。そう、自分は思っていたのだと。

 

思っていた、と。過去形になっているのが引っかかったが、諸々教えてくれるだろうと頭の片隅に追いやったレムであった。

 

 

「ざっと、こんなもんかな」

 

 

割と、分かりやすい説明はできたと思う。

 

アニメの世界、テレビで放送していた世界、と表現するのではなく絵本や小説の世界と称したのは悪くなかったとは思っている。

 

ただ、信用してもらえるかどうかは別。いくら愛する人の言葉だからといっても限度というものがあるはずだろう。

 

 そんな小さな諦めは————。

 

 

「どうして、テンくんはそれを知っているんですか?」

 

「ーーーー」

 

 

レムの目の前の存在に対する切なる疑問に、テンは言葉を失う。

 

この胸を一直線に突き抜けた衝撃を感じたのはきっと、その真面目な言葉が今の発言を端から端まで信じる事を大前提としていたから。

 

 

「どうか、されましたか?」

 

 

目を見開き、目の色を驚愕に染めるテンにレムは不安そうに尋ねる。なにか、聞いてはいけないことを、聞いてしまったのではと。

 

別々の理由で、緊張した空気に心を覆われる二人。不安に染まる瞳と驚愕に染まる瞳が小刻みに揺れる中、先に動いたのは驚愕色で彩られたテンだった。

 

 

「疑ったり、しないんだ」

「はい。しませんよ」

 

 

今の一言でレムの信用は十分すぎるほどに再確認できたテン。しかし彼は「そんなの……」と、胸に添えた手で服をくしゃりと握り潰しながら、

 

 

「だって、この世界が絵本とか小説の世界と同じだ……って、そんなの普通、信じれるわけないじゃん。証明する最もな証拠があるわけでもないし。第一、突拍子もないこと信じるなんて——」

 

「朝に話したことを、もうお忘れになられてしまったんですか?」

 

 

 信じるなんて難しい。

 

そう言い終えるはずのテンの口は、レムの真剣な声によって止められる。正面、ゼロ距離、手の届く距離に座る彼女がテンの体に手を伸ばす。

 

伸びた両手は、胸ぐらを握り潰していたテンの手に触れると覆うように優しく包み込み、

 

 

「レムはテンくんを愛しているんですよ。そんな人の言葉を疑う余地なんてレムにはありません。それとも、テンくんはレムの深愛を疑いますか?」

 

「そんなわけない……!」

 

 

煽るように問われた信頼の再確認への反応は情熱的で、刹那で反応したレムよりも早かった。条件反射と言っても過言でない速度の返答にレムは嬉しそうに、恥ずかしそうに笑う。

 

笑って。包んだ彼の手をその胸元から奪うとレム自身の胸元に当てながら、

 

 

「驚いたことは否定できません。突飛で、信じ難いと思ったことも事実です。けど、信じます。この世界がテンくんが語った絵本や小説の世界であると、レムは心の底から信じます。信じて、疑いません」

 

 

レムの態度から嘘は感じられない。人を見る目に自信はないが、それくらいは感じ取れた。包み隠さず、正直に全てを話してくれているなら尚更。

 

自分はこの世界の真理を、あり得ない事実を信じるのだと。そうであると語ったテンの言葉を疑わないのだと。

 

 

「だから、テンくんのことも教えてください」

 

 

言い、包み込んだテンの右手と自身の右手を繋ぎ合わせるレムにテンは「俺のこと?」と小首を傾げ、「そうです」とレムは深く頷く。

 

恋人繋ぎで固く結ばれた二人の右手が、全てを聞くまで逃さないというレムの意志を静かに物語った。勿論、気付けないテンではない。

 

青色の双眼と視線を絡め続ける彼は、逃げない意思表示としてその手をぎゅっと握り。握られた強さに頷くレムは言葉を発するための酸素を軽く補給し、

 

 

「テンくんはどうして、この世界が絵本や小説の世界であると知っているんですか?」

 

 

湧いて当たり前の疑問を投げかける。

 

変だと思った。だって、その世界の住民は自分たちの住む世界が文字と絵で作られた世界だなんて、知るはずないがない。現に、レム自身も知なかった。否、知ってるわけがない。

 

知りうる手段などありはしないそれを、どうして自分の恋人は知っているのだろうか。どれほどの叡智に溢れている人間ですら生涯を尽くしても辿り着けない真理を、どうして当然のように知っているのだろうか。

 

 それはきっと、

 

 

「この世界の誰もが知りえない真理を知っていた。それはつまり、テンくんがこの世界の人ではない……と、いうことになるのではないかと、レムは思ったんです」

 

 

鋭い考察に、テンの肩が一度だけ小さく跳ね上がる。この世界とは別の世界から連れてこられた自分の境遇、そのド真ん中を的確に射抜く正確性には舌を巻き、動揺が全身に色濃く浮かび上がった。

 

告げられた事を五分と経たずに飲み込み、更には告げた人間の正体までもを予想したと。相変わらずテンの事となると途端に冴える女性だ。

 

本人的には正しいかどうかは正直なところ微妙だったが、その反応で答えは得たようなもの。「その上で、お聞きします」と、確信めいた風にレムは前置き、

 

 

「テンくん。貴方は一体———何者(だれ)なんですか?」

 

 

ありえない真理を真実であると飲み込んだ彼女は、自分は既にその先まで辿り着いているとテンに言い放った。合わせた視線を一秒たりとも外さず、彼と向き合う姿勢を高め続ける。

 

愛人の暗かった部分が明るみになりつつある状況に熱心になるレム。そんな彼女の視線にテンは「そうねぇ……」と斜め上を見上げ、言葉を作るための時間を稼ぐと、

 

 

「この世界とは別の世界の人。この世界を、小説や絵本の中にある一つの物語として外から観ていた人、読んでいた人。要は、この世界とはなんの関係もない人だよ」

 

 

特に飾ることもなく全てを打ち上け、斜め上に預けた視線をレムに戻す。見えたのは、自分で立てておきながらドンピシャであった仮説に驚愕しているレム。

 

本当に正しいとはさぞ驚くことだろう。寸分の狂いもなくともなれば、彼女が受けた衝撃は計り知れない。

 

それでも、テンは言葉を続けた。

 

 

「だから、この世界が『物語の世界』だと知れたんだ。前の世界からこの世界に飛ばされたあの日、この屋敷に連れて来られて、レムやエミリア……その物語の登場人物と出会って。そうなんだな、って」

 

「前の、世界……? それは、テンくんが仰った別の世界と同じ世界のことですか? というより、その世界とはなんですか?」

 

 

衝撃的な事実を告げられながらも、レムは冷静だった。動揺する心をひたすら制する彼女は、衝撃の余韻を抑え込みながら疑問の一端を投げかける。

 

無理解を理解に至らせるために。レムの思考回路は熱を帯びて高速回転していく。全ては、テンの一番の理解者になるため。

 

 

「異世界。って言われて、分かる?」

 

 

そんな気概のレムに返されたのは、全く馴染みのない単語。言ったこと聞いたこともない、生まれて初めて鼓膜を震わせた音。

 

こればかりは本当の本当に無理解なレム。自分一人の力では理解に至らない彼女は「イセカイ?」と、あどけない表情で頭の上に困惑の疑問符を浮かび上がらせる。

 

 

()なる()()と書いて異世界。簡単に言うと、俺とレムが存在してる世界とは別の世界のことだよ」

 

「別の世界で、異世界………」

 

 

ざっくりとした説明を受け、口の中で音の感触を確かめるようにレムが反芻する。

 

身元不明だとは初期の段階で周知ことだったが。なるほど、どうりでどれほどの時間を費やして素性を洗おうとも何一つとして進歩がなかったわけだ。

 

 つまり、だ。

 

 

「ということは、テンくんは大瀑布の向こう側から来た人間。ということでよろしいですか?」

 

「だいばくふ?」

 

 

レムなりに解釈した結果として口から出た全く聞き覚えのない単語に、今度はテンが頭の上に疑問符を浮かべることになる。

 

聞き覚えない——これに関しては本当に聞き覚えのない言葉。

 

 

「だいばくふ、とは?」

 

「世界の果てにある水際のことです。その彼方を、大瀑布の彼方と言います」

 

「なるほど」

 

「大瀑布は、龍以外は渡れないとされる此方と彼方の、その境。彼方に何があるのか知るものはおらず、テンくんが語る世界が存在していても不思議とは言えないんです」

 

「なる……ほど」

 

 

淡々と語ってくれた内容に納得の言葉をテンは呟く。決して真に納得したわけではない、自分の世界とこの世界の違いを説明することが困難を極めると悟ったために、この世界の設定に則っている。

 

事を着地させる方法が、それしか思いつかない。

 

この説明ではつまり、テンは大瀑布の彼方からこの世界にやってきたという結論に着地するが。テンはそのような物語の上の設定を超越する存在であることを忘れてはならない。

 

彼は、設定という言葉が当てはまらない設定の外側から来た人なのだから。

 

 

「えっと……。つまり俺は、その大瀑布の彼方からやってきた人。ということになるの?」

 

「はい。……違うのですか?」

 

「……うん、そんな感じかな」

 

 

結論づけるレムが事を着地させにかかり、便乗するテンが微妙な顔をしながらも頷く。

 

テンの意図した内容と大きく食い違ってしまう理解だ。とはいえ、テンがここで滾々と『異世界』と大瀑布の違いを説いても、事態に改善は見られない可能性が高い。

 

レムが納得してくれているなら、それでいい。そうやって自分を無理やり納得させた。

 

「ええと……」と頭の中を整理するレム。少量ながらに濃すぎる情報の一つ一つを整理する彼女は軽く吐息し、

 

 

「今までのお話をまとめると。この世界は絵本や小説の世界……万事が設定によって定められた世界と同一であり、テンくんはそれを異世界で読んでいた人。だから、この世界の真理を知ることができた。ということでよろしいですか?」

 

 

重要な部分のみを抜粋した整理にテンは「まぁ、そーゆーことになるね」と一言。妄言の類であると言われても仕方ない羅列を口にしたレムは、簡単な反応を受け取ると「ふっ」と微笑み、

 

 

「分かりました。信じます」

 

「本当に? 大した説明もできてないのに?」

 

「構いませんよ。大事なところさえ明快にしてくだされば、細部までは問い詰めません。理由がなくても、根拠がなくても、レムは信じます。信じ続けます」

 

 

躊躇も戸惑いもなく、受け止めたと言い切った。

 

世界中が笑い飛ばしたって、自分だけは信じよう。自分だけは、何があろうとも彼の味方で在ろう。

 

だから疑ったりはしない。言葉をそのまま受け止めて、受け入れよう。それに、論議すべきはそこではないことをレムは心に留めている。

 

 

「それに、本当に話したいことがまだ残っているんですよね? 今のお話が、テンくんが拘っていた事と、どう繋がるんですか」

 

 

続けざまにレムは言い、本題へと滑らかに入った。準備が整ったのならば、今すぐにでも本題に入ろう。若干、前屈みになったのはその意思表示。

 

彼のことを知れた今、自分にはそれを最後までやり遂げる責任があるのだ。聞いた者として、引き下がることはしない。

 

そんな気概のレムに、テンはゆっくりと口を開き、

 

 

「なんで俺が、この世界が小説や絵本の世界だと話したかって。それは、俺がその物語の道筋を知ってるから……なんだよね。俺がいない本来の物語を、俺は知ってる」

 

 

「勿論、全部を知ってるわけじゃないんだけどさ」と、テンは言い難そうに語る。つまり、この世界の出来事——未来を知っていることになると不意にレムは気付き、はっとした。

 

物語を外から読んでいた人。その意味がたった今、真に理解できたのだ。この世界とはなんの関係のない人と言った意味が、やっと飲み込めた。

 

彼、ソラノ・テンという存在は、本来の物語にはいるはずのない存在であると。

 

その中にはレムの存在もあるとレムは聞かされた。レムだけじゃなく、この屋敷にいるみんながいると。

 

聞いた途端、レムの目が興味そうに聞き入ると、テンはその顔に影を作りながら「それでね」と、

 

 

「それとは別に、物語の主人公となる人もいてね。あれだよ。そんな人がロズワール邸の人達と一緒にいる機会が、物語の一部にあってさ」

 

 

いつの話を語っているのだろう。分からないけど、その主人公とやらは、自分が顔も名前も知らない人なのは分かる。

 

でも、それが何を意味するのはレムには分からない。

 

 

「初めは、レムはその主人公のことが大嫌いだったんだよ。それはもう、殺意を抱くほどに」

 

 

何があったのかは知らないが、自分が殺意を抱くほどの人間ともなれば並の人間ではないのだろう。

 

でも、だからなんなのだろうか。自分が大嫌いなのに、どうしてその名を出したのか。まだ、レムにはテンの言いたいことが分からな——。

 

 初めは、レムはその主人公のことが大嫌いだった。

 

 ——初めは。

 

 

「でもね、一つの出来事をきっかけに、レムとその主人公の男の子はとても仲良くなるんだ」

 

 

 待て。

 

 

「仲良くなって、レムはその主人公に救われて。そう、俺がレムを過去から救ったように、主人公はレムを過去から救って」

 

 

 そんなわけない。

 

 けれど。もし、この世界に彼という異分子が紛れ込まなければ、彼の言う通りに未来が決まるのなら。

 

 自分は、その人のことを——。

 

 

「ここまで言えば。物語のレムがどうなるか、レムなら分かるよね」

 

 

 違う。違う。違う。

 

 自分は違う。そんな未来など違う。物語の自分と、この自分は違う。

 

 違うから、

 

 

「本当なら、レムは——その主人公のことを好きになるんだよ。それが、本来の物語が辿るべき道筋なんだ。道筋、だったんだ」

 

 

疑うことのない声を、レムは初めて疑った。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

それからの話は、レムにとっては酷な話だったかもしれない。

 

自分に向ける想いをずっと我慢してきたテン——原作に縛られ続けていた『空野・天』のお話は、聞きたくない話だったかもしれない。

 

 

「その中でのレムはね、俺じゃない『その人』に救われて、その人のことを好きになるんだよ。好きになって、告白して、その人に好きになってもらって、幸せになるんだ。………幸せに、ならなくちゃいけないんだ」

 

 

レムはこれまで、過去に縛られ続けて自分の人生を歩むことができなかった。重ねてたくさん苦しんだから、彼女はなにがあっても幸せにならなくちゃいけない。

 

例え、自分の気持ちを抑えてでも、レムの幸せを優先する。彼女には、幸せな未来が待ってるから。その人に救われる道筋が、完成しているから。そうすることが彼女の幸せに繋がるのならば、心を殺すことなど厭わない。

 

レムには幸せになる権利があるから。

 

 

「だからずっと、俺は、その物語の通りにしなくちゃ、って思ってた。レムを、好きになっちゃいけないんだ。好き、ってゆー気持ちを抑えて、我慢しなくちゃいけないんだ。って」

 

 

だって、その通りにしていればレムは救われる。今は苦しくても、レムは必ず主人公が救ってくれる。だからテンは自分の心を殺した。レムが救われる過程を邪魔してはいけないのだと。

 

決められた道筋は変えられない。定められた運命は変わることなどない。未来は、その過程は、その通りに進んで。それは何があっても、どんな力が働いても、揺らぐことなんてない。

 

そんな固定概念に縛られていたこともあったのだろう。

 

物語の未来を知っているからこそ。いずれみんな幸せになれることを知っているからこそ。余計に変えてはいけないと思い、テンは自分を殺したのかもしれない。

 

 

「自分に物語の道筋を変えるだけの力なんてあるわけがない。レムには幸せになる未来が待ってるから、そこに自分みたいな物語とは何の関係もない異分子が割り込んでいいはずがない」

 

 

自分に対する自信の無さが重なれば、彼の心は度が過ぎる程に縛られた。

 

好きになったところで、彼女が自分のことを好きになるはずがない。仮にそうだとしても、物語のレム以上にレムを幸せになんてできるはずがない。そんな自信の無さが、テンを縛り付けた。

 

そうやって、自分を殺して殺して殺して。その考え方がレムの想いに気づけなかった原因だと自覚したのは今日の朝方だった。

 

 

「レムが幸せになるならそれでもいいかな、って思ってた。俺が我慢して、レムが幸せになるなら……その人と幸せになる未来に進んでくれるなら、それでもいいのかな、って」

 

 

テンに想いを寄せるレムからすれば、とても自分勝手で、自己中心的な考え方だと思う。

 

自分の中だけで完結して、勝手に落ち込んで、誰にも相談することもなく、最後には己の中だけで出した答えに囚われる。正しく、彼に救われる前のレムそのものだ。

 

 

「辛かったよ。レムが俺に対して献身的に、好意的に接してくれて、その度に心が震えて。好きにならないようにするので必死だった。好きになる自分から目を逸らすので精一杯だった」

 

 

ある日を境目に、必要以上に積極的に接してくるようになった彼女を意識しないようにするのでやっとだった。そうしないと、自分は彼女が好きな自分を理解してしまうから。

 

思わせぶりな態度をされようが、発言をされようが、それら全ては気のせいであると。そうやってレムの献身的な好意を無下にした。

 

その好意が、本心であるとも知らず。

 

だから、テンはレムの想いに気付くことができなかった。自分の気持ちから目を逸らし、いつの間にかレムの気持ちからも目を逸らし、何もかもから目を逸らしていた。

 

原作は変えられない。そんな言葉で自分の弱さを覆い隠し、目の前の女の子と真っ当に向き合うことすらしないで。その弱さを「自分はハヤトの真反対だから」と正当化し続け。

 

 

「ほんと、最低だよな。レムに嫌われちゃえばいい、って思ったことだってある」

 

「レムと一緒ですね」

 

 

己を蔑むテンの罵倒にレムの声が重なる。聞き手に専念するはずの彼女は強く握っていた手を緩め、離れることなんてないと思っていた手と手を解放すると、

 

 

「レムも、そう思ったことがあります。テンくんを傷付けた救いようのない自分なんて、テンくんに忘れられて嫌われてしまえばいい、と。知ってますよね。自暴自棄になったレムを止めたのは、他でもないテンくんなんですから」

 

 

言い、レムは自分の体を僅かに前へと押し出す。向かう先にいるのは勿論、自分の愛した人。手を伸ばせば届く距離にいる体に到達するのには一秒も使わず、瞬間で彼女の体が彼の体に沈んだ。

 

 

「大好きです。テンくん」

 

「うん。俺もだよ」

 

 

嫌われちゃえばいい——そんな思いを抱くと心が切なくなる二人が強く、熱く、傷を舐め合うように抱き合う。そんなこと言わないでと、そう伝えるように互いの温もりを交換し合った。

 

抱き合う二人の表情は、決していいものとは言えない。いつも通りの抱擁なら幸せそうに頬を緩ませる場面は、今は違う。愛を伝える両者の顔には、痛み出した傷心が渦巻いていた。

 

 

「物語の通りに事を進ませなくちゃいけない——それが、俺の心を縛ってた元凶だよ。未来も、結末も、運命も……全部、変えちゃいけないんだ、って。ずっと、ずっとずっと思ってた」

 

 

胸に埋まるレムの温度を感じつつ、テンは全てを打ち明け終わる。この世界の事、自分の事、縛りの事、それ即ち伝えなくちゃと思った事の全てを言い終えた。

 

これで、彼女に言うべきことは言った。とても暗い話になってしまったが、仕方のないことだろう。基本的に自分の裏側を話す瞬間というのは、暗いもの殆どなのだから。

 

だがしかし、そこで終わらせるテンではない。そこで終わらないからこそ、こんなことを語れた。

 

下がるだけ下がった。なら、後は上るだけ。今から最高潮まで上っていこう。

 

「でもね、レム」とテンは落ち込んだ声を明るくしながら、

 

 

「そんなの、気にすることじゃなかったことに気が付いたんだ。気にするだけ無駄だったことに、気付かされたんだ」

 

 

光が差し込んだように活気を帯びた声を耳にしたレムが「そうなんですか?」と、胸元からテンを見上げながら希望を囁く。

 

傷を舐め合う感覚に落ち込みかけた彼女の声にも活気が戻ると、テンは「うん。だから俺はレムを好きになれたんだよ」と一度だけ嬉しそうな笑声を音にし、

 

 

「ここにいる人はみんな、俺の知ってる人と全然違うんだ。レムも、エミリアも、ラムも、パックも、ベアトリスも、ロズワールも。本で読んだ人と……設定された性格で生きる人と怖いくらい違うんだ」

 

 

初めこそ、そうだったかもしれない。自分達がこの世界に来たばかりの頃の屋敷のみんなは、初期設定のままに心が動く人たちだったかもしれない。

 

でも、今は違うということをテンは何度となく実感してきた。物理的に実感したこともあったし、精神的に実感したこともあった。それはもう、凄まじい勢いで。

 

自分達が画面の中で観てきた人たちは、この中には一人としていない。原作の原型を完璧に保っている人間など、この中には一人としていない。

 

物語の設定上では考えられない表情を見せてくれるのが、動かぬ証拠。

 

 

「ここにいる人たちは、物語の登場人物なんかじゃない。ちゃんと心を持った存在だよ。設定とか、そんなのに縛られることのない自由な存在だよ。この世界は——そんな、つまんない世界じゃない」

 

 

元はそうだとしても、この世界が物語の中にある世界だと一区切りにするのは惜しすぎる。そうだと断定するには、原作とは違う一面を持つ人達との記憶を脳裏に刻まれすぎてしまった。

 

この世界は一つの世界だ。物語の世界だとか、アニメの世界だとか、そんなつまらない言葉で括るにはもったえなさすぎる世界だ。

 

 

「それにね。レムがその主人公じゃなくて、俺のことを好きになった時点で、もう俺の知る物語とは大きく変わってることに気付いたんだよ。俺という、物語には存在しない存在が迷い込んで、レムの未来は確かに変わったんだから」

 

 

原作主人公のメインヒロインを奪ったのだ。自分達が世界に迷い込んだ事を除き、これ以上の原作ブレイクがあってたまるか。お陰で様々な名シーンが消えた気がするが、それはそれだ。

 

だって、この物語は自分たちが自分たちの手で原作とは違う未来を描いていく物語だから。物語の世界だとかの話は完全に吹っ切ることにした。気にするだけ無駄なのだと。

 

 それに、

 

 

「レム。俺ね、レムのことが大好きなんだ」

 

 

テンは、自分でも驚いてしまう程にレムのことが大好きで仕方ない。こんなに誰かを好きになった経験など生まれて初めてで、心を奪われるという感覚を理解した気がした。

 

 

「我慢、したくないんだ。レムが好きな自分を抑えるなんて、したくないんだ。レムが好きだから。好きな人とこんな近くにいるのに、いれるのに。物語の通りにしないとだからダメだ、って。そんなの無理だよ」

 

 

「だって、我慢できない」と。テンは溢れる愛を素直に言葉にしながら、レムの柔らかな体を強く抱きしめる。抱きしめると上擦った吐息が胸で弾け、衣服を挟んで肌と肌が触れ合った。

 

理解した自分の心は止まってくれそうにない。一度でも向き合ってしまったが最後、自分の心はレムに奪われてしまった。奪われて、二度と返ってこない。

 

 

「——だから俺は、そんなつまらない事に拘るのはやめにしました。以上です」

 

 

結果、その結論に至ったテンが長い自分語りを終わらせる。だらだら話すといつまでも話が終わらなさそうな気配を察した彼は、パッと切り上げた。

 

「なにかありますか?」とレムに発言権を譲るテン。一方的に語り続けていた彼は「ほぅ」と息をつき、抱きつきっぱなしの彼女に耳を傾ける。

 

 

「正直に申しますと。今、テンくんがレムに話してくれたことは全部、レムからすればどうでもいいことです」

 

 

開口一番に放ったレムの言葉は、テンには予想外すぎるものだった。色々と自分の話を聞いて聞きたい事が浮上したはずだと回答を用意していたのだが、そうでもなかったらしい。

 

たった一言でテンの頭を真っ白にさせたレム。埋まっていた胸から離れる彼女は体一つ分の距離を空け、テンを一直線に見つめると心の言葉を声にして紡ぎ始めた。

 

 

「テンくんが異世界から来た人だとか。この世界が物語の世界だとか。テンくんがその物語を読んでいただとか。そんなこと、大して気になりません。だってレムは、そんな意志のないお人形のような女じゃないんですから」

 

 

色々と聞いたけど、最終的なレムの結論はそれ。

 

テンも語ったのと同じ。物語の自分とこの世界の自分は全く違うのなら、特に気にすることでもないだろうとレムは思う。

 

この世界は、そんな世界とは違うのだから。一人一人に命があって、心があって、自分の意志で生きている世界なのだから。

 

 

「小説だとか、絵本だとか、気にするだけ無駄ですよ。どうでもいい、の一言で済ませてもいいんです。テンくんの言った通り、この世界はそんなつまらない世界ではないのですから」

 

 

物語のレムは主人公に救われる、そうか。

物語のレムは主人公を好きになる、だからなんだ。

物語のレムは主人公が幸せにする、勝手にしろ。

 

テンのことを好きにならない自分なんて、そんな自分は知らない、知る気にもならない。彼以外の人を愛する自分なんて、ご勝手にどうぞ。

 

初めに自分が主人公を好きになると聞いた時は驚くことしかできなかったけど。よくよく考えてみれば、だからどうしたという話になるではないか。

 

物語の世界と、自分たちが存在する世界は、全くの別物なのだ。土台こそ同じでも、土台の上に広がる世界は違うのだ。

 

 故に、どうでもいい。

 故に、自分は自分だ。

 

 

「ここにいるレムは、そんなレムとは違います。ここにいるソラノ・テンに添い遂げると誓ったレムは、そんなレムとは違います。定められた未来を歩むレムとは、一欠片も同じではありません」

 

 

自分は自分の手で、未来を共にする相手を選ぶ。人生を歩むときに隣にいてほしい人は、自分の意志で決める。そしてそれは、目の前の人に決めた。

 

道筋、未来、運命——そんなもの一体、誰が決めた。

 

定められた未来の話なんて、どうだっていい。だって自分は未来でもなく、まして過去でもない、今を生きている。

 

 

「ですからレムは、顔も名前も知らない主人公とやらを好きにはなりません。レムが愛するのはこの世界でただ一人。テンくんだけ。レムの全ては、貴方だけのもの」

 

 

自分は自分の人生を貫く。決められた人生なんてつまらないものには縛られない。自分を救ってくれたのは他でもないテンで、自分が愛して止まない恋人だから。

 

この想いは誰にも止められないし、変えられない。

 

 

「一つ。提案します」

 

「なに?」

 

「テンくんへの愛を、今ここで語らせてください。語って、ここにいるレムはテンくんしか愛せないということを証明させてください」

 

「別に大丈夫だよ。十分に理解できたし」

 

 

右手を横に振り、「大丈夫だよ?」と否定の意味をテンは表現するも、レム的にはダメらしい。

 

何がスイッチとなったかは不明だが、途端に熱心になるレムが熱の籠った声で「それはいけませんよ」と食い気味に言葉を割り込ませる。

 

どうしても、彼女は伝えたかった。あの朝に伝え損ねてしまった愛を。告白寸前の今でないと語れない愛を。今この場で先に語らないと気が済まない。

 

自分の愛の程度を今、彼に教えたい。決して揺らがない愛が有ると、自分の全てを尽くして証明したい。

 

彼女の心を察したのか、テンは「うん。なら、レムのしたいようにしなよ」と胡座から正座に体勢を正し、背筋を伸ばして聞き手の姿勢。

 

言いたいことは全て言ってきたから今の関係がある。遠慮も我慢も無しの関係性を今になって裏切るような無粋な真似はしない。

 

素直に言えばいい。それを止める者などテンとレムだけの世界には存在しておらず、彼女の止まらない愛を拒む理由などあるはずがないのだから。

 

 

「分かりました。では、いきますね」

 

 

 「ふぅ」と、深く息を吐く。

 吐かれる息と共に体の内側にあった要らない言葉が全て消え、頭の中がクリアに。

 

 「すぅ」と、深く息を吸う。

 新鮮な空気を内側に取り込むと不思議と体が軽くなるような感じがして。

 

 

「テンくんに、抱きしめられるのが好きです」

 

 

 ——自分のことをまっすぐに見てくれる瞳と視線を重ね合わせ、レムは想いを紡ぎ出した。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

「抱きしめられると身も心も温められて、レムは世界で一番幸せな気持ちになれるんです。その瞬間だけは、大好きな人に甘える一人の女の子になれるんです」

 

 好きだ。

 

冷え切った心を甘く溶かして、自分を一人の女の子にしてくれた、全てから守ってくれるような抱きしめ方が。

 

 

「テンくんの腕が好きです。レムが苦しくて、辛くて、どうしようもなかった時、世界一優しく包み込んでくれた逞しい両腕が好きです」

 

 好きだ。

 

自分のことを果てなく愛し、求めたらそれ以上の温もりをいつまでも感じさせてくれる。時には、苦しいくらい抱きしめてくれた腕が。

 

 

「テンくんの声が好きです。レム、と。レムの名前を何度も呼んでくれる声が。普段は落ち着いているのに、ふとした瞬間から荒っぽくなる声を聞くと、レムは胸が高鳴ってしまいます」

 

 好きだ。

 

意識的に制御していても、感情が昂った時に不意に出てしまう荒っぽい声が。名前を呼ばれる度に、心が温かくなるのを感じる声が。

 

 

「テンくんの胸の中が好きです。温かくて、優しくて、安心できる、いつだってレムを受け入れてくれた世界で唯一の場所が好きです。鼓動を聞いて、匂いを嗅ぐと、レムの心はテンくん色に染まってしまうんです」

 

 好きだ。

 

どんなに嫌なことがあったとしても、その場所に飛び込むと全てが一気に吹き飛ぶ。命の鼓動を聞けて、彼を全身で感じることのできる場所が。

 

 

「テンくんの頑張る姿が好きです。お屋敷に来た頃からエミリア様の騎士になるために毎日鍛錬に励んで。課題とひたむきに向き合いすぎて、時には倒れてしまうこともありましたけど。それでも頑張る姿が、かっこよくて好きなんです」

 

 好きだ。

 

不安になることもあるし、毎日のように半殺しにされている姿はひどく胸が痛むけど。ひたむきに、前向きに、懸命に努力する姿が。

 

 

「テンくんの表情が好きです。悪戯で揶揄うと照れ臭そうに笑ったり、顰めたり。姉様とハヤト君の四人で話す時は喜怒哀楽が入り混じるのに、真面目に話すときはどこまでも真剣に向き合ってくれる。その豊かな表情が愛しくて堪りません」

 

 好きだ。

 

他人の前では自分を大きく出さないのに、屋敷の人達を前にすると途端に表情を感情に彩って。不意に柔らかく微笑んでくれる表情が。

 

 

「テンくんの温もりが好きです。頭を撫でられたとき、抱きしめられたとき、体と体が触れ合ったとき、肌を通じて心に波紋するその温もりを感じると、心地よくて心を奪われてしまいます」

 

 好きだ。

 

ずっとずっと、その温もりに溺れていたい。何日でも、何十日でも。生まれて初めての感情を自分の心に灯して、そのときからずっと温め続けてくれたその温もりが。

 

 

「目が好きです。手が好きです。横顔が好きです。後ろ姿が好きです。歩き方が好きです。寝顔が好きです。心が好きです。笑顔が好きです。仕草が好きです」

 

 好きだ。

 

何もかも全てが。自分の全部を丸々受け止めて、自分の存在を心から求めて、人生を終える瞬間まで寄り添ってくれると誓ってくれたソラノ・テンという青年がその身に宿す全てが。

 

 

「テンくん———」

 

 

 笑み。数センチ、動く。

 

 狙いは狂わない。唇はダメだから。

 

 

「——愛しています」

 

 

 その頬に、唇を当てた。

 

 触れるだけ。それでいい。

 

 

「ーーーー」

 

 

 今、自分は何をされた?

 レムが近づいて、離れた。

 その一瞬に、何があった?

 

 

「ーーーー」

 

 

 頬に、口付けされた。

 

自分が何をされたのか、理解するのに数秒は使った。使って、頬を真っ赤に染めるレムの理由は瑞々しい桜色の唇だと理解した。

 

喉が、熱い。言葉が、出ない。

 

 

「未来のお話なんてレムは知りません。運命だとか、決められた道筋だとか、そんなつまらないものに縛られたくありません。レムは、テンくんのことをこんなにも愛しているから」

 

 

 ーー()()()()()なんてレムは知りません。

 

 

これほどまでにテンを動揺させる言葉が、未だかつてあっただろうか。

 

笑いながら『未来の話』をしようと主人公に言われ、笑っていた彼女が。主人公に「一緒に逃げよう」と言われた時に、その話を語った彼女が。

 

彼女の心を救ったと言える言葉が、他でもない彼女によって否定されて。自分が彼女に好きになられてしまった時点で、もう全て変わったのだと。

 

その瞬間に、テンは改めて理解できてしまった。

 

 

「確かに。絵本の中のレムはテンくんの言った通りなのかもしれない。その人に救われて、その人のことを愛するのかもしれない」

 

「ーーーー」

 

「でも、ここにいるレムは違います。テンくんのことが好きで好きで、胸が苦しくなってしまうくらいに好きなレムは、そんなレムとは違います」

 

「ーーーー」

 

「レムは、テンくんのことがこんなにも好きなんですから」

 

 

一つ一つ、愛を語り、言葉を閉じる。

 

伝え損ねた告白のやり直し、今度はちゃんとできた。あの時は、夢だと思い込んで歪んだものになってしまったから。

 

あぁ、頬が熱い。彼の頬に触れた唇がむず痒い。心構えはしてきたはずなのに、改めて言うと凄まじく照れてしまう。彼に、夢中になってしまう。

 

彼しか目に映らない、彼しか意識下に入らない。自分の中から『彼』以外の全てが除外されて、どんどん彼色に染められていく。

 

 

「レムは………ほんとに、すげーな」

 

 

一世一代の告白、そのやり直しを終えたレムに一番初めに返されたのはそんな言葉だった。他意のないただの純粋な賞賛が、ふっと緩んだ頬と一緒に伝えられる。

 

まさか、『それ』がくるとは思わなかった。主人公が迎えるはずの展開を自分が迎えるなんて。予想外すぎて冗談抜きで呼吸が止まっていた。

 

 

「テンくん」

 

 

脱力し、表情筋が緩みっぱなしのテンに満足そうな笑みを浮かべながらレムはその名を呼ぶ。「どうしたの?」と崩れた姿勢を正しながら言葉を返されれば、

 

 

「告白のやり直し。してほしいです」

 

 

青色の瞳を期待に煌めかせ、子犬のように尻尾をぶんぶん振りながら返事を待ち構えるレムの姿が、直後からテンの瞳に映し出された。

 

打ち明けられたことは全て受け止め、その上で愛すると誓い。レム自身の告白のやり直しも完了。互いに互いのことしか考えられない——これ以上に整った雰囲気があるだろうか。

 

だからテンは、そう言ったレムが受け身に移ったことを察して「うん。分かった」と頷いた。この世界に来たばかりの自分ならば震えてしまいそうな場面でも、彼の態度は真っ直ぐだ。

 

 今、伝えろ。

 

 

「レム」

 

「はい」

 

 

名を呼ぶと、短く返される。

 

たった二文字の中には文字の少なさとは反対に、万感の想いが込められていた。愛を受け入れる、その意味が。

 

あの時と同じ距離で。あの時と同じ気持ちで。あの時と同じ雰囲気で。ただ、状況だけがあの時とは違う告白。好きであることのみを伝える今。

 

 テンは、

 

 

「俺は、レムが好きだ。ありきたりな言い方しかできないけど——必ず、レムを幸せにしてみせる。だから、俺と付き合………」

 

 

 ーーレムは、テンくんと添い遂げます。

 

 

 寸前。

 

レムの言葉が過り、紡ぐ声が止まる。自分を許さない代わりにテンに一生を捧げると誓った時の彼女の音声が、心の奥底から強く響き渡った。

 

レムは、自分と夫婦になりたいと言った。気が早すぎるとは承知の上で、それでもその関係を築きたいと、あの朝に誓った。その想いは、何があろうとも揺らがない。

 

 なら、

 

 ーー今くらい、男を見せるときじゃないのか?

 

 

「俺と———結婚を前提に、付き合って下さい」

 

 

右手を差し出し、言い切った。

 

瞬間、予期していなかった前提条件を投げかけられて感動と喜悦に呼吸が止まるレム。嬉しすぎて固まる彼女は、それでも体と口を動かして、

 

 

「はい。その想い、謹んでお受けします」

 

 

「お慕いしています、テンくん」と。

 

そう添えながら差し出された手を取ると、レムは顔いっぱいに笑顔を波紋させる。嬉し涙を頬に溢れさせながら、愛以外の感情の混濁のない言葉を心で受け止めた。

 

嬉しい。本当に嬉しい。やっと彼と恋人関係になることができた。彼への想いを自覚した以降から抑えてきた言葉をもう我慢しなくていいだなんて、幸せすぎる。

 

その上、結婚を前提にお付き合いを始めてしまった。嬉しすぎて、夢なら覚めないでほしいとすら思ってしまう。だって夫婦になることが、約束されたのだから。

 

夫婦に、なることが、約束された————。

 

 

「もう、だめです」

 

 

我慢の糸がプツンと切れ、レムが自制解除の合図を小声で呟いた直後、テンを押し倒さんばかりに飛びつく。恋色の激情に感情が爆発し、彼女の愛が彼の胸元に押し付けられた。

 

レムの小柄な体が、テンの体の中にすっぽりと収まる。背中に回された両腕が、泣き笑うレムの体と微笑むテンの体を密着させる。

 

そうすると、溢れる愛があった。

 

 

「好き……好きです、大好きです。ずっとずっと大好きです。愛しています。誰よりもあなたのことを愛しています。愛していると、何度伝えても伝え足りないくらい、愛しています」

 

「うん、俺も大好きだよ。レムのことが、誰よりも大好き。あい………あい、してる」

 

 

無限の愛を注ぐレムの愛と、片言のテンの愛が濃密に絡み合う。まだ不慣れなことは多いけど、それでも頑張って伝えようという意思が伝わると、レムの愛は更に爆発した。

 

初めて言われた。片言で、言いづらそうではあったものの、愛する人から初めて「愛してる」と言われた。彼のことが好きすぎるレムの愛が制御を失うのは必然的だろう。

 

胸元に、額を擦りつける。止めどなく流れる涙を拭いながら、レムは言った。

 

 

「ずっと——レムはずっと、この瞬間を待ち焦がれていました」

 

 

そして、物語の幕引きは訪れた。

 

数々の苦難を乗り越えた二人が、想い通じ合った二人が、ようやく結ばれる。

 

 

「うん。待たせてごめんね」

 

 

今までの全ては、この時のために。

 

この瞬間を、二人がどれほど待ち望んだことか。血の夜から八日、レムが想いを自覚してから約一ヶ月、二人が出会ってから約三ヶ月。

 

人間関係を築くには十分すぎる時間を費やし、とうとう辿り着いた瞬間。互いにすれ違ったことも、一方的な愛になりかけたこともあったけど。

 

この夜、想い結ばれ。この時、未来は変わった。原作に縛られ続けていたテンからすれば、完全に殻を破った夜であると言える。

 

 

 ーー推し=好き。ってわけじゃないだろ。

 

 

ふと、この世界に来たばかりの己の言葉が心の奥底から聞こえた。まだ、レムと恋人になることなんて無理だと決めつけていた『空野・天』の声。

 

その問い、今ここで『ソラノ・テン』が答えよう。

 

確かにそうだ。自分は『Re:ゼロから始める異世界生活』の登場人物であるレムという人物が推しであったが、それが好きに繋がることはない。

 

それでも、その人そのものを好きになる事はあった。

 

レムという名を持つ女性を。人格者を。自分と出会って色々と変わった『創られた存在』などと一区切りにすることなんてできない女性を、好きになることだって十分ありえる話だ。ありえる話だった。

 

レムであってレムでないレム。それが、自分が好きになったレム。もう、物語の存在だなんて思う心は微塵も無い。

 

 

「好きだよ。レム」

 

 

色々とあるけど、取り敢えず今はこの感覚に浸っていよう。そんな風に思考を止めたテンが恋人に愛を注ぎ、

 

 

「好きです。テンくん」

 

 

応えるレムが同じように愛を注ぐ。既に溢れかえっているけれど、こぼれ落ちた分だけ注げばいいのだから。

 

 

「レムは今、幸せ?」

 

「はい。レムは今、幸せです」

 

 

注いで、注がれて。また注いで、また注がれて。いつしか言葉の要らない時間が訪れると、抱き合う二人は温もりに身を委ね、二人だけの時間を過ごしていった。

 

 

それは、今までの二人にとっての終着点だった。

それは、これからの二人にとっての出発点だった。

それは、ずっと先の二人にとっての通過点だった。

 

待ち望んだ時間が、待ち焦がれた瞬間が、二人に訪れ。全てを打ち明けて、後ろめたいものを吹っ切って。改めて想いを伝えて、ちゃんとした形で。

 

 

 ——この日、温もりは結ばれた。

 

 

 

 

▲▽▲▽▲▽▲

 

 

 

 

一世一代の告白を終えたテン。それから彼は寝るためにレムの部屋から退出。戦闘の後遺症として重度の貧血症状に蝕まれる体をレムに支えてもらいながらも、なんとか自室前へと辿り着いた。

 

今は、愛が爆発したレムに「一緒に寝ませんか?」と言われたのをなんとか受け流し、今日最後の別れの挨拶を交わしているところである。

 

 

「テンくん。改めて、レムの最初で最後の恋人になってくれてありがとうございます。本当に、本当に、言葉にできないくらい嬉しいです。ずっと前から恋人になりたかったから、嬉しくてレムはどうにかなってしまいそう」

 

 

姿勢を正したレムが改めて、言葉に表現しきれない愛と感謝を贈る。自分の心に温もりをくれて、人生を華やかに彩ってくれた最愛に、想いを紡いだ。

 

姿勢を正したテンも「レム」と彼女の名を愛おしそうに呼び、

 

 

「改めて、俺の人生で初めての恋人になってくれてありがとう。レムが俺の恋人になるなんて、絶対に無いと思ってたから……すごく嬉しい。今、生きてきた中で一番嬉しいと思う」

 

 

この感情を言葉にできないのはレムだけじゃない。テンだって、嬉しすぎて今日は眠れるか怪しい。

 

テンとレムの気持ちは一緒——互いが認識すると、両者の間で小さな笑声が生まれる。笑って、笑って、笑い続けて。

 

ひとしきり笑い合うと、それからテンは片手を軽く振り、

 

 

「じゃあ、また明日ね」

 

「はい、また明日。明日、必ず起こしに参りますので覚悟しててくださいね」

 

「かくご………?」

 

 

小悪魔じみたレムの悪戯な笑みに、不安感を宿したテンの呟きが重なる。明日の朝、自分は彼女に何をされるのか。ある程度の予想はできるから、せめて対策はしておこう。

 

そんなことを思い。テンは「うん。分かった」と定型になりつつある返事を一つ。何をどう理解したのか分からない返事を受け取ると、レムは満足そうに頷いてくれた。

 

その頷きが、きっと終わりの合図。身体の向きを変えるテンが扉の取っ手を握ると、レムもお別れだと察したのだろう。テンに背を向ける挙動を見せた。

 

 

「おやすみ、レム」

 

 

 取っ手を捻り。

 

 

「おやすみなさい、テンくん」

 

 

 背を向けた。

 

 

レムがテンから離れて、テンがレムから離れていく。運命の夜を終えた二人が、これからの未来に想いを馳せながら。

 

これで、本当のお終い。長く——長く続いた始まりの物語は、この時をもって終わりを迎える。

 

悲劇の幕が引かれ、様々な人との物語が着地し、また新たな物語へと紡がれるために、この物語の幕は閉じる。

 

 ただ、その前に。

 

 

「——テンくん!」

 

 

 不意に、引かれた幕の中でもう一つ。

 

扉を潜る寸前、不意に鼓膜を叩いたレムの声にテンは呼び止められる。声の方向に顔を向けると、こちらへと駆け寄ってくるレムの姿が。

 

駆け寄るレムは勢いそのままテンに飛び込む。近づく事と抱きつく事がセットになりつつある彼女をテンは優しく受け止めると、

 

 

「どうしたの?」

 

「ひとつ。訂正したいことがありまして」

 

 

小首を傾げるテンを見上げ、大好きな胸の中でレムは、にこやかに笑いかける。

 

それは、テンが初めて本気で好きになった最愛の存在による、純愛に満ち溢れた笑みであった。

 

 

 

「レムは今、世界で一番———幸せです」

 

 

 






ここまでが『結』の部分。102話〜154話まで。『爪痕は深く。傷痕は消えず』〜『温もりが結ばれた日』までです。

最後の方はほぼダイジェストにしました。一つ一つを長く語っていると無限に続くので、興味があったら青文字になっている文をタップして、そのお話をざっと読んでみてください。

因みに、テンとレムの後日談はこちらから。一応、載せておきます。


しゃぁぁ! 原作いくぞーー!

自分で言っておきながら長かった総集編から解放された作者の心情。

次回から、本編開幕だぁぁ!


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