——貧民街。
それは、広大な王都の端っこの一部分、王都をぐるりと囲う外壁沿いに縮こまるようにして集まった貧乏な人間が何千と住む街。面積としては王都の一割も占めない広さの、王都の闇。
貧民街、と呼ばれるだけあってその街を根城にする住民の質も、住民を守る家々の質も、ついでに雰囲気と空気の質も、それらの何もかもが平民街や貴族街と大違いだ。
住民のほとんどがボロ切れを纏い、まともに整備された家屋は一つとして存在しておらず、街全体が廃村のような雰囲気。日が昇っているにも関わらず薄暗い印象を与えるのはそのせいだろう。
「それで? 盗品蔵はどこにあるの?」
「そこまでは知らん。から、聞き出す」
そんな街に、ハヤトとラムはいた。
商店などの喧騒から遠くどんよりとした空気が漂う寂れた街に、二人は足を踏み入れていた。もし、この世界に召喚されたハヤトとテンが王都に飛ばされていた場合、拠点となる場所——だったかもしれない街に。
街の場所を聞くために路地裏にいた輩と一悶着あったのだが、さしたる問題でもなかった二人。少しばかり乱暴なやり方ではあったものの、彼らは無事に聞き出すことに成功。
今に至る。
「聞き出すと言ってもね。そう簡単に聞き出せるかしら」
「なんでだ?」
「貧民街に住むような人はラムたち……ラムのような貴族をひどく嫌っているから。素直に言うことを聞いてくれるとは思えない」
「なんでわざわざ俺を貴族から外した?」
まともな舗装もされてない街道を歩きつつ、ハヤトとラムは話し合う。自分らを見る周囲から視線が全身に強く刺さるのを感じ、ハヤトは「なるほどな」と密かに納得した。
ここの人たちが上の人間を嫌う理由はさておき、嫌われていることは確かなようで。自分らとは違った裕福な人間を見ると虫唾が走るらしい、衣食住が必要以上に整えられた貴族ともなれば尚更。
「なぁ、ちょっと聞きたいことがあんだが」
「メイド連れた貴族様がこんな場所になんの用だよ。金でも恵んでくれんのか? 上から見下ろすだけの連中が俺らに聞くことなんてあんのかよ。とっと失せやがれ」
事実、ラムの懸念した通りの散々な結果。
排他的な雰囲気を感じるハヤトがいつもの陽キャスマイルで飛び込んだところ、即座に毛嫌いされてしまった。唾でも吐き捨てられそうな程に嫌がられ、聞く耳を持たない。
もちろん、それでもめげずに頑張ったハヤト。誰にでも気さくに接する彼は態度を変えずに声をかけ続けた。このような場でこそ、鍛えられたコミュ力の見せ場だと気合を入れる。
変に誤解した男三人組に「貴族様も堕ちたもんだな」と嘲笑されようが。ガン無視されようが。「消えろ。この街から出ていけ」と唾をかけられようが。彼は頑張って優しい態度を貫いてみせた。
そうやって頑張った約二十分間。聞き回る中でハヤト自身をバカにする発言が偶に吐かれ、隣に並ぶラムが無表情の裏で僅かに青筋を立てることもありながら、話しかけ続けた末。
「そろそろキレていいか?」
「今はやめてちょうだい」
全敗。
二十人に声をかけて二十人に毛嫌いされたハヤトであった。初めにハヤトが排他的な雰囲気が漂ってきたと感じたのは、あの冷たくすげない反応が原因だろう。
多分、服装が綺麗だったのも理由の一つとしてあるのかもしれない。服装はその人の身分と立場の程度を表すものだから、ラムを見て貴族だと判断し、その次にハヤトを見てお付きの用心棒とでも解釈したか。
外からの人間——貧民でない人間への扱いは冷たく余所余所しく、それでいて非協力的。
基本的にノリが良く、老若男女に好かれ、誰にでも分け隔てなく接する真なる陽の民なハヤトの対人スキルを以ってしても、その心を開くことは困難である。
流石のハヤトも怒り浸透気味。聞いても聞いても相手にされないどころか、暴言まで吐き捨てられた彼の陽キャスマイルはいつの間にか崩れ、明らかな青筋がピキピキと浮かび上がりつつあった。
「どうすっかなー。聞き出せない以上、歩いて探し回るしかないが、それだと日が暮れちまう。まだ日は傾いてない感じだが、のんびりしてもいられねぇ」
「そもそもの話として聞くことが否定されてしまっては八方塞がりね。貧民同士、仲間意識が強いのなら尚更。今、ラムたちの周りには協力的な人間なんて一人もいない」
「じゃあ、どうするよ」
「実力行使もラムとしてはアリだと思うけど」
「喧嘩売んのか……。まぁ、それもそれだな」
現在、二人は住宅街を抜けて小さな広場で一休み中。肉体的よりも精神的に疲れたハヤトは腕を組みながら木に寄りかかり、同じく木に寄りかかるラムは彼を見ながらため息。
幸先不安すぎる現状。聞き込みをした収穫が聞き込み不可な事実、聞き込みをした結果聞き込みができなくなるとは、どんな皮肉だ。そんな悠長にしてる余裕などないのに。
徽章を奪われてからまだ三十分程度しか経っていないから大丈夫、だと思いたい。まだ手の届く場所にあるとハヤトとラムは思いたい。アレが無くなればエミリアの立場は崩壊、全てがおじゃんだ。
尤も、
ーー日が落ちるまでなら大丈夫なはず
今後の動きを考える上で、ハヤトはアニメの記憶を引っ張り出して確認。その記憶が正しければその時間帯までなら間に合うと、心に余裕を持たせた。
夕刻までに辿り着ければ今回の主犯——フェルトに出会えるはず。スバルが女体化し、原作が見事に覆されてしまった今、その知識が当てになるのかと聞かれたら怪しいところではあるものの。
なら、どうする——。
「——脳筋」
当初の予定が完全に狂い、頭を悩ませるハヤト。
徽章は俺たちが取り返すと言った手前、後に引くことはできないと喉を低く唸らせていた彼の耳にラムの声が届く。
「ん?」と地面と睨めっこしていた顔を上げると、視線の先にいるのは「ちょうどいいのが来た」と言いながら立つラム。寄りかかった木から離れた彼女はハヤトの前に背を向けるように立っていた。
そして、
「なんだテメェら。物取りか?」
平然とした様子で正面を見据えるラム——その先には八人程度の男たちがいた。見た目的には二十代後半だろうか。体格はまばらだが、どの輩も荒くれ顔の暴漢といった具合。
体格でハヤトに勝るものは見られない八人組。纏う覇気的にもハヤトに勝るものは見られない八人組。明らかに返り討ちにされそうな小物感満載な八人組。
にも関わらず余裕綽々な態度なのは、数の有利で上を取っていると思っているからだろうか。ラムと、彼女の隣に並んだハヤトを舐め回すように睨んでいる。
睨まれて目の色を変えたハヤト。久々に暴れられると判断したか、一瞬にしてスイッチが入った彼は「いい度胸じゃねぇか」と口角を釣り上げながら拳を握り締めた。
「貴族様がこんな場所に来ちゃいけねぇよなぁ。俺たちにみたいな連中にぜーんぶ盗られちまうんだから」
「コイツは久々に高価なモンが手に入りそうだ。身ぐるみ全部剥がしちまおう」
「あのゴツいのボコって女は連れて帰ろうぜ。滅多に見られねぇ上玉だしよ」
「背負ってる大剣も売り捌いてやろうか。今日は盗品蔵にいいモン持ち込めそうだな」
二人の前に立ち塞がる野蛮な輩が下劣な笑みを浮かべながら品のない言葉を口々に言い、その視線のほとんどがラムに向く。やはり、どの男にもラムは可愛いと思われるらしい。
瞬間、察したハヤトが肩を入れるようにラムの前に立ち、その体格で男たちの視界から遮断。彼女自身になんの影響もないと分かってようが、親友の女にいやらしい目が向けられるのは黙っていられない。
その姿勢に何を感じたのだろうか。頼もしい背中に守られるラムは「ふっ」と微笑を音にすると、
「なんのつもり?」
「男の性、ってやつだよ。今は黙って俺の背中にいろ。変に力を使って疲れられても困るしな」
強かろうが強くなかろうが男が女を守るのは当然のこと。ラムが強いのは知っているし心強いのも十分理解しているが、ハヤトが守る対象なことに違いはない。
そして今、間接的に「俺一人でやる」と言われた彼女は「そう。なら好きにすればいい」と言いながら数歩下がって再び木に寄りかかる、傍観の姿勢。
「この人数相手にやろうってのか、兄ちゃん」
「死んでもしらねぇぞ?」
「あの女と持ち物置いてけば、それで勘弁してやるが?」
「ついでに、助けてくださいーって鳴けよ」
そんなハヤトを男たちは嘲笑った。体格、覇気、武器、何においても相手の方が明らかに優っているが、数の有利には勝てないだろう。なんせこっちには八人もいるのだ。負けるはずがない。
多勢に無勢。しかし、ハヤトの表情には揺らぎの一切がない。無手の拳を軽く握りしめ、八人を強く睨みつけながら無言で構える。呼吸を整え、地を踏み締める足に力を込めた。
ちょうどいい。あの男たちの一人から『盗品蔵』というワードも聞こえたことだし、強引にでも聞き出す。ついでに、イライラしてたからストレス発散にも使わせてもらおう。
「そうかよ。ならいいさ……痛い目に遭わせてやる! やるぞ、テメェら!」
無言の宣戦布告を受け取った男たちがその声をきっかけに拳を握りしめる。中には懐からナイフを取り出す者もいたが、依然としてハヤトに揺らぎはない。
当たり前だ。一体、自分がどれだけの修羅場を生き抜いてきたと思っている。この程度の輩など、考え事をしながらでも勝てる。なんなら片腕一本でも勝てる。
ハヤトのやる気は十分。今、彼の頭の中にあるのは溜まりに溜まった鬱憤を晴らす事と、盗品蔵の場所を聞き出す事だけ。
「言っとくが、俺は手加減はしねぇ
一触即発な空気の中、挑発するハヤトが不敵な笑みを浮かべながら息をこぼすように笑う。正面の八人のうち誰から仕留めてやろうかと考え、一撃を入れる拳を引き絞った。
この状況で煽られるとは思わなかった男たちが思わず失笑。状況を理解していないと断定した口が「やれるもんならやってみろよ!」と唾を飛ばしながら盛大に煽りを刻む。
両者共に負ける気なし。騒ぎを聞いた近隣住民の視線が集まる中、煽られたハヤトの瞳が挑戦的に光ると「そうか。ならいい」と呟き。
ふっと息を詰め、
「覚悟しやがれーーッ!」
一気に、懐に飛び込んだ。
▲▽▲▽▲▽▲
圧勝だった。
ハヤトたった一人に対し、八人で挑んだ男たちは十秒とかからずに沈んだ。あれだけ長い前置きをしておきながら、実際の戦闘は文章にすると一行に収まる程に短い。
鳩尾に一撃。全員、それでお終い。
地面が蹴られる音が小さく響いたと同時、懐に飛び込んで正面の鳩尾に深く一撃。物理的に内臓が圧迫される一撃に体がくの字に折れ曲がり、想像を絶する打撃に白目を剥いて沈黙。
瞬きの間に仲間が一撃で地に伏せた光景は、残る男たちにとっては相当な衝撃を齎した。予想を裏切る展開に動揺、唖然として瞬間だけ隙が生じる——その瞬間が致命的。
右腕を穿つと同時に左腕を引き絞り、左腕を穿つと同時に右腕を引き絞り。相手の意識を確実に狩り取る必殺が連続して一人一人に放たれ、合計して八発、鳩尾に捩じ込まれた。
結果、八人はものの見事に返り討ち。反撃の一切を許さない一撃が瞬く間に相手を無力化し、完封。的確で、容赦のない、一方的な戦闘に終わる。
「んだよ、もうお終いかよ。つまんねぇな。この程度で喧嘩売ってくんじゃねぇよ」
退屈そうに吐き捨て、ハヤトはため息。落胆の色が強く浮かび上がる彼は足元に転がる八人を見下ろし、拳の握力を確かめるように握って開いてを繰り返す。
荒事慣れした人間の多い貧民街の輩がどれだけ強いのだろうかと思っていたが、これでは拍子抜けだ。あの日以来のまともな戦闘に昂っていた自分が馬鹿らしい。
賊に襲われるお約束な展開は、もう十分。
尤も、ストレス発散になったから良しとする。体が思い通りに動くことが確認できたから良しとする。
なら、次だ。
「おい。ちょっと聞かせろ」
倒れる中の一人。敢えて力を抜いて意識を奪わなかった男の胸ぐらを掴み、グイッと持ち上げるハヤト。雑な起こし方に「うぅ」と苦鳴を漏らす男が薄く目を開けると、見えたのは猛獣にも匹敵する凶暴な眼光。
ギロリと鋭利に尖るそれに熊型の魔獣を幻視。思わず「ひっ」と情けない声が喉で浅く鳴り、表情が目に見えて強張る。怯えるそれを睨み、中腰のハヤトは言葉を繋げた。
「盗品蔵の場所を教えろ」
低く、唸るような声だった。
滲み出る覇気が宿った声は相手の心を威圧で支配しにかかり、余計な言葉を許さんとしている。その姿は正しく、獲物に喰らいつく寸前な大型の熊。
「なん、で……っ!」
「言わねぇなら埋めるぞ」
故に、答え以外の言葉を話そうものなら威圧に加えて殺気が男の精神に牙を剥く。決して冗談を話している様子でないそれは、間違った答えを刻めば本気で埋められかねない危険性を孕んでいた。
脅しじゃない——一秒たりとも逸れない視線から男は理解する。この男は、変な答えを言ったら本気で自分のことを埋めるのだと。狩る側だったのに、いつの間にか狩られる側になったのだと。
とても、自分が想像していた貴族とは思えない野蛮な男だと思う。どちらかと言えば、貧民街に住んでそうな荒々しい奴だ。貴族とは真反対。
「あ……あの高い防壁が、見えるか」
弱肉強食な貧民街。
食うか、食われるかの世界で負けた側に選択肢など与えられない。よろよろしながらも右腕を伸ばし、男は王都を囲う防壁を指差す。
「おぉ」と頷くハヤト。指差す方向に顔を向けると確かに高い壁があった。見守っていたラムが近づいてくる足音を聞きつつ「それで?」と軽く胸ぐらを揺すり、
「あの下に、盗品蔵はある。すぐ、そこの通りを真っ直ぐ進めば……辿り着く。壁を背にした一際でかい建物だから、見ればすぐに分かる」
「本当だな?」
「この状況で嘘つくほど、バカじゃねぇ………」
掠れた声で紡いだ直後、男は意識を失った。
辛うじて持ち上がっていた首から力が抜け、口をぱっくり開けながら重力に従って地に落ちる。以降からピクリとも動かず、揺すっても反応しないことからして、完全に落ちたのだろう。
ハヤト的には手加減をしたつもりだったが、どうやら貧民街の人たちには強すぎたらしい。殺す気は無いからナックルの装備はしなかったのに、この光景では装備した結果と大差ない気がする。
なんにせよ、
「目的は達成、だな。行こうぜ、ラム」
沈んだ八人をそのままにし、ラムに手を振るとハヤトは男が指差した方向へと歩き出した。八人というそれなりの数を寝かせておきながら、何事もなかったかのような様子である。
相変わらず頼もしい男——きっと、これからも抱かされるであろう感情を胸に抱くラム。どんな厄介事でもコイツがいればなんとかなると思わせてくれる背中を追いかけ、彼女は隣に並んだ。
「お疲れ様、と言ってあげる」
「そこまで疲れてもねぇよ」
「鍛錬に比べりゃ、ぬるい」と、ハヤトはラムの労いの言葉を軽く流しながら肩を回す。聞き込みの件でイラついた分を発散できたのか、彼の表情は清々しいものになっていた。
そんな彼を見るラムもまた、心なしかスッキリした表情。煽ってきた輩が次々と倒れる光景は見ていると爽快感があって、ロズワールに鍛えられただけはあると思う。
お陰様で、傍観しているだけで終わった。
「盗品蔵に着いたらどうする。中に入って徽章があるか確認してみるか?」
「そうね。あるなら、その場で取り返しましょう。あれは本当に大切な物——荒事になってでも強引に奪い返すから、脳筋も心構えはしておきなさい」
荒事になる。
言ったラムの声が一段下がり、懐に忍ばせた杖に服の上から手を添える挙動。先程の戦闘は外から見ているだけだった彼女も、その戦闘には参加する気概だ。
「わーってるよ」と返すハヤト。腰に巻いた黒帯をきゅっとキツく締める彼は気を引き締め、ベルトのフックにかけたナックルの調子をチェック。今度の戦闘ではこの子の活躍も期待できるだろう。
だって、次の相手はあのエルザなのだから。自分よりも格上の相手と、自分は命を取り合うのだから。本気の本気で挑まなければ確実に殺されてしまう。
「荒事……荒事か。乱戦にでもなったらどうしようか。こんなでっかい大剣振り回してラムに当たったりでもしたら洒落にならねぇし」
「その心配はないわ。ラムは脳筋の一振りを受けるほどノロマじゃないもの。心配するべきは、脳筋が突っ走りすぎてラムの声を無視することね」
これから起こる戦闘に昂るハヤト。気が早い作戦会議を頭の中で展開してると、割と的確な懸念がラムの口から投げかけられる。
それはハヤトの美点でもあり弱点でもある部分だが、今の言葉だけでは理解できなかった。「なんでそうなるんだよ」とハヤトが苦笑しながら返せば、
「頭に血が上ると、著しく視野が狭まるのが脳筋という戦闘バカだからよ。それ以上に適切な理由なんて無い」
と。
遠回しではなく直球で冷たく言い切られた。澄まし顔のまま分かりきった様子で言われると、無性に腹が立ってくるハヤトである。
しかし、ぐうの音も出ない。その言葉は随分と前にロズワールにも注意されたし、テンにも注意された。加えて、そうなってしまった事例が過去に何度かあるから否定できない。
だから彼は「へいへい。気をつけますよ」と。上手く言い返せない事にムカっとし、感情を表に出さないためにポケットに手を突っ込むしかなかった。
盗品蔵は、まだ遠い。